八章三十三話 『前の契約者』
「おーい、ルークくーん! アルト様ー! だいじょーぶー!?」
「おう! つか、来んのおせぇよ!」
「これでもかなり急いだ方だよ! レリスト様がちょっと迷子になっちゃったから!」
「ちょ、私のせいにしないでよ!」
トシ蔵の頭の上からこちらを見下ろし、マーシャルが元気良く手を振り回していた。迷子を暴露され、慌ててマーシャルの口を塞ぐレリストだが、こちらも特に目立った外傷はない。
ルークとは違い、暴力沙汰にはならなかったらしい。
ひらひらと脱力感満載で手を振っていると、
「おいルーク、貴様はこうなる事を予期していたのか?」
「予想っつーか、俺のたてた完璧な作戦だ」
「どこが完璧だバカ者めが。着地の方法をまったく考えていなかったではないか」
「作戦には予想外の事態がつきものなんだよ」
なんかそれっぽく言ってはいるが、いつもの宛のない流れに任せた作戦である。
そもそもルーク単身で挑んでも勝ち目がないのは明白なので、初めから一人だけで戦うという選択肢はなかった。とはいえ、まったく戦力にならないマーシャル、スリュードとの戦闘で疲労困憊なのに加え、ヴァイスとは相性の悪い氷の力をもつレリスト。この二人が加わったとしても、目に見えて勝率が上がる訳ではない。
そこでルークが目をつけたのが、トシ蔵である。
レリストが笛のありかを知っていると聞いた時に閃いたのがこの作戦だ。ルークが一人でなんとかヴァイスを引き付け、予め打ち合わせしておいた王の間に呼び寄せる。そこからは時間との戦いだった。トシ蔵が現れる前に死ねば負け、トシ蔵が間に合えば勝ち。なんとも他人任せな作戦だが、結果的にどうにかなったので御の字である。
アルトはドヤ顔のルークに白い目を向け、
「まさかとは思うが、貴様は毎回こうなのか? 私はそれに毎回付き合っていたのか?」
「おう。お前もたまーにアホみたいな作戦を提案してくる事とかあったぞ」
「なるほど分かった。貴様のせいで私は頭がおかしくなってしまったのだな」
「お前の頭がおかしいのは元々だっつーの」
未だに信じられないのか、アルトは自分の知らない自分に対して呆れている。記憶がなくとも体験しているのは事実なので、自分に対して同情しているのだろう。
二人が取っ組み合いを始め、頬を引っ張りあっていると、トシ蔵が長い首を捻ってこちらに寄せて来た。
「あ、あの、すみません。いきなり殴ってしまって」
ルークとは違い、礼儀正しいドラゴンである。見た目の狂暴さはどこへやら、トシ蔵の声は聞いていて心地が良い。こうして殴ったヴァイスに謝罪している辺り、心優しいドラゴンなのだろう。
ヴァイスは一瞬戸惑うように目を点にし、
「いや、これがお前達のたてた作戦なんだろう? ならば謝る必要はない。まんまとはめられた俺が悪いだけだ」
「あら、ヴァイスが素直に謝るとか珍しいわね」
「俺に非があった、であれば謝罪するのは当然の事だ」
「ふーん、なんか一皮剥けたって感じね」
からかうように口元を抑えるレリストを睨み付け、ヴァイスは顔を逸らして目を閉じた。
トシ蔵は安堵の息をもらし、大きな瞼を何度か動かした。
「一旦下に降りますね。下の精霊達が私を見て怖がっているみたいなので」
「お前見た目怖いもんな」
「…………」
「ダメだよルーク君、トシ蔵ってば見た目の事凄く気にしてるんだから」
ショボンと首を折るトシ蔵の頭を撫で、マーシャルがすかさずフォロー。とはいえ、この見た目で怖がるなという方が無理である。特に初見だと、間違いなく全力で逃げるような姿だ。
「大丈夫だよ、トシ蔵は可愛いから」
「ほ、本当に?」
「うん。ゴツゴツした鱗も、尖った爪も、全部吹っ飛ばしちゃう翼も、不気味な瞳も、ぜーんぶ可愛いよ!」
「あれだね、君は無意識に他人を傷つけるタイプだね。そこだよ、君の言ったところ全部が恐怖を煽ってるんだよ」
屈託のない笑顔、曇りのない瞳、マーシャルに罪悪感はこれっぽっちもないのだろう。ルークの冷静な突っ込みも聞いちゃいないし。ただ、トシ蔵は嬉しそうに喉を鳴らしていた。
トシ蔵が翼を大きく上下し、ゆっくりと下降して行く。落ちないようにしがみつくアルトを無理矢理引き剥がし、ルークは下へと目を下ろした。
地上には沢山の精霊がおり、目の珍しいものを見るような目をこちらに向けている。トシ蔵が下降するにつれ、下で待っていた精霊達は慌てて着地場所を作るように辺りに散って行った。
ドン!と大きな地鳴りのあと、トシ蔵が翼を折り畳む。トシ蔵は手を伸ばし、ルーク達が降りやすいように傾けた。
腰にアルトをぶら下げながら、ルークは飛び降りた。
「ふぅ、やっと地上だ。ここに来てから空飛んでばっかな気がすんなぁ」
「バカとなんとかは高いところが好きって言うしね。勇者君にはピッタリな言葉じゃない」
「好きで落ちてんじゃねぇよ。最初の時は不可抗力だし」
「私の時、スリュードの時、そして今回。全部勇者の意思でしょ」
「……うっせ」
ルークに続き、レリストとマーシャルがトシ蔵の頭から飛び降りた。
全員が横に並んで下らない会話をしていたが、そこで周りの視線が全てルークに向けられている事に気付く。人間だと分かっているのか、まるで化け物を見るような目だ。
そんなものを向けられれば、
「なに見てんだこの野郎」
「コラ、直ぐに喧嘩腰にならないの」
苛立つルークの後頭部にマーシャルの平手が激突。
しかしながら、彼らの気持ちも分からないではない。突然現れた氷のドラゴンが塔に突っ込み、今度は黒いドラゴンが塔をぶん殴った。中心に立つ塔はほぼ半壊しており、目の前には異物である人間。疑いの眼差し、そして敵意を向けるのはごく自然な流れだ。
すると、嫌な静寂を切り裂くように、レリストが手を叩いた。
「心配しなくてもこの人間は敵じゃないわよ。……って、私が言っても信用ないか。もう裏切って皆知ってるんでしょ?」
「格好つけて前に出たくせにそれかよ」
「誰のせいだと思ってんのよ誰の」
ププー、とわざとらしく吹き出すルークの額に、レリストが氷をぶん投げた。
だがレリストの言う通り、すでに裏切った事は伝わっているらしい。ルークよりは多少マシだが、それでも似たような視線がある。
「俺が説明する。お前達は下がっていろ、これ以上ややこしくするな」
どう納得させるか悩んでいると、おぼつかない足取りでヴァイスがルーク達の目の前に現れた。恐怖を与えないように出来るだけ体を丸めるトシ蔵に軽く頭を下げ、それから周りの精霊達へと視線を移す。
「この男は敵ではない。お前達も覚えているだろう、以前に人間がここへ来た時の事を」
第一声を聞き、レリストとマーシャルが微笑んだ。
その横でアルトは首を傾げ、
「……以前にも人間がここへ来たのか?」
「らしいな。俺も知らんけど」
「ちょっと黙ってなさい」
人の話を聞かないでお馴染みの二人が会話を始めようとしたところ、レリストが遮るように二人の肩を軽く叩いた。
「ここにいる男、ルーク・ガイトスはあの男の友だ。あの男が出来なかった事を成し遂げるためにここを訪れた。……俺達精霊の、協力者だ」
「俺友達じゃねぇけど」
「友達なのか?」
「だから黙ってなさい!」
今度は肩ではなく頭を叩かれたのでお口にチャック。
ヴァイスは一瞬だけルークに目を向け、
「すまない、お前達に恐怖心を与えてしまった。全ての責任は俺にある」
驚いたのはルークだけではない。
レリストも、マーシャルも、周りの精霊達も。頭を下げたヴァイスを見て、ざわざわと波が立つ。これがどういう意味なのか、流石のルークにだって分かった。
上位の精霊が下位の精霊に対して頭を下げる。恐らくそれは、あってはならない事なのだろう。しかしヴァイスは躊躇わず、ゆっくりと頭を下げたのだ。
「どうか、許してほしい」
誰も、なにも言わなかった。
そんな中、一人の女性の声がした。
「そこまでだ、ヴァイス。お前が頭を下げる必要はない」
見る者全ての心を奪う美貌、とでも言うべきか。宝石のように輝く赤い瞳を宿し、長い金髪を風に揺らし、その女ーー精霊の王は現れた。
瞬間、空気が変わった。動揺にまみれていた精霊達が膝を折り、全員が跪く。
呆然と立ち尽くすヴァイスに歩みより、
「満足したか?」
「はい。私の負けです」
「そうか……お前が納得したのならそれで良い」
僅かに微笑み、王はヴァイスが視線を逸らす。
同じように跪くヴァイスの横に立ち、王は口を開いた。
「ここはヴァイスに免じて引いてくれ。ヴァイスの言う通り、この人間は敵ではない。詳しい事情はあとで説明する。今は、なにも訊かずに去ってくれ」
それだけだった。
王はそれだけ言うと、跪く精霊達に背を向けた。
誰も、なにもそれ以上追及する事はなく、頭を上げて立ち上がると、足早にその場をあとにする。恐怖政治というか独裁者というか、この一連の流れだけで王の権限を把握するには十分だった。
全員が去り、静寂が訪れる。
ルークは満身創痍の体を引きずり、王の前に立った。
精一杯のドヤ顔で、
「会いに来てやったぞ、王様さんよォ」
「随分と遅かったな、人間」
「テメェのクソくだらねぇ嫌がらせのせいでな」
渾身のドヤ顔のルークに対し、王は眉一つ動かさない。並の人間ならムカついて手を出しかねないほどのウザさなのだが、王様には通用しないらしい。
ルークを無視するように、王は崩れて行く塔へと目を向けた。
「しかし……派手にやってくれたものだな」
「あ? こんなド派手な塔建ててんのがわりぃんだろ」
「まぁ良い。こんなもの、いくらでも作れる」
「え、そうなの?」
半分嫌がらせのつもりで壊したのが、王はノーダメージである。間抜けな声を出したルークだが、咳払いをして空気を正す。踏み出し、王との距離をつめ、
「つー訳で、協力してもらうぞ。俺はここへ来た、テメェの嫌がらせを乗り越えてな」
王の元へとたどり着く、それがルークの目的だった。
自分から来てくれるとは思っていなかったが、探す手間が省けたのでルークとしては儲けものである。
王はルークの瞳を見据え、
「私がいつ、お前に協力すると言った?」
「は?」
「私が言ったのか? ここへ来れば手を貸すと」
「テメェ……この野郎……!」
上半身裸の男が金髪の美女に襲いかかろうとするが、そこへマーシャルとレリストが慌てて止めに入る。
ぶちギレているルークを他所に、王は至って冷静な口調で言う。
「私の元にたどり着いたお前の力は認めよう。だがそれだけだ。私は協力するつもりなど毛頭ない」
「……オーケー、分かった。ぶん殴って納得させてやるよ!」
「す、ストップ! ルーク君どうどうだよ!」
「うるっせぇ! 俺は偉そうにしてる奴が大ッ嫌いなんだよ! 特にお前! その目が気にくわねぇ!」
うがぁぁ!!と叫びを上げて腕を振り回すルークだったが、それだけはダメだとマーシャルとレリストがなんとか押さえる。
とはいえ、王の言葉が正しい。実際にそう言われた訳ではないし、ルークが勝手に勘違いしていただけだ。が、ムカつくものはムカつくのだ。
必死に手を伸ばすルークを見つめ、王は吐息をこぼす。ヴァイスに目配せを送り、
「しかし、だ。私はお前にこう言った、チャンスを与えると」
「なにがチャンスだボケ! 今すぐ殴らせろ」
「人間、お前にチャンスをくれてやる。試練を受ける資格をな」
「うるせぇ! ーーって、試練?」
いきなり抵抗する力がなくなり、止めていた二人が支えを失って倒れこむ。鼻の頭を真っ赤に染め、若干涙目になっていた。
ルークが困惑していると、代わりにアルトが口を開いた。
「その前に私の記憶を元に戻せ。今がどんな状況なのかは知らんが、この人間がここへ来た以上、私の記憶を奪っておく理由はないだろう」
「出来ない。アルト、お前は人間が試練を突破するまでそのままでいてもらう」
「なに? ふざけるな、今すぐに私の記憶を返せ」
「何度も同じ事を言わせるな。それともなんだ、その人間では試練を突破出来ないとでも?」
「それ、は……」
王の発言に、アルトは言葉につまってしまった。
そこに異議を唱えたのは他でもないルークだ。
「待ちやがれ。なんで俺がその試練ってやつを受ける前提なんだよ。んなもんやらねぇぞ」
「別にそれでも構わない。ただしその場合、お前は今すぐに人間の世界へ帰ってもらう」
「ざけんじゃねぇ。手ぶらで帰れる訳ねぇだろ」
「ならば試練を受けろ。お前にある選択肢は二つだけだ。このまま帰るか、試練を突破してほしいものを全て持って帰るか」
どこまでも冷静で、どこまでも他人行儀な王を前に、段々とルークの苛立ちがおさまって行く。ここで騒いだとしても事態は解決しない。ほしいものがあって、それを手に入れる方法が目の前に転がっている。
今は、抑えるべきだ。
溜めて、溜めて、あとで思いっきりぶん殴るために。
「……う、がぁぁぁぁぁぁ!! わーったよ! やりゃ良いんだろ! でもその前に聞かせろ、ソラの記憶を戻さねぇ理由を」
「単純な話だ。お前が試練を突破出来なかった場合、アルトは次の契約者を探す事になる。その時にお前の記憶があっては邪魔だろう」
「俺の聞き間違えじゃねぇよな? そりゃ、俺を殺すって意味か?」
「そう言ったんだ」
精霊は、一人の人間としか契約出来ない。
そして契約を終わらせるには、契約の内容を遂げるか、契約した人間が死ぬしかない。
つまり、アルトが次の契約者を探すという事は、今の契約者であるルークが死ぬという事だ。
「大した問題ではない。元々お前とアルトの契約は酷く中途半端はものだ、それがなくなるだけの話でしかない」
「その、中途半端な契約ってなんだ」
何度も言われたその言葉。
王だけではなく、魔元帥であるセイトゥスにも似たような言葉を浴びせられた。しかしながら、ルークはなんの事を言われているのかサッパリ分かっていない。ソラは気付いていたようだが、現在記憶がないので宛にならないのである。
王は二本の指を立て、
「アルトが他の精霊とは違うという理由もあるが、人間、お前とアルトの契約は本来の形から遠く離れている。その要因は大きくわけて二つ」
「二つもあんのかよ」
「一つ目は契約の手順だ。まさかとは思うが、口約束で交わせるーーなどと思ってはいないな?」
「え、違うの?」
「当たり前だ。誰でも出来る訳がないだろう。契約には手順がある」
「……待てよ、ナタレムはどうなんだよ。アイツ、バシレのおっさんと契約してたんじゃねぇのかよ」
「あれはただの口約束だ。お互いの利益のために力を貸すーー言わば同盟のようなものだな」
言われて思い出したが、バシレにはなにか特別な力があった訳ではない。精霊と契約してその加護を受けているのなら、そもそも奥さんであるエリザベスに魔王の封印場所を守らせる理由がないのだ。
契約という言葉を使ってはいたが、実際のところ、ルークとソラのような関係ではない。今のエリミアスとケルトのような関係だったのだろう。
「契約とは、精霊が人間の世界で力を行使するための条件だ。人間という足枷をもつ事で、強大な力をセーブする役割がある。契約がなければ精霊は本来の力を発揮出来ない。だからナタレムは戦わなかったのだ」
「んじゃ、どうすりゃ良いんだよ」
「言われた事はないか? お前は選ばれただけだと。お前と前の人間の決定的に違う点、それは力を勝ち取ったかどうかだ」
「……そのための、試練って事か」
「あぁ、試練を突破して初めて精霊と契約する事が出来る。試練を受けずとも契約は可能だが、本来の力とは程遠い形になる。そうだな、仮契約とでも言っておこうか」
そもそもだが、ルークは契約についてあまり理解していない。とりあえず力を貸すための条件として捉えているが、契約の内容すら厳密には知らないのだ。
成り行きでここまで来てしまったーーそれが現状だ。
「それに加え、お前の場合はもっと厄介だ。本来ではあり得ない事が起きている。正直、なぜこうなったのかは私でも分からない」
「んだよ、ハッキリ言え」
「二つ目、これがもっとも大きな要因だ」
すでにルークの頭は限界を突破しているが、必死に知識を蓄えようと耳をすませる。
王は人差し指を立てーー、
「前の契約者は、まだ存在している。ーー切れていないんだよ、前の契約がな」