七章六十六話 『精霊の契約』
静寂の中、ルークは気付いたら倒れていた。
なぜか記憶が欠けており、自分が先ほどまでなにをしていたのかまったく思い出せない。分かるのは左腕がしっちゃかめっちゃかになっている事と、自分は今死にかけているという事。
「……まったく、貴様はなぜ無茶をしないと気が済まないんだ。上手く避けると言っていただろう」
「……あ?」
「私の柔らかい膝枕だ。前にしてやると言った」
見上げると、なぜかソラの顔があった。
頭の下には柔らかな感触があり、コンクリートに寝ているというのに包み込むような暖かさがあった。
ルークはソラの顔を見つめ、しばらく無言のまま考えると、
「……あれ、どうなった?」
「意識がなかったのか?」
「多分。ぶん殴られてからなんも覚えてねぇ」
ルークの記憶は巨大な拳で殴られたところから途切れている。とにかく両手を失うのはまずいと左腕を前に突き出した結果、ベキャゴキャと聞いた事もない音をたて、肘から先が本来曲がらない方向へと向いてしまった。そのご、強烈な鈍痛が全身を襲い、ぷっつりと記憶が途切れたのだ。
そして現在、ソラ太ももの上で休んでいる。
「セイトゥスは?」
「……貴様、寝ぼけているのか?」
「まぁ、さっきまで寝てたみてぇなもんだし」
「よーく耳をすませ」
ソラの視線がルークから移動する。
ルークはそれを追いかけるように目を動かすと、突然蓋が外れたように大音量の声が耳に入りこんで来た。
「うるッせ……!」
慌てて両耳を塞ごうとするが、右腕左腕、どちらも動いてはくれなかった。かわりに激痛が全身を駆け巡り、ルークはソラの膝の上で陸に上がった魚のようにビッタンビッタンと跳び跳ねる。
ソラは突然動いたルークに驚き、
「んッ……バ、バカ者! 太ももの上で暴れるな!」
「い、いてぇ……やべぇよ、マジでいてぇって」
「や、やめ、くすぐった……!」
「いや無意識なんだって、今操り人形状態なんだって」
「こ、この……ひゃっ……動くな!」
一応服の上なのだが、ルークの髪が太ももに擦れてくすぐったいらしい。しかしルークの体は意識とは関係なく痛みに逆らおうともがき、止めようと思っても止まらないのである。
ソラは両手を使ってルークの顔をガッシリとホールドし、
「はぁ、はぁ……う、動くな。貴様は黙って周りの音を聞け!」
「へいへい」
ようやくビッタンビッタンが終わり、ルークは落ち着いて耳をすませる。聞こえてくるのは人の声だった。男や女、子供や老人、様々な人間の声が混じっている。
ーーそれは、歓声だった。
「よくやった!」
「お前のおかげだよ!」
「やっぱり勇者なんだな!」
「貴方を信じて良かったわ!」
命をかけて戦ったルークを労う言葉。嵐のような歓声だった。地面を激しく揺らし、町全体をおおいつくすほどの声が周囲に響き渡っていた。恨み言一つなく、心の底からルーク達の勝利を喜ぶ声。戦う前は色々と罵声を飛ばしていた筈なのだが、今はその全てが勇者を祝福する声に変わっていた。
とはいえ、うるさいものはうるさい。
周りが騒げば騒ぐほど、ルークのバッキバキに折れた腕に振動が伝わる。黙れと言いたいのは山々だが、叫ぶ力すら残されていない。
ルークは諦めたように体の力を抜き、
「勝ったって事で良いんだよな?」
「あぁ、文句なしの勝利だ。今頃エリミアス達の方も終わっている筈だ。この声を聞いて駆けつけるだろうな」
「はぁ……疲れた。マジで今回は疲れた……って、ティアは?」
いつもなら真っ先に飛び付いて来る少女がいない事を不審に思い、ルークは首だけを動かして辺りを確認してみるも、その姿を捉える事は出来なかった。
ソラはなにか言い辛そうに、もごもごと口を動かし、
「ティアニーズならここにいる」
「ここってどこ」
「ここだ」
「あのねソラちゃん。ルークさんここから動けないの、バカにしてるのかな?」
「私は、ここにいます」
もう一度ビッタンビッタンしてやろうかと思った時、ソラの後ろからティアニーズがひょっこりと顔を覗かせた。どうやソラの後ろに隠れていたらしい。どうりで見えない訳である。
しかし、勝ったというのにティアニーズの表情は雲っていた。
「んだよその顔。勝ったんだからいつもみたいにバカな感じで喜べよ」
「私はバカな感じで喜んだりしてません」
「わーい、やったー! ルークさん勝ちましたよー! とか言ってんだろ」
「そ、そんなに子供っぽくありませんよ!」
渾身の物真似はかえって不機嫌にさせてしまったらしく、ティアニーズは鼻を鳴らして顔を逸らしてしまった。
ルークは『めんどくせぇ奴』と口に出そうとしたのだが、ソラが先に口を開いた。
「自分はほぼ無傷で貴様はボロボロ。死んでいてもおかしくない傷だ。また、守れなかったと悔いているんだよ」
「は?」
「貴様が怪我してる姿を見たくないんだ」
「そ、そんな事…………あります」
いつものツンケンした態度ではなく、ティアニーズは素直に自分の気持ちを述べた。自分の考案した作戦でボロボロになっているので自業自得なのだが、それでもティアニーズは自分を責めているようだ。
ルークはティアニーズの横顔を見つめ、
「俺を見ろ」
「へ?」
「だから、俺を見ろ。俺はお前のせいでこんなにボロボロになった。腕なんかぐっちゃぐちゃだし、身体中穴だらけ。なんで生きてんのか俺も不思議でしょうがねぇ。だから、きちんと死にかけの俺を見ろ」
「そ、そういう趣味なんですか?」
「ちげーよバカ。俺のこの姿を見て悩め。んで後悔しろ。そんで、後悔したら次はこうならねぇように強くなれ。俺を守るんだろ?」
「ーーーー」
ティアニーズは目を見開いたまま固まってしまった。
しかし、ルークはまったく気にせず言葉を続ける。
「言っただろ、お前は苦しめって。苦しんで苦しんで、そんで前をみろ。お前のせいで起きた事を全部背負って、そんで前に進んで行け」
「ーーーー」
「トワイルの事だってそうだ。そうだよ、アイツはお前を守って死んだ。それはどうしようもねぇ事実だ。だから、それを背負って行け。アイツがやれなかった事を、お前が変わりにやるんだ」
容赦なくトラウマを引きずりだし、心に土足で上がりこんで靴あとを残しまくる。それを治す事はせず、荒らしたら荒らしたまま出て行く。それが、この男だ。
他人なんかどうでも良くて、自分さえ無事ならなんだって良い。
そう、それがルーク。
それがルークなのだ。
けれど、
「でもまぁ、俺にも責任はある。もうちっと早く反応出来てりゃ、アイツは死なずに済んだかもしれねぇ。だから、俺もほんのちょっとだけ背負ってやるよ」
「……ほんの、ちょっと?」
「全体で十だとしたら、俺が背負うのは一。お前は九な」
「な、なんでそんなに多いんですか!」
「多くねぇだろ、むしろ少ねぇくらいだ。本当なら一の半分だって背負いたくもねぇ」
「ならば、私も一を貰おうか。そうすれば残りは八になる」
二人が言い合いを始めそうなタイミングを見計らい、ソラが間に入った。
トワイルの死は、誰かが悪い訳ではない。
彼が望んでやった事であり、責任なんてありはしないのだ。しかし、ティアニーズはそれで納得出来ない。だから、一緒に背負う。ほんの少しでも分けあう事が出来たのなら、きっと彼は救われるから。
ティアニーズは二人の顔を交互に見つめ、
「……分かりました。私が八背負います。ルークさんの姿も目に焼き付けます。そして、今よりももっともっと強くなって、いつかはルークさんに助けてくれって言わせてみせます」
「おう、そんくらい強くなれ」
「絶対、絶対に強くなります」
決意のこもった瞳でそう宣言した。
そして次の瞬間、ティアニーズの瞳が大きく揺れた。今までずっと我慢してきたものが溢れ出すように、瞳から小さな雫がこぼれ落ちる。
消えそうな声で、ティアニーズが言う。
「もう……良いですか?」
「あ? なにが?」
「我慢しなくても良いですか?」
「いやだからなにを」
「あぁ、良いぞ」
まったく意味が分からないルークを他所に、ソラがティアニーズの頭を優しく撫でた。
それがとどめとなった。
爆発した涙腺から大量の涙がこぼれ落ち、ティアニーズは倒れこむようにしてルークの胸に飛び込んだ。
「いッッッッてぇぇぇ!!!」
「良かった……生きてて良かったぁ! 本当に死んじゃうかと思ったんですよ! なんで毎回無茶するんですか! なんでいっつもそんなにボロボロなんですか! なんで、なんでぇ!」
「痛い! マジで、今回は本当にヤバい奴なの! 左腕見て、なんか肘から先が変な方向に曲がって手の甲が肩にくっついてんの!」
「ずっと、ずっと会いたかったんです! ごめんなさいって言いたかったんです! ごめんなさい、ごめんなさい、私のせいで危険なめにあわせてごめんなさい!」
「分かった! 分かったから! その謝罪受けとりました! はい終わり!」
「ルークさんぅぅぅ!!」
「なに! 聞こえてるからとりあえず離れて! 死ぬよ、俺ショック死しちゃうよ!」
「生きててよがったぁぁぁ!」
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃに濡らし、その顔をルークの胸に押し付ける。この際衛生面での汚さは置いておくとして、わりとマジで痛すぎて意識が飛びそうになっているルーク。しかしティアニーズは止まらず、ルークを抱きしめながら永遠となにかを言っていた。
ずっと、ずっと堪えていたのだろう。
トワイルが死ぬよりも前から。
ルークと出会うよりも前から。
小さな少女は、涙を流して弱音を吐きたかったのだろう。
「良く頑張ったな」
そして、ソラは母親のような優しい笑顔でティアニーズの頭を撫でていた。
それから数分後、ようやく泣き止んだティアニーズ。
泣きすぎて目の周りが真っ赤にはれ、なんだか吐きそうになっていた。いやそんな事よりも、
「……ルークさん、寝ちゃいましたね」
「……そうだな、寝てしまったな」
全身をピクピクと痙攣させ、白目を向いてスヤスヤと寝ている英雄。これを寝ていると強引に片付けようとする辺り、二人とも原因は分かっているのだろう。
安らかな寝顔から目を逸らし、
「あの、このあとはどうしますか?」
「とりあえずルークを治療したいが、そのためにはエリミアス達と合流しなくてはな。恐らく騒ぎを聞いてここへ来るとは思うが」
「姫様……」
エリミアスの名前を聞き、ティアニーズは貧民街での出来事を思い出していた。
『必ず謝らせます』
エリミアスはそう言っていた。
ティアニーズだって謝ろうと思ってはいるが、いざとなるとやはり恐怖や不安に押し潰されそうになってしまう。
もし、許されなかったら。
それが、どうしようもなく怖かった。
不安げにうつ向くティアニーズを見つめ、
「どうした?」
「いえ、大丈夫です。私のやった事は決して許されない。だから、謝ります。きちんと謝って、何度も頭を下げます」
「もしもの時は私も一緒に謝ってやる。心配するな、貴様は一人じゃない」
「……はい、ありがとうございます」
ソラの言葉と優しい声を聞き、思わず涙がこぼれそうになった。散々流し尽くした筈なのに、どうやらまだまだ泣き足りないようだ。だが、今は堪えるしかない。
全てを終わらせ、きちんとけじめをつけなければならないから。
「私、少し探して来ます。この人混みなので、見つけるのが難しいーー」
「ティアニーズ、さん」
不意に、背後から声がした。
聞きなれた声。
ティアニーズはしゃがみこんだまま固まってしまった。指先が勝手に震えだし、声を発そうとしても上手く言葉が出てこない。やがて震えは全身に広がり、立っている事すら困難になってしまった。
そんな時、横たわる青年が目に入った。
それだけ。
たったそれだけで、全身の震えはおさまった。
「…………」
大きく息を吸い、ティアニーズは立ち上がる。
振り返り、目に入った少女の顔を見て、その名前を呼んだ。
「エリミアス、様」
ずっと、会いたかった人の一人だ。
服のあちこちに血や汚れがついており、エリミアス自身も腕や足に擦り傷を負っていた。
その横にはケルトがいた。彼女は前線で戦っていたらしく怪我が多く見え、トレードマークでもある仮面はところどころ欠けていた。
まず、二人が無事で良かった。
そう思うと同時に、大きな罪悪感が体を締め付ける。
だが、それでも必死に口を開く。
震え唇を、必死に。
「あ、あの……私……」
声が裏返ってしまった。さっきまで普通に喋れていた筈なのに、数年間言葉を発していなかったような気分だ。
ティアニーズは自分の喉に触れ、なんとか解そうと指先でつねってみる。
そんなティアニーズを見て、エリミアスは優しく微笑んだ。
「ゆっくりで、大丈夫ですよ。ちゃんと聞きます、ティアニーズさんの言葉を、私は聞きますから」
「ーーーー」
どこまで、この人は強いのだろう。
きっと、酷いめにあった筈だ。死ぬかもしれない状況にいた筈だ。なのに、それなのに、エリミアスの笑顔はいつもとなにも変わらない。
緊張が、一瞬にして解けた。
うつむき、顔を上げる。
今度こそ、言葉はちゃんと出てくれた。
「貧民街に、種を置いたのは私です。姫様に怪我をさせたのも、私です」
「はい」
「私のせいで、多くの人が傷ついた。涙を流して、怖い思いをした。私の独りよがりの自分勝手な願いのために、何人もの人間を不幸なめにあわせてしまった……」
「はい」
「酷い事も、いっぱい言いました。皆を傷つけて、それなのに私だけは平気な顔して自分の願いを果たそうとしていた」
「はい」
エリミアスは静かに頷くだけだ。
周りの騒ぎ声はまったく耳に入らず、彼女の頷く声だけがエリミアスの鼓膜を叩く。
「私のせいで、ベルトスさんは死にました。私のせいで、トワイルさんは死にました。それも全部、私が弱かったから」
「はい」
「ずっと、弱い自分が嫌だった。特別じゃない自分が、嫌いでした。だからケルトさんが姫様を選んだ時、なんで私じゃないんだろうって嫉妬しました」
「はい」
「力があれば、皆を守れる。誰も傷つかなくてすむ。そんなの、間違いなのに……分かっていて、私はその道を選んだ」
「はい」
「この町で起きた騒ぎの一端は、私の責任です。怪しいって分かっていたのに、力がほしくて手を貸しました」
一つ一つ、罪を告白していく。
謝罪なんて、結局は自己満足でしかない。
けど、聞いてほしいから。
自分がどれだけ愚かな人間かを、知ってほしいから。
「それなのに、私は死のうとしました。私のせいなのに、この町を、皆を救うためって言い訳して、全てから逃げようとしました」
「はい」
「本当は、もうなにも見たくなかったんです。弱い自分も、傷つく人も、なにもかもから目を逸らしたかった。誰かを守るって名目を得て、私は名誉ある死を演じようとしてました」
「はい」
「自分勝手なんです。全部、全部自分のため。自分可愛さのために、私は関係ない人を沢山巻き込んだ」
「はい」
「私は、人間のクズです。自分の願いのあめに他人を利用して、最後は全部投げ捨てて逃げようとした。そんな、どうしようもないクズなんです」
「はい」
口に出す度に、やはり生きてて良いのかーーという疑問がわいてくる。
けれど、もう逃げないと決めたから。
自分の弱さ、愚かさと向き合うと決めたから。
「こんな私が、謝っても許されるとは思っていません。結局これも、私が楽になりたいだなんです」
「はい」
「でも、でも……」
「はい」
エリミアスの笑顔が眩し過ぎて。
声が優しすぎて。
ちゃんと前を見る事が出来ない。
でも、だからこそ。
勇気を振り絞る。
自分の中にある唯一の強さを。
ティアニーズは、エリミアスを見つめる。
そして、ゆっくりと頭を下げた。
「ごめんなさい」
その一言に全てを詰め込んだ。
何度も何度も謝っても、きっと意味なんかない。
十秒、二十秒、三十秒、四十秒。
ティアニーズはずっと頭を下げていた。
エリミアスは手を伸ばし、そっとティアニーズの肩に触れた。
「頭を上げてください」
「はい」
顔を上げると、エリミアスと目があった。
いつの間にか見知った顔が全員集まっており、その全員が見るも無惨なほどにボロボロだった。でも、皆笑っていた。楽しそうに、安堵したように。
「ティアニーズさんは、私はなんでももっているとおっしゃいましたよね」
「はい」
「私が本当にほしかったものは、お友達とも」
「はい」
「でも、それだけじゃありません。本当は、ずっと羨ましかったのです」
一瞬、ティアニーズはなにを言っているのか分からずにエリミアスを見つめた。エリミアスは視線を逸らし、背後に寝ているルークを眺め、
「ルーク様と、ティアニーズさんの、なんでも言い合える仲が、とても羨ましかったのです」
「私と、ルークさんが……?」
「私には、出来ません。きっとティアニーズの真似をしても、ルーク様は同じ対応をしてくださらない。私ではなく、ティアニーズさんだからルーク様は自由でいられるのです」
「そんな、私はただ……」
「私の理想のお友達は、お二人のような関係なのですよ」
まったく予想していたなかった発言に、ティアニーズはどう返して良いか分からずにただ視線を泳がせる。
エリミアスは口元を押さえて微笑み、
「言いたい事を言って、我慢せずに喧嘩出来る。私は誰かと喧嘩した事なんてありませんでした。皆さん、私をエリミアスとしてではなく、姫として見るから」
「…………」
「それが、とても嫌でした。でも、仕方ないと言い聞かせて、それが私の役目だと納得させて、今まで我慢してきたのです」
「…………」
「そんな時、お二人と出会った。いがみあって、悪口ばかり言っているのに、私はなぜかお二人が羨ましかった。そして、気づいたのです。私は、こんな風になりたかったのだと」
どれも、初めて聞く内容だった。
そんなの考えた事がなかったから。
確かにいつも言い合いをしてはいるが、それは端から見れば迷惑以外のなにものでもないと思っていた。やっている側も楽しい訳ではないし、どちらかと言えば無意識に口が動いていただけだ。
それなのに。
エリミアスは、それを羨ましいと思っていたなんて。
「とても楽しそうに見えました。お二人が互いを信頼しているからこそ、ああやって我慢せずに言い合える。お友達とは、友人とはこういうものなのだと私は思いました」
「信頼……」
「私の方こそ、なのですよ。ティアニーズさんに嫉妬して、羨んでいたのは。私にないものを全部もっていて、私では立てない場所に立っている貴女が、私は本当に羨ましかった」
「…………」
「だから、ほんの少しですけど、私はティアニーズさんの気持ちが分かります。決して手に入らないと分かっていても、手を伸ばす事を諦められない気持ちが」
ずっと、ずっと勘違いしていた。
エリミアスは特別で、なんでも手に入って、自分なんかではたどり着けない場所に立っている。でも、それは違った。
自分だから行ける場所があって、エリミアスだから行ける場所がある。
そんな、当たり前の事に、ティアニーズは気付かされた。
ティアニーズの道も。
エリミアスの道も。
同じではないけれど、どこかで交わっていたと。
「トワイルさんが死んで、ティアニーズさんが悩んでいるのを知っていて私はなにも出来なかった。そんな弱い自分が、どうしようもなく嫌でした。私は弱いと、姫なのに……なんの力もないと思い知らされました」
「エリミアス様……」
「同じなのです。私はティアニーズさんが羨ましくて、ティアニーズさんは私が羨ましい。弱い自分が嫌で、自分を責めていた……。一緒、なのですよ」
ーーエリミアスの瞳から、一粒の涙が落ちる。
どこまでバカなんだと、ティアニーズは思った。
なにも分かっていないのは自分の方だった。
いや、違う。
自分とエリミアスは違うからと、分かろうともしていなかった。
ティアニーズは手を伸ばし、エリミアスの体を抱き締めた。
「ごめんなさい……私、私なにも分かってなかった……!」
「良いのです、私もティアニーズさんの事を分かっていなかった。私と貴女は別だからと、分からないふりをしていたのです」
「はい、私も同じです」
「私達は、似た者同士ですね」
二人の少女は抱き締めあい、やがて体を離した。
涙を拭い、互いの目を見つめて微笑みあった。
エリミアスは、手を伸ばす。
「私と、もう一度お友達になってくださいますか?」
ティアニーズは、その手を握り返す。
「はい。私と友達になってください」
結ばれた手の感触を、しっかりと確かめあう。
似た者同士なのに、ずっと気付かなかった。
お互いがお互いを羨み、嫉妬し、そうやって僅かなすれ違いが広がり、随分と遠回りしてしまったけれど、ようやく、ようやくここへたどり着く事が出来た。
ーー本当の笑顔で、笑いあう事が出来た。
と、上手くまとまった筈なのだが、エリミアスが突然こんな事を言い出した。
「お友達は敬語を使わないのです」
「え? で、ですが私は騎士団で、姫様を守るべき立場ですから……」
「そんな事を言う人は許してあげません」
ふん、と鼻を鳴らし、不機嫌そうに顔を逸らすエリミアス。クスクスとアテナの小さな笑い声を聞き、ティアニーズは困ったように慌てふためく。
しかし最後には根負けし、恥ずかしそうに目を背けながら、
「エリミアス……」
「聞こえないのです」
「エリミアスっ」
「はい、エリミアスなのです」
ようやく満足したのか、エリミアスは呼ばれた名前を噛み締めるように微笑んだ。
幸せそうに、楽しそうに微笑む顔を見て、ティアニーズはほんの少し顔をしかめる。
「で、ですが……いえ、あの……こほん。私だけ敬語はおかしいと思うよ。友達ならエリミアスも敬語をとらないと」
「私は年下なので良いのです。親しき仲にも礼儀あり、なのですよ」
「そ、そんなのずるい! 私だけ一方通行みたいだよ!」
物凄い剣幕で迫るティアニーズに押され、エリミアスは後退りながらも逃げようとする。が、この少女はとてつもなく諦めの悪い勇者の影響を色濃く受けているので、そんな簡単に逃がす訳がないのである。
逃げようとするエリミアスを手を掴み、
「さ、さぁ!」
踏み出し、絶対に逃がさないと言いたげに迫る。
エリミアスはあたふたとしていたが、ティアニーズがとてつもなく諦めが悪いと知っているので、最後には折れたように向き合った。
恥ずかしそうに視線を泳がせ、
「ティ、ティアニーズ……」
「うん、エリミアス」
「ティアニーズ……」
「エリミアス」
「ティアニーズっ」
「エリミアスっ」
お互いの名前を呼びあい、なんだか付き合いたてのカップルみたいな二人。非常に微笑ましい光景なのだが、周りの人間ーー主にアンドラとシャルルがむずがゆそうに視線を逸らして見ないふりをしていた。
しばらく名前を呼び続け、
「あ、あの、私はまだなれないので、少しずつで良いですか?」
「うん、それで良いよ。私もなんだか違和感があるし」
「よ、良かったのです」
てな感じで、とりあえずなれるまでは今まで通りというところで落ち着いた。
緊張の糸がほどけたように胸を撫で下ろし、エリミアスは安堵の息を吐く。しかし、ハッとしたように勢い良く顔を上げると、今日一番、ティアニーズが驚く発言を口にした。
「で、ですが、恋の勝負は負けません!」
「…………へ?」
「こ、恋の勝負なのです!」
「な、なななななななななな!!」
別に誰が誰を好きとか名言していないのに、ティアニーズのこの焦りっぷりである。そんなの、同じ人を好きですと言っているようなものだ。
力強く両の拳を握り締めるエリミアスに、顔を真っ赤にして後ずさるティアニーズ。
「わ、私はルーク様が好きなのです!」
「へ、へー、そ、そうなんだぁー」
「ティアニーズさんはどうなのですかっ」
「わ、私は別に……」
「じー」
「な、なに」
「じー」
無言の圧力、一応『じー』と見つめる効果音を口に出してはいるが、エリミアスは物凄い眼力でティアニーズに迫る。
先ほどとは立場が一転、窮地に立たされてしまったティアニーズ。いつものティアニーズならば、逃げていただろう。
だが、ここで彼女は強くなった。
方向性はともかく、強くなったのだ。
迫るエリミアスに負けじと踏み出し、
「す、好きだよ! 私はルークさんが好き!」
人が大量に集まる中、ティアニーズの声が空気を引き裂いた。
周りはなんか告白してらぁ、くらいの興味しかないのだが、約三名がビクリと肩を跳ね上がらせた。
一人目は当然エリミアス。
「や、やっぱりなのです!」
そして二人目。
大声の告白を聞き、特になにもしていないのに耳まで赤く染めているのはシャルルだ。
「へ、へー、アンタってそうなんだー」
ちなみに、シャルルとティアニーズはほとんど面識はない。互いに顔を知っている程度なのだが、この瞬間、ティアニーズという名前がシャルルの記憶に深く刻みこまれた。
そして三人目。
この三人目が非常に厄介だ。
なぜなら、
「ルークは私の契約者だ」
ある意味、一番手強い。
二人だけの契約というなにものにも変えられない絆があり、ルークが戦闘になって真っ先に頼るのは間違いなくソラだからだ。
それに加え、今現在、ちゃっかりドヤ顔で膝枕なんかしちゃったりしてる。
ティアニーズ、そしてエリミアスはソラへと駆け寄り、
「ず、ずるいのです!」
「そ、そうですよ! 契約なんて関係ありません!」
「残念だったな、精霊の契約は死ぬまで消える事はない。つまり、私は死ぬまでルークと一緒という事だ」
勝利宣言を高らかに告げ、ソラは見せつけるように白目を向いた勇者の頭を撫でる。
その様子を見て、ムキィィと二人の少女が声を上げるのだった。。
そんな和やかな昼過ぎ、話題の中心に立つ青年はなにも知らずに眠り続ける。
精霊の契約、それがどれだけ厄介なもの(主に修羅場的な意味で)かも知らず、町を救った英雄は静かに眠り続けるのだった。