七章二十三話 『異形の力』
「……契約者…………?」
聞き覚えのある言葉だった。
ルークは、その言葉を精霊と契約した人間を指す言葉だと認識している。
そして、男は自分とルークが同じだと言った。
それはつまり、
「テメェ、まさか精霊と契約してるってのか……」
「精霊? まぁ、似て非なるものっつーか、大体同じだな」
「ならその精霊はどこにいる」
「言う訳ねぇだろ。アイツは色々と忙しいんだよ」
ソラ以外に精霊がいるとしても、さほど驚く事実ではない。旅をして知ったが、精霊とは案外そこら中に存在しているのだから。しかし、目の前のあれが同じ存在だとは思えなかった。
ソラ、リヴァイアサン、ケルト、見てくれはまったく違うけれど、基本的には人を守るという役目をもって存在している。
けれど、目の前の男は違う。
明らかに、人を殺すためだけに力を行使していた。
「精霊ってのは、人を見守る役目をもった存在なんじゃねぇのかよ」
『私の少ない記憶ではそう認識している。しかし……いや、奴を捕らえて聞けば済む話だ』
「だな」
たとえ相手が精霊の力をもっていようが、やるべき事はなに一つ変わらない。それに、もしかしたら精霊に話を訊き、それがソラの力を取り戻すヒントになるかもしれない。
であれば、
「テメェをぶっ飛ばす」
「これ見ても引いちゃくれねぇか。そりゃそうだよな……んじゃ、こっからが本番ーーだ!!」
飛び出した男に合わせ、ルークも地面を蹴って走り出す。
土をまとった巨大な腕、そして勇者の剣が真正面から激突した。激しい風が辺りに吹き荒れ、衝撃波が木々や花壇をなぎ倒す。
「うおっ、マジか、この力使っても押し負けんのかよ……!」
「残念だったな、こちとらバカみてぇに修羅場くぐり抜けて来てんだよ!」
切っ先が土の塊にめり込んだ。ピキピキ、と切っ先が入った箇所から亀裂が広がり、ルークはさらに力を込めて剣を押し込む。
男は腕を引き、一旦距離をとろうと後ろに飛ぶが、
「逃がすかよ!」
「しつけぇな!」
逃がすまいと踏み込み、距離をとる事をルークは許さなかった。男は咄嗟に反対の手を振り上げて防御の姿勢をとるが、そこへ再び剣を振り下ろす。
力にしろスピードにしろ、上なのはルークだった。元々の身体能力の差もあるが、恐らく契約した精霊のスペックの問題だろう。
『ルーク、あと二分弱だ。それまでに決着をつけろ』
「りょーかい!!」
ベギベキ!と鈍い音が生じ、一気に振り下ろした剣が土の腕を砕く。動揺する男の顔をしっかりと視界にとらえながら、ルークはさらに一歩を踏み出す。
懐に飛び込み、体を捻る勢いを加え、
「ダァァラァ!!」
「ゴ、ブァッ!」
脇腹を抉るようにして、剣を叩きつけた。
男の足が地面を離れ、その体が宙に浮く。しかし、その瞳から闘志は消えていなかった。痛みを抑えるように顔を歪めながら、土の塊を振り上げた。
「な、めんじゃねぇぞォォ!!」
雄叫びの直後、ルークの顔面に振り下ろされる。
直撃。
しかし、
「軽いパンチだな、えぇ?」
男の表情に驚きが混じる。
なんて事はない、土の塊を片腕で受け止めただけだ。確かに痛みはあるし、受け止めた腕が痺れて変な感じにはなっているが、正直この程度これまで幾度となく受けて来た。
魔元帥の一撃に比べれば、軽いものなのだ。
「ふっとべ!!」
ルークは構わずに剣を振り抜いた。
男の体はくの字に折れ曲がり、割れた土の破片を撒き散らしながら高くの跳ね上がる。そのまま空中でもがくように手足を振り回していたが、抵抗むなしく地面に叩きつけられた。
相手が悪かった、としか言いようがない。
珍しい事に、ルークは普通の魔獣と戦う機会が極端に少なかったのだ。そのかわり勇者の宿命なのか、理不尽な魔元帥との戦闘ばかりを経験してきた。勿論加護のおかげもあるだろうが、それと比べれば大した事のない相手なのだ。
「いってぇ、手が痺れた」
『わざわざ受けるからだろう。回避すれば良かったものを』
「うるせ、真正面からねじ伏せなきゃ意味ねぇんだよ」
痺れた手を振りながら、ルークは倒れている男に接近する。
男は脇腹を抑え、口から血を溢しながらも、体を引きずるようにして立ち上がった。
「ぐ、……冗談きついぜ。こんな野郎と殺りあうなんて聞いてねぇぞ」
「テメェのせいだろ、自分が強いと思ってっからそーなんだ。喧嘩売る相手を考えろ」
「その通りだな。でもまぁ、俺にも意地ってもんがある……それに、やられて帰ったんじゃあとが怖いしな」
「帰れねぇし、帰さねぇよ。いや、俺をソイツのところに連れて行け」
「その冗談笑えねぇぞ?」
「冗談じゃねぇよ、テメェらのボス潰せばそれで万事解決だろ」
力なく微笑む男に、ルークは適当に言い放つ。わざわざこんな回りくどい事をせずとも、ボスを倒せばはい終了。ルークの思考は子供と変わらないのである。
「残念だがそれは出来ねぇ相談だ。一応こっちにも守秘義務ってのがあるんでね」
「んなの俺が知るかよ。どのみちここでテメェは終わる、喋っときゃ少しくらい罪が軽くなるかもしんねぇぞ?」
「捕まる気はねぇ。が、流石にこれはまずいよな、勝てる気が全然しねぇ……。って事でーー」
油断していた訳ではない。けれど、ルークは一瞬反応に遅れてしまった。
残された左腕にまとわりついている土がうねり出す。固まっていた土は水を含んだように崩れ、再び別の形を形成して行く。男の腕を離れた土は、今度は赤子の頭くらいの玉に変化した。
そして、
「悪人らしくセコい手を使わせてもらうぜ」
言った瞬間、土の玉が一気に射出された。
狙いはルークではなかった。その横を通り過ぎて、違うなにかーーいや、誰かに向けて真っ直ぐに突き進む。
自分の後ろに誰がいるのか、考えるまでもない。
「ーークソ!!」
考えるよりも早く動き出していた。立ち尽くすエリミアスに向かって放たれた土の塊。なぜかは分からないが、それを斬るという方法が頭に浮かばなかった。
エリミアスの前に立ち、彼女を守るように抱き締めた。
その直後、背中に土の塊が直撃した。
「あぐ、ガァバァッッ!?」
加護の影響で抑えられていた痛みが、外部から与えられた衝撃によって呼び起こされる。激痛に脳も体も支配され、なにが起きているのか分からなくなった。視界が真っ白に染まり、背中が焼けるように熱い。背中だけではない。身体中の至るところで、熱が暴れ回っていた。
「が、ぅ……はぁ……」
「ルーク様! ルーク様!」
『おいルーク! しっかりしろ!』
耳鳴りが酷く、なにを言っているのか聞き取れない。分かるのは、ただ痛いという事だけだった。
膝が折れ、崩れるようにその場に膝をつく。
その様子を見て、男は不思議そうに首を傾げると、
「なんだ、怪我でもしてんのか? こりゃあもしかして、勝てる見込みがあるって事か?」
完全に失われていた戦意が、男の瞳に戻る。再び身体中から泥が溢れ、腕をまとうようにして土の塊が装備された。男だって無傷という訳ではない。脇腹に打ち込まれたダメージはある。が、それ以上に、このチャンスを逃すべきではないと思ったのだろう。
あの青年を殺すチャンスは、ここを逃せば二度と巡って来ないと。
「離れ……てろ」
「ルーク様、もう無理をなさらないでください!」
「へーきだっつってんだろ……。こんなの、唾つけときゃ治る」
「ダメなのです! そんな体で戦ったら、本当に死んでしまいます!」
目の前にしゃがみこむエリミアスの肩を押し、剣を支えにしてなんとか立ち上がる。
目がほとんど開いていなかった。暗い闇のそこへ引っ張られるような感覚、恐らく目を閉じてそれに身を任せれば、自分はここで死んでしまうーーそう思ったから、ルークは必死に抗う。
「卑怯な手使いやがって……」
「勝負ってのは勝ちゃなにしても許されんだよ。それに、勝手にその女を守ったのはお前だろ」
「バカ言ってんじゃねぇぞ、俺は守ってなんかいねぇ。テメェへの嫌がらせだ」
「嫌がらせ?」
「おう。テメェのやる事全部ぶっ潰して圧倒的な敗北を突き付ける、そうすりゃぐうの音もでねぇだろ」
『清々しいほどのツンデレだな』
ルークは今自分がなにを言っているのか正確には理解出来ていなかった。なにかしていないと寝てしまいそうなので、とりあえず口を開く動作をしたら言葉が飛び出しちゃったーーくらいの感覚なのである。
男は二つの土の塊をバシバシと合わせ、拍手をするような仕草をとると、
「お前本当におもしれぇ奴だな。ここで殺すのは勿体ねぇ……どうだ、俺と一緒に来ねぇか?」
「は?」
「俺達と一緒に金儲けしようや。欲しいものならなんでも手に入る、そうだな……たとえば酒、女……なにが欲しい?」
「なに言ってんだテメェ。金なんかありすぎたって意味ねぇんだよ」
男の誘いに乗れば、これからなに不自由なく暮らせるのだろう。しかし、ルークは考えるまでもなくその誘いを断った。
犯罪だからとか、そういう理由ではない。
「俺が欲しいもんは、テメェらといたって手に入らねぇ」
「世の中金さえあればなんでも手に入る。良く愛は買えねぇって言うが、愛を維持するのにだって金は必要だ。世の中金なんだよ」
「それは俺も同感だ。けどな、それでも無理だ。俺の欲しいもんは普通の生活だ、平凡で可もなく不可もなく、特に山場もねぇ普通の生活なんだよ」
勘違いしてもらっては困るが、ルークは贅沢がしたい訳ではない。普通で、平凡で良いのだ。有り余る金も、広大な敷地も、とっかえひっかえ出来る女も、別に欲しくもなんともない。
普通という、一番難しくて簡単なものーールークが欲しいのはそれだ。
「テメェらについてってみろ、毎日騎士団と追いかけっこして、こうして暴れて……これのどこが普通なんだよ。無駄に疲れるだけだろーが」
「……全部だ、全部手に入るんだぞ? お前は目の前にあるそれを手離すのか?」
「いらねぇよ。俺の欲しいもんは自分で手に入れる。金も家も女も、人から与えられた偽物なんていらねぇ」
ルークが戦う理由、それは平凡な生活を勝ちとるためだ。以前交わしたバシレとの約束により、ルークは魔王を倒せば普通の生活を手に入れられる事になっている。
それらを得るために、ルークは今も戦っているのだ。
「分かったらとっととかかって来い。テメェらがなにをしようとしてるのかなんて知らねぇ。だがな、俺に喧嘩売ったんだ……全部失う覚悟くらい決めて来い」
ルークの言葉を聞き、男は呆気にとられたように口を開いて固まった。数秒間その状態が続き、やがて男は口を開く。ゲラゲラと汚い笑いではなく、静かに口角を上げて。
「なるほどな、そりゃ強い訳だ。まいった、今回は俺の負けにしといてやる」
「は? まだ終わってねぇぞ」
「いやいや、もう終わりだ。お前の言う通り俺は覚悟が足りなかった。なにがあってもこの生活は続く、そんな気楽な気持ちでここへ来たんだが……どうやらその時点で負けてたみてぇだな」
男の笑みは清々しさを感じさせる。
潔く負けたと口にし、スッキリしたようだった。腕に巻き付いていた土がボタボタと地面に落ち、男は腕を伸ばして大きく息を吸い込んだ。
「つー訳で、今回は引いてやる。だが今回わ、だ。次に来る時は俺も全部失う覚悟で来る、そん時にまた決着つけようや」
「ざけんな、ここまでやっておいて逃がす訳ねぇだろ。つか、勝手に負けたとか決めてんじゃねぇよ」
「俺が負けたのは武力じゃねぇ、お前の覚悟に負けたっつってんだよ。大人しく受け取れ」
覚悟、と言えるほど格好いいものではない。
村の出てからのルークの旅は、負ければ全てが終わりという過酷なものだった。次にまた頑張れば良いとか、そんな甘い考えは通用しない世界。そこに身を置き、それでも生きてこれたのは、強いというだけではなく運の要素もあっただろう。
負けは死を意味する。文字通り、全てを失う。
それをハッキリと理解していた訳ではないけれど、無意識の内に生まれていたのかもしれない。
あの日、自分の進む道を選んだ日から、必ず生き残るという覚悟を。
「そういう事だ、今日は帰らせてもらう。骨も何本か折れてるみてぇだしよ」
「だから待てっつってんだろーー!?」
「お前も怪我してんだろ? 今度調子良い時に決着つけようや」
伸ばした手が地面に落ちる。今までも暴れ回っていた痛みが、さらに激しさを増した。身体中に痺れが回り、もうどこが痛みの原因なのか分からなくなるほどに。
そこへ、ソラの呟きが耳に入った。
『タイムリミットだ。もう私の力で痛みを抑えていられない。奴の言う通り、ここは勝ちを貰っておくべきだ』
「うぐ……んなの、納得いかねぇ」
「これ以上戦うというのなら、私にも考えがあります! ルーク様の背中を思いきり叩きますよ!」
「いや、マジで死んじゃうからそれ」
「ルーク様を止めるためなので仕方ありません」
「方法が目的を通り過ぎちゃってるよそれ」
腰に手を当て、激おこの様子のエリミアスが前に立ち塞がる。ほんのりと頬を濡らしているのを見るに、知らない間に泣いていたのだろう。
この瞳をルークは知っている。テコでも動かないという、覚悟の決まった時の瞳だ。
「私は本気です。たとえ命を奪ってでもルーク様を止めてみせます」
「どんなヤンデレだよ。止めて、ツンデレとヤンデレに挟まれたら俺体がもたない」
「でしたら、ここは大人しく引いてください。今は傷を癒す事に専念するのです」
「はぁ……わーったよ、今回だけは大人しく引いてやる」
根負けし、ルークはため息をつきながらエリミアスの言葉に頷いた。
エリミアスは嬉しそうに頬を緩め、しかし直ぐに引き締めて振り返ると、男を睨み付ける。
「私達の勝ち、という事でよろしいですね?」
「あぁ、今回はな」
「でしたら、ここを出て行ってください。今度会う時は、私達自ら会いに行きます」
「大きく出たもんだな。まぁ、そっちの男もそのつもりらしいし……楽しみに待ってるわ」
そう言って、男は後ろ手に手をヒラヒラと振りながら去って行ってしまった。
残されたルークは、安心感からその場に倒れこむ。その瞬間にも痛みが爆発したが、もうなにがなんだか分からない状態になっていた。
「めっちゃいてぇ……痛風ってこんな感じなのかな」
「なにをバカな事を言っている。早く家の中に戻るぞ。エリミアス、手伝ってくれ」
いつの間にか人間の姿に戻ったソラ。
倒れるルークの側により、悲鳴をわざと無視するようにその腕を掴んだ。
しかし、エリミアスの様子がおかしかった。頬を染め、なんだかもじもじしている。
「どうした? 私一人でルークを運ぶのは難しいんだが」
「い、いえ、その……お父様以外の男性の方に抱き締められたのが初めてで……」
「……俺抱き締めたの?」
「お、覚えていないのですかっ?」
覚えていません、とルークは正直に口にした。
というか、土の塊を背中に受けた前後の記憶が見事に吹っ飛んでいるのだ。気付いたらエリミアスが目の前にいた、くらいの記憶である。
「んな事どうでも良いから、とりあえず運んでくれ」
「分かりました……」
残念そうに肩を落とし、唇を尖らせながらエリミアスもルーク運送に手を貸した。
二人の肩を借り、なんとか立ち上がったルークだが、背丈に差があるので非常に歩き辛い。フラフラと歩いていると、
「……俺達は手を貸さないぞ」
そんな呟きが耳に入った。誰が言ったのか、どんな気持ちで言ったのか、それを確かめようとはしなかった。
ソラも、エリミアスも、聞こえていた筈なのだが、なに一つ言葉を発する事はなかった。