八章三十六話 『二人の自分』
振り上げられた拳ーーというより岩の塊と言った方が良いだろうか。そこら辺に落ちている石を無造作に選び、形を問わずに無理矢理くっつけたような歪さがある。打撃というよりも、抉ると表現した方が適切かもしれない。
「ぬ、ぉぉぉぉぉ!!」
腹の底から叫び声を上げ、背後に着弾した拳から逃れるようにダイナミックジャンプ。ただでさえボロボロの石畳が外部からの衝撃によって跳ね上がり、雨のように辺りに降り注ぐ。
着地と同時に前転し、速度を出来るだけ維持して再び走り出した。
「っざけんな! あんなの素手でどうすりゃ良いんだよ!」
『逃げてばかりか人間。その体たらくでは『力の試練』は突破出来ぬぞ』
「うっせぇ! でけぇ図体しやがって、せめて人間サイズになりやがれってんだボケ!」
いつも通りに文句を垂れ流すが、ゴーレムには聞こえていないらしくーーというか意図的に無視しているのか、返事の代わりに支柱を砕いてそれをぶん投げて来た。
体を丸めて頭上スレスレで通過する支柱を見送り、激突音に押されるように再び足を前に出す。
「っぶね……。あんなのくらったらペチャンコだっての」
走りながら、ルークはゴーレムを見る。
恐らくーー否、間違いなく打撃は通用しない。ぶん殴った拳が無惨に砕けるだろうし、そもそも痛覚とかがあるのかすら疑わしい。ただ、あの巨体もあり、速度はそこまでではなかった。一撃が重くとも、ルークの逃げの才能をもってすれば避ける事は容易い。
殴るのはなし。ルークは右腕へと目をやる。
打撃が通用しないのなら、こちらの攻撃手段は魔道具のみ。しかしながら、王は試練は四つあると言っていた。それに加え、精霊との戦闘で消費した魔法を補充出来ていない。残弾が分からない以上、無闇にぶちかます事は出来ない。
「つー事は……」
ゴーレムの攻撃を回避しながら、自身を落ち着けるように浅い呼吸を繰り返す。
辺りを見渡し、とある事に気付いた。
(なんだありゃ……扉、か?)
見れば、ゴーレムの後ろに人一人が通れる大きさの扉があった。石で出来た神殿のような空間にも関わらず、新品のように汚れ一つ見当たらない木製の扉だ。
(あれがゴールって事か)
ニヤリとほくそ笑み、方向転換して一気に加速。暴れまわるゴーレムの股の下をくぐり抜け、木製の扉へとたどり着いた。
ドアノブへと手を伸ばすーー、
「……んな簡単に開く訳ねぇよな」
ドアノブは回るものの、扉が開く気配はなかった。押したり、引いたら、横にずらしたりと足掻いてみるが、やはり扉はピクリとも動かない。
不意に、背後から嫌な気配がした。
『言った筈だ、人間。これは力の試練、力を証明しない限りは、その扉が開く事はない』
「ーーッ!!」
咄嗟に、ルークは全力で横に飛んだ。
直後に岩の塊が振り下ろされ、先ほどまで立っていた地面が大きく抉られ、蜘蛛の巣のようなヒビが広がる。だが、あの打撃を受けてなお、扉には傷一つついていなかった。
モクモクと上がる土煙を手で払い、
「どいつもコイツも証明ばっかかよ。力っつーと……テメェを倒せって事か?」
『答えは自分の手で決めろ』
「聞こえてんのか聞こえてねぇのかどっちだよ、ったく……」
会話が成立しているように見えて、いまいち噛み合っていない。得体の知れない違和感の塊を飲み込み、ルークは体についた埃を払って立ち上がる。
ゴーレムを見据え、
「……いやどうやって」
力の証明と聞けば、まず第一に思い浮かぶのが勝利だ。とはいえ、このゴーレム相手に勝利をもぎ取る事は難しいだろう。ヴァイスや他の精霊のように、拳が通用するのなら話は別なのだがーー、
「つか、待て。テメェ……精霊なのか?」
ゴーレムは答えない。巨大な体をひねり、その遠心力をフルに使って投擲するように拳をルークに向けて叩きつける。しかし先ほども言ったが、ゴーレムの一撃を避ける事自体はそこまで苦ではない。動き始めた瞬間に加速し、拳の範囲から逃れる。
跳ね上がり石畳。降り注ぐ岩の破片。こちらの方がルークとしては厄介だった。なんの法則性もなく、無造作にこちらを狙って来る。
やれる事は今まで通り、ひたすら逃げる事。
そんな中で、ルークは頭を回す。
「そもそも普通に考えりゃおかしいだろ。王様は俺の力を確かめるために精霊達を向かわせた、んで、俺はソイツらをぶん殴って力を証明した」
そう、力の証明はとっくに終わっている筈だ。
その証拠に、王自身が言っていたではないか。
お前の力を認めると。
「んじゃ、これは誰に力を証明してんだ……?」
ヴァイスとの戦闘の直後、あの事を思い出せば王の権力は疑うまでもない。上級の精霊ですら頭が上がらないので、下級の精霊は王の言葉に少しの疑問すら抱かずに従う筈だ。
そう考えると、目の前のあれはどちらにも該当しない。
そして、
「なんで、マーシャルがここにいる」
走りながら、ルークは暇そうに石を積み上げているマーシャルへと目を向けた。
うろ覚えなのだが、王は精霊の国全てを見渡す事が出来るらしい。そんな力があるのなら、わざわざ付き添いをつける必要なんてない筈だ。
不正を疑う気持ちは分かるが、その役目を下級の精霊に与えるとは考え辛い。となると、
「アイツは、今俺がなにしてんの見えてねぇって事か」
一つ一つの情報をまとめ、組み上げて行く。
ルークの記憶力は残念な部類だが、こと閃きに関しては他の人間よりも長けている。
「王様は俺を見てねぇ、この試練は王様に力を証明するためのものじゃねぇ。でも、これを突破すりゃ王様は俺を認める……」
立ち止まり、改めてゴーレムへと目を向けた。
「ーー王様でも言う事を聞く奴……ソイツが裏にいんのか」
あまり王の事は知らないが、あの堅物が人の言う事を聞くとは思えない。軽く私怨も入っているが、あれはルークがこれまで出会った中でも頭一つ抜けて冗談が通用しないタイプ。
そんな王でも、従わなければならない相手ーー、
「誰だよ」
ルークの頭では、ここまでが限界だった。
「クソ、なにがどーなってやがんだ。そもそもここどこだよ、精霊の国……なんだよな」
ここが、この神殿が精霊の国なのかすら怪しい。王の目が届かない場所となれば、人間の世界という選択肢も外れる。人間の精霊でも、精霊の世界でもない場所ーーそこまで考え、ルークは思考をぶった切った。
「分かんねぇ事考えてもしゃーねぇ、か。とりあえず、今は目の前のあれに集中だ」
もう一つ、違和感があった。
それは、この試練自体だ。
逃げまくっていてなんだが、難易度自体はそこまで高くはない。魔法を使えないルークだからこうなってはいるが、アテナ、いやアキンでもこの試練は突破出来てしまうだろう。
ようするに、簡単なのだ。
ゴーレムの巨大は厄介だが、速度がそこまでではないのであまり脅威にはならない。
そして、ゴーレムが先ほど言った一言。
お前の手で決めろ。
つまり、
「証明の方法はなんでも良いって事だよな」
もしそうなのだとすれば、ルークでもどうにかなる。
いやむしろ、これはルークにとってまたとないチャンスとも言えよう。
手を広げ、挑発するように笑みを浮かべる。
「かかって来いやデカブツ。俺の力ーー逃げの才能を見せつけてやるよ」
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床が開き、地の底ーー別の世界にまで落ちて行ってしまった人間の青年と精霊の少女。青年が落ちる間際に残した絶叫の余韻が残る中、アルトは床に空いた穴を覗き見る。
「…………」
「どうした、あの人間が心配か?」
無言で穴を凝視していると、王がアルトの肩を叩いた。肩に乗せられた手を乱暴に払いのけ、
「そんな訳ないだろう。あの男は、ルークは必ず試練を越える」
「随分と期待しているんだな。記憶が戻ったのか?」
「……貴様の力で奪われた記憶は、貴様の力以外では戻らない。そんな事、やった貴様自身が誰よりも知っているだろう。嫌みのつもりか?」
「そんな怖い目をするな」
眉をよせ、王を睨み付けるアルトだったが、王は罪悪感の欠片も感じさせない態度で微笑んだ。
アルトには、あの人間と過ごした記憶はない。
だがしかし、
「確かに、私の中にはあの男と過ごして得たなにかがある。そしてもう一人……まったく知らない男の姿もな」
「…………」
「私はルークと契約しているらしいな。でなければ考えられない……知る筈のない記憶がある理由がな」
ルークとアルトは契約している。
知らない筈のルークを、アルトが懐かしいと感じたのはそのためだ。
契約者であるルークの記憶を、見ている光景を、僅かだがアルトは見る事が出来るから。
いや、アルトだけではない。
人間と契約するという事は、記憶を繋げるという意味でもある。だからこそ、ない筈の青年の思い出があったのだ。以前は契約しているという事実を知らなかったために出来なかったが、こうしてやってみて分かった。
あの男は、間違いなく契約者だと。
そして、それはもう一つの事実を意味する。
「契約者同士はある程度の記憶を、視界を共有する事が出来る。まぁ、本人が拒めば話は別だが、ルークはそれすら知らないのだろうな。なぜ私がそれを話さなかったのかは疑問だが……それは今問題ではない」
記憶と共有、視界の共有、それは精霊と契約する事で得られる力の一つ。一応、本人の意思で拒む事は出来るが、ルークがそれをやらなかったあたり、恐らくソラは言わなかったのだろう。知らなかったのか、それとも別の理由があるのかは不明だが、今重要なのはそこではない。
「私の中には、二人の人間の記憶がある。一人はルーク、もう一人はまったく知らない男だ。貴様、私のなんの記憶を奪った。ルークだけではないな?」
「だとしたら、なんだ?」
「おかしいだろ、私はルークと契約している。記憶の共有が出来るのは契約者だけ……ならばなぜ、私の中には二人の男の記憶があるのだ?」
考えられる可能性は一つ。
「私は、二人の人間と契約している」
普通に考えれば、絶対にあり得ない。
出来る出来ないとかではなく、それは不可能だからだ。合理化な理由なんかなくて、精霊はそういう風に作られていないから。
しかし、アルトの中には二人の男の記憶がある。
いくら不可能とはいえ、今ある情報を整理してたどり着く答えはそれしかなかった。
「答えろ。精霊は一人の人間としか契約出来ない筈だ。ルークが死んでいるならまだしも、あの男はまだピンピンしている。私の体に、なにが起きているんだ」
得体の知れない気持ち悪さがあった。あり得ない事が起きていて、自分はその事について一切覚えていない。記憶のあるなしではなく、自分の中に知らない誰かがいるーーしかも、それが二人もだ。
記憶喪失の件ついてすら整理出来ていないのに、気持ち悪い事この上ない。
王はアルトを見つめ、静かに息を吐いた。
「答えたいのは山々だが……残念だが、私も詳しい事は知らない」
「嘘を、つくな!」
「嘘ではない。これは、この状況は、お前と……あれが作り出したものだ」
「私、が?」
この不気味な状況を作り出したのが、自分。
そう言われても、ピンとくるものがなに一つない。この状況がどこからどこまでなのかも分からない。
「ただ一つ言える事は、お前の計画は上手くいかなかったという事だ。しかも、それを無下にしたのは他でもないーーアルト、お前自身だ」
「どういう、意味だ……!」
「あの人間、ルーク・ガイトスだよ。なぜあの人間を選んだ? なぜ、あの男がここにいるんだ。あれは本来、選ばれる人間ではなかった筈だ」
言っている意味が、まったく分からなかった。
ルークがここにいる理由?
そんなの、アルトが誰よりも知りたいに決まっている。いきなり契約者だと判明し、ここに来た理由も分からない。
分からない事が、アルトに苛立ちを与える。
「言っておくが、私が力を使う前、すでにお前は記憶を失っていたんだぞ」
「記憶、を……」
「全て、それが原因だ。お前が記憶を失わなければ、こんな事にはならなかった。あの人間を、ルーク・ガイトスを巻き込む事もなかったんだ」
「私が、ルークを? ……クソ、知らない……私は、そんな事知らない!」
なにが原因で、なにが起きて、どうなったのか。なにも分からない、なにも知らない。自分の記憶がどこから嘘で、どこから本物なのかーーそれすらも分からない。
頭を抱え、うずくまるアルト。
自暴自棄になりかけた時、レリストが王の前に立った。
「そこまでよ。いい加減にしなさい」
「なにがだ?」
「責任転換するのを、よ。こうなったのはアルトのせいじゃない……ここにいる、私達全員のせいよ」
「違う。あれはゼユテルがーー」
「そうやって、いつまで逃げてるつもりなのよ!」
レリストの声が、叫びが、王の間にこだまする。
突然声を荒ぶげたレリストに、王の眉が僅かに動いた。
「勇者君を巻き込んだ責任があるとすれば、それは私精霊。ゼユテルを、ちゃんと見てあげられなかった私達のせい。いえーー王、アンタのせいよ」
「あれは、ゼユテルが勝手にやった事だ。私にはなんの負い目もない」
「命を救われといて、良くそんな事が言えたわね。今なら分かる……ゼユテルが、なんでああなったのか」
アルトの知らない会話が、アルトの目の前で繰り広げられる。
ゼユテル、という名前は知っている。
それは、精霊の名前だ。正直、これといって特記すべき印象はないがーー。
「悪いけど、私はここで起きた事、今どうなっているかを全部アルトに話すわよ。罰を与えたきゃ勝手にしなさい」
「それに、アルトが耐えられると思うか? 自分のせいで、無関係の人間を巻き込んだという事実をーー今のアルトが」
「いい加減、見下すのをやめなさい。アルトはそんなに弱くない。……勇者君とどれだけ一緒にいたと思ってるの。私達の誰よりも、アルトは勇敢よ」
それだけ言うと、レリストは王に背を向けた。
突然襟首をもたれ、アルトはそのままズルズルと引きずられる。
「ま、まて!」
「待たない。知りたいんでしょ? なにがあったのか」
「そ、それは……」
「全部話してあげる。それを、全部勇者君に伝えなさい。アルトの口から、全部」
それ以降、レリストが口を開く事はなかった。塔を出た頃には、アルトも抵抗する事をやめ、引きずられるがままに全てをレリストに預けていた。
それから数分後、二人は人気のない空き地のような場所にやって来ていた。辺りの民間は静まり、なぜか嫌な沈黙が流れている。誰も住んでいないのか、精霊の気配はまったくと言って良いほど感じられない。
「ここ、覚えてる?」
「……知らない」
「……まったく、どこから記憶奪ってんのよ」
苛立ったように小石を蹴飛ばし、レリストはアルトの襟首を離した。砂まみれになった服を叩き、アルトは遠慮がちに立ち上がる。
「一応言っておくけど、王は嘘を言っていない。嘘を言っていないっていうのは、今のアルトの状態の事ね。本当に知らないのよ、なんでそんな事になっているのか」
立ち上がるアルトの方を向き、レリストは苛立ちを吐き出すように鼻息を勢い良く噴射した。なにをそんなに怒っているのかは不明だが、口を出すのは野暮というやつだろう。アルトは黙って、レリストの言葉に耳を傾ける。
「だから、今のアルトの状態を説明する事は出来ない。私が話せるのは、勇者君がここへ来た理由。全てのーー始まりの事だけ」
「全ての始まり?」
「ゼユテルって精霊は覚えてる?」
「あぁ、なんとなくだが」
「なら、アポロンって名前の精霊は、知ってる?」
「いや……恐らく、知らない」
その名前は、記憶にはない。とはいえ、今のアルトは自分の記憶を信じる事が出来ていない。歯切れの悪い口調で答えると、レリストは腰に手を当ててため息を吐いた。
しかし、直ぐに表情を正しーー、
「ゼユテルが殺したーー精霊の名前よ」