八章十三話 『嫌われ者の精霊』
「んで、お前誰だよ」
「女の子の裸を覗いたんだから、まずは謝るのが先じゃないのかな?」
「草原のど真ん中に小屋建てたお前が悪い。こんな怪しさ満点の建物があったら誰だって突入すんだろ」
「確かに怪しいのは認めるけど、普通はいきなり扉を蹴破ったりしないと思うよ」
「俺の中の普通ではやる」
「ならルーク君がおかしいんだよ。あーあ、せっかく作った私の秘密基地が……」
粉々に砕け散った扉の残骸を拾い上げ、女の子は残念そうに肩を落とす。すでに服を着ており、どことなく気まずそうにルークから視線を逸らしていた。
一方、見事覗き魔となった勇者は、反省の意を示すために正座中である。
その後ろ、ルークの肩に手を乗せながらソラが顔を覗かせる。
「すまないな、この男には他人を気遣うという当たり前の行動がすっぽりと抜け落ちているんだ。言っておくが、まったく反省していないぞ」
「たりめーだろ、なにを反省するってんだよ」
「女の裸を覗いた事だ」
「裸でいたコイツがわりぃ」
「この通りだ」
両手を広げ、救いようのないアホ勇者に対してため息をこぼすソラ。そのやり取りを見ていた女の子も同様にため息をつき、正座の意味がないと理解したのか、手を振って正座を辞めるように合図した。
ルークは即座に足を崩し、
「ここってどこ?」
「凄くいきなりだね」
「前置きなんていらねーだろ。質問に答えろ。ここは精霊の国で良いんだよな?」
「うん。てゆーか、精霊の国以外になにがあるの?」
不思議そうに首を傾げる女の子を他所に、ルークとソラは顔を合わせて頷いた。疑っていた訳ではないが、どうやらここは精霊の国で間違いないらしい。
女の子は箒で扉の残骸を集めながら、
「君達何者? あんまり、ううん、全然見た事ない顔だし、もしかして新しく作られた精霊?」
「あ? そもそも俺は精霊じゃーー」
精霊じゃない、と口にしようとした瞬間、伸びて来たソラの掌がルークの言葉を遮った。ソラは女の子に聞こえないように声のトーンを低くし、
「まて、ここで貴様が精霊ではないと明かすのはまずい。まだ敵かどうか判別出来ていないんだぞ?」
「……忘れてたわ」
ソラに言われ、ルークは改めて喉を鳴らし、
「そうそう、新しく作られた精霊」
「ふーん、親は誰なの?」
「親?」
「うん。君を作った精霊の事だよ」
その質問は予想外である。
言葉につまり、ルークはソラへと視線を送るが、当然記憶を失っているソラは精霊の名前など知っている訳がない。唯一浮かんだナタレムの名を口にしようと考えたが、家出中の精霊が作り出した存在がここにいるのもおかしな話だ。
目を細めて訝しむ視線を向けられ、万事休すかと思われたその時、意外や意外、助け船を出したのは他でもない女の子だった。
「え……? 嘘、そんな、だって……」
女の子のソラの顔をまじまじと見つめ、次第に細めていた目が開かれていく。その様子を二人はなんのこっちゃ分からずに眺めていると、
「アルト、様?」
女の子の口から出た名前ーーそれはソラの本当の名前だった。一瞬、誰の事か分からずにとぼけた顔をしたソラだが、それが自分の本当の名前だと気付いたらしく、ルークの背後から姿を現し、
「貴様、私の事を知っているのか?」
「し、知ってるもなにも、この世界で知らない精霊はいませんよ。初めに作られた精霊、しかもその中でも特別な存在で……」
「……私が特別?」
「私の事、覚えていないんですか?」
首を傾げるソラに対し、女の子の瞳は揺れていた。そこに込められているのは単純な驚きだけではなく、僅かな恐怖が含まれている事はソラも感じているだろう。
ソラは返答に困りながらも、
「すまない、少し頭を強く打って記憶が混乱しているんだ。貴様は、いったい誰だ?」
「私の名前はマーシャル。ーー貴女が作った精霊です」
「ーー私が、作った……?」
その言葉を聞き、無表情だったソラの顔が明らかに歪んだ。ルークは以前にソラが作り出した精霊と会った事があるが、ソラは自分の作った精霊に会うのは初めての事だ。
動揺するソラを他所に、マーシャルは一人言のように言葉を続ける。
「アルト様は今地上にいる筈で……あれを倒すために戦っているって……。で、でも、なんか前と雰囲気が……」
ソラとマーシャルは目の前で起きている出来事を整理出来ていないのか、互いの顔を見つめながら信じられないといった様子だ。
そこへ、満を持して人間の青年が口を挟む。
「ソラ、めんどくせーから全部話すぞ。コイツが敵なんだとしたら、そん時は気絶させりゃ良いだけの話だろ」
「あ、あぁ……」
「マーシャルっつったか? 俺は人間だ。色々事情があってこの精霊の国に来た。んで、ソラーーいやアルトか、コイツは今記憶を失ってる」
「記憶を? それに人間? ま、まって、いきなり過ぎて頭が追い付かないっ」
「なら追い付かせろ。こっちには全部丁寧に説明してる時間なんてねぇんだ」
マーシャルの様子を見るに、精霊の国に人間が来る事は珍しい事のようだ。それに加えてソラの記憶喪失、いきなり扉をぶち破って現れた男からそんな話を聞かされれば、訳が分からなくなるのは当然だ。
ルークはなんとか会話を続けようと試みるが、マーシャルは話を聞いてすらいない。結局彼女が落ち着くまで待つ事になってしまい、貴重な時間を消費してしまうのだった。
それから数分後、深呼吸を何度も繰り返し、マーシャルは改めて口を開いた。
「ルーク君は人間で、アルト様は記憶を失ってる。ここに来た理由は分からないけど、そういう事で良いんだよね?」
「おう。俺が人間だって信じるのか?」
「まだ半信半疑だけどね。本物を間近で見るのは初めてだし……けど、なんとなく分かるよ。精霊とは違う匂いがするし」
「匂い? ちゃんと風呂入ってから来たぞ」
「そういう事じゃなくて……まぁ良いや、そんな事よりも……本当に私の事、覚えていないんですか?」
マーシャルの視線が再びソラへと移る。
先ほどよりかは落ち着きを取り戻してはいるが、いつも通りとはいかないようだ。それでも振る舞いをいつものように戻し、
「あぁ、まったく覚えていない。どうやら魔王を封印する際に力を使い過ぎたらしくてな、記憶のほとんどを失ってしまった。本当にすまない」
「え、いや、良いんですっ。けど、それも本当みたいですね」
「また匂いか?」
「ううん、違うよ。前のアルト様とは全然雰囲気が違うし……そもそも、前のアルト様とはほとんど会話した事がなかったの。話しかけても無視されたし、謝るなんて絶対にしなかった」
「なんかあれだな、お前ってすげー嫌な奴だったんだな」
「貴様にだけは言われたくない」
ガジールやナタレムが言っていたが、記憶を失う前のソラはかなり冷たい精霊だったようだ。話しかけられても無視するし、自分が偉いと思っているし、謝らないし……今とあまり変わらない気もするが、多少は柔らかくなったのだろう。
ソラは話を切り替えるように咳払いし、
「その、なんだ、私の知らない私の話を聞くのはなんだか変な気分だな。私は、アルトはどんな精霊だったんだ?」
「本人の前では言い辛いですけど、ほとんどの精霊に嫌われてたと思います。冷酷っていうか、合理的で無駄を嫌うっていうか……少なくとも、私は貴女の事が苦手でした」
「うける、自分の子供に嫌われてやんの」
ここは明らかに空気を読むタイミングなのだが、当然この男は思った事をそのまま口にする。しかし、いつもなら飛んで来そうな拳は現れず、ソラはルークを無視して話を続けた。
「……前の私なら、きっと誰に嫌われようと気にしなかったのだろうな。しかし……こうやって面と向かって言われると、中々にこたえるな」
「す、すみませんっ」
「いや良いんだ。私が聞いた事に貴様は答えただけ、貴様が謝る必要はない」
慌てて頭を下げるマーシャルに、ソラは優しく微笑みかけた。その顔を見たマーシャルの目が点になり、
「なんか、凄く変な感じです。アルト様がそんな顔をするなんて……」
「そんな顔?」
「今、優しい顔で笑ってましたよ」
言われて気付いたのか、ソラは恥ずかしそうに手で顔を隠しながら顔を背けた。その時、横でウザさ全開で笑うルークと目があい、今度はお馴染みの拳骨が飛んで来た。
ルークは頭のてっぺんに大きな瘤を作りながら、
「昔話に花を咲かせんのも良いけどよ、ちょっと道案内頼みてぇんだけど」
「道案内?」
「お前ら精霊が暮らしてる場所だよ。そこに行って王に会いてぇんだ」
「多分、無理だと思いますよ? 私達精霊ですら会えないのに、人間が行っていきなり会いたいなんて」
「それでも会わなくちゃいけねぇんだ。それにこっちにはソラがいる」
「ソラ? あぁ、アルト様、今はそう呼ばれているんですね」
パタパタと手で赤くなった顔を涼ませるソラの頭を叩き、ルークとマーシャルは顔を合わせて微笑んだ。
「ルーク君はどうやってここに来たの?」
「ナタレムって奴の手を借りた。今は捕まっちまっていないけどな」
「ナタレム様も帰って来てるんだ……。なんか、私の知らない間に色々おこってる」
ナタレムは勝手に精霊の国を抜け出したと言っていたが、どうやらそれも知れ渡っているらしい。
マーシャルは少しだけ考え、持っていた箒を壁に立て掛けると、
「うん、私で良ければ案内するよ。会えるかどうかは分からないけど、行くだけならなんとかなるしね」
「え、マジで?」
「マジマジ。こうやってアルト様ときちんと話す機会なんて滅多になかったし。それに……ルーク君の事ももっと知りたい」
喜びを露にしてソラの頭を乱暴に撫でていると、突然マーシャルがそんな事を言った。意味ありげな発言をするその表情は、どことなく色気に包まれており、
「だって、アルト様がこんなに物腰柔らかくなったんだよ? 多分、それってルーク君がなにかしたんでしょ?」
「なんもしてねーよ。初めて会った時からこんな感じだったわ」
「それでも気になるの。皆驚くと思う、アルト様が照れるなんて。昔じゃ絶対に考えられなかったもん」
「わ、私は照れてなんかいないぞっ」
とかなんとか言いつつも、頬をほんのりと赤く染め、撫でられて嬉しそうにしているので、なんだか良く分からない顔になっている。きっと、こんな表情もマーシャルにとっては初めてのものなのだろう。
「それに、人間と話すなんて初めての事だもん。この機会に地上の事をいっぱい訊いておきたいの。あ、見て見てっ、これ私が作った武器なんだけどさ、本物と比べてどう?」
「いや、どうって言われても。怖いからこっちに切っ先向けないでね」
いきなりテンションが上がり、楽しそうに笑いながらマーシャルは壁に吊るされていた剣を手にとった。それをルークに見せているのだが、なぜかキラリと輝く切っ先を喉元に向けている。
ルークは顔を青ざめさせ、
「俺は武器に詳しくねぇから分かんねぇよ。つか、いっぱいあるけどこれ全部お前が作ったの?」
「うん。精霊の国って凄く暇なんだよね、やる事ないから。他の精霊は料理したりしてるけど、私はあんまり。それでね、私が暇潰しにはまったのが武器作り」
「暇潰しって。使ったりしねぇの?」
「使える訳ないじゃん。人間みたいにそこら辺の動物を狩りするなんて出来ないの。そんな事したら直ぐに罰を与えられちゃうから」
「なるへそ。あっぶね、普通に動物狩って食おうとしてたわ」
「そんな事したら絶対にダメだよ? 見た目は牛でも精霊なんだから。あ、でもルーク君は人間だから良いのかな?」
思った通り、ここには普通の動物が存在しないらしい。見た目は一緒でも精霊なので、殺せば勿論罰が下る。後先考えずに行動せずに良かったと、ルークは心底思った。
となると、問題は食料である。
「なんか食い物ねぇの?」
「ないよ、私ご飯食べないし。中心に行けば趣味で料理してる精霊はいるけど、人間の口にあうかどうかは分かんない」
「大丈夫だ、俺は大抵のものは食える」
アテナに謎の茸を大量に食べさせられたおかけで、命に関わらなければなんでも食べられる体質になってしまったようだ。しかしながら、思い出すと吐きそうなので記憶の隅に置いておこう。
「目的地、飯、とりあえず必要なもんは揃ったな。一時はどうなるかとも思ったけど、案外なんとかなるもんだな」
「あぁ、迷子になって精霊の国をさ迷うーーなんて最悪の事態だけは避けられた。ありがとう」
「は、はい。……なんか調子狂うな」
素直に礼を言われ、照れくさそうにボソボソと一人で呟くマーシャル。
現地で初めて会った精霊が友好的、とまではいかなかったが、二人目でこれは上々の結果と言えるだろう。
とりあえずマーシャルが小屋を片付けるのを待ち(当然、壊した本人は手伝わない)、三人は小屋をあとにした。永遠に続くかとも思われた草原、こうも早くお別れになるとは。
「そういや、お前あれ秘密基地とか言ってたよな?」
「あんなに沢山武器持ってたらなにに使うの?って怒られちゃうから。中心から離れたここに秘密基地作って、隠れて武器を愛でてたんだよ」
「武器愛でるって、なんか気持ちわりぃな」
「趣味は人それぞれだよ」
約一名、武器を愛でてそうなドワーフの少女が頭に浮かんだが、ついでに白髪のこわーいおじさんもついて来たので頭を振って脳から追い出した。
「んで、どうやって行くの? 結構遠いのか?」
「うん、かなり遠いよ。歩いたら……人間でいうと一ヶ月くらいかかるんじゃないかな? ま、私のおかけで三日あれば行けるよ」
「……マーシャルちゃん大好き」
「わお、人間に告白されちゃった」
ここへきて、目の前のマーシャルがとても魅力的に見えて来た。足として利用する気満々なのだが、彼女との出会いをルークは一生忘れないだろう。
掌を合わせて媚をうっていると、突然太ももに痛みが走った。
「いッ……なにしやがんだ」
「別に。貴様がデレデレしているのがムカついただけだ」
「んだよそれ。デレデレしてねーし、助けてもらったからお礼してただけだし」
見ると、ソラの小さな手がルークの太ももをつねっていた。しかも爪を食い込ませているため、見た目よりも遥かに痛い。
マーシャルはそんな二人のやり取りを眺め、なにかに気付いたように怪しげに微笑んだ。
「ふーん、なるほど、そういう事か」
「そういう事とはなんだ」
「いーえ、アルト様も女の子だったんだなぁ、って思っただけですよ。……やっぱり人間と出会うとこうなるのかな」
頭の上にいくつものはてなを出現させるソラの横を通り過ぎ、マーシャルは少し離れたところで立ち止まる。ポケットからオカリナのようなものを取りだし、それに唇をつけると、音色が響き渡った。
がしかし、すげーへたくそだ。
なんというか、綺麗に音程が外れている。意図してやっているのではと思うほどに、上手い具合に音が外れているのだ。耳障り、ではないが、シンプルにへたくそなのである。
ルークとソラは目を細め、
「なぁ、なんであんなへたくそなのに楽しそうなの? 私上手いでしょ、みたいな振る舞いしてるけど本人に聞こえてないのかな?」
「私に訊くな。とはいえ、シンプルにへたくそだな。へたくそという言葉以外に表現のしようがない」
「でもドヤ顔だよ。逆にすげーわ」
彼女の音楽センスはさておき、ようやく演奏が終わったのか、マーシャルは楽器をポケットにしまって二人の元にやって来た。やりきったぜ、的な雰囲気を漂わせ、
「どうだった? 精霊の奏でる音色は」
「うん凄かったよ。芸術的っていうか、他を寄せ付けないっていうか」
「ほんとっ? やった、人間に褒められちゃったよ」
世の中には知らなくて良い事もあるのだ。珍しくルークが空気を読み、マーシャルは嬉しそうに跳び跳ねていた。
「んで、さっきのなに? あれ吹いたらいきなり移動するとかじゃねぇの?」
「ルーク君は精霊をなんだと思ってるのかな? なんでも出来ると思ったら大間違いだよ」
「んじゃなんだよ」
「呼んだの」
「なにを?」
「なにをって、あれを」
言って、マーシャルは上を指差した。
その直後、激しい風が吹き荒れる。綺麗に生え揃った草木を揺らし、秘密基地が吹き飛びそうなほどにガタガタと暴れている。力を入れて踏ん張らなければ飛ばされてしまいそうな風圧に、ソラは咄嗟にルークの腰にしがみついた。
腕で顔をおおい、なんとか顔を上げる。
そこで、ルークは目にした。
巨大な黒い塊を。
「なんじゃ、ありゃーー」
それは翼を持っていた。
それは黒く光る鱗を持っていた。
それは鋭く伸びる牙を持っていた。
それは怪しげに光る赤い瞳を持っていた。
それはーードラゴンだった。
「で、でけぇぇぇぇぇぇ!!」
バカみたいなデカさだった。
ウェロディエというドラゴンの魔元帥と戦った事があるが、それよりも倍近くの体を持っている。流石にリヴァイアサンほととは言わないが、それに迫るほどの巨体だ。
黒くドラゴンは翼を羽ばたかせ、激しい突風を巻き起こしてルーク達の前に下り立った。
ドラゴンの瞳がルークをとらえ、嫌な感覚が体を包んだ。それは殺意にも似た敵意で、その威圧感に一瞬動く事を忘れてしまった。ルークは咄嗟に構えたが、マーシャルは気にする様子もなくドラゴンへと近付き、
「紹介するね。私の友達ーートシ蔵だよ」
マーシャルが手を上げると、ドラゴンは猫のように喉を鳴らして巨大な頭を振り下ろした。鼻先を撫でられ、今度は嬉しそうに目を細める。
呆気にとられるルーク達を放置し、
「あ、こっちも紹介しないとだね。ルーク君とアルト様。今から一緒にあそこに行くから、それまでよろしくね」
どちらかといえば、精霊というより魔獣といった方がしっくりくる見た目。そんな恐怖の塊なのにも関わらず、飼い主にじゃれつく猫となんら変わらない。
ドラゴンはルークとソラを見つめーー、
「あ、どうも。トシ蔵です」
ルークは無になった。
その瞬間だけは、全ての感情が消え失せた。
数秒間の無言。それから、
「お前が喋るんかい!!!」
と、渾身の突っ込みが辺りに響き渡ったのだった。