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量産型勇者の英雄譚  作者: ちくわ
七章 精霊の契約
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七章五十二話 『少女の英雄譚』



 頬に響いた鈍い痛みが、これは紛れもなく現実だと告げていた。

 揺れる瞳で、目の前に立つ青年の顔を見つめる。

 何度見ても、どこから見ても、勇者の青年だった。


「なんで、なんでここに……」


「なんでじゃねぇよ、連れ戻すって言っただろ」


「でも、だからって……」


「あのな、俺のしつこさはお前がよーく知ってんだろ。たとえ魔元帥の腹の中だろうが、俺は必ずお前を連れ戻しに行く」


 青年は呆れたように呟き、それから血だらけになった指先を見た。しかし気にする様子もなく、軽くため息をついてその血を上着で拭き取った。

 理解が追い付かない。

 なんで、ここにいるのだろうか。


「なんで……」


「なんでしか言えねぇのかよ。俺がここにいたらおかしいのか?」


「お、おかしいに決まってます!」


「どこが?」


「どこがって、それは、あの……」


 考えがまとまらず、ティアニーズはあたふたとした様子で視線を泳がせる。それでもなんとか頭をフル回転させ、ぎこちない笑顔を無理矢理作ると、


「そ、そうです! ここには魔元帥がいるから、それを倒しに来たんですね!」


「ちげーよ、お前を連れ戻しに来た。魔元帥の野郎はぶっ飛ばすけど、それはついでだ」


「つ、ついでって……ま、またいつもの悪い冗談ーー」


「いい加減俺を見ろ」


 ベシ、と再び頬を叩かれた。

 今気付いたが、ティアニーズは青年を見てはいなかったらしい。

 二度もぶたれた頬に触れ、改めて青年を見つめた。なにも変わらない。ここにいるので、状況を全て把握している筈なのだが、青年の顔つきはいつもとまったく同じだ。


「……なにしに、来たんですか」


「テメェを連れ戻しにだ」


「もう良いんです。私には戻る場所なんてないから」


「お前が良くても俺は良くねぇ」


「早くしないと、ここから魔獣が溢れだします。だから……」


「内側から閉じるってか? ふざけんな、んなの認めねぇぞ」


 青年はジッとティアニーズの瞳を見つめ、逸らす素振りすらない。こんなのに居心地の悪い視線があるのかーーそんな事を考えてしまうほどに辛い状況だった。


「そもそも、俺が間に合ったんだから内側から閉じる必要ねぇだろ」


「…………………………………………………………………………………………………………あ」


 改めて状況を説明しよう。

 確認していないので具体的な数は分からないが、ティアニーズの背後には大量の魔獣が蠢いている。恐らくだが、いつでも外へ飛び出す準備が出来ている、という事だろう。


 それを防ぐには門を破壊するしかなく、しかしティアニーズにはそんな力ない。だから内側から入り、自分もろとも門を閉じてしまう選択肢を選ぶしかなかったのだ。たとえ、それで自分が死んでしまうとしても。

 しかし……今、目の前に門を壊せる人間が立っている。


 間抜けな声が出た。

 言った本人であるティアニーズさえ、呆れてしまうほどに。


「つー訳で、こっち来い」


「で、でも……」


「でもじゃねぇよ。お前がそこにいる理由はもうない。だったらこっちに来るのが普通だろーが」


「はい……」


「んだよ、恥ずかしいのか? 格好つけて命捨てようとしたのに、それを簡単にぶっ壊されて」


「な、なんでそういう事を口に出すんですか!」


 相変わらずの空気の読まなさっぷりである。

 他人の羞恥心に微塵も興味ないような男なので、こうして痛いところを的確に突き、なおかつ抉ってほじくり返して来る。


「言わねぇと伝わらねぇだろ。知ってるか? 思ってる事はちゃんと口に出さないといけないんだぞ」


「そ、そういうのはもっと良い意味で使う言葉なんです! 思った事をなんでもかんでも口にして良い訳じゃありません!」


「んなの知るか。とにかくこっち来い、早くしねぇとマジで戻れなくなるぞ」


「分かり、ました……」


 ぐうの音も出ないほどの正論なので、ティアニーズは恥ずかしさを誤魔化しながら前に進もうとする。が、体がまったく動かなかった。そもそもこんな重力がないような空間で、自分の意のままに動く方法を知らない。


 じたばたと暴れてみるも、結果は同じだった。


「なに踊ってんだよ、恥ずかし過ぎて壊れたのか?」


「そ、そんな訳ないでしょ! 動けないんです、体が前に進まないんです」


「お前さっきこれ閉じようとしてたじゃん」


「あれは……無意識というかなんというか……どうやったのか覚えてないんです」


 さっきまでは自由に動けていた。いや実際に動いていたのかは分からないが、少なくとも手足を動かす事くらいは可能だった。落ちて行く感覚に逆らい、開こうとしている門を閉じる事だって出来た。

 しかし、今はそれが出来ない。

 自分がどうやっていたのか、思い出せないのだ。


「……動けません」


「は? なんで?」


「そんなの私に聞かないでください。私の方が知りたいです。」


「どうにかしろ」


「あの、普通こういう時って手を貸したりするものなんじゃないですか?」


「バカタレ、もし俺が身を乗り出して落っこちたらどーすんだ。俺は魔獣の餌にはなりたくねぇ」


 自分の手が血だらけになるのも気にせずに門を開いたくせに、変なところで慎重というかビビりな男である。知ってはいたが、誰かを助けるために自分の身を犠牲にするーーなんて事は絶対にやらないらしい。


「で、でも動けないんですっ」


「はぁ、しゃーねぇな、手だけ伸ばしてやる」


「……なんかムカつく」


 渋々ながら手を差し出した青年。先ほどはビンタが届くくらいの近さだったのに、思ったよりも距離が離れたのか、指先が届く事はなかった。ティアニーズもなんとか体を動かそうとするが、機能を失ったようにびくともしない。

 お互いに奮闘してみるものの、


「ダメじゃん、届かねぇじゃん」


「なんとか出来ないんですか?」


「なんとか出来ねぇのって言ってんぞ?」


 誰かに答えを求めるように青年は振り返り、それに答えるようにソラの声が聞こえた。なんと言っていたのかは聞き取る事は出来なかったが、首を戻した青年の顔を見て直ぐに理解した。


「知らんってよ」


「そう、ですか……」


「しゃーねぇ、ちっと考えるからーー」


「いえ、もう良いです」


「は?」


「もう、良いんです。私ごとこの門を破壊してください」


 ティアニーズの言葉を聞き、青年はほんの数秒だけ沈黙する。

 なんと言うのか、そんなのは口を開く前から分かりきっていた。


「ざけんな、んな事する訳ねぇだろ」


「でも、それしか方法はありません。早くしないと、本当に手遅れになってしまいます」


「テメェは死なせねぇ、なんべん言わせんだよ」


「もう、良いじゃないですか。私みたいな弱い人間が生きていたって意味なんかない。こんな私の命で皆を救えるなら……それが一番良いに決まってます」


 元々死ぬつもりだったのだ。生きていられるかもしれない、そんな期待に胸をよせる事もない。とっくに、命を投げ出す覚悟は出来ていた。

 ここで、人生が終わるのを受け入れて。


 しかし、そこで青年の目尻が上がった。

 この表情は、とんでもなく怒っている時の顔だ。


「……ちげぇだろ、そんな方法じゃ救えない」


「確かに、ここを破壊しても門はまだ四つあります。けど、皆さんが力を合わせれば……」


「んな事言ってんじゃねぇよ。テメェだけだろ、んな事して救われんの」


 思わず、固まってしまった。

 反論するための言葉が見つからず、ティアニーズは青年の顔を眺める事しか出来ない。


「テメェは見たくねぇだけだ。自分の犯した罪から逃げてぇだけだ。命を捨てて皆を助ける? 笑わせんじゃねぇ、見たくないもんから目ェ逸らしてるだけじゃねぇかよ」


「……それは」


「その方が楽だからだろ? もしかしたら滅びるかもしれない町を見なくて済むから。そんな事になれば悪いのは自分、そう思いたくないだけだ」


「…………」


「テメェは逃げてるだけだ。誰かのためじゃない、自分のために命を捨てようとしてるだけだ」


 全て、図星だった。

 この町の人間を救いたいという気持ちはあったけれど、全てから逃げ出したいという想いの方が強かった。

 たとえこれから先生きていても、また同じような思いをするに決まっている。誰かが傷ついて、後悔して、自分を責めて、嫌になって。


 そんな苦しい想いは、もう二度としたくなかったから。


 青年は言葉を続ける。

 ティアニーズの心に土足で踏み込み、容赦なく荒らして行く。


「誰かを救えるって立派な名目で、お前は嫌な現実から目を逸らしてぇんだろ。本当は、自分が大事なだけだ」


「……それは、悪い事なんですか。だって、もう辛い思いはしたくないの! もう……人が傷つくのは見たくない……」


「悪かねぇ。けど、俺は認めねぇ。テメェがどれだけ辛い思いをしてるかも、ここで死ぬ方が幸福なんだとしても、俺はんな事どうだって良い」


「貴方だって、自分の事ばかりじゃないですか……」


「たりめーだろ、俺は俺の事で精一杯なんだよ。顔も知らねぇ奴らの事気にかけてる余裕なんてねぇの」


 この男にはなにを言っても無駄だ。

 興味ない、関係ない、知らん。

 どれだけ思いの丈を叫んだとしても、この男の心に響く事は絶対にない。

 それでも、分かっていても。

 言わずにはいられなかった。


「私のせいで、こんな事になったんです。多くの人間を傷つけて、これから先も続く筈だった人生を踏みにじる。だから……」


「だから、なんだよ。死ぬってのか?」


「ここで、終わるべきなんです。私にはこの事態を招いた責任があるから。私が弱いから、関係のない人間を巻き込んで、これからも傷つける。そんなの……そんなのもう沢山です」


「結局逃げてるだけじゃねぇか」


「そうですよ……逃げてるだけですよ! それのなにが悪いんですか! 他人なんか関係ないって、そう割りきれたら楽なのに……そんなの無理なんです。貴方みたいに、関係ないの一言で片付けられないんです!」


 口でいくら言っても、誰かを気遣う心がなくなる事はない。他人に興味を持たないなんて、普通の人間には出来ない事だ。

 合理的じゃなくても、理屈がなくても、心配になってしまう。

 それが、人間だ。それが、普通なのだ。


「貴方のようにはなれない。逃げるのは、そんなに悪い事なんですか?」


「悪くねぇよ、俺だって嫌な事からは全力で逃げるしな。けど……」


 そこで、青年は一旦言葉を区切った。

 次に放たれた一言が、青年の全てを物語っていた。


「俺は良くても、他人がやるのは嫌だ」


 他人に厳しく、自分に甘い。

 それがこの男だ。

 自分がやられたら全力で怒って文句言うくせに、他人にやって文句を言われたら全力で怒る。そんな、どうしようもない男なのだ。


 ティアニーズは息を飲み、思わず微笑んだ。

 どんな状況に立たされようとも変わらない姿に、やっぱり凄いと思ってしまった。


「もう、良いじゃないですか。私が死のうと貴方には関係ありません。だって、他人なんだから……今まで通り、関係ないって切り捨てれば良いじゃないですか」


「それだよ、俺がテメェにムカついてんのは」


「……え?」


「関係ねぇだと? ふざけんじゃねぇぞ、テメェにだけはその台詞を言う資格はねぇ」


 青年は手を伸ばし、亀裂に指をかける。

 そんな事をすれば腕に激痛が走る筈なのに、涼しい顔で青年は力を入れた。

 ベキベキベキ!と甲高い音が鳴り、亀裂がさらに開いて行く。


「俺がここに来た理由を教えてやろうか? テメェを連れ戻して、文句を言うためだ」


「文句?」


「あぁ、そうだよ。テメェにはまだまだ言いたい事が山ほどあんだ、こんなところで死なせねぇぞ」


 この青年は、絶対に人を助けない。

 最終的に救う事になったとしても、それは自分のために動いた結果、そういう状況が出来上がってしまっただけだ。

 だから、青年はティアニーズを助けに来た訳ではない。


 文句を言うために。

 今までの鬱憤を晴らすために。

 ティアニーズを連れ戻しに来たのだ。


「そもそも、俺はテメェにやり返してねぇ」


「え、あの……」


「初めてあった時、テメェ俺の事いきなり殴りやがっただろ。あの一発はまだ残ってんぞ」


「さ、さっき殴ったじゃないですか! というか、何回も殴られてます!」


「バーカ、俺が満足しなきゃ意味ねぇんだよ。つか、あんなの本気で殴ったなんて言わねぇ、俺は全力で殴りてぇの」


 出だしから、自分の事ばかりだった。

 そりゃいきなり殴ったティアニーズが悪いけれど、老人に手を出そうとしていた男にだって非はある筈だ。

 それに、


「貴方だって私を囮として投げたじゃないですか! あれでチャラです!」


「チャラかどうかは俺が決める事だ。つか、囮作戦失敗したんだからあんなの数に入れるんじゃねぇよ」


「投げた時点で貸し借りは無しです!」


「ダメだ、俺は認めねぇ。それにドラゴン退治に行った時だってそうだ、テメェのアホな行動のせいで俺は怪我をした。その上ふもとまで背負ってやったんだぞ? そんな優しい俺をテメェは殴りやがった」


「あ、あれはテンションが上がっていたというかなんというか……で、でも! 倒れた貴方を介抱してあげたのは私ですよ!」


「そんな事頼んでませーん。お前が勝手にやっただけですぅ」


「人の善意をなんだと思ってるんですか!」


 ウザさ全快の顔で、唇を揺らしながら圧倒的な不快感をばらまく青年。今直ぐにでもぶん殴ってやりたいのだが、体が上手く動いてくれない。

 そんなティアニーズに、青年はさらに追い討ちをかける。


「テメェのせいで、剣狩りとか面倒な事に首を突っ込む事になったんだぞ」


「あ、あれは貴方が勝手に来たんでしょ! 迷子になって完全に別行動だった筈です!」


「お前が先に行って暴れてたから、俺の作戦だった闇討ちに失敗して怪我したんだろ。つまり、お前が悪い」


「そ、そんな事言われてません! だから分からなくて当然です!」


「そんくらい言わなくても分かれ!」


「さっき大事な事は言葉にしろって言いましたよね!?」


「さっきはさっき、今は今!」


 この男は常に先を見て、どこか遠い未来で暮らしているようだ。だから考えなんか数秒あれば変わるし、さっきまで言っていた事を平気で違うとほざく事が出来てしまう。

 こうなれば、もう完全に青年の世界だ。


「しかも修理費だなんだって俺を脅しやがったよな? 普通に考えりゃ、魔元帥倒したんだから絶賛されて許される事だろ」


「そこまで頭が回らなかった貴方が悪いです!」


「言葉巧みに俺を騙したお前が悪い! 善良な一般人の弱味につけこんだんだろ! 貧乏人だから!」


「どこまでひねくれてんですか! 被害妄想です!」


「あとは勇者殺しだ……まぁあれは良いや」


「ふ、ふざけんな! あれは完全に貴方の個人的な怒りで動いてましたよね!? それに私が間に合わなかったら死んでたじゃないですか!」


「勇者殺し捕まえるまで残るっつったのはお前だろ! よってお前が悪い、以上! 反論は受け付けねぇ!」


 都合の悪い事は簡単に忘れ、それについて追及されたとしても知らん顔。

 その逃げっぷりは説明の必要もないだろう。


「次は王都に行った時だ。お前が勝負しかけて来たから俺は迷子……にはなってないけど、姫さんに会う事になったんだぞ! お前があらかじめ姫さんの容姿を俺に伝えときゃそのまま一緒に城に行ってたのに!」


「そんなの、迷子になった人が悪いんです! あと、姫様の容姿をいきなり説明する訳ないでしょ! 普通抜け出すなんて思いません!」


「騎士ならそれくらい予想しやがれ! そんなんだからまた抜け出してついて来られんだろ!」


「あ、あれは私のせいじゃありません! 姫様が勝手について来たんです!」


「気付け!」


「気付くかバカ!」


 理不尽な事を、この男は平気で人に押し付ける。強引だろうがなんだろうが、本気でそう思っているのだからたちが悪い。

 完全にヒートアップした二人は、久しぶりの喧嘩を楽しむ(?)ように口論を続ける。


「サルマの時もだ。お前らが俺を外で留守番させっから、あんなんになったんだそま!」


「あ、あれは仕方ないでしょ! なにが起きるか分からなかったんですから、一番の戦力を温存して当然です!」


「俺が最初から突っ込んでりゃその場で殺せてただろ! そうすりゃこの腕のグロい目印だってつかなかったんだよ!」


「目印? 目印ってなんですか!」


「はい次!」


 改めて言うが、この状況は非常に危険だ。

 ティアニーズの背後には大量の魔獣がおり、いつ飛び出して来てもおかしくはない。そして、まだここは平気だが、もしかしたら他の場所では戦闘が始まっているかもしれない。

 なのに。

 だというのに、この二人は喧嘩しているのだ。


「カムトピアの時……いや行く前からだ! お前が俺に薪をとって来いって頼んだから、俺は変な奴らに襲われて拐われたんだよ!」


「そんなの貴方の警戒が足りなかっただけでしょ! いつでもどこでも迷子になる方が悪いんです!」


「俺だって好きで迷子になってる訳じゃねぇの! 気付いたら知らない場所にいるんだよ!」


「……それは、その……ごめんなさい」


「止めて! 可哀想な人を見る目で見ないで!」


 本気で可哀想になり、ティアニーズが素直に謝ったらこれである。

 ちなみに、青年の後ろでは白い頭の精霊が呆れた顔で二人を見守っている。口を出せば巻き込まれると直感し、傍観する事に決めたのだろう。


 息をきらし、肩を激しく上下に揺らし、二人は尽きる事のない文句をひたすらに言い合う。

 そして、あの出来事にたどり着く。

 青年は一旦息整えてから、


「あそこで起こった事は……トワイルが死んだのはお前のせいだ。お前が動けてりゃ、アイツは死なずに済んだかもしれねぇ」


「……そんなの、私が誰よりも分かっています」


「でも、お前だけのせいじゃねぇ。責任ってのがあるんなら、それはあの場にいた全員の責任だ。あのクソ野郎が帰るっつって、一瞬でも油断しちまった。だから、俺のせいでもある」


 あの時、もしも誰かが動けていたのなら、トワイルは死なずに済んだのかもしれない。でも、動けなかった。反応出来なかった。それが、事実であり現実だ。


 だからこそ、トワイルは笑っていたのだ。

 自分の望みを果たせて、大事な人間を守る事が出来て、満足そうに笑って死んで行ったのだ。

 それが正しいと信じたから。

 それが、自分のやりたい事だったから。


 そんなの、分かっている。

 分かっているから、ティアニーズは、


「私は、のうのうと生きてる資格なんてない。たとえ自己満足だとしても、トワイルさんのように誰かを守って死ぬ責任があるんです」


「んなの、責任じゃねぇ。あるとすれば、お前には生きる責任がある筈だ。アイツの見たかったものを、お前が歩く道を、アイツの分まで歩く責任が」


「…………無理ですよ。私は、また道を間違える。トワイルさんの望んだ、憧れたーーそんな私は、どこにもいないんです」


「だろうな、今のお前を見たらアイツはキレるだろぜ。ふざけんなって、お前の強さはそれじゃねぇだろってな」


 今目の前にトワイルがいたら、きっと怒られる。あの笑顔で、いつもの笑顔で、間違った道を正してくれるに違いない。

 この青年のように、声を震わせながらそれは間違っていると。


「アイツの覚悟を、踏みにじるんじゃねぇよ。アイツの思いを、無駄にするんじゃねぇよ」


「……だから、だから死ぬんです。トワイルさんの守りたかった国を守るために、私は死ぬんです」


「なんべん言わせんだ。んなの絶対に認めぇねぇぞ」


「関係ないでしょ……貴方には、もう関係ないでしょ!」


「関係ねぇ訳ねぇだろうが!!!」


 青年の叫びが、ティアニーズの言葉を引き裂いた。

 青年は拳を震わせ、ティアニーズを睨み付ける。


「お前のせいで、俺がどんだけ大変な目にあって来たと思ってんだ!」


「私の、せい」


「お前が俺の村に来なけりゃ、俺はこんなクソ面倒な旅をしなくて良かったんだ! 今も平凡に、普通に暮らせてたんだよ!」


 なぜ、青年がここへ来たのか。

 ティアニーズは、今この瞬間、それを理解した。

 やっぱり、助けるつもりなんかなかった。


「俺から平凡を奪ったのはお前だ! 俺に戦う理解を与えたのはお前だ! 俺を戦場に巻き込んだのはお前だ!」


 その言葉の一つ一つに、明確な怒りが宿っていた。

 ティアニーズを心配している訳ではない。

 青年は、ティアニーズに、怒りの感情だけを向けている。


「全部、なにもかもお前のせいなんだよ。お前がいたから、俺はここにいる。やりたくもねぇ事やらなくちゃいけなくなって、そのせいで何度も怪我して死にかけた」


「ーーーー」


「なのに、関係ねぇだと? ふざけんな……ふざけんじゃねぇぞ! お前だけは、お前にだけはその言葉を使う資格はねぇ!」


「ーーーー」


「俺を村から連れ出して、戦わせて、世界の運命なんてクソみてぇなもん預けて……そんなお前が、死ぬだと?」


「ーーーー」


「させねぇ、させねぇぞ。お前だけは、なにがあっても死なせねぇ」


 ティアニーズは、自分が死ぬべきだと思っている。

 自分のせいで誰かが傷つくのなら、自分がいなければ誰も傷つかずに済む。逃げていると分かっていながら、もうそうする事でしか自分を救えないから。


 けれど。

 そんな甘えを、青年は許さない。


「死んで逃げるなんて認めねぇ。俺を巻き込んだお前が、一人だけ楽しようなんて、そんなふざけた事許す訳ねぇだろ!」


「ーーーー」


「お前は生きるんだよ。生きてこれからも辛い思いを、悔しい思いをするんだよ。お前にはその責任がある筈だ、関係ない俺を巻き込んだ責任が!」


 死ぬなんて甘えを、この男は絶対に許さない。

 逃げるなんて甘えを、この男は絶対に許さない。

 自分が辛い思いをする原因を作った人間が、たった一人楽をしようだなんてーーそんなの、この男が認める筈がない。


「他の誰が死のうと知ったこっちゃねぇ。けどな、お前だけは死なせねぇぞ。お前だけは、絶対に死なせねぇ! お前は生きるんだよ、生きて最後まで戦うんだよ!」


「ーーーー」


「お前にとってそれがどれだけ辛かろうが、んの知らねぇし興味もねぇ。前に言っただろ、最後まで付き合ってもらうって」


 死んでほしくないから助ける。

 確かにそうなのだが、それは善意から生まれたものではない。むしろ、その真逆だ。

 今までどんな辛い思いをしてきたかを知っていて、これから青年と過ごす事でどれだけ辛い思いをするかを分かっていて、青年はなおもティアニーズに生きろと言った。


 そこにあるのは、優しさではなく、怒りだ。

 こんなにも自分が辛い思いをしているのに、その原因を作ったティアニーズが楽をして良い訳がない。これから先も辛い思いをするのに、ティアニーズがそれをただ見ているだけなんて許される筈がない。


 青年は、そんな逃げを許さない

 自分が辛いんだから、お前も辛くなれと、そう言っているのだ。


 それがティアニーズとって、なにもよりも辛い事だと知って。

 いや、知っているからこそ、青年はそれを突き付ける。


 やっぱり、自分勝手な男だと。

 ティアニーズは、そう思った。


「……私は、弱いです」


「んな事知ってる」


「……私は、貴方に迷惑をかけてばかりです」


「んな事知ってる。マジでうぜぇと思ってる」


「……私は、これから先も道を間違える」


「んな事知ってる。でも、それがお前の道だ。俺みたいにただ突っ走れば良い訳じゃない。悩んで、苦しんで、後悔して、でも……それでも進め」


 青年から平凡を奪ったのはティアニーズだ。

 青年を旅立たせたのはティアニーズだ。

 青年を戦わせたのはティアニーズだ。


「お前はこれから先も苦しむんだよ。人の人生台無しにしてんだ、それくらいの罰は当たり前だろ」


「……罰、ですか」


「おう。お前にはその責任が、義務がある」


「……良いんですか? 私は、きっと貴方に辛い思いをさせる。何度も何度も、殴るだけじゃ済まないような思いを」


「んなの今さらだろ。それに心配すんな、そん時は気が済むまで殴ってやる」


「怪我、しますよ。私は弱いから、きっと貴方の足手まといになる」


「ふざけんな、強くなれ」


「ほんと、なんでそんなに自分勝手なんですか……」


 戦えと言ったくせに、弱いのは分かっていると言ったくせに、それでも強くなれと言った。

 理不尽で、傲慢で、無理難題だと分かっていながら、青年は『そうなれ』とティアニーズに言う。


「お前もだろ。俺を巻き込んだくせに逃げるとか、んなの自分勝手以外のなにものでもねぇ」


「……私は、クズです。貴方なんかよりもよっぽど」


「知ってる。この世界で誰よりも、俺はお前がどんな人間なのか知ってる」


「なら、分かる筈ですよね? 私といると、貴方はきっと傷つく」


「おう、だからお前はそれを見てろ。俺が、俺達が怪我すんのが嫌なんだろ? だったらそれを見てろ」


 ティアニーズは、微笑んだ。

 性格の悪さでいうのなら、この男の右に出る者はいないだろう。

 でも、全て正しい。


 自分のせいで、青年は戦う事になった。

 自分のせいで、青年は何度も怪我をする。

 やっぱり、なにもかも自分のせいだった。


 でも、自分のせいだから。

 自分が悪いからこそ。

 ティアニーズには、それと向き合う義務がある。


「……戻っても、良いんですか?」


「たりめーだろ、つか戻って来い」


「……本当に、良いんですか?」


「俺は良いけど、他の奴は知らん。まぁ、謝ればどうにかなんじゃね?」


「適当です」


「しゃーねぇだろ。でも、お前は謝らなきゃならねぇ。全部お前のせいだろ」


 青年は、微笑んだ。

 涙を流すティアニーズを見て、優しく微笑んだ。

 そして、



「だからーー俺の側にいろ、ティアニーズ」



 そう言って、青年は血だらけの手を伸ばす。

 この言葉に、なにか特別な意味がある訳じゃない。青年はいつものように、言いたい事をただ口にしただけだ。お前は側にいて、苦しい思いをしろと言っただけだ。


 なのに、ティアニーズは笑っていた。

 自分勝手で、人の話を聞かない勇者。

 平気で他人を蹴落とし、笑っていられる勇者。


 でも。

 それだけじゃない。

 そうじゃないから、傷ついてほしくなかった。


 だってーー、


「…………」


 ティアニーズは手を伸ばした。

 動かなかった筈の体が、思い通りに動いた。


 ゆっくりと、体が前に進む。

 青年の手を通り過ぎて、亀裂の外へと。


「バカ勇者」


 ティアニーズは青年の、ルークの胸に飛び込んだ。


 だってーールークが好きだから。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「うごっ……いきなり抱き付いて来るんじゃねぇよ」


「あんな事言ったんですから……格好良く受け止めてください」


 手を掴む予定だったのが、なぜかティアニーズはそれを無視してタックル。中々の勢いにバランスを崩し、ルークは背中から倒れこんだ。

 打ち付けた後頭部を押さえながら、


「ったく、とっとと出て来いよな」


「ほんとに動けなかったんです」


「ならなんで今動けたんだよ」


「それは……分かんない……です」


「んだそりゃ、意味わーーヘブホッ!」


 ルークの胸の上で頬を染め、ティアニーズは照れたように慌てて立ち上がる。

 なんのこっちゃ分からずに首を傾げていると、長い間待ち続けていたであろう精霊の踵が顔面にクリティカルヒット。


「遅い、貴様私がいる事を忘れていたな?」


「お、俺のせいじゃねぇ……。殴るならそっちだろ」


「ふむ、確かにその通りだな」


 涙目になっていたルークを見下ろし、それからソラはティアニーズへと目を移した。

 瞬間、ティアニーズの表情が強ばる。緊張と不安、なにか覚悟のようなものを宿した瞳へと変化した。

 ソラはゆっくりと接近し、握り締めた拳をーー、


「……もう二度と、こんな事をするな」


「……はい、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」


 拳を開き、ティアニーズの頬を優しく撫でた。

 ティアニーズは驚いたように目を見開いたあと、ソラの手を受け入れるように何度も頭を下げた。何度も何度も、涙を流して。


 それから少し時間が経過し、ティアニーズが落ち着きを取り戻し始めた頃。

 覚悟を決めたように、ティアニーズはルークの前に立った。


「一つ、お願いがあります」


「あ? 内容次第だな」


「私の事を思いっきり殴ってください」


「分かった」


 ルークは即答し、その拳を握り締める。

 最初に言っておくが、この男は老若男女関係なく本気でぶん殴る事が出来る。それが子供だろうが、死にかけの老人だろうが。

 全ての力と書いて、全力で殴る事が。


 だから、


「歯ァ食いしばれ」


「はい」


 強く一歩を踏み出し、腰を捻り、下半身から力を上半身へと移動。その勢いを全て右の拳に集約し、なんの躊躇いもなくティアニーズの頬を打ち抜いた。

 バゴン!!と聞いた事もない鈍い音が生じ、桃色の髪の少女の体が数メートル吹っ飛んだ。


 その様子を見ていたソラは、頬をひきつらせながら、


「いや、流石にやり過ぎではないか?」


「思いっきりって言われたかんな。全力で殴ってやった」


「……なぁ、ティアニーズが動かないぞ」


「………………ちょ、死んでんじゃねぇぞ!」


 倒れたままピクリとも動かないティアニーズを目にし、やった張本人であるルークが叫ぶ。

 慌てて横たわる少女に駆けると、どうやら生きていたらしく、軽く涙目になりながら天井を見上げていた。


「……すごく、痛いです」


「お前が思いっきりっつったんだろ」


「でも……うぅ……」


 真っ赤に頬をはらせながら、ティアニーズはもがくように手足をジタバタと暴れさせた。

 それからしばらくすると、突然立ち上がり、


「ありがとうございます。これでスッキリしまた」


「あ、そう。なら良いけどさ」


 ティアニーズは満足したように拳を結び、改めてルーク達へと向き直る。先ほどまて見ていた姿はそこにはなく、ルークの知ってるティアニーズ・アレイクドルが立っていた。

 ずっと、待っていたティアニーズが。


「私のした事は許されません。皆さんにきちんと謝らないといけない事も分かっています。けど、今は先にやらなくちゃいけない事がある」


「魔元帥はこの上にいんのか?」


「恐らく。というかそうじゃないと困ります」


 三人は並び、上へと続く階段を見る。

 ようやく、ここへ来れた。

 ようやく、スタート地点に立つ事が出来た。


 ティアニーズは小さく微笑み、


「懐かしいですね。私達が初めて魔元帥と戦った時も、この三人でした」


「私はまだこの姿ではなかったがな」


「俺にとっちゃ嫌な思い出の始まりだな」


 ゆっくりと、一歩を踏み出す。

 ここから先は、まだ誰も知らない道だ。

 ルークの背中を追いかけていたティアニーズはもういない。

 それは無駄だと気付いたから。そんな事、意味はないと気付けたから。


「また、この三人で始めましょう。ここから、この場所から、私達で世界を救うんです」


「当たり前だ。まだ私達は負けていない」


 ティアニーズは、ルークにはなれない。

 そんなの当たり前だ。

 だって、ティアニーズはティアニーズでしかないのだから。

 そんな当たり前の事を、ようやく知る事が出来た。


 だから、


「行きましょう! ルークさん、ソラさん!」


「あぁ、この町を救ってやるとするか」


「そんじゃま、反撃開始と行きますか」


 ここから、新しく物語を始めよう。

 ティアニーズだけの、新しい物語を。


 青年の物語ではない。

 ティアニーズ・アレイクドルの歩く道。


 ーー少女の英雄譚を。











 ーーと、ここで終われば良い話だったのだ。

 このアホ三人は忘れていたが、今にも門から大量の魔獣が溢れだしそうになっている。

 というか、何匹が出てきていた。


 意気揚々と踏み出した足を戻し、三人で慌てて門を破壊するのであった。



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