八章五十一話 『三人の契約』
アルトは、夢を見ていた。
黒い世界を一人でさ迷い、ようやくたどり着いた先で見つけた光。その光は人の形をしていて、どこか懐かしさを感じさせる顔で笑った。
知らない筈なのに、記憶の中のなにかが反応した。
いや、知ってる。
アルトは、この男の記憶を見た事がある。
あの人間の青年と同じ、もう一人のーー、
「ブレイブ・ギヴス。お前の前の契約者、そしてーー始まりの勇者だよ」
目の前の男、ブレイブの言った始まりの勇者という言葉。どこかで聞いた事のある言葉だった。男の顔と、その言葉は、確かに記憶の片隅に刻まれている。それが前のアルトのものなのか、それともソラのものなのか。
ーーあるいは、どちらもか。
「ブレイブ……」
「名前も忘れているのか。だが、心当たりはあるだろ? 俺とお前の契約ーーと言っても契約と呼べるほど立派なものではないが、一応繋がりは続いている筈だ」
「ま、待て! 状況に頭が追い付かない……貴様は、その……私の契約者だったのか? たまに見る、夢の中の男なのか?」
「お前の夢の中までは分からないが、多分そうだろうな。正真正銘、お前の契約者だった男だよ。そして、共にゼユテルに挑んだパートナーだ」
「ーーーー」
そこまで聞いても、アルトの頭では処理しきる事が出来なかった。レリストからあらじめ話を聞いていたとはいえ、その男はすでに死んでいる筈だ。自分が非力だったばかりに、守る事が叶わなかった男。
アルトは乱暴に頭をかきむしり、
「そもそもここはどこなんだ、私はさっきまで精霊の国にいた筈だ」
「ここは……そうだな、俺にも分からない。死後の世界ではないだろうし、強いていうのなら……生と死の間の世界、かな」
「なんだそれは……。貴様は、死んでいるんだろう?」
「一度は死んだ、間違いなくな。だが、滅んだのは俺の肉体だけだ、魂はまだ、こうして存在している」
「……なにがどうなっているんだ」
死んだ人間が目の前にいて、ここは良く分からない世界だと言う。その上、記憶が断片的にしかないため、ブレイブを本当に信用して良いのかすら判断出来ない。ブレイブ本人は気にしていないようで、懐かしい友人に会えて嬉しそうに笑っていた。
一旦胸に手を当て、アルトは自分を落ち着かせる。ブレイブはそれを待つように静かに呼吸を整え、準備が出来たのを悟ると、口を開いた。
「なぜこうなったのかは分からない。だが、良かったよ、最後にこうしてお前に会えた」
「最後、だと?」
「あぁ、今度こそ、俺は消える。でもその前に、お前に話しておかないといけない事がいくつかある」
「貴様はすでに死んでいるんだろう?」
「本当の意味で、俺は死ぬ。この状況になったのにも色々訳があってな……お前は覚えていないだろうが。だから、それを話す。俺とお前、そして神の間でおきた事を」
信用に足るかはともかく、今は情報を集めるのが先だ。それになによりも、アルトはそれを知らないといけないと思った。ブレイブが語ろうとしている事は、恐らくレリストの話の続きだ。
自分の、そしてルークの、原点となる話。
アルトの犯した本当の罪、それを、知る権利がある。ーー否、知らなくてはならない。
「……話せ、全てを」
「始まりは、俺が死んだ時、ゼユテルに敗北した時だ」
「……私の、せいだな」
「違う、俺が弱かっただけだ。お前の力は十分過ぎるほどだった、現に、ゼユテルを五十年の間封印出来ていたんだからな」
アルトのせいでブレイブは死んだ。
その事実は、誰がなんと言おうと覆る事はない。
「死ぬ筈だった俺、ゼユテルを封印し、力を使いきったアルト。そこへ、奴が現れた。ーー神様が」
ゆっくりと、ブレイブは語り始めた。
自分の死を、そしてーーアルトの罪を。
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目の前が、真っ暗になった。
戦いを終えた安堵なんかなくて、むしろその逆だ。かんぷなきまでに負け、アルトは大事な人間を死なせてしまった。自分が弱かったせいで、勇気ある一人の人間を殺してしまった。
なんとかゼユテルを封印する事は出来たものの、それは一時的なものでしかない。ゼユテルはいつか必ず目を覚まし、自分の野望を遂げるために、再び動き出すだろう。
結局、なにも変わらなかった。
出来た事といえば、絶望を先伸ばしにする事だけ。
根本的な解決には、まったくなっていなかった。
「ーーーー」
アルトは、目を覚ました。
いつの間にか寝てしまっていたらしく、眠る前後の記憶がまったくない。覚えている事と言えば、ブレイブが死に、最後の力を振り絞ってゼユテルを封印した事だ。
「ここ、は……」
あまりの眩しさに、持ち上げた瞼が勝手に落ちる。瞼を通過して瞳に届く光になれるまで目を閉じていると、不意に声が聞こえた。
「やぁ、お疲れ様」
「……貴様」
聞き覚えのある声に、アルトは目を開ける。光に当てられてぼやけていた視界が段々と定まり、その声の主の姿をようやくアルトの目は捉えた。
人間ではない。人間の形をしているが、それには目も口も鼻もない。光が、人間の形をしていた。
「惜しかったね。もう少しだったんだけど……僕が思っていたよりも、どうやらゼユテルの力は強大だったみたいだ」
「全て、見ていたのだな」
「それが僕の役目であり、唯一の趣味だからね。面白そうな人間に目をつけて、その人間の物語が終わるまで見届けるーーおっと、今それを言うのは不躾かな」
「相変わらず苛立つ奴だな。それで、なんの用だ。契約者を死なせてしまった私に、罰でも与えに来たのか?」
「まさか、流石の僕もそこまで鬼じゃないよ。君を呼んだのは他でもない、話をするためさ。僕とアルト、そして、彼とね」
人の神経を逆撫でするような口調に苛立っていると、神が突然指を鳴らした。一瞬目映い光が辺りを包み、アルトは思わず手で顔を覆う。次に目を開けると、そこには男が立っていた。
死んだ筈の、勇者が。
「ーーな」
「……俺は」
「お疲れ様。戦いの素人にしては良く頑張った方だと思うよ。負けてはしまったけれど、君の勇敢な行動は、多くの人間に希望と勇気を与えた。見事だ、ブレイブ」
状況が飲み込めず、驚きに表情を染めるアルトとブレイブ。その中で、全てを知っている神だけがいつもの様子でパチパチと手を叩いていた。
アルトは数秒遅れ、前のめりに倒れそうなほど身を乗り出した。
「ど、どういう事だ! ブレイブは死んだ筈では……」
「死んだよ、ゼユテルに殺された」
「ならばなぜ!」
「ここにいる、いや、あるのはブレイブの魂だ。死んで、本当なら時間を経て生まれ変わる筈なんだけど、今回は僕の力を使って踏みとどまってもらってる」
相変わらず無茶苦茶な神の行動に、開いた口が塞がらないアルト。ブレイブもブレイブで、自分が死んだという事実をまだ受け入れられていないようだ。
驚きはある。だが、それよりも、嬉しさの方が上だった。
「ブレイブ……」
「アルト、すまないな。お前の力を借りたのに、俺は負けてしまった」
「……違う、貴様のせいではない」
なんと言えば良いのか分からなかった。契約者という関係ではあるものの、アルトとブレイブは必要以上の会話をせずにここまで来た。元々、精霊ともあまり話すタイプではなかったため、人間ならばなおさらだ。
アルトが口ごもっていると、神様が空気を読まずに切り出した。
「感動の再会を邪魔して悪いんだけど、あまり時間のがないんだ。負けてしまったものはしょうがない、死んでしまった事はどうにもならないんだ。だから、これからの話をしよう」
「これからの話?」
「そう。アルト、今君は自分がどういう状況か理解していないね? 君はゼユテルを封印し、とある場所に隠した。そのせいで君は多くの力を失い、今は生き倒れている」
「……まぁ、そんな気はしていたさ」
「君は眠る場所を探しているみたいだけど……うん、それは僕がどうにかしよう。適当に君が休める場所を探すよ」
いきなり生き倒れていると言われても、それほどの驚きはなかった。封印、そして封印を守るために力を使い過ぎ、アルトはもう動けるような状態ではなかった。それでもなんとか歩き続けていたのは、自分が死ねば封印が解けてしまうから。なんとしてでも、魔元帥から逃げなくてはならないのだ。
現実の自分の状態を知り、多少の不安はあったものの、アルトは特に気にせずに流した。神はアルトの反応に満足したように頷き、再び話を前に進める。
「アルトは分かっていると思うけど、あの封印は必ず解ける。ざっと見積もって六十年、なにか邪魔が入ればもっと早く解けてしまう。僕としてもそれは避けたい」
「どうするつもりだ? ブレイブは死に、私はもう動けない。眠りに入り、次に目を覚ますとしても五十年はかかるぞ」
「うん。だから、そこにタイミングをあわせようと思う。希望を、未来に残そうと思うんだ」
話の内容が分からず、ますますアルトの眉間にシワがよる。ブレイブはすでに聞く事を放棄して成り行きに身を任せようとしているのか、分かっているふりをして何度も頷いていた。
「ブレイブ、君は死んだ。本来なら君の魂は滅び、新しい形を得て次の人間に生まれ変わる。でも、僕の力を使ってそれをねじ曲げる」
「ねじ曲げる?」
「君の魂は形を保ったまま、次の人間になるんだ」
「すまない、話が良く分からないんだが」
「簡単に言うと、君はそのままの状態で新しく生まれ変わるって事だよ。でも、それだとルール違反になるから、一つの体に二つの魂を宿す事にする。その魂が自分が勇者だと認めた時、君の魂は表に出てその魂を乗っ取るんだ」
「そんな事、出来るのか?」
「出来るよ、だって僕は神様だから」
あっけらかんとした様子で言っているが、実際問題なんとでもなるのだろう。彼の中でなんらかのルールがあり、それを犯さない限りは。単純に生まれ変わらせるのではなく、二つの魂を宿らせるという面倒な手段を使っているのがその証拠だ。
神が次に進もうとすると、ブレイブがそこで手を上げた。
「ちょっと待ってくれ。もし俺が表に出た時、元の魂はどうなるんだ」
「消えるよ。君という人間に上書きされ、元の魂は人格を失う」
「…………」
「迷う事はないさ。そうしないと世界は滅びる、それが嫌で君は戦って来たんだろう?」
「だが……その人間にはその人間の人生がある」
「その人間の人生一つで世界が救えるかもしれないんだ。安いものだろう」
ブレイブはなにも言わず、神から目を逸らした。アルトは知っているが、あの顔は納得していない時の顔だ。いつもなら口を出しているのだろうが、この状況をまだ飲み込めていないようだ。
神はそれに気付いていながら、無視してアルトを見た。何事もなかったかのように、
「君達の契約は終わらない。精霊と人間の契約というのは、魂と魂で結ばれるものなんだ。だから肉体が滅んでも、ブレイブの魂さえあれば契約は持続する」
「……そんなに上手くいくのか?」
「正直、こればっかりは分からないかな。死んでいるけど生きている、ブレイブ、君の状態は曖昧なんだ。だから、どんな不具合が起きてもおかしくはない。残念ながら、僕にもそれは分からない」
神ですら観測不能な事を、これからこの三人はやろうとしている。なにが起きるか分からないという不安材料は数えきれないほどあるが、神はすでに決めてしまったように見える。
「アルトが起きる五十年後に合わせて、ブレイブの魂をもった人間を生まれさせる。年齢は多少幼くなるけれど、許してくれると助かるかな。生まれ変わるには時間が必要なんだ」
「私は、どうすれば良い」
「ブレイブと会う、それだけで良い。ブレイブの魂をもった人間に会い、勇者だと自覚させるんだ。そうすれば、今まで通りに戦えるよ」
「この広い世界でそんなに上手くいくのか?」
「そこはまぁ、なんとかなるんじゃないかな」
肝心なところで投げやりになる神。その態度には不安しかないのだが、アルトとブレイブにはこの状況を覆せないため、あくまでも従うしかない。
「さて、僕からの提案はここまでだ。どうするかは君達次第。もし断ったとしても、その時はその時考えるさ」
アルトはブレイブを見た。
神の提案に乗るという事は、再びブレイブを戦いに巻き込むという事だ。一度死んでしまった人間を、再び殺してしまうかもしれない。
本当に、それで良いのか。
アルトの中で、葛藤が生まれる。
だが、ブレイブは言った。
「分かった、その案に乗ろう」
「うん、そう言ってくれて嬉しいよ」
「ただし、俺はお前の望み通りには動かない」
うんうん、と頷いて話を終わらせようとした神だったが、ブレイブがそこへ言葉を被せる。僅かに神の表情が動き、それでも笑顔を維持してブレイブを見た。
「俺は魂を消したりしない。その魂と共に世界を救う」
「そんな事、出来ると思っているのかい?」
「不確定要素が多いと言ったのはお前だ。それくらい、なんとかしてみせる」
「……なるほど、そういう性格なのを忘れていたよ。頑張ってみると良い、結果は僕にも分からないけど」
神に逆らい、ブレイブは自分の意思を突き通すと宣言した。神が弱冠不服そうなのだが、ブレイブの自分を通す性格を知ってなのか、最後には折れたように両手を上げて降伏した。
二人の視線が、アルトに集まる。
「アルト、お前はどうする?」
「私は……。ブレイブ、貴様は本当にそれで良いのか?」
「あぁ、俺は戦う。世界を救うなんて大それた事は言えないが、俺の周りの人くらいは守りたいんだ」
「……そう、か。ならば、私もそれで良い」
結局、アルトは自分の気持ちを口に出す事はなかった。
こうして、話はまとまった。
勇者は敗北して、リベンジへと動き出す。
今度こそ、世界を救うために。
話が終わり、神は安心感したように手を叩く。
すると、光に満たされていた世界がゆっくりと黒く染まり出した。
「アルト、君は地上に戻るんだ。眠る場所は僕が用意するから、自分を守る精霊くらいは君がつくってくれ」
「分かった」
「ブレイブ、君は僕と来てもらう。生まれ変わる準備をしないとだからね」
静に頷き、ブレイブは神の横に立った。
神とブレイブ、アルトの間に黒が塗られる。
二人の間に、明確な区切りが出来た。
「アルト」
意識が黒に染まり、途切れかけた時、ブレイブがアルトの名前を呼んだ。アルトは薄れる意識の中、契約者へと目を向ける。
「お前はもう少し、思っている事を口に出した方良い」
「なに?」
「俺に対して罪悪感があるのなら、それは間違いだ。俺は自分で選び、自分の意思で戦った。確かに死にたくはなかったが、後悔はしていない」
「私を慰めているつもりか?」
「違う。ただ、なんと言うか……自分に素直になれ。お前は、お前のやりたい事をやって良いんだ。自分の信じる道を、歩いて良いんだ」
ーーそこで、アルトの意識は完全に途絶えた。
ブレイブの残した言葉だけを、記憶の片隅に残して。
しかしーー、
「ここは、どこだ」
次にアルトが目を覚ますと、なにもかもが消えていた。
ブレイブとの、契約者との記憶。
そして、未来に繋ぐ希望すらもーー。
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全て話終え、ブレイブは区切るように短く息を吐いた。
やはりそれは、アルトにとって見に覚えのない事だった。だが、一つだけ分かる。その作戦は、成功してはいない。
アルトの契約者は、ブレイブではなく、ルークなのだから。
「お前が記憶をなくすのは、流石に予想外だったんだ」
「…………」
「だから、自分を責める必要はない。俺が甘かった、もっと慎重に事を進めるべきだった」
いくら慰めの言葉をかけらても、アルトの心には届かない。だってそれは、アルトにとって一番聞きたくない事実だった。
分かっていた、知っていた、予想していたけれどーー、
「私が、ルークを巻き込んだのだな」
勇者になる筈ではなかった青年。平凡な生活を送る筈だった人間を巻き込んだのは、紛れもないアルトだった。勇者ではなく、平凡な人間、量産された普通の人間を、アルトは戦いに引き込んでしまった。
言い訳なんて、出来る筈がない。
自分さえ記憶を保っていれば、こんな事にはならかった。ルークは勇者なんかにならずに済んで、傷つく事もなかった。
元凶は、自分だ。
ーールークの平凡を壊したのは、アルトだった。
「……まったく、予想していたとはいえ、これはかなりこたえるな」
「あの人間、ルークという男か?」
「あぁ、全部、私のせいだったよ。私がルークを選びさえしなければ、こんな事にはならなかった。もっと早い段階で、世界を救えていたのかもしれないな……」
「一つ、聞いても良いか?」
かわいた笑いを口にし、なにもかもに絶望したアルト。そんなアルトに、ブレイブは歩みよった。肩に触れ、
「お前は、なぜあの男を選んだんだ?」
「……私にも分からない。なにせ、その時の記憶がないからか。だが、そうだな……貴様と、魂が似ていたんだと思う」
アルトも、ソラも、今の『アルト』にはまったく知らない他人でしかない。だが、それでとルークを選んだのは、恐らくブレイブがいたからだ。彼の生き方を見て、触れ、それかまアルトのどこかに残っていたからだ。
ブレイブはそれを聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。アルトの首を傾げる仕草を目にし、嬉しそうに笑った。
「俺は、お前に嫌われているんだと思っていたよ」
「嫌う? 私がか?」
「あぁ、俺に対して冷たかったからな。必要以上の会話はなく、それこそ、最後まで他人だった。だからずっと不安だったんだ。俺は、お前の契約者にはなれていなかったんじゃないかとな」
「……そうか、冷たかったのか。やはりバカだな、私は」
込み上げて来た笑いを、堪える事なく外に出した。自分のせいで死んだというのに、この男はそんな事を気にしていたのかーー思わず、笑ってしまっていた。
アルトは目を伏せ、照れくささを我慢して口を開いた。
「恐らくだが、恥ずかしかったんだよ。元々私は誰かと話すタイプではなかったからな」
「今のお前からは想像出来ないがな。よくルークと喧嘩していたぞ」
「そうなのか? ……それはきっと、貴様のおかげだよ」
顔を上げ、ブレイブの目を見て微笑んだ。
記憶はないけれど、きっと、アルトは覚えていたのだ。ブレイブが最後にかけてくれた言葉を、心のどこかに。その言葉があったからこそ、ソラがいて、今のアルトがいる。
ちゃんと、希望を貰っていたのだ。
「貴様の言葉があったから、私はこうなったんだ」
「それだけじゃない。きっかけは俺かもしれないが、お前を変えたのは、ルークだよ」
「ルーク、か」
「ルークといる時、お前は楽しそうだった。俺といる時に見せた事のない表情をしていたからな。同じベッドに侵入なんて……俺なんか部屋すらも違ったぞ」
「お、同じベッドだとっ? ソラの奴、いったいなにをしているんだ……!」
見に覚えがないから、余計に恥ずかしくなっていた。自分の体ではあるものの、アルトにはその記憶がない。一瞬だけ浮かんだ、羨ましいという感情を頭を振って誤魔化し、
「だが、なぜここにいるんだ? さっきの話では……」
「あぁ、それはもう終わったんだ。俺は死んだ、だからもう消える。向こうは、彼女に任せたんだ」
神との計画によれば、ブレイブは魂を乗っ取る筈だった。しかし、ここにいるという事は、そうなっていないという事だ。そもそも乗っ取るつもりなんてなかっただろうしーーそう、アルトが考えていると、
「彼女と色々話してな、俺は消える事にした。今を変えられるのは今を生きている人間だけだ。……それに、俺の残したものはちゃんと受け取っていてくれたからな」
「それで、良いのか?」
「良いんだ。俺が消えればルークとの契約も出来る。お前の本当の力さえあれば、世界を救える」
「だが、それでは貴様が……」
「アルト、俺は後悔なんかしていない。お前と出会えて、お前と戦えて、本当に良かったよ」
「そんな言葉、私はいらない。貴様を死なせてしまったのは私だ、私なんだ……」
うつ向き、唇を噛み締める。どんな言葉をかけれようともアルトの中からは消えない、ブレイブを殺してしまったという事実。契約者を殺し、その上関係のない人間を巻き込んだ。
そんな自分が、許される資格なんてーー、
「なら、ちゃんと戦ってくれ」
「戦う……?」
「俺を死なせてしまった事に対する罪悪感があるのなら、人間の世界を救ってくれ。それくらいすれば、お前もちょっとは救われるだろ?」
「初めからそのつもりだ。私達精霊の力でーー」
「違う、ルークと一緒にだ」
アルトの言葉を、ブレイブの言葉が遮った。予想外の発言にアルトの口が止まり、表情が固まる。 だが、それだけはダメだと、体が無意識に動いていた。
「ルークを巻き込んでしまったのは私だ! もうルークが戦う理由なんてない、傷つく必要なんてないんだ」
「言っただろ、自分に素直になれと。それに、多分、ルークはそんな事望んでいない」
「な、に」
「俺はあまり知らないが、きっとそうだよ。なにせ、似ているんだからな」
感情的になるアルトとは違い、ブレイブは笑ってそう言った。アルトの気持ちが分かっていない訳ではない、いやむしろの逆風だ。本心が分かっているから、ブレイブは遠慮せずに言う。
「誰かの指図を受けるような男なのか? 違うだろ、あの男は、ルークは、自分の意思だけを貫き通す」
「そんなの、関係ない。私は、ルークが苦しまずに済む世界を……」
「本当に、ルークがそれを望んでいるのか?」
「ーーーー」
そんなの、分かっていた。
これは自己満足でしかなくて、自分の気持ちをルークに押し付けているだけだ。ルークがそうしてくれと言った訳ではない。自分がそうしたいから、勝手に行動を起こしているだけだ。
自分がやりたい事だと、嘘をついて。
「もう一度、ルークとちゃんと話してみろ。ルークの本心を聞くんだ、そして、お前の本心を訊かせてやるんだ」
「私の、本心……」
「お前はソラじゃない、アルトだ。お前にしか出来ない事が、お前にしか出せない答えが、きっとある」
そう言って、ブレイブは微笑んだ。
直後、黒い世界が大きく揺れた。
直感的にアルトは理解した。この時間が終わり、夢から覚めるのだと。
「そろそろ、時間か」
「ま、待ってくれ! まだ言いたい事があるんだ」
世界が、崩壊する。
ゆっくりと、黒い世界が崩れて行く。
「すまない、私のせいで……貴様を死なせてしまった」
「アルト、違うよ。すまないじゃない、こういう時は、ありがとうと言うべきだ」
「ありがとう……?」
「俺と一緒に戦ってくれてありがとう。俺の我が儘に付き合ってくれてありがとう。こんな俺を、最後まで支えてくれて、覚えてくれていて、ありがとう」
きっと、ブレイブは消える。肉体も、魂も、本当の意味で死を向かえる。二回も死ぬとは、どんな気分なんだろう。普通なら、泣いて、叫んで、死にたくないと訴える筈だ。
でも、ブレイブは笑っていた。
楽しそうに、満足したように。
その笑顔を目にして、アルトは手を伸ばす。
ずっと一緒に戦って来た、ずっと自分を支えて来てくれた手を、優しく握った。
「私と一緒に戦ってくれて、ありがとう。貴様がいたから、私は変われた。貴様がいたから、私はここまでこれた。ブレイブ、貴様からもらった勇気を、与える事が出来た」
アルトの勇気は、きっとブレイブからもらったものだ。
平凡で、弱くても、それでも世界を救うために立ち向かった勇気ーーアルトは、それを一番近くで見てきたから。
今度は、それを誰かに分けてやる番だ。
泣いている人に、苦しんでいる人に、ほんのちょっとでも笑えるように、希望を分けてあげる番なんだ。
「ありがとう。貴様に会えて、本当に良かった」
「そうか……その言葉が聞ければ、俺は満足だよ。あとは、任せて良いんだな?」
「もう一度、私と向き合ってみようと思う。今の契約者の、ルークと」
「あぁ、お前なら大丈夫だ」
黒い世界が、終わる。
アルトは生き、ブレイブは死ぬ。
覚えてはいないけれど、最初の別れの時よりは、多分笑えているのだろう。
二度目の別れを経て、二人は違う道を歩く。
けれど、勇者が残してくれたものを、その胸に抱いて。
「今度こそ、さよならだ」
「あぁ、さよならだ」
握手を交わし、二人は笑った。
初めて握る手の感触、前のアルトは、こんな当たり前の事すらやっていなかったのだろう。
世界が、終わる。
夢は覚め、アルトは現実に戻る。
勇者のーーいや、量産型勇者の元へ。