八章二話 『決められたルール』
「おい、ちゃんと説明しやがれ」
「い、嫌だなぁ、いきなり胸ぐら掴まないでくださいよー。俺ってばアルトさんと違って弱いんすから」
アンドラの話を聞き、真偽を確かめるために駆け足で宿へと戻ったルーク。理由は不明だが、なぜかルークの部屋のベッドでくつろいでいたので、問答無用で胸ぐらを掴んで体を引きずり上げた。
「精霊の国には精霊か、精霊と契約した人間しか行けねぇってどういう意味だ」
「ん? そのままの意味っすけど?」
「んな事初耳だぞ」
「厳密に言えば、行こうと思えば誰でも行けます。ただ、速攻で追いかえされるだけっすけどね」
「んでそんな重要な事黙ってた。おっさんからこの話聞いたんだぞ」
「あれ? 言ってなかったっすか? こりゃ失敬」
適当な様子で自分の頭を叩くナタレムだったが、その行動はルークの苛々を煽る事になり、とりあえず渾身の拳骨を脳天に叩き込んだ。涙目になっているナタレムをベッドに投げ捨て、
「つー事は、行けるのは俺とソラだけって事か?」
「一応俺も行きますけどね。あと、本人の気持ち次第っすけど、ケルトさんも行こうと思えば行けます」
「アイツは行かねぇよ、多分」
エリミアスが同行出来ないとなれば、ケルトは行かない事を選ぶだろう。ナタレムもそれは分かっているらしく、特に言及はせずにたんこぶを擦りながら、
「というか、もう行くって決めたんすね」
「たりめーだろ、このままここにいたってなにも解決しねぇ。だったら、ほんの僅かでも可能性がある方にかける」
「ルークさんならそう言ってくれると思ってましたよ。まぁ、ぶっちゃけ嫌って言われても強制的に連行するつもりだったんすけど」
「お前さ、良くうぜぇとかムカつくって言われねぇ?」
「あれ、分かっちゃいます? 王から結構辛辣な言葉浴びせられまくってんすよ」
生まれもったものと言うかなんというか、本人は気付いていてわざとやっているようである。とはいえ、この勇者も人の事を言えるような性格ではない。
ルークはナタレムを睨み付けながら、ベッドに腰を下ろした。
「つか、説得とかなんとか言ってたけどよ、具体的にはなにすりゃ良いの?」
「言葉の通りっす。力を貸してくれるように、あの堅物どもを説得するんすよ」
「具体的な方法を教えろっつってんの。話し合いで解決するような相手なんかよ」
「大前提として、精霊はルールに厳しい生き物っす。特に最初に作られた精霊、ま、俺とアルトさん含めてっすけど……」
「今助けに来ねぇって事は、そういう決まりがあるって事だろ」
どうやら正解だったらしく、ナタレムは勢い良く体を起こして両手の人差し指をルークに向けた。それからのそのそとベッドの上を移動して隣に座る。
「なんでアルトさんがここにいるのか、ってのは行けば分かる事なんではぶきますけど、基本的に精霊は地上にはおりて来ない。あくまでも精霊の役目は見守る事だから」
「ケルトは?」
「彼女には本当に申し訳ない事したっすねぇ。俺が精霊の国からこっそりと抜け出すために作った入り口、多分そこから落ちたんすよ」
「はた迷惑な奴だな」
「結果的にはそれで良かったと思ってるっすよ。俺も、本人も」
ケルトの本心は分からないものの、エリザベスと出会い、エリミアスと出会い、恐らくそれを不幸だとは思っていなだろう。彼女にとって、その出会いは必要なものだった筈だ。
「精霊は人間を見守るために作られた存在。最初、まぁ人類って生き物が作られた当初は頻繁に地上に下りて来たりしてたんすけど、人間が法を作り、国を作り、俺達精霊が介入する必要がなくなったんすよ」
「だから助けねぇのか? どうかんがえたってこのままじゃ滅びるだろ」
「ルールその一。人類の数が半数になるまで、精霊は力を貸す事を禁ずる」
「……は?」
突然告げられたバカみたいなルール。
ルークは一瞬聞き間違えかと思いナタレムの顔を見たが、その横顔は真剣そのものだった。
「ルークさんがどう思ってるかは知らないっすけど、人間は意外と強い生き物なんすよ。大抵の事は自分達でどうにかしちゃう。災害とか、戦争とか、そういう滅びの危機は今までに何度も起こってる。けど、人間はそれをことごとく乗り越えて来た」
「だから手を貸さねぇってか? ふざけんじゃねぇぞ、目の前で困ってたら助けんのが普通だろ」
「普通かもしれない。けど、それがルールなんすよ。クソみたいなルールっすよね、ほんと」
そう言ったナタレムの顔が僅かに歪む。奥歯を噛み締める音がこちらまで聞こえて来た。
「それが嫌になって俺はここに来ました。でも、俺一人にどうにか出来るほど事態は簡単じゃなかったんす」
「つか、気になってたんだけどよ、お前いつから地上にいんの?」
「五十年前、丁度ゼユテルが地上に落とされた頃っすよ」
「……そのゼユテルってのが魔王の名前なのか?」
「はい、まぁ。そんで、気付いてるとは思うっすけど、彼は元精霊です」
それを聞いて、ルークは驚かなかった。
そもそも精霊と魔元帥は類似している点が多すぎるので、ある程度どちらとも関わりがあれば、この結論にたどり着くのは当然の流れだろう。
だがしかし、
「元って、どういう意味だ?」
「色々あって、彼は精霊じゃなくなったんすよ。苦肉の策ってやつっすね」
「苦肉の策?」
「精霊は精霊を殺してはならない。だから、精霊は彼を精霊ではない存在として扱う事にした。都合の悪いルールをねじ曲げて」
「……とりあえず殴って良いか?」
「たんま、殴るのはあとにしてください」
話を聞く限り、どう考えても全ての始まりは精霊にある。なにがどうなって魔王という存在が生まれたのかは知らないが、ルークの怒りはすでに精霊をぶん殴りたいレベルまで到達していた。
ナタレムは振り上げたルークの拳を掴み、
「殴られるだけの事を俺達はして来ました。でも、今はそんな事してる場合じゃない。俺を殴ったって、あれを殴ったって、事態は良くならないっすよ」
「良くなるとかならねぇじゃねぇんだよ、俺の気持ちの問題だ」
「ならなおさら堪えてください。精霊の国に行って、そんな調子じゃ話にすらなりませんから」
とりあえずあとでぶん殴る事を決定し、ルークは振り上げた拳をおさめた。ちなみに、ナタレムだけではなく、なんだったら精霊の国にいる精霊を全て殴るつもりである。
「ルークさんにやってもらいたい事は一つっす。精霊を説得して、魔獣を倒すための協力を得る」
「話だけ聞いた限りじゃ無理じゃね?」
「そりゃ、今までなん千年も守って来たルールを破らせるんすから、難しいに決まってます」
「なんで俺なんだよ。別に精霊と契約した人間ってだけなら……つか、まて。前の勇者はどうなんだ?」
「うーん、さっすが、勘が鋭い」
パチパチと手を叩き、ナタレムはルークを見て微笑んだ。どうやらこの疑問にたどり着くように誘導されていたらしい。
とりあえずルークはナタレムに肩パンをくらわせた。
「あの人は凄い人っすよ。精霊と契約せずに、精霊の国に自力でやって来た唯一の人間っすからね」
「んな事出来んの?」
「やろうと思えば。でも、普通は出来ない。精霊なんているかどうかも分からない曖昧な存在を本気で信じて、自力で精霊の国に行く方法を探し出した」
ルークの頭には、精霊を本気で信じていたベルシアードというなの男の顔が過った。彼も彼で精霊を狂信していたが、それ以上となると始まりの勇者のイメージがだいぶ頭のおかしい奴になってしまう。
ただ、そこまでの驚きはない。誰彼構わず助ける時点で十分異常だからだ。
「精霊の国は、行こうと思えば誰でも行けます。大事なのは方法と認識、そこにあるって本気で信じてないと無理なんすよ」
「精霊を信じてる奴なら知ってっけどな」
「精霊を信じるだけじゃダメなんすよ。精霊の国を信じないと。意外と古い文献とかに載ってるんすよ? むかーしの人間が残したものとかに。ま、精霊が回収して燃やしてますけど」
「んじゃ、それを読んで始まりの勇者は精霊の国に行ったって事か?」
「どこから探して来たのかは知らないっすけどね。そんで、アルトさんに出会った」
ソラが記憶喪失という事もあり、二人がどうやって出会ったのかルークは知らない。そもそもあまり興味はないのだ。重要なのはそこではなく、
「始まりの勇者は、精霊に助けてくれって言ったんだろ?」
「ぶっちゃけ、詳しくは知らないっす。俺が精霊の国を出たタイミングとほぼ同じなんで。でも、断った筈です」
「それだとおかしいだろ」
「はい、正直アルトさん一人でも地上におろすとは思ってませんでしたよ」
重要なのは、なぜソラがここにいるのか、だ。
ルールに厳しい精霊が一人だけとはいえ、ルールを破ってまで精霊を地上におろした。だが、その答えはあまり難しくはない。ナタレムの話を聞けば、ある程度の答えは導き出せる。
「負い目があるから、だろ」
「せーかい。はっきり言います、今起きてる事態は全て精霊のせいです。俺達精霊のせいで……人間は何人も死んだ」
「……そっか。ならやっぱり精霊の国に行かねぇとな」
その言葉を聞いて、ルークの中にあった不安が全て吹き飛んだ。戻って来れないとか、もうそんな事はどうでも良くなっていた。
「とりあえずぶん殴る。お前ら精霊のせいで俺がどんだけ面倒な事に巻き込まれたと思ってんだ」
「なんも言えないっすね」
「交渉なんて知るか。お前も、ソラも、全力でぶん殴るかんな」
全ての元凶が精霊なんだとすれば、ルークのこのクソ面倒な旅の発端も彼らという事になる。ずっと望んでいた平凡な生活を壊され、やりたくもない事をやらされ、世界なんて訳の分からないものを預けられた。
その全ての責任が、精霊にある。
ならば、もう迷う必要なんてない。
交渉とか協力なんでどうだって良い。
やっと、この怒りをぶつけるべき存在が見つかったのだから。
しかし、ナタレムは苦笑いを浮かべ、
「出来れば穏便に済ませてほしいんすけど……」
「やだね、ぜってーにぶん殴る。そもそもお前らのせいでこうなってんだろ、なのに力も貸さねぇなんておかしい」
「い、一応アルトさんを……」
「……それに、テメェらがちゃんとしてりゃトワイルは死なずに済んだ」
瞬間、緩んでいたナタレムの表情が固まった。
ルーク自身、恐らく気付いていないのだろう。今彼が放っているのは怒りではなく、精霊に向けられた明確な殺意だ。静かに、しかしはっきりと告げられた言葉に、ナタレムは恐怖さえ感じていた。
「わりぃが、これだけは我慢ならねぇ。トワイルを殺したのはウルスだ。けど、その元凶が精霊ってんなら、俺は絶対に殴るぞ」
「……すいません。謝ってもどうにもならないのは分かってます。けど、すいません」
「お前に謝られたって意味ねぇんだよ」
「……そうっすね」
肩を落とすナタレムを見ても、ルークはその殺意を抑える事はしなかった。彼らには責任があって、罰を受ける義務がある。たとえ、この先力を貸してくれるのだとしても、死んだ人間の命は帰っては来ないのだから。
ナタレムは小さく息を吐き、
「でも、そうっすね。俺達は一度罰を受けるべきなんす。古いルールに縛られて、目の前で死んで行く命を見過ごす……そんなの、絶対に許される事じゃない」
うつ向き、一点を見つめながらナタレムは呟いた。それから顔を上げ、
「お願いします。どうか、精霊を変えてください」
「知るか」
「なん千年も続いたクソみたいなルールを、ルークさんなら壊せる気がするんすよ」
「なんで俺なんだよ。俺は俺のやりたいようにやるだけだ」
「貴方は、アルトさんを変えた。俺も、アルトさんも、言ってしまえばこうなるきっかけを作った一端です。あんな事があっても、なにも言わずに見ているだけだった」
ナタレムの声のトーンが落ちた。
罪悪感に押し潰されそうな横顔だった。
「信じられないかもしれないっすけど、アルトさんはあんなんじゃなかった。むしろルールを守る側で、本来ならこんなところに来るような人じゃなかったすんよ」
「あの牛乳好きがか?」
「多分、前のアルトさんを見たら殴ってると思います。口数少ないし、いっつも無愛想だし、ルールに厳しいし、偉そうだし、生意気だし」
「後半は今もそうだけどね」
今まで何度か聞いて来たが、記憶を失う前のソラは堅物だったようだ。恐らくだが、本来なら精霊の国で人間が死んで行く姿をただ見ている側の一人だったのだろう。そんな面影まったくないのだが。
「周りの事なんかどうでも良くて、自分さえ良ければ良い。人が困ってようが助けない。ぶっちゃけ、俺はあの人が嫌いでした」
「今はちげぇのか?」
「うーん、あんまり変わってないっすけど、嫌いではなくなりましたね。多分、本人も好き好んで地上に来た訳じゃないんだと思います。けど、そのおかけで、アルトさんは変わった」
「記憶失ってっからだろ」
「違います。貴方と、始まりの勇者のおかげです。貴方達がアルトさんを変えたんすよ」
自信満々にそう告げ、ナタレムは屈託のない笑顔で微笑んだ。足をバタバタと前後に振り、無表情のルークへと嬉しそうに言葉を続ける。
「きっかけは始まりの勇者の死だと思います。基本的に、精霊は他人を頼ったりしない。だから思い入れがない、目の前で誰かが傷ついていてもなんとも思わないんす」
「クソみてぇな奴らだな」
「自覚はありますよ。アルトさんは目の前で人が死ぬのを見て、自分の間違いに気付いたんすよ。だから、記憶を捨ててまで魔王を封印した。いつ起きれるかも分からない眠りについて」
「なら、俺じゃなくて始まりの勇者のおかげだろ。初めて会った時から結構アレな感じだったぞ」
「たとえ記憶を失っても、根本的な部分は変わらない。ルークさんだって、記憶を失った自分が人助けをすると思いますか?」
「ぜってーにないな」
自慢じゃないが、全ての記憶が吹っ飛んでもなに一つと変わらない自信がルークにはある。どこまで行ってもルークはルークで、自分勝手な男でしかないのだ。
ナタレムはドヤ顔のルークを見て、安心したように鼻を鳴らす。
「アルトさんを変えたのはルークさんです。今のアルトさんを作ったのはルークさんです。精霊側からすれば間違った道なのかもしれない……それでも、自分の信じた道を進む勇気を与えたのは、他でもない貴方なんすよ」
「……勇気、ねぇ」
ルークは『勇気』という言葉を口に出し、苦笑いをしながら息を吐いた。
今まで散々言われて来たが、本人にはまったく自覚がない。やりたい事をやって、言いたい事を言って、そうやってルークは今まで生きて来た。
その生き方に触れ、多くの人間が立ち上がって来たのだが、それだって結局はルークではなく本人達が選んだ事だ。
確かに、きっかけを与えたのはルークなのかもしれない。しかし、選び、立ち上がる事を決めたのは、他でもない自分の意思なのだ。
悩むルークを横目に、ナタレムは口を開く。
「あのアルトさんを変えた貴方なら、きっと精霊を変えられる。少なくとも、俺はそう信じてますよ」
「面倒な事を押し付けんじゃねぇよ」
「俺だけじゃない。きっと、ルークさんに出会った人間は、貴方の事を本物の勇者だと思ってます」
そう言って、ナタレムは跳ねるようにベッドからおりた。両手を広げて着地し、大袈裟に回転して体の向きを変える。死んだ魚のような目をするルークの前に立ち、大きく頭を下げた。
「俺に力を貸してください。こんな事言える立場じゃない事は分かってます。けど、もうこれしか方法がない。長く続いたルールを、精霊を変えられるのは、貴方しかないんです」
「言ってんだろ、俺は俺のやりたいようにやる。精霊は殴る、そんで……そのあとは手伝わせる。俺がこんなに苦労してんだ、元凶どもが優雅に椅子に座って茶でも飲んでる、なんて許す訳ねぇだろ」
「そう言ってくれると思ってました。期待してますよ」
顔を上げ、ナタレムは片目を閉じてウインク。急激に込み上げて来た吐き気をそのまま表すようにえずくと、ナタレムは肩を揺らして微笑んだ。
その場で再び回転し、扉の方に体を向け、
「それじゃ、旅行の準備しといてくださいね。腕が折れたままじゃ困りますから」
「殴るのに困るな」
「ここは譲らないんすね。ま、良いっすけど」
右腕をブンブンと回し、精霊を殴るイメージを固めるルーク。
ナタレムは扉を開けて部屋から出て行こうとするが、その寸前、小さな声でこう言った。
「ちゃんとやってくださいね。選ばれただけの今の貴方じゃ、ゼユテルには絶対に勝てない。だから、勝ち取ってください」
「あ? なんか言ったか?」
「いえいえ、独り言っすよ。それにしても、ほんとルークさんは不幸っすよね」
「誰のせいだと思ってんだ」
「精霊のせいっすね。でも、本当に不幸だと思います。けど、貴方で良かった。だから、どうかソラさんを恨まないでください」
最後にそう告げると、ナタレムは部屋を出て行ってしまった。
この時、ルークはその言葉の意味を真に理解していなかった。精霊のせいでこうなったからソラを恨まないでくれーーそういう意味としてとらえていたが、ナタレムの言いたい事はそんな事ではなかったのだ。
もっと大きな、これまでの旅を覆すような意味が込められていた。
しかし、ルークがその意味を知るのは、もう少し先の事となる。