八章十四話 『協力者』
空を飛ぶ。
それは人間であれば誰しもが、一度は体験してみたいと思う事だろう。
この勇者、ルークも子供の頃は空を飛びたいと思っていた。
しかしながら、彼には魔法の才能がこれっぽっちもなく、仮にあったとしても長時間空を飛ぶというのは困難な事だ。出来るとすれば、メレスやハーデルトあたりだろうか。
まぁ当然、ルークはルークなので、そんなのは無理なのである。
だが、今日、ルークは初めて大空を飛んでいる。
今までみたいに落ちている訳ではなく、正真正銘空を飛んでいるのだ。
人類が夢見る場所ーーそこに勇者は立っている。
……のだが、
「うぶ……」
「だ、大丈夫?」
「全然大丈夫じゃねぇよ、乗り物酔いーーいやドラゴン酔いだ」
ドラゴンーーまたの名をトシ蔵の黒い鱗に必死にしがみつきながら、ルークの顔は真っ白になっていた。トシ蔵の背中はひんやりとしており、ゴツゴツしているのだが、今はそれが唯一の救いである。
「乗り物酔いが激しい事は知っていたが、まさかドラゴンにまで酔うとはな。貴様はもう少し三半規管を鍛えろ」
「う、うるせ、苦手なもんは苦手なんだよ。つか、精霊って酔ったりしねぇの?」
ルークの横に座り、呆れた顔のソラがマーシャルに視線を送る。ソラ自身はまったく酔わないタイプなのだが、他の精霊となると記憶のない彼女は分からないのだ。
マーシャルは心配そうにルークの背中をさすり、
「うーん、多分酔う精霊もいるんじゃないかな? 私は全然平気だけど。それに、トシ蔵は乗り物じゃなくて友達だよ? 友達におんぶされて酔ったりしないでしょ」
「知らん。俺おんぶされた事ねぇし」
思えば、ルークはおんぶされた事がない気がする。白い頭の精霊をしょっちゅうおぶっている気がするが、自分が誰かの背中に乗る事はまずない。小さい頃に両親におんぶしてもらった記憶もないし、村長も歳なので当然ない。
親の背中に乗る、という当たり前の思い出がなく、なおかつ村からまったく出なかったからこうなったのかもしれないーーなんて事を考えつつ、
「三日もこれとかキツイんですけど。トシ蔵の背中にゲロ吐く」
「止めてよね、トシ蔵、こう見えても綺麗好きなんだから」
「黒だから汚れとかあんまり目立たねぇだろ。ゲロの一つや二つくらいへーきへーき」
「ゲロって黒くないでしょーが。目立たなくてもダメなものはダメ、友達にゲロかけられたら嫌でしょ?」
「俺がかけられんの嫌だけど他の奴なら全然問題ねぇ」
「ルーク君てあれだよね、酷い人間だよね」
「良い事教えてやるよ精霊、人間って大体こんな感じだぞ」
なにも知らない精霊に嘘を吹き込んだところで、トシ蔵が大きく揺れた。慌ててルークは鱗にしがみつき、ルークの腰にソラがしがみつく。
長い首を捻ってトシ蔵がこちらを向き、
「あの、ゲロかけるのは本当に勘弁してくださいね。汚れはとれても臭いが残るかもしれないんで」
「…………」
当たり前のように喋りかけて来るトシ蔵。
喋るドラゴンに会った事はあるのだが、その時はあくまでも人間の姿で言葉を発していた。
それに加え、トシ蔵の声はどちらかといえば高い部類で、しかも敬語なので違和感しかない。一応名前がトシ蔵だからオスだとは思うのだが……。
「なぁ、ここのドラゴンって皆喋るの?」
「そんな事ないよ? トシ蔵は特別」
「コイツもソラが作った精霊なの?」
「違う違う、野生のドラゴンだったのを、私がいっぱい喋りかけて友達になったの。その時じゃないかな、言葉を覚えたのは」
「野生のドラゴンもすげぇけど、ドラゴンに言葉教えるお前もすげぇわ」
ドラゴンが野生で存在する世界、あの森で遭遇しなくて本当に良かったとルークは思った。
マーシャルは褒められて照れくさそうに頬をかきながら、
「人間の世界には野生のドラゴンがいないんだね」
「たりめーだろ、んなのいたら怖くて外出歩けねぇっての」
「マーシャルは人間の世界を見た事があるのか?」
「三回くらいだけですよ。私達下位の精霊は、下の世界を見るのに許可が必要ですから」
「精霊ってめんどくさ」
違う世界を見る、というのがどんな感覚かは分からないが、それすらも許可がいるらしい。
面倒くさそうに呟き、ルークは喉まで出掛けたゲロを無理矢理飲み込むと、
「そういや三日つってたよな? それまでなんも食えねぇの?」
「人間と違って精霊は町みたいのを一つしか作ってないからね、どこかによって食料調達とかは無理だね。最悪、そこら辺に生えてる草とか食べれば?」
「腹壊したりしないよね?」
「食べた事ないから分かんない。けど、大丈夫じゃない?」
「最終手段は雑草か……。乗り物酔いに加えて腹を壊す、とか洒落になんねぇ」
乗り物酔いと腹痛のダブルコンボは、本気で命に関わるので出来れば避けたい。しかし、食べなければどのみち死んでしまうので、ルークはとりあえず頭の隅に置く事にした。
「ねぇ、聞いても良い?」
「質問する時は許可とんな。んで、なに?」
「ルーク君達は王に会ってなにするの? 人間が会いに来るなんて、前に一度しかなかったから」
「たまに迷いこんだりするんじゃねぇの?」
「そういう人間はすぐに地上に帰されちゃうから。ルーク君達みたいに、王に会いたいっていう目的をもった人間は珍しいんだよ」
風で乱れる髪を整えながら、黒光りする鱗を撫でるマーシャル。その度にトシ蔵の嬉しそうな猫なで声が聞こえ、この生物の正体が分からなくなっていた。
ルークは少し考え、
「多分、その前に来た奴と大体一緒だ」
「その人は力が欲しいって言ってた。良く分からないけど、誰かを助けるために」
「俺は誰も助けねぇけど、力が必要ってところは同じだよ。お前、今人間の世界がどうなってんのか知ってんの?」
「かなり大雑把な状況だけは。ゼユテル様が罪を犯して、地上に落とされた。それで地上がおかしくなって、アルト様が地上に送られたの。私が知ってるのはそのくらいかな」
大体はナタレムの言っていた事と同じだ。しかし、やはり地上の様子を許可なしでは見れないという事もあり、人間の世界がどれだけ過酷な状況かは知らないのだろう。
「そのゼユテルって奴が人間を殺しまくってる」
「え、え!? なんでそんな事を!?」
「知らねーよ、訊きてぇのはこっちだっての。そのゼユテルって誰なんだよ」
「ゼユテル様は、アルト様と同じ始めに作られた精霊の一人だよ」
「……んな事だとは思ってよ」
顔をしかめ、驚きを露にするマーシャルとは対象的に、ルークは冷静な様子で呟く。
魔王については分からないが、他の魔元帥には核となる宝石があった。であれば、その考えにたどり着くのは当然の事だ。
「その罪ってのはなんだ? ゼユテルがなんかやったんだろ?」
「そこまでは分からない。私も一度しか話した事ないし……けど、その時は凄く優しかった。きさくな態度で、笑ってくれた」
「優しい、ねぇ」
以前に一度だけ魔王とは対面した事がある。
しかし、そこに優しさなんて感情は微塵もなかった。ついでというだけで人の命を奪い、罪悪感の欠片すらもたずにその場を去って行った。あの男が、笑っていたなんて到底信じられない。
不機嫌そうに眉を寄せているの、代わりにソラが口を開いた。
「罪を犯したのはゼユテルだけなのか? 他に……そうだな、八人くらいいたりはしなかったか?」
「ゼユテル様一人だけですよ。さっきも言いましたけど、罪の内容は知りません。けど、犯したのはゼユテル様一人で間違いありません」
「……そうか。いや、だとしたら妙だ」
顎に手を当て、悩むようにうつ向くソラ。
その視線がルークへと移動し、
「おかしいとは思わないか?」
「魔元帥にも宝石はあった。始めに作られた精霊だけに宝石があるってんなら、アイツらは始めに作られた精霊の一人って事になる。だろ?」
「あぁ。マーシャル、他に地上に勝手に下りた精霊を知らないか? ナタレムを除いてだ」
「うーん……分からないです。ゼユテル様とナタレム様は知ってますけど。でも、基本的には誰かが地上に下りたら皆に知らせが届くようになってます。だから、誰にも知られずに下りるって事は不可能だと思います。特に、アルト様と同じ上位の精霊は。王がずっと見てますから」
「では、ケルトという精霊は知っているか?」
「ケルト? すみません、心当たりありません」
ルークとソラは顔をあわせ、大きなため息をついた。
ケルトは知らないうちに地上に落ちていたと言っていたが、それと同じ方法で他の精霊がやって来た可能性がある。しかし、宝石のある上位の精霊が下りれば直ぐに知れ渡るのであれば、根本的な考えが覆る事になる。
マーシャルがケルトを知らない以上、宝石のない精霊なら露見する事はないのかもしれない。だが、魔元帥には確かに宝石があった。となると、やはり隠れて精霊の国から人間の世界に行くのは難しいのだろう。
マーシャルの言う通り、上位の精霊ならなおさら。
「でもなんでだ、魔元帥には宝石があった。つー事は、始めに作られた精霊の一人って事だろ?」
「なんとも言えんな。奴ら上位の精霊である可能性はあるが、地上に下りれないんじゃ話にならない」
「おいくせっ毛、ウルスって精霊知ってるか?」
「くせっ毛って私の事? 酷いなぁ、ちゃんと名前で呼んでよ」
「良いから、知ってんのか知らねぇのか答えろ」
「知らない。下位の精霊ならともかく、上位の精霊にそんな名前の精霊はいない」
くせっ毛を気にしているのか、頬を膨らませてトシ蔵の背中を叩くマーシャル。
だが、今の情報は大きい。ウルスという名の上位の精霊がいないのなら、魔元帥が秘密利にやって来たのではないという事になる。しかしその反面、さらに謎が深まった。
「んじゃアイツらなんなんだよ。隠れて来た精霊でもねぇのに宝石があんだろ? 訳分かんねぇな」
「分からない事を考えても仕方がない。マーシャル、もう一つ質問だ。さっき言っていた罪について」
「それも分からないんです。いつもなら皆の前でどんな罪を犯したのか王が自ら喋るのに、あの時だけはそれがなかったんです。とりあえず悪い事をしたから、地上に追放するって」
「……その罪が、奴が地上で人を殺している事と関係ありそうだな」
「人を、殺してる……?」
目を大きく見開き、マーシャルの撫でていた手が止まった。そこで、しまったと慌てて口を塞いだソラだったが、時すでに遅く、
「それって、どういう事ですか?」
「あ、いや……」
「この際だ、お前ら精霊に教えてやるよ」
口ごもるソラを押し退け、今にも吐きそうな顔色のルークが座りこんだ。気遣う必要なんてない、人間の世界がああなった理由が精霊にあるのなら、精霊にはそれを知る義務がある。
だから、全てを話した。
今地上でなにがおきているのか。
何人の人間が死んだのか。
ルークが感情的にならずに済んだのは、トシ蔵酔いの影響が大きかった。
全てを聞き、マーシャルは静かに口を開く。
「……地上が、そんな事に」
「お前ら精霊がなんかやったからだ。お前らのせいで何人もの人間が死んだ。別に俺と関係ねぇ人間が何人死のうと知ったこっちゃねぇ、けどな……」
そこで、脳裏にとある青年の顔が過った。
生まれて初めて出来た友人の顔が。
それを頭を振って誤魔化し、自分を落ち着けるために太ももに爪を立てた。
「お前、本当になにも知らなかったのか? さっき言ってたよな、ソラはあれを倒すために地上に下りたって。答えろよ、そのあれってなんだ」
「それは……」
「ゼユテルって奴の事なんじゃねぇのか?」
「ルーク、まて」
結局冷静になる事は出来ず、今にも飛びかからんとするルークだったが、それを察したソラが静止するように手を伸ばした。
無意識に握り締めていた拳をほどき、ルークは舌を鳴らす。
「マーシャル、知っている事を全て話してくれ。別に貴様をどうにかしようとは思っていない、私達にはやらなくてはならない事があるんだ」
「……本当に、知らなかったんです。確かに、ソラ様がゼユテル様を殺すために地上に下りた事は知っていました。けど、王は理由を話してくれませんでしたし、まさか地上がそんな事になっているなんて……」
「おかしいとは思わなかったのか? 罰として地上に下ろしたーーしかしなぜそのあとで殺す事にしたのか」
「思いました。でも、誰もなにも言わなかったから、私達はそれが正しいって……」
「……貴様が悪い訳ではないが、少し腹が立っている。おかしいと思ったのならなぜ行動しない」
なにも、怒りにのまれかけているのはルークだけではない。ソラは二人の友人を目の前で殺されている。本当なら一番に怒鳴りたかった筈だ。しかし、それでも必死に押さえようとしている。
自分もその精霊だから。友人を殺す状況を作ったのは、他でもない精霊なのだから。
マーシャルは小さな声で、肩を震わせながら、
「それが、ルールだから……。決まった事にはなにも言えない……ここは、そういうところなんです」
「そのルールのせいで、関係ない人間が死んでいるとしてもか?」
「はい。私達精霊は、そういう生き物なんです。ルールを破れば罰がくだる……それが、怖くて……」
今にも泣き出しそうなマーシャル。瞳には涙がたまり、うつ向くその声は震えている。その様子を見て、ソラは大きなため息をついて口を閉ざした。
だが、そんなのは関係ない。
泣きそうだからとか、女の子だからとかーーこの勇者には関係ないのだ。
「ふざけんじゃねぇぞ。怖いからって俺ら人間に面倒事を押し付けやがって」
立ち上がり、身体中に叩きつけられる突風に逆らい、ルークはマーシャルの前に立った。それから硬く握った拳を振り上げ、全力の拳骨を脳天に叩き込んだ。
あまりの衝撃のマーシャルの顔が揺れ、たまっていた涙が風に流される。
ルークはしゃがみ、顔の高さを合わせると、
「お前は泣いて悔やむ事が出来る。けどな、死んだ奴はそれすら出来ねぇんだぞ。怖いから? ルールだから? 全部お前らのせいだろ。お前らのくだらねぇルールのせいで、俺はこんなところまで来る事になったんだ」
「ごめん、なさい……」
「わりぃが、俺はお前ら精霊を許すつもりはねぇ。お前らのせいで人間が死んだ、その罪悪感を一生かかえてクソなげぇ人生を生きていけ」
いつもなら止めそうなソラだが、今回に限ってはそれをただ見つめていた。ルークの言った言葉はマーシャルだけに向けられたものではなく、全ての精霊ーー勿論ソラもそこには含まれている。
自分が勇者として戦うきっかけを作ったのが精霊ならば、ルークはそれを絶対に許したりはしない。
たとえ、なにが起ころうとも。
「いつまで泣いてんだよ」
「だって、だって私達のせいで……」
「泣いてる暇あんなら前を見ろ。次にお前がやらなくちゃいけねぇ事を考えろ」
「次に、やらなくちゃいけない事……?」
涙を流しながらマーシャルは顔を上げた。
至近距離で目線が交わり、しかしルークは目を逸らさない。この男には女の涙なんて武器は通用しない。いやむしろ、泣いてる人を見ると苛々する人間なのだ。
不安げに瞳を揺らすマーシャルの頬をつまみ、
「力貸せ」
「力?」
「俺達は精霊の協力を得るためにここに来た。人間だけじゃどうやってもアイツらには敵わねぇ、だからここに来たんだよ」
「そっか……だから王に」
「お前はその手助けをしろ。お前ら精霊が住む場所に入る手助け、王に会う手助け、王と交渉する手助け。これでもかなり安い方だろ」
最終的な目的は精霊の協力を得る事だが、恐らく今のルーク達が乗り込んだとしてもそれは叶わない。あの炎の精霊にしろ、他の精霊にしろ、話すら出来ずに追い返されるのがオチだ。
だから、協力者がいる。
人間ではない、精霊の協力者が。
「言っとくが、断る権利なんてねぇぞ。お前が断んならここから突き落とす。そんでトシ蔵が俺達に向かって来るってんならーーそん時はこのドラゴンもぶっ飛ばす」
「ト、トシ蔵凄く強いよ」
「んなの知るか。俺はーー量産型勇者だ」
ルークの言葉を聞い、強ばっていたソラの表情が和らいだ。
涙を拭い、マーシャルは問い掛ける。
「勇者って、なに……?」
「あ? 勇者ってのは、そうだな……」
頬をつまんでいた手を離し、ルークは寄せていた眉を離す。それからえみを浮かべて、
「自分の信じた道だけを進む、クソ野郎の事だよ」
「自分の信じた道……そんなの、考えた事なかった。精霊が信じるのはルールだけで……」
「んな人生つまんねぇだろ。人間の何倍も生きてんだろ? だったら一度くらいルール破ってみろ。案外良い気分になる」
「騙されるなよ。本来ルールとは守るためにあるものだ。だが……時には破る事が正解な事もある」
精霊にとってルールは絶対で、たとえ自分が違うと思っても従わなくてはならない。
しかし、それがなんだというのだ。
この男はそんなクソみたいな決まりには従わない。たとえ他の人間が間違いだと言っても、自分が正解と思うのなら突き進む。
それが、ルーク・ガイトスなのだ。
……だが、やはりルールは守るべきである。
「んて、どーすんだ。ここからダイブしてみるか?」
「それも良いけど……うん、協力するよ。私もたまには、悪い事してみたいから」
少し考えたが、マーシャルは笑顔で頷いた。
ルークは笑みを浮かべるマーシャルの頭を軽く撫で、今度はトシ蔵へと目を向ける。
「うっし、そんじゃ決まりだな。お前はどうする、トシ蔵」
今まで黙って話を聞いていたトシ蔵。
脅しにも近い言葉を友達に向けられていたというのに、トシ蔵はなにも言わずに進んでいた。
巨大な翼を羽ばたかせーー、
「マーシャルが協力するならします。だってーー私達友達ですから」
沈黙。
それから、
「お前メスなんかい!!!」
空を飛びながらも突っ込みも、案外悪くなかった。