七章六十七話 『悪い知らせ』
ひとまず、テムランでの戦いは終わりをむかえた。
町の至るところにその傷跡は残ってはいるものの、奇跡的に死傷者はなし。重症者は多くいるが、治療すれば再び元の日常生活に戻れる人間ばかりであった。
そしてなによりも、あれだけの戦いを繰り広げておきながら、誰一人として不満をもらす人間はいなかった。
戦いが終わり、町全体を上げた宴が開かれ、そこに参加した全員が心の底から微笑んでいたという。
辛いものではあったが、全員が望んでやった事だ。
自分の命をかけ、この町を元の姿に戻すための戦い。
自分の命をかけ、偽りの希望を壊すための戦い。
テムランの人間は戦いを経て、本当の自分を手に入れたのであった。
そして、その戦いの立役者となった勇者一行。
こちらに関しても死者はなく、約一名腕がもげそうになるほどの怪我をしたが、魔法による治療で一応は大事を乗り越えていた。
戦いから二日間眠り続け、ようやく勇者は目を覚ます。
長い長い眠りから、英雄は目を覚ました。
「……あっぶね、腕とれる夢見てたわ」
目を覚ますと同時に上体を起こし、ルークは首から包帯でぶら下がっている左腕に視線を移した。痛々しさはあるものの、拳を握ったり開いたりと、動かす事に不備はない。
嫌な夢から目を背けるように辺りを見渡し、
「……誰も、いねぇな」
部屋のベッドに一人ポツンと寝ていたルーク。
いつもなら目を覚ました瞬間に騒ぎ出す少女の姿は見えない。なぜか物足りなさを感じる自分に首を傾げながらも、再び眠りにつこうとすると、
「おはようございます!」
「なにお前、気配消す術を身に付けたの?」
「ずっとここにいましたよ?」
満面の笑みでルークの起床をむかえたのはエリミアスだ。ベッドの横に椅子を置き、上半身を掛け布団に預けていたが、ルークと目があった瞬間に服を整えながら顔を上げた。
「怪我してんだな」
「名誉の負傷なのです。私もどんどん皆さんと同じになれている気がして、とても嬉しいのです!」
「怪我して嬉しいとか良く分かんねぇな」
「ルーク様は大丈夫なのですか?」
頬に貼られたガーゼに触れ、なぜかガッツポーズをとるエリミアスにルークは苦笑い。それから自分の体を確認し、
「一応な。腕も軽くなら動くし、他んところも……まぁへーきだろ」
「それなら良かったのです。皆さんルーク様の事を心配していたのですよ?」
「そういや他の奴は?」
「ティアニーズさんは先ほどまでいらっしゃったのですが、用があるとどこかに行ってしまいました。ソラさんも、ケルトさんと一緒に……」
「ソラとケルト? なんか珍しい組み合わせだな」
「なにか大事な話があるとお二人で」
一応、精霊という接点はあるが、あの二人が仲良くお出かけーーなんてのは想像し難い。となれば、なにか他の理由があると思われるが、当然そんなのはどうだって良い。
ルークは体が痛まないギリギリのラインを探すように腰を捻りながら、
「お前はここでなにしてんの?」
「目を覚ました時に誰もいなかったら寂しがるとティアニーズさんが」
「寂しい訳ねーだろ。つか……」
変な事を吹き込んだティアニーズに若干苛立ちつつ、ルークはとある事に気付いた。
楽しそうにニコニコと笑みを浮かべるエリミアスを見つめ、
「お前ら仲直りしたの?」
「はい! お互いにちゃんと話して、今度こそお友達になれました!」
よくぞ訊いてくれました、と言わんばかりに身を乗りだし、エリミアスは食いぎみに答えた。
突然荒ぶったエリミアスに呆れつつ、
「あー、そう。良かったね」
「色々とお話もしましました! 女子トークというやつなのです!」
「一旦落ち着こうか。しましまってなに?」
こっちの話なんか耳に入っていないのか、エリミアスは身振り手振りでティアニーズと話した事についてを語り出した。早口だし興奮し過ぎてなにを言っているのか分からないが、とりあえず楽しそうである。
このままでは永遠と語られると思い、ルークは掌をエリミアスの口に押し当てて強制的に阻止。
「わーったから、もう良いっての」
「ふご、ほごほごはご!」
「止めてんだから喋んの辞めろ」
口を塞がれても喋ろうとするエリミアス。
結局、まったく聞き取れないものの自慢話は続けられ、ルークはそれに最後まで付き合わされる事となる。
それから十分ほど経過し、そろそろ終わるだろと思って手を離した時、エリミアスは息を整えるように背筋を正し、それから深々と礼儀正しく頭を下げた。
ルークはエリミアスの後頭部を眺めながら、
「いきなりなんだよ」
「ティアニーズさんの事、ありがとうございます。私では、ティアニーズさんを連れ戻す事は出来ませんでした」
「俺はなんもしてねーよ……いや今回はちげぇか。アイツがなにを言っても連れ戻すつもりだったし」
「ルーク様の言葉だからこそ、ティアニーズさんは戻って来てくれたのです。他の誰でもない、ルーク様にしか出来なかった事なのです」
いつもなら、ルークはここで『違う』と言っていただろう。
いつもなら、ルークはここで『知らん』と言っていただろう。
だが、それらの言葉は頭に浮かびすらしなかった。小さく微笑むエリミアスにつられ、ルークの頬も緩んだ。
「かもな」
「はい!」
笑顔を交わし、ルークは改めて気付いた。
エリミアスの、本当の笑顔が戻ったのだと。
それだけあの少女の存在は大きかったのだろう。本人は自分を蔑むような発言ばかりしていたけれど、そんな事はまったくない。
心の底からこう思う。
連れ戻す事が出来て、本当に良かったと。
「で、ですが! 私は負けないのです!」
「あ? 負けないってなにが?」
「そ、それはその……えと……こ、こここここ……」
「こ?」
なぜか連呼される『こ』という単語。
そこから連想される様々な言葉を考えたが、このアホ勇者の脳ミソでは答えにたどり着く事が出来なかった。
頬を赤く染めるエリミアス。
それを間抜けな顔で見つめるルーク。
「と、とにかく負けないのです! たとえティアニーズさんが相手でも、私は勝ってみせるのです!」
「お、おう。なんか分かんねーけど頑張れ」
「頑張るのです!」
両の拳を結んで見た事もないほどにやる気満々のエリミアス。
ルークはなに一つ事情を知らないが、とりあえず知らないなりに応援する事にした。ただ、一つ言っておこう。
この男が他人を応援するのはかなり珍しい。
とりあえず話を終え、ルークはもう一眠りしようと体を寝かそうとする。と、そこで異変がおきた。
当然、異変の原因はお姫様だ。
「と、とりあえずどうすれば良いのか分からないので……えい!」
「……えい、じゃねーよ。なにやってんのお前」
可愛いらしい掛け声とともに、エリミアスは掛け布団をめくった。それからベッドによじ登り、ルークの横に座ると再び掛け布団をセット。
一緒に寝る仲良し二人、の完成である。
「頑張るのです!」
「うん、別に頑張るのは良いよ? なんで布団に侵入して来たのかな?」
「いつもソラさんもやっていらっしゃるからです!」
「あの野郎、エリミアスが変な子になっちまったじゃねぇか。バシレのおっさんに文句言われんの俺なんだぞ」
「私も、私もずっとこうしたかったのです! えへへ」
どこかでなにかをしている白頭の精霊を恨んでいると、エリミアスはくったくのない笑顔で微笑んだ。よほどこうしたかったらしく、そりゃもう幸せ山盛りの顔である。
しかし、次の瞬間にはその顔が固まった。
ギギギ、と錆びた鉄のような音を首から鳴らし、
「ル、ルーク様?」
「んだよ」
「い、今、私の事名前で呼んでくださいましたか!?」
「あ? ……そうだっけか? つか、今まで名前で呼んでなかったっけ?」
「呼んでなかったのです! ずっと姫さんと呼んでいたのです!」
「名前呼んだくらいでなんでそんなに嬉しそうなんだよ」
あまりの嬉しさにテンションが限界をぶち破ったのか、エリミアスはなんの躊躇いもなくルークの胸ぐらに掴みかかった。キラキラと眩しいくらいに瞳を輝かせ、お姫様は興奮気味のご様子だ。
「ようやく呼んでくださいました!」
「全然意識してなかったわ」
「なんだか仲間外れみたいで寂しかったのですよ? ですが、これもやはり頑張ったおかげなのですね! 努力は報われる、素晴らしい言葉なのです!」
「なんかお前が羨ましいわ」
どこまでも頭の中がお花畑のエリミアスに、ルークは同情するような目を向けた。
ただ、実際こうしてちゃんと名前を呼ぶのは初めての事だった。ふざけている時に呼んだ事は数回あるかもしれないが、目を合わせ、きちんと呼んだのは今が初めてだ。
ルーク自身、意識してやっている事ではないが、認めた相手は名前を呼ぶ、という事を無意識のうちにやっているらしい。
例外はあるものの、ようやくエリミアスも近しい人間として認められたのだ。
調子に乗ったお姫様は、
「あ、あの、一つお願いがあります!」
「やだ」
「まだなにも言ってません! えと……頭を撫でてください」
もじもじと指先を合わせ、上目遣いで恥ずかしそうにそう言ったエリミアス。
ルークは面倒くさそうに顔をしかめたものの、
「しゃーねぇから撫でてやる。頑張ったご褒美だ」
「は、はい。では、どうぞ!」
「どうぞってなんだよ。そう言われるとやりづれぇわ」
両手を広げ、かっかて来いやという意思を示す姫様。なぜか自分から言っておいて緊張しているらしい。
ルークは顔を逸らし、そっぽを向きながら空いた右腕でエリミアスの頭を優しく撫でた。
「えへへへ」
とても気持ち良さそうな声が聞こえた。
ルークも何度か頭を撫でられた事はあるが、特段これといって笑顔になるようなものではないと記憶している。だから、エリミアスがなぜ笑っているのか分からない。分からないが、案外悪い気はしなかった。
しばらく撫で続け、
「もう良いだろ。なんか俺の方が恥ずかしくなるわ」
「も、もうちょっとだけ!」
「断る。良いか、こういう事をしてる時ってのは一番警戒すべきなんだ。もし誰か部屋に入って来てみろ、特にティアあたりだ。並んでベッドに入ってて、しかもなんか頭撫でてる。普通に考えたら怪しい光景ーー」
「そうだな、微笑ましいが怪しいな」
撫でるのを止め、これまでの人生経験からこの後になにが起きるのかを説明していると、実際にそれがおこってしまった。
ガチャリと扉が開かれ、二人の人物が部屋へと入って来た。
ルークは二人の顔を見つめ、ひとまず安堵の息をもらした。
「んだよお前らかよ」
「ティアニーズじゃなくて悪かったなオイ」
「私なら見られても良いと思われているのか。女性として意識されていないのは中々寂しいぞ」
現れたのはアンドラとアテナ。
珍しい組み合わせ、ではなく、以外とこの二人は一緒に行動する事が多い。二人とも包帯を巻いており、ルークまでとはいかないが痛々しさが残っていた。
とりあえず殴られる心配はないと安心していると、二人を見た瞬間、エリミアスは飛び起きるようにベッドから離脱した。
あたふたと手を振り回し、
「えと、そのこれは! 全然いやらしい事ではないのです!」
「慌てんなよ、逆に怪しいわ」
「た、ただ頭を撫でてもらっていただけなのです! それ以上の事はなにもしていないのです!」
「それ以上って、君そっちの知識あったのね」
慌て過ぎて色々とぶっちゃけてしまうエリミアス。ルークはそういうお年頃なのだと勝手に納得し、暴走しかけているエリミアスを一旦放置。
ドアの付近で暇そうにしている二人に視線を移した。
「んで、なんの用だ? もしかして治療すんの?」
「そうしたいのは山々だが、残念ながら私も疲れている。おかしな方向に曲がっていた君の腕を、元の方向に戻すのに精一杯だったよ」
「サンキューな」
「別に構わないさ。君のおかげで私達はこうして生きていられるんだからな」
素直に礼を言われ、アテナはほんの少しだけ照れくさそうに頬をかいた。それからアテナは空気を正すように咳払いをし、顔を真っ赤に染めて右腕をぶんぶんと振り回すエリミアスの頭を撫でると、
「すまないエリミアス、これから大事な話があるんだ。少し席を外してもらっても良いか?」
「なにも、なにもしてないーーへ? わ、私も一緒にお話したいのです!」
「出来れば席を外してほしい。別に君がいて問題はないが、あまり良い思いはしないと思うぞ?」
そうは言っているものの、アテナはエリミアスがここにいる事をあまり良しとしていない様子だ。流石のエリミアスでもそれに気付いたのか、少し寂しそうに顔を伏せ、
「分かり、ました。私は少し外に出ているのです」
「あぁ、そうしてもらえると助かる。なに、少しルークを借りるだけだ、またあおで返してやるさ」
「人を物みたいに扱わないでもらえますかね?」
アテナの優しい笑顔を見て、エリミアスは納得していない様子だったが、パタパタと走って部屋を出て行ってしまった。
去って行った後ろ姿を最後まで確認すると、アテナは部屋の鍵をしめる。その行動によって、緩んでいた部屋の空気がほんの少しだけピリピリとした居心地の悪いものになった。
「んで、お前ら大人二人組って事は、よほど大事な話なんだろ?」
「そのくくりでまとめられるのは不本意だ」
「なにが気に食わねぇんだよオイ。良いじゃねぇか、大人二人組」
悪戯っぽく笑みを浮かべたアテナは、当然のように部屋に一つだけの椅子を陣取る。座る場所を失い、フラフラと室内を歩き回った結果、ベッドの端にアンドラは腰を下ろした。
二人は顔を合わせ、
「さて、なにから話したものか……。君はどこまで聞いている?」
「どこまでって、今回の事か? それならとりあえず勝ったって事しか聞いてねぇ」
「なるほど、では全て話す必要があるな。悪い知らせが二つほど……いや片方はまだ悪い知らせではないか」
なにやらハッキリとしない物言いに、ルークは眉間にシワをよせて首を傾ける。
アンドラに視線を向けるが、こちらもアテナと同じような様子だった。アテナが自ら口を開くのを待ち、
「覚えているか? ゴルークスさんが言っていた魔獣についての話を」
「軽ーくは。親がどうとかってやつだろ?」
「魔元帥以外で魔獣を作り出せる魔獣、それを彼は親と言っていた。そしてその親さえ殺す事が出来れば、親が作った魔獣は全て消えるとも」
「それがなんだよ。セイトゥスを殺したんだから魔獣は全部……って、おい、まさか……」
こういう時、ルークは以外と察しが良い。
本来もっていた察しの良さがこの旅によって磨かれ、多くを言わずとも気付けるようになっていた。ただ、その力も恋愛の方面にはまったくいかされてないようである。
「君が魔元帥を倒したのは間違いないだろう。その証拠に、魔獣が現れる門は私の目の前で砕け散った。しかし……」
そこで、アテナは一旦言葉を区切る。
アテナ自身、なにがおきたのか理解出来ておらず、頭の中でも考えをまとめられていないのだろう。
しかし、彼女は口を開いた。
「魔元帥は死んだが、魔獣は一匹も消えなかった」