七章二十五話 『持ち帰った情報』
「な、なんだそれは」
開口一番、アテナは驚きの言葉を口にした。
今彼女の目に映っているなにかを一言で表すとすれば、上半身を包帯におおわれたミイラ男だ。一応、呼吸のために口と鼻の辺りは開いており、視界確保のために目の周りも器用に避けてある。
多分、恐らく、人間だろう。
ソファーに腰をかけ、なんだか不機嫌そうに目尻が上がっている。
彼、もしくは彼女が誰なのか、初見で見抜く事は難しいだろう。
ミイラ男が、口を動かした。
「なんだじゃねぇよ、俺、ルークだ」
「あぁ、ルークか。すまない、不審者かと思ってしまった」
「こんな怪しい不審者が堂々とソファーに座ってる訳ねぇだろ」
不審者の時点で怪しいのだが、そこら辺はルークも自分がなにを言っているのか理解していない。
ともかく、ミイラ男の正体はルークだ。
なぜこんな事になっているかというと、
「す、すみません。私のせいです……」
「エリミアスの?」
「コイツが包帯巻くってうるせぇからよ、任せたらこうなった」
「それは、その……災難だったな」
瞳に同情の色を浮かべるアテナ。
謎の襲撃者を退けたあと、ソラとエリミアスに引きずられて家に戻ったルーク。とりあえず休もうと一息つこうとしたが、当然二階は真っ黒焦げ。その上ルークはまともに立つ事すら出来ない。
仕方ないのでソファーに座った時、お姫様がこう言った。
『わ、私がルーク様の治療をするのです!』
勿論全力でお断りしたのだが、今のルークにエリミアスを止めるだけの力はない。なので、部屋を勝手に物色するのを見ている事しか出来ず、どこかからか持ち出して来た包帯がルークを襲った。
そんなこんなで、あっという間にミイラ男の出来上がりである。
当然素人のエリミアスが適当にやっただけなので、所々ムラがあるし雑になっている。治療効果があるかと聞かれれば間違いなくないだろうし、なんだったら悪化しているまである。
どうにかこうにか包帯をとろうとしていたら、丁度アテナとケルトが帰って来たのだ。
ルークは喋り辛そうに口周りの包帯を弄りながら、
「つか、以外と早かったんだな。なんか掴めたのか?」
「打開策になるような情報は掴めなかったが、一応奴らの尻尾は掴めたぞ」
「マジかよ。流石団長だな」
「褒めたところで頭を撫でてやるくらいしか出来ない。それより、君の方はなにがあったのだ?」
「変な奴らがいきなり攻めて来た」
「やはりか……戻って来て正解だったようだな」
顎に手を添え、一人納得したように呟くアテナ。ケルトも事情を知っているようで、二人で顔を合わせて頷いた。
「なに、お前らの方もなんかあったの?」
「体から泥を出す男に遭遇した。その男が貧民街に仲間を向かわせたと言っていたのでな、少し心配になって戻ってきたという訳だ」
「体から泥って……お前らもかよ」
「……その口振りだと、君も奇妙な力を見たようだな」
魔法ではない不思議な力を使う人間。体から泥を垂れ流し、それを自在に操るという力。どうやら、アテナ達も同じような力を持つ人間と対面したようだ。
彼らが何者なのかは分からない。が、
「こっちの情報は大体掴んでるってよ。この場所もバレてる」
「あぁ、私達の事も知っていた。流石に騎士団団長という事までは知らないようだったが」
「変な力を使う奴が二人も……訳分かんねぇな」
「いや、二人ではないーー三人だ。顔は見えなかったが、私とケルトは泥を操る人間をもう一人見た」
「三人。ってなると、もっといてもおかしくねぇな」
アテナとケルト。二人とも怪我をしている様子はないので、恐らく逃げられてしまったのだろう。アテナの表情からは悔しさが僅かに見てとれる。
「でも無事で良かった。怪我の事もあるし、もしかしたらと考えていたのだが……」
「俺がそう簡単に殺られるかよ」
「ふむ、そうだな。家も壊された様子はない。突然の襲撃にしては上手く立ち回れたようだな」
「…………」
「どうした?」
露骨に動揺を隠すように顔を反らしたルーク。エリミアス、そしてソラまでもが同じようにどこか明後日の方向へと目を向けた。
アテナは首を横に倒し、それから徐々に目を見開くと、
「……まさか」
一言呟き、ドタバタと足音を立てて二階へと上がって行ってしまった。
顔を合わせる三人。それを見守るケルト。
数秒後、
「な、なんだこれは!」
二階から叫びにも似た声が響いた。
再び騒がしい足音が鳴り、息をきらしたアテナがルーク達の前に滑り込んで来た。珍しく慌てた様子で三人の顔を睨み付けると、
「説明してもらおうか」
「俺のせいじゃねぇ」
「私のせいでもないな」
「わ、私は、その……」
「説明、して、もらおうか!」
年貢の納め時である。アテナの眼力に当てられ、ルークは起きた事を全て事細かに伝える。呆れたような顔をしたり、驚愕の色を浮かべたり、心配そうな顔をしたり、コロコロと変わるアテナの表情を見るのはそれなりに楽しかったが、全ての話が終わると、
「……はぁ、まぁ今回は私もうかつだった。全て君達が悪いとは言わないが……それより、ティアニーズ達はどうした?」
「勝手にどっか行っちまった。今おっさんが探しに行ってるよ」
「……まったく、誰に似たんだか」
「俺じゃねぇぞ、元々そういう奴だ」
お説教する気も失せてしまったのか、アテナは肩を落として大きなため息をつくだけだった。
しかし、二階は悲惨な状況だ。元々置いてあった家具は焼け焦げ、ルークの乱暴なやり方で粉々に砕け、さらには部屋全体が真っ黒焦げになっている。
一応言っておくが、ここはガジールの家である。
「さて、どう説明したものかな」
「んな事より、今はその泥を使う奴らの事だろ。他になんかねぇのかよ」
ルークの中では、他人の家が燃えようとどうだって良いのである。過ぎてしまった事は仕方ない、その一言で全てを片付け、次の話題へと移る。
「恐らく奴らは組織で動いている。数人の幹部が指揮をとり、あとは全て末端だろうな。指示を出すのも幹部、奴隷の受け渡しも幹部、リーダーは自ら動いていないのだろう」
「だから誰も尻尾を掴めねぇと。その上あの変な力だ、いくら騎士団でも殺られちまうか……」
「その力についてなんだが、なにか心あたりはないか? ケルトが言うに、魔獣の匂いがしたというのだが」
「魔獣の?」
アテナとルークの視線を受け、ようやく出番かと言いたげなソラがわざとらしく咳をした。久しぶりに渾身のドヤ顔を披露し、
「分からない」
「分からねぇのかよ。ならそのドヤ顔止めろ」
「仕方ないだろう。私にも分からない事はある。可愛くて偉大な精霊だが、神ではないのだ」
「契約者っつってただろ。精霊となんか関係あんじゃねぇのか?」
「私のその線で考えていたが、アテナの話を聞いて改めたよ」
その質問を受けて、なぜかソラはルークの膝の上に座った。主な痛みの原因は背中なので問題はないが、目の前に白い頭があると殴りたくなるのは、彼女の今までの行いが原因だろう。
無意識に上げていた手を下ろし、
「どゆ事?」
「奴が精霊と契約している可能性はあった。しかし、それがあの男一人ではないとなれば話は別だ」
「複数人と契約は出来ねぇって事か?」
「あぁ、精霊は一人の人間としか契約出来ない。アテナ達が見た人間が同じ力を使っていた事を考えれば、複数の精霊が相手にいる可能性もあるが……」
そこでソラは言葉を区切り、先ほどから落ち込んでいたエリミアスを励ましているケルトへと目を向けた。それから小さく息を吐き、
「魔獣の匂いがした、ならばその可能性も低いだろう。奴らが契約ーー力を借りているのは精霊ではなく、魔獣と考えるのが普通だ」
「魔獣と契約って、んな事出来んのかよ」
「分からない。普通の魔獣では無理だろうな。仮に出来たとしても……ゴルークスのような親の魔獣だけだと思う。しかし、それでも一人が限度だ」
「私もその意見に同意します。精霊が一人の人間としか契約出来ないのは事実ですし、普通の魔獣が人間に力を与えるなんて話は聞いた事がありません」
エリミアスの背中を擦りながら、ケルトがこちらの会話に口を挟む。記憶喪失のソラだけでは不安だった信憑性が、彼女の言葉でほぼ確定的なものになった。
となると、
「普通じゃない魔獣なら出来るかも……って事だよな」
「あぁ、それも可能性の話だがな」
普通ではない魔獣ーーそれが当てはまるのは魔元帥だけだ。ルーク達はそれを良く知っているので、この場にいる全員が同じ事を考えているだろう。
もしかしたら、奴らがこの町にいるかもしれない。
ルークは自分の中でなにかが燃え上がるのを感じていた。
しかし、それを一旦押し留め、
「でもよ、魔元帥一人で複数人と契約って出来んのか? つか、そんな事出来るならなんで今までやってこなかったんだよ」
「前者に関しては分からないが、後者に関しては貴様も知っているだろう。ウルスのような例外もあるが、魔元帥は基本的に人間を見下している。そんな相手に力を貸すと思うか?」
「貸すメリットがねぇって事か。個人主義とか言ってたもんな」
今までルーク達が戦えて来ていたのは、魔元帥が集団行動をしなかった事が大きな一因だ。デスト、ウェロディエ、ユラ、この三人は人間を餌か道具としてしか見ておらず、無駄な感情を一切持っていなかった。
貸す必要がない、貸す価値がないから貸さなかった。そう考えるのが普通だろう。
しかし、
「ここにいるかもしれねぇ魔元帥は人間に力を貸してる。利用価値があるって事か? それとも脅されてるとか」
「あの男が脅されてるように見えたか? 私には好き勝手しているようにしか見えなかったぞ」
「こちらもだ。なにかに縛られているような息苦しさは感じなかった」
「つー事は、自分の意思で力を貸してるって事かよ」
今さらだが、本来は魔元帥がいると聞いた時点で怯えるのが普通だ。もしくは、そんな筈がないと現実逃避する者もいるだろう。
しかし、もうそんな次元はとっくの昔に過ぎている。
魔元帥がいるのを前提として行動するーーそんな異常な思考にたどり着いているのだ。
今までの旅、そして魔王の復活。
ここまでくればルークだって認めざるを得ない。
望まずとも、魔元帥は問答無用で関わって来ると。
ルークは乱暴に包帯におおわれた頭をかきむしり、
「しかも魔元帥が何人もいるかもしれねぇんだろ?」
「そこなんだが、それはないと思う。先ほども言ったが奴らは基本的に人間を見下している。今さら力を貸すとは思えん」
「あぁ。特に魔元帥だ、そう簡単に考えを改めるとは思えない」
「となると……」
ルークは考える。今まで出会って来た魔元帥、そして聞いて来た魔元帥の事を。
ウェロディエ、デスト、ウルス、ユラ、ニューソスクス、ケレメデ、そしてメウレス。
以前ビートが言っていたが、魔元帥は全部で八人いるらしい。今現在ルークが知っている魔元帥は七人。
つまり、
「ーー最後の魔元帥」
「あぁ、私達がまだ知らない魔元帥がこの町にいるかもしれない」
ゴクリ、と生唾を飲み込む音が聞こえた。
今までのルークならば、余裕な態度で『ぶっ潰してやる』などと言っていたのかもしれない。だが、今は違う。
その脅威を、強さを、正確に理解したからだ。
黙り込んでしまったルークの代わりに、アテナが口を開く。
「その魔元帥が組織のリーダーという可能性は?」
「ある。が、目的が分からないな。ただの奴隷商人に力を貸したところで、奴らに得があるとは思えん」
「しかし、力を貸している。なにかの目的のためか、それとも戦力の確保か」
「どちらにせよ、その組織を潰す理由は出来た。商人はともかく、魔元帥だけはここで殺しておく必要がある」
「殺す……か」
アテナの含みのある言い方に、その場の全員が本当に言いたい事を察した筈だ。
その殺すという言葉は、以前とは意味が違う。
ルーク達は見たからだ。魔王が、殺した筈の魔元帥を簡単に生き返らせるのを。
「まったく、ここまで打つ手がないのは困りものだな。殺したところで復活する、無駄に疲れるだけだ」
「それでもやるしかねぇだろ。今はまだ勝つ方法はねぇ、けど、やらねぇとなにも始まらねぇ」
「あぁ、その通りだな」
ルークの言葉に、ソラは小さい笑みを浮かべて頷いた。
たとえ復活するとしても、このまま放置する訳にはいかない。殺すという行動自体が無意味だとしても、ルーク達にはそれしか出来ないのだ。
次から次へと訪れる厄介事に頭を悩ませるルーク達。
すると、突然家の扉が開き、
「戻ったぞオイ」
「戻りましたっ」
ぶっきらぼうな態度、元気の良い挨拶、現れたのはアンドラとアキンだった。その後ろには一緒に出て行ったシャルルもおり、そしてーー、
「あの、すみません。勝手に抜け出してしまい……」
探し人であるティアニーズもそこにいた。申し訳なさそうに体を縮こまらせ、覇気のない様子で三人に続いて家の中に足を踏み入れる。そして、顔を上げたティアニーズの視線はルークで止まり、その瞳が大きく揺れた。
ルークは思う。やっちまった、と。
「ル、ルークさん! どうしたんですかそれ!」
「うるせぇよ、いきなり大声だすな。これは、あの……階段から落ちた」
「大丈夫なんですか!?」
「大丈夫だっての」
アンドラ達を乱暴にかき分け、ソファーに座るルークへと駆け寄るティアニーズ。上半身を余す事なく包帯をおおわれているので、どこを触れば良いのか分からずに手を泳がせている。
実際痛いのは背中だけなのだが、こうなったのはお姫様のせいである。
「本当に、本当に大丈夫なんですか? どこか痛いところとかないですかっ」
「背中以外大丈夫だっての。心配し過ぎ」
「でも、でも!」
「階段から落ちたくらいで騒ぐんじゃねぇよ」
迫るティアニーズから逃げようとした時、電力が背中を駆け抜けた。痛みに顔をしかめたが、それは包帯のおかけでバレていないようだ。震える声を出来るだけ抑え、
「つか、お前どこ行ってたんだよ」
「それは……」
「奴隷商人探しに行ってたんだろ」
「は、はい。すみません……勝手な事をしてしまい」
「う……はぁ」
素直に謝るティアニーズを見て、ルークはどうすれば良いのか分からなくなってしまった。以前のティアニーズならば、『ルークさんだって勝手にどっか行くじゃないですか!』とかなんとか言いそうだが、今の彼女は本気で謝っていた。
「……とりあえず、別になんともねぇから」
「本当ですか?」
「おう」
「本当に本当に本当ですか?」
「大丈夫だっつってんだろ」
「なら、信じます……」
大粒の涙をため、さらに上目遣い。
ルークは思わず顔を逸らし、誤魔化すように『おう』と小さい言葉を吐いた。
多分、全員が気付いていただろう。階段から落ちた程度ではあそこまで酷くはならないーーまぁ、治療を施した人間のせいもあるのだが、そこまでルークの体はもろくない。
しかし、ティアニーズの様子を察し、誰一人疑問を口にする者はいなかった。
そして、それはアンドラもだった。
ティアニーズが誰といたのか、それをルークに伝える事はなかった。
……ちなみに、帰って来たガジールに叱られたのは言うまでもない。
適当に魔法の練習をしてたとか言って誤魔化したが、当然ーーいや当然ではないが、アンドラがその暴力の餌食となっていた。