二章十四話 『負けられない理由』
屋敷に突入していっちょまえに格好つけたルークだったが、視界に入った光景に思わず首を傾げた。
それもその筈、全く予想していなかった顔見知りが三人、しかもその内二人はボロボロで今にも死にそうになっていたからだ。
白髪の男の前で倒れるティアニーズ、顔中血だらけで寝ている盗賊、そしてへたりこんで呆気にとられている少年。
どういう理由でここを訪れたかは分からないが、多分ピンチなのだろう。
「誰をぶっ潰すだって?」
「お前だよ白髪野郎。コイツらのボスなんだろ? 大人しく土下座して消えるかボコられて消えるか選ばせてやる」
「舐めた口きいてんじゃねぇぞクソが。いきなり現れて何抜かしてやがる……それに……」
白髪の男はそこで言葉を区切り、横に立つビートへと目を向けた。ギリギリと歯を鳴らし、こめかみに青筋を浮かべて口を開く。
「まさかテメェが裏切るとはなァ、ビート。自分の立場が分かってねぇのか? せっかく殺さずにいてやったのによォ」
「何言ってやがんだデスト。人質とるなんてダサい真似しやがって、そうでもしねぇと俺と対等に会話する事も出来ねぇのか?」
「口のきき方に気をつけろ。テメェのガキと孫、今すぐにぶっ殺しても良いんだぞ?」
ビートはその言葉を聞いて笑みを浮かべる。
挑発するような笑みにデストは更に苛立ったように表情を歪め、
「何笑ってやがる」
「いや、おかしくてな。もしかして気付いてねぇのか? 人質が逃げ出してるって事に」
「なに……!?」
そう、ルーク達はこの屋敷に来る前にビートの家族と会っていたのだ。ティアニーズ達が逃がしたという事は知らないが、走る女性の集団の中に紛れる夫婦と子供一人に。
ビートが今までデストに抵抗しなかった理由、それは人質をとられていたから。しかしながら、状況は一変している。
デストは知らなかったらしく、されど誰がやったのかに気付き、
「テメェか……! 騎士団の女ァ!」
「そうなのか? なら助けてやらねぇとな、俺の子供の命の恩人だ。こんな所で死なせる訳にはいかねぇ」
ティアニーズを睨み付けるデストを他所に、ビートはあっけらかんとして呟く。
状況を上手く飲み込めていないルークだったが、とりあえずティアニーズが何かやったのだと納得。
怒りを隠せていないデストに向け、
「その女、中々やるだろ? めっちゃしつけーし人の話聞かねーしで俺も困ってんだ」
「どいつもこいつも俺の邪魔しやがって……! 全員ぶっ殺さねぇと怒りが収まんねぇぞ!!」
「やれるもんならやってみやがれ。容赦しねぇぞ……あれ?」
そこまで言って、ルークは重大な事実に気付いた。
ルークがここへ来たのは人質を助けて魔元帥を倒すためで、その理由は剣を直す方法を獲得するためである。しかし、人質は解放されてビートは魔元帥の言う事を聞かなくて良い。
つまり、何が言いたいのかと言うと、
「俺戦う理由なくね? つか、人質解放されてんならとっとと剣の直し方教えろよ」
「……そりゃそうだな、お前が戦う理由はなくなった」
「だよな、んじゃ早く教えろ」
「だから何度も言ってんだろ、俺じゃ直せねぇって。テメェが自分で呼び掛けて直すんだよ」
「いやそれじゃ無理だったじゃん」
緊迫感の欠片もない態度に、ビートはおろかその場の全員が口を開けてポカンとしている。
しかし、ルークにとってこれは非常に重要な事なのだ。自分の生死がかかっており、直せないとなればここまで来た努力が全て無意味になってしまう。
なので、しつこくビートに迫り、
「もう嘘つく理由ねーだろーが。早く吐いちまえよ」
「しつけーな! 俺だけじゃなくて他の人間にも直せねぇんだよ、所有者であるお前以外は!」
「……いやいや、嘘だよね?」
「嘘じゃねぇ」
「マジで?」
「マジだ」
ビートの真っ直ぐな瞳を見て、ルークは自分がアホな思い違いをしていた事に気付く。気付いてしまえば全てのやる気がどこかへと旅立ち、その場の誰よりも絶望で表情を満たしている。
ガックシとうなだれていると、剣を見たデストが驚愕の色を浮かべ、
「なん、で……なぜテメェがその剣を、ソイツを持ってやがる! 前の戦争で力を失った筈じゃ……」
「うるせぇな、今落ち込んでんだよ。おっさんと言いテメェと言い、何で同じ事ばっか聞くんだよ」
「良いから答えろ! それはあのクソ野郎の剣で……」
「そうだ、正真正銘勇者の剣。別名『退魔の剣』だ。お前ならその威力、嫌と言うほど分かってんだろ?」
傷心中のルークの変わりに、ビートが質問に答える。
デストは納得出来ないといった様子で手を振り、その表情には怒りと同時に恐怖が見え隠れしていた。
「そんでコイツが新しい勇者だ。お前ら魔元帥を、そして魔王を殺すために産まれた存在だ」
「誰が勇者だ、勝手な事言ってんじゃねぇ」
ビートの頭を叩いて反論するルーク。どれだけの状況に居ても、それだけは納得出来ないらしい。
取り巻き達はルークが勇者であるという発言に驚き、ガヤガヤと声を上げる。
その中心に立ち、デストは二つの赤い瞳を動かし、
「そうか……なら俺が殺してやらねぇとな。それが一番手っ取り早いよな、人間どもを絶望させんのにはーー!」
瞬間、デストの体を風が包んだ。吹き荒れる突風はティアニーズを弾き飛ばし、速度を上げてルークへと突っ込む。
間一髪で反応したルークは剣で拳を受け止め、二人を中心にして衝撃波が広がった。
「オウコラ白頭、人の話は最後まで聞くって習わなかったのか?」
「生憎、俺を作った奴はしつけとかが苦手らしくてなァ、自由に育った結果がこれだ」
「そうかよ、今もどっかで寝てる魔王とか言うダセェ名前の奴か?」
一瞬でも気を抜けば押し返される、そんな緊張感の中でもルークの減らず口は健在だ。
剣を斜めにズラして力を逃がし、体勢を崩したデストの腹に膝蹴りを叩き込む。鉄のような硬さに顔をしかめ、痺れる足を引きずりながら反撃のアッパーをかわすと、離れ際に全力で頬に剣を叩き付けるが、
「きかねぇな、んなもんか勇者!」
「だから勇者じゃねぇって言ってんだろ!」
ルークの一撃を堪えたデストがその手を掴んだ。逃れられない状況で足を払われて体勢を崩しかけるが、咄嗟の判断で左腕をついてダウンを回避。
そのまま片手で体を支えながら顔面へと爪先を叩き込む。僅かに手が緩んだ隙に、一気に飛んで距離をとった。
「ヒョロヒョロのくせにかてぇ……。何食ったらそんなんになるんだよ」
「生まれつきの力だ。テメェら人間がいくら頑張ったって傷一つつけらんねぇぞ」
「硬いだけで大した事ねぇだろ。俺でも反応出来るって事はその程度だって事だ……いきがんなよ白頭」
「テメェこそいきがんじゃねぇ、クソ勇者」
デストの一撃をしのぎ、こうしてほぼ無傷で立っているのを見るにルークの身体能力の高さは伺える。逃げる事に特化した才能と、意図せずに鍛え上げられた肉体。
ただ、それが通用するのは相手が人間の場合だ。
それはルークも今の一連の流れで理解している。
しかし、
「おっさん、コイツは俺がぶっ潰す。そこの桃頭とバンダナの傷でも見てろ」
「大丈夫なのか? 正直二対一でも勝てるか怪しいぞ」
「うるせぇな、今すげー苛々してんだよ。それもこれも全部あの白頭のせいだ、ぶん殴って土下座させねぇと気が済まねぇ」
「分かった、勇者の力見せてもらおうじゃねぇの。こんな所で死ぬんじゃねぇぞ」
「勇者って呼ぶな」
非常に理不尽な怒りだが、こうなってしまってはルークは止まらない。腕を回して関節を動かすと、
「そういう事だ、テメェは俺がぶっ潰す。一対一の勝負といこうぜ」
「舐めてんのか? 思い上がんじゃねぇぞ」
「まぁ落ち着けよ、お前その頬の傷……もしかして始まりの勇者にやられたのか?」
「アァ?」
ルークの発言に、デストはあからさまな反応を示す。あれだけの硬度を持ちながら頬に刻まれた一つの傷。そして勇者という単語に過剰に反応するのを見れば答えは自ずと見えてくる。
デストの怒りは既に限界を迎えて爆発しそうだが、ルークは尚も挑発的な態度を続ける。
「怖いんだろ? また傷つけられんのが。だから勇者って言葉に反応した、怒ってる振りして恐怖を誤魔化した。ちげぇか?」
「黙れ、まずはその舌千切って捨ててやるよ。痛みと恐怖と後悔に溺れさせながら殺してやる」
「かかって来いや。また同じ場所に傷をつけてやるよ、いや……今度は死ぬ事になるんじゃねぇの?」
その言葉がとどめとなった。
ベキベキと床が沈み、人間を越えた脚力でデストの体が大砲のように放たれる。
目で捉える事は出来なかった。出来なかったけれど、彼の性格を考えれば絶対に接近戦で打ち負かして来るに違いない。
そう考え、ルークは剣を引き抜いて迎え撃つが、
「あ」
思わずまぬけな声が漏れた。だって、現れた刀身は無惨に真っ二つに折れていて、誰がどう見たって戦える状態ではないから。
そう、このアホ勇者は挑発するのに気をとられ、剣が折れている事を忘れていたのだ。
そうなってしまえば、
「ゴッーー」
ルークの胸板に拳が着弾。大型の獣にタックルされたかのような勢いに負け、体がその場で一回転。上下が逆さまになり握っていた剣が手を離れる。
咄嗟に鞘を振るって反撃しようとするが、当たる筈もなく空振り。
「ハッ、いくらあのクソ勇者の剣でも折れてちゃ意味ねぇか!」
どこからか聞こえた声の主の姿を捉える事も出来ず、横からの打撃によってルークの体は取り巻きの男達へと突っ込んだ。
飛びかける意識を手繰り寄せ、何とか体を起こす。
間髪入れずに迫るデストに向けて鞘を振り回すと、何度もルークを救った薄い膜が体を包んだ。
しかし、相手はドラゴンでもなければ魔法でもない。
捻るようにして放たれたデストの拳は膜を破り、みぞおちへと深々と突き刺さる。ルークに出来る事は、口からこぼれ落ちる血液をデストの顔面に向けて吐き捨てる事だけだった。
「チッ……きたねぇな」
「あぁわりぃ、そこに居たのか。身長低いから気付かなかったぜ」
「そうか、なら見えるようにしてやるよ!」
デストの額が迫り、そのまま鼻っ柱へと激突。鼻が潰れる嫌な音が鼓膜を叩くが、ルークは握り締めた鞘を横腹へと叩き付ける。
鞘の宝石がデストの横腹に触れた瞬間、眩い光を放って爆発。デストの体を大きく吹き飛ばした。
「グボォッ……クソが、何しやがったァ!」
「知るかボケ。俺が教えて欲しいっての」
いまいち使い方は分からないものの、鞘はある程度ルークの意思にそった効果を発揮するらしい。そして、目に見えたダメージを与えたという事は、剣だけでなく鞘もデストに対して有効に働く。
喉につまる血を吐き出すと、
「どうした、んなもんか。魔元帥ってのも大した事ねぇんだな。ただの一般人を殺すだけなのに時間かかってんぞ」
「その口を閉じろクソが! 意味分かんねぇ力使いやがって!」
「だったら閉じさせてみろや!」
突っ込んで来たデストの拳に向かって鞘を振り下ろすと、再び光を放って爆発。焼けただれた手が煙の中から現れ、その隙に先ほど殴った脇腹へと踵を叩き込む。
僅かに膝が折れたのを見れば連続で脇腹に蹴りを入れる。
しかし、直ぐに立て直したデストに足を掴まれ、そのまま振り回すようにして投げられた。
「ガッ……ブ……」
「テメェも、あのクソ野郎も、俺の邪魔ばっかしやがって! ぶっ殺してやる、今ここであの時の続きをしてやるよ!」
立ち上がろうとしたが、デストの爪先がルークの顔面を弾いた。上がった顔を掴まれ、無理矢理立たされると肘が腹へとめり込む。くの字に体が折れたところへ迎え撃つように拳が頬を叩き、最後に炎がルークの体を大きく跳ね飛ばした。
せっかく買った衣服が燃え、力なく倒れたルークの意識は体を離れかけていた。
こんな時、負けそうな時、普通の人間なら何を思うだろうか。
大事な人の顔が浮かび、投げ掛けられた言葉を思い出すのだろうか。負けられない理由があるのなら、立ち上がる事が出来るのだろうか。
この男に、そんな信念も言葉もない。
自分を支える言葉もなければ、自分を支えてくれる人もいない。
唯一あるのは、目の前の男に負けたくないという意地のみ。
しかし、それで十分だ。自分勝手な勇者が立ち上がるには、それだけの意地で良いのだ。
だから、
「クソが……とっとと直りやがれ」
小さく呟いた。
頭の中に声が聞こえた気がしたから、その声に答えた。
足を引きずり、腕を引きずり、頭の中で響く声に反論する。
「良いから黙って力貸せ、勇者の剣の意地を見せやがれ」
「言いたい事はそれだけか」
眼前に立つのはデスト。倒れるルークの首を掴み、体を引きずり上げる。
彼の腕力を持ってすれば、ルークの首をへし折る事は雑作もない。だからそうする。
指の一つ一つに力が込められ、骨が軋む音が体の内側から響く。
「死ね、これで俺の勝ちだ」
「……黙ってろ、今はテメェと話してんじゃねぇんだよ」
「ア? 何言ってーー」
デストの声が遮られ、言葉の続きの変わりに首にかけられた手が離れた。いや、強制的に離さざるを得ない状況へと至ったのだ。
デストの腕からは血が流れ、刃物で切られたような傷が浮かぶ。
剣だった。
デストの腕を切り裂き、一人でに宙をさ迷った剣はルークの目の前へと突き刺さる。
美しく、そして光輝く刀身が血を弾き、ボロボロになったルークの顔を映す。
手を伸ばし、剣を抜いた。
「ッたく、マジで呼べば直るのかよ。まぁアレだ、ここからが本番だ。立てや白頭」
腕を押さえてうずくまるデストに切っ先を突き付け、ルークはそう宣言した。