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量産型勇者の英雄譚  作者: ちくわ
七章 精霊の契約
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七章五十七話 『命の価値』



 たった一振りだった。

 右の翼を軽く羽ばたかせた。

 眼前に迫る無数の泥の槍を防ぐため、アキンは翼を盾にして防御するつもりだったのだ。攻撃する気なんて微塵もなく、なんだったら手加減したと言っても過言ではない。


 しかし、


「なーー」


 翼を振るった瞬間、アキンの想像を遥かに越える範囲を熱が包んだ。熱風、いや熱そのものが辺り一帯に容赦なく襲いかかる。

 直後に、アキンは失敗したと直感した。

 ほんの僅かでも過信していた。訳の分からない力を制御出来ると思ってしまった。


 泥の槍を一振りで消し炭にし、側にいるもの全てを焼き尽くす一撃。

 魔獣も、人間も、まとめて凪ぎ払う一振り。

 その熱は全ての命をーー、


「あ、れ」


 しかし、アキンは視界に飛び込んで来た光景に眉をよせた。

 熱風は周囲数十メートルまで広がり、民家や舗装された地面を焦がして行く。ポツンと置かれた屋台を、大地に根をはる木々を。

 ーーそして、魔獣だけを。


(魔獣だけを、攻撃してるーー?)


 翼から放たれた熱は、人間に危害を加える事は一切なかった。周囲の人々は一瞬、本気で死を意識した事だろう。恐怖に涙し、その場でうずくまり、現実から目を逸らすように両手で顔をおおっていた。

 しかし、一向に訪れない死を不審に思ったのか、次々と顔を上げて自分の体を確認し始めた。

 そして、誰かが言った。


「暖かい……」


 表情を満たしていた恐怖が、安堵によって和らいで行く。自分の体を包む熱が脅威でないと分かるやいなや、全員の顔に僅かな笑顔が戻っていた。


 しかしその一方で、魔獣達は苦しみの声を上げていた。熱はピンポイントで魔獣の体だけを焼き尽くし、燃えカスさえ残す事なくその体を消滅させて行く。外側から皮膚を焦がし、内側から臓器を破壊し、容赦のない攻撃は魔獣だけを攻める。


「なんだ、この力……」


 アキンは、全員が感じている暖かさを感じられなかった。

 そもそもだが、この翼が現れてから全身が悲鳴を上げている。初めは翼が背中から生えているから、背中が燃やされたように熱いと勘違いしていたが、どうやらそうではないらしい。


 骨を直接ハンマーで殴られたような痛み。痛覚そのものに直接攻撃をされたような激痛。皮膚の下から、肉の下から、体の一番内側から、激痛という言葉が体を破壊しているようだった。

 血管が張り裂けそうだ。

 脳ミソが爆発しそうだ。


「あーーぐぅ……はぁ……」


 そしてその異変は、痛みだけではなかった。

 全身を倦怠感が、疲労感が一気に襲った。

 身体中の力が一瞬にして全て抜けたように膝が折れ、その場にひざまずくようにして倒れ込む。


 たった一撃、たった一振りで、小さな少女の体は限界を向かえていた。

 痛みと疲労、その両方に襲われ、全身の毛穴から嫌な汗が吹き出す。


 そしてーー、


「あっちぃぃぃ!」


「クソっっ!」


 意識がどこかへと飛びかけた時、二人の声が耳に入った。

 苦悶の声を上げたのはロイとカストリーダ。

 全身を泥の鎧で包んでいたが、その泥が黒く焼け焦げ、固まっていた。


 その翼は、魔獣だけではなく人間も攻撃していた。


(なにがどうなってるんだ……。僕が敵だと思った奴を攻撃してるのか?)


 二人は熱から逃れようと必死に暴れ回り、泥の鎧を瞬時に脱ぎ捨てる。体からこぼれ落ちた泥が地面を這い、半円状になって二人の体を丸々包み込んだ。


「……長くはもたない」


 本能が告げていた。この翼は扱えない。

 仮に扱えたとしても、アキンの寿命を大きく削る事になると。


 周囲をおおっていた熱風が消え、辺りに静けさが訪れる。しかしそれもほんの一瞬、跡形もなく消し飛ばした魔獣は再び亀裂から姿を現し始めた。

 結局のところ、ほぼ無限に増殖する魔獣を一匹一匹相手にしていても時間の無駄なのだ。


 発生源である亀裂を排除しなければ、根本的な事態ななに一つ解決しない。

 そして、この翼ならそれが出来る。

 しかも、簡単に。

 また同じ事をすれば良いだけだ。

 今度はさっきよりも出力を上げ、両方の翼を振るえば良い。


 だが、


(本当に、大丈夫なのか? またこの翼を使って、皆を傷つけたりしないのかな……)


 今回は上手くいった

 無意識にとはいえ、翼はアキンが敵だと認識した相手だけを的確に攻撃した。

 しかし、また同じようにいくだろうか?

 次に振るった時、周りの人間を巻き込んだりしないだろうか?


 そんな不安が、アキンの行動を鈍らせる。

 そしてなによりも、


「ったく、なんだよそれ。オタクすげえーもん隠してやがったな」


「それは、なんだ。それは魔法なのか?」


 泥のドームがボロボロと崩れ落ち、軽く皮膚を火傷した二人が姿を現す。咄嗟の事とはいえ、あの熱から逃れた力量は絶賛すべき事だろう。

 だが、次はどうなる?

 アキンは彼らを敵と認識している。

 もし、もう一度振るった時、彼らを殺してしまわないだろうか。


 否、今度は逃れられない。

 この翼は二人を容赦なく焼き払う。

 骨すら残さず、彼らがここに立っていた痕跡を根こそぎ燃やし尽くすだろう。

 二人の人間の命を奪って。


(それは、ダメだ……! そんなの絶対にダメだ!)


 いくら敵とはいえ、アキンは彼らに死んでほしい訳ではない。これまでの罪をしっかりと理解し、それを償うためにこれから先の人生を費やすべきだと考えている。

 アキンは、二人を殺せない。


 メレスに言われた言葉が頭を過る。


『戦う時は覚悟を持ちなさい。なにがあっても前を向く、たとえこの手が泥にまみれて卑怯だと蔑まれても、相手を殺す勇気を』


 相手を殺す勇気。

 誰かを守るために、敵を叩き潰す勇気。

 そして、メレスはこうも言っていた。

 アキンは『甘い』と。


 確かにそうかもしれない。

 相手を殺さなければ他の人間が死ぬかもしれないという状況に立たされてなお、敵を殺す事に躊躇している。自分の甘さがどんな結末を招くのかを理解していながら、アキンは力を使う事を拒否していた。


(殺すなんて……そんなの……そんなの)


 人の命を奪うという行為は許されない。

 さっきそう言ったばかりだ。

 そうでなくても、アキンは誰も死んでほしくないと考えている。どんな人間にも必ず善意はあって、いつか善意が悪意に勝って更正出来るとも考えている。


 だが、現実はそんなに甘くない。

 優しいだけでは、何事も変えられない。


「全言撤回だカストリーダ。あのガキンチョは二人がかりで殺る」


「初めからそう言っていたでしょう」


 構えた二人の前方に泥の玉が出現した。

 その玉は一気に加速し、立ち上がろうとしている最中のアキンに迫る。

 防御を、しなければと思った。

 だが、アキンの行動は思っただけで止まった。


 翼を振る事を、躊躇った。

 人を殺してしまうかもしれないという恐怖が、アキンの行動を奪った。


「ガーーウゥ!」


 泥の玉は無防備なアキンの体に直撃し、小さな体が後方へと弾き飛ばされる。だが、痛みはなかった。そもそも既に全身が痛みでしっちゃかめっちゃかになっており、正常に痛みを感じる事が出来なくなっていたのだ。


 体が宙を舞い、ゆっくりと地面に落ちる。

 だが、落下する事はなかった。

 無意識に願ったのか、そうでないのかは分からないが、翼が勝手に動き、倒れかけたアキンの体を支えたのだ。


 一瞬、アキンはやってしまったと思った。

 しかし、熱風は放たれていない。

 翼は数枚の羽を動かし、倒れかけたアキンの体勢を元に戻しただけだった。


(良かった……)


 こんな状況なのに、そんな事を考えていた。

 分かっている。

 自分が甘い事なんか。怖くて、ただ逃げているだけだという事も。

 でも、それでも。


(命は、奪えない。たとえどんなに悪い人でも、僕は絶対に人を殺したくない!)


 その信念だけは、揺らぐ事はなかった。

 敵を殺さず、仲間は守る。

 それがどれだけ難しいのかーーそんなのは考えるまでもない。

 その信念が自分の行動を狭めていると、他の人間を危険にさらしていると理解して、なおもアキンの意思がブレる事はなかった。


 優しさーーそんな綺麗なものではない。

 ただ怖いだけだ。ただビビってるだけだ。

 ーーだとしても、そこだけは譲れない。


 甘かろうがなんだろうが、絶対に譲れない。


(あの人を殺さず、皆を守る。なにを怖がってるんだ! 僕が、僕がこの翼を制御すれば良いだけの話だろ! 怖がるな、前を向け、僕は勇者なんだろ!? だったら自信を持って立ち向かうんだ!!)


 どんなに困難だろうと、アキンは折れない。

 どれほどの困難だろうが、どれだけ理不尽だろうが、決して少女の心が折れる事はない。


 その困難に、少女は立ち向かう。

 ーーそれこそが、少女の勇気だから。


『ーーなるほど、やはり似るものなんだな』


「えーー?」


 突然声が響いた。耳に入った訳ではなく、頭の中に直接語りかけられたような感覚だった。

 気軽な口調で、しかしどこか気高さのようなものを感じる声だった。


『君が誰のかは知らない。いや知ってはいるが、もう俺には関係ないしどうする事も出来ない』


「えと、あの……」


『あぁ、すまない。突然の事で驚いているだろうが、多くを説明している時間はないんだ。だから、手短に伝える』


 とぼけた様子で辺りを確認してみるが、こちらに語りかけて来る者はいない。というかそんな余裕はない。誰もが戦うのに、生きるのに必死なのだから。


『大丈夫だ、君なら出来る。俺はそう信じている』


「信じている?」


『ようは心意気だ。出来ないと思ったら出来ない、出来ると思ったら出来る。……まぁ、世の中そんなに甘くないから俺はこうなっているんだが……』


 どこか自虐的な呟きにも聞こえたが、その声の主は空気を入れ替えるように咳払いをした。

 状況を飲み込めず、放心状態のアキンにその声は続ける。


『君はその……勇者? なんだろう? だったら出来る』


「でも、もし失敗したら……」


『大丈夫だ、その力はもう君のものだ』


「でも……」


『守りたいんだろう? 失いたくないんだろう? それとも、その言葉は嘘だったのか? この程度の困難に負けてしまうほど、勇者とは弱い存在なのか? 違うだろ、勇者の力は、そんなに弱くはない』


 アキンはこの声の主を知らない。

 そもそも姿が見えない時点で怪しさしかないのだが、なぜか説得力があり、疑おうとは思わなかった。

 ……アキンが純粋という事もあるのだが。


『君は立派な勇気を持っているじゃないか。俺は嬉しいよ、君のような人間がいて。君のように勇気をもって、戦おうと進んでいる人間がいて』


「でも僕は……怖いんです。自分が、人殺しになってしまうのが……」


『……俺は、人を殺した事がある。それを仕方ないと言い訳するつもりはないし、後悔もしていない。殺さなければ、俺の一番大事な人が死んでいたんだ』


「なんで、そう言いきれるんですか……?」


『ーー信じたからだ。それが正しいと、俺の歩く道はこれだと、そう信じて疑わなかったからだ』


 なぜか、懐かしさを感じた。

 そこ言葉をどこかで聞いたーーいや、似たような人間を見た事があるからだ。自分の信じた道だけを進む青年、きっと彼も、同じ事を言うだろう。


『どんな理由があろうと、人の命を奪った時点でただの人殺しだ。それは、どんな言い訳を重ねたとしても変わらない。たとえ悪人でも、一人の人間の人生を奪うーーそれは、きっと悪なんだろうな』


「…………」


『だが、俺は迷わなかった。守りたい人がいたからだ。君の志は称賛されるべきものだ、しかしそれだけではなにも救えない。非情になれとは言わない、人を殺せとも言わない』


「…………」


『ーー覚悟をもて。戦うと決めたのなら、守ると決めたのなら迷うな。迷っているうちに沢山の人間が死んでいく。俺は、それが嫌だった、それがどうしても耐えられなかった』


 男の声には、悲しみに似た感情があった。

 きっと、後悔しているのだろう。男がどうして、なにに後悔しているのかは知らない。

 でも、それでも男は進んだのだろう。

 その悲しみを、後悔を乗り越えて。


『良いか、世の中には全ての人間を救う方法はない。だが、俺はそれを目指した。全ての人間に笑っていてほしかったんだ。皆の笑顔が好きだったから、それを奪う奴らが許せなかった』


「僕も、です。皆に笑っていてほしい……」


『だから、俺は戦うと決めたんだ。たとえ自分が死んだとしても、皆を守るために戦うと』


「僕も、そう思っています」


『なら、答えは決まっているな』


「はい……!」


 少女は顔を上げた。

 倒すべき相手を見据え、己のうちにあった迷いを払うように、鼻からこぼれる血を乱暴に拭いさる。

 アキンの目に、迷いはなかった。


 男の言う通りだ。

 皆を救う方法なんてない。実際、アキンは一人の青年を見殺しにしてしまった。その時、皆が笑顔で、皆が幸せでーーそんな理想は、きっと無理なのだと思った。


 誰かを救うには、誰かを傷つけなくてはならない。

 そんなどうしようとない腐った現実を、アキンは知った。


 それは、悪なのだろうか。

 自分の大事な人を守るために、誰かを傷つけるのは悪なのだろうか。

 その答えは、きっと人それぞれだ。

 決まった答えなんてない。


 でも、もしそれが罪ならば。

 たとえそれが、罪なんだとしても。


「僕は、皆を守りたい!!」


 アキンの意思に答えるように、炎の翼がさらに大きさを増した。数十、いや数百メートルはあるだろうか。

 燃え盛る翼は、少女の意思に答える。

 少女の勇気に、答えるために力を与えた。


 少女の答えはーー、


「誰も、死なせるもんか!!」


 絶対に、命は奪わない。

 それが悪だろうが正義だろうが、そんな事はどうだって良い。

 アキンは、誰にも死んでほしくないから戦っているんだから。


『ーーあぁ、それで良い。君の選んだ道はきっと難しいだろう。だが、それでも折れるな、立ち向かえ。その願いは、絶対に間違いじゃないから』


 その言葉を最後に、男の気配は消えた。

 彼が何者なのかは分からない。

 だが、いつかまた会えるーーそんな気がしていた。


 爆発的に伸びた翼を見つめ、ロイは乾いた唇を舌で湿らせる。


「ありゃ、マジで死ぬかもな俺ら」


「ちょっとだけ、騎士団のままでいたらって後悔しています」


「あぁ、でもーーここまで来て引けるか。俺らにも負けたくないって意地はあんだよ!」


「はい。これが、僕達にとっての正義だ!」


 ロイ、カストリーダは駆け出した。

 恐らく、これが最後の一撃になる。

 だから全力をぶつける。

 そうすればきっと、この力は答えてくれるから。


(僕は、まだまだ弱い。だから、だからもっと強くなるんだ! この理想を叶えるために、誰も死なせないために!)


 ゆっくり、翼が動く。

 七色の火花を散らせ、膨大な力の塊は少女の意思に従い、その本来の力を発揮すべく動く。


「胸をはって、勇者って言えるようになるんだ!!!」


 上空数百メートルまで翼は上がり、そのまま一気に落下した。空気を切り裂き、音を置き去りにして敵へと降り注ぐ。

 恐らく、このまま直撃すれば間違いなく二人を殺してしまう。


 だが、アキンは迷わなかった。

 きっと、この翼はそういう力ではないから。


「ーーッ!!」


 ーーそして、翼が落ちた。


 二つの翼は寸分違わずにロイのカストリーダの真上に落ち、地面に突き刺さった。その衝撃波は周囲を巻き込み、再び熱風が辺りを包みこんだ。

 民家の屋根を吹き飛ばし、地面を意図も簡単に抉り、その轟音は町中に響き渡る。


 だが、誰一人逃げなかった。

 その暖かさを知っていたからだ。


 爆発的に広がった熱風は魔獣だけを焼き尽くした。一瞬、まさに一瞬の出来事だった。翼に触れた魔獣は瞬間的に蒸発し、熱風を浴びた魔獣は炎に包まれる。巨人だろうが、犬だろうが、トカゲだろうが、鳥だろうが、ドラゴンだろうが、全ての魔獣をまとめて凪ぎ払った。


「はぁ……はぁはぁはぁ……」


 やがて、静寂が訪れた。

 静寂の中で、アキンの荒い息遣いの音だけが響く。

 全てを絞り出した一撃。たった一人であらゆる疲労を詰め込んだような感覚に襲われたのだ、あれだけの威力を使えばアキンの体はそれに耐えられない。


 ゆっくり、前のめりに少女の体が倒れる。


「…………」


 その視線の先に、二人の音が仰向けに倒れていた。

 ロイとカストリーダ。

 あの翼を、圧倒的な力の塊が直撃した二人だ。

 当然、意識がある訳がない。

 ピクリとも動かず、静寂の中で倒れていた。


 しかし、アキンはハッキリと目にした。

 二人の胸が、上下に動くのを。

 それは、呼吸をしている証拠だった。


「よ……良かったぁ……」


 殺さずに済んだ。

 その安心感からか、敵なのにも関わらずアキンは微笑んだ。


「だ、大丈夫か坊主!」


 ぐったりと力なく倒れるアキンに、一人の男が駆け寄って来た。怪我はしているものの、火傷している様子はない。それを見て、アキンは再び笑みを浮かべる。

 だがーー、


「ーーッ」


 ゾワリと、悪寒が駆け巡った。

 倒れる二人の後方、アキンは目にしてしまったからだ。

 奇妙な紋様を。

 その上にある、空間に出来た亀裂を。


 壊せなかった。いや違う。本来ならば壊せていただろう。それだけの力が、あの翼にはあった。

 だがあの瞬間だけは、それが出来なかった。

 人を殺さない事だけに全神経を集中し、魔獣を殺す事だけに力を振るったからだ。


「まず、い……」


 重たくなった体をなんとか起こそうとするが、まったく動かなかった。身体中が脳ミソからの命令を、神経を伝う信号を無視していた。

 もう無理だと。

 そう言っているようだった。

 アキンは、もう一歩も動けない。


 だがそんな事情、魔獣には関係ない。

 根こそぎ消し飛ばした筈なのに、亀裂から新たな魔獣が姿を現す。

 絶望が、音を立てて迫る。


「くそ……動け、動けよ!」


 指先すら動かない。言葉を発せている事ふら奇跡に近いのだ、動くなんて無理に決まっていた。

 だが、それでも力を振り絞る。

 ここで動かなければ、皆死んでしまうから。


 しかし、絶望が止まる事はなかった。

 無情にも、魔獣は現れ続ける。


「なんで……まだ、まだやれるのに!」


 魔獣の大群が押し寄せる。

 周りの人間も、動けずにいた。

 あれだけやって、また振り出しに戻った。

 それだけで、絶望するには十分だった。


 もう、戦えない。

 もうーー。



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