八章四十二話 『王と自分』
塔を、いやーー町全体を地響きが襲い、爆発音とともに壁が崩壊した。
アルト達は状況を確かめるべく、テラスへと足を運んだ。
「ーーこんな、事が……」
空高くまで昇る煙。壁の一部が抉りとられたかのようになくなっており、その破片らしきものが町へと降り注いでいた。屋根に突き刺さり、地面に着弾すると同時に弾け、二次被害がさらに広がって行く。
その光景を目にし、精霊達は驚愕の色を浮かべる。
アルトは震える足をなんとか動かし、柵に手を置いて身を乗り出した。破壊された壁ーー無理矢理作られた入り口を使い、七人の人影が中に入って来るのが見えたからだ。
「レリスト、あれが、ウェロディエなのか……?」
「間違いない、魔元帥の一人、ウェロディエよ。ゼユテルが……ううん、ゼユテルの魂の欠片」
「…………」
アルト同様に飛び出したレリストが、声を震わせながら言った。
思考が鈍る。何万年と生きて来て、こんな光景は一度も見た事がない。小さな事件ですら起こらないこの精霊の国で、侵入者が破壊活動をしている。夢のようで、夢ではない。
これは、紛れもなく現実に起きている事だ。
「……奴を、止めなくては」
途切れかけた思考を繋ぎ止めるため、アルトは自身の頭を拳骨で殴った。痛みによって鈍っていた思考を正常に戻し、強く握り締めていた柵から手を離す。
振り返りーー、
「精霊達の避難を急がせろ。目的は精霊の……精霊達の殺害だ。一人でも良い、より多くの命を救うんだ」
アルトが言おとした言葉を、シルフィが落ち着いた声色で言った。呆気にとられていた精霊達が即座に姿勢を戻し、事の対処にあたるために動き出す。
その中で、ヴァイスがシルフィの前に立つ。
「王、私に戦う許可を。ウェロディエは私が足止めします」
「いや、それは……」
戦う意思を見せるヴァイスに、シルフィは口ごもる。彼女の中にある、家族を失いたくないという気持ちが喉まで出かけた言葉を止めたのだろう。
しかし、ヴァイスはシルフィの顔を見据え、さらに踏み込んだ。
「今、私が戦わなければ多くの命が失われてしまいます。貴女の気持ちは分かる……ですが、行かせて下さい」
「ダメ、だ。お前は今日まで、私のために全てを捧げて来てくれた……そんなお前を、もう危険な場所に送り出す事など……」
「貴女のためではない。これは、私の意思なのです」
「ダメだと言っているだろう! もし、もしお前が死んだらどうするだ! そこで、終わりなんだぞ……」
シルフィの叫びが、町を覆い尽くす爆発音を上回った。顔を歪ませ、心の底から放たれた言葉に、ヴァイスは苦しみの表情を浮かべた。
シルフィがこれまで、どんな想いで生きて来たのかは分からない。きっとそれは、想像出来るようなものではないのだろう。自分のせいで全てが始まり、そして終わろうとしている。対処法が分からず、結末を先伸ばしにして、逃げる事でしか自分を維持する事が出来なかった。
ずっと、苦しかったのだろう。
ずっと、辛かったのだろう。
いくら自分を責めても、なにかが変わる訳ではない。永遠の命の中で、永遠に続く罪悪感と後悔。
シルフィの心は、すでに限界を超えている。
それでも、必死に王であろうとした。
家族を守るために、王である事を選んだ。
けれど、
「良い加減、逃げるのは辞めにしろ! いつまで逃げているんだ、やってしまった事は変わらない、いくら過去を嘆いても、もうやり直せないんだ!」
「ヴァイ、ス……」
「俺達の命は永遠だ、嫌でも前に進んで行くんだよ。長い命を、終わる事のない命と、俺達はこの先も付き合って行くしかないんだ」
「…………」
「逃げたところで、なにも変わりはしない。一時的に目を反らす事は出来ても、いつかきっと向かい会う日が来る。逃げる事は悪くない……しかし、逃げたままで終わる事は、決して許されないんだ」
声を荒げ、掴みかからんとする勢いでヴァイスが叫んだ。どんな時でもシルフィの側に立ち、彼女の味方であり続けた男の初めての反発。
王と側近ではなく、ただの精霊として、ヴァイスが言葉を繋ぐ。
「俺も、ずっと逃げて来た。自分の生きている意味が分からなくて、貴女を利用して、安心を得ようとしていた。けれど、たまに頭に浮かぶんだよ。本当にこれで良いのかと、本当に、これは正解なのかと」
「…………」
「今ならハッキリと分かる。俺は間違っていた……間違いだったんだ。自分の行いに疑問をもった時点で、それはもう、本当にやりたい事じゃないんだ」
「…………」
「俺は、ちゃんと向き合った。自分の罪と向き合って、これからの事を考えた。……いや、考えさせられたと言った方が良いか」
自虐的な笑みを浮かべ、ヴァイスが肩を竦める。
あの青年と拳を交え、ヴァイスは答えを見つけ出したのだ。自分のやりたい事を、信じる事をやり通すという、簡単な答えを。
「ゼユテルがああなったのは俺達の責任だ。関係のない人間を巻き込み、死なせ、しかし俺達はなに食わぬ顔で今日まで生きて来た。あの人間が、アルトが戦う姿を眺めているだけだった」
「…………」
「それじゃ、ダメなんだよ。誰かに責任を擦り付けたとしても、誰かを守るためだと言い訳をしても、結局はなにも変わらないんだ。俺は知っている……貴女が、ずっとあの人間の行動を見ていた事を」
「それは……」
「答えてくれ。なぜ、あの人間を見ていたんだ?」
「私が見ていたのはアルトだ……」
「違う。貴女は、ルークを見ていたんだ」
咄嗟に口をついて出た嘘ーーそれでは、今のヴァイスを打ち負かす事は出来ない。目を反らし、服の裾を握り締め、それで良くそんな嘘がつけたものだ。
アルトの呆れ混じりのため息が、辺りに響く。
「心配だったからじゃないのか? 自分のせいで関係のない人間を巻き込んでしまって、だから見ていたんじゃないのか?」
「違う……私は」
「自分に嘘をつくのは辞めろ。シルフィ、貴女は王だ。しかし、王である前に一人の精霊なんだ。やりたい事を、自分の気持ちを言って良いんだ」
王である事が、彼女をずっと苦しめて来た。
皆の見本にならなければいけない。たとえ人間を犠牲にしても、精霊を守らなければいけない。更正の余地があったとしても、それは罪だと切り捨てなければいけない。
自分は王だから。
気持ちではなく、合理性を優先的しなければならない。
もし、彼女がそう思っていたのならば。
それはきっと、彼女を王にしてしまった精霊の責任だ。
「もう一度だけ聞く。シルフィ、お前はどうしたいんだ。あの人間を見て、なにを思った?」
「私、は……」
「今が、その時だ。向き合え、自分の罪とーー自分の気持ちと」
ヴァイスの言葉を受け、シルフィは目を見開いた。胸に手を当て、肩を震わせる。苦痛にまみれた表情で、なにかに必死に逆らうように口を開く。
そして、絞り出した。
自分の、本音を。
「分からない……。人間など、私には関係ない。以前ならまだしも、今の精霊は人間と関わりをもっていない。人間を見守るという役目はあるが、それは私の意思ではなく神が決めた事だ。……だから、私には関係ない。なのに、なのに……人間が死ぬ姿を見て、苦しかった、辛かった……訳の分からない気持ちが、形容しがたいなにかが、私の中を満たしたんだ。分からないんだ、私自身、どうしたいのか……」
「簡単だ。傷ついてほしくなかった、それだけの事だろう」
「ーーーー」
他人なんて、どうなっても良い。
言葉でそう言うのは簡単だ。世の中には本気でそう思っているアホ勇者もいるが、ほとんどの人間はそうは思わない。いくら口で言っても、切り捨てると決めても、必ずそこには葛藤が生まれる。
自分が大事で、なによりも自分を優先すべきだと分かっていてもーーきっと、誰もが悩む筈だ。
それは合理性とかじゃなくて、もっとシンプルなものだ。
頭ではなく、心で感じるものなのだ。
きっと、理由なんてない。
目の前で困っている人がいて、泣きそうな人がいて、助けてと叫ぶ人がいる。自分に特なんかなくたって、助ける事で自分が不幸になるんだとしてもーー人は助けるために動く。
具体的で、形のある理由はない。
ただ、傷ついてほしくないから。
ただ、泣いてほしくないから。
でも、多分、それが本当にやりたい事なんだ。
頭で考えるよりも早く動いていたのならーーそれが、きっと本心というやつなんだ。
「難しく考えるだけ無駄なんだ。答えなんて出やしない……私に記憶はないが、そういう男を知っている。考えるより早く動き、やりたいようにやるアホだ」
「…………」
「しかし、そんなアホから教わった事もある。重要なのはなにをすべきかではない、なにをやりたいかだ。貴様が本当にやりたいと思った事を口に出せ。……なに、言うだけなら罪にはならん」
物事には限度というものがある。それをぶっちぎってやりたい事をするアホもいるが、今のシルフィに足りないものはそれだ。
他人は関係ない。自分のやりたい事を、迷う事なくやり通す。
王でもなく、精霊でもなく、シルフィとして。
「シルフィ、貴様は、どうしたい?」
崩れ落ちたシルフィ。アルトは視線を合わせるように膝を折り、彼女の目の前で問い掛けた。
シルフィは顔を上げ、躊躇う事なく、言葉を放った。
「ーー助け、たい」
「聞こえんぞ」
「理由は分からない、利益なんて一つもない。たとえ助けたとしても、自分にとっては不利益にしかならん……そんなの、そんなの分かっている! ……でも、助けたいんだ。もう、誰が死ぬのは嫌なんだ……」
「分かった」
それだけ言うと、アルトは手を伸ばした。今にも泣きそうなシルフィの頭に手を乗せ、優しく撫でる。それからからかうように微笑み、
「泣きたい時は泣いても良いんだぞ?」
「うるさい、お前の前で泣く訳がないだろう」
強がるようにアルトの手を払いのけ、シルフィは立ち上がる。ずびずびと鼻をすすり、弱気になっていた自分に渇をいれるように頬を両手で思いきり叩いた。
両方の頬に綺麗な紅葉を刻みながら、
「すまない、情けない姿を見せた。もう大丈夫だ、私は迷わない」
そこにあるのは、アルトの良く知る王の姿だ。瞳に涙をため、頬を赤くし、少々格好悪さはあるものの、精霊の王の姿だった。
安心したように笑うヴァイスへと目を向け、
「ヴァイス、ウェロディエの足止めを頼む。それからスリュード、ナタレム、レリスト、お前達もだ。その他の精霊は避難を優先、誰一人死なせるな」
無言のまま頷くヴァイス。微笑む精霊達。
スリュードだけが不服そうな顔をしていたが、アルトがスリュードを見た瞬間、なぜかやる気満々になったように拳を突き上げた。
各々が動き出す中、シルフィは安堵の息を吐くアルトに近付き、
「その、なんだ、すまなかったな」
「なにがだ?」
「お前の記憶を奪ってしまった事だ。今すぐにでもーー」
「いや、良い。今やるべき事をやるんだ。記憶なんぞ後からでも間に合う」
照れたように頬をかくシルフィの申し出を、アルトは迷う事なく断った。
確証はない。しかし、恐らく今ソラに戻ってしまったら、ソラはルークと戦う事を選ぶだろう。それだけは、絶対にあってはならない。
自分は、ソラではなくアルトだ。
アルトが戦う理由は、もう二度と、ルークが傷つかなくても良いようにするためだから。
「それよりも、この状況をどうにかしたあとだ。どうにか神に会わせろ」
「こちらから会う事は出来ない。悪いが、私も方法を知らないんだ」
「なに? それでは……」
「だが、どうにかしよう。あの人間はもう十分戦った。ここからは私達がバトンを受けとる。精霊の手で、この戦いを終わらせるんだ」
真っ直ぐに、シルフィの瞳は前を向いていた。
アルトは視線を正し、破壊された壁へと目を向ける。
「では、行くか」
「……まて、お前も行くつもりなのか?」
「当然だ、私だけここで待っている訳がないだろう。たとえ戦えなくとも、やれる事はいくらでもある」
「……なら、私も行こう。今まで偉そうにふんぞり返っていたんだ……それに、少なくともお前よりは戦えるからな」
人差し指を立て、その指先に小さな炎を灯すシルフィ。王の力は精霊を作り替える力だが、それ以前に、精霊としての超常の力をもっている。魔法の元となった、原初の力だ。
勿論、アルトにその力はない。人間と契約する事でしか、アルトは力を発揮出来ないのだ。
「アルト……ありがとう。これまで、良く頑張ってくれた」
「なにを言っているんだ、忙しくなるのはこれからだ。戦うぞ、私達精霊の力で」
何十年という歳月を経て、ようやく王はーー精霊は、その一歩を踏み出した。
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一方その頃、精霊の国がどんな状態か知らないアホ勇者はというと、
「……またかよ。なに、これしかデコレーションの方法知らないの? いくらなんでも三連続だと飽きるんだけど」
「飽きるとかそういう問題じゃないと思うよ。そもそも、見るために造られた場所じゃないんだろうし」
扉を抜け、光の中を真っ直ぐに歩いていると、再び扉が現れた。その扉を潜ると、再び石の神殿のような空間にたどり着いた。三度目でようやく分かったが、内装が全て同じ造りになっている。壊れた支柱から壁まで、恐らくだが、落ちている石ころの数も同じなのだろう。
となれば、
「ようこそ、第三の試練へ」
やはり、それがいた。
二度目の顔なしのインパクトが強かったせいでリアクションが若干薄いが、目の前にいるのはバカみたいな髪の長さの女性だ。伸びる黒髪は地面に触れ、そこでぐちゃぐちゃに絡まっている。軽いホラーなのだが、顔なしに比べればまだマシである。
ルークとマーシャルは顔を合わせ、ため息をもらしながらも髪長女へと近付いて行く。
そこで、ルークは気付いた。
彼女の目の前に、二つの扉がある事に。
「また扉かよ、さっきより少ねぇな。正解当てりゃ良いの?」
「そうだね、でもさっきの試練とはちょっと違うよ」
「前置きは良いからとっとと説明しろ」
ルークが急かすように手を振ると、髪長女はその長い髪を引きずりながら扉へと歩いて行く。その道中、僅か数メートルで何度か髪が足に絡まってこけそうになっていたが、なんだか突っ込むと負けな気がしたのでお口にチャック。
髪長女は扉に触れ、
「ルールは知恵の試練と同じさ。この二つの扉から正解の扉を当てるだけで良い」
「んだよ、すげー簡単じゃねぇか」
「でも、これは知恵の試練じゃない。これはね、第三の試練ーー『勇気の試練』なんだ」
「勇気……?」
勇気という単語に、ルークの眉が僅かに動く。村を出てから数ヶ月、勇者として戦って来て何度も触れた言葉だ。
ルークが困り顔をしていると、
「なに、難しい事はなにもない。正解を当てれば次の試練へ、もし不正解ならーー死ぬだけだから」
「えぇッ!?」
髪長女の言葉に、大きく声を上げるマーシャル。髪長女は動じる様子もなく、至って平凡な口調で続ける。
「これは勇気を試す試練。勇気にも色々種類はあるけど、恐怖に立ち向かう、それこそが始まりの勇気だと思うんだ。だから、君を試す。君に、その勇気があるのか」
慌てるマーシャルを他所に、ルークは無言のまま扉を見つめた。形から色まで、汚れのつき具合すらまったく同じ扉だ。見た目で判断するのはまず不可能。
ルークは息を吐き、そのまま右の扉へと歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ! そんなに簡単に決めちゃって良いのっ?」
「悩んだって答えが出る訳じゃねぇだろ。だったら、俺は自分の勘を信じる」
「でも、間違えたら死んじゃうんだよ! もうちょっと考えようよ! ここまで来たのにーー」
「死なねぇよ」
ルークの腕を掴み、必死に引き戻そうとするマーシャル。自分の身を案じてくれる彼女の言葉を、ルークは躊躇いなく一刀両断した。
離そうとしないマーシャルの指を、一本一本外して行く。
「俺はこんなところで死なねぇ」
「そんなの分からないじゃん! この人が言ってる事、全部嘘かもしれないんだよ。もし両方ともハズレだったらどうするの!」
「そん時はそん時だ。もし仮に俺が不正解の扉を開けて、死にそうになったとしてもどうにかする。なにがなんでも生きて、最後の試練にたどり着いてやるよ」
「で、でも……!」
「良いから黙って見てろ。俺は死なねぇ、こんなところで死ぬような男じゃねぇんだよ」
最後の指を外すと、ルークは扉の前に立つ。
もしこれで、不正解を引いたらルークは死ぬ。それは勇気とかじゃなくて、単に運が悪かっただけの話だ。しかし、だとしても、最後の最後までこの男は足掻くだろう。
自分の死が確定したとしても、ルークは決して諦めない。
今までそうやって来たから。
自分の目的のために、こんなところで死んでいる場合じゃないから。
「んじゃ、開けるぞ」
言って、ドアノブへと手をかける。
一度迷えば、もう二度と開けられない。
だから、ルークは一気にドアノブを回した。迷う暇もないくらいに勢い良く回し、そのまま扉を開く。
直後、
「ーー!?」
扉を開けた瞬間、中から黒いなにかが溢れ出して来た。影のような、モヤのような、とにかくドス黒いなにかだ。黒いなにかは形を変え、一瞬にしてルークに巻き付き、体の自由を奪う。
そして、影が侵食する。腕に、足に、その影が体と融合して行く。
「ルーク君!!」
咄嗟に飛び出したマーシャルだったが、髪長女の髪が地面を這って足に絡み付く。立てないように両足を縛り上げ、髪長女はマーシャルの横に立った。
人差し指を立て、それを唇に当てると、
「ダメだ、君の役目は見届ける事だよ。それに、ほら……心配はいらない」
マーシャルと髪長女の視線の先に、ルークはいた。黒い影が自分の体に侵入し、ゆっくりと自由を奪って行く。足の感覚がなくなり、膝が折れて倒れる。腕の感覚がなくなり、立ち上がる事が出来ない。意識が侵食され、次第に薄れて行く。
だが、
「邪魔……すんな……」
呟く。
力の入れ方さえ分からない手足に、指令を出す。
動け。動け。動け。
まだ、終われない。
「気持ちわりぃんだよ……!」
全てが黒に塗り潰されて行く。
自分が誰で、ここはどこで、なんでここにいるのか分からなくなって行く。
しかし、それでも、立ち上がる。
そして、
「邪魔すんじゃ、ねぇ!!」
ーー叫ぶ。
その瞬間、ルークにまとわりついていた影が霧散した。真っ黒だった影がキラキラと星のように輝き、地面に落ちる。
「うえ……気持ちわる」
地面に倒れたまま、ルークは顔を歪めた。
感覚としてはソラの加護に似ている。自分の知らない誰かが自分の中に入って来たような感覚。一つ違う点を上げるとすれば、影がルークを塗り潰そうとしていた事。
手足の感覚を確かめ、
「あっぶね、死ぬかと思った……」
危機感のない様子で言い、立ち上がった。
ルークが五体満足、無事な姿を見ると、
「良かったぁぁ!」
倒れていたマーシャルが、溜め込んでいた不安を吐き出すように涙を流した。ボロボロと大粒の涙で地面を濡らし、えづきながら体を起こす。と、
「あれ? 動ける」
「そりゃそうだよ、もう試練は終わったからね」
マーシャルの足を拘束していた髪の毛が、いつの間にかほどけていた。それをやった髪長女は悪びれた様子もなく、ルークを見て祝福するように何度も手を叩いていた。
しばらく拍手を続け、突然音が消える。
「ちなみに、どちらの扉を選んでも結果は同じだったよ。ようは、絶対に死ぬと言われたあとでも、それに立ち向かう勇気があるかーーそれを試していたんだ。うん、君は大丈夫。勇気の試練、突破ーー」
髪長女が最後まで喋り終えるより早く、ルークが拳を振り回した。しかし、髪長女の顔面に届く筈だった拳は空を切り、体勢を崩して倒れかける。なんとか踏ん張って振り返ると、体が透けて消えかけの髪長女が立っていた。
「テメ、なんか透けてんぞ」
「試練は終わったからね、もうここにとどまる理由はない。それと、いきなり殴るなんて酷いじゃないか」
「その余裕ぶった態度がムカつくんだよ。一回殴らせろ」
「残念だけどそれは出来ない。さ、早く行った行った。次で最後だよ」
行き場を失った怒りをなんとか飲み込み、ルークは新たに出現した扉へと目を向けた。そして、舌を鳴らしながらも、透ける髪長女を見て興奮しているマーシャルを引きずり、正解の扉へと歩き始めた。
扉を開き、その中へと足をーー、
「頑張ってね。多分、君にとってもっとも困難な試練になると思うから」
髪長女の最後の言葉が鼓膜に届いた直後、ルーク達は光の中に吸い込まれて行った。
次に目を覚ますと、見知らぬ天井があった。
どうやら仰向けに寝転んでいるらしく、新築なのか、目の前に綺麗な天井がある。
状況を理解するのに数秒を使い、理解すると同時に跳ね起きた。
「はぁっ!?」
そこは、部屋だった。
綺麗な、人間が住んでいる部屋。ベッドやタンス、小さな机、そして足元には灰色のカーペットが引かれている。あまり生活感がなく、綺麗なのは綺麗なのだが、それが逆にルークに言い難い不安を与えていた。
とりあえず落ち着けようと深呼吸ーー、
「ようこそ」
そこで、声がした。
その声を聞いた瞬間に、ルークは自分の体が震えるのを理解した。声の発生源、ベッドへと体を向ける。
そこには、人がいた。
黒髪の、女性だった。
「……おま、え」
かろうじて絞り出せた言葉。
自分でもなんと言ったか分からなくなったーーそれくらいの衝撃だった。
「久しぶり、って言った方が良いかな?」
花の髪飾りをした女性は、微笑み、そして優しい瞳をルークに向けていた。