九章三話 『救われた人達』
次の日、ティアニーズ達は門の前に立っていた。
突然届いた手紙の事もあり、当初予定していた出発日を早め、王都へと向かうための準備を済ませていた。
「長いようであっという間だったな……」
「色々な事があったからな。ここへ来るまでが君達にとっては大変だっただろう」
「アハハ……正直、あまり覚えていないんです」
荷物を荷台へと運び込んでいると、独り言を聞いていたアテナが声をかけて来た。腕には食料の入った木箱が抱えられており、しかし重さを感じさせないほど涼しい顔をしていた。
「お腹が空いたなぁ、っていうのはうっすらと覚えているんですけど、他は……」
「そうだな、君にとっては辛い事ばかりだったな」
「でも、ここへ来て良かったです。皆さんが私を支えてくれたから、ここまで来れたんです」
魔獣の襲撃を受け、知らない土地に飛ばされ、餓死寸前の状態でやっとたどり着いたテムラン。ティアニーズは、その道中の事をあまり覚えていない。
トワイルの死から始まり、魔獣の村で出会ったゴルークス、そして、テムランでの仲違い。ティアニーズにとってこの期間は、辛い事の方が多かったのだ。
しかし、それがあったから今のティアニーズがいる。沢山迷惑をかけて、関係ない人間を傷つけてーーここに立つ資格がないのは重々承知の上だ。
でも、少女は選んだ。
これからも辛い思いをする道を。
自分にとってそれが、なによりも苦痛だと知っていながら。
「私も良かったのです。ティアニーズさんと、ちゃんとお友達になれたのですから」
「うん、私もだよ。いっぱい迷惑をかけて、これからもかけると思うけど……よろしくね」
「はい! 勿論なのです!」
小さな紙袋を抱えたエリミアスが通りかかり、照れくさそうに笑うティアニーズを見て満面の笑みで答えた。
「もうすぐ、お父様に会えるのですね」
「寂しい?」
「いえ、自分の意思で城を抜け出したのですし、それに、皆さんがいるので寂しくはないです」
「きっと王は驚くだろうな。今のエリミアスを見たら」
首を傾げるエリミアスに、アテナな意味深ありげに微笑んで作業に戻って行った。取り残され、答えが分からずに紙袋をガシャガシャと鳴らしてティアニーズを見る。
「成長したって事だと思うよ」
「私がですか? 自分ではあまり分からないのです」
「前までは、世間知らずのお嬢様って感じだったけど、今のエリミアスは……なんて言うのかな、大人の顔になってるよ」
「お、大人!」
その言葉がよほど嬉しかったのか、抱えていた紙袋を落としかけるエリミアス。腰を屈めてなんとか体勢を立て直し、改めて紙袋を抱き締めると、
「これで、ルーク様のタイプの女性に一歩近付いたのです!」
「なーー」
「もっともっと食べて、身長を伸ばして、胸もおっきくするのです!」
「だ、ダメ! そんなのダメだよ!」
いきなり飛び出したルークの名前に、ティアニーズは過剰な反応を示す。しかしエリミアスは、知らないと言いたげに鼻を鳴らして顔を逸らすと、
「お友達ですけど、それだけは譲れないのです」
「わ、私だってこれから大きくなるよ! まだ十六歳だし、成長期の真っ只中だもん!」
「私は十四歳なので、ティアニーズさんよりも見込みがあります! もっと成長して、ルーク様に似合う立派な女性になってみせるのです!」
「ずるいよ! これ以上可愛くなったら勝てないよ!」
お世辞でもなんでもなく、エリミアスは美女だ。このまま順当に成長すれば、まず間違いなくルークの目を引けるほどの女性になるだろう。姫という肩書きがあって近寄りがたいが、話してみれば気さくだし、多少我が儘なところはあるけれど、そこも彼女の魅力の一つの言える。
ようするに、これ以上可愛くなられては、勝ち目がないという事だ。
しかし、二人は気付いていない。
絶対に越えられない、年齢の壁という存在に。
「知りませーん。好きになってもらえるよう努力するのは、女の子として当然の事なのです」
「う……それは、そうなんだけど……」
「ティアニーズさんがいつまでも素直にならないのでしたら、私がルーク様をもらってしまいますよ?」
「ダメ! あ、いや、元々私のものじゃないけど……ダメなものはダメ!」
素直になれないのは、もうどうしようもない。こういう性格だからと諦めているので、やりようがないのだ。
けれど、譲る気は毛頭ない。ルークと過ごした時間が一番長いのは自分だし、誰よりもあの男の性格を理解しているつもりだ。
「エリミアス、やっぱり変わったよね」
「そうじゃなくて、なんか生意気になった」
「恋する乙女は強いのですよっ」
「小さいルークさんを相手してるみたい……」
肩を落として敗北を悟るティアニーズ。勝っている場所が一つもないとは言わないが、あまりにも差があり過ぎる。
だが、二人は知らない。
あの勇者は、二人を子供としてしか見ていな事を。
「オイ、サボってんじゃねぇ。まだまだ運ぶ荷物はあんだから、ぼさっとしてねぇで働けよオイ」
ガールズトークを繰り広げていると、一際大きな荷物を抱えたアンドラが現れた。ルークがいないので、男手は彼一人。必然的に重い荷物を運ばされているこだ。ただまぁ、いたとしてとやらないとは思うのだが。
「あ、すみません。直ぐに運びますね」
「……あの、アンドラさんはメレスさんの事が好きなんですか?」
「へぶっ!?」
いきなりの爆弾発言に、アンドラは抱えていた荷物をぶん投げた。直ぐ様駆け出して荷物をキャッチすると、猛ダッシュでこちらへ駆け寄り、
「お、おま、なに言ってやがんだオイ!」
「ただの質問ですよ。だって、小さい頃からの付き合いなんですよね?」
「まぁ、そりゃそうだけどよ……。好きとかそういうんじゃねぇ、アイツとは喧嘩ばっかだったし」
「なるほど、片思いだったと」
「だから! ちげぇって言ってんだろーがオイ!」
勝手な解釈を口にすると、アンドラはたまらず反論。反応が大きすぎるのでなんとも言えないが、それはただ単にアンドラの女性経験が少ないだけなのだろう。
「それはそうと、アンドラさんは結婚とかしないんですか? 結構良い年齢じゃないですか」
「お前、段々ルークに似てきたなオイ。……おほん、俺は結婚なんかしねぇ。縛られんのが大ッ嫌いなんだよ」
「でも、アキンさんはお母さんがほしいかもしれませんよ?」
瞬間、アンドラの上に雷が落ちた。目を見開き、口を大きく開け、餌を求める魚のようにパクパクと開閉。素早い動きで周りにアキンがいない事を確認すると、
「や、やっぱりそうなのかオイ」
「本人に聞いた訳ではないので分からないですが、多分そうだと思います。両親がいないからこそ、自分を助けてくれたアンドラさんを慕っているんですよ?」
「そんな事言われてもなぁ……。そもそも相手がいねぇんだよオイ」
「うーん、メレスさん……あ、それかアテナさんはどうですか?」
言われ、アンドラは淡々と仕事をこなすアテナを見た。頭のネジが何本か抜けている事に目を瞑れば、容姿から振る舞いまで完璧な女だ。不釣り合いなのはさて置き、これほど良い物件が落ちている事はまずないだろう。
が、
「残念だが、私は恋愛に興味はない。少なくとも今はな」
「地獄耳かよオイ」
どうやら聞こえていたらしく、アテナは無表情でそう言った。なぜかフラれてしまったアンドラは、悲しそうにため息をこぼし、
「アイツの言う通り、今はそんな場合じゃねぇよオイ。全部終わったら、そん時にでも考える事にするわ」
とか言いつつも、作業に戻るアンドラの背中には悲壮感が漂っていた。
それから一時間後、作業を進め、なんとか旅立ちの準備を済ませた一行。なにも考えないように作業に没頭していたのか、アンドラはすでに死にそうになっていた。
「ふぅ、とりあえずはこれで完了だな。長旅になるだろうから町には寄ると思うが、これで当分はもつだろう」
「お疲れ様です」
「あぁ、君達も良く頑張ってくれた」
あれだけ働いたというのに、アテナは息一つ切らしていない。前々から超人だとは思っていたが、どうやら想像のさらにその上を行く人間らしい。
「もう出発するんですか?」
「少し休んでからだな。何事もなければ三週間ほどでつくとは思うが、状況が状況だ。ルークがいないとはいえ、奴らがまた襲って来ないとも限らない」
この町を出れば、外は魔獣が存在する世界だ。
魔王が復活してからというもの、魔獣の動きも活発になったと聞く。ただでさえ不幸を招く集団なのに、なにも起こらない筈がない。
ただ、
「ルークさんがいないので、なんとかなると思います」
基本的に、不幸を招くのはあの男だ。本人も望んではいないのだろうが、必ずと言って良いほどなにかを引き寄せて来る。
「ルークには悪いが、私もその考えに同意だな」
「いてもいなくても迷惑をかける……本当に、どうしようもない人ですね」
寂しいという気持ちを誤魔化し、冗談混じりに微笑むアテナにティアニーズは言った。
原っぱに腰を下ろし、他愛ない会話を進めていると、シャルルがやって来た。荷物の積まれた馬車を眺め、
「へー、思ったよりも早く終わったのね。少し早く来て正解だった」
「シャルルさん。どうしたんですか?」
「見送りよ見送り。アンタ達には世話になったし」
「一番お世話になった人のお見送りには来なかったのに」
「う、うっさい!」
来て早々からかわれるシャルル。相変わらずなんにでも反応してくれるので、ついつい口数が多くなってしまうのだ。
シャルルはティアニーズを睨み付け、
「アンタって、初めて会った時とは別人みたいよね」
「色々あったので、その……」
「別に責めるつもりはないわよ。私もそうだし……てゆーか、多分本来の姿はそっちなのよね」
絶望の淵に立っていたティアニーズとシャルル。すれ違いがあったため、実はこの二人はそこまで会話をしていない。同じツンデレで、同じ人間に救われたーー意外と似ている二人なのだ。
「その……なにかあったら言いなさい。しばらくはこの町に付きっきりになるけど、助けに行くから」
「そんな、私はシャルルさんに、この町の人達に迷惑を……」
「確かに、アンタのせいなのかもしれない。けど、最後には戦ったんでしょ? 正しい事のために、この町を救うために。気にしなくて良いわよ、この町は、人の間違いを受け入れてくれるから」
小さな間違いが積み重なり、やがてテムランを巻き込む大きな戦いへと発展した。しかし、そこから人は学んだ。間違いを認め、向き合い、そして変わる事が出来た。
シャルルも、ティアニーズも、その中の一人なのだ。
「アンタ達には、アイツには、この先一生をかけても返せないほどの借りがある。だから、ほんの少しでも力になりたいの。私に出来る事なんか限られてるかもしれないけどさ」
「いえ、その気持ちだけで十分ですよ。周りから見れば些細な事だとしても、自分に出来る精一杯をやるーー私も、それを教わりましたから」
「お互い、良い意味でも悪い意味でも変えられたみたいね」
「ですね。あの、バカ勇者に」
お互いの過去を、お互いは知らない。それでもこうして立ち上がり、前を向いて歩こうとしている。それだけで、十分なのだ。あの男がなにをしたかなんて、言わなくても分かる。
「あれ、ガジールさんは来ないんですか?」
「あー、それね。一応誘ったんだけど、もう言いたい事は全部言ったからって」
困ったように頭をかき、シャルルは大の字に寝転ぶアンドラを見た。アンドラは二人の話を聞いていながら、わざと聞こえないふりをして寝返りをうった。
「そう言えば、昨日アンドラさんが……」
「なんか来てたみたいね。凄く怒鳴られてたみたいだけど」
「怒鳴られてた? もしかして、喧嘩ですか?」
二人の視線がアンドラに集中する。その視線を背中に受け、アンドラは耐えきれなくなったのか、うなり声を上げながら飛び起きた。
面倒くさそうに目を細め、
「親父とはずっと前に別れの挨拶は済ませてある。今回はただ立ち寄っただけだし、んなに仰々しい真似をする必要もねぇんだよオイ」
「そんな事聞いてませんよ。喧嘩したのか聞いてるんです」
「しつけー奴だなオイ。親子喧嘩くらい普通だろ。……でもまぁ、心配すんな。ちゃんと、けじめはつけてきたからよ」
「けじめ、ですか?」
「もう良いだろオイ。どーせ俺が運転だ、先に行ってる」
拗ねたように話を強制的に終わらせると、アンドラは一足先に馬車の方へと行ってしまった。
それを見て、アキンはうつ向きながら荷台に乗り込む。
「あの二人、なんかあったの?」
「分かりません。アンドラさんの方はなんとなく心当たりはあるんですけど、アキンさんは……」
アンドラは、あのヴィランと戦っている。
あの、底なしの悪党と。
結果は知っているが、そこに至る過程をティアニーズは知らない。アンドラが悩んでいる理由は、恐らくそこにあるのだろう。
「ま、そっちは頼むわよ。ガジールさんの面倒はこっちで見るから」
「はい、任せてください」
ルークなら、きっと空気を読まずに突撃するのだろう。しかし、ティアニーズはティアニーズだ。自分なりのやり方がある。宛なんかないけれど、力強く頷いた。
「さて、そろそろ行こうか。日が暮れる前に出来るだけ距離を稼いでおきたい」
アテナの声を聞き、一人づつ馬車に乗り込んで行く。軽く会釈をするケルト、シャルルと握手を交わして去って行ったエリミアス。アテナはシャルルの頭を撫で、
「シャルル、君は私の出会った人間の中でも立派だった。広場での君の覚悟、君と一緒に戦えた事を、私は忘れない」
「な、なにもしてないわよ。でも……うん、私も忘れないから」
照れくさそうに口を開くシャルルだったが、素直にお礼を口にした。それから去って行くアテナの背中を見つめ、頭を下げると、今度はティアニーズへと目を向ける。
「一回しか言わないから、ちゃんと聞きなさいよ」
目を伏せ、タイミングを図るように息を整えるシャルル。ティアニーズを見つめ、
「私を助けてくれて、ありがと」
「………」
「こんな事今更だっていうのは分かる。現に、あの時は本当に嫌だったから。無駄な希望を与えるなって、心の底から思ってた」
あの日、あの時、シャルルは助けを望んでなんかいなかった。このまま奴隷としての人生が続いて行くと、そう思って諦めていた。
だが、一人の男が手を伸ばした。
本人にそんなつもりなくても、シャルルは、確かにその光を見たのだ。
「でも今なら、ハッキリと言えるから。頑張って良かったって、変わろうと思って良かったって、助けてくれて、ありがとうって」
「ルークさんは、きっと知らんって言いますね」
「だからアンタに言ってるんでしょ。ちゃんと、言いたかったから。私は、救われたって」
それはきっと、ティアニーズに言うべき言葉ではない。ルークがいないんだとしても、アテナやエリミアス、アンドラやアキン、ケルト、他に言うべき人間はいる筈だ。
でも、シャルルはティアニーズを選んだ。
その理由は分からないけれど、ティアニーズを選んだのだ。
「なんでかは分からない。けど、多分、似てるって思ったから。アンタもなんでしょ? 望んでもないのに、アイツに助けられた」
「はい」
ティアニーズは、この町で終わる筈だった。
それを心の底から望んでいて、後悔なんてなかった。ティアニーズを、助けない事が正解だったのだ。
けど、ルークは手を伸ばした。
手を伸ばし、逃げるなと言った。
だから、ティアニーズはここにいる。
優しい言葉ではなく、厳しい言葉だったから、こうして立ち上がる事が出来た。
「よろしくね、アイツの事。無茶すると思うけど、多分それ止められるのは、アンタだけだから」
「私の言う事なんか聞きませんよ。だってあの人は、自分の信じた道だけを進むーー勇者ですから」
自分勝手で、どうしようもない男だから。
そんな量産型勇者だったから、二人は救われた。
ルークじゃなきゃ、ダメだったのだ。
「でも、頑張ります。誰かが見てないと、直ぐに暴走しちゃいますから」
「たまには会いに来なさいよ。その時は、聞かせて。アンタの事を。アンタと、アイツの事を」
「はい。いつか、必ず」
差し出された手を、ティアニーズは握り返した。
そして背を向け、馬車へと乗り込んだ。
こうして、ティアニーズ達は最後の都市を旅立つ。
自分だけの道を、自分だけの物語を。
少女の物語は、ここから始まるのだった。