八章四十九話 『愛の方向音痴』
ソラと本当の契約を結ぶため、そしてなによりも、あの偉そうな態度の王様にギャフンと言わせるため、ルークは試練へと挑んだ。
力、知恵、勇気の三つの試練をなんとか突破し、残す試練は一つだけ。今までの試練の内容を考えれば、そこまで難しいものではないーーそう、思っていた。
いや、普通の人間ならば簡単なのだろう。
力も、知恵も、勇気もいらない。少し考えれば簡単に答えは出る。だが、そう上手くはいかなかった。
なぜか?
簡単だ。
この男は、誰も愛していないのだから。
「…………」
「ねぇ、ルーク君。何時までそうやって悩んでるの?」
「答えが出るまで」
「その答えは出そうなの?」
「知らん」
キッパリとそう言いきるルークだが、その表情には何時もの余裕はない。床に座ってあぐらをかき、腕を組んで軽い瞑想をしているのだが、いくら考えても答えは出ない。
マーシャルは痺れを切らして部屋に置いてあった置物で遊んでおり、花の髪飾りをした女性は笑顔でそれを見つめていた。
「うーん、でも難しいよね。好きと愛は違うって言うし。私もいきなり言われたら思いつかないかな」
「そんな事ないよ。君にもちゃんと愛する者はいる。自分では気付いていないだけでね」
「ほ、本当にっ?」
「愛っていうのはなにも、恋愛感情の事だけじゃないんだ。普段お世話になっている人、憧れている人、自覚はなくとも、人も精霊も誰かを愛しているものなんだよ」
「んじゃ、俺にもいんのか?」
「うん。君にもいるよ」
その言葉が嘘なのか本当なのか、本人であるルークにすら答えは分からない。無意識に人を愛していると言うが、心当たりなんてまったくないのである。さらに悩みの種が増え、ルークはその場に寝転んでしまった。
「愛、愛……ねぇ」
「私逹精霊は分からないけど、人間って自分を産んだ親がいるんでしょ? その人じゃないの?」
「顔も名前も知らねぇ相手をどうやって愛するんだよ」
「知らないの?」
「知らねぇ、俺捨てられてるし。会った事も見た事もねぇ」
「なんか、ごめん」
「気にしてねぇから謝んな」
本来、一番初めに愛を注がれる筈の存在である親を、ルークは知らない。母親も、父親も、そのどちからからも、ルークは愛を受けていない。実は愛していましたと言われても、結局は捨てられているので説得力は皆無だ。
それになによりも、仮に親がいたとしても、ルークは一番愛してはいなかっただろう。
「ダメだ、全然思いつかねぇ。自覚あるとかねぇとかの問題じゃねぇだろ、これ」
「もう一度言うけれど、君にも愛している人間はいる。そりゃもう、心底愛している人間がね」
「それが分かんねぇから困ってんだろ」
「自覚がないとは哀しいね。君の愛はその人ただ一人に向けられている、普通なら分散するの愛が、その人にしか向けられていないんだ」
「そんに愛されてる人がいるんだ。……なんだか、羨ましいな」
ポツリと、少し寂しそうにマーシャルが呟く。女性はなにを言うでもなく首をふり、優しく見守る親のような目で微笑んだ。
それから数分が経過し、卯なり声を上げてルークが突然起き上がる。
「分っかんねぇ。つか、そろそろ教えろや」
「それはダメだよ。教えたんじゃ試練の意味がない」
「ちげーよ、俺の愛する人じゃなくてーーテメェの正体だ」
「……それは、外側の話かな? それとも、中身の話かな?」
「どっちもだ」
ずっと続けていた笑みが崩れ、女性は意味ありげな瞳をルークに向けた。しかし、女性本人には隠している様子はなく、ルークの反応を見て楽しんでいるようにも見えた。
若干苛立ったように、
「そういうのはいらねぇ。もったいぶってもムカつくだけだ」
「ごめんごめん、そんなつもりはないんだ。そうだね……外側はともかく、中身の話ならしても良いよ」
「ならとっとと言え」
「ーー神様。君達人間の言う、神様だよ」
日常会話の一部かのように、女性はさらっと言ってのけた。あまりに自然な流れに、ルークは一瞬その発言を流してしまいそうになったが、代わりにマーシャルが声を上げた。
「か、神様!? 本当にあの神様なの!?」
「どの神様かは分からないけど、神様は僕一人しかないよ。世界を創り、君達生物を創ったのは僕だね」
「な、なんか思ってたのと違う。もっと偉そうなのかと思ってたのに……」
「アハハハ、それも言われた。僕自身自覚はあるよ。神様と言っても、最近はなにもしていないからね」
自虐的な笑みを浮かべ、二本の足をバタバタと動かす女性ーーもとい神様。威厳もへったくれもあったもんじゃなく、どちらかと言えば、近所のお兄さんに近い雰囲気を放っている。
遅れてルークが口を開く。
「テメェが、神様」
「ストップ、その強く握った拳、今は我慢してくれると助かるかな」
「ざけんな、誰のせいでこんな面倒な事に巻き込まれてると思ってんだ。テメェが神様なら、今起きてる事全部どうにかしやがれ」
「それは無理だね。確かに責任の一端は僕にもある、けど、起きてしまった事はしょうがないだろう? 今さら謝るつもりはないよ」
「別に謝ってほしい訳じゃねぇよ。だから殴らせろ」
拳を握り、一歩づつ神様へと迫るルーク。神様は逃げる様子はなく、多少慌ててはいるが、ベッドから動く気配はない。なので、マーシャルが止めに入った。
「お、落ち着いてルーク君っ。相手はあの神様だよ」
「知るかんなもん。神様だろうがなんだろうが、ムカついたらぶん殴る事にしてんだよ」
「君の怒りはもっともだ。けどね、こればっかりはどうしようもないんだ。僕は地上で起きた事には関わらない、それが、僕の決めたルールだから」
「人が何人死んでもか」
「何人死んでも、だよ。神様がルールを破る訳にはいかない。性格が悪いのは重々承知している……でも、僕はなにもしない」
ルークは冗談ではなく、本気で神様を殴るつもりだった。それは神様も分かっている筈だし、ルークを見てきたのなら、こんな時どうするかなんて考えるまでもない。しかし、それでも態度を変える事はなかった。その姿は、あくまでも傍観者だった。
「でもね、多少の罪悪感はある。だからこうして人間に機会を与えているんだ。僕はなにもしないから、事を終える力、それを得るチャンスを与えている」
「んな事でなにかやった気になってんじゃねぇよ」
「分かっているよ。でも、これがルールなんだ。僕が決めた、神様である僕に課したルールなんだ」
本当に、なにもする気はないようだ。むしろ清々しささえ感じる表情に、ルークは握り締めた拳をほどいた。だが、
「今は、我慢してやる。でも覚えとけ、いつか必ずテメェを殴る」
「殴られた事は一度もないからね、少し興味がある。けど、痛いのは勘弁してほしいかな」
「全部知ってるくせに、なにもしねぇテメェが悪い。忘れんな、ゼッテー殴る」
「あぁ、楽しみにしているよ」
神様の爽やかな笑みを前にし、最後に舌を鳴らし、それでも怒りをなんとか堪えると、ルークは再びその場に腰を下ろした。一触即発の空気が去り、ようやくマーシャルは胸を撫で下ろし、再び喧嘩が始まらないように直ぐ様話題を他へと移した。
「そ、それで、その外側は誰なんですか?」
「あぁ、この体かい?」
「ちゃんと実在してる人間なんですよね?」
「ちゃんと生きてるよ。今も元気に夫婦で旅をしている」
ムスッとした様子で、明らかに機嫌の悪いルーク。神様と目があうと、あからさまに嫌な顔をして目を逸らした。
神様は少し寂しそうに笑い、
「残念だけど、それは言えない。別になにかルールがある訳じゃないけど、これは僕の口から言うべき事じゃないと思う」
「結局なんも言わねぇんじゃねぇか」
「いつか、君は彼女に会う。その時に自分の口で訊いてみると良いよ」
「興味ねぇ。たった一回しか会った事ねぇ奴に愛されても、嬉しくもなんともねぇんだよ」
「たった一回、か。……まぁ、今はそれでも良いさ。今やるべきは試練だからね」
なんとか忘れようとしていた事を口に出され、ルークの顔がさらに不機嫌になる。とはいえ、遠ざけても結局はやらないといけないし、なによりも、ここで諦めるという事は、負けを認めるという事だ。
それだけは、死んでもごめんだ。
あの偉そうな顔に、必ず負けを認めさせる。
正直、ルークがここへ来た大きな理由はそれだ。
「必ず突破してあの王様……シルフィつったか? アイツに土下座させる」
「……なら、急いだ方が良い」
「あ? どういう意味だそりゃ」
「そのままの意味だよ。早くしないとーーシルフィが死んじゃうから」
あっけらかんとした様子で放たれた言葉に、ルークは自分の耳を疑った。それはマーシャルも同様で、手にとって遊んでいた置物が床へと落ちた。
置物が落ちた音で、途切れかけた思考が繋がる。
「外がどうなっているか、君達は知らないだろう?」
「とっとと言え」
「魔元帥、ウェロディエが精霊の国に侵入した。今は町で精霊逹と交戦しているよ」
「ッ! なんでもっと早く言わねぇんだよ! つか、王様は精霊の国全体を見れるんじゃねぇのか」
「君が来たからだ。それに、彼女の力は精霊の国を見るものじゃない。精霊が見ているものを見る力なんだ」
「俺に気をとられてたって事か」
「本来なら侵入した時点で気付けたと思うよ。でも、君という別の侵入者がいた。彼女らしくはないけれど……それくらいに、人間が怖かったんじゃないかな」
ルークは、神様の態度に違和感を覚えた。自分が創った人間が、精霊が、死ぬ事に対してなんの感情も抱いていない。あくまでも他人事のように、精霊逹の危機を語っていた。
「君の動きはある程度魔元帥、ゼユテル側に関知されているからね。その腕の呪い、ユラはマーキングとしてつけたんだよ」
「テメェ……なんとも思わねぇのか」
「なにがだい?」
「テメェの子供みてぇなもんだろ。死ぬかもしれねぇんだぞ、なんとも思わねぇのかッ!」
「思わないよ。彼女逹がどうなろうが、僕には関係ない。言っただろ、地上の事は人間が、精霊の国の事は精霊が、各々どうにかするしかないんだ」
ブチ、となにかが切れる音が聞こえた。押し留めた筈の怒りが限界を越え、ルークは立ち上がると同時に神様へと駆け寄る。当然、その顔面を全力で殴るためだ。
しかし、
「ーーーー」
神様の頬を叩いたのは、ルークの拳ではなかった。
瞳に涙をため、唇を噛み締めたマーシャルの掌が、神様の頬を叩いた。
「貴方なんか、神様じゃない」
「……うん、痛いな」
「苦しんでいる人がいて、怪我してる人がいて……確かに、その全部を助ける事は出来ないのかもしれない。けど、けど……貴方のその顔は、心配すらしてない」
思わず、ルークの足が止まった。人間、そして精霊、神に創られた存在である彼らが神に手を上げればどうなるのか、それは想像に難しくはない。だが、マーシャルは涙をこぼしながら続ける。
「貴方の言った事は嘘。貴方は誰も愛してなんかいないし、誰も貴方を愛してなんかいない。人を思いやれないような人が、人に愛される訳ない!」
「…………」
「私も、最初は精霊が嫌いだった。けど、ルーク君が来て、変わろうとするみんなを見て、みんなの事が大好きになったの。だから、死んでも良いなんて言わせない」
「…………」
「貴方なんか、大ッ嫌い! 貴方なんかに助けられなくたって、全部私逹でどうにかするもん!」
「ーーいてっ」
最後にもう一発、マーシャルの平手が頬に直撃した。これにも神様はびっくりだったようで、一発目とは違い、目を見開いてマーシャルの顔をまじまじと凝視した。
激おこマーシャルは神様に背を向け、ルークの前に立った。やってやったぜと言わんばかりに親指を立て、
「これで、私も少しは罪を償えたかな?」
思わず、ルークは笑った。
この世界に来て、初めて出会った友好的な精霊、それがマーシャルだ。初めは他の精霊逹と同様、なにかが起きている事を知っていながら、知らないふりをして目を逸らしていた。けれど、ルークと出会い、ソラと再会し、真実を知るために、人間の味方になる事を決意した。
言われた事だけをやっていた少女が、初めて見せたら意思。精霊の王様なんてもんじゃない、全ての産みの親である神様をぶん殴ったのだ。
これが、笑わずにいられるものか。
「良くやった。お前もやりゃ出来んじゃん」
「だってムカついたんだもん。これが、私のやりたい事だったから」
「次は、俺の番だな」
マーシャルの横を過ぎ、ルークは神様の前に立つ。
ルークと神様は、多分似ている。自分以外がどうなろうが知ったこっちゃないし、同じ立場だったら、ルークも同じ事を言っていただろう。
そんなルークが、誰かに愛される筈がない。
そんなルークが、誰かを愛する筈がない。
「答えだ。俺の愛する人間を教えてやる」
そもそも、スタートの時点で間違っていたのだ。
ルークが他人を愛する?
そんな事がある訳がない。仮にこれから先好きな人が出来ても、ルークの中では不動の一位がいる。たとえ天地がひっくり返ろうとも、絶対に揺らぐ事のない一位だ。
それは、
「俺だ。俺は俺を愛してる。この世界の誰よりも自分が好きだ」
ルークは、自分が大好きだ。
だから自分を優先するし、他人は二の次どころかどうでも良い。散々自分勝手だと言われても直さず、ありのままの自分を貫き通して来た。
それは、自分が好きだから。
自分が好きで、誰よりも大事だから。
ーールーク・ガイトスは、ルーク・ガイトスを愛している。
「それが、答えなんだね?」
「おう。これから先も変わらねぇ。俺は俺が大好きだ」
神様は押さえていた頬から手を退け、真っ直ぐな瞳でルークを見る。
ゆっくりと、頬を弛め、
「ーー正解だ」
笑って、神様はそう言った。
直後、ルークが喜ぶよりも早く、背後から悲鳴のような声が上がる。振り返るよりも早くなにかが背に突撃し、そのままベッドに倒れこんだ。
「いってッ! いきなりなにすんだ!」
「やった! これで全部の試練突破だよ!」
「わーったからくっつくな。暑苦しいんだよっ」
「だって嬉しいんだもん!」
本人よりもマーシャルの方が喜んでおり、満面の笑みでルークを下敷きにして、バタバタと全身で喜びを現していた。
そんな二人を横目に、
「おめでとう、これで全部の試練合格だ。ルーク、君は見事手にしたんだ。選ばれて与えられただけじゃない、君は自ら勝ち取った。精霊と、契約する資格を」
「うるせぇ、んな事どうだって良いんだよ。とっとと元の場所に戻せ」
パチパチと手を叩く神様の脳天に、ルークはチョップをぶちかました。やはり我慢するとは言っても、この男に我慢なんて難しいまねは出来る筈がなかった。
マーシャルは思い出したように慌てて立ち上がり、
「そうだよ、早く戻ってみんなを助けないと!」
「今から行けばギリギリ間に合うかもね。そらよりも、だ。ルーク、君に言っておかないといけない事がある」
「あ? なんだよ、急いでんだから早くしろ」
一刻も早く精霊の国に戻りたいルークとマーシャル。そんな二人の腰を折るように横やりを入れ、神様は二人の方へと向き直る。神様は息を整え、今での空気を全て入れ換えるように、改めて話を切り出した。
「君の置かれた状況の話だ。本来であれば、ルーク、君は勇者になる筈じゃなかった。それが僕とアルト、始まりの勇者であるブレイブとの作戦だったからね。君にも話しておくよ、なぜこうなったのか、そしてーー本当の勇者について」
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アルトを背負いながら、シルフィは短く息を吐いた。一瞬でも気を抜く事は許されず、目の前の驚異から視線を逸らしてはならない。一瞬でも逸らしまえば、大事なものを失ってしまう。選択を、誤る訳にはいかない。
「さ、選べよ」
「ふざけるな……選べる訳が……」
「んな都合の良い答えは許さねぇ。テメェが選ばれねぇなら、コイツを殺す」
ドラゴンの爪が、意識を失って倒れているスリュードの喉に食い込んだ。皮膚が割け、僅に血が流れる。ウェロディエは爪を血で湿らせ、その指先をシルフィに向けた。
「テメェが救えんのは一人だ。コイツか、アルトか。選べよ王様、必ずどっちかは死ぬんだ」
「……く」
「一つ、良い事を教えてやる。ヴァイスは死んだぞ」
「な、にーー」
「良いねぇ、その表情。親父、ちゃんと見とけよ」
ヴァイスが死んだーーそう聞いた瞬間、全身から力が抜け、アルトを背負ったままシルフィはその場にへたりこんだ。
ウェロディエはシルフィの無様な姿を目にし、心底楽しそうに顔を歪ませる。
「そんな筈はない! まだヴァイスは生きている」
「ほぉ、まだ生きてんのか。でももうすぐ死ぬだろ?」
反論が出来なかった。先ほどから、ヴァイスの反応が薄い。まだかろうじて生きてはいるものの、その炎は、いつ消えてもおかしくい状態だった。今直ぐにでも助けに行かなければ、間違いなく死んでしまうほどに。
「もう諦めろよ。テメェご自慢のヴァイスですら俺には敵わねぇ。そんな俺にどうやってここから逆転すんだ?」
「まだ、なにか……」
「なにもねぇよ。どのみちテメェは殺さずに親父のところに連れて行くつもりだ。テメェ以外は、全員殺すけどな」
逆転の策は、ない。
ほとんどの上級精霊は下級精霊を避難させるために動いている。仮に間に合ったとしても、この男には、勝てない。ヴァイスが負けてしまった以上、こちらには、もう状況を覆す戦力はない。
これが、今まで目を逸らして来た事に対する罰なのだろうか。自分だけが連れて行かれるのならまだ良い。だが、この男は止まらない。言葉の通り、全ての精霊を殺すまで動き続けるだろう。
(私が、もっと早く……)
あの時、ゼユテルを許していたのなら、もっと違った結末になっていたのだろうか。もっと早くに自分の罪を認め、ゼユテルと戦っていたのなら、こんな事にはならなかったのだろうか。
全部、なにもかも、自分の行動が招いた結果だ。
なのに、見ている事しか出来ない。
自分だけは生きて、他の精霊が死ぬ瞬間を、ただ見ている事しか出来ない。
なにが王様だ。
なにも守れない、なにも救えない。
いつも、どんな時だって、守ってもらってばかりだ。
「さっさと選べ。待たされんのは好きじゃねぇんだ」
「私が、殺される。だから、それで……」
「脚下だ。言っただろ、テメェは別腹だって。テメェは自分のせいで精霊が死ぬのを見るんだ。あぁ、二度目になるか? 自分を守って絶望に染まる奴を見るのは」
自分が死んで、それで全てが終わるのならどれだけ楽だろうか。しかし、それは許されない。そんな簡単な結末を、世界は許してはくれない。
だからと言って、アルトを、スリュードを見捨てる事も出来ない。
結局、この程度だ。
元々王の器ではなかったのだ。
だから、せめて、最後くらいは。
「あ? なんのつもりだ」
シルフィは、背負っていたアルトを優しく地面に寝かせた。アルトが意識を失った理由は分からない以上、解決策はない。だから、今は危険から遠ざける。
今まで、そうしてもらって来たから。
「お前を、ここで倒す」
「……おいおい、そういう冗談は好きじゃねぇな」
「冗談ではない。アルトを、スリュードを守る。お前の望んだ通りには動かんぞ」
立ち上がり、真っ直ぐとウェロディエを見据える。今までずっと守って来てもらったから、最後くらいは護るために戦う。たとえ勝てなくとも、せめて、二人だけはなんとしても。
ウェロディエは苛立ちを吐き捨てるように舌を鳴らし、
「冷めた事すんなよ。でもまぁ、良いか。五体満足じゃなくても、生きてりゃそれで良いよな」
「負けるつもりは毛頭ないぞ」
「そうでなくちゃなぁ。いたぶりがいがなくなるってもんだ。精霊の王、さぞうめぇんだろうなァ」
ハッキリと言おう。シルフィでは、ウェロディエには勝てない。どれだけ足掻こうが、絶対に勝てない。だが、それで良い。ハナから勝とうなんて思っていない。避難を済ませた上級精霊が駆け付けるまで、時間を稼げればそれで良い。
たとえ、自分が死のうとも。
ウェロディエの二本の腕が、ドラゴンへと変わる。
あの腕で、どれだけの人間が殺されて来たのか。
自分の行動が、ほんの少しでも罪滅ぼしになればーーそう思って、シルフィは走り出した。
(すまない、アルト。あとはお前に任せる。せめて記憶を戻せればと思っていたが……お前はそれを望まなかった。私の知らない間に、随分と変わったな)
拳が迫る。
シルフィの身体能力では避けられない。
だが、避けるつもりはない。
注意を引き付けるためには、避けてはならないから。
(それも全て、あの人間の影響か。……私も、変われただろうか。あとは、頼んだ。精霊を、人間を、護ってやってくれ)
この一撃で、シルフィの命は終わる。
拳が迫る。
永遠の命に、死がーー、
(ーー?)
そこで、ウェロディエの拳が止まった。
シルフィに当たる直前、拳が止まったのだ。なにかした訳ではない、外部からの邪魔が入った訳ではない。
シルフィは閉じた瞼を上げ、ウェロディエを見た。
ウェロディエは、笑っていた。
「ようやく、ようやく会えたなァ……!」
ウェロディエは、シルフィを見ていない。
彼の視線はシルフィの後ろ、他の誰かを見ている。
そして、背後から、声がした。
あの、人間の声が。
「しつけー奴だな。何回殺されりゃ気が済むんだ、テメェ」
「テメェを殺すまでに決まってんだろーークソ勇者!!」
明確な怒りと殺意、その二つの宿った瞳を向けられながらも、人間の青年は笑った。
シルフィも知っている、あの不敵な笑みで笑った。
「テメェとの付き合いもなげぇよな。そろそろ終わりにしよーぜ、ウェロディエ」
「ぶっ殺してやるよ、ルーク・ガイトス!!」
量産型勇者、ルーク・ガイトス。
魔元帥、ウェロディエ。
三度目の戦いが、今始まる。