七章二十六話 『戦いの前に』
「うっし、行くぞ」
「なにが『うっし』だバカ者。まだ動ける状態ではないだろう」
「知るかんなもん。昨日売られた喧嘩を買いに行くんだよ」
次の日、ルークはやる気満々だった。
ミイラ男なのは依然として変わらないし、一晩寝たところで治るような怪我ではない。
では、なぜこんなに元気なのか。
根性とその他諸々のあれこれで元気なのだ。
しかし、その横で寝転ぶソラは不満げだ。
ちなみに、二階が焼けてしまったので、昨晩は皆仲良く一階で寝る事になった。シャルルが相当文句を言っていたが、最後には全員の説得によって事なきを得たのである。
「このくらい余裕だっての。昨日だって戦えてただろ」
「あれは私の加護があったからだ。また加護がきれたらどうする? 相手は魔元帥かもしれんのだぞ」
「そん時はそん時だ。どうにかする」
「話にならんな」
ふんす!と鼻息を勢い良く噴射するルークとは対照的に、ソラは呆れを通り越して無表情だ。寝起きという事もあるが、ダメな子を見るような目でルークを見ている。
そこへ、つい先ほど目を覚ましたばかりのティアニーズが会話に参加する。
「昨日ってなんの事ですか?」
「え? いや、なんでもない。お前の聞き間違いだろ」
「?」
「とにかく、俺は今日行かねぇと気が済まねぇんだよ。あやふやなままだと寝つきがわりぃの」
「幸せそうな寝顔をしていたくせになにを言っている」
「なんでお前が俺の寝顔知ってんだよ」
「そんなの私が貴様の寝顔を……なんでもない」
どうやらソラはルークの寝顔を見ていたらしい。しかし、頬をほんのりと赤らめながら、誤魔化すように顔を逸らした。
ルークは体を起こし、ソファーの上で立ち上がると、
「ほぼ全快だってーー」
腕をぐるぐると回し、それから体の調子を確かめるように大きく背筋を伸ばす。と、その瞬間、稲妻に打たれたような衝撃が走った。ルークはそのまま沈黙。ばんざいしたまま固まってしまった。
「えっ、あ、あの、ルークさん!?」
「言わんこっちゃない。大人しくアテナの体力が回復するのを待て」
「そ、そんな事言ってないで、ルークさん全然動かなくなっちゃいましたよ!」
「自業自得だ」
ちなみに、ルークはこの時点で意識を失っていた。全員の声を聞き、改めて目を覚ましたのはそれから数十分後の話となる。
全員が起床したのち、とりあえず作戦会議との事で一つのテーブルを囲む事になった。寝起きなので目が開いていない者もとらほらといるが、アテナは構わずに話を切り出した。
「今後の方針について話をしよう。幸い、こちらは奴らの尻尾を掴む事に成功した。あとはうって出るタイミングだけなのだが……」
「今日行く」
「ダメだ、せめて動けるようになってからにしろ」
ルークの提案は、ソラによって即座に却下された。
アテナが言う奴らの尻尾とは、昨日ルークが売られた喧嘩の事である。ルークはなにか狙いがあってやった訳ではないが、遅かれ早かれ相手が攻めて来るのは間違いない。
怪我の巧妙とはまさにこの事だろう。
そこを捕らえ、大元を潰す。
というのが大まかな狙いである。
「私としては早めに始末をつけたいというのが本音だ。しかし、ルークの手もほしい」
「俺なら問題ねぇよ。五分でかたつけりゃ良いだけの話だろ」
「それが出来ないから止めているのだバカ者」
「誰がバカ者だ貧乳。俺一人で行く訳じゃねぇんだ、他の奴が頑張りゃ良いじゃん」
貧乳という言葉に反応し、容赦ない張り手がルークの背中を叩いた。効果抜群である。
悶絶するルークを他所に、アンドラが口を開く。
「ルークの傷はともかく、俺も早めに決着をつけてぇなオイ。あんまりこの町に長居する事も出来ねぇんだしよ」
「奴隷商人、魔元帥、そこへ魔獣が加わるとなると、流石に私達だけでは対処しかねるな」
「でも、魔除けの魔石があれば、魔獣は町に入れないんじゃないですか?」
「魔獣だけならば、な。そこへ魔元帥がプラスされるとなると、突破は容易いだろう」
礼儀正しく質問を口にしたアキンに、アテナは冷静な様子で答える。
魔除けの魔石とはあくまでも魔獣を近付けさせないための物だ。魔獣の嫌う光を放ち、その侵入を拒む。しかし、魔元帥にあまり効果がないのは、ウルスの時に明らかになっている。
悶絶から開放されたルークは涙目になりながら、
「魔獣が大量に押し寄せて来る前に終わらせる。だから今日行く」
「かなり大雑把ではあるが、私もルークの意見に同意だ。仮に奴らと魔元帥に関わりがあるのなら、事の解決は急ぐべきだと思う」
「しかし、相手がどこにいるかまでは分かっていないのだろう?」
「ここで待ってりゃ来るんじゃねぇ?」
「それは絶対にダメだ。もしこの貧民街が戦場になってみろ、多くの人間が死ぬ事になるぞ」
これに関してはソラが正しいと言いたげに、ガジール、そしてアテナは同意するように頷いた。
ただでさえ訳の分からない力を持つ人間を相手にするのだ、その被害は甚大なものとなるだろう。であれば、騎士団の長であるアテナと、ここを仕切るガジールが拒むのも当然の事だ。
「ならどーすんだよ」
「町に出る。昨日の一件で私の顔は割れている。それに加え、ここにいるほとんどの者もな。奴らが見つければ勝手に挑んで来るだろう」
「良いのか? 町ぶっ壊れるかもしんねぇぞ?」
「あぁ、奴らだってバカではない。今までずっと隠れてきたのだ、そう簡単に町中で暴れる事はないだろう」
「そうだと良いけどな」
現に、町中で大騒ぎを起こしている。そのせいでルークは背中に怪我を負い、こうして今も苦しんでいる。しかしながら、それはあくまでもしたっぱの話だ。昨日貧民街で接触した人間が相手となれば、そこまでド派手な事はしないだろうーーただ、これは予想ではく希望だ。
「じゃあ、今日一気に攻めるんですね」
「あぁ、私はそうしたい。しかし、これは私個人の考えだ。他に考えがあるのなら聞くが……どうする?」
誰も口を開かず、ただ無言で頷いた。
目的は違えど、求める結果は皆同じだ。この町に住み着いている奴隷商人、その奥にいるなにかを根こそぎ殲滅する。ここにいる人間は、そのために集まったのだ。
となれば、
「よし、ではその方向で話を進めよう。隊を二つにわけるぞ」
アテナが手を叩き、その瞬間に全員の利害が一致した。
人差し指を立て、指先をルークに向けると、
「町に出る者を言う。まずはルークとソラ、ティアニーズ、アンドラにアキン、そして私だ」
「ちょっと待て! 俺が留守番かよ!」
納得いかないと言いたげにテーブルを叩き、身を乗り出したガジール。
しかし、アテナは至って冷静な口調で、
「ガジールさん、貴方にはここを守る義務がある筈です。奴らが手薄になったここを攻めて来ないとも限らない。現に、昨日出向いている訳ですから」
「うぐ……。そうだな、お前の言う通りだ。怒鳴っちまって悪かったな」
「いえ、私達に任せてください」
アテナに諭され、ガジールは頬をかきながら頭を下げた。ここら辺がルークやアンドラとの違いだろう。自分よりも年下の人間に頭を下げる、なんて行動は絶対に出来ないのだから。
残るは、
「わ、私はどうすれば良いのですか!」
「私はどうすんのよ!」
行く気満々のご様子で声を上げたのは、エリミアスのシャルルの二人だ。最初に名前が上がらなかった時点でお留守番は確定なのだが、どうにも納得していないようである。
アテナは言い辛そうに顔を逸らし、
「言い方は悪いが……その、君達二人は戦力にならないと判断した」
「せ、戦力にならない……」
「い、言い返せない……」
「そ、そこまで落ち込まないでくれ。君達には子供達の面倒を見ておいてもらいたい。そしてケルト、君はガジールさんとともにここを守ってくれ」
「分かりました」
端的に告げられた『弱いから』、という理由に肩を落とす二人。
少しだけ後悔するように苦笑いを浮かべたアテナだったが、直ぐに話を切り替えるようにケルトへと視線を向けた。
ともあれ、これで人選は決定。
攻めのチームと、守りのチームが出来上がった。
ルークは意気揚々と立ち上がり、
「おっしゃ、んじゃとっとと行こうぜ」
「少し落ち着くんだ。行く前に君の傷を見る。ほんの少しだが治療を施す」
「なら早くしてくれよ」
「はぁ……君はこう、どうして落ち着くという事が出来ないんだ」
ルークの意識は、完全に戦闘モードへと切り替わっていた。この状態のルークにはなにを言っても無駄なのである。
アテナはルークの肩を掴んで強制的に座らせると、
「とりあえず出発は一時間後だ。それまでに各自準備と休憩を済ませといてくれ」
アテナの言葉をもって、一旦解散となった。
エリミアス、シャルル、そしてケルトは家を出て子供の元へと向かい、その他のメンバーは各自準備を整えるように動き出す。
そんな中、ルークは一人の少女を見つめる。
こそこそと隠れ、忍び足で家を抜け出そうとしていた桃色の髪の少女だ。
「おい、お前どこ行くつもりだ」
「へ? いえ、あの、ちょっとお散歩に」
「んな事言ってまた一人で行くつもりだろ。ダメだ、お前はここに残れ、俺の側を離れるな」
「そ、側を……。な、なんでそんな事ルークさんに決められなくちゃいけないんですか!」
「良いから、残れっつってんだ」
「う……はい、分かりました」
ルークの真剣な眼差し、そして『俺の側を離れるな』という言葉。それらにときめいてしまったのか、ティアニーズは顔を赤くしながら小さな声で頷いた。
とぼとぼと歩き、ルークの前に腰を下ろす。と、
「ちょ、なんでいきなり服脱ぐの!!」
「なんでって、そりゃ治療するからに決まってんだろ」
「だ、だからって……一言くらい言ってくださいよ!」
「別に裸くらい良いだろ。つか、お前俺の裸見た事あんじゃん」
顔を両手でおおうティアニーズを他所に、ルークはあっけらかんとした様子で服を脱いでいく。ちなみに、ティアニーズは指の隙間から裸体を覗き、隣に座るソラはガン見しています。
ルークはアテナに背中を向け、
「んじゃ頼むわ」
「あぁ。それにしても……グロいな」
「え? そんなに凄いの?」
「説明しようか?」
「止めて、決戦の前にやる気失せるから」
アテナの悪戯っぽい笑みを本気で拒み、ルークは急かすように『早くしろ』と呟いた。
背中にアテナの手が近付き、直後に生暖かい光が背中を押した。じんわりと光が広がり、ゆっくりと背中全体を包み込んで行く。
「それにしても、君は意外と筋肉質なんだな」
「村にいた頃色々やらされてたかんな。それに、ここ最近は嫌でも筋肉がついて来る」
「細かい傷も多い。とてもじゃないが、つい最近戦いに身を投じ始めた人間の体とは思えない」
「そんだけ大変だったって事だろ。今思い出しても嫌になるわ」
「そうか、この旅は君にとって嫌な思い出なのか」
「……嫌な事の方が多い。でもまぁ、悪くはねぇって、ここ最近はたまに思う」
良い事と嫌な事を対比すると、一対九くらいの割合で嫌な事の圧勝だ。でも、だからこそ、些細な幸福が輝いて見えた。小さくて消えそうな幸せでも、その有り難みを知る事が出来た。
ルークにとってこの旅は、これから先も続くであろう旅は、そういうものなのだ。
ティアニーズは指の隙間からルークを見つめ、
「ごめんなさい……。私がもっとちゃんとしていれば……」
「アホかお前は。仮にお前がめちゃくちゃ強くたってなんも変わらねぇよ。俺は勝手に戦うし、勝手に傷つく。それでも俺自身が選んだ事だ。だから後悔はねぇよ」
「でも……」
「それ以上言うと裸で襲いかかるぞ」
「や、止めてください変態!」
指をうねうねといやらしく動かすと、ティアニーズは隠しきれないほどに顔を紅潮させ、逃げるようにルークに背を向けた。
ここで、ルークは気付く。
先ほどから、ソラがこちらを凝視していた事に。
「なんだよ」
「いや、私が思っていたよりも筋肉質で驚いただけだ」
「いや、見すぎだろ。んなのちょっと見りゃ分かんだろ」
「そうだな」
「なぜ目を逸らさない」
「ふん、照れているのか?」
「お前も襲いかかんぞ」
「よし、来い」
最近ちょっとしおらしくなって来たと思っていたらこれである。
先ほどと同じく指を動かすルークに対し、ソラは僅かに頬を染めながら両手を広げた。バッチ来い、とでも言いたげに。
これが乙女とそうでない者の違いだろうか。
ため息をこぼしながら首を動かすと、
「……!」
部屋の隅で小さくなっているアキンと目があった。気になるけど恥ずかしい、という葛藤があるのか、チラチラとルークの裸体を見たり見なかったりを繰り返している。
そこで、鬼畜勇者が怪しく微笑んだ。
基本、この笑みを浮かべる時はゲスい事を考えている時である。
「おいちびっこ、ちょっとこっち来い」
「へ!? な、なんでですか?」
「良いから、こっち来いって」
「で、でも僕準備があるので……それに……」
「あぁ、肩痛いなぁ。誰かマッサージしてくれないかなぁ。困ったなぁ、これから戦いだってのに不安だなぁ」
「う、うぅ……」
「このまま行ったら負けちゃうかもなぁ。どうしよ、大変だなぁ」
「ぼ、僕がマッサージします!!」
アキンは素直でとても優しい良い子なので、困っている人を絶対に見捨てたりはしない。なので、ルークの嘘丸出し演技にもこうして騙されてしまうのである。
勢い良く立ち上がり、耳まで真っ赤にさせながら、
「だ、大丈夫。目を閉じて、肩だけを触る……出来る、僕なら出来る……」
呪文のようになにかを呟きながら、ルークに迫るアキン。
が、ルークは重大な事を忘れていた。絶対に忘れてはならないーー保護者の存在を。
「おうコラ、テメェアキンになにやらそうとしてんだオイ」
「おいルーク、まさかガキで遊んでんじゃねぇだろうなオイ」
アンドラとガジール、お父さんとお爺ちゃんの存在を忘れていたのである。
二人の保護者は空間が歪むほどの殺気を背後からもらし、ルークの前に立ち塞がる。多分、今の二人なら世界だって滅ぼせるだろう。
「い、いや、マジで肩痛かっただけなのよ」
「ほーう、なら俺がほぐしてやるよオイ」
「任せろ、俺のマッサージは凄いぜオイ」
「まてまて、拳にぎるんじゃねーよ。それマッサージじゃなくた殴打ね、ただの暴力ね」
このままでは背中に加え、両肩脱臼という最悪の事態になってしまう。ルークは危険を直ぐ様察知し、慌てて二人を追いやるように手を振った。
お父さんとお爺ちゃんは最後に舌を鳴らし、肩で風を切りながらアキンを連れて離れて行ってしまった。
去った命の危機に安堵していると、
「ルーク、実はずっと気になっていたんだが……」
「あ?」
「君はロリコンなのか? 君の回りには年下が沢山いるが……」
突然の質問にルークは口を開いたまま固まる。そのまま数秒間フリーズしたのち、ゆっくりと辺りを見渡した。
確かに、年下の比率は多い。
ソラの実年齢はともかく、見た目だけなら少女だ。ティアニーズ、エリミアス、アキン、その三人も年下だ。
しかし、
「んな訳ねーだろ。俺はガキなんかに興味ねーよ。俺のタイプはボインで包容力のあるお姉さんだ」
「……それは、私に対する愛の告白か?」
「うんごめん、その考えに至った経緯を話してごらん」
「私の年齢は二十三、そして包容力もある。胸はメレスほどではないが、それなりにはある。つまり、この中でそれが当てはまるのは私だけだ」
「ルークさんびっくりだよ、お前意外と自己評価高いのね」
「ふん、褒めるな」
出会った当初からその片鱗はあったが、実はアテナは見た目よりもずっと抜けている。真面目そうに見えて適当だし、悪戯っぽいところもあるし、完璧超人ではないのだ。
ルークは肩を落とし、遠い目をすると、
「うん、今のは愛の告白じゃないから大丈夫」
「そうか、私も一応女だから愛の告白には憧れがある。だがしかし、今のは雰囲気が足りないな」
「あれ、聞いてるのかな? 違うって言ったよね俺」
「夜景の見える丘で二人きり、そこで指輪を出す。それから二人で肩を寄り添わせ、愛を囁きあう……」
「………………………………なんで普通の女がいねぇんだよ」
もう一つ分かった事がある。
アテナはかなり乙女である。
ただ、ここで勘違いしてもらっては困る。ルークは被害者面してため息をついているが、全部自分でまいた種が原因だし、性格の話をするなら本人が一番破綻している。
そんなこんなで治療を済ませ、ルーク達は決戦へと赴く。
言うまでもないが、治療したのか分からないくらいに謎の疲労がたまっていた。
しかし、やはりこれも自業自得なのである。