一章一話 『旅立ちの日』
ルーク・ガイトス。それが彼の名前だ。
身長は百七十程でスラッとした体型だが、毎日の薪割りや農業、それから狩りよって鍛えられているので、見た目よりも意外と筋肉質だ。
黒髪にやる気の無い瞳、これといった特徴のない青年だ。
そんな青年は今、現状を理解するために全ての神経を脳に集中していた。
周りの人間は青年に向かって拍手を送り、程度の差はあるが誰もが祝福の眼差しを向けていた。
パチパチと手を叩く者、指笛を鳴らす者、よく分からない怒声を上げる者、謎の躍りを披露する者。
方法は様々だが、やはり青年に対して応援や祝福の感情を向けている。
目を見開き、何一つ理解出来てない青年
に、杖をついた一人の老婆が近づく。
「わしは感激じゃよ。まさかこの小さな村から本物の勇者が生まれるとはな。ほれルーク、旅立ちの祝いじゃ。受けとれ」
目が点になっている青年を他所に、老婆は懐から取り出した袋を手渡した。
ルークはそれを受け取り、とりあえず中を確認。
パンを数個買えるくらいのお金と、付近で取れる木の実が入っていた。
お金と木の実を一緒に入れるという謎の行動に対しての突っ込みだが、今のルークにはそんな事をする余裕すらない。
されど、老婆は続ける。
「長い間生きておったが、あの英雄の意思を継ぐ者をこの目で見られるとは。ほれ皆のもの、ルークの姿を目に焼き付けるのじゃ!」
杖を振り上げ、周りの人間を煽るように声を上げた。
それを合図に、先ほどよりも数段激しい祝福の声が上がった。
「頑張れよ勇者!」
「お前なら世界を救えるぜ!」
「魔獣どもを殲滅してくれ!」
口々に自らの望みを口にする周りの面々。
そう、ルークは勇者として旅立ちを祝われているのだ。
理由も何一つ分かってないが、どうやら勇者という事にされてしまっているらしい。
しかも、本物の勇者としてだ。
これについても理由は分からず、村長である目の前の老婆に『とりあえず旅行け』と淡白な言葉で誤魔化されてしまった。
ルークがこの事実を知ったのはつい数分前で、こうなってしまうのも仕方ない。
「わし達は待っておるぞ。お前が世界を救ってこの村に戻って来る時を」
ここにきて、ようやくルークは正確に状況を理解し始めた。
自分は本物の勇者でとにかく旅に出なくてはいけない、という事だけなのだが。
それでも、本物の勇者となれば誰もが憧れるものだ。
偽物ではない本物のというだけで、周りの人間からはちやほやされ、お金だって勇者ですと名乗れば勝手に入ってくる。つまり、将来安定なのだ。
そして何よりも、世界を救って英雄になれる。
困っている人を救い、全ての人間を笑顔に出来る。
それだけかも知れないが、相当価値のあるものだ。
そう、今この瞬間から、ルーク・ガイトスの旅が始まるのだ。
幾多あまたの戦場を駆け抜け、颯爽と魔獣を倒し、去り際に歯を光らせて決め顔。
そんな旅が始まるのだ。
これはその始まりの一歩。
英雄になるための一歩を、今こそ青年はーー、
「ってんな訳あるかボケ!」
今までの全ての雰囲気をぶち壊すように、ルークは村長から受け取った布袋を地面に叩きつけた。
「バカじゃねぇの!? 何だよ勇者って! こちとら平穏無事に暮らせりゃいいんだよ。つか、言うタイミングおかしいぞお前ら! 朝起きてトイレに行ったらトイレで待ち構えてるってなんだよ! あれ俺の家ね!? 不法侵入だから!」
今朝の事を思い出し、ルークは溢れんばかりの怒りと愚痴をぶちまける。
ここまで無言で話を聞いていたのは、現状を理解する事に加えて、怒りが最高潮になるまで溜め込んでいたからだろう。
「英雄だのなんだのって、そんな事どうだって言いんだよ! 理解を説明しろババア!」
全くもって失礼極まりないのだが、ルークは村長に向かって暴言と共に指を指した。
暴言を吐かれた村長は、プルプルと肩を震わせ、
「黙って旅に行けば良いんじゃよ! ぐちぐちうるさい小僧じゃ! お前が旅に出ればこの村には大量の金……じゃなくて誇れるんじゃから!」
「テメェ今金っつったよな!? 国から大量の報酬でも貰えんのか!? ふざけんな、俺は絶対に行かねぇかんな!」
「そうじゃよ金じゃよ! 本物の勇者となれば溢れんばかりの金でわしらはうはうはな生活を送れる。だから行け!」
「開き直れば行くとでも思ってんのかよ! 行かねぇよ、お前らの金のために何で俺が危ない目にあわなきゃいけねぇんだ。行きたかったらお前が行け!」
「老人に向かって何を言っとるんじゃ! わしはもう腰が終わってるんじゃよ! 数歩歩いたらギックリするわい!」
開き直って金の亡者になりつつある村長に、ルークは更にヒートアップ。
自らの裕福のために怪物と戦えと言っているのだからルークの怒りも頷ける。が、ここまで来たら村長は止まらない。
「何の取り柄もないお前にやっと出来た使命じゃろ! 男ならドンと構えてやってやる! くらい言えんのか!」
「取り柄ならありますぅ! 薪割りめっちゃ得意ですぅ! 村で一番ですぅ!」
よく分からない自慢をしながら、挑発するように唇を尖らせるルーク。
普通なら子供の戯れ言だと流すべきなのだが、今の村長にはそんな自制心はないので、
「何を言っとるんじゃ小僧! わしの旦那はもっと凄かったわい! 片手で積み上げた五個の薪を一回で割ってたぞ!」
「知らんわ! お前の自慢をしろよ! 何で旦那に頼るんだよ!」
「わしだって昔はめっちゃモテモテだったんじゃぞ? 全ての男を魅力する魔性の女じゃったんじゃ」
腰をくねくねと動かして謎のアピール。若いならまだしも、老婆のその動きには何かしらの呪いがあるのではと思ってしまう。
しばらく二人で言い合いをしていたが、それは次第に周りを巻き込んで行った。
「そーだそーだ! 村長の言う通りだ!」
「男なら潔く行け!」
「ちっさい男だな!」
「だから童貞なんだよ!」
「おうコラ今童貞って言った奴だれだ! ちょっと出て来いや!」
全く関係ないところからのヤジに対して素早く反応。男として触れられると嫌な部分なので、その反応はしかるべきものなのだが、ここまであからさまな反応を示すとバレバレだ。
村人全員対ルークの構図が出来上がり、罵詈雑言が飛び交う。このまま口喧嘩をしていても勝機はないと悟ったのか、はたまたムカついたからなの、ルークは服の袖を捲って一歩踏み出し、
「よーしやってやるよ。お前ら全員敵な! 勇者様のありがたい拳骨で駆除してやっから!」
袖を捲って戦闘態勢へ移行。まずは一番の悪である村長に対して勇者パンチを繰り出そうとしたところで、
「あの、すみません」
一人の少女の声が割って入った。
村内の醜い争いを見守っていた少女だったが、流石にこれ以上は見過ごせないと、手を上げて二人の間に立ちふさがる。
村人全員の視線を引き受けて尚、少女は凛とした態度でルークを見た。
桜色の髪の少女と目が合い、ルークは少しだけ自分の心音が高鳴ったのを感じた。
だが、そんなもので収まる程の怒りではなかったので、
「誰だお前」
「王都騎士団第三部隊所属、ティアニーズ・アレイクドルです」
「おぉ、すまないね騎士様。見苦しい所を見せてしまって」
騎士団だと名乗る少女を前にした途端、村長の態度が真逆になった。ルークはこの少女とは初対面だが、どうやら村長はそうではないらしい。
村長は媚を売るように掌を高速で擦り合わせ、
「こんなんですが根は良い男なんですよぉ。勇者としてはまだ未熟ですが、どうか王都に連れて行って鍛えてやって下さい」
「国王の命令なので勿論です。ただ、その前に少し言っておきたい事があります。ルークさん」
ティアニーズと名乗った少女は凛とした様子で答え、それから不服な様子のルークへと顔を向ける。
ルークはその鋭い眼光に当てられ、僅かに眉をひそめた。
「仮にも勇者なんですから、目上の人に対する礼儀というものを考えて下さい。いくら親しいと言っても相手は村長ですよ? その横暴な態度を改めるべきです」
ピキ、とルークは自分の頭から変な音が聞こえるのを感じた。確かに、少女の言う事は正しいのかもしれない。
今のルークの態度は敬うなんて言葉はどっかへ飛んで行っているし、挙げ句の果てには本気のグーパンチをかまそうとしていた。
しかし、しかしだ。トイレから出たところをいきなり拉致され、何も分からないまま金のために魔獣を狩る旅に出ろと言われた。
そんな理不尽を押し付けられ、怒りを抑えろと言う方が無理なのである。
特に、このルークには。
「アァ? 事情も知らねぇガキが何言ってやがんだよ。こちとらただの村人だぞ? いきなり勇者やれなんて言われて納得出来るかよ」
「事情なら村長から聞きました。それと、私は十六、貴方は二十なので、そこまで歳は変わりませんよ」
「そーかよ。そりゃわるぅござんした。俺は勇者する気はねぇからさっさと帰れ」
罪悪感など一切感じられない謝罪を披露するルーク。手を振って帰れと伝えるが、少女はその場を動く様子がない。
村人が見守る中、ティアニーズは腰にある剣に手をかけ、
「貴方の意思は関係ありません。国王の命令は絶対なんです、なので、多少力強くでも着いて来てもらいますよ」
「やる気か? 騎士団だかなんだか知らねぇけどよ、こちとら毎日薪割りまくってんだぞ? お前みたいなヒョロヒョロが勝てる訳ねぇだろ」
「戦いにおいて重要なのは技術でも腕力でもありません。揺るがぬ意思です」
「だったら俺が勝つな。俺は家に引きこもってたい、その意思はすげー強いぞ」
どちらかと言えば悪役なルーク。とてつもなく下らない意思を口にするが、それに負けじとティアニーズも反論。
一触即発な雰囲気の中、溜まりに溜まったルークの怒りは限界を迎える。
フン!と勢い良く鼻から息を吐き出し、一歩前へと踏み出す。
常日頃から鍛えているルークから見れば、ティアニーズなど小娘にしか過ぎない。相手がその気なら、というやつだ。
「なら俺と勝負だ。俺が負けたら王都でも地獄でも一緒に着いてってーー」
「分かりました」
ルークが最後まで喋り終える前に、ティアニーズは剣の柄を握り締めた。そのまま全力でルークの顎に向かって振り回し、鞘から抜いていない状態の剣が顎にクリーンヒット。
騎士道もクソもあったもんじゃない先制攻撃。
当然、ノリノリで啖呵を切っていたルークが反応出来る筈もなく、顎を打ち抜かれて視界がぐにゃりとネジ曲がり膝が折れた。
薄れ行く意識の中、ルークは少女の顔を見る。
してやったりと満面の笑みだった。
(クソが……)
それは言葉として口に出る事はなく、ルークの意思はどこかへと飛び立って行った。