八章三十九話 『量産された命』
アルトは、言葉を失った。
ゼユテルという一人の男の話を聞き、彼の憎しみの強さを知った。友を失い、友を止めるために誤って命を奪ってしまい、その結果、男は罰を受ける事になった。
確かに、命を奪うという行為は許されないのかもしれない。だとしても、ゼユテルは王の命を守ったのだ。もしゼユテルが動かなければ、恐らくーーいや間違いなく、アポロンは王を殺していただろう。
命を守るために命を奪った。
その行為は、果たして罪と断言出来るのかーー。
「私は……なにも言わなかったのか……?」
「アルトだけじゃない、私もよ。誰一人として、ゼユテルを擁護する精霊はいなかった」
「……そう、か。私は、そんな大事な事を忘れていたのか」
かろうじて捻り出せた問い掛けに、レリストはどこか遠くを見つめながら答えた。後悔、罪悪感、彼女もアルトと同じように、あの瞬間を悔いているのかもしれない。
たとえ記憶がなくとも、自分の行いがどれだけ愚かだったのか分かってしまった。
「ゼユテルは、そのあとどうした?」
「人間を殺してる、今もね。一定の数より人間が下回れば、私達精霊は地上に降りなくちゃならない。アイツは、それを狙ってるのよ」
「契約者のいない精霊では、奴らには敵わない。そのためか」
「あんだけの事をされて、怖いくらいに冷静なのよ。精霊の国に乗り込んで来る訳でもなく、着々と復讐の準備を進めてる。精霊に、王に、そしてーー神への復讐の準備をね」
神様。
それは言葉の通り、この世界の全てを造り出した創造者だ。今ある記憶が正しければ、アルトも何度か会った事がある。とはいえ、人間や精霊のように姿がある訳ではなく、記憶にあるあれが本体なのかは定かではない。
神とは、人の形をした光だ。
目も鼻も口も耳もなく、一応会話は成立するのでそういう機関は備わっているのだろうけど、生き物と定義出来るかも怪しい。
「神への復讐など、そんな事出来るのか?」
「王や私達精霊ならともかく、出来る訳ないでしょ。戦うとか戦わないとか、そういう次元の話じゃない。この世界も、この世界の生き物も、全部アイツが創ったものなのよ? 適当に指でも鳴らせば簡単に殺せるわ」
「だが、奴はやろうとしている……」
「そうね。もし仮に出来たとしても、そこにはなにもない。神が死ねば世界の全てが消える。勿論、ゼユテルもね」
親の精霊を殺せば子の精霊が死ぬように、神を殺せば全ての生き物が消える。言うならば、神とは世界そのものの親のような存在なのだ。そんな神が死ねば、無論、神が創った全部が消滅する。きっと、そこにはなにも残らない。あるのは無。正真正銘、全てが消えて無くなるだけだ。
「それほどまでに、ゼユテルは恨んでいるのだな。たとえ、自分の行動の先が滅びだとしても……歩く道の先が、黒く染まっているとしても」
「……そういうところは、勇者君に似てるかもね。意味なんかなくても、自己満足だとしても、自分の信じた道だけを歩く。案外、似た者同士なのかも」
「それを聞いたら、きっとルークは怒るだろうな」
力なく微笑み、今も試練を受けている人間の顔を思い出した。それからアルトはレリストを見た。まだ、レリストは話していない。自分が本当に知りたい事を、本当に話さなければならない事を。
「それで、続きは?」
「……受け入れる準備は出来たの?」
「本音を言えば、まったく出来ていない。だが……恐らく今を逃せば、私はその話を聞きたくないと思ってしまう。だから、話してくれ」
自虐的な笑みを浮かべるアルトに、レリストは参ったとでも言いたげに肩を竦めた。レリスト自身も覚悟を決めるように大きく息を吸い、そして、語り始めた。
「ゼユテルが地上に落とされてから少したって、一人の人間がここへ来たの。たまたま精霊の国に通じる門を見つけたみたいでね、たった一人で、ここへ来た」
「ルーク以外の、人間か……」
「その男がここへ来た理由は、精霊の力を借りるため。人間の世界で虐殺を繰り返すゼユテルを殺すために、その人間は精霊の国に来た。そこで選ばれたのが……アルト、貴女よ。言わなくても理由は分かるわよね?」
「あぁ、私以上の適任者はいない。私はそのためにつくられた精霊だからな」
アルトは、他の精霊とは違う。
根本的な部分は変わらないが、彼女のもつ力は他の精霊とは決定的に違う部分がある。
それはーー、
「私は、人間と契約しなければ力を発揮出来ない。契約者である人間の肉体を強化して、特別な加護を与える。私の力は、人間を助けるために特化した力だ」
人間の世界で精霊が全力を発揮したい場合、人間と契約しなければならない。しかしそれはあくまでも本当の力を引き出すためであって、必ずしもやらなければならない事ではないのだ。しかし、アルトは、アルトだけは違う。
アルトは、人間と契約して初めて力を使える唯一の精霊なのだ。見た目通り、契約しなければただの少女で、自分の意思で力を使う事すら出来ない。
人間の世界が危機に瀕した時、それを救うためにつくられた特別な精霊なのだ。
だから、アルトが選ばれた。
いや、アルトにしか出来なかった。
「その人間は試練を突破して、見事貴女と契約した。それから地上に降りて、ゼユテルと、彼がつくったものと戦った」
「……その男は」
「死んだわ。人間の世界で五十年前に起きた戦争で、ゼユテルに殺された。でも、その人間とアルトが最後の力を振り絞って、ゼユテルを封印した。覚えてないだろうけど、アルト……貴女はその時、記憶を失ったのよ」
「はッ……記憶を失うのは二度目なのか」
なぜか笑いが込み上げて来た。記憶を失うのは二度目で、ソラになる前の記憶も失っていたらしい。だが、それでようやく理解した。なぜルークに自分の力を説明しなかったのか。それは説明しなかったのではなく、説明出来なかったのだ。
「重要なのはそのあと。ゼユテルを封印して、貴女が眠りにつく直前、そこでなにかがあった。なにがあったのかは分からない……けど、アルト、貴女はそこで神となにか話したのよ」
「神と? それが、ルークと関係あるのか?」
「言ったでしょ、分からないって。だから、これから話すのはあくまでも仮説。私が王から聞いた事を、自分の都合の良いように解釈した話」
レリストの口振りからして、アルトと神の間であったなんらかの会話は、誰にも伝えられていないようだ。精霊の王ですら、具体的な内容は知らないらしい。
「私が王から聞いたのは、人間が死んだ直後。その時すでに、次に契約するべき人間は決まっていたらしいの。どこの誰かは知らないけど」
「次の契約者?」
「前の勇者君が死んで、本当ならそこで契約は終わる筈だった。けど、アルトには前の勇者君の記憶があるんでしょ? って事は……」
「その人間と、私は再び契約する筈だった……? いやまて、確かにその男は死んだんだろう?」
「間違いない。私もこの目で見てたから。でも現実問題として、まだ契約は続いている。勇者君と契約出来てるから、かなり不安定な状態なんだろうけど」
本来、精霊は一人の人間としか契約出来ず、人間、もしくは精霊が死ねば契約は途絶える。そのルールがある以上、始まりの勇者との契約は途切れているのは間違いない筈なのだが……。
もし、可能性があるとすれば、
「その前の勇者が、ルークなのか?」
「ーーううん、それだけは絶対にない」
「なぜ、そこまで言いきれる」
「簡単よ。王がそう言ってたから。勇者君、ルークは本来なら戦う筈じゃなかった人間なの。普通に、平凡に暮らしてる筈だった」
レリストは、王に絶対的な信頼を寄せている訳ではない。しかし、神と会話したのがアルトを除いて王しかいない以上、彼女の言葉を信じるしかないのだ。それに、王がこの事について嘘をつく理由も見当たらない。
レリストは小さく息を吐き、
「ルークはね、この物語の登場人物ですらなかった。一般人も一般人、戦争にすら巻き込まれずに一生を終える筈の人間だったのよ。けど、そうはならなかった」
アルトの瞳を見据え、レリストは一旦言葉を区切った。言うべきか、言わないべきか、そんな葛藤を感じさせる表情で、
「ーーアルト、貴女がルークを巻き込んだの。本当に契約するべき人間がいながら、貴女が選んだのはルークだったのよ」
「ーーーー」
自分が、ルークを巻き込んだ。
平和に暮らす筈だったただの一般人を、命をかけた戦いの渦に。そんな事言われても、アルトにはどうすれば良いのか分からない。ルークを選んだのは、アルトであってアルトではないのだから。
「ここまで言えば分かると思うけど、ルークがここへ来たのは前の勇者君と同じ理由よ。ゼユテルを殺すために、精霊の協力を得るためにここへ来たの」
「それも、私のせいなのか……」
「うん。ルークが戦う事になったのも、あんなにもボロボロになっているのも、全部、全部……アルト、貴女のせいよ」
一瞬、視界が黒に染まり、アルトはその場に崩れ落ちた。
なにもかも、自分の責任。
関係のないルークを巻き込み、傷つけ、こんなところまで招いてしまった。彼の望む平和な生活を奪ったのは、他でもないーー自分自身。
記憶はない。しかし、記憶がないからこそ、その重圧に押し潰されそうになっていた。一人の人間の人生をぶち壊した事実は変わらないし、それを記憶がないからという言い訳で終わらせる事は出来ない。
少なくとも、今のアルトには。
「……事故、だったのよ。封印のせいで記憶を失うなんて誰にも予想出来なかった。だから、仕方ないの……」
「仕方ない、か。……そんな言葉で片付けられるものか。私が、私が全ての元凶なんだぞ……!」
「アルト……」
「私が記憶さえ失わなければ、ルークが巻き込まれる事なんかなかった! 私がもっとちゃんとしていれば、あの人間が死ぬ事はなかった! 私が、声をかけられていれば……ゼユテルは……」
見に覚えのない事に対して、アルトは怒りを向けている。自分の知らない自分に、一番最初のアルトに。どれだけ叫んでも、どれだけ喚いても、その怒りがなくなる事はない。怒りを向ける明確な相手がいれば、どれだけ楽だっただろうか。
しかし、もういない。
全ての原因をつくった、アルトはもういない。
「無様だな……。全ての元凶でありながら、私はそれを知らずに呑気に暮らしていた。ソラは……いや、ソラもそれも知らなかったのだろうな」
「そんなの、アルトのせいじゃない。そもそも王が記憶を奪ったからで……」
「記憶がないからといって、私のやった事は変わらない。私なんだよ、あの男を見殺しにして、ルークを戦場に巻き込んだ。知らないなんて、言い訳は出来ない……」
もしかしたら、ルークは死んでいたかもしれない。今は元気に生きているけれど、自分が巻き込んだせいで、命を落とす可能性だってあったかもしれない。どれだけ傷ついただろうか。どれだけ苦しんだだろうか。どれだけ怒っただろうか。どれだけ、後悔しただろうか。
そのなにもかもが、自分の行動が原因だった。
初めからちゃんと選んでいれば、こんな事にはならなかった。
ルーク・ガイトスという人間を。
ただの一般人を。
量産された人間の一人を。
全てを壊したのは、アルトだった。
「レリスト、話してくれてありがとう」
「……大丈夫、なの?」
「あぁ、むしろスッキリした気分だよ」
自然と笑みがこぼれ落ちた。強がりではなく、本心からの言葉だ。立ち上がり、服についた砂ぼこりを払う。
「ここは、ゼユテルの家があった場所なのか?」
「うん。もう、なにもないけどね。彼が地上に落ちてから、ゼユテルに関する全ての記憶を、王が上手い事改竄してたから」
「証拠隠滅という訳か」
他の精霊は、なにが起きたのかすら知らずに暮らしている。自分もそうであったのなら、きっとこんな後悔を抱く事もなかったのだろう。だが、知ってしまったから。自分から進んで、事実を知ろうとしたから。
もう、逃げる事は出来ない。
アルトも、ソラも。
彼女達がやって来た事の責任をとれるのは、『自分』しかいないのだから。
「戻ろう。私には、やらなければならない事がある」
「なに、する気なの?」
「簡単だ。終わらせる。種をまいたのは私だ、私が、この手でけりをつける」
レリストに背を向け、塔へと歩き出す。
「この戦いに人間は関係ない。傷つくのは精霊だけで十分だ」
「ちょ、ちょっとアルト!」
「神に直接話をつける。私とルークの契約を終わらせるためにだ。もう、ルークが傷つく必要なんてない」
ルークだけではない。この戦いを始めたのは精霊だ。
だったら、精霊には戦いを終わらせる義務がある。
死んでいった人間のために。巻き込んでしまった人間のために。
今の『アルト』が出来るのは、それだけだ。
「ルークの旅は、ここで終わらせる」
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一方、そんな事を知らない人間の青年は、力の試練の真っ最中だった。といっても、
「んじゃ、ここ通って良いのか?」
『あぁ、見事なり。人間、貴様は己の力を証明してみせた』
つい先ほど、力の試練は終わった。
先ほどまで岩を振り回していたゴーレムは静かに佇み、扉の前に立つルークをただ見つめている。
額に滲む汗を拭い、息を整えていると、
「ルーク君、お疲れ様」
「……でりゃ」
「いてっ! なにするの!」
「俺が必死に走り回ってんのに、お前見てすらいなかっただろーが」
自分の身長くらい積み上げた石の塔を崩し、マーシャルが笑顔で手を振って走って来た。その清々しいまでの笑顔を見ているとムカついたので、とりあえず額に全力のチョップ。
マーシャルは額を抑えながら、
「だって、ルーク君逃げてただけじゃん。力の試練って言うもんだから、もっとド派手なの期待してたのに」
「これが俺の力だっつーの」
そう、ルークはゴーレムと戦っていない。
襲いかかるゴーレムの攻撃を、ただひたすら避け続けていただけだ。これといった見せ場もなく、本当に逃げまくっていただけである。
力の証明としてはいささか物足りないのも事実だが、
『構わん』
ゴーレムさんはあの調子である。
ルークの『逃げ』の力を認めたのか、潔く敗けを認めてうんうんと頷いている。その哀愁漂う姿にほっこりしつつ、
「暴力だけが力じゃねーんだよ。人には人の戦い方ってもんがあんの」
「格好つけてるけど、不細工な顔で逃げてただけじゃん」
「今不細工つったな? ゴーレムさーん! コイツも試練受けるってよ!」
「や、止めて! トシ蔵いないとなにも出来ないもん!」
あわよくば潰されろとか思ったが、ゴーレムは反応を示す事なく立っている。本気で焦るマーシャルを見て、ケラケラと気持ちの悪い笑みを浮かべながら、
「つーかよ、ここどこなんだ? お前知らねぇの?」
「知らないよ? 精霊の国にこんな場所があるなんて初めて知ったもん」
「ここって精霊の国なの?」
「それも知らない」
「使えねぇ奴。マジでなんでついて来たんだよ」
「私だって来たくて来た訳じゃないもーん。王様に言われたから仕方なく来たんだよ」
言ってしまえば、マーシャルのただの被害者だ。見ていろというかなりザックリとした役割だけを伝えられ、気付いたら床が抜けて変な場所にいた。上級精霊ならともかく、下級精霊でアホそうなマーシャルに頼る方がおかしいのだ。
「アイツも答えちゃくれねぇか」
唯一事情を知ってそうなゴーレムだが、冬眠したようにピクリとも動かない。すでに役割を終え、死んでしまったようにも見える。
大きなため息をつき、諦めたようにドアノブへと手をかけた。
「試練は残り三つ。とっとと終わらせて帰んぞ」
「次はなんだろうね。楽しみだな」
「お前やらねぇだろ。つー訳で、名誉ある役目を与えてやる。試練で溜まったストレスを発散する係な」
「絶対にいや。ルーク君、女の子相手でも手加減しないじゃん」
「男女平等、精霊も人間も関係ねぇんだよ」
扉を開き、ルークは次の試練へと足を進める。
自分が今、どんな状況に置かれているかも知らず、平凡な人間の青年はまた一つ、物語へと無理矢理介入する。
第二の試練ーー『知恵の試練』へと。