二章十三話 『諦めない勇気』
初めの邂逅の時、どうやって負けたのかティアニーズは覚えていない。
油断はしていなかったし、どんな攻撃だって対象するつもりでいた。しかし、それでも勝負は一瞬でついてしまった。
それが蹴りなのかパンチなのか、それとも他の何かなのか、それすらも知らずに。
だから、今回は開戦と同時に全力でありったけをぶつける。
次に負ける時、それは死を意味するから。
「さァて、ゴミ掃除の時間だ」
「ーー!」
言葉の直後、ティアニーズは右腕を前に出して魔道具を使用した。炎が渦巻いて竜の形となり、一直線にデストに向かって突き進む。
「こんなのが通用するとでも思ってんのか……アァ?」
避ける事も払う事もせず、デストは炎に突っ込んだ。意図も簡単に炎の竜をかき消し、顔色一つ変えずに跳躍。
ギリギリのところで動きを視界に捉えると、ティアニーズは剣を抜いて前に突き出した。
「くっ!!」
振り上げた拳が剣と激突。
ただ受け止めただけで体力が削ぎ落とされるが、両の足を踏ん張って何とか堪える。両手を使っても押し返す事は困難で、自分がどれだけの存在と対峙しているかをティアニーズは改めて理解した。
次に動いたのはアキンだった。恐らく、彼の臆病な性格が恐怖から逃れるための策を一瞬にしてはじき出したのだろう。
乱暴に放った氷の礫がデストの右腕を直撃し、僅かに拳の軌道を逸らす。
その隙にティアニーズは後ろへと飛び、
「これなら……!」
再びデストに向かって走り出し、無防備になった体へと一太刀を浴びせる。右の肩に向かって剣を振り下ろすが、
「……オイオイ、まさかそんなので俺を殺せると思ってたのか?」
デストは微動だにせず、ニヤリと怪しげな笑みを浮かべた。
振り下ろした剣は鉄でも叩いたかのように弾かれ、皮膚を切り裂く事が出来ない。
「いきがってるから期待したが、この程度とはなァ。傷一つつけらんねぇんじゃ話にすらならねぇぞ」
「バカ! 下がれオイ!」
アンドラの声が鼓膜を叩いた時には、デストの拳が腹部に深く突き刺さっていた。臓器を無理矢理上に持ち上げられたような感覚に陥り、ゆっくりと膝が折れてその場にひれ伏してしまう。
呼吸すらままならない状態で、ティアニーズは必死に酸素を取り込む。
「それが、貴方の……力……」
「『硬化』だ。シンプルだが戦闘においちゃ中々使える。特にお前らみたいな人間はバカみたいに剣振り回して突っ込んで来るだけだからなァ」
「魔法も剣も効かない……インチキ野郎じゃねぇかオイ……!」
「テメェらゴミの常識で俺達を考えんじゃねぇ。格がちげぇんだよカスどもが」
アンドラの言葉に苛立ったように吐き捨て、デストはティアニーズの髪を鷲掴みにして無理矢理立たせる。
足腰に力が入らず、抵抗したい意思に反して体は動いてはくれない。
デストが腕を上げ、とどめをさそうとーー、
「させっかよオイ!」
恐怖から逃れ、遅れて飛び出したアンドラ。震える拳を握ってデストの顔面へと叩き込むが、殴った拳が割けて血が吹き出した。
デストは眉を寄せ、掴んだティアニーズをアンドラに向かって投げ付ける。
もつれあうようにして倒れる二人に、追撃の炎が直撃。熱と痛みが同時に押し寄せ、一直線に壁へと吹っ飛んだ。
時間にして僅か数秒。
力の差は歴然だった。
「弱い脆い、人間ってのはどうしてそんなバカなんだ? 勝ち目なんてねぇ事くらい頭使えば分かんだろォが」
立ち上がる二人に向けて歩き出す。
手を添えてゴキゴキと首の骨を鳴らし、
「前の戦争で殺せなかった俺をどうやったら三人で殺せんだ? よほどの強者かと思えばただのカス、暇潰しにすらならねぇぞ」
本当に、全てに飽きたように呟くデスト。
その前に震える拳を握りながら立ちふさがったのはアキンだった。拳を向けて狙いを定め、迫る赤瞳に怯えながらも、
「そ、それ以上はやらせないぞ!」
「ビビって震えてんじゃねぇか。さっきの魔法はテメェか? 中々良いもん持ってやがんじゃねぇか」
「お前に褒められたって嬉しくない!」
「クソガキ、口のきき方に気をつけろ」
巨大な炎の塊をアキンが放つ。今まで男達に向けて放ったのとは段違いの速度と規模でデストへと向かう。
アキンが使える最大威力の魔法。彼の優しい性格を恐怖が上回り、目の前立つ脅威を払うための全力の一撃。
デストは手を振るった。
虫でも払うかのように。
それだけで、炎は消滅した。
「な、そんな……」
「筋は良い、才能もある。このまま成長すりゃ凄腕の魔法使いにもなれただろうに。残念だったな、俺に歯向かったせいでその才能がゴミになった」
完全に戦意喪失したアキンに、デストがゆっくりと手を伸ばす。最大威力を簡単に撃ち破られ、アキンは絶望で表情を満たす。
逃げる事も立ち向かう気力もなくなり、迫る死を受け入れるように。
しかし、
「退いて!!」
飛び出し、立つアキンを押し退けてティアニーズが剣を突き刺した。刃先は皮膚を通過する事はないが、続けて数発打ち込む。
縦に、横に、何度も何度も。
服が割けて地面に落ちるが、出血するどころかかすり傷一つ出来る気配がない。それでも彼女は剣を止めなかった。
デストが剣を受け止めた。握り、横に捻る事でティアニーズは体勢を崩され、フラついたところへ顔面へと拳が突き刺さる。
倒れる暇すら与えられず、続けざまに膝蹴りが脇腹を叩く。
一撃一撃が硬く、そして重く。
「ゴッ……ガ……」
「まだ死ぬんじゃねぇぞ。テメェは最後に殺す」
倒れるティアニーズを他所に、デストはアンドラへと歩き出した。
アンドラは懐からナイフを取り出して構える。恐らく、先ほどの攻撃で拳が砕けたのだろう。滴り落ちる血を服で乱暴に拭き、
「オォォォーー!」
「ハァ……おっさん、テメェが一番力の差を分かってんだろ」
突き出したナイフが弾かれ、アンドラの首へと手が伸びる。締め付ける手を掴むと、アンドラは地を蹴って腕へと飛び付き、
「硬くたって関節技は効くんじゃねぇのかオイ!」
腕をへし折ろうと全力で関節を伸ばす。
しかし、デストは僅かに口角を上げ、腕の力だけで大男であるアンドラを持ち上げると、そのまま勢い良く床に叩き付けた。
更に緩んだところへボールを蹴るようにして放った爪先が腹へ食い込む。
「効かねぇよ」
「ブグ……!」
胸ぐらを掴んで強制的に立たされ、鼻っ柱に頭突き。仰け反った頭部を再び引き寄せて頬を殴り、奥歯が砕ける音が響いた。
それでもデストの手は止まらず、ほぼ意識が飛びかけているアンドラを痛みで覚醒させる。
「おっさん、テメェが最初だ。あのガキに焚き付けられたのか何なのか知らねぇが、ここに来たのが間違いだったな」
「……俺はアンドラだ。いずれ世界に名を轟かせる勇者、覚えとけ」
「そうか、その言葉が俺を一番苛つかせるって知っての発言だよな?」
血を吐き出し、強がりを見せてぎこちなく微笑むアンドラ。
その腹に拳が刺さった。
盛大に吐血し、完全に意識が体から離れる音を誰もが聞いた。ダラリと力なく倒れこみ、白目を向いたアンドラの頭部を砕こうとデストは足を上げーー、
「待ち、なさい……!」
炎の玉がその足を僅かに弾いた。アンドラの顔の横へと着地し、木で出来た床に足跡を刻む。
間一髪で魔道具を使い、アンドラの死を防いだティアニーズは立ち上がる。
身体中のそこかしこが悲鳴を上げ、攻撃が始まって僅か数分、しかも相手は力の半分すら出していない状態だ。それなのにも関わらずこちらの戦力はティアニーズただ一人。
されど、彼女は立ち上がる。
「……この状況でまだ諦めねぇのか」
「当たり前です、貴方を倒す。そして誰も死なせない」
「無理だな。テメェらは俺に殺される。一人残らず全員だ」
そう言って、デストは倒れているアンドラを蹴り飛ばした。宙を舞ったアンドラはアキンへと突っ込み、一対一の状況が出来上がる。
睨み、そして飛び出した。満身創痍の体を引きずるように。
「ハァァァーー!」
剣と拳が激突。弾かれた剣を腕力で引き戻し、体を回転させながらデストの脇腹へと叩き付ける。
デストはそれを簡単に受け止め、逃がすまいと剣を握り締める。
先ほど二の舞にならんとし、ティアニーズは剣を捨てて一旦距離をとり、右腕を突き出して氷の礫を放った。
直撃。しかしながらダメージはゼロ。顔色一つ変えずにデストは剣を投げ捨て、武器を失ったティアニーズとの距離を一瞬にしてつめる。
恐らく、こうして一度目はやられたのだろう。
鞭のようにしなる足が、ティアニーズのこめかみを捉えた。
脳ミソが激しくかき回され、目の前で火花が散った。受け身もガードもとれず、少女の体は床へと叩きつけられる。
気付いた時には、何故か倒れていた。
「う……ぐッ」
意識が飛ばなかったのは単なる偶然だろう。彼女の負けん気と意思の強さが幸いしたなんて展開ではなく、それが良かったと断言する事は出来ない。
眠っていれば、痛みさえ感じずに死ねたかもしれないから。
「最後に残す言葉はあるか?」
「……ま……だ、やれ……」
「言葉すら上手く発せねぇのにやる気かよ。奴隷として高く売れそうなのに残念だぜ」
デストが手を伸ばし、彼女の首を掴もうとした瞬間、籠手が輝きそこから炎が広がった。デストの体にまとわりつくように覆い、上半身を焼き付くして行く。
打撃も剣撃も関節技も通用しないのなら、燃やしてしまえばいい。
正真正銘の奥の手、彼女のとれる最後の悪あがきだ。
しかし、ほんの少し驚いたように下がった後、デストを中心にして広がった風が炎をかき消した。
当然と言えば当然なのだが、彼は魔法を一度使っている。
自分の弱点を対策しないほどバカではなかった。
「今のはちょいと驚いたぜ。だがまァ、圧倒的な実力差ってのちょっとの機転や策で埋まるほど甘かねぇんだよ」
「まだ、まだ……諦めない」
「うぜぇ奴だなァ。だから人間は嫌いなんだ、諦めねぇ事を格好いいと思ってやがる。諦めねぇってのはただの言い訳だ、現実を受け入れたくねぇから目を反らしてるだけだ」
言葉の通り、ティアニーズは魔道具に込められた残りの魔法を使おうとする。が、デストはそれを踏みつけ、腕ごと魔道具を破壊した。ベキベキ!と骨が砕ける音が耳に入り、言葉にならない悲鳴を上げる。
うずくまるティアニーズを蔑んだ目で見下ろし、デストは折れていない方の腕を踏みつける。
「手足折ったら諦めんのか? 手足もいだら諦めんのか?」
「たとえ首だけになっても……私は諦めない」
諦めてしまえば簡単なのだろう。
全て投げ出して、前と同じように自分には力がないからと誰かに任せてしまえば。
選ばれた人間に託し、自分は後ろからそれを見ていれば。
でも、
「私は決めたから……もう迷わないって。私は、私の信じる道を行くって……」
父親が命をかけてまで救ったこの世界を、もう一度戦争で破壊なんてさせやしない。
決めたから、迷わないと。
あの青年の言葉を受けて、自分が行く道を決めたから。
だから、
「諦めない、たとえどんな状況に陥ったとしても、私は絶対に諦めない! それが、それが私の勇気だから!」
「本当に、本当に俺を苛つかせやがる……! その思想が、瞳が、あのクソ野郎と重なるんだよ!」
声を荒げ、デストは足を上げた。腕ではなく、少女の頭を砕くために。
しかし、目を背ける事はしない。たとえこの瞬間に命を落とすと分かっていても、ティアニーズは意思を宿した瞳でデストを見据える。
その瞳がーー、
「ーーーー!?」
デストの足がティアニーズの頭部を砕く事はなかった。
突然響いた轟音に玄関ホールは静まり、音の発生源である扉へと目が向けられる。しかし扉はそこになく、扉だった残骸がデストの目の前に飛び散った。
二人の男が姿を現した。
ティアニーズの戦いを見守っていた男達をすり抜け、ゆっくりと歩みを進める。
赤い宝石を宿した剣を肩に乗せ、面倒くさそうに青年は吐き捨てる。
「ッたく、老眼のくせに地図見て案内するとか調子乗るから迷子になんだろーが」
「うるせぇ、まだまだ視力は落ちぶれちゃいねぇよ。落ちてんのは記憶力の方だ」
「そっちの方が問題あんだろ。そのせいで無駄に走らされるこっちの身にもなりやがれってんだ」
「わけぇのが何言ってやがる。俺がテメェくらいの歳の時は一週間飲まず食わずで走り回れたぞ」
青年の嫌味に、白髪混じりの老人は握り締めた鉄棒を振り回して反論。場違いな雰囲気で人混みをかき分け、そのまま倒れているティアニーズとデストの前まで行き、扉の残骸を踏みつける。
その姿を見て、ティアニーズは嬉しさと悔しさと苛立ちの感情を同時に覚えた。
期待をしていた、しかし助けられるのは嫌、そして来るならもっと早く来いと。
そんな事を知らないルークはニヤリと口角を上げてこう言った。
「通りすがりの一般人だ。ぶちのめしに来てやったぜ」