八章二十九話 『突撃ドラゴン』
レリストの協力もあり、なんとか二人の精霊を退けたルーク。氷槍のてっぺんに取り残されたマーシャルをなんとか助け出し、三人は休憩のために一息ついていた。
完全回復とまではいかないが、動けるまでの治療をレリストにしてもらい、ルークは思い出したように視線を動かした。
目の前で気を失っているナタレムへと。
「さてと、とりあえず試してみっか」
「なにするの?」
「ぶん殴って起こす。コイツが起きねぇと、記憶が戻ってんのかどーかすら分かんねぇだろ」
「気絶してる人をまた殴るなんて酷いね」
「俺はそれ以上に酷い事されてんだよ」
取り残された事に対する恨みがあるのか、マーシャルの態度がややとげどげしい。とはいえ、起こさない事には始まらない。完全に伸びているナタレムに向けて拳を振り下ろそうとーー、
「ちょっと待った。そんな事しても記憶は戻らないわよ」
ルークの拳がナタレムに当たる寸前で、レリストが腕を掴んだ。躊躇うように視線を逸らし、
「今さら迷う必要なんてないか……。どーせもう戻れないし、立派な反逆者になっちゃったんだし」
「なにブツブツ言ってんだよ」
「勇者君も気付いていると思うけど、ナタレムはただの記憶喪失なんかじゃない。勇者君の知ってるナタレムは、もうこの世界にはいないのよ」
「……どういう意味だそりゃ」
「王の力のせいよ」
諦めたように全身の力を抜き、レリストは倒れているナタレムへと視線を向けた。その瞳には同情を感じさせるものがあり、ルークは大人しく手を引いて耳を傾ける。
「王の力はね、精霊を作り替える力なの」
「作り替える力?」
「そ。その力でナタレムはこうなった。だから殴ったって無駄、ナタレムには思い出す記憶なんてないから。人格も、記憶も、全部消して新しくゼロ作られた精霊ーーそれが今のナタレム」
「んじゃ、もう二度と戻らねーのかよ」
「もう一度王に作り直してもらうしかないわね。やってくれるかは分からないけど」
レリストに言われ、ルークはナタレムの言葉を思い出していた。
死ぬよりも嫌な事は沢山ある。
恐らく、それは王の力の事を言っていたのだろう。
確かにナタレムの肉体は滅んではいないが、中身はまったくの別人になってしまっている。それは、死ぬ事となにが違うのだろう。
精霊の世界で過ごした記憶も、人間の世界で過ごした記憶も、なにもない。自分の知らない記憶を植え付けられ、まったく違う自分として生きて行く。
変わらない。
それは、死ぬとの一緒だ。
「つーか、待て。それじゃソラも作り替えられたって事なのか?」
「アルトはちょっと違う。一部の記憶を改竄されたのよ。今のアルトには、人間の世界に行った記憶がない」
「……だから俺の事を覚えてねぇのか」
「勇者君だけじゃないわよ。五十年前からの記憶をごっそりと改竄されているの。だから、勇者君の前の勇者の記憶もないし、今まで出会った人間全ての記憶もないの。アルトは人間の世界には行かず、この五十年、普通にこの世界で暮らしてたって事になってる」
「なんつーかあれだな、えげつねぇ力だな」
「私もそう思う。やられた側はたまったもんじゃないわよ」
不機嫌そうに唇を尖らせ、自分のこめかみに触れてレリストはため息をついた。
王の力は分かった。
がしかし、重要なのはその対抗策である。
「どのみち、王様を説得させるしかねぇのか」
「一筋縄ではいかないと思うけどね。このまま王のところに行って、頭を下げたって戻してくれないわよ」
「ざけんな、なんで俺が頭下げなきゃいけねぇんだよ」
「気にするとこそこなのね」
基本的に、ルークは頭を下げるのが大っ嫌いだ。自分が百パーセント悪いならまだしも、なにもしていないのに謝るなんてのは絶対に嫌。というか、自分から悪いと認める事がまずないので、今回も頭を下げる気はさらさらないのである。
「ま、別に問題ねぇよ。王様ぶん殴って納得させる、やる事はなんも変わらねぇ」
あっけらかんとした様子で、ルークはそう言った。
作り替える力は強力だが、人間に通用しないのならさほど問題はない。というか、王に会えば全てが解決すると分かったので、ルークにとっては朗報なのである。
ルークの、人間にとっての問題は、
「腹減った。あとどんくらい歩けば着くんだよ」
「残念だけど、それは私には解決出来ない問題ね。氷でも食べる?」
「肉が食いてぇんだよ。氷なんて食っても腹がぽちゃぽちゃするだけだろ」
「その氷に助けられたのはどこの誰かしらね」
「俺は頼んでねぇ」
「素直じゃないんだから」
素直もなにも、ルークは本気で知らんと思っている。勝手に助けに入って来たのだから、そこでどんな怪我をしようが関係ないのである。
レリストが不満そうにルークに向けて小さな氷を投げ付けていると、
「うーん、トシ蔵がいればなぁ。レリスト様、私の笛どこにあるか分かります?」
「ん? 盗ったの私だし、塔の中にあるわよ。大事な物だったの?」
「はい。あれがあれば、中心までひとっ飛びで行けるんです」
「それじゃ、盗っといて正解ね。……あ、今は不正解か」
改めて自分が裏切り者だと理解したのか、自分の行動を後悔するレリスト。二人の精霊が腕を組んで悩んでいる中、人間の青年はただ一人満面の笑みを浮かべた。
ちなみに、この笑みは悪い事を思いついた時の顔だ。
ルークは立ち上がり、偉そうにのけ反りながら席をした。
「うおっほん、改めて言うが、君達は今犯罪者である」
「なにその口調」
「無理して背伸びしても惨めに見えるだけだよルーク君」
「騙らっしゃい。人の話は大人しく聞け」
ムカついたので、とりあえず落ちていた氷を二人に向けてぶん投げた。
今度こそ話の腰を折られないように威嚇し、
「君達は精霊にとって何よりも大事なルールを破った。大悪党、犯罪者、裏切り者……ともかく、お前らは精霊の敵になった訳だ」
「裏切ったって言うか、裏切らされたって言ってちょうだい」
「お前が選んだんだろ、俺はなーんも悪くねぇ」
「正論なのがまたムカつく」
「はいそこ、口答えしない」
いつもよりも声を少し低くし、必死に偉い人を演じるルーク。ルークの知る偉い人の中にはろくな奴がいないので、どうしてもダサい感じになってしまうのだ。
「つまり、これからいくら犯罪を重ねても問題ねぇって事だ。だってもう取り返しがつかねぇところまで来てんだし、今さら後ろを気にする必要なんてねぇだろ?」
「う、うん。レリスト様、凄く嫌な予感がします」
「奇遇ね、私もよ」
なにをするかは理解していないが、多分とんでもない事なのは分かったのだろう。マーシャルとレリストの顔色が段々と青ざめて行く。それに比例するように、ルークの笑みは気持ち悪さを増して行く。
最後に一際奇妙な笑みを浮かべ、
「それじゃ、俺と一緒に落ちるところまで落ちようか」
この瞬間、二人の精霊の地獄行きが決まったのだった。
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「……ここも、知っている」
誰もいない廊下を、アルトは一人で歩いていた。時折壁に触れ、その感触を確かめるように頷く。どれも、自分が知っているものだった。
なにも変わらない。なん千年もこの場所で過ごしたのだ、変わる筈がない。
なのに、
「……なんだ、この懐かしさは」
知ってる。
知ってる筈なのに、どこか懐かしさがあった。
昨日も同じ道を通って、同じ場所で寝た筈なのに。いや、昨日だけではない、何年も同じ事を繰り返している筈なのに。
得体の知れない気持ち悪さに、アルトは顔をしかめて小さな拳を壁に叩き付けた。苛立ちがある。誰に対してなのかは分からないが、腹のそこで怒りが煮えている。
それと同時にーー寂しさがあった。
「なんなんだ、クソ……!」
こんな感情、自分は知らない。
寂しさなんて、今まで感じた事なかった。
あるのはつまらない毎日に対する怒りと飽きだけで、それ以外にはなにもなかった。最後に笑ったのがいつなのか、それすらも覚えていない。
アルトは苛立ちを吐き捨て、自分を落ち着かせるように息を吐いた。
体と心、どちらもおかしくなっている。
心当たりはある。あの青年の顔が、頭から離れてくれないのだ。
「……あの人間は、今どこにいる」
あの人間ならば、なにか答えを与えてくれる。
記憶ではなく、直感がそう告げていた。
であれば、行くべき場所は一つ。
アルトはフラフラとよろめきながらも、王の間へと足を進めた。
王の間につくと、二人の人影があった。
王座に腰を下ろす王と、その前で片膝をつくヴァイスだ。
アルトはなにも思ったのか物陰に隠れ、二人の会話に耳を傾けた。
「レリスト、ナタレム、スリュード……。三人はあの人間に敗れた」
「そ、そんな筈が! ただの人間ごときに!」
「私の言葉が信用出来ないのか?」
「いえ……そんな事は……」
最初の会話から、アルトは驚きを隠せなかった。
ただの人間が、精霊に勝つ。そんなのあり得る筈がない。たとえどれだけ技術や力があろうと、人間である以上精霊には勝てない。しかも、三人の精霊を負かしたと言ってくれるある。
間違いない。やったのは、あの人間だ。
「あの男の力を過小評価していたようだ。ゼユテルを殺せずとも、あの人間にはそれなりの力がある」
「……では、あの人間を認めるのですか?」
「いや、そのつもりはない。……少なくとも、今のところはな」
「私が行きます。あの人間には命をかける価値などありません」
「ヴァイス、なにを焦っているんだ?」
図星だったのか、ヴァイスの表情が明らかに歪んだ。すでに遅いのだが、ヴァイスはそれを悟られないように視線を逸らし、
「私は、焦ってなど……」
「一つ、訊こう。あの時、あの人間がここに来た時だ。奴がお前の命を本気で奪うつもりだったのなら……お前は勝てていたか?」
ヴァイスは、そこで言葉を失った。
あんな姿を見るのは初めてだった。そもそも人間がここに来たという時点で異常なのだが、今はそんな事よりもヴァイスの態度だ。
誰に言われずとも、自分が一番分かっているのだろう。
「正直に言え。お前を責めたりはしない」
「あの時、あの男は私を無視して王の元へと行った。仮にそうではなく、私を殺すつもりで剣を抜いていたら……私は、死んでいた」
「お前の悪い癖だ。なぜ私を気にした?」
「私の役目だからです」
「そんな事を頼んだ覚えはない。何度も言っている筈だ、私を気にするなと。だからお前はあの人間に負けたんだ」
唇を噛み締め、ヴァイスはうつ向いたまま吐息をもらす。王の表情は一切変わらず、まっすぐにヴァイスを見つめていた。
王は足を組み換え、
「まぁ良い、もうすぐあの人間はここへ来る」
「見えて、いるのですか」
「あぁ、それも私の力だからな」
ヴァイスが顔を上げると、王はつまらなさそうに呟いた。
もうすぐ、あの人間がここへ来る。
その言葉を聞いた瞬間、なぜか激しく胸が高鳴った。アルトは自分の胸に触れ、なんとか落ち着かせようとしていると、
「あの人間は力を証明して見せた。前に来たあの男と似た力をだ。さて、ヴァイス、お前はどうする?」
「…………」
「こればかりは私一人で決めれるものではない。ゼユテルと戦うのなら、全ての精霊を巻き込む事になる。当然、お前もだ。興味ないと言っている精霊は捨て置けば良い、あとで文句を言われても無視すれば良いだけの話だからな。だが、お前は違うんだろう?」
「……私が、確かめます」
消え入りそうな声で呟き、ヴァイスは立ち上がった。
「私があの男の力を確かめます。もし、私が万が一敗北した時は……あの人間に試練を受ける許可を」
「分かった。……一つ、忠告しておこう、あまりあの人間を舐めない事だ。私の事は気にせず、お前はお前自身のために戦え」
ヴァイスは首を横に振った。
どうあっても譲れないと、確固たる意思を宿した瞳で、
「私は貴女の剣であり盾だ。私が戦う理由は、貴女を守る以外には考えられません」
「……そうか、お前がそれで良いのなら私はなにも言わない」
王は諦めたように小さく息を吐き、頬杖をつきながら瞳を閉じた。
会話の内容はいまいち理解出来ないが、あの人間はなぜか精霊と敵対しているらしい。そしてもうすぐここへ来る。
会いたいと、会わなければならないと思った。
理由は分からないが、あの人間に会えばなにかが分かるーーそんな気がしていた。
アルトは呼吸を落ち着かせ、その場から去ろうとーー、
「ーー!?」
その瞬間だった。
塔が激しく揺れたのは。
アルトはバランスを崩し、物陰から飛び出してしまった。
アルトを目にした瞬間、ヴァイスは驚いたように目を見開いたが、直ぐに王の側へとよる。しかし、王はまったく動じる様子もなく、ゆっくりと目を開けて呟いた。
「来たか」
その呟きが合図になったかのように、今度は外から悲鳴のようなものが聞こえて来た。恐怖や驚き、様々な感情が入り雑じった声が塔内にまで響き渡る。
そんな異常事態の中、一人冷静な様子の王が、アルトに向けて言った。
「気になるのか?」
「……貴様、なにを知っている。私になにをした」
「なにをした、か。そうだな、お前の記憶を改竄した」
「やはりか……。なんの記憶を奪った、言え!」
「知りたいのなら自分の目で確かめて来い。お前が失ったものを、お前が求めるものを」
苛立ちを噛み殺し、アルトは王に背を向けて走り出した。
走った。その先になにが待ち受けているのかは分からない。
それでも、自分は行かなくてはならない。
あの人間に、会わなくてはならない。
走って、走って、走って。
見なれた通路をひたすら走った。
息を切らし、アルトは塔の最上部にあるテラスに出た。
そのまま肩で息をしながら歩き、柵から身を乗り出して下を見る。人混みが波のように揺れ、全員が同じ方向を見ていた。
息を整えながら、アルトも同じ方向へと目を向ける。
「空……?」
激しい風と共に影が落ちた。
アルトの小さな体は風に飛ばされ、転がりながら壁へと叩き付けられる。背中を打ち付け、激しい痛みに襲われながらも必死に体を起こす。
そこで、目にした。
巨大な翼を羽ばたかせる、氷のドラゴンを。
「なに……」
だが、アルトの視線はドラゴンではなく、他のものに奪われていた。
ドラゴンに比べればちっぽけで、目を凝らしてやっと見えるような小さな存在を。
ドラゴンの頭部に立ち、青年は拳を突き上げて叫んだ。
「突撃ーーッ!!!」
次の瞬間、氷のドラゴンが塔に突っ込んだ。