二章十話 『敵の敵は味方』
薄暗い一室。ろくな照明もなく、天井付近に設置された小窓からの光が不気味に差し込み、宙に舞うホコリがゆらゆらと揺れている。
その部屋の中に乱暴に投げ込まれ、背中に走った衝撃によってティアニーズは目を覚ました。
「……ここ、は」
手は後ろに回されて手錠で固定されており、足はロープで動けないようになっている。何とか体を起こして背後の壁にもたれかかり、部屋の中をぐるりと見渡す。
(確か……男に襲われて……)
何とか記憶を探ろうとするが、殴られたらしく後頭部に鈍痛が走る。数人の男に囲まれ、一際目立つ男に対して恐怖を抱いた直後からの記憶がスッポリと抜け落ちてしまっていた。
恐らくその後に運ばれて来たのだろう。
敵のアジトと思われる場所に閉じ込められ、奴隷として売りさばかれる。
記憶が断片的でも、それだけはティアニーズにも理解出来た。
「早く、早くここから出ないと……」
剣も籠手も奪われ、武器になりそうな物は一つもないし、素手で手錠を破壊出来るほどの腕力もない。それでも、ここでジッとしている事は出来なかった。
何とか手錠を外そうとしていると、不意に開かれた扉から一人の男が姿を現す。
忘れもしない赤い瞳に、ティアニーズは再び恐怖を煽られて全身を強ばらせる。
「よォ、地下の牢屋は満員だからここで我慢してくれな。心配しなくても明日にはご主人様の元に行けるからよ」
男はニヤリと口角を上げ、持ってきた椅子に腰をかける。それから吟味するようにティアニーズの体を眺め、
「中々良い体じゃねぇか、ほどよく筋肉がついてる。ガキにしちゃ上出来だ」
「……ガキではありません。貴方、いったい何者ですか、剣を集めて何をするつもりなんですか」
「んな事言う訳ねぇだろ。俺は何事も慎重に事を進めるタイプなんだ」
「町中で人を襲う事のどこが慎重なんですか」
「確かにその通りだ。でもなァ、んな事問題じゃねぇよ。バレたらバレたでこの町の人間全員殺せばそれで済む話だ」
恐怖を悟られまいと、震える手を握りながらティアニーズは強気な態度をとって見せる。
しかし、その恐怖を見抜き楽しむように男は微笑む。瞳の奥に人間にはない何か感じさせながら。
「希望とかはあるか? 金持ちが良いとかイケメンが良いとか。一応注文は聞くだけ聞くぜ」
「ふざけないで下さい。私は奴隷になるつもりなんてありません。貴方のような人間の命を物のように扱う外道の指示に従うつもりも」
「状況が分かっててその口きいてんのか? 肝が座ってると言いてぇが……無駄に強がっても死ぬだけだぞ?」
「強がりではありません。貴方を倒して剣狩り事件を終わらせます。これ以上市民を苦しませる事は許さない」
ティアニーズの言葉を聞いて男は一瞬口を閉めた。少しの沈黙が流れ、蓋が外れたように声を上げて笑う。
しかし、それは空気が緩んだ訳ではなく、より一層ティアニーズの感じる恐怖は強まった。
「流石は騎士様だ、言う事が違うねェ。でもよ、この状況で何が出来る? 手足縛られて武器もない、仮にあったとしても俺には勝てない」
「勝てなくても挑む価値はある。ほんの僅かでも可能性があるのなら」
「それは勇気じゃなくて無謀って言うやつだな。現実を受け入れるのが怖いから誤魔化すため自分に言い聞かせてる」
「それが何か?」
「いや、悪くねぇよ。前の戦争でも人間のそのしぶとさに俺達は押された。けどな、そういう奴を見てるとあのクソ野郎を思い出して虫酸が走るんだよ」
声のトーンが低くなり、男の纏う雰囲気が変わった。怒りが威圧となってティアニーズに降り注ぎ、目を合わせる事すら本能が拒否する。
恐怖に抗うように、ティアニーズは頭に引っ掛かった疑問を口にした。
「……前の、前の戦争を知っているんですか?」
「知ってるもなにも、俺は参加してたからな。人間を殺しまくって」
「人型の魔獣……?」
「そんなちんけな奴らと一緒にすんな。俺は魔元帥、一応魔王の側近ってやつだ」
ここで、ティアニーズは己を蝕む恐怖の正体をハッキリと理解した。
そして、こうも思ってしまった。
勝てなくても仕方ない、挑む事すら並大抵の勇気では無理だと。
しかし、彼女は逃げる事はしない。
父が向かいあっていた存在に背を向ける事は、彼女の生きてきた道を踏み外す行為に他ならない。
「ほう、今のを聞いて叫び一つあげねぇのか。この屋敷に居る奴らはアホみたいに恐怖に溺れて俺に従う事を選んだぜ」
「怖いです……でも、貴方が私の目の前に現れた事にほんの少しだけ感謝してます」
「……感謝?」
予想外の言葉だったのか、男は目を細めて首を傾げる。子供のような仕草の中に潜む恐怖を前にして、ティアニーズは怯む事なくその目を見つめた。
手の震えが止まり、男を見据え、
「ここで貴方を倒せば平和な世界に近付きますから」
「そうか、そりゃ確かに感謝するべきだな」
男はティアニーズの言葉を一旦受け入れる。
立ち上がり、握り締めた拳を壁に叩きつけ、
「自分がどれだけ無謀な事に挑もうとしてんのか気付けるんだ、そりゃ感謝しねぇとな」
意図も簡単に石で出来た壁が砕かれ、パラパラと破片が床へと落ちる。
あの拳で殴られた事を思い出し、僅かに体を震わせるティアニーズ。脳みそがおかしくなっていないかという不安にかられながら、
「貴方は不幸です、この町には勇者が来てるんですから。貴方も、貴方の組織も企みも、その勇者が必ず砕きます」
「はァ? あのクソ野郎はもう死んだ筈だ。忌々しい名前を出しやがって、殺すぞ?」
勇者という単語を聞いた途端、男の顔色が豹変した。頬の傷を指でなぞると、倒れているティアニーズの首を掴んで背後の壁へと叩き付ける。
呼吸さえままならない状況に置かれながら、ティアニーズはその態度を変える事はせず、
「もしかして、その傷は始まりの勇者につけられたものですか? だったら、今の貴方は心底怯えてるんですね」
「口を閉じろクソガキ。今この場でミンチにしてやっても良いんだぞ」
「勇者に怯えるような貴方に出来ますか? 勇者をこの町に連れて来たのは私です、彼は貴方を必ず倒しますよ」
「そりゃ残念だ。勇者が来る前にお前は死んでるだろうからな……!」
首を掴む手に力が込められる。人間を越えた腕力で、ティアニーズのか細い首は簡単に折られてしまうだろう。
しかし、その寸前で勢いよく扉が開かれ、
「デストさん! 侵入者です!」
「アァ? んなのテメェらでどうにかしろ。俺は今機嫌がわりぃんだ」
「で、ですが意外にすばしっこくて捕らえるのが難しく……全員で屋敷内を探し回っています! 我々の計画を知って乗り込んで来たのかと……」
「チッ……俺が出る」
舌を鳴らし、デストと呼ばれた男はティアニーズを乱暴に投げ捨てた。必死に酸素を取り込もうとしているティアニーズを見下ろし、
「テメェは俺が殺す。少し待ってろ」
そう言葉を残し、デストは男と共に部屋を出て行った。
安堵と共に部屋を包んでいた恐怖から解放され、ティアニーズは全身の毛穴から汗が吹き出すのを感じていた。
呼吸を整えつつ体を起こし、
「侵入者って……まさかルークさん?」
そこまで言って、ティアニーズはその考えを頭から弾き出した。
強がりで必ず倒すとは言ったものの、あの勇者は自分にメリットがない限り戦う事すらしないだろう。ティアニーズが捕らえられたと知っても、助けに来ない可能性の方が高い。
そうなると、確率の低い援軍に可能性をかけるより何とか抜け出す方が良いと判断し、器用に立ち上がって扉の前まで移動。
体当たりして開けようとした時、突然扉が開かれた。
「よ、良かったぁ! ここに居たんですね!」
「え、貴方は……!」
いきなり現れた見覚えのある少年に、ティアニーズはバランスを崩してその場に倒れてしまう。
昨日盗賊と一緒に居た少年はティアニーズに駆け寄ると、取り出したナイフで足のロープを切った。
「オイ、アキン! あの女は居たか……って、やっと見つけたのかよ」
「貴方はあの時の気持ち悪い盗賊!」
「誰が気持ち悪い盗賊だよオイ! 俺はアンドラだ!」
「お頭! 良いからこの手錠外して下さい!」
「わ、分かってるぜオイ!」
再び見知った顔の登場に驚く暇もなく、盗賊はティアニーズの手錠をあっという間に解錠。
解放された手足を確かめ、改めてアキンへと質問を投げ掛ける。
「何故貴方達がここに居るんですか? もしかして……魔元帥の仲間……!」
「ちげーよオイ! たまたま盗みに入っただけだ! そんでアキンがテメェを助けようって言い出したんだよ!」
「アキンさん、ですか? 貴方が私を助ける理由がありません」
「そ、そんなの僕も分かりません……けど、助けなくちゃって思ったんです!」
力強く両の拳を握り締めて潔白を叫ぶアキン。
疑問や疑いは残るが、この状況を脱するためには一人では無理だと判断し、
「分かりました、今はそれで納得しましょう。けど、これで罪がなくなるなんて事はありませんからね」
「どうでも良いから早く逃げるぞオイ! 次から次へと数が増えてやがる!」
「れ、冷静さですよお頭!」
ドタドタと響く足音に怯えながら、アンドラは顔を出して部屋の外を確認。
敵の敵は味方という言葉に従い、三人は一旦手を組む事を決めて部屋から飛び出した。