七章六十五話 『伝わる勇気』
「まだか、ルーク……!」
「なにやってんのよアイツ!」
互いに肩を貸して支えあいながら、アテナとシャルルは呟いた。
目の前の魔獣の群れは、勢いが衰える気配がない。すでにこちらの戦力は半分以下にまで削られ、直ぐにでも治療しなければ命を落としてしまう危険性のある人間もいた。
シャルルは頭から血を流し、朦朧とする意識の中でなおも前を向く。
「早く、早くしなさいよ……」
膝が震え、立っているものやっとだった。
今すぐにでも座り、寝転び、意識を投げ出してしまえたのならどれだけ楽だろうか。だが、それは許されない。自分の言葉を聞いて戦う決心をしてくれた人間が何人も倒れていっているのに、一人だけ楽をするなんて、絶対に許されないーーいや、そんなのは絶対に嫌だから。
「こんなところで、死ねるかっつーの!」
足元に転がる折れた剣を握り締め、シャルルは戦う意思を示す。たとえどれだけボロボロになろうとも、命が尽きるその瞬間までは抗い続ける意思を。
「あまり無理をするな。ここは私が……」
「なに言ってんのよ。ずっと一人で戦い続けて体力だって限界でしょ」
「情けないな、一線から退いた結果がこれだ。これでは騎士団団長も名折れだな」
「そんな事ない。アテナがいなかったらとっくに私達は全滅してる。だから、ありがと」
「礼はいらない……まだ、な」
「そうね、まだやる事がある」
二人は視線を合わせ、どちらからでもなく微笑んだ。
恐らく、同じ事を考えていたのだろう。こんな絶望的な状況で、一ミリの活路も見えない状況で、それでも諦めない理由があった。
あの男が、戦っている。
小さくて、目を凝らさなければ見えないほどの光だとしても。
それが希望だと知っているから。
「ルークは必ず勝つ。だからーー」
「うん。私達はそれまでここを守り抜く! 絶対に、誰も死なせない!」
ーー小さな希望にすがり、人々は立ち上がる。
「あ、れ……」
腹から血を流す男を運び終えた瞬間、エリミアスは急激な疲労に襲われた。突然やって来た目眩に体勢を崩し、フラフラとよろけながらその場にへたりこんだ。
それを見たケルトは、前線を放棄して駆けつける。
「大丈夫ですか、エリミアス様」
「は、はい。少し疲れただけなのです」
「少し休んでください。先ほどからずっと動いていらっしゃられる」
「平気、です。私にはこれしか出来ないから……やれる事だけは、最後までやり遂げたいのです」
差し伸べられたケルトの手をしっかりと握り、エリミアスは大量の汗を流しながらも唇を噛み締める。力の入らない足に渇を入れるように拳を太ももにぶつけ、痛みを堪えて両足で立ち上がった。
「ケルトさんは、魔獣を殺す事に専念してください。私は大丈夫ですから」
「しかし……貴女はもう限界です。それにここはもうもたない。いくらなんでも数が多すぎます」
「諦めてはダメです。私達はまだ生きている、まだ戦える、まだ、諦めていない。自分の力で立ち上がれる限り、決して下を向いてはなりません」
ケルトは諦めた訳ではない。そんな事、エリミアスにだって分かっていた。
状況を冷静に見極め、戦力差を考えた結果、直ぐにでもここを放棄して逃げ出すべきーーそう、思ったのだろう。
しかし、それでは逃げるのとなにも変わらない。
あの男なら、絶対に逃げたりしない。
「私達には、ルーク様がいます。だから、なにも怖がる必要はありません。あの方は絶対に勝つから」
「どうして、どうしてそこまであの勇者を信じられるのですか?」
一瞬言葉を飲み込むような仕草をとったケルトだったが、我慢出来ないように疑問を口にした。
エリミアスは汗を拭い、
「あの方の強さを、私はこの目で見て来ました。たとえどんな状況でも諦めず、最後には必ず勝つ姿を。だから、だから信じられるのです」
「……私には、分かりません。あの勇者を、貴女を見ていると余計に分からなくなる」
「私も分からない……いえ、なにも知りませんでした。ケルトさんと一緒なのです。だから、これからいっぱい知りましょう。色々なところへ行き、色々な景色を見て、この世界を知りましょう」
エリミアスの言葉を聞き、ケルトは僅かに沈黙した。仮面の下でどんな表情をしているのかは分からないが、エリミアスは急かす事なく彼女の言葉を待った。
そして、ゆっくりと口を開く。
「私は、貴女が生きていればそれで良い。貴女が生き残るためには、この場から逃げるのが最善です。しかし貴女は、人間は逃げたりしない。なぜ、ですか?」
「ーー負けるのが、悔しいからなのです」
笑顔を浮かべ、嘘偽りなく放たれたエリミアスの本音。ただ負けたくないから、たったそれだけの理由で、彼女は戦う事を選んだのだ。
仮面の下から、小さな笑い声が漏れた。
ため息にも似た笑い声だった。
「そうですね。私も、負けるのは好きではありません」
ケルトは背を向け、一歩を踏み出す。
「あの勇者が勝つまで、この場は、貴女は私が必ず守ります。ーー全員で勝ちましょう」
「はい、必ず勝ちましょう」
ーー小さな希望にすがり、人々は立ち上がる。
体の中をぐちゃぐちゃにかき回されたような痛みの中、ガジールは口から赤い液体を乱暴に吐き捨てる。刃こぼれしたナイフを握り締め、遠吠えを上げる犬に似た魔獣の喉元を引き裂いた。
「あ、ぐ……まともに息も出来やしねぇ……」
「休んでた方が良いっすよ……って言いたいところっすけど、実はちょーピンチなんで助けてもらえると嬉しいかなぁ」
「バカ言ってんじゃねぇよオイ。お前よりも俺の方がピンチだ」
透明な壁を魔獣にぶつけ、次々と蹴散らして行くナタレム。
だがその勢いも次第に落ち、圧倒的な物量に押されてナタレムの余裕だった表情も崩れ始めていた。
「お前何者だ、いきなり現れてこの状況だぞ。普通手を貸したりしねぇだろ」
「いやぁ、こっちにも色々事情がありましてねぇ。ルークに死なれるとすっごく困るんすよ」
「そりゃ、アイツが勇者だから?」
「それもあります。けど……」
「けど、なんだよオイ」
「あんなに精霊と仲良くするっていうか、あんなに無愛想だったアルトを変えたルークだからってのが大きい……って言っても分からないっすよね」
目の前に迫る巨大な人型の魔獣に壁をぶつけて吹き飛ばし、ナタレムは少し言い辛そうに眉を寄せた。
普通の人間なら、その言葉の意味を理解するのは難しかっただろう。しかし、ガジールは知っている。アルトがーーソラがどんな性格だったかを。
「無口で無愛想、人を見下したような目をしてやがったな」
「あれ、もしかしておじさんアルトの事知ってます?」
「昔に少しだけ会った事がある。始まりの勇者とは顔馴染みなんだよ」
「なるほど。なら少しは話せそうっすね。アルトはあんな性格じゃなかった、そりゃ記憶を失ったってのもデカイっすけど……。でも、もっと大きな要因がある」
「その大きな要因が、ルークって言いたいのか?」
「俺はそう思ってます。本来なら彼は選ばれるべき人間じゃなかった、けどアルトは彼を選んだ。それは多分たまたまっすけど……アルトを変えたのは間違いなくルークっすよ」
ポケットにねじ込んでおいた包帯を乱暴に腕に巻き付け、とりあえずの止血を済ませると、ガジールは再び魔獣へとナイフを叩きつける。
動かなくなったトカゲ型の魔獣を蹴り飛ばし、
「だからお前はルークに会いてぇのか?」
「その力が、俺達には必要なんすよ。選ばれない筈だった人間だからこそ、アルトを変えられたかもしれない。特別でもなんでもない、普通の人間の力が」
「良く分からねぇが……お前もしかしてーーッ!?」
途中まで言いかけた言葉をいきなり横から飛びかかって来た魔獣に遮られ、ガジールは驚きのあまりしりもちをついてしまった。両手で顔を多い、一瞬死を考えたが、ナタレムの放った壁が難なく魔獣を数メートル吹っ飛ばした。
「人間にも、俺達にとっても、彼が最後の希望なんすよ。彼なら、もしかしたら変えられるかもしれない」
「変えられる?」
冷や汗を拭い、ガジールは尻についた砂ぼこりを払って立ち上がる。
ナタレムは遠い目で空を見上げ、
「ふざけたルールを、アイツらを変えられるかもしれないんすよ」
ーー小さな希望にすがり、人々は立ち上がる。
「おい坊主、本当にやるのか!?」
「やります!」
「いやでもその体で……」
「大丈夫です、やれますから!」
必死に宥めようとする男の静止を振り切り、アキンは半ば強引に男の背中にしがみついた。
男はアキンをおんぶしながら頭をぼりぼりをかき、
「無茶だけはすんなよ、危なくなったら俺の判断で走る!」
「そこはお任せします!」
落ちないように片腕で男の首に手を回すと、余ったもう片方の腕を突き出すアキン。男は自分の顔の横に現れた細い腕を見つめ、呆れたような顔をしていたのだがーー、
「とりゃぁ!!」
「うおッ!」
アキンの掌に小さな炎が集まったかと思えば、激しく燃え盛る火玉へと変化し、暴れ回る魔獣の群れへと突っ込んで行った。炎は魔獣の群れに到達した瞬間に勢い良く爆散し、数匹の魔獣をまとめて焼き払った。
男はアキンの突然の行動に頬をひきつらせ、
「お、おま! なんか合図とかしろ!」
「やります!」
「ちがっ、そういう意味じゃねぇってのバカ!」
驚く男を他所に、アキンは次々と炎を放って行く。すでに一人で立ち上がる事の出来ないアキンは、男の力を借りて機動力を確保したのだ。とはいえ、とうの男はアキンの奇行にビビっており、その場に立ち尽くしていた。
そして、二人の視線の先。
花の髪飾りをした女性が、数十匹の魔獣を一人で相手していた。
「しつこい! なんでこんなに数が多いの!」
文句を垂れ流しながらも絶え間なく魔法を放ち、女性は次々と魔獣を凪ぎ払って行く。炎で焼き、氷で串刺しにし、風で切り裂き、土で潰し、ともかくハチャメチャな戦法だが凄まじいほどの戦力だった。
あれほどの魔法を連発しておきながら、疲れた様子など一切ない。
魔法の応用やらなんやらを置いて、桁違いなレベルの魔力の持ち主なのだろう。
アキンは女性を指差し、
「あの人のところに行ってください!」
「は、はぁ!? バッカじゃねぇの、あんなところに行ったらこっちまで巻き添えくらうに決まってんだろ!」
「それでも行ってください!」
「い、嫌だね! 俺は戦うとは言ったが命を捨てるとは言ってねぇ!」
「おじさんは僕が守ります! だから行って!」
自分よりも一回りも二回りも下の子供に守ると言われ、男はなにか言いたげにギリギリと歯を鳴らした。それから瞳に浮かぶ涙を乱暴に払い、
「ぜ、絶対に守れよ!」
「絶対に守ります!」
アキンの言葉に押されるように、男は魔獣が闊歩する戦場を駆け抜けた。
足元には魔獣の死骸、目の前には生きた魔獣。地獄というものが実在するのなら、この光景はまさに地獄と呼ぶに相応しい。その中を、男はただひたすらに走る。恐怖を殺すために叫び、目的地である女性だけを見つめて。
時間にして僅か数秒。少なくとも、アキンの体感した時間はほんの数秒だった。
しかし男にとってその時間は、果てしなく続く恐怖だった筈だ。けれど、男は逃げる事なく勇気を振り絞り、ようやく女性の元へとたどり着いた。
「ん? って、ダメだよ少年、ちゃんと休んでないと!」
近付いて来た二人の人影に気づくなり、女性は驚いたように目を見開いてそう言った。
アキンは男の背中から落ちそうになりながらも、
「僕も戦えます! 貴女一人だけなんて危ないです!」
「偉い! 偉いからなでなでしてあげたいけど、それはまたあとでね! 少年は休んでなさい!」
「お、俺は逃げたい……」
「僕は勇者です!」
今にも死にそうな声で呟いた男だったが、アキンの叫びによってかき消された。
女性はアキンの瞳をマジマジと見つめ、
「少年は勇者なの?」
「え、えと、さっき勇者になりました! ある人が僕は勇者だって言ってくれて……その人は今も戦ってるんです! だから、だから僕一人が休んでる訳にはいかないんです!」
言いたい事は山ほどあったが、それを全て伝えている時間はない。アキンは興奮した様子で早口になりながらも言葉を並べ、言い終えたあとに肩を上下させて息を整える。
その言葉を聞き、女性は小さな声で呟いた。
「なんだ、ちゃんと頑張ってんじゃん」
「え?」
「ううん、なんでもない。それじゃ、少年の力を借りちゃおうかな! そこのおじさんも頑張ってね!」
「だ、だから俺は逃げたいんだって!」
逃げようにも逃げ出せる状況ではなく、男はもうなにがなんだか分からない様子だ。女性はアキンと男の肩をバシバシと力強く叩き、
「それじゃ、ルークが勝つまでふんばるよ!」
「はい!」
「お、俺は無理!」
ーー小さな希望にすがり、人々は立ち上がる。
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ーー小さな希望は、そんなの知ったこっちゃない。
いつも通り、自分のためだけに戦う。
「おら!!」
剣道もへったくれもない適当な剣筋。
力任せに剣を振り回し、斬るというよりは叩きつけようとしていると表現した方が良いだろう。
セイトゥスは軽く数歩下がる事でその一太刀を回避し、
「どうした、その程度か!」
「んな訳あるか!」
開いた距離をつめるために大きく一歩を踏み出し、ルークはセイトゥスに迫る。
明らかに戦法が変わっていた。先ほどまではルークの一撃を回避する事もなく体で受けていたのだが、今のセイトゥスは繰り出される一振りを全て避けていた。
(めちゃくちゃ警戒されてんな……)
すでにセイトゥスはルーク達を対等な敵として認識している。だからこそ舐めた真似はせず動きの細部まで警戒し、なにが起きても対象出来るように細心の注意を払っていた。
やりにくい、なんてものじゃない。
このまま回避に徹されれば、ただえさえ難しいのに斬撃を当てる事が不可能になってしまう。
だが、引くなんて選択肢はない。
どちらにせよ、こちらは攻めるしかないのだ。
「ハァァァ!!」
人混みに紛れていたティアニーズがセイトゥスの背後から飛び出し、脳天に向けて剣を振り下ろす。加護を帯びた剣、勇者の剣より威力は劣るものの、魔元帥の核である宝石を破壊する事は出来る。
であれば、回避しない訳がない。
「くっ!」
体を僅かに傾ける事でその一撃を回避し、バランスを崩したティアニーズの手首を掴んで手繰りよせると、そのまま人間離れした腕力でルークに向けてぶん投げた。
ルークは投擲されたティアニーズを見つめ、
「邪魔だ退け!」
「え、ちょ!」
全力でジャンプして空を飛ぶティアニーズを回避すると、着地と同時にセイトゥスへと剣を叩きつけた。しかし寸前のところで腕を剣へと変化させ、セイトゥスはその一撃を受け止める。
直後、激しい風圧と激突音が弾けた。
ティアニーズは避けられた事で顔面から地面にスライディングし、鼻先に小さな擦り傷。流れそうな涙を堪えながら、立ち上がると同時に振り返り全力でダッシュ。
加勢するように、セイトゥスの腕へと切っ先を食い込ませた。
「な、なんで受け止めてくれないんですか!」
「んなもん受け止めたら俺が怪我するからに決まってんだろ!」
「それくらい我慢してください! 男ならどんと来いくらい言えないんですか!」
「男でも無理なものは無理なの!」
「騒がしい奴らだな」
争う二人に冷静な突っ込みが入る。
セイトゥスは楽しそうな笑みを浮かべ、二人の剣を受け止めながら一歩後ずさった。瞬間、もう片方の腕が爆発的に膨れあがる。
その腕を大きく振りかぶり、
「初めてだよ、戦っていて楽しいと感じるのは」
「ーーやべ」
ーー自分の腕ごと、ルーク達をぶん殴った。
剣に変化していた腕は意図も簡単に砕け散り、巨大な泥の腕が直撃。咄嗟に防御しようと二人は剣を前に突き出すが、間に合う事はなく勢いに負けて後方へと大きく吹き飛ばされる。
インパクトの瞬間に加護が発動したルークはなんとか堪える事に成功したが、加護のないティアニーズは悲鳴を上げる人混みの中へと突っ込んで行ってしまった。
膝をつき、ルークは口の中にたまった血を吐き捨てる。
「テメェ、なんか強くなってねぇか……?」
「なに、お前達を対等な相手として認識しただけだ。俺の全力をもってお前達を殺す」
「さっきまでの雑な戦い方は準備運動だったって訳かよ」
「いや、あれはあれで本気だったさ。こうして考えて戦うよりも楽なだけだ」
ズズズ、と音をたてながら砕けた腕が再生を始める。砕けた断面に泥が集まり、綺麗に元の腕の形へと変わった。膨れ上がった腕は元のサイズに戻り、セイトゥスは涼しげな表情でルークを見つめる。
だから、ルークは微笑んだ。
いつものように、強がりを見せる。
「残念だったな、すでに俺の作戦は完了してる」
「そうか、ではやってみろ。俺はそれを凌いで見せる」
「無理だな、テメェは次の一手で必ず死ぬ」
「そうやって俺を惑わして口車に乗せるつもりか?」
「ちげぇよ、事実だ」
パックリと裂けた額から血が流れる。目に侵入しかけた血液を手で拭い、ルークは意を決したように剣を握り締めた。
全身から血を流し過ぎたせいか、視界がぐにゃぐにゃと歪む。まともに立つ事すら出来ない状態の中、なおもルークは笑みを崩さない。
「ティアがなんでテメェの体を斬れたか教えてやろうか?」
「あの剣にも加護がかかっている。本来精霊は一人としか契約出来ないからな、アルトと契約しているなんて事はあり得ない」
「正解だ。アイツはほんのちょっとだけど精霊の力を使える」
「だからなんだ。使えると言ってもほんの僅か、お前のように肉体を強化する事は出来ない。当然、あの斬撃を放つ事もな」
「そりゃ、どうかな」
淡々と言葉を並べるセイトゥスに、ルークはなにか企んでいるような怪しい笑みを向ける。
それを見て、僅かにセイトゥスの眉が動いた。しかし冷静さを保つように、
「言った筈だ、その手には乗らない。お前の言葉はなに一つ信用しない」
「別に信用しろなんて言ってねぇよ。けど、言い事教えてやる。ウルスを殺したのはアイツだ、あと……変な女の魔元帥を殺したのもアイツだ」
「変な女? ……あぁ、ユラか。それがどうした? お前が一緒に戦っているんだ、なんの不思議もないだろう」
変な女で通用するあたり、魔元帥の中でもユラという魔元帥は変わり者なのだろう。
一切動揺する気配のないセイトゥスに、ルークは袖をまくって自分の腕に刻まれた黒い紋様を見せつける。
瞬間、セイトゥスの表情が動揺の色を滲ませた。
「テメェらなら知ってんだろ? 俺はこの呪いをつけられて動けなかった、だから一緒には戦ってねぇ」
「お前には精霊の加護がある、ある程度の呪いは防げる筈だ」
「さっきテメェが言っただろ、俺はすでに中身がボロボロだって。全部コイツのせいだ」
「……あり得ない。あの女一人でユラに勝てる訳がない。他に仲間が……」
「仲間がいたら、どうだってんだ。人間の仲間が数人いた程度で勝てる相手なのか、魔元帥ってやつは」
「それは……」
ペラペラと調子良く回る舌に、ルークは味をしめたようにさらに言葉を続ける。あらかじめ言っておくが、この男の言っている事はほとんどが嘘である。
「アイツにはそんだけの力がある。そういう事だ」
「だったらなぜあの女は力を求めた、それだけの力があるのならーー」
「それでも、魔王には通用しなかったからだ。それだけの力があっても、目の前で仲間が死ぬのを助けられなかったからだ」
「…………」
「あのクソ野郎の力はそんだけ大きかった。魔元帥を殺せたってアイツを殺せない。だから、ティアは力を求めた」
「いや、全て嘘だ。そもそもユラの呪いを受けてお前が生きている事自体おかしい」
「そこはソラの力で抑えこんでる。コイツには、コイツならそれが出来る。俺なんかよりもテメェらの方が分かってんだろ?」
セイトゥスは以前に始まりの勇者と会ったと言っていた。そしてソラの本当の名前を知っている。二人が戦ったのかは分からないが、ソラの力で魔王が封印された事を知らない訳がない。
ルークなんかよりも、魔元帥であるセイトゥスの方がソラの力を理解しているのだ。
なにが出来てなにが出来ないのか。
ソラの力が、どれほど強大なものなのか。
セイトゥスは自分を落ち着かせるようき深呼吸を繰り返し、
「なぜ、なぜそれを今言った。なぜさっき使わなかった」
「んなの切り札だからに決まってんだろ。そんで、今テメェに教えたのは撹乱させるためだ。さてここで問題です、ティアはどこでしょうか?」
腕を広げ、ルークは挑発するような口調でそう言った。
セイトゥスは辺りを見渡す。周りには野次馬が沢山おり、一人の少女を見つけ出すにはとても困難だった。たとえ桃色の髪という特徴があっても、この人数からそれを探すのは難しい。
ルークは短く息を吐き、
「そんじゃ、最後の仕上げと行こうか」
両手で剣の柄を握り締め、空に切っ先を向けた。
刀身が目映い光を放ち、必殺の一撃を繰り出すための準備が始まる。
「今からテメェに渾身の一撃をぶちかます。避けたきゃ避けろよ、そこへティアが追い討ちすっから」
「なるほど、これがお前の最後の作戦か。だが甘いな、俺は避けない」
剣へと光が集まる中、セイトゥスはゆっくりと腰を低くした。右腕を振り上げると、ボコボコと泥の皮膚が波をうち始める。
マグマのような奇妙な音をたて、腕が何倍にも膨れ上がって行く。先程の非ではない。十メートル以上の、まるで巨木のような腕が出来上がった。
「お前の斬撃を防ぎきる。この一撃は斬撃でなければ対象出来ない」
「そのクソでけぇ腕ごとテメェをぶっ壊してやるよ」
「最後の勝負だ。お前さえ殺せばあとはどうでもなる」
「テメェに一つ忠告しといてやる。アイツはつえぇぞ」
騒がしかった筈の周囲が一瞬にして静まった。この瞬間が、この次に訪れる瞬間が、この戦いの終わりだと誰もが感じ取ったのだろう。
向かいあう勇者と魔元帥。
お互いの持ちうる最強の一撃をかけて、互いの命を奪わんとする。
では、始めよう。
最後の戦いを。
この町の運命をかけた戦いを。
「ティア! ソラ! 行くぞ!!」
「勝つのは、俺だ!」
先に動いたのはセイトゥスだった。
巨大な腕を軽々と上げ、真っ直ぐにルーク目掛けて振り回す。いくら加護があるとはいえ、この一撃を受ければただでは済まないだろう。
一直線に、確実に、腕はルーク目掛けて振るわれた。
視界一面をおおう拳。
周囲の人々はそれに巻き込まれないようにと必死に後ろへと下がる中、ルークは笑った。
「さて、こっからは俺の気合い次第だ」
振り上げた剣を下ろす。
ーーしかし、斬撃は放たれなかった。
いや違う。意図的に、放たなかったのだ。
ルークはしっかりと柄を握り締め、全力で振りかぶると、
「受けとれぇぇぇぇ!!」
剣を全力でぶん投げた。
くるくると回転しながら剣は宙を舞い、迫る拳の上を通り過ぎて行く。
巨大過ぎる拳に視界を遮られ、セイトゥスは反応に一瞬遅れた。
その一瞬が、全てを決めた。
バリン!!とガラスが砕ける激しい音が鳴る。
セイトゥスは顔を上げ、音の方へと目を送る。目にうつったのは風になびく桃色の髪だった。桃色の髪をした少女はガラス窓をぶち破り、丁度セイトゥスの真上へと飛び出した。
その少女の元へ、剣が届く。
(アイツーーまさか!!)
次の瞬間、ベゴン!!と鈍い音がなった。
セイトゥスの拳に嫌な感触が伝わり、その感触は勇者の青年を殴った感触だった。
イカれている。頭がおかしいとしか思えなかった。
魔元帥の全力の一撃を、あの青年は自ら受けたのだ。
加護があるならまだしも、青年は生身の、普通の人間の体で受けたのだ。
バカげている。
そんなの死ぬに決まっているし、死なないとしても確実に二度と歩けない体になるに決まっている。なのに、なのにそれを選んだ。
そして、仲間はそれを受け入れた。
「クソ!!」
セイトゥスは乱暴に吐き捨て、伸ばした拳を急いで戻す。
頭上には剣を握り締めた少女がおり、真っ直ぐとこちらへ落下している。
もし、さっきの言葉が本当なのだとしたら。いや、ここまでやって嘘なんてあり得ない。自分の命をかけてまで少女に剣を託した、それがなによりもの証拠だ。
(遅い、右腕じゃ間に合わない!!)
右腕が収縮するのを待っているのでは負ける。
セイトゥスは即座に頭を切り替え、左腕を真上に向けて伸ばした。一瞬の出来事で頭も能力も追い付かない。巨大化させられたとしてもせいぜい二メートルほど。しかし、加護のない子供を殺すのならそれで十分。
左腕が膨らむ。
全てはあの少女を殺すため。
あの少女さえ殺してしまえば、それで終わる。
ーーそれが、青年の作戦だった。
「ソラさん!」
「あぁ!」
少女が叫んだ瞬間、剣だったものが白い頭の人間の姿へと変わった。
ソラは少女の肩を掴み、両足の裏を少女の腹に押し当てる。
「思いきりやるぞ!」
「全力でお願いします!」
「なに、をーー」
セイトゥスは、その動きを目で捉えるのが精一杯だった。
ソラはティアニーズの腹を蹴り飛ばし、勢いをつけて空を飛んだ。いや、飛ぶというよりは落下しているだけなのだが、勢いをつけたために方向を定める事が出来ていた。
人混みの中へと落下する桃色の髪の少女。
セイトゥスの目は、白い頭の精霊の方を追っていた。
精霊の落下する先、そこに人影を見た。
頭から血を流し、左腕が変な方向へと曲がっていた。
人影の、勇者の口が動いた。
「人間、舐めんなよ」
白い頭の精霊の姿が剣へと変わる。
ルークはそれを右腕で掴み、大きく一歩を踏み出した。
光が集まる。そして、放たれる。
光の斬撃だった。
視界一面が真っ白に染まり、白以外の色が全て消え失せた。痛みはない。なにも聞こえない。身体中を熱が包み、内側から細胞の一つ一つを破壊されているような感覚だった。
これが、死。
セイトゥスは初めて死を意識した。
自分が死ぬなんて考えた事もなかった。
そういう存在だから、たとえ死んだとしてもまた新たに作られる。
でも、
(まだ、負けていない!!)
意識が白に溶けて行く直前、セイトゥスは自分の核を分離させた。残された僅かな力で出来るだけ遠くへ飛ばそうとする。飛距離にして僅か一メートル。だがしかし、核さえ残っていれば再生出来る。
核を分離した瞬間、体を包んでいた熱が消えた。
視界を奪っていた白が消え、辺りの様子が鮮明に見えてくる。
(これで、俺の勝ちーー)
地面に転がる小さな黒い宝石は、自分の勝ちを確信していた。あの状態では勇者は動けない、数秒あれば核を守るだけの泥はかき集める事が出来る。
しかし、セイトゥスは忘れていた。
青年のあの言葉を。
「私達のーー」
声がした。
声の直後、人混みから一人の少女が飛び出して来た。
手には剣が握られ、真っ直ぐにこちらを見ている。
「おま、え」
「ーー勝ちです」
剣が振り下ろされた。
切っ先は黒い宝石を叩き、容赦なく砕く。
(クソ……)
砕けた宝石は黒い光の粒となり、ゆっくりと空へ上って行く。
薄れ行く意識の中、セイトゥスは少女の顔を見た。
初めて自分のやりたい事を見つけた。
そして、初めての敗北した。
しかし、悪い気分ではなかった。
きっと、今の彼に顔があったのなら、笑っていただろう。
(俺の、負けか)
それが、最後だった。
魔元帥セイトゥスは、その瞬間に世界から消えた。
一つの町を巻き込んだ大きな戦い。
偽物の希望。
腐った絶望。
その全てを破壊し、本当の自由を取り戻すための戦い。
青年の勇気は一人の女へ。
女の勇気は多くの人間へ。
そうやって、勇気は希望として伝わって行く。
勇気を与える者ーー勇者。
彼らの活躍により、テムランでの戦いは終演をむかえた。