八章三話 『一つの約束と隠し事』
ベッドに寝転び、なにをするでもなく天井を見つめていた。
これからすべき事は分かった。
ルークとしてもそれは望む事だし、今さら引き返そうなんて気はさらさらない。
だが。
なんというか、なにかが胸につっかえているような感覚があった。それがなんなのかルーク自身も分からず、ただこうして天井を眺めているのである。
「精霊の国に行って、協力をこぎつけて、ソラの力を取り戻して、クソ魔王の事を聞いて、精霊どもをぶん殴る。……やる事多いな」
目的はいつくかあるものの、その全てをこなすための前提条件ーーそれは精霊と親睦を深める事だ。ルークの知る限り、精霊というのは一癖も二癖もあるような連中だ。全員が全員、ナタレムのように協力な態度をとってくれるかも分からない。
そんな中で、どうにかしてこちらの望を叶える。
ルールに厳しく、頭が固い連中にそんな事が出来るのかーー不安しかないのである。
「ったく、なんで俺がこんな事やらなくちゃなんねぇんだよ。ただの村人が精霊の国に行くとか……どんなおとぎ話だっての」
忘れもしないあの日。
ティアニーズが村を訪れた日、ルークはこんな事になるなんて微塵も思っていなかった。とりあえず自分が勇者でないと証明し、とっとと村に帰るつもりだったのだが、あれよあれよとこの様である。
これまでの旅がつまらなかったとは言わないが、もう一度最初から全てをやり直せるのだとしたら、ルークは迷う事なくそれを選ぶだろう。
だが、そんな事は不可能。
選んでしまった以上、ここまで来てしまった以上、これは量産型勇者がやらなくてはいけない事なのだ。
「しゃーねぇ、やるしかねぇんならやりますよ。全部終わったら飽きるくらいにニートしてやる」
ニートになるために世界を救う。
なんともふざけた理由だが、この男の行動原理はそれしかないのだ。
迷いを払うように勢い良く体を起こし、ルークはベッドから飛び下りた。
と、そこで思い出す。
「……そういやおっさんがなんか言ってたな」
特に宛もなく出掛けようとしたが、アンドラとの会話が不意に頭を過った。いつものルークならば気にしない。気にしなのだが、
「ソラとケルト……アイツらなに隠してんだ」
アキンの様子はともかく、あの日からソラとほとんど会話を交わしていない。いつもならルークの部屋で勝手に寝ていてもおかしくはないのだが、その姿を見かける事すらなくなっていた。
明らかに、なにかを隠している。
ルークは扉を見つめ、
「行ってみっか」
という訳で、アキンのところへ行く事にした。わざと見つからないようにしているソラを探すのは難しいと判断し、ルークは部屋を出てアキンの部屋を訪れる。
廊下に誰もいない事を確認し、
「おーい、ちびっこいるか?」
二度ほどノックして呼びかける。
部屋の中からガサゴソと物音が鳴り響き、なにやら騒がしい様子が伝わって来た。それから音が静まり、扉が数センチだけ開かれると、アキンが隙間から顔を覗かせた。
「お、おはようございます」
「よぉ、ちょっと話がある」
「へ、へ? 話ってなんですか?」
「話は話だ。とりあえず部屋の中に入れろ」
動揺というか、挙動不審だった。片目だけを覗かせているのだが、その目が絶え間なく左右に泳ぎまくっている。ルークは部屋の中を覗きこみ、
「なんか隠してんだろ」
「な、なにも隠してません」
「嘘つけ。大人しく入れねぇと強行突破するぞ」
「ぼ、暴力はダメですよ!」
「だったら入れろ」
「嫌です!」
この時点で、アキンがなにかを隠している事は確定。ただ、部屋の中に入れたくないというよりは、ルークという個人に会いたくなさそうだった。
しかし、この男にそんな空気を察しろという方が無理なので、
「三秒だけ待ってやる。そのあとは無理矢理入るぞ」
「む、無理矢理……」
「最初に言っておくが、おっさんに助けを求めても無駄だ」
「ぼ、僕の話を落ち着いて聞いてください!」
「聞いてやるよ。ゆっくりと、部屋の中ぇな」
扉に手をかけ、強制的に開こうとするルーク。アキンはなんとか抵抗しようとドアノブを全力で引っ張っているが、成人男性と少女では力の差は歴然だった。
言うまでもないが、少女の部屋に侵入しようとしている怪しい青年である。
「数えるぞ。いーち、にーい、さーん、はい終わり!」
「も、もう五秒ください! 心の準備をしますから!」
「……五秒で良いのか?」
「え? じゃ、じゃあ十秒でお願いします」
「分かった」
珍しく素直に引き下がったルークに首を傾げながらも、アキンはドアノブを握る手を緩めた。が、その行動がどれだけ愚かだったか気づくのに十秒もかからなかった。
このアホが、待つ訳がないのである。
「隙あり!」
「ズルいです!」
力が緩んだその一瞬を見逃さず、ルークは力付くで扉を開く。そのまま中に足を踏み入れると、慌てているアキンを抱えて扉を閉めた。アキンをベッドにぶん投げたあと、静かな部屋にカチャリと鍵が閉まる音だけが鳴り響いた。
「つーかまーえた」
完全に犯罪者の顔である。
ベッドに横たわる少女を見つめ、変態勇者はニヤリと不気味に口角を歪ませた。不安そうに瞳を揺らすアキンを見つめ、ルークの笑みはさらに深みが増す。
「さぁて、お兄さんとお話しよっか」
「なんか怖いです……!」
「そんな事ないよ、ルークさんはいつもこんな感じだよ」
「言われてみれば……確かにそうでしたっ」
「そんな可愛い顔しても俺は許さねぇかんな」
自分から言ったくせに肯定されるとこれである。
晴れやかな笑顔で微笑むアキンにシャー!と威嚇し、ルークはそのままベッドに腰をかける。アキンは体を震わせながら近くにあった枕を抱き抱え、
「あの、お話ってなんですか?」
「そんだけ俺の事避けてんだ、お前にだって心当たりがあんだろ」
「それは……一応、はい」
「ソラとケルトになに言われた。聞いた事洗いざらい吐け」
「やっぱりですか……」
特に驚く様子もなく、アキンは枕に顔を埋めて静かに呟いた。今の言葉を聞く限り、やはり意図的にルークを避けていたらしい。
ルークは尻半個分距離をつめ、
「俺には言えねぇ事なんだよな?」
「はい。……出来れば」
「なら教えろ」
「ですよね……」
隠されれば隠されるほど気になる。それは人間として逆らう事の出来ない欲望なのである。
アキンは枕から顔を離し、しかし視線をあわせる事はせず、
「お二人から、特にソラさんからルークさんにだけは言うなって言われました」
「俺?」
「はい、まだ確証がないからって」
「……確証、ねぇ」
心当たりがない訳ではなかった。
セイトゥスとの戦闘の際、明らかにソラの様子がおかしかった。その時も、確か確証がどうとか言っていたので、恐らくそれとなんらかの関係があるのだろう。
胸につっかえた、謝罪という言葉も。
「僕自身、まだ言われた事をちゃんと整理出来てないんです。あまりにも現実離れしているって言うか、突拍子もないって言うか……ともかく、ごめんなさい」
「謝るくらいなら言え。そこまで言っといて秘密なんてぜってー許さねぇぞ」
「えと、なんて言うか……どうやって言えば良いか分からなくて……」
「三行以内で説明しろ」
「が、頑張りますっ!」
質問する度に距離をつめるルークに対し、アキンはどんどん逃げて行く。しかしながら、狭いベッドの上で逃げれる訳もなく、しまいには角に追い込まれてしまった。
ぐへへ、と気持ちの悪い笑みを浮かべるルークを見つめ、
「前に、ルークさんが僕に言ってくれた事を覚えていますか?」
「言った事? 心当たりがありすぎて分かんねぇよ」
「魔獣の村で、二人で会話した時です」
「あぁ、まぁ、なんとなく」
「その時の事が、本当だったんです」
曖昧ながらも、ルークは記憶を探ろうと顔を上げた。あの村でなにが起きたかは鮮明に思い出せるが、会話の内容まで、となるとルークの記憶力では怪しいところだ。
なので、アキンを見つめた。
アキンは瞳を揺らしながら、こう言った。
「僕、勇者らしいです」
一瞬、ルークはアキンがなにを言っているのか分からなかった。真面目な顔つきで口を開いたアキンを眺めながら、言葉の意味を理解しようと必死に頭を回す。
体感的には数分、実際は数秒の時間を使い、
「いや、んなの今さら改まって言う事でもねぇだろ」
それが素直な感想だった。
そもそも勇者という肩書きすら曖昧な世界なので、自分が勇者だと名乗る人間は多く存在する。それを今さら『勇者です』と言われても、大袈裟なリアクションをとる方が難しい。
しかし、アキンは真面目な顔だった。
「そうなんですけど、そうじゃないんです」
「はっきり言え」
「だ、だから僕が勇者なんです!」
「俺も勇者だけど?」
「そうですけど!」
バシバシと枕をベッドに叩きつけ、必死に訴えかけようとするアキンだったが、ルークはその様子を無表情で見つめるだけだ。
「お前、まさかこの期に及んでまだ隠そうってのか?」
「ち、違います! 僕は最初から本当の事しか言ってません!」
「ははーん、そうやって俺を騙そうって魂胆だな。ソラにでも入れ知恵されたのか?」
「だから! 言ってるじゃないですか! 僕がーー」
その瞬間、ドン!!という激しい音が響いた。
二人は突然の轟音に体を震わせ、音の発生源へと目を送る。扉が大きく揺れていた。外からぶん殴られたかのように、今にでも壊れそうに。
二人は顔をあわせ、
「……え、なに、幽霊とか?」
「お、おばけはこんなお昼から出ませんよ!」
「良し、行ってこいちびっこ」
「嫌です! 僕おばけ苦手なんですから!」
「俺だって苦手だっつーの!」
ガタガタと揺れる扉に、二人の勇者は完全にビビっていた。
逃げようとするアキンの肩を掴み、外道勇者は背中を押して扉の方へと歩かせる。本来なら男が格好つける場面なのだが、怖いものは怖いのである。
「お、押さないでください! 呪われちゃいます!」
「心配すんな、俺はもう呪われてる」
「僕は呪われてません! ルークさんが行ってください!」
「バカタレ、レディファーストって言葉を知らんのか」
アキンは必死に両足でブレーキをかけようとするが、ルークは片手で首根っこを掴んでそれを阻止。借りて来た猫状態のアキンをそのまま扉の前に落とし、
「心配すんな、骨は拾っておっさんに渡してやるから」
「む、無理です! 本当に無理です!」
泣き叫ぶ少女にも容赦などなく、このクソッタレ勇者はついに扉へと手をかけた。鍵を外し、ゆっくりと扉が開かれるのを確認すると、アキンを盾にして数歩後退る。
そして、扉が開いた。
「「ーーーー」」
二人は絶句した。
あれほどまでに幽霊は嫌と叫んでいたくせに、今は幽霊ならどれだけ良かったかと思ってしまっていた。
足はちゃんとある。
透けていないし、むしろなんだかくっきりと見えた。
白い頭の精霊が、仁王立ちしていた。
「…………」
ルークは無言のまま頷き、優しくアキンの背中を押す。よろけながら進むアキンの背中を見送ると、何事もなかったかのように静かにベッドへと入った。
掛け布団を被り、現実から逃げるように目を閉じた。
(なんか疲れてるなぁ、俺。そりゃそうだよ、まだ傷癒えてないもん。今日はゆっくり寝よ。もう嫌、全部捨てて夢の世界で生きていきたい)
そんな事を思いつつ、ほんのちょっとだけ目を開けた。と、それが項か不幸か、次の瞬間に自分がどうなるか理解出来た。
両手を広げた白い頭の精霊が、なぜか宙に浮いていた。落下地点はルークの腹。そして落下までの時間は一秒。
では、時間を動かしてみよう。
「精霊ダーイブ!」
「ほんぐ!!」
ちょーイケテる技名の直後、腹に衝撃が走った。体がくの字に折れ曲がり、なんだか口から魂が抜けたような脱力が体を襲う。
ピクピクと眉を痙攣させ、
「て、テメ、なにしやがんだ……!」
「それはこちらの台詞だ。部屋にいないなから探してみれば、貴様いったいなにをしていた」
「べ、別にお前には関係ねぇだろ。俺がどこでなにをしようがーー」
ルークが喋り終えるよりも早くソラが動いた。おもむろにルークの腹の上で正座をすると、なにを思ったのか、その場でジャンプした。
当然、二つの膝のお皿が腹部に突き刺さる。
「おぶっ!」
「もう一度だけ訊いてやる。なにを、していた」
「だから、お前にはーー」
「精霊の膝小僧!」
「はんぬ!!」
またまたちょーかっこいい技名ののち、小さな可愛いらしいお膝がみぞおちに食い込んだ。込み上げる朝食をなんとか喉で止めようと口を閉じていると、扉の前で尋常じゃないくらいに震えているアキンが口を開いた。
「あ、あの、まだ全部は喋ってません! それに、喋っちゃったのは僕なので……」
「あぁ、分かっている。心配しなくても、貴様にもあとでたっぷりと天誅をかましてやるさ」
「て、天誅?」
「気にするな、死なない程度に殺してやる」
怪しく光る赤い瞳、そしてその光を際立たせる真っ白な髪。その極悪コンボにやられ、アキンは目を点にしながらその場に崩れ落ちた。
となると、怒りの矛先は必然的にルークへと向けられる。両手を上げ、十本の指を高速で動かしながら、
「さて、どう料理してやろうか」
「ま、まてまて、そもそもお前がなにも言わねぇのがわりぃんだろ」
「……私は乙女だ。乙女には秘密がつきものなんだ」
「良い事を教えてやる。男ってのは乙女の秘密を暴きたい生き物なんだ」
「そうか、その代償に命を落とすとしてもか」
「あでででででで! ギブ! ギブアップ! 膝でぐりぐりすんな!」
ねじ込むように腹部へと突き刺さる膝。これ以上は体内の臓器が一個や二個潰れてしまいそうなので、ルークは首を左右に振りながら自分の負けを認めた。
ソラは満足そうに息を吐き、
「それで、なにをどこまで聞いた?」
「なんも聞いてねぇよ。ちびっこが勇者だとか、訳の分かんねぇ話だけだ」
「……本当にそれだけか?」
「それだけだっての。つか、お前なに隠してんだよ、俺には言えねぇ事なのか?」
「それは……」
言い辛そうに口ごもり、ソラは目を伏せながらルークの上からおりた。
ルークは腹に触れ、収まるべきところに収まるべきものがあるか確認し、
「別に無理して言えとは言わねぇ……事もねぇけどよ、今さら隠すほどの事なのか?」
「言わないとは言っていないだろう。今は、まだ……」
「確証がねぇってか? だったらいつ確証がもてんだよ。確証がもてたらちゃんと言ってくれんのか?」
「精霊の国だ。精霊の国に行き、私の記憶と力が元に戻った時、貴様にも全てを話す」
ソラがなにに悩んでいるのかは知らない。ルークに話せてアキンには話せない会話の内容なんて、思い当たるふしがまったくないのだ。それでも今のソラは、あの時ーートワイルが死に、川辺で二人で話した時の雰囲気に似ていた。
ルークは掛け布団を乱暴に退かし、
「約束しろ、必ず喋るって」
「あぁ、必ず喋ると約束しよう」
「……なら良いけどよ」
なに一つ納得はいっていないが、今追及したとしても答えを得る事は出来ないだろう。言えないのは、それなりの理由があっての事だろうし、ルークはそれを聞き出す手段をもってはいない。
「精霊の国に行きゃ全部が分かる。これまで謎だったもん全部が」
「そう上手く行けば良いがな。私の中にある微かな記憶では、精霊という生き物は極めて合理的な生き物だ。こちらの要求を素直に飲んでくれるとは思えない」
「だろうな。けど……」
立ち上がり、ルークはソラの目の前まで歩みを進める。握り締めていた拳を開き、そのままソラの頭に乗せると、
「やるしかねぇ。それに、お前みてぇなのが一人でもいればどーにかなんだろ」
「私みたいなの、とはどういう意味だ」
「バカな精霊って事だよ」
ソラの頭を乱暴に撫で、寝癖でボサボサだった頭をさらに乱す。ソラは目を細め、抵抗するでもなくそれを受け入れていた。
乱れた前髪に触れ、ルークの顔を見上げると、
「その、私からも一つ約束してほしい事がある」
「内容次第だな」
「今、こんな事を言うのは卑怯だと分かっている。……精霊の国へ行って全てを話した時、たとえそれがどんな事実だとしても……私を嫌いにならないと約束してくれるか?」
珍しく不安を滲ませ、上目遣いでルークを見つめるソラ。
その姿は、どこにでもいる少女だった。
その姿を見て、ルークは思ってしまった。
可愛い、と。
「どうした?」
まじまじと顔を見つめるだけでなにも言わないルークに対し、ソラは不安そうに眉を寄せながら首を傾げた。
頭に浮かんだ煩悩を払うように首を振り、二度ほどソラの頭を叩くと、
「今さら好きも嫌いもあるかよ。どーせクソ魔王をぶっ潰すまで一緒にいるんだ、んな事気にするだけ無駄だろ」
「……そうだな。私と貴様には契約がある、貴様が嫌と言おうが私はつきまとうぞ」
「へいへい。んじゃ、精霊の国に行くために体休めるわ」
屈託のない笑顔を浮かべるソラに背を向け、ルークはヒラヒラと手を振りながら部屋をあとにした。