七章四十九話 『本物の勇気』
背後から聞こえた歓声を耳にし、ルークは走りながら口角を上げた。なにが起きたのかは分からないけれど、この声を聞く限り、恐らくシャルル辺りがなにかを言ったのだろう。
ルークは自分が勇気を与えたとは思っていない。
いつも通りに空気を読まず、言いたい事を口にしただけだ。でも、それが力になっている。ルークのまったく知らない人間にも伝染し、立ち上がるための力に。
「しゃーねぇ、俺も気ぃ引き締めて行きますか!」
顔を上げ、視線の先に立つ時計塔を見た。
流石に迷子の呪いがかかっているとはいえ、一直線に進むだけ、なおかつ目の前に目的地があるので、いくらなんでも迷う事はない。
多少行く先に悩んだりはしたものの、ルーク全力で走り、時計塔へとたどり着いた。
「でっけぇな……」
中は巨大な空間になっていた。壁をそうように上まで伸びる階段があり、その他には特記すべき物は置いてない。一応観光スポットとの事だが、あくまでも外から見て楽しむものなのだろう。
とりあえず首を回し、
「誰もいねぇ。ってそうか、ベルトスが奴隷逃がしたから、その騒ぎにつられて行ったのか?」
中はおろか、入り口の付近にすら人はいない。本来なら騎士団の人間が警備としてついている筈なのだが、あの騒ぎでどこかへ行ってしまったらしい。
誰もいない事を確認すると、
「つー事は上だな」
視線を上げ、上へと続く階段を見る。
建物のデカさから考えるに、三、もしくは四階建てだろうか。どちらにせよ、上に上がらなければなにも分からない。
ルークは意を決して階段へと向かおうとするが、その瞬間、聞きなれた声が背後から響いた。
「まったく、貴様は何度言えば……いや良い、もう言っても無駄なのは学んだ」
「おっせぇぞ」
「勝手に走り出したくせになにを言う」
息をきらし、大した距離ではないのだが、全力で走って来たソラの顔は青ざめていた。それに加えて酸欠気味らしく、膝に手をついて何度も深呼吸を繰り返している。
中身はアレでも、正真正銘体はただの少女なのだ。
ソラはおぼつかない足取りでルークに接近し、極自然な流れで体によじのぼる。
「それで、ティアニーズは見つかったのか?」
「いんや。この階にはいねぇから、多分上だと思う。つか、なにやってんの」
「疲れたからな、少し休憩する。あの距離を走り、なおかつ階段を上るのは私の体力的にかなり難しいと判断した」
「俺も同じ距離走ってなおかつ階段上るんだけど」
「貴様はへーきだ。しかし、か弱い私には無理なのだ」
ルークの背中にしがみつきながら、舵をとるように階段を元気良く指差すソラ。
面倒くさそうに眉間にシワをよせ、
「どこがか弱いんだよ。お前上の階までぶん投げてやろうか」
「止めておけ、死ぬぞ」
「やんのかオラ」
「私が落下死する」
潔いくらいの死亡先月に、ルークは不満を抱えながら階段を上り始めた。先ほどまで響いていた歓声のような声は聞こえなくなっており、あちらでもなにかしらの動きがあったのだろう。
ソラは背中にぺったりと体をくっつけ、
「しかし、まさか魔獣を町中に放すとはな」
「なんか種とか言ってたけどよ、わざわざそんなめんどくせー事しなくちゃいけねぇのか? あの……女の魔元帥、アイツは紋様みてぇのから出してたじゃん」
サルマで出会った魔元帥の事を思い出そうとしたが、直接戦った訳でもないので、ルークの記憶からは抹消されていた。
ソラはルークの頭の調子を確かめるように二回ほど叩き、
「それは私にも分からんが……魔元帥にも得意不得意があるのだろう。わざわざ人間の手を借り、こんな大袈裟な事をするしかなかったーーと考えるのが自然だ」
「紋様を破壊すりゃ良いんだろ?」
「恐らく。断言は出来ないがな」
「あん時はそれでへーきだったじゃねぇか」
「魔王が魔元帥を造る瞬間を貴様も見ただろう。あれはサルマで出会った魔元帥とはやり方が根本的に異なる。もしあれと同等、あるいは近い方法だった場合、紋様を破壊したところで……というかそもそも紋様を使用していない可能性すらある」
なんだが難しそうな顔をして、耳元で卯なり声を上げるソラ。
なんのこっちゃ分からないルークは、とりあえず分かったふりをして頷き、
「ようするに魔元帥を殺せば良いんだろ。魔獣が放たれるよりも早く」
「あぁ、それで全てが解決する」
「そう、上手くはいかねぇよ」
階段を半分くらい上った頃、突然声が響いた。
忘れもしない声。ただ声を聞いただけだというのに、その瞬間にルークの顔が明確な怒りで満たされる。
声の正体を確認しようと下を見下ろすーー、
「勝手に上がってんじゃねぇよ。そこは、俺達の部屋だ」
ドン!!と激しい轟音が生じた直後、ルークの立つ足元が揺れた。いや、それだけではない。なにが起きたのか理解するよりも早く、階段に亀裂が走った。ベキベキ、と嫌な音を立て、下からの力によって階段が競り上がる。
「んなーー」
声を上げる暇などなかった。
地面から突き上がる尖った泥が、下からルークの足元を貫いたのだ。階段は粉々に砕け、無防備なルークの体は宙に投げ出される。
嫌な浮遊感に冷や汗が垂れる中、ルークは咄嗟に背中へと手を回し、
「どりゃぁぁぁ!!」
雄叫びののち、ソラの襟首を掴んだまま全力でぶん投げた。クルクルとブーメランのように横回転しながら、ソラの体は飛行。そのまま階段に出来た空白を飛び越え、向こう側へと着地ーー顔面から突っ込んだ。
「ぷぎゃッ」
ソラの痛々しい声を耳にしながら、ルークは真っ逆さまに地上へと落ちて行った。同じように落下する階段の残骸をなんとか足場にして飛び回り、落下の勢いを殺して両足で綺麗に着地ーーとはいかず、当然背中からダイナミックに着地した。
「うげッ……いってぇ……」
痛みに苦しむ余裕もなく、目を開いたルークの視界に入って来たのは砕かれた階段の残骸だ。雨のように降り注ぐ凶器から逃れようと、慌てて体を起こし、全力で横へ飛ぶ事で回避に成功。
土煙にむせながら、その男の姿を目視した。
「テメェ……ようやく会えたな」
「今ので死んでれば幾分かは楽だったと思うぜ? 魔獣に食い散らかされて苦痛のまま死ぬのは嫌だろ?」
「残念だったな、俺は魔獣に食い殺される気はねぇよ。落ちたのだってわざとだし、今の着地の仕方だって計算しつくした結果だし」
下らない意地をはりながら、ルークは目の前の男ーーヴィランを睨み付けた。
顔に青あざを作り、服のところどころに切り傷が見られるが、今の階段崩壊で負った傷ではないだろう。であれば、
「それ、もしかしてベルトスにやられたのか?」
「ほう、アイツに会ったのか? そりゃそうか、じゃねぇとここには来れねぇもんな。アイツはどうした?」
「死んだよ」
「そうか、そりゃ残念だな。アイツは最後まで絶望しなかったからよ、死ぬ瞬間の顔くらいは見てやりたかったんだ」
「アイツは……死ぬ瞬間も絶望してなかった。笑って、幸せそうに死んでった」
「……心底ムカつく奴だな。これだから奴隷出身は嫌いなんだ」
ヴィランには、仲間を殺した罪悪感などない。弔う気持ちも、悲しみも、なに一つ存在しない。苛ついたように顔をしかめたかと思えば、次の瞬間には笑みを浮かべた。
だが、ヴィランの声を遮るように、
「おいルーク! 貴様、私を投げるとはなにを考えている!」
「仕方ねぇだろ! 揃って落ちる訳にもいかなかったんだしよ」
「顔をぶつけた! 私のプリティな顔をだぞ!」
「はいはい、あとで撫でてやるから我慢しろ」
「そうか、それでは仕方ないーーってなるか!」
一瞬、白頭は自分が撫でられる瞬間を想像したらしく、顔がだらしなくニヤけたが、直ぐに気持ちを切り替えるように体を起こした。
鼻をぶつけた事で無条件に流れる涙を拭い、
「今からそっちに行く! 少し待っていろ!」
「……いや、良い。お前はそのまま上に行け」
階段の上から見下ろしていたソラの顔が曇った。落ちないように恐る恐る覗きこんでいたが、ルークの言葉を聞き、身を乗り出すように顔を覗かせる。
しかし、ルークは上を見ずに言った。
「お前は先に行って桃頭を捕まえてろ」
「ふざけるな! 貴様一人でその男に勝てる訳がないだろ!」
「うっせぇな、先に行ってろって言ってんだろ。桃頭が逃げらんねぇように捕まえるのがお前の役目だ」
「承服出来ん! 待っていろ、飛び下りてでもそちらにーー」
「良いから行け!!」
ルークの怒鳴り声が時計塔に響き渡る。
本気で飛び下りようとしていたソラの体が止まり、驚いたように肩を震わせた。
ルークは静かに、かろうじて聞きとれるくらいの声で呟いた。
「頼む、先に行ってくれ」
ソラは唇を噛み締め、その言葉にどれだけの感情が込められているのかを考えていた。今直ぐにでもルークの元に駆けつけたかった筈だ。今直ぐにでも一緒に戦いたかった筈だ。
たが、この男は言った。
頼む、と。
頭をかきむしり、ソラは感情を爆発させるように叫ぶ。
「ええい! 分かった、私は先に行く! ティアニーズを捕まえて待っているから、絶対に追い付いて来るのだぞ!」
「おう」
納得はいっていない。それでもソラは踏み出しかけた足を反対側へと向け、僅かに躊躇うような様子を見せたが、そのまま階段を上り始めた。
二人のやり取りを邪魔するでもなく、ヴィランは楽しそうに見守っていた。
「止めねぇのか?」
「精霊一人行かせたところで状況は変わらないさ。あのガキ一人になにか出来るのか?」
「いんや。でもアイツすげぇ重いから、桃頭を止める事くらいは出来る」
「逆もしかりだ。あの精霊がいなくちゃお前は戦えない。魔元帥と契約している俺とはな」
ヴィランの挑発的な言葉に、ルークは負けじと微笑んだ。
ベルトスと戦い、自分一人の力では勝てないなんて事は痛いほど身に染みた。気持ちの問題があったとはいえ、そのベルトスに勝った相手に生身で挑むーー当然、勝ち目なんてないだろう。
またボコボコにされて、いや今回は殺される可能性だってある。
でも、ルークは笑っていた。
「テメェなんざ俺一人で十分だ」
「気合いか? 勇気か? そんなもんじゃ人は強くなれはい」
「悪いな、俺は今まで気合いと根性で乗り越えて来たんだよ」
「減らず口の多い奴だな。でもまぁ、良い事を教えてやるよ」
突然走り出したルーク。握った拳を顔面に向けて振り回すが、ヴィランは僅かに体を捻るだけでそれを回避した。
振り返り、再びパンチを繰り出そうとするが、
「あの精霊一人じゃなにも出来ないと言ったが、それは少し違うな。お前が行ってもどうにもならん」
「ペラペラうるせぇんだよ!」
地面が盛り上がり、突然二人の間を遮るようにして現れた土の壁。
放り出した拳は止まらず、その泥の壁に直撃。鉄かなんかを殴ったかのような硬さに、腕を伝って全身に痺れが駆け巡る。
ルークは奥歯を噛み締め、その痛みを誤魔化す。
「ティアニーズに会いたいか? アイツを助け出したいか?」
「たりめーだろ、だからここに来たんだ」
「そうか、それはご苦労だな。だが、アイツはそれを望んでいない。だって、もう二度と会えないんだからな」
その言葉を聞いた瞬間、ルークの動きが鈍った。それを予期していたかのように泥の壁が砕け、粉々になった残骸がルークに向けて飛び掛かる。襲いかかる礫から逃れるように横へ飛び、体を丸める。しかし、少し遅かった。
礫が腕に食い込み、皮膚を引き裂く。鮮血が飛び散り、ルークの体は後ろへと吹き飛んだ。
大の字に寝転びながら、
「テメェ、アイツになにかしたのか……!」
「俺はなにもしなていない。ほんの少し、希望を与えてやっただけだ」
「希望、だと」
「そうだ、希望だよ。世の中絶望だけじゃ意味がない。希望があるから絶望する、絶望があるから希望を求める。だから、俺は絶望していたアイツに希望を与えてやったんだ」
ヴィランの体が震えていた。なにかを思い出すようにどこかを見つめ、よだれを垂らし、ピクピクと小刻みに頬が震えている。
多分、笑っているのだろう。
「俺は教えてやったんだ、この町を救う方法を。ベルトスから聞いているんだろ? もうすぐ魔獣が放たれるって」
「あぁ、でもそれは阻止する。俺の仲間が必ずな」
「それは頼もしいな。だが、もう手遅れなんだよ。誰にも止められない、お前が精霊と別れちまったせいでな」
「俺がテメェをぶっ飛ばして追い付けば良いだけの話だろ」
「それじゃ襲いんだよ。その頃には、ティアニーズは死んでる」
「……は?」
思わず、間抜けな声が口から出た。
この男の目的は分からないが、ティアニーズを仲間にしたかった筈だ。だからいきなり現れ、連れ戻そうとするルークに重症を負わせた。なのに、ティアニーズの死を、心の底から楽しんでいるようだった。
「魔獣の発生を止める方法、知ってるか? 精霊の力、もしくは熟練者の魔法だ。でもアイツにはそのどちらもない。だから教えてやったんだよ、そんなアイツにでも止められる方法を」
「なにを、しやがった」
「簡単な事さ。門を締めるんだ。壊せないから、内側からな」
「ハッキリ言いやがれ!」
「そう熱くなるなよ。あの種は魔元帥と場所を繋ぐ道、出口のようなものだ。その道を通して、魔元帥は体内で生成した魔獣を外の世界に出現させる。なら、その中は、どうなってると思う? 種は、どこに続いていると思う?」
ヴィランの人をバカにした表情もさることながら、彼がティアニーズになにをして、なにを求めていたのかを知り、ルークの表情が憤怒の感情で満たされる。
握った拳を地面に叩きつけ、ルークは立ち上がる。
「テメェ……!」
「おいおい勘違いするなよ。言っただろ、俺は希望を与えてやっただけだって。それを選んだのはアイツ自身だ。泣けるねぇ、自分の命と引き換えに仲間を救おうとする気持ち、思いやり」
「テメェがそうなるように仕向けたんだろうが!!」
「そうかもしれない。けど、選んだのはアイツだ。ティアニーズだって本当は嬉しい筈だぞ? なにも出来なかった弱い自分が、その命をとして大勢の人間を救える。だか、たった一つ閉じたところでなんの意味もないがな」
ルークの怒りは限界を越えていた。
勝手に死ぬ事を選んだ少女。その道を選ばせたヴィラン。二人に対して形容し難いほどの怒りを。
地面を強く蹴り、一気に駆け出そうとするが、
「なぁ勇者、一つ聞くがお前のその行動には意味があるのか?」
「あ?」
「アイツは死にたくて死ぬんだ。悩んで悩んで、やっと見つけた望む結末なんだ。お前はそれを今から壊そうとしている。お前の中にある、怒りの感情に任せてな」
「だからなんだよ」
「お前にその権利はあるのか? そもそも、アイツが自分の弱さを悔いるようになったのはお前のせいだろ? お前に追い付けないと知って、お前が傷つくのが嫌で、アイツは強さを求めた」
少女は、ルークに憧れていた。そんな事、誰かに言われなくたって分かっている。
こんな自分のどこに憧れているのかなんて分からないが、その憧れがあったからこそ、少女が強くなりたいと願っていた事も知っている。
「お前は俺に言ったな、そうなるように仕向けたと。確かにそうだ、でも始まりは俺のじゃない。きっかけを与えたのはお前だ」
「…………」
「お前のせいで、あの女は死ぬ事になったんだ。お前のせいで、アイツは誰かを救いたいーーそんなクソみたいな幻想にとり憑かれるようになったんだよ」
「違う」
「違わないね。それはお前が誰よりも分かっている筈だ。あのガキが壊れたのは、他の誰でもない、前を歩くお前のせいなんだよ」
いつものように、関係ないと切り捨ててしまえばいい。
いつものような、知らんの一言で片付けてしまえばいい。
だが、それは出来なかった。
ヴィランの言う通り、ルークは考えた事があったから。
少女が壊れた責任があるとすれば、それはルーク自身だと。自分に憧れたから、届きもしない、なれもしないものを求めてしまったのだと。
「そんなお前が、ティアニーズの覚悟を踏みにじるのか? 勇気を破壊するのか? やっと手にいれた希望を、奪いとるのか?」
「…………」
「出来ないよなぁ、して良い訳がないよなぁ。お前のせいなんだから、お前にその権利はない。お前に出来る事と言えば、アイツの覚悟を、勇気を最後まで見守ってやる事だけだ」
「…………」
「別にここを通さないって言ってねぇよな? お前にはアイツの最後を見る資格が、責任がある。だから、見てやれよ。アイツが死ぬその瞬間を、希望を胸に消えて行くその瞬間を」
ルークは、口を閉ざした。
全部事実じゃないし、こんなのはただのこじつけの暴論でしかない。選んで歩いたのはあの少女だし、そこにルークの行動が影響を与えていたんだとしても、決断したのはあの少女だ。
だから、ルークには責任はない。
ーー以前なら、そう断言出来ていた。
でも、思ってしまったから。
知ったこっちゃないと、関係ないとは言えない。
もしかしたら、そうなのかもしれないと思ってしまったから。
「一緒に行こうぜ。アイツの死を、見守ってやろうぜ」
ヴィランが手を伸ばす。気持ち悪い笑みなのは変わらないが、その顔はルークが初めて彼に会った時に見たものと同じだ。
悪意とか、敵意とか、殺意とか、憎悪とか、この世の悪感情をすべてまとめて凝縮したような笑顔。
ルークは手を上げる。
一歩、二歩と踏み出し、ヴィランへと近づく。
そして、その手をーー、
「なにやってやがんだオイ!!」
瞬間、目の前で火花が散った。
横から声が聞こえ、続けて頬に鈍痛が走る。
脳ミソが激しくかき回されたような感覚に陥り、ルークは今自分が殴られ、横にぶっ飛んだ事にすら気付かなかった。
気付けば、寝転んでいた。
頬に伝わるコンクリートの感触。
ゴツゴツしていてとても冷たい。
そんなルークの体を、バンダナを巻いた盗賊が無理矢理起こす。
「なにやってんだお前。ティアニーズを助けに行くんじゃねぇのかよオイ」
「…………」
「なにやってんだって聞いてんだろ! お前は、お前は自分の信じた道だけを進むんじゃねぇのかよオイ!」
「…………」
「変わるんじゃねぇよ! アキンの好きなお前を、クソみたいな戯れ言に流されて変わるんじゃーー」
「いってぇなボケェェ!!」
改めて説明しよう。
この男は、やられたら必ずやり返す男だ。
たとえそれがどれだけ些細な事であれ、地の果てまで追いかけて必ずやり返す。ねちっこくてしつこい、やり返す事に関しては一切妥協しない男なのだ。
そんな男を殴ったらどうなるか。
当然、やり返されるに決まっている。
だから、バンダナを巻いた盗賊ーーアンドラはぶん殴られた。胸ぐらを掴んでガックンガックン振り回していたところを、なんの前触れもなく。
「おっさんに言われなくたって分かってんだよ。つかいきなり現れていきなり殴ってんじゃねぇよ」
「お、おま、なんか落ち込んでんじゃねぇのかよオイ」
きりもみ回転して地面に落下したアンドラだったが、ルークのいつもとまったく変わらない態度を見て、餌を求める魚のように口を開いた。
「落ち込む訳ねーだろ。今のは接近して油断した瞬間にぶん殴るって作戦だったの!」
「はーー!? んなの俺が知るかよオイ! 端から見たらお前がアイツと握手しようとしてるようにしか見えねぇっての! つか、殴るんなら手加減しろ!」
「先に殴ったのはおっさんだろ! だから俺はやり返したの!」
「だから、お前を助けるために俺は殴ったんだよオイ!」
「そんな事頼んでませーん」
「な、テメェこのクソ野郎がオイ!」
「んだよやんのかバンダナ親父!」
お互いに頬を真っ赤に染めながら、近付くと同時にとっくみあいを始めた。やられたらやり返すのはなにもルークだけではなく、この盗賊も大体似たようなタイプなのである。
服を掴み、頬を引っ張り、髪の毛を引っ張り、まるで子供のような喧嘩を続けるアホ二人。
そこへ、流石のヴィランも呆れたように、
「なにやってんだお前ら」
「うるせぇ!」
「うるせぇよオイ!」
「…………」
完全に二人の世界に入ってしまい、今のアホ二人にヴィランは見えていない。罵詈雑言、汚い言葉を吐き散らしながら、倒すべき相手を蚊帳の外に置いて繰り広げられる低レベルの争い。
ヴィランはゆっくりと手を上げた。
瞬間、腕にまとわりついた泥が槍のように変化し、二人に向かって放たれる。
が、
「「邪魔すんな!!」」
二人は揃って槍を回避し、そのまま鷲掴みにしてへし折った。本来ならば、掴む事はおろか回避すら難しい速度だ。しかし、それを意図も簡単にやってのけた。
それほどまでに、今の二人の集中力は半端ないのである。
ルークは一旦アンドラを離し、
「つか、なんでおっさんがここにいんだよ」
「俺だって来たくて来たんじゃねぇよオイ。仕方ねーから来てやったんだ」
「んだよ、おっさんのツンデレとか需要ねぇぞ」
「ツ、ツンデレじゃないんだからねオイ! って、無視すんオイ!」
吐き気をもよおしたので、ルークはアンドラから視線を逸らしてヴィランと向き合う。
そこには、いつものルークがいた。
何者にも怯えず、怯まず、不敵な笑みを浮かべる勇者が。
「確かに、テメェの言う通りかもな。桃頭がああなったのは俺のせいだ」
「ならーー」
「でも、んなの知ったこっちゃねぇんだよ。俺のせいでアイツがどうなろうが、俺のやる事はなにも変わらねぇ」
「お前の行動が、アイツの望みを絶つ事になるとしてもか?」
「たりめーだろ。なんで俺が他人の望みを気にしなくちゃいけねぇんだよ。俺は俺だ、他人なんてどうだって良い」
「傲慢だな」
「そうだよ。俺は傲慢で自己中、空気も読まねぇし迷子にだってなる、後先も考えねぇし他人は絶対に助けない」
いつだって、どんな時だってこの男は変わらない。
これから先どんな経験を積もうが、どれだけ歳を重ねようが、この男はずっとこのままだ。
「責任? 義務? んなの知るかボケ。興味もねぇし持とうとも思わねぇ」
諦めない勇気でも、立ち向かう勇気でも、許す勇気でも、変わる勇気でもない。
この男が持つ勇気。
それはーー自分の信じた道だけを進む勇気だ。
他人になにを言われようが、それは間違いだと否定されようが、この男は信じた道だけをただひたすらに突き進む。
ーーそれが、ルーク・ガイトス。
ーーそれが、量産型勇者だ。
「だから、俺はアイツを連れ戻す。俺のせいだろうが、アイツが望んでいようが、んなの知るかよ。俺はそうしたいからそうする。それがーー俺だ」
ハッキリとそう言ったあと、ルークは後ろで肩を上下するアンドラに目を向けた。
乱れたバンダナを直しながら、『なんだよオイ』と言うアンドラに向け、
「サンキューな、おっさんのおかげで目が覚めた」
「お、おう? ま、まぁ、俺ほどの人間になるとこれくらい余裕だぜオイ」
なぜお礼を言われたのか理解していないらしいが、この盗賊はおだてられると調子に乗りすぎるタイプなので、先ほどまでとは違い満足そうに、そして偉そうに胸をはった。
ヴィランは、心底気に入らない様子で、
「……なぜ、絶望しない」
「さぁな、しても無駄だからじゃね?」
「俺が訊いているんだ!」
「うっせぇな。俺には是が非でも叶えたい夢がある。その夢を叶えるまでは、絶望してる暇なんてねぇんだよ!!」
ダンッ!!と地を蹴る音が響き渡った。
ヴィランは一瞬体を硬直させるが、直ぐ様腕を振り回して泥の槍を放つ。地面からは尖った泥が突き出し、ルークを殺そうとその身に襲いかかる。
だが、
「とりあえず、歯ァ食い縛っとけ」
なに一つ、当たる事はなかった。かする事さえなかった。
攻撃から逃げるという才能を最大限に発揮し、ルークは全ての泥をいなしながらヴィランに迫る。
拳が届く距離。
やっとたどり着いた場所。
ギチギチ、と鈍い音がルークの拳から聞こえた筈だ。
ヴィランの顔が、初めて恐怖に染まった。
「オォォォォラァァァァァ!!!」
全力で拳を握り、全力で踏み込み、全力で顔面へと叩きつけた。
聞いた事のないような音が生じ、ヴィランの足は地面を離れ、白い歯を口からこぼしながら、そのまま数メートル吹っ飛んで壁に激突。
ルークは自分の拳を見つめ、
「っしゃ、とりあえずこれで勘弁してやる」
つもり積もった、溜まりに溜まったイライラが今の一撃で発散された。ルークは満足げに息を吐き、必死に立ち上がろうするヴィランから目を逸らして背を向けた。
「おいおっさん、あとは頼んだわ」
「あ? 俺がアイツの相手すんのかよオイ」
「とっとと上に行かねぇとヤベェみたいだしな」
「しゃーねぇな、ここは偉大な盗賊である俺様に……」
腕を組み、ぶつぶつと呟く盗賊。
ルークはアンドラの前まで行くと、手を上げて握り締めた拳を開いた。
アンドラはルークの掌をジッと見つめ、それからニヤリと口角を上げる。
二人の掌が触れあい、パンっと音が鳴った。
「バトンタッチだ、アンドラ」
「任せろオイ」
それだけ、短い会話を終わらせ、ルークは階段へと走り出す。途中で道は崩れているが、壁にしがみついて上ればなんとかなるだろう、なんて適当な事を考えながら階段を上り始めた。
しかし、それを見過ごすほど甘くはなかった。
ヴィランは手をかざし、階段を上るルークに向け、
「逃がすかよ!!」
「そりゃこっちの台詞だ」
地面が揺れ、再び泥が現れるかと思いきや、その結果は訪れなかった。アンドラが咄嗟に懐から取り出したナイフを、なんの躊躇いもなくヴィランの腕に向けて投げつけたのだ。
寸前で腕を引っ込め、ヴィランはアンドラを睨み付ける。
「誰だお前。お前みたいな三下に用はねぇんだよ」
「言ってくれるじゃねぇオイ。だがな新人、俺はいずれ世界に名を轟かせる盗賊勇者だぜ?」
「黙れ、お前に用はないと言ってんだろ!」
激情に身を任せろ、叫び声を上げるヴィラン。
いつもの冷静さは姿を潜め、唾を吐き散らしながら腕を振り回す。指先に集まった泥が、一斉にアンドラに向けて放たれる。当たれば簡単に体を貫通するような威力だ。
しかし、
「人の話は最後まで聞きやがれってんだオイ」
その全てを、アンドラは回避した。
目で終える筈の速度ではない。彼の尋常ならざる動体視力と、小さい頃から過酷な環境で育って来た経験、そして盗賊になり学んだ護身術。それらがあり、初めてなせる芸当だった。
泥の塊を回避し、アンドラはヴィランの懐に潜りこむ。腰をまげ、胸ぐらを掴み、そのまま全力でぶん投げた。技術もクソもない、力任せの背負い投げ。
ヴィランの体は宙を舞い、もがくように暴れていたが、なすすべもなく地面に叩きつけられた。
アンドラは一歩踏み出し、
「さぁて、悪人退治を始めるかオイ」
悪人と悪人の戦いが、今始まりを告げた。