七章六十八話 『行き詰まり』
ゴルークスの話によれば、親と呼ばれる魔獣が死ねば親が作り出した魔獣は全て消えるらしい。それはつまり、魔元帥であるセイトゥスが死ねば、彼が作り出した魔獣は消えるという事になる。
しかし、
「魔元帥は死んだが、魔獣は一匹も消えなかった」
予想していたとはいえ、ルークはアテナの言葉を聞いて僅かに顔をしかめた。しかし、これといって焦る訳でもなく、自分の中に浮かんだいくつかの疑問を冷静に口にする。
「って事は、もしかして殺せてなかったって事か?」
「いや、それはないだろうな。さっきも言ったが門が壊れるのを私は見た。それに、ソラとティアニーズが消える瞬間を見たと言っていたぞ」
「となると……ゴルークスの話が嘘だった、って事か……」
それは、出来れば考えたくない事だった。
別に彼と深い仲という訳ではないが、彼の勇気ある行動によって命を救われたのは事実だ。
ルークが面倒くさそうに頬をかいていると、
「私もアンドラも同じような事を考えたよ。だが、それはないという答えに至った」
「そりゃまた、なんでだ?」
「理由なんかないさ。強いて言えば、彼に助けられたから、だな」
「アイツは魔獣だったけどよ、最後は命をかけて俺達を助けてくれた。そんな奴が嘘をついてたとは思えねぇんだよオイ」
二人の考えを聞き、ルークはほっとするように息を吐いた。自分から口に出しといてなんだが、もしここで二人がゴルークスを疑うような発言でもしていれば、手を出していたところだろう。
三人は顔を合わせ、全員が同じ事を考えていると悟る。それからアテナはわざとらしく喉を鳴らし、
「だがまぁ、これはあくまでも感情論のみの話だ。理由をつけるとすれば、私達は……彼の作り出した魔獣が消えるのをその目で見ている」
「……あんま思い出したくはねぇ話だけどな」
「だからエリミアスを追い出したんだ。私だって心苦しいさ」
顔を伏せ、苦笑いで答えるアテナ。
いくら外道のルークとはいえ、僅かな時間を共に過ごした存在が、しかも子供が自分達を守るために消えたとなれば、多少は心にくるものがある。
だが、それがなによりもの証拠だった。
「ゴルークスが死に、子供達は消えた。であれば、彼の言っていた事は嘘ではないという事になる」
「でも魔元帥が作った魔獣は消えなかったんだろ? つー事は……」
「あぁ、まだ私達の知らないなにかがある。そして、親であるゴルークスですら知らないなにかがな」
「なにかってなんだよオイ」
「それを私に訊かれても困る。知っていたらここまで悩んだりしないさ」
「そりゃまぁ、そうだなオイ」
早々に結論を求めようとしたアンドラだったが、アテナにたしなめられて困り顔で手を広げた。
二人の楽しそうなやり取りはさておくとして、
「親が死んでも死なない魔獣がいる、とかか? 例えば、魔元帥が作り出した魔獣は特別とか」
「その可能性はあるな。だが、そうなると親を殺す意味がなくなる。ゴルークスが言っていただろ、ほとんどの魔獣は魔元帥が作り出したと」
仮に魔元帥が作った魔獣だけが特別だった場合、魔元帥を殺してもその魔獣は死なないという事になる。そうなれば、この世界に存在するほとんどの魔獣の始まりは魔元帥なので、親を殺すという行動そのものに意味がなくなる。
親を殺しても魔獣が死なないんじゃ、そもそも魔王を殺したら全ての魔獣が消えるーーという理論さえ破綻しかねない。
アテナは少し考える仕草をとり、
「魔元帥が死んで門は消えた。しかし魔獣は消えなかった。この二つ、似ているようでまったく異なる。そこに答えがある筈なんだが……」
「そういや、消えなかった魔獣はどうしたんだよ」
「倒したよ、そのせいでこっちも死にかけたがな。アンドラが来てくれなければどうなっていたか」
「アキンを探してたらたまたま合流しただけだ。そうだよ、アキンだよ。あれからなんか元気ねぇみてぇなんだよオイ」
思い出したように手を叩き、心配性なお父さんは天井を見つめてため息をこぼした。
しかし、ルークとアテナはそれを芸術的なスルーで無視し、
「わっけ分かんねぇな……」
小さく呟き、ルークはベッドに倒れる。まだ寝ぼけている瞼をごしごしと擦り、アンドラと同じように頭を冷やそうと天井を見つめた。
ゴルークスから魔獣の生態を聞いたとはいえ、まだまだ知らない事の方が多い。聞いていた事とはまったく違う事がおき、再び増える謎。
元々深く考えるのが得意ではないルークにとっては、こうやって時間を使って考察するのは苦手な部類だ。
そもそも、この腕の呪いだってーー。
その瞬間、不意に電流が走った。
「なぁ、ゴルークスの親って誰なんだろうな」
「ん? そうだな、そういえば聞いていなかったな」
「ウルス、だったんじゃねぇのかな」
「……ウルス?」
思えば、ウルスの名を聞いた時のゴルークスの反応はおかしかった。彼自身からなにかを聞いた訳ではないし、これはルークが都合の良いように物事をとらえているだけなのかもしれない。
けれど、気になってしまった。
もし、彼が最後に言った謝罪の言葉が、ルーク達が思っていた意味とは違うのなら。
人間の真似をしていた事に対してではなく、自分がウルスの作り出した魔獣だからなんだとすれば。
「これは俺の考えっつーか、勝手な妄想かもしんねぇけどよ、多分アイツの親はウルスなんだと思う」
「……そうか、確かにそうなのかもしれないな。だが、それがーーいや、まて、そうか……。もし彼の親がウルスだとしたら……」
「ゴルークスは、親が死んだのに死ななかった魔獣って事になる」
「オイオイ、そんじゃアイツは嘘ついてたって事か? アイツの言ってた事と、アイツ自身が矛盾してんじゃねぇかよオイ」
「まだあんだろ。魔元帥が死んでも消えなかったものが」
オイオイうるさいアンドラに若干苛々しつつも、ルークは体を起こして自分の右腕を突き出した。
ルークの右腕に刻まれたグロテスクな黒い紋様ーー呪いを見た瞬間、アンドラとアテナは同時に目を見開いた。
「呪いってのは使用者が死ねば消えるんだろ? でも、コイツは消えなかった。似てねぇか? 消える筈なのに、消えなかった魔獣に」
改めて考えても、この呪いについては不明な点が多い。なにか痛みがあるかと思えばそうでもないし、ソラの話を聞く限り、精霊の力を使って抑えている訳でもない。呪いとしての本来の役目を果たしておらず、ただのちょっと不気味なタトゥーでしかないのだ。
だがしかし、ルークは知っている。
腕に刻まれたこの呪いが、もしかしたら違う目的で効力を発揮しているのかもしれない事を。
「ずっと黙ってたけどよ、多分コイツのせいで俺の居場所はバレてる。この呪いがあるから、デストはあの森に来れたんだと思う」
「テ、テメ、なんでそんな重要な事を黙ってたんだよオイっ」
「確証がねぇからだよ。それに、言ったところでどうにかなるもんでもねぇだろ」
「そりゃそうだけどよ、一応仲間なんだから報告くらいはだな……」
「アンドラ、一旦落ち着け。ひとまずルークの考えを聞こう」
あっけらかんとした様子のルークに迫ろうとしたアンドラだったが、アテナの手によって拘束された。行き場のない気持ちを吐き散らすようにベッドに拳を叩きつけたあと、アンドラは自分を落ち着かせるように深呼吸。それからルークに視線を移し、
「んで、それがなんだってんだよオイ」
「俺は呪いに関して詳しくは知らねぇけどよ、使用者が死んだら消えるんだろ?」
「あぁ、呪いとはそういうものだ」
「でも、コイツは消えなかった。ティア達が魔元帥を殺して、他の奴らの呪いは消えたのに、俺の呪いだけは消えなかった」
「……あり得ない、とは言いきれないが……魔元帥は、死んでいなかったと言いたいのか?」
「多分、な。あの魔元帥は俺の呪いだけを意図的に残した。もし自分が死んだとしても、勇者である俺をいつでも追跡出来るように」
何度も言うが、これはルークのひらめきから出た考えであり、なにかこれといった根拠がある訳ではない。だがしかし、今現状ある情報をまとめて整理した結果、頭に浮かんだこの考えが一番しっくりくるのだ。
ルークは腕の模様に爪を立て、
「魔元帥は死んでなかったんだよ。なんつーか、体は滅びたけど魂は生きてるっつーか。他の奴らの呪いが解けて、俺のだけが解けなかった。もし、これがなんでもねぇ一般人ならたまたまで済んだかもしれねぇ。けど、俺は勇者だ、精霊と契約してる人間だ」
「死んでいなかったからこそ、呪いは解けなかった。魔元帥はわざと他の人間の呪いを解き、自らの死を偽証した……か」
「で、でもよ、それじゃあなんで門は閉じたんだよオイ」
「あれは魔元帥の体内と外を繋ぐ門だ。肉体が滅び、門を維持する事が出来なくなった……のかもしれないな」
家が壊れて扉がなくなったから外に出れなくなったーーという表現が一番近いだろうか。うちと外を繋ぐ門は肉体が滅びたから消滅したが、魔元帥の魂はまだ残っているから魔獣は死ななかった。
突拍子もなくてぶっ飛んだ考えだが、そう考えると納得がいくのは事実だ。
アンドラは一人難しい顔をし、
「んじゃ、魔元帥は殺せねぇって事か? 俺達が今までやって来た事は、全部無駄だってのかよオイ」
「んな事言ってねぇだろ。多分、これがゴルークスの言ってた謎だ。これさえ解けりゃ、不死身らしいクソ魔王を殺せるかもしれねぇ」
「不死身ねぇ。大体、あんな大量に魔獣を作れんだぞ? わざわざ不死身になる必要あったのかよ。あれ? 最初から不死身だったのか? それともあとから不死身になったのか?」
「……つか、まて。そうだよ、なんでこんな事に気付かなかったんだよ」
アンドラの言葉を聞いた瞬間、ルークは自分の頭をかきむしった。寝癖でボサボサだった髪がさらに乱れ、重力に逆らうボンバーヘアーの出来上がりである。
二人の視線がルークに集中し、
「お前らには言っとくけど、俺は魔王を精霊、もしくは精霊に近いもんだと思ってる」
「それは、私も考えた事がない訳ではないが……」
「色々合致するところが多過ぎんだよ。今回ので契約出来る事も分かったし、宝石を砕かねぇと死なねぇとか、んなの精霊とほとんど一緒じゃねぇか」
「確かに、そうだな。だがなぜ、精霊が人間を殺そうとする?」
「理由なんか知らん。んなのどうだって良い」
そう、魔王がどんな理由で人を殺そうとしているのかなんてどうだって良いのだ。聞くに耐えない理由があるのかもしれない。涙なしでは語れない過去があるのかもしれない。しかし、そんなのルークにとってはどうだって良い。重要なのは、魔王が生きている限り、自分の望むものは手に入らないという事だ。
「ソラの話を聞く限りだと、精霊は不死身だ。不死身っつーのは寿命がねぇって意味で、精霊なら精霊を殺せるらしい」
「魔獣を殺せるのは精霊だけ、精霊を殺せるのは精霊だけ。まったく、どうして君はそれを黙っていたんだ」
「説教ならあとで聞く。そもそも、だ、なんで精霊は力を貸したんだ? 魔獣なんて訳の分かんねぇ生物、精霊の力でも殺せるか分かんねぇ筈だろ」
「……精霊は、魔獣がなんなのかを知っていた?」
「多分、な。しかも、知った上で手を貸したって事は、魔王を殺せると思ったからなんじゃねぇのか?」
ルークは、始まりの勇者がどういう経緯でソラと契約したのかは知らない。流石にルークのように岩に刺さっているのを抜いた訳ではないだろうし、二人が契約を結ぶにあたり、まだ知らないなにかがあったのは確かだろう。
では、その知らないなにかとはなんなのか。
どこで、どうやって、始まりの勇者は精霊の存在を知ったのか。
精霊とはあくまでも伝説の存在で、実在すると信じている人間は多くない。
ここで重要なのは、どちらから話を持ちかけたのか、だ。
人間が力を貸してくれと頼んだのか。
精霊が力を貸すと言ったのか。
もし、後者なんだとすれば。
「精霊どもは魔獣がなんなのかを知ってる。知った上でソラを地上に下ろして、魔王を殺すために戦わせた。勝算もねぇのに、普通はそんな事しねぇ。精霊はルールにうるせぇらしいしな」
「精霊なら、魔王を殺す手段を知ってると言いたいのか?」
「多分、つーかソラは知ってたんだと思う。記憶はぶっ飛んじまったけどな」
たどり着いた答えは、結局精霊とどうにかしてコンタクトをとるしかない、だった。
一度は諦めたが、今回の件で二つの存在が密接に関わりあっているのは明白になった。であれば、まだルーク達が知らない答えを、彼らを殺すための方法を、なにがなんでも精霊から聞き出す他ない。
ーーのだが、
「つっても、ソラは記憶ねぇし、ケルトも知らさそうだしなぁ。精霊の国に行くしかねぇのかもしんねぇけど、それで帰ってこれなくなったらそれこそ全部パーになっちまう」
考えた過ぎたためにルークの脳ミソは限界をむかえ、全てを投げ出すように右手を振り回してベッドに倒れこんだ。
結局のところ、答えあわせをする術がないのだ。
「帰ってこれないのは困るな。今君達の力を失えば、負けが確定すると言っても過言ではない」
「精霊と魔獣が一緒の存在だっつーなら、ソラとケルトが敵だって事はねぇのかよオイ」
「ねぇだろ、魔獣ぶっ殺してんだし。それに、精霊には同族殺しはダメってルールがあるらしいぞ」
「そんなルールがあんなら、精霊と魔獣に
同じって考えもおかしくなってくるだろオイ」
「オイオイうっせぇよ、俺だってなんも知らねぇんだよ」
面倒くさそうに顔を逸らしたが、アンドラの言う事はもっともだ。同族殺しは禁止というルールがある限り、魔獣は精霊ではないーーという証拠になってしまう。そもそも、自分達の作ったルールを破るために力を貸すとは思えない。
ソラやケルトの話を聞く限り、精霊はとても頭が固そうなのだから。
完全に行き詰まってしまった推理。
熟考し過ぎたせいでルークの頭は使いものにならず、アンドラはそもそも考えようともしていない。
アテナはため息とともに立ち上がり、
「……ダメだな、いくら考えても結論がでない。まだ私達の持っているピースだけではパズルを完成させる事は出来ないらしい」
「つか、考えるならお前らだけで考えろよ。俺こーいうの苦手なんだよ」
「精霊や魔獣については、君の方が知識がある。現に、私では出す事の出来なかった仮説をたてただろう?」
「たまたまだよ。俺はひらめきで生きてっから」
「推理とはそういうものさ」
なぜか名探偵を気取ったような発言をし、アテナは得意気にウインク。
ルークはゆらゆらと空中を漂いながら迫るハートを叩き落とし、
「そういや、もう一つの悪い知らせってのは?」
「ん? あぁ、そういや忘れてたわ。こっちも中々厄介ーー」
アンドラがなにかを口にしかけた瞬間、コンコン、と扉がノックされた。
三人は顔を合わせ、エリミアスが戻って来たのかとも思ったが、聞こえてきた声によってその考えは否定された。
「ね、ねぇ、起きてる? 私、シャルル」
少し遠慮がちに上ずったシャルルの声だった。
ルークは扉方を見つめ、それからアテナへと視線を移動。自分は歩けないので開けろ、と目で訴えかけていると、肩を落としながらアテナが扉を開けた。
「え、あれ? 部屋間違えた?」
「いや、ルークに用があったのだろう? なら間違っていない、少し話をしていたんだ」
「そ、そっか。ていうか、もう起きれるくらいには回復したのね」
突然現れたアテナに驚いたようだったが、部屋の中を覗きこんで状況を把握したようだ。ベッドの上でヒラヒラと元気そうに手を振るルークを目にし、
「もう動いて平気なの?」
「知らん。ちょっとくらいなら大丈夫なんじゃね?」
「なんで私に訊くのよ。平気なら付き合って」
「なに、告白?」
「ち、違うわよバカ!」
こんな下らないジョークにもちゃんと反応してくれるのは、シャルルかティアニーズだけである。
顔を真っ赤に染めるシャルルをからかうように指をさしていると、
「まったく、どうしてアンタはそういう事を……」
「わりぃわりぃ。んで、なんの用だよ」
「……お墓。ベルトスのお墓作りたいから、手伝って」
ベルトスという名前が出た瞬間、無意識にニヤけていた表情が元に戻った。シャルルから視線を逸らして数秒間天井を見つめ、痛む体を引きずるようにベッドから下りると、
「わり、ちょっと用事出来たから話はあとにしてくれ」
「あぁ、分かった」
アテナにそれだけ告げると、特に嫌がる気配もなく即答で了承してくれた。
スリッパを履き、パタパタと音を鳴らしながらシャルルの前まで行くと、
「とっとと行こーぜ」
「う、うん。でも平気なの?」
「へーきへーき。つっても、左腕しか使えねぇから、穴掘るのとかはお前に任せる」
「分かった。いきなり倒れたりしないでよね、アンタ運ぶの私一人じゃ無理だし」
「こっちは怪我人だぞ? 倒れたらお前が運ぶに決まってんだろ」
「は、はぁ? 私だって怪我してますぅ」
なんて軽口を叩きながら、二人は部屋をあとにした。
そんな二人の背中を見送りったあと、アテナが僅かに表情を曇らせて呟く。
「しかし、にわかに信じ難いな。本当なんだろうな?」
「こんな事嘘ついてもしゃーねぇだろオイ。わざわざ見に行って、話もちゃんと聞いて来たっての」
「そうか……ルークほどではないが、私も頭がパンクしそうだよ」
「そりゃ俺もだ。なにせ自分の手で殺した相手の死体がーー綺麗さっぱり消えちまったんだからなオイ」
そう言って、アンドラは窓の外へと視線を向ける。
その視線の先、小さな路地の裏で、自分の大事な弟子が二人の精霊から質問責めにあってるとも知らずに。