七章二十一話 『接触』
「さて、町に出てきたは良いが……」
貧民街を出て市街地までやって来たアテナとケルト。
早速商人探しに乗り出そうとしたのだが、アテナはここでとんでもない事に気付いてしまった。いや、普通なら家を出る前に気付くべき事なのだが、彼女も他のメンバー同様、少々焦っているのかもしれない。
とはいえ、やる事はやらねばならない。
首を動かし、横に立つケルトへと視線を向ける。なにを見ているのかは分からないが、首は真っ正直を向いて動く気配がない。
……そう、彼女は仮面をつけているのだ。
(参ったな、これでは悪目立ちしてしまう)
付き合いはそこまで長くないにせよ、アテナはもうこの仮面女子になれてしまっているが、他の人間から見ればちょー怪しいのである。
現に、周りの視線を悪い意味で集めてるもん。
(いやまぁ、見方によってはその怪しさが武器にはなるのだが……相手次第だな)
仮面をつけた謎の人物。良く見れば胸の辺りが膨らんでいるので性別は判断出来るが、それ以上の情報がまったく読み取れない。カムトピアでの戦闘で欠けてしまったらしい仮面は修復しておらず、が白い布とってつけたように貼り付いている。
ケルトが不意にこちらを向き、
「どうかなさいましたか?」
「あぁ、いや、なんでもない。……私の腕次第か……」
ボソリの呟いた言葉の意味を理解出来なかったのか、ケルトは不思議そうに首を傾げた。
二人は適当に町を歩く事にした。
明らかに怪しい人物であれば、アテナはそれを見抜ける自信がある。そして、危機関知に関してはケルトも中々のものをもっている。
なので、とりあえず進むという答えにたどり着いたのだ。
「ケルト、君は奴らについてどう思う?」
「どう、と申しますと?」
「ガジールさんやアンドラの話を聞く限り、奴らはこの町をほぼ支配していると言っても過言ではない。それほどまでに組織のリーダーは頭がキレる人間だと思うか?」
「そうですね……騎士団でさえ尻尾を掴めていないとなれば、頭が良いというより、逃げ足が早いのではないでしょうか」
「ガジールさんがこの町に来たのは戦争よりも前。つまり五十年以上前という事だ。奴らのリーダーはそれより前にこの町に住み着いているとすれば……年齢は相当いっている筈なのだが……」
ガジールの年齢は分からないが、恐らく七十台後半といったところだろう。子供のような笑みと元気いっぱいにアンドラを殴っていた事を考えれば、もう少し若く見えてしまう。
となると、組織のリーダーはそれよりも年齢が高い可能性がある。
「そんな人間が五十年も販売のルートを保持出来ると思うか?」
「それだけ顔が効く人間、という事ではないでしょうか?」
「まぁ、長くいれば顔も知れ渡るか。だが、末端はリーダーの顔も知らないと言っていたぞ」
「……まとめ役がいない可能性は?」
「……なるほど、その可能性もあるな。奴らは数人で動いている。だから毎回同じ人間が指示を出している訳ではない」
どちらにせよ、厄介なのは間違いなかった。
この町の奴隷商人を仕切っているのが一人ではなく数人だとすれば、それを全て捕らえなければならない。もし一人でも逃してしまえば、恐らくまたどこかで同じような商売を始めるに決まっている。
そしてそうなってしまえば、捕まえる事は難しいだろう。この町にいる筈の人間を五十年も捕まえる事が出来なかった事を考えれば、外に出た場合……考えるでもなく負けだ。
「なんとしてでもここで奴らを捕まえる。そのためには慎重に、しかし強引な手をとる必要があるな」
「一番簡単なのは奴隷を閉じ込めている場所を叩く事ですね。商売道具がなくなれば、組織は動かざるを得なくなる。そうなれば、嫌でも尻尾を出してくれると思います」
「……だから薬を作っているのかもしれないな」
こめかみに人差し指を当て、アテナは静かに呟いた。辺りに注意を払いつつ、
「奴隷販売という商売が続けられなくなれば、奴らは多額の金を得る事が出来なくなる。その代えとして薬を作っているのではないか?」
「筋が通りますね。しかし、そこまでしてお金を得てなにがしたいのでしょうか?」
「それは分からない。金というのはあればあるほど幸せになる。たとえ使わずとも、持っているだけで安心感が生まれるものなんだよ」
「精霊の国にはお金なんてありませんから、私にはその重要性があまり理解出来ません」
「精霊の国?」
聞きなれない単語に、アテナは思わず驚いたように顔を上げる。
ケルトは相変わらずの調子で前を向きながら、
「場所は言えませんが、私達精霊が暮らす国です」
「金がないのか? それではどうやって生活をしている?」
「精霊はお金を使いません。食事をとる必要はありませんし、人間のようにお洒落もしませんから」
「……あれ、しかし君は普通に食事をとっていたような……」
「空腹にならなくても味覚はあります。それに、折角出していただいたものを食べないのは失礼になりますから」
驚きしかなかった。一番近かい精霊はソラだが、腹が減ったとうるさいしバカみたいに牛乳を飲んでいたので、空腹にならないなんて考えた事がなかったのだ。
まぁ、あれを精霊の代表として考える事事態間違っているのだが。
「その、暇ではないのか?」
「暇です。一日中家にいるか誰かと話をするか、それくらいしかやる事がありません」
「それは、なんというか……私は耐えられないな」
「ですが、中には食事を作ったり服を作ったりする精霊もいます。あまりにも暇なので、人間を真似ているんです」
「精霊が人間を真似る? ……はぁ、精霊は崇める存在だと思っていたのだが……どうやらそうでもないらしいな」
「精霊は人間を見守るために作られた存在ですから、先にうまれたのは人間の方です」
今の話を全て合わせると、精霊は食っちゃ寝を繰り返し、時には趣味に勤しみ、時には人間を見たり。ニートと呼ばれる存在と完全に合致しているではないか。
だが、納得している自分もいる事にアテナは気付く。
なにせ、白い頭の精霊を見て来たのだから。
そのごも他愛ない会話をしつつ進んでいると、二人は同時に足を止めた。二人の視線の先には男がいた。フラフラと足元がおぼつかない足取りで、大通りから細い路地に入って行く。
「アテナさん」
「あぁ、間違いないな。しかしこうも簡単に見つかるとは……一回この町を騎士団全員で調べるか……」
まだ確定ではないが、こんな昼間から犯罪者がうろうろしているなんて普通ではない。色々な場所を旅して来たアテナですら、こんな異常な町は初めてである。
とりあえず自分の不甲斐なさは放置し、二人は男に続いて路地裏へと足を踏み入れた。
どこの町もそうなのだが、一本道を逸れただけで雰囲気がガラリと変わる。路地には地べたに寝ている男や、壁に頭を打ち付けているヤバい男が見える。女同士が掴みあって喧嘩していたりと……ともかく、別の世界が広がっていた。
「全員話を聞いておきたいところだが……今はあの男を追う事を優先しよう」
長く騎士団を離れて世界を放浪していたとはいえ、根っこの部分は悪事を許せない正義の塊だ。全員しょっぴきたい気持ちを抑え、アテナ達はさらに奥へと進んで行く。
(奴隷をとりに行くのか売り手に会いに行くのか。どちらにしても、逃す訳にはいかないな)
緩んでいた気を引き締め、さらに男を追いかける。
今の二人は、良くも悪くも人の目を集めていた。ケルトの仮面や他の人間と違う綺麗な衣服は除いたとしても、明らかに他とは違う雰囲気を放っている。
特にアテナだ。その容姿もさることながら、まとっている空気が異常なのだ。女性としても美しさや気品を抑え、強さが全面に出ている。しかしそのおかげで、誰一人近付こうとはしない。
ようするに、高嶺の花なのだ。
恐らく、今ルークの好みの女性に一番近いのはアテナだろう。次点でメレス。ただ、あの魔法使いは絶望的に中身が残念なので、あまり異性としては意識されていない。
「止まったな……」
しばらく進むと、男が足を止めた。二人は物陰に隠れ、その様子を静かに見守る。
すると、奥からもう一人の男が現れた。首の周りに鎖を巻いた黒髪単髪の男だった。その男を見た瞬間、アテナの直感が叫んだ。
あれは違う。今まで見て来たチンピラとは別物だと。
「ケルト、恐らくビンゴだ」
「…………」
「どうした?」
「いえ、魔獣の匂いがします」
「魔獣? あの男は魔獣なのか?」
「恐らく、いや間違いなく人間だと思います。ですが……なんというか、他の人間とは違う」
人型の魔獣かとも思ったが、ケルトの言葉を聞く限りそうではないようだ。ただ、アテナも同じような事を思っていた。強者が放つ雰囲気とは違う、粘つく嫌な空気があの男にまとわりついている。
「ここでは話が聞こえないな……」
「もう少し近付きますか?」
「いや、流石にこれ以上近付くとバレてしまう」
奥で二人の男がなにか話しているようだが、会話の内容が耳に入ってこない。かといって近付けばバレるだろうし、二人は大人しくその場で耳を傾ける事しか出来ない。
「……仕方ない、こうなったら接触をーー」
その場を飛び出して行こうとした瞬間、二人の男に動きがあった。
しかし、普通ではない、異常な動きだった。そのせいで、アテナは動く事を忘れてしまった。
ーー男の持っていた鎖が、もう一人の男の胸を貫いていた。
「ーーな」
血飛沫を上げ、男が倒れる。ピクピクと体を痙攣させながらなにかを喋ろうと口を動かしていたが、やがて力尽きたように動かなくなってしまった。
鎖についた血を払い、男が体の向きを変えた。
ーーこちらに向け、笑みを浮かべる。
「出て来いよ。クソが、あとつけられやがって」
「……気付いていたのか」
躊躇う様子もなく、二人は物陰から姿を現した。隠れても逃げても意味がない、そうでは判断したからだ。どの段階から気付いていたのかは分からないが、男は確実にこちらの存在を感知していた。
男は動かなくなった男を引きずり、壁際に寄せると、
「そりゃ気付くだろ。と言いたいところだが、いつもの俺なら気付かずにあとつけられてただろうな」
「それは、どういう意味だ」
「別に。話す必要ないだろ? でもまぁ、お前らが来るって事は大体予想出来てた。けど女二人っての予想外だけどな。俺はてっきり男だと思ってたよ」
「私達の事を知っているのか……?」
「いや、会うのは今日が初めてだ。どこかで見かけ記憶もないし、オタクらもそうだろ?」
初対面だと断言出来た。流石に今まで会った全ての人間の顔を覚えている訳ではないが、あれだけ異常な雰囲気を持つ男を忘れる筈がない。
今、この瞬間アテナの記憶に男の存在が刻みこまれた。
先手を打たれて一瞬動揺したが、アテナは直ぐに頭を切り替える。
「隠しても無駄ならば訊こう。君は奴隷商人だな?」
「あぁ、その通りだ」
「君がリーダーか?」
「いや、俺はリーダーじゃない。俺の担当は雑用、あとは配達。したっぱって訳じゃないけどな」
「そうか、それだけ聞ければ十分だ」
言って、アテナは意識を切り替える。会話から、相手を拘束するために。
男もそれに気付いたのか、目付きが変化する。
しかし、その口元は笑みを浮かべていた。
「なにを笑っている」
「いや、ここまで事が上手く運ぶのは楽しいなって思っただけだ」
「……なに」
「こういう風に全部予想出来て動けりゃ、さぞかし上手い感じに生きられるんだろうなぁ。ま、俺頭悪いから無理だけどよ」
なにを言っているのかは分からなかったが、アテナとケルトは異変を察知した。背後に気配を感じる。それも一人ではなく、かなり大勢の気配だ。振り向かずとも分かる、背後に武器を持った大勢の人間が立っているのだと。
恐らく、さっき路地で寝転んでいた男達も混じっている。初めから気付かれていた訳ではないだろうが、いつなにが起きても良いように人を配置していたのだろう。
「上手くあとをつけたと思ってるみたいだが残念だったな。全部こっちの思い通りだ。流石に俺のところに来るって事までは予想出来てなかったが……ま、大方予想通りだ、じょーできじょーでき」
「なるほど、はめられた訳か」
「そゆこと。一応この町の事なら大体把握出来てるんだわ。だからオタクらみたいなのがいるってのも直ぐに分かった」
「だが、私達が何者なのかは掴めていない」
「正解。昨日の騒ぎを起こした男の仲間ってのは知ってるけど、それ以外はなーんも知らない」
男の口振りからして、アテナ達が動いていると予想した人間は他にいるのだろう。あくまでもこの男は雑用、ようするに邪魔者を排除する係だ。
そして、こちらが何人で動いているのかはまだ知られてはいない。
恐らくだが、男達が掴んでいる情報は邪魔者がいる、あとはその邪魔者が昨日の騒ぎと関係しているーーくらいのものだろう。
となれば、ここで叩く必要がある。
潜伏先がバレるような事は絶対に避けなければならない。
もし、今攻められるような事になればーー。
「仕方ない、少し力づくで行くとしよう。加減は出来ないぞ」
「勘違いしてるみたいだけど、俺は戦わないぞ。流石に力の差が分からないほどバカじゃない。そっちの仮面も相当強いし、オタクはもっと強い」
「ふっ、褒めても逃がすつもりはない。……しかしそうだな、大人しく降伏しろ、それが君にあげられるせめてものお礼だ」
「冗談やめてくれよ。俺は言った筈だ、この町の事なら大体把握出来てる。それに、この事態は予想通りだって」
「……どういう意味だ」
そこで、男の笑みがさらに大きくなった。
戦う意思を見せるアテナとケルトとは対照的に、男は武器だと思われる鎖を首に巻き付けた。抜いた剣を鞘に戻すように。
そして、こう言った。
「貧民街、今頃どうなってるかな?」