七章三十三話 『花の髪飾り』
「さぁ、話してごらんなさいな」
「なにが『さぁ』だよ、前置き吹っ飛ばしてんじゃねぇ」
「歳上に対しての言葉使いがなってなあなぁ。お姉さんが心の広い女性じゃなかったらボッコボコだよ」
「もうボッコボコなんだよ。数分前にボッコボコにされたばっかなの」
「それで、なにがあったの?」
「話を聞け話を」
突然現れた謎の女性。
当然、ルークは彼女の事をまったく知らない。一瞬だけ、もしかしたら会った事あるかも?と記憶の引き出しを確認しようとしたが、女性の清々しいくらいの図々しさでその気も失せて砕け散った。
こんなウザい女と会っているとすれば、間違っても忘れる事はないだろう。
まぁこの女性の正体がなんなのかは一旦置いておくとして、その馴れ馴れしさは言葉だけではない。
先ほどまで地面に寝転んでいたルークだが今は違う。厳密に言えば、頭の部分だけ柔らかい感触ーーつまり太ももというやつが下にある。
膝枕ーーこれまで何度か経験したが、寝心地の良さは断トツの一位だった。
「つか、お前誰だよ。いきなり現れて膝枕とかおかしいだろ絶対」
「おかしくないよ? だって地面で寝るより膝枕の方が良いでしょ?」
「あのね、そういう事を言ってるんじゃないのよ。普通血だらけの男が倒れてたら警戒すんだろ」
「あー、それなら大丈夫。私少年が喧嘩するの見てたし、多分少年は悪い子じゃないから」
真上にある顔は、ルークに対して一切の警戒心を抱いていない。なんなら『なんでそんな事言うの?』とか思ってそうな顔である。
バカなのか、それとも人の本質を見抜く事が出来るのかーールークは直ぐにバカだと答えを出した。
とりあえず膝枕を満喫する事に決め、
「喧嘩見てたって、最初から?」
「うん。本当は迷子になった旦那を探してたんだけどね、いきなり大声が聞こえて来たから」
「旦那? お前結婚してんの?」
「そうだよー。え、あれ? もしかして私の事狙ってた? でもざーんねん、私は旦那にゾッコンだから」
「ちげぇよ、つか死にかけてる奴の前でノロケ話すんな。あと、その幸せでーす、みたいな顔止めろ」
「そんな顔してた? えへへー、ラブラブだからねー」
「うぜぇ、うぜぇよコイツ。誰か助けて」
よほど旦那の事が好きなのか、女性の表情は幸せオーラをこれでもかというくらいに放っている。童貞のルークには眩しい、というかウザいだけである。
「でも、なんで結婚してないって思ったの?」
「いや、すげー若そうだし。俺より年下っぽいし」
「やだなぁもうっ。お姉さん何歳に見える?」
「いてぇから叩くな。あと、何歳に見えるっ?て訊く奴嫌われるから気をつけろ」
べしべしとルークの胸板を叩き、女性はなぜかもじもじと恥じらっている。この時点で、この女性はルークの一番苦手なタイプだと判明した。
ルークは女性の顔を見つめ、少し考えると、
「俺が二十歳だから……そんくらい?」
「ぶっぶー、全然違いまーす。というか、少年は二十歳なんだね」
「二十歳なんです、だから少年って言うな」
「じゃあ正解教えてあげよう!」
「お前さ、良く人の話聞けって言われない? それは意図的なの、それとも天然なの?」
どうやらこの女性は聞きたい事以外耳には入らないーーいや、入れないタイプの人間のようだ。流石に度を越しているが、当の本人は悪びれた様子もない。
女性は口で『デレレレ』と謎の音を発し、
「実は三十九歳でーす!」
「………………え? もう一回言って」
「だから、三十九歳です」
「いやいや、ぜってー嘘だろ」
「ほんとほんと、良く若く見られるけど、意外と歳くってるんだよ」
今世紀最大の衝撃と言っても差し支えないだろう。口調も容姿も雰囲気も、全てが三十九歳のものとは思えなかった。多く見積もったとしても二十後半、どんな間違え方をしても四十間近のおばさんには見えない。
若く見られるとか、そういうレベルの話ではなかった。
「世の中色々あんのな。お前おばさーー」
「少年、今はおばさんって言おうとしてたのなら、私は君を殴るよ」
「うぶ……もう殴ってる」
ルークがなにか言うよりも早く、女性の拳が頬に振り下ろされた。怪我人に対して放つ威力ではなく、ご丁寧に本気の殺意が込められた拳である。
「お、お姉さん」
「それでよろしい。ご褒美に良い子良い子してあげる」
「痛い痛い、頭撫でてるつもりなんだろうけどじょりじょりしてる。俺の毛根いじめないで」
撫でられて暖かいのではなく、頭皮を激しく擦られてるルークの頭は炎上寸前。しかしながら抵抗出来る力強いは残っておらず、諦めてこれから訪れるであろう髪の毛のない生活と向き合う決心をした。
しばらく女性はルークの頭を擦り続け、
「さてと、お姉さんに話してごらん。本当は旦那を探すつもりで歩いてたんだけどね。仕方ないから聞いてあげちゃうよ」
「あのさ、一つ良い事教えてやるよ。迷子になってんの多分お前の方だぞ」
「そ、そんな事ないよっ。いっつも旦那かま迷子になって、私が頑張って探してあげてるの」
「なるほど、俺っていつもこんな感じなのね」
ルークはこの瞬間、今まで自分が他人の目にどううつっていたのかを悟った。迷子にななったのを認めたくないだけの子供でしかないと、ルークは気付いてしまったのだ。
そう、今までルークは迷子になっていたのだ。
まぁ、今日まで気付かなかった方がおかしいのだが。
女性は強がるように唇を尖らせ、
「迷子なのは私じゃなくて旦那だもーん。いっつもいっつも私が探してあげてるの!」
「はいはいわーったわーった。旦那が迷子なのね、そうなのね」
「なんかムカつく」
ルークが子供をあやすように呟くと、女性は不服そうに指先で頬をつつく。爪が傷口に突き刺さり、この女は自分を痛め付けるために来たのではないか、とかいう考えが浮かんでいた。
「ねぇねぇ、いい加減話してよ」
「いい加減もクソもあるか。俺は最初からお前に話すつもりなんかねぇ」
「ぶー、いじわるー。いじわるな男の子は嫌われるんだよ」
「俺は生まれてからずっといじわるなんだよ。つか、お前に話す必要もねぇだろ」
「うん、ないよ?」
あっけらかんとした様子で即答した女性に、ルークは思わず言葉を失った。女性の優しげな瞳と目があい、
「少年が話す必要はない。けど、私が気になるから聞いてるの。君の事情なんて知ーりません」
「ただの自己満足じゃねぇかよ。俺がそれに付き合う義理はねぇ」
「うん、義理もないね。けど気になるの」
一瞬、話が通じていないのかと思ったが、実はそうではない。女性はルークの言葉の意味をしっかりと理解し、それでも関係ないと言っているのだ。
お前の事情なんて、知ったこっちゃないと。
「お前さ、良くそんなんで結婚出来たな。うぜぇって言われねぇの?」
「う……い、言われないよ!」
「言われてんだろ。しかもその反応だと旦那に言われてんな」
「う、うるさいうるさーい! 良いのー、君には関係ないでしょー!」
「あぁ、関係ねぇよ」
「……少年ってさ、良く生意気って言われない?」
「言われる」
「だよねー。誰に似たんだか」
生意気とかウザいとか、そんな言葉は数えきれないほど言われて来た。ただ、そんなの一々気にしていたら、この男はこんな腐った性格にはなっていなかっただろう。
ルークはため息をこぼし、
「とっとと行け。旦那探してんだろ」
「ダメ、今日は少年の話を聞くまでどこにも行かないって決めたから」
「なら俺が帰る」
「動けないくせにー」
「魔法で治療出来る」
「え、魔法使えるの?」
「使えない」
「…………」
「いててててッ! 無言でほっぺを引っ張んな!」
容赦ない指先がルークの頬を挟み、これでもかというくらいに左右に引き伸ばされる。冗談でもなんでもなく、頬が千切れそうになっていた。だって、血とか出てるし。だって、散々痛め付けられたあとだし。
「いってぇ……」
「少年が生意気だから悪いんだよ。君が話してくれないんなら、私はもっともっと痛い事するよ」
「わーったよ、話すから止めろ」
ニコニコと微笑んではいるものの、目はまったく笑っていなかった。引っ張られたり拳骨で済んでいたが、これ以上抵抗すると本気で命を落とす危険性がある。
なので、ルークは諦めた。
この女性には、色々な意味で敵わないと。
女性は顎に指を当て、
「うーんとね、じゃあまずはなんで喧嘩してたの?」
「色々」
「てい」
「昨日喧嘩して、その喧嘩があやふやなまま終わったからその続きです。喧嘩の理解は、なんか相手が俺の事邪魔らしいです」
適当な掛け声とともにありがたい拳骨を頂いたので、鼻血を出しながら丁寧に述べる。
女性は服の袖でルークの鼻血を拭い、
「ふーん、なんか全然思ってたのと違う」
「お気に召さなくて悪ぅござんしたね」
「じゃあ次の質問ね」
「次ってなんだよ。もう言う事なんかねーぞ」
「嘘下手くそだね。まだ隠してるでしょ? 多分、そのせいで少年は喧嘩に負けたーー違う?」
瞳を逸らす事が出来なかった。
全て見透かされているような、引き込まれるような感覚。初対面の筈なのに、自分の全てを知られているーーそんな感覚に陥っていた。
多分、なにか根拠があった訳ではないのだろう。
洞察力が鋭い訳でもない。ならば、なぜ。
「…………」
「黙るって事は正解なのかな? お姉さんに話してごらん。悩みの種を解消するアドバイスも手助けも出来ないけどね」
「ならなんで知りてーんだよ」
「言ったでしょ、気になるから」
知的好奇心、なんて格好いいものではないのだろう。ただ純粋に気になるから、子供が知識を得たがるのと同じだ。
この女性はルークの事を気にしているのではない。
自分の興味を満たすためだけに訊いているのだ。
ルークは口を閉ざし、女性ではなく空を見上げる。
それから数秒間考え、ゆっくりと、語りだした。
「仲間だった奴が敵になった。そんで、多分それは俺のせいなんだ」
「少年のせい?」
「あぁ。アイツは俺に憧れてたんだ。俺は別に人から憧れられるような人間じゃねぇのによ、アイツは俺の背中を追いかけてた。でも、気付いちまったんだよ、どんなに頑張っても、俺には追い付けないって」
「欲しいものに手が届かなかったから、その仲間は敵になっちゃったって事?」
「多分、な。アイツはアイツで、俺は俺だ。どんなに憧れたって、俺にはなれない」
「そうだね。仲間でも家族でも、所詮は他人。自分以外の誰かになるなんて絶対に無理だね」
女性は静かに肯定した。
それが、なぜか心地よかった。
落ち着くと言うか、なんと言うか。
だから、ルークはさらに言葉を続ける。
「アイツが決めた事ならそれで良いって本気で思ってる。けどよ、なんかモヤモヤすんだよ。なんつーか…………連れ戻してぇのかな……」
ルーク自身、自分の気持ちが良く分からなかった。
あの少女が選んだのならそれで良い。それは本音だ。
しかし、それとは反対に、連れ戻したいと考えている自分もいた。
だから悩んだ。
なにが正解なのか、どっちが自分のためになるのか。
「少年はさ、なんでその人の事を連れ戻したいの?」
「それが分かんねぇから困ってんだ」
「難しいねぇ。お姉さんは少年じゃないから、少年の考えてる事は分からない」
「だから言っただろ、話しても意味ねぇって」
女性の手が、優しくルークの頭を撫でる。
抵抗する気はおきない。
「今までこんな事なかった。やりてぇ事が分かって、俺はそうして来た。そりゃ、ちょっとくらい悩む事はあったけど……答えが出ねぇのは初めてなんだ」
「うーん、お姉さんは基本的に悩まないからなぁ。自分の思うがままに生きて来たし」
「だろうな、なんかそんな感じする。性格がダメな子っつーか、残念っつーか」
「残念って言うな。でも、一度だけすーごく悩んだ事があるの。何ヵ月も考えて考えて、やっと答えを出した事がある」
「なんかあったのか?」
無意識に口から出た言葉に、ルーク自身驚きを隠せなかった。
今まで他人に興味を示した事なんてなかったし、ましてや過去の話を聞きたいなんて思った事はなかった。
なのに、知りたいと思っていた。
この女性が、なにに悩んでいたのか。
「全部は言えないけど、その悩みはお姉さんの一番大事な人を不幸にするかもしれない悩みだったの」
「旦那か?」
「ううん、違う違う。旦那はもうお姉さんのものだし、今さら巻き込んだり不幸にしてもなんとも思わないもん」
「可哀想な旦那だな。多分毎晩枕を濡らしてんぞ」
「その時はお姉さんが拭いてあげるのっ。夫婦ってそういうものなんだよ?」
所々でのろけを挟んで来る辺り、よほど旦那の事が好きなのだろう。旦那という単語が出るだけで女性の頬が幸せそうに緩む。
ルークはその様子に若干苛つきながら、
「んで、その大事な奴はどうなったんだ?」
「分かんない。けど、今のところは大丈夫そうかな」
「大丈夫そうかなってなんだよ」
「その大事な人はね、多分私の事を嫌いだと思うから。ちゃんと話した事なかったんだよ」
女性の表情が僅かに曇る。その感情が誰に向けられたものなのかをルークは知らない。
そして当然、空気を読むつもりもない。
「多分嫌われてんな。初めて会った俺でも嫌いになりそうだし」
「ひ、酷い! 私だって色々悩んだんだよ!」
「そんなの知らん。でも、良いんじゃねぇの? お前が正しいって信じてやった事なら」
「本当にそう思ってる?」
「なんで俺に訊くんだよ」
「なんとなーくだよ。少年が大丈夫って言ったら大丈夫そうな気軽するの」
「大丈夫なんじゃねぇの」
ルークは適当に言ったつもりだったのだが、その一言で女性の表情が晴れやかなものになった。
きっと、その大事な人の事が心配なのだろう。女性がなにに悩み、どんな決断を下したのかは知らない。それでも大丈夫だと、なぜかルークは思った。
二人で顔をあわせて微笑み、
「なぁ、もしお前が俺と同じ立場だったらどうする?」
「仲間が敵になっちゃったら?」
「そ。悩んでもまったく答えが出ない時」
「うーん、そうだねぇ……」
ルークを撫でるのを止め、女性はこめかみの辺りを抑えてうなり声を上げる。なにをそんなに考えているのかは不明だが、女性は眉間にシワを寄せて熟考。
そんな状態がしばらく続き、
「考えるのを止める、かな」
「それじゃ答え出ねぇじゃん」
「あのね、世の中の事全てに答えがある訳じゃないんだよ。とりあえず動いてみて、適当にやって、そして最後にああやってて良かったってなる時もある」
「適当が分かんねぇの」
「じゃあ助けてみれば良いじゃん。とりあえず助けてみて、次は放置してみる。答えが出ないなら、二つとも試してみれば良いんだよ」
「……出来っかなぁ。今のアイツ、俺の話訊きそうじゃねぇんだけどなぁ」
「そこは根気良く頑張るしかないね!」
「結局根性論かよ」
なぜか得意気に胸をはり、やってやったぜ、的な表情で鼻息を噴射する女性。しかし、その言葉でほんの少しだけ、ルークの胸につっかえていたものが取れた。
なにか明確な答えが出た訳ではない。
なにをするべきか、なにをしたいのか、根本的な部分はまったく解決していない。
それでも、ルークは満足げに笑った。
世の中にはこんな適当な大人がいるのだ、自分だってどうにかなる、と。
「少しは気がはれたかな?」
「んまぁ、ちょっとだけな。ほんのちょっと」
「素直じゃないなぁもう。じゃあじゃあ、次は少年の話を聞かせてよ。少年が今まで体験して来た事、見て来た事を」
「んなの聞いてなにがしてぇんだよ」
「人の思い出って聞いてるだけでも楽しいんだよ?」
「俺は楽しくねぇ。けど、しゃーねぇから話してやる」
ルークは、これまでの全てを話した。
両親に捨てられ、村長に育てられ、桃色の髪の少女に拉致され、剣を直すために魔元帥と戦い、精霊の少女と出会い、気に入らない勇者殺しと激突し、姫様を助ける(?)のために小屋に乗り込み、化け物みたいな精霊と戦い、そしてーー友を失った事を。
基本的に、ルークは自分の過去を語ろうとはしない。なぜなら、自分が日との過去話を聞くのが嫌いだから。しかし、すんなりと言葉が出た。自分が感じた事、その全てが、上手く言葉として。
女性はそれを聞いていた。
時に微笑み、時に驚き、時に難しい顔をし、ルークの話をただ聞いていた。
なにが楽しいのかは分からないが、女性は心底満足そうに笑っていた。
そして、最後まで話し終えると、
「へー、少年って勇者だったんだね。おっどろきー」
「なんで棒読みなんだよ。これで全部だ、満足したか?」
「うん! すっごく楽しかったよ。お姉さんもこれまで色々経験して来たけど、勇者とお喋りするのなんて初めてだもん」
「勇者なんてそこら辺にいっぱいいるだろ」
「そうだけど、そうじゃないのー」
訳が分からずルークは苦笑い。
そんなルークを見つめ、女性は目を伏せた。
それから太陽のような笑みを浮かべ、
「ーー頑張ったね、辛かったね」
「ーーーー」
「少年は偉いよ。少年がどう思ってるかは分からないけど、少年がこれまでやって来た事は皆に誇れる事だもん。だから、お姉さんが、私がいっぱい褒めてあげる」
言葉を失った。
そんな事、言われた事がなかったから。
別にお礼がほしくて戦って来た訳ではない。誰かのために戦って来た訳でもない。全て自己満足で、他でもない自分のために戦って来た。
だから、褒められるいわれはない。
なのに、なのに。
「やらなきゃいねけぇ事だからやって来ただけだ」
「それでも立派だよ。少年が今まで頑張って戦って来たからこそ、お姉さんはこうして笑顔でフラフラ出来てるんだから」
「フラフラしてんのな」
「迷子じゃないよ!」
この感情がなんなのか、今は置いておこう。
その感情と向き合うのが、ひどく恥ずかしいから。
ルークは女性から目を逸らした。
耳に、言葉が滑りこんで来た。
「ねぇ、少年は両親の事恨んでる?」
「恨んでねぇよ。顔も名前も声も知らねぇ人間をどうやって恨むんだよ」
「だって少年を捨てたんでしょ? お姉さんならすっごく怒るよ」
「目の前にいたらキレてたかもしれねぇ。けど、どうでも良いんだよ。んな事考えたって意味ねぇだろ。捨てるって事はそれなりの理由があったんだろうしよ」
「そうなんだ。なんか変だね」
「お前にだけは言われたくねぇ」
ルークは息を吸い、体を起こす。これ以上膝枕を経験していると、多分起きたくなくなってしまうから。
それほどまでに、女性の膝枕は癒しの塊だったのだ。
「もう行くの?」
「おう。なんか家燃えてるみてぇだし」
「え!? おうち燃えちゃったの!?」
「多分大丈夫だとは思うけどな。一応俺の知り合いもいるし」
今さらだが、まだ煙が上がっている。
そう、炎上中なのだ。
アテナがいるので心配はないとは思うが、エリミアス辺りが騒いでいそうである。
「ぶー、もうちょっとお話してたかったのになぁ」
「お前も旦那探してんだろ? とっとと行ってやれ」
「そうだね、お姉さんがいないとなにも出来ないから。でも、最後に訊きたい事があるの」
女性に背を向けて歩き出そうとしたが、不意に呼び止められる。ルークが首だけを女性へと向けると、
「少年にとって、これまでの旅は楽しいものだった?」
「おう。めんどくせぇ事ばっかだけど、俺は楽しいと思ってる」
「そっか……。うん! ならお姉さんは安心だよ! 頑張って来な、勇者!」
「お前もな。もう迷子になんじゃねぇぞ」
やっぱり、今日のルークはどこかおかしかった。
楽しかったなんて今まで言った事ないし、思っていても口に出すような男ではない。
多分、気分が良かったのだろう。
ルークはそう決め付け、今度こそ女性の元を去って行った。
ガジールの家を目指すーー正確には煙を目指して歩いていると、ルークはとある事に気付いた。
自分の腕を見つめ、
「……傷が治ってやがる。あの女、魔法使いかよ」
痛々しい傷痕が綺麗さっぱりに消えていた。
まったく気付かなかったが、恐らくあの女性が治療してくれたのだろう。
思わず、笑みがこぼれ落ちた。
「ったく、お節介やきやがって」
女性が治療したのは、体の傷だけではなかったらしい。
ルークは拳を握り締め、全速力で走り出した。