七章二十九話 『変化と責任』
目が覚めると、真っ黒な夜空が広がっていた。星の段幕が張り巡らされ、暗い夜空を彩っている。
頬が冷たい。
どうやら、地面に寝転んでいるらしい。
「……ぐ」
上体を起こし、ルークは辺りを見渡した。
記憶にある光景だった。先ほどまで、いや時間はかなり経過しているようだが、自分達が訪れた大通りのど真ん中で寝ていたようだ。
背中が痛む。しかし、それは前からであって、それ以外に外傷は見られない。
「……起きたか」
聞きなれた声が耳に入る。首を動かしえ横を見ると、白い髪の精霊ーーソラが同じように寝転びながら夜空を見上げていた。
ソラはルークへと顔を向け、
「どうやら泥に飲まれて気絶していたらしい。まったく厄介な力だ、妨害するための力としか思えんな」
「……夢、じゃねぇんだよな」
「あぁ、『全て』事実だ。確かに、ティアニーズは私達の元を去って行った」
夢ならどれほど良かったか、そう考えている自分にルークはため息をこぼした。
心なしか、ソラの声にも覇気がない。
いつものような偉そうな口調は影を潜め、優しく呟く。
「……私が甘かった。ティアニーズの変化には気付いていたが、まさかあそこまでとは……」
「……別にお前のせいじゃねぇだろ」
「そうだな、私のせいではないーーとは言いきれん。ティアニーズがああなったのはトワイルの死が原因だ。であれば、私にも責任がある」
ルークだって気付いていた。気付いていながら、解決法はないと目を逸らしていた。時間が解決してくれるだろうと、時が過ぎればまたいつもの彼女に戻るだろうと。
しかし、そんなに中途半端な想いではなかったのだろう。
だからこそ、ティアニーズはルークの元を去って行った。
「くそ……なんかすげぇ疲れた」
「私もだ。私が生きて来た人生の中で一番だ」
「ここにいたのか。二人とも無事か?」
声のした方に顔を向けると、所々に泥をつけたアテナが立っていた。これといった外傷はなく、恐らくルーク達と同じように泥に飲まれて意識を失っていたのだろう。
続くように、背後からアンドラとアキンが現れる。
「お前らも無事だったんだな」
「あぁ、一時はどうなるかと思ったが、窒息死はせずに済んだようだ。それより……やはり、いないか」
「……桃頭ならいねぇよ。アイツは魔元帥についてった、お前だって分かってんだろ」
「すまない、私も取り乱しているようだ。まさか敵の狙いがティアニーズだとは思わなかった……」
「なんで謝ってんだよ。向こうに行くって決めたのはアイツだろ。お前が謝るような事じゃねぇ」
「君は、それで良いのか?」
「良いんだよ」
アテナの問いかけに乱暴に答え、ルークは顔を逸らした。
動揺しているのはアテナだけではない。アキンは勿論、アンドラでさえその表情には焦りが見える。
そんなの、当たり前だ。
誰がこんな事態を予想出来たというのだ。
「ルーク、お前あの男と知り合いだったのかオイ」
「知らねぇよあんなクソ野郎。……ただ、一回だけ会った事がある。あのハゲから逃げてる時……桃頭がぶつかったんだよ」
「そうか……悪い。なら今回こうなったのは俺のせいだ」
「は? なんでおっさんのせいなんだよ」
「アキンとシャルルは知ってるが、昨日、ティアニーズとアイツが会ってたんだよオイ」
珍しく素直に謝罪するアンドラに驚いていると、さらに衝撃の発言が耳に飛び込んで来た。一瞬だけ目を見開いて反応するが、ルークは直ぐに息を吐き出すと、
「はなっから狙ってたって訳か」
「俺が昨日喋ってりゃこんな事にはならなかったかもしれねぇな、オイ」
「おっさんのせいじゃねぇよ。そもそもアイツが敵だなんて誰も知らなかった事だろ」
「まぁな、でも一応謝っとく。でも後悔はしてねぇし二回謝る気もねぇぜオイ」
「おう。誰も悪かねぇ、アイツが自分自身で選んで決めた事だ」
その言葉は、他の誰かに向けて放ったものではない。ルーク自身が、自分に言い聞かせた言葉だった。仕方ないと、自分で選んだのならなにも言わないと、必死に自分を納得させようとしていた。
そんなの、もう嫌だと認めているようなものなのに、ルークは必死にその考えから目を逸らしていた。
「あの……ティアニーズさんは、本当に戻って来ないんですか……?」
「アキン……」
「だって、だって……ティアニーズさんは初めて会った時から立派な人で、あの人が諦めずに魔元帥に挑んだから僕も……」
思えば、ティアニーズの次に付き合いが長いのはアンドラとアキンの二人だ。デストに挑んだ時も、ルークが駆けつけるまでは三人で戦っていたと聞く。
ずっと仲間だと思ってたいた人間がいなくなる。
信じていた人間に裏切られる。
それはきっと、アキンにとって到底受け入れられる出来事ではないのだろう。
「おかしいです! こんなの絶対におかしいですよ! ティアニーズさんはあの人になにかされて、騙されてついて行ってしまったんです! だから、だから僕達で連れ戻しましょうよ!!」
「ティアニーズが脆かったのは事実だ。その弱味につけこみ、あの男が揺さぶったのも事実だ。しかし……」
「おかしいですよ……なんで誰も助けに行かないんですか!」
「落ち着けアキン。全員そんなのは分かってるんだよオイ」
もしもトワイルが生きてたいたのなら、ティアニーズはあんな戯れ言に耳を貸す事はなかったのだろう。自分が弱いと理解し、責めながらも、きっと進む道を誤ったりなんかしなかった筈だ。
でも、そんなもしもは存在しない。
トワイルは死んで、ティアニーズは去った。
それはどうしようもない現実だ。
ルークは服についた泥を払いながら立ち上がり、
「とりあえず戻ろうぜ。ここで話てたってらちがあかねぇ。無駄に人目を集めるだけだ」
「……でも!」
「少し黙ってろクソガキ」
「…………はい」
乱暴な口調に乗せられた明確な怒り。それを向けられたアキンはビクリと体を震わせ、体を小さくして頷いてしまった。
アキンだけじゃない。全員が納得出来ていないのだ。
けれど、だからどうしろというのだ。
アキンの言う通りに助けに行ったとしても、恐らくティアニーズは戻って来ない。今の彼女を連れ戻すには、力ではなく言葉が必要なのだ。彼女揺らいでいる心を支える事の出来る言葉が。
しかし、そんな言葉誰も持ち合わせてはいない。
行ったところで、また傷つき、傷つけられるだけだ。
「ルークの言う通りだ、一旦戻ろう。参ったな、エリミアスになんて言えば良いのやら……」
「姫さんには俺から言う。お前らじゃ変に気を使って言えねぇだろ」
「そうだな……すまない。辛い役目を背負わせてしまって」
「別に」
目を伏せるアテナに対し、ルークは短く一言だけ呟いた。
この事実を告げればどうなるか、そんなの考えるまでもない。それでも伝えなければならない。
もう、進むしかないのだ。
重苦しい空気に潰されそうになりながらも、ルーク達は体を引きずるようにしてその場をあとにした。
貧民街。
夜も深くなって来ているため、辺りは闇に包まれている。向こうの明るさに目がなれてしまっているからなのか、夜目があまり効かない。
それでも迷う事なくガジールの家にたどり着くと、ルークは躊躇う事なく扉を開いた。
すでに全員が揃っているらしく、机を囲んで楽しそうな団欒が広がっていた。こちらは特に問題はなかったらしい。
暖かな雰囲気の中、エリミアスはルーク達に気付き、
「あ! お帰りなさいなのです!」
正直言って、その笑顔はウザイくらいに眩しかった。ちゃんと帰って来たルーク達を祝福するように、エリミアスはパタパタと走って出迎える。
ぞろぞろと家の中に入る一同。
そこで、エリミアスが首を傾げた。
「皆さん無事だったのですね、良かったです! ですが、ティアニーズさんはどちらに?」
直球の質問をぶつけられ、アテナは目を逸らす。アキンはうつ向き、アンドラは変わらぬ様子でソファーに座る。
ルークはエリミアスの前に立ち、その瞳を見つめ、
「アイツはいない。もう、二度と帰って来ねぇよ」
「…………え?」
「別に死んだって訳じゃない。けど、もうアイツは帰って来ない」
「え、あの……どういう意味なのですか?」
「そのままの意味だ。桃頭は敵になった、魔元帥についていったんだよ」
エリミアスの笑顔が一瞬にして消えた。
瞳が大きく揺れ、動揺し、唖然として、言葉を失っている。ルークの言葉が理解出来ていないのか、表情がぎこちない笑みへと変わる。
「あの……冗談なのですよね?」
「冗談じゃねぇよ。アイツはいない、そんくらい見りゃ分かんだろ」
「そんな筈ないです。だって、ティアニーズさんですよ……あの方が敵になるなんて……」
「なったんだよ。お前がなんと言おうが、俺達はそれを見た。負けたんだよ、なにも出来ずに、クソみたいに逃げ帰って来たんだよ」
ルークの表情を見て多くを読み取ったのか、シャルルとガジールはその言葉を事実として受け取ったようだ。ケルトの顔色は伺えないけれど、基本的に察しが良く冷静沈着だ。恐らく、もう気付いているのだろう。
しかし、
「そんな筈ありません。ティアニーズさんは私なんかよりも立派で気高い方です。大切なものをために、勇気を奮い立たせて拳を握る事の出来る方なのです。だから!」
「だから、なんだよ」
「敵になんてなりません! ルーク様達は騙されているのです! きっと、きっとティアニーズさんにはなにかお考えがあって……」
「本当に、そう思うか? 俺やソラ、おっさんとアテナがいて、その考えに気付かないと思うか?」
もし、ティアニーズが嘘をついていたのだとしたら、ルークにはそれを見抜く事実がある。理屈や技術なんかなくても、一緒に過ごして来た時間がその確信をうんでいた。
「そんなのあり得ません! ティアニーズさんは、ティアニーズさんは私の憧れの方なのです! どんな時でも諦めず、前を向いて歩ける方なのです!」
「……俺も、そう思ってたよ」
「……え?」
「アイツは俺なんかよりも強いすげぇもんを持ってる。けど、けどな……まだガキなんだよ。自分の目で大事な人間が死んで、それを全部自分のせいだと思いこんで、なにもかも背負って……その強さが、アイツの弱さになってる」
「ルーク……」
強いからこそ、優しいからこそ、ティアニーズは脆くて簡単に折れてしまう。ルークにはない他人を思いやる気持ち、それを持ってるからこそ、目の前で人が傷つくのを絶対に許せない。
そもそも、まだ彼女は十六歳の少女だ。
騎士団だからって、命がけの戦いだと分かっていても、大切な人間の死に耐えられる訳がない。
甘かった。
ルークは大きな勘違いをしていた。
「なにも分かっちゃいなかった。勝手に強いって思いこんで、勝手にその姿を押し付けてた。あぁ、そうだよ、アイツは強すぎるんだ」
「でも、でも……私には信じられません! ティアニーズさんはルーク様に憧れていてーー」
「んな事分かってんだよ!!」
思わず怒鳴っていた。
その声は家の隅々まで響き渡り、ルーク達を見守っている全員の心の奥底まで揺らす。
分からない。
なんでこんなにも苛立っているのか。
なんで、こんなにもムキになっているのか。
「アイツが俺に憧れてんのなんて分かってんだよ。どこにそんな要素があんのかは知らねぇけど、アイツは俺の背中をバカみたいに追い掛けてた。でも、んな事したって意味ねぇだろ! アイツはアイツだ、俺の真似したって俺にはなれねぇだろ!」
「ルーク様……」
「もし、アイツが向こうにいったのが誰かのせいなんだとしたら、それは俺のせいだろ! 俺に届かねって分かっちまったから、あのバカは……敵になったんだよ!」
今までのルークならあり得なかった。
目の前で起きた出来事を自分のせいだと思う事なんて。では、なんでそんなあり得ない事を思っているのか。
それが分からないから、ルークはこんなにも苛立っている。
今まで怒鳴る事なんて山ほどあった。
けれど、これは違う。
誰かの行動ではない。
自分の行動に対して、ルークは怒鳴っていた。
「俺なんかに憧れんじゃねぇよ。俺はクズだ、んなの誰に言われなくたって分かってる。なによりも自分が大事だし、人が困ってても助けようなんざ絶対に思わねぇ。でも、アイツは違うだろ! 誰かのために動ける奴だろ! なんで、俺なんかに……」
あぁ、とルークは思った。
いつもなら逆だった。
自分に憧れたティアニーズが悪い。
ではなく、憧れられてしまった自分が悪い。
ルークは、そう思い始めていた。
あの少女の行動に、少なくともなにか影響を与えているのは間違いない。その責任を、ルークは感じてしまっていたのだ。
自分が言葉でティアニーズが動くのを見て、自分の行動でティアニーズが動くのを見て、いつしか責任を感じるようになっていた。
なんともバカらしい。自分らしくない。
分かっていても、その考えが頭から出て行ってくれなかった。
「クソ……頭がごちゃごちゃする。わりぃけど今日は寝る」
「ま、待ってください!」
乱暴に頭をかき、ルークは風呂に向かおうとしたが、その腕をエリミアスが掴んだ。
泣きそうな瞳でルークを見上げ、
「ルーク様は、本当にこれでよろしいのですか? ティアニーズさんを助けにいかなくても……」
「……良いんだよ。アイツが選んだ事だ」
「本当に、そう思っていらっしゃいますか?」
「あぁ。次に会った時は敵だ。俺は容赦なくアイツをぶっ飛ばす」
「……分かり、ました」
うつ向き、必死に涙を堪えるエリミアスの手を乱暴に払いのけ、ルークは背を向ける。全員の視線を背中に受けながらも、ルークはそれらを無視してその場を去って行ってしまった。
リビングに残ったのは沈黙。
恐らく、ルークがあそこまで思い悩んでいるとは考えていなかったのだろう。
エリミアスは払われた手を見つめ、拳を握って涙を拭う。
「ケルトさん」
決意のこもった瞳でケルトを見つめる。
胸の前で拳を締め、
「私に力を貸してください」
「はい、勿論です」
「皆さんも、ティアニーズさんの事は私に任せてください。お願いします」
ケルトから視線を移し、礼儀正しくこの国の姫は頭を下げた。
しかし、アテナが言い辛そうにしながらも口を開く。
「こんな事は言いたくないが、止めておいた方が良い。行ったとしても傷つくだけだ……君も、ティアニーズも」
「そうだとしても、私は行きます。ティアニーズさんは私の憧れの人であり……友達ですからっ」
多分、エリミアスを含め、その場の全員が気付いていた筈だ。その笑顔が無理して作られたものだと。
仲間の死とはまた違う。
裏切られた訳でもない。
けれど、けれどーー。