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量産型勇者の英雄譚  作者: ちくわ
七章 精霊の契約
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七章三十二話 『弱さ』



「アンタって意外と分かりやすいわよね」


 背後からそんな言葉を投げ掛けられた。

 ルークが振り返ると、そこには閉まる筈だった扉を体で抑え、呆れたように眉を寄せるシャルルが立っていた。


「昨日から様子がおかしかったし、アテナさんがもしかしたらって言ってたけど……まさか本当に一人で行くつもりなの?」


「お前には関係ねぇだろ」


「ない、けど……私にだって一応良心ってものがある。危ない目にあおうとしてる奴をみすみす見送るなんて出来ない」


 エリミアスが家を出る前、ルークは皆が寝てるのを確認してから一人で行こうとしていた。

 ただ、どうやらシャルルに見抜かれていたらい。

 ここ短い付き合いで見抜かれる辺り、やはりこの男は分かりやす過ぎるのだろう。


 ルークは肩を落とし、


「勘違いしてるみてぇだから言っとくが、俺は別に一人で喧嘩しに行こうなんて思ってねぇぞ」


「どうだが」


「いくらなんでも、一人で勝てるなん思い上がるほどバカじゃねぇ」


「ならどこに行くわけ? こんな朝から、隠れるみたいにこそこそして」


「散歩だ。つか、俺がどこに行こうがお前には関係ねぇだろ」


 ルークの乱暴な物言いをシャルルは軽くあしらうように手を振った。それから音がしないように気を使いながら扉を閉め、


「関係ないわね。アンタがどこへ行こうがなにをしようが、私にはまったく関係ない」


「ならーー」


「でも気になる。私には関係ないけど気になるの。アンタの事情なんて知らないけど、そんなの知らない。私が気になるから訊いてるの」


「お前めんどくせぇな。普通こういうのは空気読んでどっか行くだろ」


「残念、私がアンタのために空気なんて読む訳ないでしょ」


 小さく微笑んだシャルルに、ルークは一瞬躊躇ったが微笑み返した。

 その後、ほんの僅かな沈黙が流れ、ルークは諦めたように大きく息を吐き出した。

 

「ちょっと付き合え」


「愛の告白でもするの?」


「して良いのか?」


「い、いらないわよそんなのっ」


 シャルルはからかうつもりで言ったのだろうけど、ルークの真剣な表情を見て頬を赤らめた。残念ながら、この男をからかうにはまだまだ甘かったようである。

 赤くなった顔をパタパタと扇ぎ、


「付き合うって、どこに行くつもりなの?」


「散歩だっつっただろ。この変に静かな場所とかねぇの?」

 

「知らないわよ。私もここに来たのはアンタ達と同じで初めてなの、詳しい道は分からない」


「んだよ使えねぇな」


「その言葉そっくりそのまま返してあげる」


 当然ながら、ルークはこの辺りに詳しくはない。辺り一帯の地図が頭に叩き込んであっても迷うような人間なので、まぁ知っていたとしてもあまり意味はないのだが。

 ともあれ、早くしなければ起きて来てしまう可能性がある。

 考え、考えた結果、


「んじゃ適当に歩こーぜ」


「一応訊いておくけど、戻って来れるのよね?」


「……おう」


「なによその一瞬の沈黙。不安にしかならないんだけど」


「迷子になったらそん時考えりゃ良いだろ。とにかく行こうぜ……それともやっぱ帰るか?」


「ううん。せっかく誘ってもらったから、仕方ないからついて行ってあげる」


 なぜそんなにも上から目線なのかは分からないが、それを訊いたとしても面倒になるのは目に見えているので、お口にチャック。ルークは喉まで上がって来た文句を飲み込み、


「最初に言っとくが、どんな面倒事に巻き込まれても知らねぇかんな」


「なによそれ」


「俺って不幸を招く体質らしいんだよ。どっかのアホに言われた」


「良いわよ、私が勝手について行くって決めたんだし」


 シャルルのあっけらかんとした態度に、朝からため息が止まらないルークだった。


 という訳で、二人きりのお散歩が開始。

 特に宛がある訳でもなく、本当にただ散歩したかっただけなので、行き場がなく貧民街をさ迷っていた。

 と、ここでルークが異変に気付く。

 なんというか、先ほどから隣を歩くシャルルの様子がおかしい。


「便所か?」


「アンタって本当に女性に対する気遣いがなってないわよね」


「気遣う必要がねぇからな。んで、便所なの?」


「違うわよ! たとえそうでも言わないっての!」


「んじゃなんでそわそわしてんの?」


「そ、そわそわなんてしてないっ」


 顔を逸らし、シャルルは強気な口調でそう言った。恐らく本人は気付いていないのだろけど、顔を逸らした時点でなにかあると認めているようなものである。

 そして、心なしか頬が赤い。

 ごにょごにょと口を動かし、


「ちょっと……ちょっとだけよ!? ちょっとだけ、デートっぽいかなぁ……って思っただけ」


「あのよ、俺が言うのも変な話だけどさ……昨日仲間がどっか行ったばっかなんだけど?」


「そんなの分かってるわよ。私なりのジョーク、アンタのすだれた心をどうにかしてやろうと思ったの」


「その割には顔あけぇけどな」


「うっさい!」


 犬歯をむき出しにして威嚇するシャルル。本気半分、冗談半分といっただろうか。

 肩を上下させて呼吸を荒くしていたが、一旦落ち着かせるように深呼吸し、


「そんな事より、良かった」


「は? なにが?」


「アンタがあの子の事、ちゃんと仲間だって思ってた事よ」


「……え、俺今仲間って言ってた?」


「言ってたわよ。……え、無意識?」


 ルークはなにも答えず、頭を抱えて肩を落とした。無意識に『仲間』という単語が出てくる辺り、やはりそういう事なのだろう。

 口や態度では乱暴でも、本心ではあの少女の事を仲間だと思っていたらしい。


 らしい、というのは、本人にまったく自覚がないからだ。


「連れ戻したいって、思わないの?」


「……分かんねぇんだ。自分がなにをどうしてぇのか」


「分かんないって、自分の事なのに?」


「だから困ってんだろ。今まではなんつーか、やりたい事が頭に浮かんで、俺はその通りに生きて来た。けど、今は分からねぇ……自分がなにをしたいのか、するべきなのか、なんも分からなくなっちまったんだ」


 ルークは今まで、自分の思うがままに生きて来た。他人から見れば悪かもしれない、大きな間違いなのかもしれない、けれど、それが正しいと信じて今まで生きて来た。

 けれと、今はそれが出来ないーーいや、なにをしたいのかが分からなくなっていた。


 自分の頭に浮かんだ事が正しいのか、過ちなのかーーそんな、今まで考えた事のなかった疑問が生まれていたのだ。

 だから、動けない。

 動きたくても、どうすれば良いのか答えがないから。


「あの子を、ティアニーズを助けたいんじゃないの?」


「助けるって言い方はちげぇだろ。アイツは自分で選んだ……もし連れ戻すんだとしたら、それは助けるじゃなくて邪魔する、だ」


「じゃ訊き方を変える。アンタ、ティアニーズがいなくて寂しくないの?」


「おう」


「そこは断言出来るのね」


 食い気味に放たれた言葉を聞き、シャルルの口からかわいた笑い声がこぼれ落ちる。

 ただ、嘘ではない。別に彼女に近くにいてほしい訳でもないし、目の前にいないと不安になる訳でもない。

 そんな特別な感情は一切ないと、ルークは断言出来た。


「なら、なんで悩んでるのよ」


「なんでだと思う?」


「知るかっ。私がそれを訊いてんの」


「分かってたらこんなに悩んでねぇよ。言っとくが、俺が悩むとかちょー珍しいぞ」


「そうですか。ならたまには必死に頭回して考えなさい」


「使えねぇ奴だな」


「自分の悩みでしょ、人に答えを求めるんじゃないわよ。私に出来るのは助言くらい、最後の最後に決めるのはアンタなの」


 反論する余地もなく、ルークはただ無言でため息を吐いた。

 どうして、そう考える度に答えが遠ざかって行くような気がしていた。この疑問には答えなんかなくて、悩めば悩むほどどつぼにはまって行くような。


 しばらく歩き、二人は小さな川にたどり着いた。貧民街のさらに外れにある場所で、ここには滅多に人は近付かない。家もなければ街灯もなく、自然に出来たものがそのまま残されていた。


 斜面を下り、川の側までよると、


「……どーすっかなぁ」


「どうするもこうするも、アンタがやりたいようにやりなさいよ」


「ですよね」


 いつものような生意気でウザさ全快の言葉も出てきやしない。ゆらゆらと揺れる川、必死に流れに逆らう魚を見つめ、ルークは本日何度目かのため息をついた。

 とりあえず足元に落ちていた小石を拾い、ありがちなシチュエーションっぽく向こう岸に投げてみる。が、


「……俺ってこんなに肩弱かったっけ?」


「ほんとに重症ね。訳分かんないわよアンタ」


「心配すんな、俺が一番訳分かんねぇから」


 恐らく、ルークがここまで悩むのは産まれて初めての事だろう。どんな壁が目の前に立ち塞がったって、この男はバカみたいな発想と卑怯極まりない策で切り抜けて来た。

 しかし、今回はそれが通用しない。

 そんな方法じゃ、きっと納得出来ない。


 ーーと、そんな時、背後に誰かの気配がした。


 ルークは一瞬で思考を切り替え、ゆっくりと振り返ると、


「よぉ、こんなところにいやがったのか……探したぜ」


「……テメェ、なにしに来やがった」


「決まってんだろ、喧嘩の続きだ」


 ルークの声色の変化に、シャルルは若干怯えながら振り返る。

 そこには、ボサボサ頭の男ーー名前は確かベルトスと言っただろうか。ニヤリと口角を上げ、心底楽しそうにルークを見つめていた。


「……誰? 知り合いなの?」


「奴隷商人だ」


「……アイツが、奴隷商人……!」


 男の正体が分かった瞬間、明らかにシャルルの表情が強ばった。怒り、そして恐怖、そのどちらもが混ざった表情。シャルルにとって彼ら奴隷商人は絶対に許せない相手であり、そして恐怖の元凶のような存在だ。

 しかし、ベルトスは気にする素振りもなく、


「昨日は色々と予定が狂っちまったからよ。それよりなんだ、もしかしてデートの途中だったか?」


「だったらなんだ」


「いや、薄情な奴だと思ってよ。あの嬢ちゃん、すげぇ悲惨な顔してたぜ。本当は嫌で嫌でしょうがねぇって顔だな、ありゃ」


「だからなんだっつってんだ……!」


「いや、なんでもねぇ。これは関係ねぇよな、今日は喧嘩するためだけに来たんだからよ」


 ベルトスは地面を蹴って高く跳躍し、斜面を飛び越えてルーク達の横に着地した。すでに腕からは赤黒い泥が流れており、完全に臨戦態勢だった。

 ルークは強く一歩を踏み出し、


「上等だ、今ここでぶちのめしてやる……!」


「まてまて、あの精霊はどこに行った?」


「いねぇよ」


「なら連れて来い、待っててやるからよ」


「いらねぇよ……テメェなんざ俺一人で十分だ」


 勝手に話が進む中、シャルルは一人取り残されていた。そもそもだが、シャルルはルークが勇者だと知らない。ソラが精霊という事も知らないし、目の前の男が魔元帥と契約している事も知らない。

 そんな人間がいきなり体から泥を垂れ流す人間を見れば、驚きで言葉を失うのも無理はないだろう。


 しかし、二人はそんな事気にしていない。

 すでにルークの意識はベルトスだけに集中していた。


「とっととかかって来いよ」


「おいおい、まさか精霊もなしに俺と殺りあうってのか? そりゃいくらなんでも舐め過ぎだろ」


「うるせぇ、テメェごときアイツの力を借りるまでもねぇって事だよ」


「こっちは全部失う覚悟でここに立ってんだ。全力のお前を叩き潰さなきゃ意味がねぇ……そんなんじゃ、勝った気になれねぇんだよ」


「良いから……かかって来いって言ってんだろ!」


 ダン!!と地を蹴って駆け出していた。

 ベルトスの事情なんて知ったこっちゃない。この訳の分からないモヤモヤが消えてくれるのならーー今のルークは、それしか考えていなかった。

 自分の名を呼んだシャルルの声も、届いていなかった。


 拳を石のように硬く結び、全力でベルトスの顔面に叩き込ゆ。

 ベルトスの体が僅かに揺れる。が、


「……どこまで俺を舐めてんだ、アァ?」


「ーーッ!?」


 ギロリ、と二つの瞳がルークを睨み付けた。顔の力だけで拳を押し返し、次の瞬間には泥でコーティングされた拳が放たれていた。

 顎の真下から振り上げられた拳。咄嗟にルークは腕をクロスし、衝撃に備えてーー、


「ばぅ、……ガッ!!」


 両手を軽々とはねのけ、ベルトスの拳がルークの顎をはねあげた。いや、それだけではない。あまりの勢いに足が地面を離れ、ルークの体が一気に上昇する。

 嫌な浮遊感が体を包み込むが、なにも出来ない。飛びそうな意識を繋ぎ止めるのに必死だったからだ。


 あとは、ただ自由落下に身を任せるしかなかった。


「ゴホッ!? ……ァ……ぐ」


 まだ完全には癒えていない背中に強烈な衝撃が走った。次の瞬間には痛みに、そして最後には熱となって背中で暴れ回る。

 上手く呼吸が出来なかった。

 息がつまり、酸素を吸い込むという当たり前の行動を体が拒否する。


 ベルトスは、もがくルークへと近付く。


「こっちは覚悟決めてんだぞ? なのになんだ、そのクソみてぇな態度は。どこまで人をバカにしてんだよ、アァ!?」


「う、るせぇ……まだまだ、これからだっての……!」


「そうかよ、どうあっても精霊を呼ぶ気はねぇみたいだな。俺お前を勘違いしてよ、お前は、強くなんかねぇ」


 歯を食い縛り、必死に痛みに抗う。が、その時には、もう、ベルトスの攻撃は終わっていた。

 腕に巻き付いた泥が触手のように伸び、揺れ、風を切り、一斉にルークに向かって叩き付けられた。


 回避も、防御も、なにも間に合わない。


「ーーッ!」


 声を上げる事すら許されなかった。腕を、足を、腹を、顔を、泥の鞭は容赦なく、絶え間なく殴打し続ける。もう、どこを殴られているのかすら分からなかった。

 痛すぎて、痛すぎて、痛みがなんなのかすら分からなくなる。


 逃げようとしても、防御しようとしても、鞭はその合間をぬって確実にルークの体に傷をつける。鞭で叩かれているというより、鉄の棒で全身をタコ殴りにされているような感覚だった。


「だからだよ、お前がそんなんだからあの嬢ちゃんは側を離れたんだ」


「うぐーー!!」


「お前が言えば良かったんだ、行くな、戻って来い、ってな。でもお前はそれをしなかった」


「ガばァッ……ぁ……ぅ」


「だから、お前は負けた。あの嬢ちゃんは負けた。この町は、もうすぐ消えてなくなる」


 なにを言っているのか、上手く聞きとれない。

 鞭が風を切る音だけが鼓膜を叩く。

 なにも出来ず、ただ立ち尽くしているシャルルの顔すら認識出来ない。


 そう、この程度なのだ。


 ソラの力がなければ、ルークはこの程度でしかない。どこにでもいる普通の人間で、特別な力を持った相手には手も足も出ないのだ。アテナにも、アンドラにも勝てないーーそのくらいの強さしかない。

 強いのはルークではなく、精霊の力があったから戦えてこれた。


 別に、強くなんかない。


「…………」


 鞭の乱打が終わる頃には、意識が朦朧としていた。自分が寝ているのか立っているのか、右がどっちで左はどっちなのか、そんな簡単な事を考える思考能力すら削ぎ落とされていた。

 左目はふさがり、頬は青く腫れ、腕には無数の痣。生きているのかすら怪しい状態にまで追い込まれていた。


「ちょっと……ねぇ、ねぇってば! 起きなさいよ!」


 攻撃の雨が止み、血だらけで倒れているルークを見た瞬間、シャルルの顔が青ざめた。フラフラとよろけながら進み、地面を這いつくばって真っ赤になった青年へと近付く。


「なんーーなによこれ!? なんで、なんでこんな事が出来るの!」


「ソイツが好き好んでこの結末になったんだろ。自業自得だ」


「ふ、ざけんな! アンタ達のせいでどれだけの人間が……どれだけの奴隷が不幸になったと思ってるのよ!」


「知るかよ。奴隷になった奴が悪い。最初からそういう運命だったんだ」


「なにが運命よ……好きで奴隷になる人間なんている訳ないでしょッ!!」


 羽織っていた上着をルークの体にかけ、シャルルは叫ぶ。

 しかし、ベルトスは顔色一つ変えない。

 その表情からは、なにも読みとれない。


「お前、もしかして元奴隷か?」


「……だったら、だったらなに」


「いや別に。ここには元奴隷が山ほどいるんだろ? あのガジールって奴が商売の邪魔をしてんのは知ってる」


「アンタ達のせいで、ここにいる人間は不幸になった。アンタ達がいるから……この町は腐った!」


「人のせいにすんじゃねぇ。なにもしなかったのはお前だろ? 俺はお前の顔なんざ知らねぇが、奴隷で俺達に歯向かった人間なんて今まで一人もいなかった。つー事は、だ。全員諦めて受け入れたって事だろ?」


「ッ!」


 それは、ルークがシャルルに言った言葉と同じようなものだった。この世界には希望なんてないと諦め、立ち向かう事すら捨ててしまった。

 事実だ。だから、シャルルはなにも言い返せなかった。


「まぁ、しゃーねぇけどな。人間ってのは直ぐに諦める生き物だ、絶対に越えられねぇ壁を前にした時なんて特にな」


 適当な様子で呟き、ベルトスの腕にまとわりついていた泥が地面に落ちる。

 そう、終わったのだ。

 ルークは負けた。

 手も足も出ず、意図も簡単に負けた。

 一方的に打ちのめされた。


「だが、心配すんな、自分を責める必要もねぇ。それが普通だ、お前が弱い訳じゃない。直ぐに分かる、人間がどれだけ脆くてちっぽけな存在かは、な」


「なに言って……」


「そこの勇者が出歩くのは予想外だったが、でもまぁ、そのおかげで上手く行ったみてぇだな」


「だから、なに言ってんのよ!」


「あれ、見てみろ」


 どこかの方向を指差し、ベルトスは小さく笑みを浮かべた。

 シャルルは唇を震わせながらそちらに目をやる。

 煙だった。空に大量の煙が上がっていた。

 そして、燃え盛る炎が見えた。


 あの方向になにがあるのかは分からない。そもそもここがどこなのか正確に把握してすらいない。

 しかし。

 分かってしまったのだろう。

 この男達なら、奴隷商人ならなにをするか。


「まさ、かーー」


「そろそろ潮時って事だ。今まで見過ごしてやったが、ガジールにも消えてもらう。俺らの計画には邪魔でしかねぇからな」


「燃やしたの……? あの家を、私達が泊まっていた家を!!」


「んな生易しいもんじゃねぇと思うぜ? この貧民街を全部燃やす。徹底的に潰さねぇと、勘違いしてつけあがるバカが出て来るかもしれねぇだろ」


 どこまで、どこまでやれば気が済むのだ。

 どこまで、どこまでこの男達はこの町を壊せば気が済むのだ。

 そんな言葉さえ、シャルルは言う事が出来ずにいた。


 涙すら流れない。絶望は今に始まった事ではないからだろう。シャルルにとって、絶望とは生きる事そのものだった筈だ。

 だから、今さらーー、


「……行け」


「え?」


 シャルルの腕を誰かが掴んだ。

 血だらけの腕だ。


「アンタ……大丈夫なの!?」


「うるせぇ……良いから行け。家燃えてんだろ……?」


「そんなの……出来る訳ないでしょ! このまま放置したら、アンタ死ぬでしょうが!」


「なら、向こうの奴らを死なせんのか」


「それは……」


「やっと掴んだ自由なんだろ、ずっと欲しかったもんなんだろ……だったら、簡単に手離すんじゃねぇ」


 シャルルがどんな顔をしているのか、今のルークには見えていない。体はまったく動かないし、左目は塞がっているし、耳鳴りのせいで上手く言葉を聞きとれない。

 けれど、はっきりと、こう言った。


「お前が守れ」


「……アンタは、アンタはどうすんの」


「気にすんな、ちょっと休んだら直ぐに戻る」


「……絶対よ、必ず戻って来なさいよ」


「わーってる、行け」


「うん、行って来る」


 それだけ言うと、シャルルは立ち上がった。膝についた砂を乱暴に払い、ベルトスの横を走り去って行く。ベルトスには見向きもせず、真っ直ぐに一つの方向を見つめて。

 そして、彼もなにも言わなかった。


 倒れているルークを見つめ、


「今回だけだ、見逃してやる」


「俺の負けだ。でもな、覚えとけ……俺はしつけぇぞ」


「少しはマシにはなったか? まぁ良い、待ってるぜ」

 

 最後の最後に満足な笑顔を浮かべると、ベルトスはとどめをさす事なくその場を立ち去って行った。

 残されたのはルークただ一人。

 一人では立ち上がる事すら出来ず、ただ空を見上げる。


「クソ、なにが俺は強いだ。よえぇんだよ、この程度の男なんだよ。ったく、どいつもこいつも勝手な理想ばっか押し付けやがって」


 出てくるのは文句ばかりだ。

 負けた事はさほど悔しくはない。どうせやり返すので、その時まで鬱憤はためておけば良いだけの話だ。

 しかし、なにも変わらなかった。

 結局、ただ殴られただけだった。


「……俺よわ」


 小さく呟いた言葉。

 きっと、あの少女もこんな気持ちだったのだろう。


 ルークは息を吐き、瞳を閉じる。

 すると、急激に眠気が襲って来た。

 眠気に身を任せ、ゆっくりと沈んでーー、


「ほんと、弱いよね」


 そこで、誰かの声が聞こえた。

 耳鳴りが止んだ訳ではないのに、その声だけはハッキリと聞きとれた。


「あ?」


「あー、こっちこっち。それにしても酷い有り様だね。知ってる? 喧嘩にも限度ってものがあるんだよ?」


 なんとも能天気な声だった。

 人を小バカにしたような、それでいてなぜか引かれる声。

 ルークにまたがるように、その声の主が姿を現す。その顔を見つめ、


「いや誰だよ」


 まったく知らない女性だった。

 肩にかかるくらいの黒髪。目尻が上がっているが、なぜか優しげな瞳。花の髪飾りに触れながら、女性はニコニコと微笑んでいた。

 なんというか、太陽のような笑顔だった。

 あの少女とも、エリミアスとも違う笑顔。


 そんな笑顔で、


「通りすがりの一般人だよ。この優しいお姉さんが少年の悩みを聞いてあげよう!」


 と、お節介極まりない言葉を言ったのだった。




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