七章五十六話 『覚醒』
「うぐぅ……はぁ……」
「オタクさぁ、そろそろ諦めた方が良いんじゃないの?」
「諦める……もんか!」
拳を地面に叩きつけ、口内にたまった血を乱暴に吐き捨てる。
アキンの前に立つのは二人。
ロイ、そしてカストリーダ。
頭から血を流し、這いつくばりながらも立ち上がろうとするアキンを見下ろしている。
その周りでは、今も激戦が繰り広げられていた。
「怪我人を運べ!!」
「無茶すんじゃねぇぞ!」
「誰か手を貸して!」
「魔法使える奴いないのか!?」
アキンの視界を満たしているのは魔獣だ。
亀裂から発生した魔獣は人間を襲い、人間は武器を手に立ち向かう。傷を負いながら、地に叩きつけられながら、それでもなお、目の前の脅威に立ち向かおうとしている。
状況は圧倒的にこちらが不利。
敵の数もさる事ながら、こちらはほとんどの人間が戦いの素人だ。騎士団の人間が何人か混じってはいるものの、だからといって形勢逆転出来る一騎当千の力はない。
本来であれば、既に全滅していたかもしれない。
それを防いでいるのは、紛れもなくアキンたった一人の力だった。
「させるーーかぁぁ!!」
立ち上がると同時に両手を広げ、背後に大量の炎を出現させる。形を与えている余裕なんてない。腕を振り回し、とりあえず狙いだけを定めて魔法をぶっぱなした。燃え盛る炎は吸い込まれるようにして魔獣へと向かい、直撃するのと同時に数十匹の魔獣の肉を燃やし尽くす。
とどめは側にいる住人達が剣を喉もとに突き刺し、再び次の魔獣を狩るべく走り出した。
だが、
「だからさぁ、守りながら戦うって結構無理あるぜ?」
鈍痛が響いた。突然来た衝撃にアキンの体が横殴りに飛ばされた。
ズザァ!と地面に左腕を擦りながらも体勢を整え、次の攻撃に備えるように敵へと目を送る。
ロイはパチパチと手を叩き、
「すげー、すげぇよオタク。皆を守りながら俺達と戦ってまだ生きてんだ。並の強さじゃないって事は分かる。けどよ、そりゃちと舐めすぎってもんじゃないのか?」
「僕は皆を守ってお前達を倒す! 誰一人死なせるもんか!」
「威勢だけは良い……いや、それなりに実力もある。タイマンでやってたら負けてたかもしれない。でも、戦場はそんなに甘くないんだわ。殺せる奴から容赦なく殺して行く……オタクさ、そんなんだと死ぬぜ?」
「死ぬもんか。お前達になんて絶対負けない……!」
アキンは、周りの人間を守りながら戦っていた。常に注意を辺りに払い、危険な目にあっている人間を片っ端から助けて行く。
そんなやり方ではいずれ追い込まれると分かっていながら、それでも誰かを守るために力を使い続けていた。
そのためにここへ来たのだから。
誰かを見捨てるなんて選択肢はあり得ない。
「オタクさ、状況分かってんの? 別にどんな戦い方しても構わないけど、オタクが負けた時点でここにいる人間は全員死ぬぞ? だったら他を切り捨てて、オタクが生き残って少しでも勝率を上げるべきなんじゃないの?」
「勝率なんて関係ない。死んでほしくないから、守りたいから戦うんだ!」
「だとよ。カストリーダ、オタクよりも騎士団らしいな」
テコでも譲らないというアキンの意思を見て、ロイはお手上げだと言いたげに両手を上げる。それから皮肉混じりの笑みを浮かべ、隣に立つ男の肩を叩いた。
「僕は元々人を助けたくて騎士団に入団した訳じゃない。安定、お金が良いから入ったんですよ」
「騎士団の台詞じゃないよな、それ。んま、俺が言える事じゃないんだけども」
「君、一つ良い事を教えてあげるよ。世の中には皆を救う方法なんてない。誰かを助ければ、他の誰かが必ず不幸になる。無駄なんですよ」
鬱陶しそうにロイの手を払いのけ、カストリーダは立ち向かう姿勢を崩さないアキンを見た。その目には正義なんて言葉はなく、ただ無様に這いつくばるアキンを見下しているようだった。
カストリーダの言う事はもっともだ。
確かに、全ての人間を平等に救う方法なんてこの世界には存在しない。現に、アキンは助けられずに死んでいった人間を知っている。
手を伸ばしても、届かない命がある事も。
けれど。
「だから……戦うんだ。皆を助ける事は出来なくたって、僕の手が届く範囲の人達を救いたいから。皆に笑顔で、いてほしいから……!」
「それは綺麗事だ。机上の空論、夢物語、言い方はなんだって良い。絶対に叶う事のない願いだ」
「そんなの、やってみなくちゃ分からない!」
「別にオタクがなにを目指そうが俺には関係ない。皆に笑っていてほしいんなら、そのために戦えば良いさ。でも、そのせいでオタクは怪我をする。誰かを守るせいで、自分を守れずにな」
「僕はどうなったって良い! 皆を守れるなら、死んだって構わない!」
イカれているなんて、重々承知している。
でも、助けたい。
守りたい。死んでほしくない。
そう思ってしまったから、妥協は出来ない。
たとえ自分が傷つく事になったとしても、それが自分のやりたい事だから。
アキンの、選んだ道だから。
「お前達を倒す! 皆を助ける! この町を守る! 人助けに妥協なんかするもんか!」
明らかに押されているのはこちら側だ。
それでも折れないアキンの姿を見て、ロイは小さく笑みを浮かべた。しかし次の瞬間には、その笑顔が嘘のように消え失せた。
冷めた声で、瞳で、ロイは言う。
「立派な志しだな。けど、結局ものを言うのは力だ。オタクがどれだけ口で言おうが、俺達を倒せなきゃ意味がない」
「分かってるさ、そんな事。だから立ち向かうんだ、お前達を倒すために!!」
左腕に負った擦り傷。グロテスクな光景が腕に刻まれており、泣きたくなるくらいに痛かった。それでも歯を食い縛り、涙を堪え、アキンは立ち上がる。
自分だけが辛い訳じゃない。
全員、戦っているんだから。
「イメージ……イメージイメージ……強く、イメージ!」
ぶつぶつと呪文のように師匠からの教えを呟き、二つの腕に意識を集中させる。属性は炎、与える形は鳥。サイズは小鳥だが、その小型にあらんかぎりの魔力を練り込む。
炎が揺れ、ゆっくりと形をーー、
「一つ、訂正しとくぞ。俺達はオタクを舐めてないし、俺達の力を過信してる訳じゃない。だから、そんな悠長にやってる時間は与えない」
アキンの意識と集中を削ぐように、攻撃があった。
ロイの二の腕辺りから泥がこぼれ落ち、鞭のような形が形成される。風を切る嫌な音が耳に入るのと同時に、二つの鞭が襲いかかって来た。
ただの鞭ではない。先っぽが鎌のように変化してた。
「くそっ!」
一旦作業を中断ーーと、そんな簡単にはいかなかった。一度練り込んだ魔力をそのまま放置させる訳にもいかず、かといってそのまま放てば被害が周囲にも及んでしまう。
そのせいで、一瞬判断が鈍った。
頭上から降り注ぐ、巨大な泥の塊に気付く事が出来なかった。
見上げた時には、既に落下が始まっていた。アキンの身体能力では、回避する事は難しい。即座に思考を切り替え、
「避けられないなら……!」
両手を頭上に向かって突き上げ、不安な状態の炎を放った。鳥になりかけている炎は、アキンの手を離れた瞬間に形を失い、泥の塊に到達するよりも早く爆発。激しい爆風とともに塊を粉砕する事に成功するがーー、
「あぐっっ!」
真下にいたアキンにもその被害が訪れていた。制御出来ない威力の魔法に巻き込まれ、使用者であるアキンの小さな体は大きく後方に跳ね飛ばされる。地面に何度かバウンドしたのち、ようやく止まった。が、
「ジャァァァ!!」
息を整える暇もなく、倒れるアキンに向かってトカゲ型の魔獣が襲いかかる。鋭く伸びた爪が太陽の光を反射し、細い首もとを引き裂くべく振り下ろされた。
恐怖によって落ちかけた瞼を気合いで止め、手を振りかざして扇型の氷を出現させる。
「まだ、まだぁ!」
氷の壁に爪が激突した瞬間、パキッ!という甲高い音とともに魔獣の爪がへし折れた。その隙に上体を起こして懐に飛び込むと、がら空きになった腹に掌を押しあて、全力の電流を流しこむ。痺れ、魔獣の動きが鈍った瞬間、掌に集約させた炎で首から上を吹き飛ばした。
鮮血が飛び散る中、アキンはほんの一瞬だけ呼吸を整えるように肩を落とした。しかし、それもつかの間、倒すべき相手へと体の向きを変える。
息を切らし、
「僕は、お前達を絶対に許さない……!」
一歩を踏み出す。
前後左右から迫る魔獣達を電流をまとわせた風で一網打尽にし、自分が歩くべき道を切り開く。
「人の命だぞ、なんでそんな物みたいに扱えるんだよ!」
「今さら説教かよ。んじゃ意地悪な事を言うが、命って意味じゃ豚や牛も同じだろ? それを物として売買してる奴らもいる。それは良いのか?」
「僕は人間だ。だから人間の命を弄ぶような事は認められない」
「……こりゃ予想外。今の質問で大体の奴は黙りこむんだがな」
「人の命は道具じゃない。ましてや、一人一人が自由になる権利をもってる。それを、それをなんでお前達なんかに奪われなくちゃいけないんだ!」
「んー、それはこれが俺達の商売だからなぁ。悪い事ってのは分かってるけど、生きるためには仕方ないんだよ」
ロイは困ったように肩をすくめ、カストリーダに答えを求めようとしたが、わざとらしく無視をされたので自分で答えた。確かに悪びれた様子はあるが、改めようとする意思は感じられない。
「オタクだってそうだろ? 自分が生きるためなら他人を蹴落とす。別にそれは悪い事じゃない、この世界のルールってやつだ」
「誰かを不幸にしてまで生きたいなんて思わない」
「それはオタクが気付いてないだけだ。人間ってのは生きてりゃ少なからず誰かを不幸にしてる。俺達とオタクの違いは、それに気付いているか、気付いていないかの違いだけだ」
「気付いていて、なんで辞めないんだよ」
「何度も言ってるだろ。仕方のない事だからだ」
「違う!!」
アキンの叫び声を聞き、ロイは僅かに眉を寄せた。
魔獣が飛び交う中を、アキンはただ真っ直ぐに進む。
「仕方ないって言い聞かせてるだけだろ! その方が楽だから、考えずに済むから!」
「だとしたらなんだ? それは悪い事なのか?」
「お前達はただ逃げてるだけだ。僕の尊敬する人は、自分が悪い事をしてるって認めて、それでも前に進もうとしてる」
アキンは気付いていた。
アンドラが、悪い人間だという事を。
具体的になにをしてきたかまでは知らないが、恐らく人に自慢出来るような生き方はしていないのだろう。アンドラから、誰かから聞かされた訳ではない。
いくらアキンが子供だといっても、それに気付かないほどバカではない。一緒にいれば、彼がどういう人間なのかくらい気付くに決まっていた。
自分を、どれだけ大事にしてくれているかも。
「僕の尊敬する人は……多分、悪い人だ。けど、その間違いを認めて……正しくあろうとしてる」
なぜ話してくれないのだと、何度も思った。
子供だから当たり前かもしれないが、それでも、アキンは話してほしかった。たとえアンドラがどんな人間だとしても、幻滅するなんて絶対にあり得ないのだから。
「僕のために、正しい人間であろうとしてくれている。……お前達みたいに、自分のやって来た事から目を逸らしたりなんかしない!」
だから、待つと決めた。
いつか話してくれるその日まで、少女は待つと決めた。
強くなり、そのいつかを待つと決めたのだ。
だから、こんなところで負けられない。
こんな奴ら相手に苦戦しているようでは、そのいつかは永遠にやって来ないから。
進む。力強く、一歩を刻む。
「かかって来い! そんな余裕ぶってたって、僕には勝てないぞ!」
拳を握り締め、少女は雄叫びを上げる。
アキンに足りなかったものは自信だ。
魔法のとてつもない才能を持ちながら、それでも自分は凡人だと思い込んでいた。特別な力なんかなくて、自分に出来る事なら他人にだって出来る。
でも、そうじゃない。
重要なのは、自分自身の意思だ。
やりたい事を貫く、揺らぐ事のない強い信念。
たとえ相手が強かろうと、勇気を持って立ち向かうという志し。
少女は今この瞬間、それを得た。
いや、もっと前から持っていたのだろう。
正確に言えば、自覚したのだ。
自分のやりたい事を。
自分がなんなのかを。
「子供にそこまで言われて黙ってる訳にわいかないよな。そんじゃ、俺も全力で行かせてもらうぞ。雑用係の意地を見せてやる」
ゾワッ!と寒気が全身を襲った。
ロイの余裕ぶった態度が消え、目付きが別人のように鋭くなる。
しかし、アキンは目を逸らさなかった。その鋭い眼光を真っ直ぐに見据える。
ロイも同様、アキンから目を逸らさぬまま、
「カストリーダ、コイツとタイマンでやらせろ。雑用係にも意地ってもんがある」
「ダメですね、一対一じゃまず間違いなく君が負ける。この計画に失敗は許されない、どんな汚点も残せないんです」
「でもよ……」
「ベルトスのようには、なりたくないでしょう?」
ベルトスという言葉を聞いた瞬間、ロイの眉がピクリと反応した。恐らく、彼が裏切った事、そして既に死んでしまった事を知っているのだろう。
ロイは僅かに考える仕草をとり、
「ここまで来て引けねぇ、か。しゃーない、悪者は悪者らしく最後まで卑怯に徹しますか」
「そうしてください。君の失敗を擦り付けられて一番困るのは僕ですから」
「つー訳で、悪いなガキンチョ。こっちは二人がかりでオタクを殺らせてもらう」
彼らにとって、この計画がどれだけ重要なものなのかは分からない。そもそも町中に魔獣を放つその思考が理解出来ないので、アキンは深く考える事を辞めた。
たとえどんな答えにたどり着いたとしても、彼らのやっている事は許されないから。
「二人で良い。僕はお前達を倒しに来たんだ」
「強気な発言だねぇ。でもま、俺も最近負け続きでちょっと鬱憤黙ってんだわ。ーー容赦しねぇぞ」
「行きますよ。他の人間は無視、今この場でもっとも厄介なのは間違いなく彼です」
ロイはポキポキと首の骨を鳴らし、首に巻いてある鎖が擦れる音が響く。
今までのは準備運動。
そう言いたげに、二人の表情が明らかに変化した。
だから、アキンはさらに一歩を踏み出す。
この一歩がアンドラへと続くと信じ、自分の中で熱く煮えたぎる思いを口にした。
「僕はーー」
こんな言葉、きっと自分には百年早い。
まだまだ弱くて、泣き虫で、いっつも誰かに守ってもらってばかりだ。後ろからただ見ている事しか出来ない自分には、一生かかっても名乗る事の出来ない名だというのも分かっている。
でも、あの青年が言ってくれた。
他でもない、勇者であるあの青年が言ってくれた。
だから、進む。
胸をはって、いつか声を高らかに名乗れるように。
今この瞬間、この場所を、そのスタートに。
「僕はーー勇者だ!!」
瞬間、アキンの中のなにかが弾けた。
胸の内で暴れていた得体の知れない力が、急激に勢いを増す。自分ではない他の誰かが自分の中にいるような感覚だった。叫びを上げ、暴れ、かきむしり、内側からアキンを食い破ろうとするような。
でも、悪くはない気分だった。
むしろ心地が良かった。
だから、その流れに身を任せた。
途方もない力の塊を、流れに任せて体外へと放出させーー、
『良く言った』
誰かの声が聞こえた。
まったく知らない男の声だった。
「ーーッ!!!」
ボンッ!!となにかが爆発したような音が生じ、背中を熱が襲う。熱した鉄玉を背中に押し付けられたような痛みが暴れ、それが、次第に広がって行く。
「おいおい……なんだよ、そりゃ……」
驚きの声を上げたのはロイだった。
ロイはアキンをーー厳密にはアキンの背後を見て動揺の色を浮かべていた。紛れもない恐怖の色に瞳を染めている。
カストリーダに至っては、状況を飲み込めずに言葉を発する事さえ出来ずにいた。
しかし、それはアキンも一緒だった。
背中を襲う熱に顔をしかめながら、自分の背後へと背を向ける。
「なんだ、これーー」
そこには、翼があった。
とてつもなく巨大な、炎で出来た翼だ。
轟轟と燃え盛る炎が翼の形になり、アキンの背中から生えていた。長さは恐らく十メートル以上。羽の一枚一枚が凝縮された力の塊で、自分の背中から生えているというのに、言い難い気味の悪さを覚えた。
しかしそれと同時に、いやそれ以上にーー美しいと思ってしまった。
素材は炎。魔法のように見えるが、恐らく魔法ではない。もっというのなら、この翼はアキンのものではない。
ただ、今この瞬間だけは、この翼はアキンのためにある。
それだけは理解出来た。
(動か、せる……!)
痛いのか熱いのかすら分からなくなっていた。しかしそれでも、翼はアキンの意思に従うように動いた。羽が揺れ、その波が翼全体に伝わり、火花を散らしながら圧倒的な熱を放つ。
「これで、戦える!」
この力がなんなのか、それを考えるのはあとで良い。この途方もない力を操れるのかなんてのもあとで良い。これを使用した結果、自分の体にどんな被害が出るかなんてのもあとで良い。
今は。
戦え。
戦って、勝て。
ーーそう、翼が言っているようだった。
「ここからが、本番だ!」
叫び、アキンは翼を羽ばたかせた。
アキンを中心に激しい熱風が広がる。
熱の中、少女は飛び出した。