八章六話 『ヤン○○』
ここで、一応ルールを説明しておこう。
借り物競争なので、基本的なルールはご存知だとは思うが、念のためである。
走るコースはテムランを半周。スタートは噴水広場で、南門方面へと向かい、そこから半時計周りに北門まで走り、最後に再び噴水広場に戻ってくるというものだ。与えられるお題は一人二つで、紙に書かれた物を所持した状態でゴールした者が優勝である。
監視役である騎士団はコースの至るところに立っており、不正などは勿論即アウト。暴力行為もダメだし、他人の物を奪うのも禁止。
とまぁ、これくらいが基本的なルールだ。
アンドラから紙を受け取り、ルール説明を受け、いざ開封。この時点で仲間意識など消しとんでおり、全員が自分のためにと闘志を燃やしていた。
勿論、この勇者はお金が欲しい。
「さてさて、お題は……」
綺麗に四つに折り畳まれた紙を広げ、とりあえず中を確認。周りの人間に中を見られないように細心の注意を払いつつ、ルークは自分に与えられたお題を確認した。
「丸い物? んだよ、すげー適当じゃねぇか」
まず始めに目に飛び込んで来たお題は丸い物だ。特に指定はなく、とりあえず丸ければなんでも良いのだろう。
ルークは辺りを見渡し、足元に転がっていた丸い石をポケットにねじ込む。
そして、問題は二つ目のお題だった。
「……愛する人?」
そう、紙には愛する人と書かれていた。
一瞬見間違えかとも思ったが、心なしか文字に力が込められているような感じがするしーーというか赤い文字で書かれていた。
ルークは紙を凝視し、
「愛する人っつってもなぁ……いや待て、こんなの余裕じゃねぇか」
グヘヘ、と気持ちの悪い笑顔で紙を見つめ、それからルークは首を回す。
普通の人間ならば迷うのかもしれない。だがしかし、この男にとって愛なんてものは道端の石ころと同じくらいの価値しかない。
考える事を直ぐに止め、
「とりあえず適当な女を……」
ざわざわと辺りが騒がしくなり、恐らくスタートが近いのだろう。そんな中、ルークは人混みを掻き分けてとりあえず女子を探す。
そして、一番始めに目に入った少女ーーティアニーズに手を伸ばそうとするが、
「……まてまてまて」
一旦深呼吸をし、ルークは伸ばした手を引っ込める。
そもそもだが、このお題の正解か否かは誰が判断するのだろうか。恐らくだが、一番盛り上がっているバンダナの男、なのではないだろうか。となれば、適当な嘘は直ぐにバレてしまう。
あの盗賊はアホなので、あの手この手で丸めこめばなんとかなりそうだが、問題はそこではない。問題なのは、ティアニーズも参加者という事だ。
仮にティアニーズを担いでゴールしたとしよう。もしその時点でティアニーズがお題を揃えていた場合、勝利判定はどうなる?
(やべぇぞ、ティアを連れてゴールしたら俺が負けるかもしれねぇ。かといって見た事もねぇ女を連れてってもおっさんにバレる……!)
勇者は悩んだ。いまだかつてこんなに愛について考えた事があっただろうか。
いやルークだって男なのでそっちの方面に興味があるーーというかありまくりなのだが、いかんせん理想が高すぎるため、まだ運命の相手に出会えていない。
悩む。悩み、悩んだ。悩みーー、
「スタートだぜオイ!!」
ルークの思考を邪魔するように、無情にもスタートの合図が辺りに響き渡った。
一斉に周りの人間が走り出す中、ルークは始めの一歩を踏み出せずにいた。額には汗が滲み、なんだが呼吸も荒くなってきた。
(落ち着け、落ち着け。俺は勇者だ、こんなところで諦めてたまるか。金だぞ、金が手に入るんだぞ? そうだよ、俺は勇者だ、そこら辺の奴に適当に声かければ一人や二人ホイホイとついて来るに決まってる!)
このゲス思考については置いておくとして、恐らく今のルークがちょっと爽やかオーラを出して声をかければいちころだろう。
ゲスである。本当にゲスである。
(とにかくスタートだ。ここで止まってたら巻き返せなくなる)
難しく考えるのを止め、いつも通り流れに身を任せる事に決め、勇者は勢い良く顔を上げた。
そして、戦場へと一歩をーー、
「あ?」
と、意気揚々と踏み出そうとした足が止まる。
目の前に見なれた顔が立っていたからだ。桃色の髪を風になびかせ、毛先を指で弄り、なんだか頬がほんのりの赤くなっている。
「なにやってんのお前」
「あ、あの、ルークさんは、なんでしたか?」
「なんでしたかって、お題?」
「はい」
「言う訳ねぇだろ」
もじもじとするティアニーズを不審に思いながらも、ルークはその横を通過して走ろうとするーーが、再びその足が止まってしまった。
なぜなら、艶目いた黒髪、キラキラと碧眼を輝かせる少女が立っていたからだ。
「ルーク様! お題を教えてください!」
「ストレートだなおい。やだよ、教える訳ねぇじゃん」
勢いで押せば聞けると思ったのか、迫るエリミアスを押し退けてルークは今度こそ走り出そうとする。が、またまたまた足が止まる。
もう説明する必要もないと思うが、ツンデレが立っていた。
「ね、ねぇ、アンタのお題って……」
「ごめんねぇ、教えないよぉ」
以下略。
「ルーク、君のお題を教えてくれ」
「…………」
なせか見なれた顔、というか知っている顔だけがルークの後ろに一列になって並んでいた。最初の一人の時点で嫌な予感はしていたのだが、ここまで綺麗に現実になると言葉すら出ないようだ。
とりあえず息を吐き、生気を失った瞳を動かして四人の手元へと目を向ける。そこで、ルークは目にした。
出来れば見たくなかったーー『愛する人』という文字を。
この際、彼女達がどれだけの好意を向けてくれているのかはどうだって良い。ルークは鈍感属性ではないので、流石に気づくべき事には気付いている。
程度の違いはあれど、自分は好かれていると。
だがしかし、問題はそこではない。
今ここで捕まれば、自分は負けてしまう。
であれば、とるべき行動は一つ。
「…………」
ルークは微笑んだ。
秋の夜風のように、夏の輝く水面のように。
そして振り返り、全力で走り出した。
数秒間の沈黙。それから、
「「「逃げたぁぁぁ!!」」」
ルークに続き、獲物を狩る獣の目をした女子達が走り出した。
ルークは振り返らず、ただひたすら腕を振って二本の足を前に出す。捕まったらその時点で終わり。なにをされるか分かったもんじゃない。
「ま、待ってください!」
「待つかボケ! 賞金は俺のもんだ! 誰にも渡さねぇぞ!」
「わ、私はルーク様とご一緒にゴールしたいだけなのです!」
「また今度ね! 今はタイミングが悪いから!」
「別にアンタとなんかゴールしたくないけど、仕方ないからしてあげる!」
「言ってる事めちゃくちゃだよ君!」
背後に迫る気配を確かに感じながらも、ルークはただひたすらに走る。いつもなら迷子になるところなのだが、大勢が一つの方向に向かって走っているのでその心配もない。
むしろ心配すべきは、
「残念だったな、まだ私の方が速い」
「止めて! こんなところで団長の本気出さないで!」
いつのまにか真横を並走していたアテナ。元々化け物みたいな身体能力だとは思っていたが、完全にいひょうをついたのに余裕で追い付かれている。
こちらへと伸びる手を、腰を屈めて回避し、
「ざっけんな! お前ら全員他行け! 俺じゃなくたって別に良いだろ!」
「べ、べべべ別にルークさんじゃなくたって良いですけど! たまたま近くにいたから、たまたま親しい人だから!」
「私はルーク様が良いのです!」
「エリミアス!?」
「負けないのです!」
「争うんなら他でやってくれるかな!?」
なんか他の争いが始まっている気がするが、恐らくあれに手を出したら血を見る事になるだろう。
そんなこんなで、レースは続く。
圧倒的な速度で突き進むルーク一行は、前を走る集団をごぼう抜きにしていた。火事場のバカ力とはよく言ったもので、今のルークが発動中の力がそれだ。
どうしようもない境地に立たされた時にこそ、人間は真の力を発揮する事が出来る。もっとも、見せる場面に問題ありありなのだが。
「ハァハァハァ……! チクショォ! このままだとゴールしちまうっての!」
現在地は東門前を通過した辺り。
先頭集団まであともう少し、というところまで迫っており、このままのペースで行けば優勝は間違いないだろう。だがしかし、優勝するための条件が揃っていない。
「しつけーぞお前ら! とっとと諦めろ!」
「嫌です!」
「嫌なのです!」
「嫌よ!」
「断る!」
「仲良いね!」
チラチラと後ろを振り返って見るものの、やはり四人は当たり前のようについて来ていた。そして驚くべきはエリミアスの体力だ。出会った頃はヒョロヒョロだったのに、様々な経験を経てマッチョになっていたらしい。というのも、最近ではケルトと秘密特訓をしているようだ。
まぁそんなのはどうでも良くて、
「大体、愛する人なら誰でも良いんだろーが! わざわざ俺にこだわんじゃねぇよ!」
「な、なんの事ですか!? あ、愛する人とか全然分かんないです!」
「白々しいわボケ! 君達俺の事大好き過ぎない!?」
と、ここで一瞬の沈黙。
汗だくになりながら走る五人の視線が一ヶ所に集まり、
「す、好きじゃないもん!」
「わ、私は……」
「べ、別に好きじゃないんだからね!」
「言った筈だ、私は君が大好きだと!」
「あぁもうめんどくせー!!」
死に物狂いで追いかけて来ておいてこの反応である。
とはいえ、このままではらちがあかない。他の三人だけならともかく、アテナを相手にしている以上、追い付かれるのは時間の問題だろう。
であれば、やるべき事は一つ。
アテナをどうにかして脱落させる!
「考えろ、考えろ……! 」
ルークは必死に頭を回す。
正当法ではまず不可能。真正面から挑んだところで返り討ちにされるのがおちだろうし、そもそも暴力行為は反則負けになってしまう。
「なんか弱点ねぇのかよ! 必ずある、なんかある!」
なんとか記憶を掘り起こし、アテナに関するエピソードを思い出す。性格は見た目と違って子供っぽく、真面目に見えて実は適当。そして強い。ちょー強い。そんで乙女。ちょー乙女。加護がなかったら、いやあっても勝てるかどうか怪しい。
そんな化け物相手にどう立ち回るか。
これまでの経験、そして勇者としての真の力が試される。
ルークは考え、考えた結果、
「……!! アテナ、お前が前に作ってくれたサンドイッチ、すげぇうまかったぞ!」
「なにを今さら、君はまずいと言っていたじゃないか」
「バカ野郎! あれは照れ隠しだっての! 他に人がいんのに素直に言えるか!」
「私は素直に言ってほしかったぞ。何度も言うが、これでも私は女なんだ」
「知ってる! お前のサンドイッチが一番美味しかったし、お前が一番美人だし、髪綺麗だし、強いし、良い体してるし、ぶっちゃけすげー好み!」
思いついた作戦、それは褒めちぎるだった。
後半変態としての欲望が滲み出ていたが、なんとか舵をとって道を正す。後ろを確認する暇がないので、ルークはそのまま言葉を続ける。
「俺ってば年頃の男の子な訳だし、やっぱり人前でそういう事言うのとか恥ずかしいんだわ!」
「女性はあえてそれを言ってほしい生き物なんだ。しかしなんだ、まさか君がそこまで私の事を思ってくれていたとは……」
「じ、実はアテナの事だけを考えてる! 寝る時も、起きた時も、そりゃもう毎秒考えてるんだよね!」
「そ、そこまで真っ直ぐに感情をぶつけられると……その、なんだか照れるな」
毎秒考えている、は流石に言い過ぎかとも思ったが、どうやらアテナは嬉しかったらしい。頬を染め、僅かに走る速度が落ちた。
横を走る約三名の表情が鬼になっているが、背にはらは変えられない。どのみち捕まれば終わりなのだ。今はやれる事に全身全霊を注ぐのみ。
「つー訳で、またお前の愛情たっぷりのサンドイッチが食べたいなぁ! 黙ってたけど、俺が優勝したら二人で飯でも食いに行こうと思ってたんだよ! でも、やっぱお前の手作りの方が好きだわ!」
「す、好きか、そうか……。こんなに人目が集中しているというのに、君は意外と大胆な男なんだな」
ルークはどうやら勘違いしていたらしい。
容姿端麗なので男性経験がありそうなのだが、逆にアテナの放つ雰囲気が男を遠ざけていたのかもしれない。その結果、恋とかに憧れる純情な乙女になってしまったのだろう。
まぁなんというか、チョロいのだ。
「お前がサンドイッチさえ作ってくれれば、俺は必ず優勝すっから! あ、あれだ、愛のパワーだ!」
「愛のパワー、か。使い古された言葉だが、私の好きな言葉だな。では、勝った暁には私とデートするのだな?」
「え? デート?」
「当たり前だろう、君は今私に愛の告白をしているんだぞ?」
言われ、ルークはなにを口走っていたかを気付かされた。とりあえずアテナを離脱させる事に意識を集中していたため、自分の発した言葉をあまり理解出来ていなかったのだ。
つまりこれは、責任とかそういう方面の話である。
走りながら、ルークは頭を抱えた。
デートする事事態に抵抗はない。いやむしろありがたい話なのだが、なぜか物凄く嫌な予感がする。決して踏み込んではいけない領域に片足を入れてしまったような感覚だった。
だがしかし、もう引けない。
毛が抜けるほどの勢いで頭をかきむしり、
「お、おうよ! デートでもなんでもやってやらぁ!」
「約束だぞ? 私は約束を破る人間を決して許さない」
「た、たりめぇよ! 男に二言はねぇ!」
「必ず、だからな?」
瞬間、全力疾走しているというのに、全身を寒気が襲った。心臓を鷲掴みにされたような、なにかヤバいものに目をつけられたような。
だが、もうなにもかも手遅れだった。
涙を流し、声を震わせ、
「や、約束しまぁぁぁぁす!!」
「良し、では愛情込めてサンドイッチを作ってくるとしよう。先にゴールしていても構わないが、ちゃんと、必ず、しっかり、確実に、胃袋に納めてもらうからな」
そう言って、アテナは目にも止まらぬ速さで消えて行ってしまった。
ようやくいなくなった最大の敵。だがしかし、最大の敵を追い払うために払った代償は大きかったようだ。
「やだ、振り返りたくない。もう優勝とかどうでも良いや、誰か助けて」
後ろを振り返る勇気などない。
なんというか、ドタドタの物凄い足音が聞こえて来る。牛とか、猪とか、ライオンとか、ともかく、人間の足音ではないものが三つ。
「こうなりゃゼッテー優勝してらぁぁぁ!!」
こうして、命をかけたドキドキワクワク借り物競争が始まった。
アテナ脱落。
残り四名。