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量産型勇者の英雄譚  作者: ちくわ
八章 精霊の国
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八章三十一話 『ヴァイス』



 ただ、証が欲しかった。


 自分は生きているという、確かな証拠が欲しかった。

 なんでも良い。

 なんでも良いから、生きているという確証が欲しかった。


 生まれた意味も、生きていく理由もないーーそんな人生が、どうしようもなく嫌だったから。

 だから、男はその道を選んだ。


 たとえ拒まれようとも、周りになにを言われようとも、それがーー自分勝手な願いだとしても。



 体の半分を炎に包み、ヴァイスはゆっくりと手を上げた。難しい事はいらない。ヴァイスの放つ炎は、人間程度ならば簡単に消し炭に出来てしまう。たった一撃で良い。当ててしまえば、目の前の生意気な人間の息の根を止められる。


 しかし、


「だらっしゃァァ!」


 雄叫びを上げ、人間はギリギリのところでヴァイスの炎を回避した。まとっている服を僅かに燃やしながらも、致命傷は確実に避けている。

 ずば抜けて動体視力が良い訳でもないし、人間離れした反射神経がある訳でもない。恐らくそれは、目の前の人間の持つ天賦の才能なのだろう。


(俺が炎を放つ寸前、アイツは既に動き出している。なるほど……逃げるという無様な行為を躊躇いなく重ねて来た結果、相手の僅かな動きから無意識に次の行動を予測しているのか)


 スタートが一瞬でも遅れれば、ヴァイスの炎は人間を容赦なく焼き尽くす。これはあくまでも予想の範囲だが、青年は相手のほんの僅かな挙動全てに目を配り、あらかじめどんな攻撃が来るのかを予想して動いてるのだろう。


 しかも、それは無意識での行動だ。

 逆に、一度意識してしまえば二度と同じ動きをする事は出来ない。なにも考えずに動いているからこそ、逃げる事のみに全ての神経を使っているからこそ出来る芸当。

 一朝一夕で身に付けられるものではない。


 青年自身の性格、そして初めから持っていた才能に経験がプラスされ、命のやり取りでも十分にその力を発揮できている。


(……それに加え、ただ逃げているだけではない。反撃の機会を、アイツは虎視眈々と狙っている)


 逃げるという恥ずべき行動の中でも、青年の目は光を失っていない。戦略的撤退という言葉があるように、青年は勝つために逃げているのだ。

 ヴァイスは両手を使い、炎の範囲と速度を上げた。


(これなら、どうだ)


 しかし、青年はその全ての間一髪のところで避けきった。体を丸めて炎の下を潜り抜け、そのまま勢い良く跳躍し、空中で体を捻ってなんとか着地。そして、直ぐ様次の攻撃に備えるように顔を上げた。


「手加減のつもりかよ、舐めてんじゃねぇぞ!」


「俺の役目はお前を見定める事でもある。殺す事には代わりないが、そう簡単に死んでもらっては困る」


「初めて会った時と随分態度がちげぇな。あん時は問答無用で殺そうとして来ただろ」


「あの程度で死ぬような男なら、見定める価値もない」


「……なら、今はその価値があるって事か」


 ニヤリと頬を歪ませ、青年は挑発的な笑みを浮かべた。

 その安い挑発に乗る事はなく、ヴァイスは会話を無理矢理終わらせるように背後に炎の柱を出現させる。一本の渦巻く炎の柱は三本に分裂し、圧倒的な熱をもって人間に迫る。


「クッソ!!」


 僅かに反応が遅れ、柱の一つが青年の右肩を掠めた。苦痛に顔を歪めながらも動きを止める事はなく、生きるために筋肉を酷使している。

 ここに来るまでに、数人の精霊と戦った筈だ。所々にその痕跡があり、体力だって当に限界をむかえている。


(レリスト、なぜお前はあの人間を選んだ)


 分からない。

 こうして戦っていても青年からなに感じる事もなく、多少生き残る術に長けてはいるが、それでも人間という領域内の話だ。

 ルールを破り、自分の命を賭けても良いなんて事は絶対に思わない。


(スリュード、ナタレム、なぜお前達は負けた)


 生まれ変わったナタレムはともかく、スリュードの実力ならば人間程度に負ける事は絶対にない。仮にレリストが手を貸していたとしても、二人の精霊を相手にして勝てるほど強くもないだろう。

 だが、人間はここにたどり着いた。


(お前は、なんのためにそこまで必死になるんだ。……人間は、なぜ必死になって生きるんだ)


 精霊には、意味がない。

 人間が国をつくり、法をつくる前までは罪を犯した人間を裁くという役目があったが、それも数千年前までの話だ。人間が人間の力で罪は裁けるようになってからというもの、精霊が人間の世界に介入する事は一切なくなった。


 別に、それが寂しかった訳ではない。

 ただ、ポッカリと大きな穴が体のどこに空いていた。


(……俺は、王のためならばなんだって出来る)


 ただ、生きているという証拠が欲しかった。

 何万年という途方のない時間を、寿命がない永遠の時間を、なにもないまま生きるのは辛すぎたから。

 自分はなんのために生まれて、なんのために生きているのかーーその、理由が欲しかった。


 人間には、寿命がある。

 どんな人間でもせいぜい長くて八十年ほど。そんな限られた短い時間の中でも、人間は必死に生きている。精霊のように永遠の命がある訳でもないのに、人間は自分の役目を理解して生きていた。


(どうして、そこまで出来る。たかが数十年の人生だろ、そこまで足掻く理由がどこにある)


 地上を見れば、人間はいつだって楽しそうに笑っていた。精霊と比べれば短くて、ゴミみたいな時間の中でも、人間は精一杯笑って生き抜いていた。

 多分、それが羨ましかったのだろう。

 ヴァイスは、心の底から笑った事がない。

 長い人生の中で、面白いと思える事がなにもなかったからだ。


 だから、自分で役目をつくった。

 王という存在を、自分の命を賭けて守るという役目を。

 それが、ヴァイスにとって唯一のものなのだ。

 自分が今生きていると感じられる、たった一つの。


(お前の中になにがある。お前はなんのために生きて、なんのために戦っている。俺と同じようにーー誰かのために命をつかっているのか……?)


 着実に、ヴァイスの炎は青年の逃げ道を塞いでいた。ただ闇雲に放つのではなく、青年がどこへ逃げるかを予想し、ゆっくりと確実に退路を塞いで行く。

 焦る必要はない。

 ちっぽけで弱い人間を殺すなんて、精霊にとっては簡単な事だ。


「うーーぐぅっ!?」


 人間の膝が折れた。

 戦う意思はあっても、体がそれについて行けてないのだろう。

 それは、明確な隙だった。

 ヴァイスの放った炎が、人間の体に直撃した。


「ばっーー!」


 人間の体に触れた瞬間に炎が弾け、全身を包むように炎が広がる。後方に吹っ飛ばされ、壁に激突し、地面に倒れながら、人間は炎を消そうと必死にもがいている。


「あっち! んだよくそ!」


 床に体を擦り付け、熱がりながらも手で炎を叩き、結局消せないと思ったのか、焼け焦げた上着を乱暴に脱ぎ捨てた。

 その姿を見て、ヴァイスの瞳が僅かに動く。


「お前……その腕」


「あ? これか? 知り合いに呪われてんだよ」


 腕に刻まれた黒いグロテスクな紋様。

 あれがどんな呪いなのかはヴァイスには分からないが、恐らく魔元帥との戦闘の際につけられたものなのだろう。いや、それだけではない。身体中に細かな傷がある。腹の辺りには今も残る大きな傷跡があり、決して屈強な体ではないが、人間がどれだけの修羅場を潜り抜けて来たかを物語っていた。


「ったく、めんどくせーなその炎。消しても消えねぇじゃねぇか」


 人間は、それを気にする様子はない。

 消し炭になってしまった服を見つめ、心底面倒くさそうに呟くだけだ。


「答えろ、なぜそんなになってまでお前は戦うんだ」


「あ? んなの今関係ねぇだろ。良いから黙ってかかって来いや」


「答えろと言ったんだ。お前も、誰かのために戦っているのか?」


 そこで、人間の顔が一瞬だけ間抜けな顔になった。それから口元を抑え、堪えきれなくなった笑いを吐き出すようにわざとらしく吹き出した。


「バカ言ってんじゃねぇよ、俺が誰かのために戦う訳ねぇだろ。つか、お前もって事は、テメェは誰かのために戦ってんのかよ」


「俺が戦うのは王のためだ。それ以外にはない」


「精霊は仲間意識ねぇと思ってたけどよ、意外とあんじゃねぇか。惚れてんのか?」


 茶化すように人間は半笑いでそう言った。

 恐らく冗談なのだが、ヴァイスに冗談は通用しない。僅かに眉を寄せ、


「俺達精霊に愛なんて感情はない」


「嘘つけ、スリュードって奴がソラの事大好きって言ってたぞ」


「そう振る舞っているだけだ。それが、アイツの生きている証なんだよ」


「生きている証?」


「アイツはそうする事で自分を保っているんだ。そうしなければ、自分を見失ってしまう」


「テメェ、随分とひねくれてんな」


 お前にだけは言われたくない、という突っ込みが色んな方面から飛んで来そうな発言だが、ヴァイスは目の前の青年がどんな人間かを知らない。王やレリストのように、青年の地上での行いを見ていないのだ。


 青年は腰に手を当て、


「今ので分かって来たぞ。テメェがなんでそこまで王に執着するのか」


「……なに」


「テメェはその証とやらが欲しかったんだろ。精霊には寿命がねぇって言ってたし、なんかつまらねぇって言ってた奴もいたしよ」


 言い当てられ、ヴァイスの表情に動揺の色が浮かぶ。しかし青年はそれを楽しむように、


「不安で仕方ねぇんだろ。そんだけ長く生きてりゃ、自分がなんで生きてるのかって不安が一つや二つわいてくるに決まってる」


「……黙れ」


「だからテメェは王に執着してんだ。これが自分の生きてる意味だって言い聞かせてよ。教えてやろうか? テメェは王を自分の生きる理由に利用してるだけだ」


「黙れ!」


 ヴァイスが声を荒げた瞬間、体を包んでいた炎が一瞬にして広がった。ヴァイスの怒りを表すように揺れ、暴れるように周りの壁に焦げあとを刻んで行く。

 だが、青年は一歩も引かず、むしろその足を踏み出した。


「精霊も大した事ねぇんだな。人間の世界じゃ精霊を崇めてる奴がいるけど、テメェら精霊はそんな大層な存在じゃねぇ。人間と同じように悩んで、答えが見つからなくて他人を利用してる」


「黙れと言っているんだ!」


「しかも人間より長生きだからたちがわりぃ。その上くそみたいなルールに縛られてよ、がんじがらめのつまんねぇ人生……そりゃ、ナタレムだって家出したくなるわな」


「なら、お前はなんのために生きている。俺の生きる理由はこれだと! 確かなものがあるのか!」


 どうしても、分からない事があった。

 限られた短い時間を、なんで人間は辛い思いをしてまで生きているのか。

 人間と精霊は違う。

 人間には困難を乗り越える力なんかなくて、魔王の力を退けるためには精霊の力を頼るしかない。


 それが、弱い証だ。

 それならいっそ、苦しまずに終わってしまった方が楽なのに、人間は無様に醜態を晒してまで生きようとしている。

 なんで、そこまでして。


「……ほんと、下らねぇな」


 ポツリと、青年が言葉をこぼした。

 呆れたように、そして同情するように。


「んなの、ある訳ねぇだろ。なんのために生きてるか、なんて事知ってる奴の方が珍しいわ」


「ならばなぜーー」


「死にたくねぇからだよ。難しい理由なんかねぇ、ただ死にたくねぇから必死に生きてんだ」


 とてもシンプルで、とても簡単な答え。

 それは、人間にしか分からない事だった。

 短くて、寿命がある人間だからこその。


「そもそも、テメェは他人に理由をつけられて納得出来んのかよ。テメェの生きる理由はこれだって言われて、はいそうですかって頷いて従えんのかよ」


「…………」


「生きる理由なんてのは自分で決めるもんなんだよ。自分で見つけて、一生かけてやり遂げるもんなんだよ」


「…………」


「それをテメェはぐじぐじ悩みやがって、気持ちわりぃんだよ。俺達人間なんかよりも悩む時間は大量にあんだろ、なのにんな事も分からねぇのか」


 分からない筈だ。理解出来ない筈だ。

 弱くてちっぽけで、簡単に死んでしまう人間だからこそ、必死に生きようとしていたのだ。

 限られた時間を後悔しないために、二度と戻らない時間を後悔しないために、人間は必死に笑って今を生きている。


 精霊には、一生かかっても分からない。


「テメェは人間が羨ましかったんだろ。弱いくせに楽しそうに生きてる人間が、いつかは死ぬって分かってるのに笑ってる人間が」


「…………」


「下らねぇ、マジで下らねぇよ。生きる理由も戦う理由も、テメェ自身の手で決めろや! テメェの人生だろ、長くてつまらなくたって、自分が納得出来る生き方すりゃ良いだけの話だろーが!」


 青年の言葉は、ヴァイスの体の芯まで響き渡った。

 多分、全ての人間が青年のように生きている訳ではない。不安や後悔に飲み込まれて、自ら終わりを選択してしまう人間だっているのだろう。

 そして、その方がきっと利口だ。


 嫌なものを見ずに、苦しい思いをせずに、疲れずに人生を終われるのならその方が楽に決まってる。だが、青年は違う。苦しい思いをして嫌なものを見て、それでもなお抗うと決めたのだ。


 生きるという、勇気があったのだ。


 ヴァイスの口元が緩んだ。

 その笑みには、なぜこんなに簡単な事に気付かなかったんだという、自分に対する皮肉が含まれていた。


「……そうか、なるほどな。ほんの少しだが、レリストの気持ちが分かった」


「あ?」


「アイツはお前のその姿を見たんだ。決して折れない姿を、自分の信じた道を進む強さを」


 誰もがそうあれる訳ではない。

 全ての人間が、この男のように強い訳ではない。


 この男は、自分にないものをもっている。

 生きて行く理由を、戦う理由を、存在する意味を、全て自分の意思で決めている。

 そして、迷う事なく、後悔する事なく、青年は選んだ道を真っ直ぐと進んでいるのだ。


 恐らくそれが、青年にあってヴァイスにない強さ。

 いやーー人間にあって精霊にない強さなのだろう。


「認識を、改める必要があるな……」


 ヴァイスが呟くと、荒ぶっていた炎が落ち着きを取り戻したように静まる。

 人間は弱い。

 しかし、弱いからこそ強くあろうとしている。

 弱いからこそ、精霊にはない強さを手に入れる事が出来たのだ。


 だが、


「お前の強さは分かった。だが、それとこれとは話が別だ。どれだけ意思の強さがあろうと、最後にものを言うのは武力だ。結局のところ、お前が俺を倒せるかどうかなんだよ」


 この時すでに、ヴァイスは青年の強さを認めていた。認めてしまった以上、もう戦う理由はどこにもない。それは、負けを認めた事と同じなのだから。

 しかし、


(王よ、貴女の言葉の意味が……やっと分かりました)


 王は、自分のために戦えと言っていた。

 今なら、その言葉の意味がはっきりと分かる。

 ヴァイスは拳を握る。

 他の誰でもない、自分自身のために。


「俺は王のために戦う。たとえそれが俺の弱さだとしても、今さら変えるつもりは毛頭ない。だから来い、もう一度お前の強さを証明してみせろーールーク・ガイトス」


 ヴァイスは笑った。

 そして、それに答えるように人間の青年も笑った。


「上等だ。他人のために戦うような奴が、俺に勝てると思うなよ」


「護るものがあるからこそ発揮できる強さもある」


「んなもんいらねぇよ。俺は俺のためだけに戦うので精一杯だからな」


 ヴァイスが炎を放つ。

 人間は、逃げるのではなくその炎へと走った。



「……ルーク・ガイトス」


 その場にいたもう一人の精霊ーーアルトが、静かに呟いた。



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