七章六十九話 『シャルル・ワイアス』
建物を後にし、シャルルとともに貧民街を訪れたルーク。こちらも本町と同様、家の屋根が剥がれたり壁が地面に散らばっていたりと、その光景は激しい戦いを物語っていた。
だがしかし、それを眺めて卑屈になっている者はおらず、ガジールに引かれて壊れた家の修理を開始していた。
貧民街の住人達が和気あいあいと作業を進めている中を二人は堂々と歩く。
すると、シャルルが突然足を止め、
「ちょっと待ってて」
「あ?」
「良いから待ってて。こんなところで迷子にならないでよね」
「誰が迷子になるかっつーの」
とか言いつつも、ルークの足はその辺をフラフラと歩くつもりだったらしく、すでに一歩を踏み出していた。シャルルに釘を刺され、踏み出した足を戻して待つ事数分。
戻って来たシャルルの横には、見覚えのある男がいた。
「はい、話あるんでしょ?」
「あ、あぁ。でもまさか、こんな急に連れて来るなんて……」
「男なんだからウジウジしない。どーせいつかは言うんだから、今言っても一緒でしょ」
バシっ、と痛々しい背中を叩く音が響き、困ったように顔をしかめながらも男は踏み出した。
ルークは男の名前を知らないが、恐らく顔を忘れる事はないだろう。貧民街が燃やされた時、シャルルを弱いと言って口論になった男だ。
「えーと、だな……。まずは、生きていて良かったよ」
「まどろっこしいのはなしにしろ。言いてぇ事があんなら言え」
「相変わらず口が悪いな。だが、そうだな、今さら取り繕う必要もないな」
ルークの喧嘩口調に頬をかきながらも、男は泳がせていた視線を真っ直ぐに構える。あの時のような好戦的な態度はなく、むしろ弱々しささえ感じる態度だ。
男は大きく息を吸い、
「すまなかった。彼女は、シャルルは強かったよ。そして、ありがとう。君のおかけで今もこうして生きていられる」
「俺はなんもしてねぇよ。戦ったのはお前自身だろ、ここを守ったのは俺じゃなくてお前達だ」
「それは分かっている。けど、言わずにはいられなかったんだ。シャルルから、君から大きなものを貰ったからね」
「しゃーねぇから受け取っといてやるよ」
乱暴に吐き捨てながらも、ルークは男の肩をポンポンと叩いた。深々と頭を下げていた男は頭を上げ、肩の荷がおりたように柔らかな笑顔を浮かべる。
「ベルトスの墓を作りに来たんだろう? ほとんど準備は終わっている、あとは君達二人に任せるよ」
「え? そうなの?」
「彼を許すつもりはないが……同じ境遇の人間だ、無下には扱えないさ」
「そ、だってさ。私達の仕事減ったゃったわね」
適当な様子で呟いてはいるが、シャルルは嬉しそうに微笑んでいる。いつの間にこんなに仲が良くなったのかは知らないが、ルークのいない間になにかあったのだう。
「そういやガジールは?」
「ガジールさんは部材を取りに行っている。全てを元通りにするにはまだまだ足りないからね」
「随分とぶっ壊されたもんだよな」
「あぁ、でも、家族は誰も死んでいない。またやり直せるさ」
「……ま、頑張れ。俺は手伝わねぇけどよ」
苦笑する男だったが、瞳の奥の光は消えていない。今回の戦いを経て、彼自身の大事なものに気付けたのだろう。それは男だけではなく、辺りを走り回る全ての人間に言える事だった。
その後も他愛ない談笑を続け、
「さて、話はこのくらいにしておこうか。やるべき事は沢山あるからね」
「おう、墓ってどこにあんの?」
「この先だ。詳しい事はシャルルに聞いてくれ」
「あいよ」
適当に別れを告げ、二人は再び墓のある場所に向けて歩き出した。
それから数分後、目的地へとたどり着いた二人。
ルークは死んだ魚のような目で辺りを見渡し、
「ここは……」
その場所に見覚えがあった。
以前、ルークがベルトスと喧嘩をして、そりゃもうボッコボコにされた場所。その川沿いのすぐ近くに、明らかに掘り返されたあとのある場所があった。
「お前さ、なんでここ選んだ訳?」
「なんでって、特に理由はないけど?」
「一応、俺ここで一回死にかけてんだよ?」
「生きてるんだから良いでしょ。それに、ここにしか思いつかなかったのよ」
軽くトラウマを抉られて不機嫌なルークを他所に、シャルルはいつもの様子で掘り起こされた土の元へと歩いて行く。辺りには掘り起こすために使用された道具が置いてあり、側には大きな布袋で包まれたなにかが横たわっていた。
確認するまでもない。
それがなんなのか、ルークは口にしなかった。
「つか、もうほとんど終わってんじゃん。あと入れて埋めるだけだろ?」
「ヤンワがやってくれたのよ」
「ヤンワ? あぁ、さっきの奴の名前ね」
布袋から視線を逸らすようにシャベルを手にとり、シャルルは土を掘り始めた。埋めるには十分な深さなのだが、まだ彼女の心の準備が出来ていないようだ。
ルークはその様子を、なにをするでもなく眺め、
「お前さっき言ってただろ。今やってもあとでやっても変わんねぇって」
「う、うっさいわね。まだ心の準備が出来てないの」
「心の準備ってなんだよ。このまま放置される方が嫌だと思うぞ」
「あー言えばこう言う。少しは他人の気持ちを考えて」
「やだね」
他人の気持ちなんて、この世界の真理と同じくらいに分からないものは、考えるだけ無駄なのである。とはいえ、それ以上急かす事はしなかった。掘っては埋め、掘っては埋めを繰り返すシャルルを、ルークはただ見つめていた。
それから十分ほど時間が過ぎ、ようやくシャルルが手を止めた。布袋を見つめ、穴を見つめ、生唾を飲み込む音を響かせ、それから意を決したようにルークを見る。
「うん、もう大丈夫」
「落とすなよ」
「落とさないわよ。ちゃんと、ちゃんとやれる」
本人はもう大丈夫と言っているが、ルークから見ればまだまだ時間は必要そうである。だがしかし、ここでなにかを言ったところで結局はやらないといけないし、シャルルだって自分の手でやりたい筈だ。
ルークは喉まで出かけた言葉を飲み込み、重い腰を上げて布袋の側へと移動した。
「俺片腕しか使えねぇから頭持つわ」
「あ、頭って言わないでよバカ!」
「んじゃなんて言えば良いんだよ。てっぺん?」
「上で良いわよ。私はその、下を持つから」
言い合いをしつつも、二人は上と下をしっかりと持つ。手に伝わる重さを身体中に刻み、二度と忘れないように心に刻みながら、二人は息を合わせて穴の中へと布を下ろした。
その瞬間、僅かに布がめくれた。
シャルルには見えなかったが、ルークは目にした。
ーー死んだ男の、満足そうな笑顔を。
ルークもつられて微笑み、めくれた布を元に戻した。
「な、なに笑ってんのよ。不謹慎な事考えてないわよね?」
「バカ言え、流石の俺でもそこまでクズじゃねぇよ」
「どうだか」
「布袋めくっちゃおうかなぁ」
「十分クズでしょ!」
シャルルの渾身の叫び声も一緒に穴に落とし、今度は二人でシャベルを手にとる。言い難いむなしさを感じつつも、二人は黙々と布袋に土をかけていった。
人の死が初めてな訳じゃない。もっと親しい人間がつい最近死んだばかりだ。あの青年と比べれば、ベルトスとの付き合いなんてほんの僅かなものでしかない。ーー僅かなものでしかないが、それでも、やはり人の命は重かった。
だからこそルークは思った。
もう二度と、こんな思いはしたくないと、
「ふぅ、こんなもんかしらね」
布袋が完全に見えなくなるくらいにまで土をかけると、シャルルは満足そうにシャベルを置いて手についた土を払った。その頃には重苦しかった表情は消え、ほんの少しだが、晴れやかな表情で微笑んでいた。
ルークが土を平らにならしていると、
「それじゃ、仕上げはこれね」
「なにそれ」
「なにって、墓標ってやつ?」
「すげー手作り感満載だな。もうちっとどうにかならなかったのかよ」
「しょうがないでしょ、子供達も一緒になって作ったんだから」
先ほどから目には入っていたが、あえて触れなかった物。木の板を十字に張り合わせ、なんか花とか読めないほどにぐちゃぐちゃな文字が書かれている。唯一読み取れたのは、『ベルトス』という名前だけだった。
シャルルは一瞬だけ躊躇うように手を引いたが、ルークにチラリと視線をやり、それから迷う事なく土にそれを突き刺した。簡易的で中々適当だが、今やれる精一杯のものがようやく完成した。
完成した墓を眺め、シャルルはポケットからなにかを取り出すと、取り出したものを静かに墓標の前に置いた。
それは、金貨と小さなボトルに入った酒だった。
「アイツ、お金大好きって言ってたでしょ? あと、前に会った時酒臭かったし、多分お酒も好きだと思うの」
「好きなもん貰えて死ねんなら、アイツも幸せだろうよ」
「そうだと、良いわね」
静かに呟き、シャルルはその場にしゃがんで手を合わせた。しばらく無言の間が続き、ふっきれたように立ち上がると、シャルルは真面目な顔つきでルークへと視線を移した。
それこそ、告白でもしそうな顔で。
「告白か?」
「違う。アンタに聞きたい事があるの」
「質問する時は許可とらねぇ方が良いぞ。どーせ断っても訊くんだから」
軽口でそう言ったルークだが、彼女がなにか思いつめている事だけは分かった。さっきも言ったが、他人がなにを考えているのかなんてのは分からない。だから、ルークは待った。シャルルが自ら口を開くのを。
「このあと、アンタ達どうするの?」
「どうするって?」
「傷が治ったらって事よ。この町に残るの?」
「いんや、やらなきゃいけねぇ事が大量にあるからな。それ済まさねぇと」
「魔王を、殺しに行くのよね」
「おう」
次の目的地は決まっていないが、ここに長居するという選択肢はないだろう。ようやく戦いが終わったというのに、ルークがここにいてはまたいつ攻めてくるか分かったもんじゃない。
だから、出来れば直ぐにでも旅立ちたいというのが本音だった。
「実はね、私も一緒に行くって言うつもりだったの」
「つもりって事は、一緒には来ねぇのか?」
「うん。今回の戦いで、私がどれだけ弱いかを知ったから。魔法も使えないし、戦い方も知らない。そんな私が一緒に行っても、足手まといにしかならない」
「だろうな。すでに足手まといがいるからもう無理だ」
「ほんと、空気読みなさいよ」
同じ人間、おてんば姫様を二人は思い浮かべたらしく、二人は同時に吹き出した。笑みを隠すようにシャルルは顔を逸らし、
「ここに私の居場所はないから、アンタ達と一緒に行くつもりだった。だって、この町には良い思い出なんて一つもなかった」
「んな理由かよ」
「私にとっては重要だったのよ、それに、なかったって言ったでしょ」
「へいへい。今はどうなんだ?」
「今はね、ここにいるのが楽しい。苦しくて、痛い思いをいっぱいしたけど、ここにいるのが凄く楽しいの」
今も修理を続けているであろう貧民街の方向へと目を向け、シャルルは優しい顔で微笑んだ。その笑顔は、初めて会った時、ガジールの料理を食べて見せた顔と一緒だった。
シャルルはルークへと視線を戻し、
「だから、ここに残る。今は猫の手も借りたいだろうし、私にもやれる事がきっとある筈だから」
「貧民街も向こうもボロボロだからな」
「これから忙しくなるわ。でも、大丈夫。今のこの町なら、皆となら、いくらでもやり直せる」
「俺は手伝わねぇかんな」
「アンタにはやらなきゃいけない事があるもんな」
わざとらしく折れた腕を見せつけるルークだが、たとえ治っていたとしても手伝わないだろう。
それが分かっているからこそ、シャルルは無理に手伝えとは言わなかった。
その代わりに、
「絶対に負けるんじゃないわよ」
「たりめーだろ」
「負けたらこの国は滅びる。この国が滅びるって事は、私の大事なこの町がなくなるって事でしょ? そんなの、私は絶対に許さない。もし負けたらアンタを探し出してボコボコにしてやる」
「負けたら死んでるっつーの。けどまぁ、心配すんな。この町の事なんかどうでも良いけどよ、クソ魔王は俺が必ずぶっ殺すから」
「当たり前よ、それはアンタにしか出来ない事なんだから」
握り締めた拳をルークの右胸に当て、シャルルは不敵な笑みを見せた。初めは仏頂面の態度だけはデカイ女と思っていたが、意外と笑う女らしい。そしてその笑顔は、これまた意外と可愛いらしいものだった。
それを口にしようとした瞬間、
「それで、なんだけど……」
急にしおらしい態度になり、シャルルはもじもじと体をひねり出した。先ほどまでの勝ち気な態度は一瞬にしてどこかへ飛び立ち、乙女シャルル誕生の瞬間である。
「もし、疲れた時とかは……いつでも戻って来なさいよ」
「なんでわざわざここに来るんだよ。近いところで休むわ」
「い、良いから来るの! 近くても遠くても、たまには顔を見せに来なさい!」
「なにキレてんだよ」
「キレてない! その、心配になるでしょ。アンタは、一応友達なんだし、たまには顔を見たくなるっていうかなんていうか……」
ようするに、気になるからたまには会いに来い、と言いたいのだろう。だがしかし、彼女の乙女心がそれを素直に言う事を良しとはしない。思っている事と正反対の事を言ってしまうーーそれすなわち、
「ツンデレかよ。もうツンデレは一人いるからお腹いっぱいです」
「だ、誰がツンデレだ!」
「お前だよお前。ティアよりも筋金入りのツンデレだねうん。ツンデレクイーンの称号をプレゼントしちゃおう」
「い、いらんわ! ツンデレじゃないし! 素直になれないだけだし!」
「それをツンデレって言うんだよ? あと自分から言っちゃうんだ」
相変わらずの空気の読まなさっぷりは、ここまで来ると尊敬すら覚えてしまう。とはいえ、直球で言葉をぶつけられたシャルルは全身を真っ赤にして暴れ回り、このまま墓をぶっ壊しかねないので、ルークはそれ以上からかうーーもう十分からかっているのだが、なにも言わずに爽やかな笑顔で微笑むのだった。
それからシャルルが落ち着くまで待ち、
「と、とにかく、たまには顔見せに来る! 分かった!?」
「へいへい、暇になったらな」
「う、うん、それで良しとしてあげる」
「なんで上から目線なんだよ」
「私の方が偉いからに決まってるでしょ?」
「なんでそんなに自信満々なのかな?」
一応、形だけ見ればシャルルを助けたのはルークなのだが、すでに彼女の中で確固たる上下関係が確立されているらしい。それに逆らえばもう片方の腕まで砕かれる可能性があるので、ルークはお口にチャック。
墓作りも終わり、やる事がなくなってしまったルーク。
とりあえず戻ろうとしたが、
「あ、そうだ。さっきティアニーズを見たわよ? なんか一人で町を歩いてたみたいだけど」
「一人で? そういやエリミアスがそんな事言ってたっけ」
「またなんかやったの?」
「全課があるみたいな言い方やめてくれる?」
「だって、なんか挙動不審だったし。ちっさな紙袋もってウロウロしてたわよ」
「んな事言われてもなぁ……」
なにか理由がありそうだが、ずっと寝ていたルークには思いあたるふしがない。卯なり声を上げて考えたものの、結局答えは出なかった。
「んま、とりあえず戻ってみるわ。お前はどーすんの?」
「もうちょっとここにいる。私もあとで行くから、先に戻ってて良いわよ。……帰り道、分かるわよね?」
「バカにすんじゃねぇよ」
もう迷子キャラが定着してしまっているらしい。ルークとしては非常に不服なのだが、反論のしようがないほどに事実なので仕方がないのである。
ルークがムキになってその場から去ろうとすると、
「シャルル・ワイアス」
「は?」
「だから、シャルル・ワイアス。それが私の名前。あんまり好きじゃないけど、特別に教えてあげる」
「別に聞いてねぇけど……うそ、ありがと、実は聞きたかったんだ」
いつもの調子で言ったが、なぜか目の前に拳が接近していたので素直に頷くルーク。
それから背を向け、絶対に戻ってやると心に決めつつ、ルークは手を振ってシャルルと別れたのだった。