七章四十一話 『老人のぼやき』
この町ーーテムランに来てから何度目の朝だろうか。
色々と内容が濃すぎて、なおかつ凝縮されていたために長居しているような気もするが、実際には一週間も滞在していない。
ここへ来る道中も含め、本当に色々な事があった。
魔獣の大群に追いかけられ、命からがら逃げきったと思えば魔獣達が人間のように暮らす村へ招待された。休む暇もなく魔元帥の強襲を受け、敗北したルーク達は魔獣の親ーーゴルークスの命をかけた策でなんとか逃げ出した。
そこからは、ひたすらに歩いた。
なにもない広野を、方向だけ確かめて。
食料だって尽きたし、水はなにが入っていているか分からない川の水を飲んだ。餓死寸前に陥り、やっとの思いでテムランに到着ーーしかしその数分後、ルークは奴隷を連れているスキンヘッドの男を容赦なく殴り飛ばした。
思えば、それが全ての始まりだったのだろう。
敵に回してはいけない組織を敵に回し、ルーク自身、何度も死にかけた。背中を燃やされ、泥の塊でぶん殴られ、身体中に穴を空けられ。恐らく、いや間違いなく、この都市で怪我の最高記録を更新しただろう。
始まりの勇者の話を聞いたし、ガジールが奴隷をかくまっている事も知った。
勇者の力が、始まりの勇者がなにを残したのかを、ルークは知った。
だが、気付かないところでーー否、気付かないふりをしていた。
少女は敵になった。
きっかけはトワイルの死なのだろうけど、それよりもずっと前から悩んでいたのだ。弱い自分が嫌で、後ろを歩く事しか出来ない自分が嫌で。
どれだけ進んでも、追いかける背中が遠くて。
だから、力を求めた。
この世界の理不尽をたった一人で引き受け、全てを自分の手で解決するために。
そのために、暴力が必要だった。
守りたい筈の人に背を向けてまで、少女は暗い道を進む決心をしたのだ。
しかし。
青年は、それを許さなかった。
悩んで悩んで悩んだ末に出した答え。青年が少女に対して抱いている感情は、それを良しとはしなかった。
だから、決めた。
少女がなんと言おうが関係ない。
青年は我が道をただひたすらに突き進む。
ーー必ず、必ず連れ戻すと。
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朝日に導かれるようにして意識を覚醒させたルークは、毎度の事ながら、胸の上に乗る白い頭を見て顔をしかめた。
あの後、特にこれといった騒ぎはなく、ルーク達一行はガジールの店の二階で寝る事になった。
流石にこの大人数が一つの部屋で寝るのは無理があり、息苦しいながらも全員が眠りへと落ちていった。なので、多少の接近は理解出来る。狭いのだから寝相の被害にあう事もあるだろうし、体が触れるくらいならまだ分かる。
だが、
(なんでわざわざ胸の上で寝てんだよコイツ)
ルークの胸の上で、スヤスヤと気持ち良さそうに寝息をたてる白い頭。どういう寝方をしたからこうなるのかは分からないが、髪の毛が重力に逆らってツンツン頭になっている。
(こっちは怪我人だって分かってんのかよ……)
アテナの治療のかいもあり、全身の痛みはほぼ収まっている。とはいえ、まだ関節の節々は痛むし、全ての怪我が治った訳ではない。
なのに、この白頭は、怪我人の上で凄く気持ち良さそうだ。
ルークは目障りな白頭を両手で掴み、乱暴に放り投げた。ゴロゴロと転がり、その先で就寝中のアキンと激突。しかし目を覚ます事はなく、二人揃って眠っているのであった。
その後、ルークは辺りを見渡して顔を確認し、アテナがいたい事に気付くと、重たい腰を上げて一階へと下りて行った。
一階はガジールの言っていた通りに古ぼけた骨董屋となっており、時代はおろか、用途の分からない品物や、見るからに呪いがかけてありそうな壺が並んでいた。
「骨董屋っつーより、魔女の館って言葉の方がピッタリだな」
品物に目を送りつつ、ルークは新鮮な空気を求めて店を出る。激しく照り付ける日差しに目を細めながら、遮るように手で瞳を覆った。
すると、
「おう、思ったよりも早かったな」
「おっさんこそ起きるのはえぇな」
「向こう行って畑耕したり家畜に餌与えたり、色々とやる事があんだよ」
埃や枯れ葉を巻き上げながら、箒を振り回しているのはガジールだ。店の前を掃除していたらしく、寝起きの様子はない。
正確な時間は分からないが、恐らく十時過ぎといったところだろう。
「つか、アテナは? アイツ部屋にいなかったんだけど」
「アイツなら貧民街に行ってる。畑と家畜の事をやるって聞かなくてな」
「大丈夫なのかよ。貧民街の奴らって俺らの事嫌ってんだろ?」
「大嫌いだろうな。家燃やされた恨みすらあると思う」
「んなところに行って……いやまぁ、襲われても返り討ちに出来るか」
仮に貧民街の人間が武器を持ってアテナに襲いかかったとしても、アテナはそれを涼しい顔で蹴散らしてしまうだろう。
ルークは頭に浮かんだ悲惨な光景を払うように頭を振り、
「おっさんは? 俺らといてアイツらになんか言われたりしてねぇのか?」
「言い方はわりぃが、アイツらは俺の事を主人みてぇなもんだと思ってる。言っちまえば、アイツらを地獄の底から救い出した救世主だからな」
「自分で言うのかよ。恥ずかしいな」
「うっせぇ。だからよ、たとえ文句があったとしても言わねぇと思う。アイツらは怖いんだ、俺になにか言って、自分達の生活が崩れちまうのが。また、あの地獄に戻るのが」
恥ずかしさを誤魔化すように明後日の方向に目を向けるガジール。それから視線をルークへと戻し、その瞳には悲しみと同情の感情が宿っていた。
しかし気にする訳もなく、
「どこまで他人任せなんだよ、随分と偉い身分だな。自分じゃなにもしねぇくせに欲しい物は欲しい。ぶん殴っときゃ良かった」
「俺のせいでもある。殴るなら俺にしてくれ」
「今回は怪我してるから勘弁しといてやるよ」
大袈裟にぐるぐると腕を回し、わざとらしく痛がる仕草をとると、ルークは握っていた拳をほどいた。
ガジールは小さく頬を緩め、
「お前が来てから目まぐるしく状況が変わっていくな」
「俺のせいじゃねぇよ」
「俺が数十年かけても掴まえられなかった奴らの尻尾を捕まえ、なおかつそのリーダーグループまでたどり着いた。しまいにはソイツをぶっ飛ばすときやがった。……これも、お前が勇者だからか?」
「……かもな。俺が勇者じゃなかったら、こんなところゼッテー来ないし」
ルークは肯定するように頷いた。
勇者でなければガジールに会いに来なかったし、勇者でなければこんか黒い噂のある町になんて進んで望んで来る事はなかった。平凡な青年のままでもある程度の悪運はあったが、勇者になってからというもの、それに拍車がかかっているのは事実なのである。
「悪いところばかりじゃねぇんだぜ?」
「具体的に良いところ教えろよ」
「なにもないがあるっつーか……」
「それはなにもないのと同じだ」
ルークの反論の早さにしかめっ面になり、ガジールは斜め上を見ながら必死になにかを探しているようだった。しかし、結局諦めたのか、
「俺が来てから、いや……俺が来るよりずっと前から、この町はすでに腐ってた。悪いところばかりじゃねぇが、やっぱり悪いところの方が目立つ」
「だろうな。普通に歩いてるだけでも胸くそわりぃ光景が目に入るし」
「あぁ、奴隷を連れてる奴らの事か。でもよ、それがこの町の普通なんだ。狂ってるかもしれねぇがな」
「おっさんはそれを変えたくて、奴隷を拐ってんだろ?」
「人聞きわりぃ事言うんじゃねぇよ。拐ってんじゃなくて救ってんの」
ブンブンと竹箒を振り回し、威嚇するようにルークに詰め寄る。
両手を前に出しておっさんの接近を阻止しつつ、
「んで、どうなんだよ。おっさんの思った通りに、救えてんのか?」
「表面上はな。だが、本質的なものは何一つ変わっちゃいない。俺っていう依存の対象が、救いの象徴が出来ただけだ」
「おっさんに甘えてるだけじゃなにも変わらねぇって気付いてねぇのか?」
「いや、全員気付いてるだろうよ。だが、怖いんだ。怖くて震えて、またあの頃に戻っちまうんじゃねぇかと思って、変わるための一歩を踏み出せねぇんだ」
「ふざけやがって。俺だって誰かの脛かじってしゃぶって生きていきてぇってのに」
それはルークの切なる願いだった。
平凡な生活が欲しいけれど、それとは別にちょー楽をしたいという思いもある。ようするに、自分を養ってくれる人が欲しいのだ。
でも、
「平凡ってのはなによりも難しいんだ。だから、ビビってすくんじまってるような奴らには一生無理だろ」
ルークが旅をして学んだ事の一つだ。
自身の平穏無事、平凡で普通な生活を得るためには、国を滅ぼそうとする巨悪を倒さなければならない。
それが一番の近道。他に道はない。
誰かがやってくれるとか、そんな悠長に構えている暇があるのなら、自分でやった方が格段に早いのだ。
だから、ルークは勇者になった。
一刻も早く魔王を滅ぼし、望むものを手には入れるために。
だからこそ、なにもしないくせにねだってばかりの人間が気に入らない。自分がこんなにも辛い重思いをしているのに、楽して普通なんて笑わせるなとも思う。
ガジールはルークの言葉を聞き、
「アイツらにはいつか独り立ちしてほしいと思ってる。アンドラやアルフード、メレスやハーデルトみたいにな。ま、アイツらはちょっと変わってる人種だが」
「誰のせいだっつーの。子供は親の姿を見て育つんだぞ」
「なら、それはそれで嬉しいな。俺はちゃんと親をやれてたって事だ」
皮肉のつもりで言ったのだが、ガジールは照れくさそうに鼻の下をかいた。やはり、こういうところはアンドラに似ている。
「こんな俺でも、ろくでもねぇ事ばっかやって来たクソ野郎でも、誰かの人生に影響を与えられてるって事だ。俺にとっちゃ、それがなによりも報酬なんだよ」
「んな形のねぇもんいるかよ」
「お前はそういうタイプだろうな。お前も歳とれば分かる、形よりもずっと胸に残るものがよ」
水をさすようで悪いが、この男はこれから先も一生このままだろう。いくら歳を重ねようが、いくら希少な体験をしようが、芯にあるものはなにも変わらない。
変わらない良さではなく、いつまでも子供なのだ。
ガジールは掃き掃除を終え、持っていた箒を看板の横に立てかける。
ルークは特にやる事もないので、それを見つめていると、
「明日、マジでやるのか?」
「たりめーだろ。俺はしつけーんだ、やられたら必ずやり返す」
「意気込んでるところわりぃが、そう簡単にはいかねぇぞ。奴らの目的がなんなのか分からねぇし、あっちには魔元帥だっているんだろ?」
「んなの今さらだ。今までの旅は全部理不尽で、アホみたいな難易度叩きつけられて、それでもどうにかこうにか切り抜けて来た。だから、今回も同じようにやるだけだ」
圧倒的に不利な状況は今に始まった訳ではない。そもそもだが、前の戦争で一人も殺せなかった魔元帥を全て殺そうとしているのだ、難しくて、理不尽で当たり前なのだ。
それでも、ルークはやると決めた。
だからやる。たとえ困難だろうがなんだろうが。
ガジールはルークの横顔を見て、僅かに笑みをこぼした。
「お前のそういうところ、本当にアイツとそっくりだな」
「アイツって、始まりの勇者か?」
「おう。決意っつーか、譲れねぇものっつーか……とにかく、一度決めたらテコでも動かねぇところだよ」
「当たり前だろ。譲りたくねぇもんは譲らねぇ。妥協して後悔するより、やれる事に全部をぶつけた方が良いに決まってんだろ」
「そう、だな……。なんとなくだが、あの嬢ちゃんがお前に憧れる気持ちが分かった気がするぜ」
「止めろよ気持ち悪い」
「気持ち悪いとはなんだ。これでも国からずっと逃げ続けてる盗賊だぞ」
こんな店まで出してほのぼのとしているが、ガジールは国から終われる身だ。別にこれといって戦況が傾く情報を持っている訳ではないけれど、彼の場合、あれこれやって来た過去もあり、出るに出れない状態なのだろう。
「いつまで逃げてんだ?」
「とりあえずは貧民街の奴らが独り立ちするまでだな」
「なら、おっさんが進まねぇとだな。貧民街の奴らを縛りつけてんのはアイツに勇気がないからじゃない、おっさんがあそこにいるからだ」
「……ほんと、お前はズバズバとものを言うよな」
今の言い方を聞く限り、ガジールも気付いていたのだろう。
貧民街の人間はガジールに依存している。助けてくれた救世主という事もあるが、それ以上に、ガジールがなんでもやってくれるからだ。
例えるなら、ねだる子供になんでも与えてしまう親といったところだろうか。
そして、ガジールもそれに満足している。
自分の罪をはらせる訳ではないが、こうして人のためになにかするーー自己満足の善意に。
ルークはいつもの調子で、
「事実だからな。おっさんがいる限り、アイツらは進もうとはしない。アイツらにとっちゃ、おっさんは普通を与えてくれる存在だからな」
「分かってる。俺もいつかは辞めなきゃならねぇって思ってたからよ」
「いつ辞めるんだよ」
「そうだな……お前らが奴隷商人を叩き潰したら、かな」
「他人任せかよ」
「んな訳ねぇだろ。そもそもこれは俺が始めた事だ、最後まできっちりやり抜くつもりだ」
ルークの中では、ガジールも戦う頭数に入っている。老人だからといって容赦をするつもりはないのだ。
そして、ガジールもやる気らしく、
「俺も出来る限りの事はやる。だが、流石に魔元帥の相手は無理だな」
「そっちは俺に任せろ。桃頭連れ戻して、ついでに魔元帥もぶっ飛ばしてやるからよ」
「魔元帥はついで、か」
「……うっせぇ。今のはあれだ、言葉のあやだよ」
無意識に発した言葉に、ルークは照れくさそうに頬をかく。ルークの目的は平和な生活。そのためには魔元帥を殺さないといけなくて、魔元帥を殺す事は最優先事項だった。
そう、だった。
今は、あの少女を連れ戻す事がなによりも大事な事になっている。
「お前なら出来る。いやちげぇな、お前にしか出来ねぇ事だ」
「関係ねぇよ。他の誰でも良くても、俺がアイツを連れ戻す。アイツだけは、なにがあっても一人になんかさせねぇ」
言葉だけ聞けば恋人に対するもののように聞こえるが、ルークは少女に対してそっち方面の感情は一切抱いていない。むしろ逆と言っても過言ではないだろう。
「俺も協力する。下っぱは任せろ、これでも相当な修羅場潜って来てっからよ」
「おう、頼んだぜ」
ガジールの真剣な眼差しに、ルークは短く答えた。
それだけで十分、特別な言葉なんて必要ない。
この二人は別に仲間ではないし、ただ目的がーー倒すべき相手が同じだけだ。
だから、言葉は必要最低限で十分だった。
その後も下らない話に花を咲かせていると、突然建物の中からドタバタと激しい音が聞こえて来た。続けて『ルークはどこだ!』と聞きなれた白頭の声が鼓膜を叩く。
二人は二階に目を向け、呆れた様子で、
「呼んでるぞ」
「朝からうっせぇ奴だな。ちょっと家出ただけだろ」
「そんだけお前が心配って事なんだよ。早く戻ってやれ」
「へいへい」
一瞬、このまま逃げ出してやろうかとも考えたが、その場合、あとあと悲惨な結果がふりかかると判断し、ルークはガジールに背を向けて扉を開く。
扉が閉まり、ルークの姿が見えなくなる寸前、こんな言葉が耳に入った。
「頼んだぞ、勇者」
完全に扉が閉まったあと、ルークは扉を背にして立ち止まる。二階からうるさいくらいに自分を呼ぶ声が響く中、誰にも聞こえない小さな声で、
「任せろ」
それは、自分自身に向けて放った言葉だった。
今一度、決意を固めるように。