八章五十七話 『気の合う二人』
「私は、シーシュ。アポロン様が作った、精霊です」
自分の存在を、名前を、記憶を確かめるように、シーシュはそう言った。その瞳にはどこか懐かしさを感じさせるものがあり、ソラとシルフィは、少しの間言葉を失っていた。
「この記憶は、全て確かなものなのですか?」
「あ、あぁ。お前は私が……」
「でしたら、アポロン様は……?」
シーシュの記憶は、シルフィに作り替えられたところで途切れている筈だ。それはつまり、そのあとに起こった出来事をなに一つ知らないという事だ。アポロンの事も、ゼルテルの事も。
シルフィは、言葉につまっていた。
「アポロンは……」
「良い、そこから先は私が話す」
「アルト様……」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながらも、なんとか言葉を捻りだそうとするシルフィ。しかし、それを見ていられなかったのか、腰を下ろしていたソラが立ち上がり、二人の間に割って入った。
「私自身、これは実際に体験した話ではない。色々とあって記憶がなくてな、だから、あくまでも聞いた話だ」
いくらアルトの記憶があると言っても、ソラになる以前の記憶はない。あくまでも統合されたのは最近のアルトの記憶なので、ソラは、アポロンには会った事がない。
他人事とはいかないけれど、シルフィよりは幾分かは冷静に語れる。
ソラは息を吸い、シーシュの顔を瞳にうつし、
「アポロンは、死んだ」
そして、語り始めた。アポロンになにがあったのか、ゼルテルがなにをしたのか、そして今、人間の世界がどんな状況なのか。淡々と語られる言葉の一つ一つを、シーシュは噛み締めるように耳をすませる。時折見せる寂しげな表情、それを見て、シルフィは思わず目を逸らしていた。
全てを話終え、ソラは区切るようにルークを見た。当然、興味のないルークは、いつもと変わらない顔で大きなあくびを噛み殺す。その顔を見て、ソラは安心したように息を吐いた。
「これが、全てだ」
それから数秒間、シーシュは黙りこんだ。彼女がなにを思い、なにを考えているのかは誰にも分からない。自分の親が死に、その親を殺したのが友人だったのだ、到底受け入れられる内容ではない。
だが、次に放たれた言葉に、シルフィは目を見開く。
「そんな気は、していました」
「驚かないのか?」
「一応、これでも十分驚いています。ただ、なんと言うか……あの人なら、そうすると思ったんです」
「すまない。私のせいだ、私がもっと二人の話を聞いていれば……」
「いえ、王のせいではありません。どんな理由があろうと、私が命を奪った事には変わりありません。私は、罰を受けて当然の事をしたんです」
感情の起伏はあまり見られず、シーシュはシルフィを見つめながら口を開く。そこに恨みや憎しみといった感情はなく、それが逆に、シルフィを苦しめているのかもしれない。
「一つ、聞いても良いですか?」
「あぁ、構わない」
「なぜ、私が死んでいないのですか? アポロン様が消えれば、私も死ぬ筈では?」
「その事か……。アポロンから切り離し、私の作った精霊として作り替えた。だからお前は死んでいないんだ」
なんでもありかよ、とルークは内心思った。
純粋な戦闘力は他の精霊に劣るものの、シルフィは力は相手が精霊ならばほぼ無敵だろう。触れれば勝ち、そんなデタラメな能力だ。
シルフィは視線を戻し、
「私を、殴ってくれ。そんな事で気が晴れる訳ではないと分かっている、これがただの自己満足だという事も。だが、けじめをつけさせてくれ」
「王、いえ、シルフィ様。私はそんな事しません。貴女を殴ったところでなにも変わらないし、アポロン様がやった事がなくなる訳でもない。少し酷い言い方かもしれませんが、そんな事では、けじめにはなりません」
「……中々良い性格してんじゃん」
シーシュの最後の言葉に、ルークは嬉しそうに微笑んだ。もしルークが同じ立場だったら、まったく同じ事を言っていたからだ。他人の自己満足に付き合うほど、お人好しではない。
シルフィは自虐的な笑みを浮かべ、
「そう、だな。すまない……」
「ゼルテル様は、なぜそんな事を?」
「恐らくだが、私への復讐だ。いや、私だけではない、全ての精霊、そして神への復讐だ」
「あのゼルテル様が……。他人には無関心だと思っていましたけど、随分と大胆な事をやる方だったんですね」
「まさかここまでやるとは……私も予想外だったよ」
「それで、シルフィ様はどうするんですか?」
突然の問い掛けに、シルフィは返事をする事も出来なかった。問い掛けたシーシュは口元を僅かに緩め、
「アポロンは死んだ、ゼルテル様は復讐のために動いている。だったら、シルフィ様は、精霊は、どんな行動を起こすんですか?」
「私は……」
「まさか、このままなにもしないなんて言いませんよね? もしそんな事をおっしゃられるのなら、私は貴女を本気で殴ります」
「……あぁ、そうだ。そうだよ、なにもしないなんて、あり得ん」
シーシュの言葉に、揺らいでいたシルフィの瞳が光を取り戻す。フラフラとさ迷っていた視線をシーシュに向け、一歩を踏み出す。ずっと、その一歩を踏み出せずにいたから。多くの精霊に助けられ、人間に諭され、シルフィは自分のやるべき事を、なりたい王を探すと決めたのだから。
「戦うよ。けじめとか、私の責任とか、そんな言葉を免罪符に使う気はない。ただ、守るために。私の大事な家族を、ゼルテルを止めるために戦う」
「ーーなら、私からはもう言う事はありません」
可愛らしく首を傾け、シーシュはそう言って微笑んだ。シルフィはなにを言っているのか分からなかったのか、返答までに変な間を挟み、
「ほ、本当になにもないのか? 私は、お前に殺されても仕方のない事をしたんだぞ」
「貴女がなにもせずにジっとしていると言ったら、それも考え方かもしれません。けど、前に進もうとしている。うつ向いて目を逸らすのではなく、ちゃんと向き合おうとしている。でしたら、なにも言う事はありませんよ」
あんなにも緊張しておきながら、結末は呆気ないものだった。シルフィの見た事もない間抜けな表情を見て、外野に立つルークは腹を抱えて大爆笑。
慌てたようにルークとシーシュを交互に見つめ、
「な、なにがそんなにおかしいんだ! 私はどうなっても良いという覚悟を決めてここへ来たんだぞ! なのに、なのにお前は!」
「気付けよ、アホ王。こいつはお前のその覚悟だけで十分だっつってんだよ。ここへ来た時点で、もう許してたんだろ?」
「はい。貴女が私に会いに来ないという事は、罪から目を逸らしたという事。でも、貴女は会いに来た。自分の罪を認め、ちゃんと償うために。まぁ、記憶が戻らなかったら意味なかったんですけどね」
笑う二人を見て、シルフィは困ったようにああふた。ルークとシーシュ、二人の笑みは似ていた。人を小馬鹿にしたような笑いの中に、全てを見透すようななにかがある。
それを良く知るソラは、
「これから、という事だ。シルフィ、貴様は言葉で覚悟を示した。ならば、次は行動で示す番だ」
「しかしだな……」
「お前はごちゃごちゃ難しく考え過ぎなんだよ。そいつが良いって言ってんだから、それで終わりで良いだろ」
「貴様はもう少し考えるべきだと思うがな。相手の言葉の裏を」
「そんなの知らん。分かってほしいなら言葉に出せ」
「その通りです。思っている事はちゃんと口に出さないと、相手には伝わりませんよ」
ルークの言葉にシーシュが同意すると、なぜかソラまでもが肩を跳ねさせて反応した。良く分からないが意気投合してしまった二人。シルフィはそんな二人を見て、緊張の糸が解れたようにその場にへたりこんだ。
「……緊張していた私がバカみたいではないか」
「王様なんですから、もっとシャキっとしてください」
「私はまだ王ではない、いや王なんだが……ともかく、今日ここへはシルフィとして来たんだ。それをお前は……」
「こんな王様滅多に見れませんね。大丈夫、可愛いですよ」
「や、止めくれ。今はなにも言わないでくれ」
照れた、というより、困ったように両手で顔をおおい、シルフィは肩を落として大きなため息。今ので分かったとは思うが、シーシュはルーク同様、ドSなのである。
同じドSは、ここぞとばかりに便乗し、
「シルフィちゃん可愛いよ」
「黙れ、殺すぞ」
「おうこら、なんでそんなに反応が違うんだよ」
「お前に言われると無性に腹が立つ。ぶっ殺してやりたいくらいにな」
「こんな事言ってやがりますよ、親びん」
「ダメですよ、王様がそんな言葉使っては」
激おこのシルフィだったが、ルークがシーシュを楯にした瞬間、その態度は一変し、借りてきた猫のように背中を丸めてしまった。その行動がサディストを喜ばせるとも知らずに。
ルークがへらへらしていると、今さらながら興味をもったようで、
「あの、貴女は?」
「ルーク・ガイトス、アホな勇者だ。そうだな、勇者というのは、ゼルテルをどうにかするために頑張る人間の事だ」
「誰がアホだ。それと訂正しとくが、俺はゼルテルをどうにかするために戦ってんじゃねぇ。俺の平凡な生活なために戦ってんだよ」
「まぁ見て聞いて分かったと思うが、かなりひねくれている。だが、そんな男だが……私の契約者だ」
「アルト様の、契約者……」
シーシュに見つめられ、ルークはあからさまに嫌そうな顔をした。基本的に、この男は見つめられるのが好きではない。なぜとか、なんでとかではなく、本能的にーー、
「なに見てんだよ」
こんな感じに、喧嘩腰になってしまうのだ。本人に悪意はないとはいえ、言われた側は苛っと来てしまう。しかし、シーシュは気にせずに微笑み、
「ルークさん、貴方は、ゼルテル様をどうするんですか?」
「殺す」
迷わずにルークはそう言った。
気遣い、ソラはどうにかすると言葉を濁していたが、ルークはそれを容赦なくひっぺがした。やっちまった、と頭を抱えるソラだったが、
「お願いします。ゼルテル様を、止めてください」
「シーシュ……」
シーシュは反論するでもなく、ルークに向けて頭を下げた。その反応は予想外だったのか、ソラとシルフィは驚いたように目を細める。
ソラは言い辛そうに眉を寄せ、
「本当に、それで良いのか?」
「良くは、ありません。もし他にあの方を救える方法があるのら、私は迷わずにそちらを選びます。けど、多分……今のゼルテル様には、誰の言葉も届かない。私の、言葉も……」
「わりぃけど、俺は他の方法を探すつもりはねぇぞ。殺せば確実に平凡が手に入るんだ、俺はゼルテルを殺す」
「ルーク、貴様はもう少し気遣いをだな」
「知らねぇよ。俺は俺のために戦ってんだ、誰かの指図を受ける筋合いはねぇ。殺さずに済む方法も、探せばあるのかもしれねぇ。けど、それは他の奴がやれば良い。俺は俺のやり方で、自分の望みを叶える」
大前提として、ルークは善人ではない。
仮にゼルテルを殺さずに救う方法があるのだとしても、殺した方が確実ならルークはそちらを選ぶ。もしも、なんて不確定要素に、望みを託すほどお人好しではないのだ。
たとえ、目の前に友人がいたとしても、それは変わらない。
友人を殺すと宣言する事に、躊躇いはない。
「良いんです、これまで沢山の人間の命を奪って来たんですから。私が良いと言っても、殺された人間の家族や友人はそれを許さない。たとえ殺したとしても、その傷は癒えたりしないんです。だから、お願いします」
「言われなくてもやるっての」
「でも、もし余裕があったら、ゼルテルの話を聞いてあげてください。それで、ほんの少しでもあの方が救われるのなら」
「……まぁ、考えといてやる。聞いても殺す事には変わりねぇけど」
ルークの言葉を聞き、ソラは僅かに微笑んだ。
以前のルークなら、即答で断ると言っていただろう。しかし、今回はそうはしなかった。ルークの中に生まれた微かな変化に気付き、相棒は嬉しそうに笑った。
「さて、もう用事は済んだのだが……シルフィ、貴様はいつまでそうやっているつもりなんだ」
「う、うるさい。もう大丈夫だ、問題ない」
なんとか立ち直ったシルフィ。ルークはすかさずからかおうとしたが、殺意のこもった視線を向けられたのでお口にチャック。
空気を入れ換えるように喉を鳴らし、
「シーシュ、私はこれから人間の世界へ行く。人間を救うため、ゼルテルを殺すためにだ。私を信用してくれとは言わない、だが、待っていてくれ」
「嫌です」
「……え?」
「待っているなんて、出来ません」
いきなり拒否され、シルフィは再び間抜けな顔をした。シーシュは譲る気配もないままシルフィに詰めより、
「前まではともかく、今の私の親は貴女です。つまり、貴女が死ねば私も死ぬ」
「そ、そうだな」
「なので、私も行きます」
「な、なぜそうなるんだっ」
「シルフィ様。親を守るのが、子の役目なんです」
「ーーーー」
あんな事があってなお、シーシュはなにも変わっていなかった。親を守って一度死に、死の恐怖を嫌というほど味わった筈だ。けれど、彼女は、彼女の根底にあるものは、なに一つ変わっていなかったのだ。
シルフィは、笑った。
参ったと言いたげに、笑った。
「お前は、なにも変わらないんだな」
「前の親があんな人だったので、体に染み着いているんです。それにきっと、アポロン様なら、同じ事をしていたと思うから」
「分かったよ。シーシュ、私と一緒に戦ってくれ。私がお前を守る、だから、お前も私を守ってくれ」
「はい。慎んでお受けます」
丁寧に頭を下げ、シーシュは頷いた。
自分を殺した相手を守るーーそれはきっと、生半可な覚悟では出来ない事だ。だが、勘違いしてはいけない。彼女の行動は善意だけではないのだ。自分を殺し、親を殺したのだから、そのけじめはつけないといけない。
シーシュは、それを見守る。
誰よりも近くで、子は、親の背中を見届けるために。
「話終わった? んじゃとっとと行こーぜ。早いとこ戻らねぇと、なに言われるか分かったもんじゃねぇし」
「ティアニーズあたりに殴られるだろうな」
「ふざけんな、やり返す」
「そうだな、一旦塔に戻ろう。色々あって長らく人間の世界を見れていない、現状を把握しなければ」
話がまとまり、ルークを先頭に家を出て行く。
シルフィもソラに続いて家をあとにしようとすると、シーシュが近付き、耳元で囁いた。
「シルフィ様は、ルークさんの事が好きなんですか?」
「な、ななな! そんな訳ないだろう!」
「あ? うるせぇぞ」
「こっちを見るな! 殺すぞ!」
「その口癖なんとかなりませんかね!?」
なにも知らないルークは、大声に反応して振り返る。それから放たれた理不尽な言葉に抗議するが、シルフィの耳には入っていないようで、顔を真っ赤にしてシーシュの肩を掴んだ。
「か、感謝はしている。あの人間のおかげで気付けた事もある。が! それだけだ、そこに特別な感情は一切ない!」
「本当ですか? 顔、すっごく赤いですよ?」
「こ、これは元々だ! それに、王である私が、こ、ここここ恋など……」
「別に良いんじゃないですか? 王様が恋したって。それに、シルフィ様は王である前に女性です。恋の一つや二つ、当たり前の事だと思いますよ」
そう言ってウインクし、シーシュは両手をすり抜けて歩き出す。頭の中で恋という言葉がぐるぐると回っているのか、シルフィはその場で固まってしまった。
それと同時に、とある考えが浮かんだ。
その考えとはーー、
「それも良いかも、とか思いました?」
「か、からかうな!」
突然振り返り、ドSを発揮したシーシュ。
シルフィは顔をブンブンと振って誤魔化そうとするが、恐らく、シーシュには見え見えなのだろう。
王様への道のりは、まだ遠い。
乙女になってしまったシルフィは、慌てて三人のあとを追い掛けるのだった。