八章四十八話 『灼熱』
たとえどんな犠牲を払おうとも、ここから先には行かせない。それがヴァイスの生まれて来た意味であり、ここに立つ意味だから。
「全力で行かせてもらうぞ。お前達に手加減をする必要はないからな」
「なにが手加減だ。テメェがどれだけ足掻こうが俺達には勝てねぇ。死ぬんだよ、今ここで全員」
「させないと言った筈だ」
恐らく、全力で戦うのは今日が初めてだ。精霊は精霊を殺してはいけないというルールがある限り、精霊相手に全力を使う訳にはいかない。いくら口で冷酷な事を言っていても、それがヴァイスの力に無意識にセーフティをかけていた。
それを、今外す。
己の力を全て、目の前の男を殺すためだけに使う。
「消し炭になれ」
瞬間、ヴァイスのまとっていた炎が放たれる。真っ直ぐに伸びる業火はウェロディエを飲み込み、さらに大きさを増して辺りを燃やし尽くす。手加減も調整もあったもんじゃなく、目の前の全てを焼き尽くすように炎を放った。
「いくらお前達が硬かろうが関係ない。熱さに対する耐性はないだろ」
「丸焼きにしようってか? なら、その前にテメェを殺すだけだ!」
ヴァイスの炎にも怯む事なく、五人のウェロディエは一斉に飛び出した。ドラゴン化しているのが三人、人間の姿のままなのが二人。恐らく、それが彼らにとって一番戦いやすい形なのだろう。であれば、まずはそれを崩す。
続けざま、ヴァイスは同じ規模の炎を打ち出した。
一瞬、ウェロディエの動きが怯む。しかし、ヴァイスは迷う事なく炎中へと突っ込み、人間体のウェロディエの背後へと回った。
その背中に触れ、
「燃えろ」
特大の炎球を至近距離でぶちかます。大きな爆発音とともにウェロディエの体が吹っ飛び、空中できりもみ回転しながら地面に何度も体を打ち付ける。右腕を振り回し、ウェロディエが落ちるであろう落下地点へと炎を先回りさせる。これもまた、乱暴に放った一撃だ。
「ご、ぐぅッ」
立ち上がる暇もなく、ウェロディエの全身が燃え盛る。地面を、辺りの民家をも巻き込み、その炎は町すらも破壊するかもしれない威力だ。
だが、
「めんどくせぇな、無茶苦茶したって勝てる訳じゃねぇぞ」
「ーーっ!」
一人に気をとられ過ぎていたため、横から接近するウェロディエに気付かなかった。大きく振りかぶった拳がヴァイスの体を叩き、咄嗟にガードしたが、間に合わずに横殴りに弾き飛ばされた。背中に鈍痛が走り、息がつまりながらも、ヴァイスは直ぐ様体勢を整える。
その目は、一人のウェロディエだけを見つめて。
「ぐ、あっちぃ! テメェらなんとかしろ!」
「うるせぇぞ、今ぶっ殺すからちょっと待ってろ」
「早く、しろ……!」
ウェロディエを襲う炎は未だ弱まらず、その体を真から焼くためにまとわりついていた。苦痛に満ちた声も上げるが、他のウェロディエはあまり気にする様子もなく、立ち上がったヴァイスへと視線を向けた。
「理解出来ねぇな。俺の記憶じゃ、テメェはこんな勝ち目のない戦いをする男じゃなかった筈だ」
「その、通りだ。俺は勝ち目のない戦いはしない」
「……そりゃ、俺達に勝てるって意味だよな?」
「分からなかったのならハッキリと言ってやろう。俺は、お前達に勝つ。一人残らずこの場で燃やす」
「そこまでバカだとは思わなかったよ。最強の精霊」
ニヤリと、ウェロディエが笑った。
その瞬間に悪寒が体を駆け巡り、ヴァイスは超人的な反射神経で背後に目を向ける。辺りを包む炎を突っ切り、ドラゴン化したウェロディエが咆哮を上げた。
その腕が、振り下ろされる。
(俺はーー)
巨大な握り拳が直撃し、ヴァイスの体が地面にめり込んだ。衝撃の瞬間に特大の炎を全方位に放ったが、その威力を弱体させる事は叶わない。もろに拳を受け、意識が飛びかける。
だが、
「……まだ、だ」
その炎は、消えない。
ここで意識を手放せば、自分の大事な人達が死んでしまうから。
「おォォォォ!!」
叫び、自分を奮いたたせ、再び炎を放つ。
でたらめに、闇雲に放った炎ではウェロディエを倒せないと分かっていながら、ヴァイスは自分のもつ全ての力を使って周囲に炎を張り巡らせる。
「……まさか、テメェ」
「言った筈だ、俺は勝つと」
そこで、一人のウェロディエが異変に気付いた。先ほどからもがき、苦しみの声を上げていたウェロディエの声が消えた。体を包む炎に抵抗していたのだが、すでにその体は黒く焼け、その場に倒れていた。
「一人づつ、確実に仕留める。そのためには、これが最善だ」
「随分と乱暴な戦い方じゃねぇか。でもよ、テメェの体が最後までもつかな?」
「もつさ。俺が意識を失いさえしなければ、俺の炎が消える事ははい。確実に、お前達を一人づつ焼いて行く」
確実に勝つための方法。ヴァイスが出した結論はそれだった。
ウェロディエを一人づつ焼き、動きを完全に封じるまで意識を保つ。たとえそれで殺せずとも、五人全ての動きを封じたあとにとどめをさせば良い。ようするに、我慢比べだ。
炎の精霊であるヴァイスに炎は効かない。
辺りを包む激しい業火の中でも、ヴァイスだけは普段通りに動く事が出来る。
それが、勝つための策。
ウェロディエは苛立ちを混じらせながら微笑み、
「なら、とっととテメェを殺しちまえば良いだけの話だろ。テメェが俺達を焼くのが先か、俺達がテメェ殺すのが先か。人数的にも戦力的にも、俺達が有利って事には変わりねぇぞ」
「だったら殺ってみろ。俺は、決して消えんぞ」
ウェロディエが動く。
この炎の中では自由に動けないと判断したのか、残りの三人全員が人間の姿になっていた。腕だけをドラゴン化させ、三方向からヴァイスを囲む。
(奴はまだ、俺の狙いに気付いてはいない。ならば、やれる事を全力でやるだけだーー!)
強く地面を踏み、体にまとっていた炎を全方位へと射出する。うねり、まるで生きているかのように動く炎がウェロディエへと迫る。二人は無視。たった一人に狙いを定め、消えない炎でウェロディエを包む。
だが、そんな事をすれば、こちらへと向けられた拳を対処する事が出来ない。そんな事は、言われなくても分かっている。全てを避ける事は出来ずとも、致命傷さえ受けなければそれで良い。
「がら空きだぞ、オラァ!」
一人目の拳は、体を捻ってなんとか回避した。しかし、それを待っていたと言わんばかりに、逆方向から拳が迫る。避ける事を即座に諦め、腕をクロスして防御を固める。インパクトの瞬間に後ろへ飛び、その衝撃を僅かでも減らした。ーーそれも、ウェロディエは読んでいた。
飛んだ先に、ドラゴンの拳があった。
防御も回避も間に合わない。
ヴァイスは僅かに頬を緩め、奥歯を噛み締めた。
「がっ、ばぅーー!?」
無防備になったヴァイスの体を、ドラゴンの拳が容赦なく叩いた。全身の至るところから嫌な音が響き、骨の節々からミシミシと軋む音が鳴る。空中で回転し、まっ逆さまになりながら、ヴァイスは地面へと落ちた。
「……がぁっ」
寝返りをうち、立ち上がろうとした時、口から見た事もない量の血がこぼれ落ちた。地面を真っ赤に染め、しかし辺りの熱で直ぐにかわいてしまった。落ちた血液に、拳を叩きつける。
「炎は……灯したぞ」
重症は負ったが、三人のうちの一人に炎を灯す事に成功した。ウェロディエ達の反応を見る限り、恐らく本体ではないのだろうが、これで我慢比べが出来る。
朦朧とする意識の中、それでも笑って体を起こした。
「……さっさと殺せ。俺が死ぬ前に」
「分かってる。そろそろ俺もイライラが限界になってたところだ。それに……向こうも王様に会えそうだしな」
「な、に」
「あぁ、言い忘れてたっけか? スリュードは負けたぞ。殺しちゃいねぇがな」
「あり得ん、そんな筈が……!」
「信じる信じないはテメェの勝手だが、これは紛れもねぇ事実だ。もうすぐ、俺が王様の元にたどり着くぜ」
余裕を保つ態度のウェロディエに、ヴァイスは動揺の色を隠せずに顔を歪めた。
ウェロディエは視界を共有している。
もし、今の言葉が本当ならーー。
「っ!」
動き出そうとした足を、ヴァイスは無理矢理押さえ付けた。今ここで王の元へと向かえば、ウェロディエ達を野放しにしてしまう。まだ避難を完了していない精霊、隠れて治療しているレリストとナタレム、その全てを、危険に晒す事になってしまう。
そんなヴァイスの葛藤を読み取ったのか、ウェロディエが挑発するように笑みを浮かべた。
「助けに行きてぇよな? テメェの大好きな王様のところに行きてぇよな?」
「お前……!!」
「行かせる訳ねぇだろ。テメェはここで死ぬんだよ。心配しなくても全員死ぬ、勿論、王様もな」
「さっき逃げた奴らもな。誰一人逃がしゃしねぇ、ここで、精霊は終わるんだよ」
ゲラゲラと下品な笑い声を上げ、満身創痍のヴァイスを指差した。
その挑発に乗り、今すぐにでも殴りかかりたい気持ちを堪え、ヴァイスは冷静に頷いた。
「お前は、なにも分かっていないらしいな」
「あ?」
「そろそろ気付け。俺が、なんのためにこんなバカみたいな戦い方をしたのか」
「なに言ってーー」
そこで、ようやくウェロディエは異変に気付いたようだった。自分の胸に手を当て、息を吸おうと口を開く。その瞬間に顔色が明らかに変化し、もう一人の自分へと目を向ける。もう一人のウェロディエは、その場にうずくまっていた。
顔色が悪い。ーーまるで、酸欠状態のように。
「こんなに熱いんじゃ、息も上手く出来ないな」
「テメェ……最初からこれを狙って……!」
「俺が真正面から殺りあうとでも思ったか? 残念だったな、お前達を足止め出来ればそれで良かったんだよ」
いくら魔元帥と言っても、体の構造は人間とあまり変わらない。呼吸はするし、暑さも感じるし、気温が上がれば、呼吸はし辛くなる。灼熱の空気を取り込めば喉が焼け、肺が焼け、呼吸困難になる。ヴァイスの狙いは燃やす事ではない。
温度で、熱でウェロディエの動きを封じる事だった。
喉を押さえ、その場に倒れこむウェロディエ。
ヴァイスはその様子を確かに目に刻み、
「俺は炎の精霊だ。他の精霊よりも、炎に対する耐性は強い。燃やすだけが炎じゃない、戦い方は、山ほどあるんだよ」
燃え盛る灼熱の中、炎の精霊は立つ。
そもそも、一人づつ戦えばこちらの体力が持たない事なんか分かりきっていた。それに加え、レリストやナタレムがいては、巻き込んでしまう危険性が高いため、この方法は使えない。
抜群の連携がなくとも、いや、ないからこそ、ヴァイスは真の力を発揮する事が出来るのだ。
「コイツの言葉が真実なら、早く助けに行かければ……」
倒れたウェロディエにとどめをさすべく、ヴァイスは歩みよる。本体がどれなのかいまだ分からないが、全部殺してしまえばそれで終わりだ。
右腕に炎を灯しーー、
「よォ、ちゃんと死体の確認はしようぜ」
「ーーーー」
振り返る暇もなく、背中に衝撃が走った。
その衝撃は背中から腹部に抜け、遅れて熱と激痛が暴れ回る。なにが起きたのか分からないまま視線を落とすと、その答えがあった。
爪だ。
ーードラゴンの爪が、ヴァイスの腹からはえていた。
「おま、えーー」
「こっちは腐っても魔元帥なんだよ。テメェの考えは良い、けどな、殺したかどうかは、確認しとくべきだったな」
口角から血が落ちる。なんとか首だけを動かして振り返ると、そこにはウェロディエがいた。全身を黒く焦がし、顔面の半分が無惨にも焼け爛れ、片方の腕はボロボロに崩れていた。
しかし、それでも、男は生きていた。
爪が乱暴に抜かれ、蓋を失った傷口から鮮血が飛び散る。それと同時に全身から力が抜け、ヴァイスの体は、前のめりに倒れた。自分の血の海に、倒れたこんだ。
頬を濡らす血。ボヤける瞳が捉えたのは、ゆっくりと消えて行く炎だった。
「ようやく涼しくなったなぁ。けど、俺はここまでか。最後に最強の精霊を殺せたんだ、まぁ御の字だろ」
「……く」
「あとは俺に任せるわ。テメェがここで死ぬのか、それとも目が覚めた俺に殺されるのか。まぁどっちにしろ、ヴァイス、テメェの負けだよ」
最後にそう言って笑うと、ウェロディエの体は崩れた。炭になった体が光を放ち、粒となって空に登って行った。
「……シル、フィ」
上手く思考が働かない。
腹にどでかい穴を開けられた筈なのに、もう、その痛みを感じる事も出来ずにいる。視界がぐにゃりとねじ曲がり、途方もない、感じた事のない寒さが全身を襲う。
ただゆっくりと、意識が消えて行く。
「すまない……俺は」
寒い。寒い。寒い。
寒さなんて、今まで一度も感じた事はなかった。見に覚えのない感覚に恐怖すらわく。
これが、死ぬという事なんだろうか。
多分ここで、自分は終わる。
終わったあと、どうなるのだろう。
自分がではない。この世界は、精霊は、どうなるのだろう。
皆、殺されてしまうのだろうか。
それとも、誰かがどうにかしてしまうのだろうか。
自分がいなくとも、精霊の国は前へと進む事が出来るのだろうか。
それは寂しいと、ヴァイスは思った。
まだ、死にたくない。
まだ、死なせたくない。
だから、言葉を繋ぐ。
届かないと知っていながら、そんな願い、拒まれると知っていながら。
「……た……む」
言葉を絞り出す。
掠れる声で、消えそうな意識で。
「……頼む」
たった一つの希望を。
その人間の名前を、呼ぶ。
「アイツらを……助けてやってくれ。ルーク・ガイトス」
炎が、消える。
風に吹かれるでもなく、その炎は、暗い海の底へと沈んで行った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「アルト!!」
駆け寄り、いきなり倒れたアルトの肩を揺する。ぐったりと力が抜け、何度揺らしても、何度名前を呼んでも答えない。死んでしまったかのように、ピクリとも動かなかった。
「なにが、あったというんだ……!」
見えない攻撃があった訳ではない。なにか他の理由で、アルトはいきなり倒れたのだ。倒れたアルト、立ち止まるシルフィ、それを見て、あとを着いてきていた精霊達の足が一斉に止まった。
不安な瞳で、こちらを見ている。
唇を噛み締め、シルフィはアルトを見る。
それから精霊達へと視線を移し、
「お前達は先に行け。私とアルトはあとで追い付く」
「し、しかし!」
「良いから行け! ノーマン、お前が皆を先導しろ。壁を壊しても構わない、なんとしてでも外へ出るんだ」
「それでは王が……!」
「私は、アルトと共に行く。心配するな、必ず追い付く」
上級精霊の一人、ノーマンは動揺を瞳にうつしながらも、シルフィの確固たる意思をくんだのか、静かに頷き、あとを着いてきていた精霊達に声をかけ、シルフィとアルトを残して走り出した。
その背中が見えなくなった頃、シルフィは倒れていたアルトをどうにか持ち上げ、背中に乗せた。
ほとんど運動をしていないシルフィでも、簡単に持ち上げられるような軽さだった。
「こんな小さな体で、良く戦って来てくれた……」
自分の罪を、その全ての尻拭いをアルトに背負わせてしまった。彼女はあの時、なにも言わずに頷いてくれたけれど、きっと、自分を恨んでいるに違いない。
シルフィは、それだけの事をしてきたから。
「お前は、お前だけは死なせん。お前があの人間を戦わせたくないように、私も、もうお前が傷つく姿は見たくないんだ」
記憶を無くしてなお、アルトは戦う道を選んだ。死んでしまった契約者の想いを背負い、あの人間と出会い、今日まで戦ってきたのだ。
もう、十分だ。こんな小さな体で、背負えるものなんて限られている。
「今度は私が、背負ってやる。お前の分まで、私が進む……!」
こんな事で、返せるとは思っていない。それだけの事を、シルフィはやって来たのだから。憎まれ、恨まれ、殺されても仕方のない行いをして来たのだから。
これが、自己満足だというのは分かっている。
それでも、それでもーー、
「見ぃつけた」
声が、した。
その声を聞いた瞬間、全身から嫌な汗が流れる。
「ゼユ、テル」
「俺はウェロディエだ。ようやく会えたな、王様」
笑いながら、ウェロディエはそう言った。心底楽しそうに笑い、シルフィの顔を見つめる。
「親父だったら迷わずテメェを殺すんだろうけど、俺は違う」
静かに笑みが消え、ウェロディエは肩に乗せていたそれを乱暴に投げ捨てた。投げ捨てたそれーースリュードを目にし、シルフィは目を見開く。あの、スリュードが負けた。言葉にし難い不安が、胸を抉るのが分かった。
しかし、そんな事を気にせずにウェロディエは、
「交換だ。アルトをこっちによこせ、そうすりゃコイツを生かして渡してやる」
「ふ、ふざけるな! そんな事……!」
「なら、コイツを殺すだけだ」
一瞬にして腕が膨張し、人間からドラゴンの腕へと変化する。指先から伸びる爪をスリュードの喉元に当て、
「選べよ、王様。テメェが救えるのは、どっちか一人だけだ」
そう言って、とっておきの絶望を披露して見せた。