七章十九話 『絶望の片鱗』
「ーーさん!」
声が聞こえた。
耳元で誰が呼んでいる。
「ーークさん!」
聞き覚えのある声だった。
うるさいくらいに、いつも青年を呼ぶ声。
「ルークさん!」
たが、今はその声がとても心地良かった。
「う……」
耳元で響く声によって、ルークの意識は強制的に眠りから引き戻された。顔の下には柔らかい布団。目の前には涙を浮かべる少女がおり、どうやらうつ伏せで寝ていたようだ。
記憶が混濁している。なぜここで寝ているのかを思い出せない。
「…………どこだここ」
次第に覚醒し始めた意識。良く良く見れば、見知った顔がベッドの周りを囲んでいる。息苦しさから寝返りをうちーー、
「あ、ちょーー」
その声が聞こえた時にはもう遅かった。
寝返りをうち、背中が布団に触れる。
瞬間ーー背中が爆発した。
「いッッッッッてェェェェェ!!!」
背中が燃えているようだった。日焼けした肌に熱湯をかけた感覚を数百倍にしたような痛みが暴れ回る。目の前で火花が散り、痛いのか熱いのか、それともーーともかく、ルークの思考はなにが起きているのかを瞬時に理解出来ていなかった。
背中の力だけで飛び上がり、そのまま地面に落下。ベタン!と顔面を床に打ち付け、
「な、んだよこれ……誰か、俺の背中燃やした?」
ふざけているようにも聞こえるが、本人は至って真面目にそう問い掛けた。息がつまるような痛みを堪え、なんとか喉を揺らして。
ティアニーズはドタドタと騒がしく足音を立て、
「覚えてないんですか?」
「ハゲから逃げてた記憶はある。そのあと……なんか光って……そっから記憶がねぇや」
「魔道具の暴走に巻き込まれたのだ」
首を動かし反対側へと目を送ると、しゃがみこんでこちらを見るソラがいた。初めは心配そうに覗きこんで来ていたが、思ったよりも元気だと判断したらしく、
「はぁ……まったく、私の加護が間に合わなければ死んでいたぞ」
「まずなにがあったのか説明しろよ」
「あの男の持っていた魔道具は覚えているな?」
「おう。それが光ったところまでは」
「熱の魔法だ、それも特大のな。辺り一帯を巻き込み、その熱が破裂したのだ」
「……そういや、なんか熱かった気がする」
段々と記憶が戻って来て、ルークは意識を失う直前の出来事を思い出す。
魔道具が光ると同時にティアニーズにおおい被さり、その直後に強烈な熱を感じたーーというものだが。
「なるへそ、そんで俺は気を失ってたのか。んで、どうやってここに戻って来たんだ?」
「俺が運んだんだぜオイ」
背後からアンドラの声が聞こえた。流石に寝たまま後ろを向く事は出来ず、ルークは床に顎をつけて前を見た。
「つかおっさんいきなり消えたよな」
「お前がちゃんとついて来なかったのがわりぃんだろオイ」
「へいへい。どーやって見つけたの?」
「そりゃ、あんだけまぶしいのを見れば誰だって場所は分かるわよ」
二人の会話に口を挟んで来たのはシャルルだ。声色からしてあまり心配はしていなかったらしく、適当な口調で言葉を続ける。
「アンドラさんと走ってたらいきなり光ったの。それで、怪しいと思って行ってみたら……アンタが倒れてたのよ」
「全ッ然覚えてねぇわ。完全に気絶してた」
「しかも、ティアニーズとソラが泣きそうな顔で寄り添ってたし……ともかく、感謝しなさいよね」
「おう、サンキューな」
「運んだのは俺だけどな。そう、俺なんだぜオイ」
「へいへい、おっさんもサンキュー」
珍しく礼を言ったルークに驚いたのか、なんとも言えない表情のアンドラ。
ルークは痛みが襲って来ないギリギリを見極め、その寸前まで上体を回すと、
「あのハゲどもはどうなったんだ?」
「いねぇよ。お前らだけしかあの場にはいかなかった」
「は? あんだけ大人数いたーーそうか、死んだのか?」
「多分な。跡形もなく消えてたぜオイ」
加護を発動していたルークですらこれだけの重症を負っている。その事を加味すれば、普通の人間が耐えられず筈がないーーという答えにたどり着くのは当然だ。
「俺達がついた時には全部消えてた。付近の家は燃えてたし、地面には焦げた跡と臭いだけが残ってた。多分だが、燃えたっていうより蒸発したと思うぜオイ」
「蒸発って……えぐいな」
「燃えて死ぬよかマシだろオイ。多分、アイツらは死んだ事にすら気付かずに逝った筈だ」
「それ考えるとマジでヤバかったんだな。大丈夫、俺の背中?」
人間が蒸発するほどの熱を受け、それでも背中が燃えた程度で済んだのは、やはりソラのおかげだろう。となると、ますます背中が気になる。見えない事が尚更ルークの好奇心を擽っていた。
アテナは苦笑しながら背中を見つめ、
「応急措置を施したのは私だ。皮膚がぐじゅぐじゅになり、肉は燃え、恐らく骨まで届いていただろうな。君をここへ運んで来た時の異臭が……」
「ストップストップ、もう良いわ。想像だけでお腹いっぱいになったから」
「なに、死ぬ心配はないから安心したまえ。多少の痕は残るだろうが、私が責任をもって君を治療する」
「今直ぐは無理なの?」
「治療魔法は普通の魔法よりも難しい。私も疲労が完全には抜けきっていないんだ、一日ほど待ってくれ」
「なるへそ。ま、死んでねぇならそれで良いや」
こうして今生きている。それだけで、ルークは安心したように息を吐き出した。
欠けていた記憶を繋ぎあわせたところで、誰かが階段を上がって来る音が耳に入った。首をそちらに向けると、
「よぉ、調子はどうだ?」
「めっちゃいてぇけど大丈夫だ」
「なら良かった。今町の様子を見て来たが、結構な騒ぎになってたぞ。騎士団が血相変えて走り回ってやがる」
「そりゃあんだけ派手に爆発したからな。とっととずらかって正解だったぜオイ」
お盆にコップを乗せ、少し汗をかいたガジールが部屋に入った来た。今の発言を聞く限り、町へと出たのは良かったが、騎士団に見つかる事を恐れて慌てて帰って来たーーといったところだろうか。
ガジールから水を受け取り、うつ伏せのまま喉に流しこむ。
「そんで、アンドラから大体の事は聞いたが、そんなにヤバい状況だったのか?」
「いんや、普通に逃げてただけ。最後は囲まれちまったけど、それでも多分逃げれてたと思うぜ」
「ならなんでそんなんになってんだ?」
「んなの俺が訊きてぇよ。魔道具が暴走したんだろ?」
「あぁ、その通りだ……と思う」
静かに頷いたソラだったが、なぜか言葉に覇気がない。
上体をのけ反らせて必死に水を飲んでいると、横からアテナが口を挟む。
「その事なんだが、少しおかしい。その男は確かに魔道具を使っていたのか?」
「多分。魔道具に関して詳しくはねぇけど、俺の持ってるやつと似てたし」
「そうか……となると、やはりおかしいな」
ふむ、と一人で頷くアテナ。
なにを言いたいのか分からずに首を傾げていると、
「魔道具とは本来魔法が使えない人間のための道具だ。ルーク、君は魔道具についてどれくらい知っている?」
「魔法を込めて使う道具」
「かなり大雑把だがそれで正解だ。魔法を使える者が道具に魔法を込め、使えない人間が込められた魔法を使う」
「それのなにがおかしいんだ?」
「魔道具を暴走させる方法はいくつかある。一つは込められた魔法を強制的に同時発動する事だ。魔法を込めると言っても細かい設定は出来ない、せいぜい使えるのは火の玉やら氷の礫程度だ。それを同時に使うと、道具が不可に耐えられなくて暴走する」
ルークは知らないが、その手をティアニーズは何度か使っている。当然、間違った使い方なので使用者に大きな被害が出るが、その被害は込められている魔法の量や規模にもよる。仮にルークが暴走させたとしても、腕を火傷するくらいだろう。
「そして二つ目だが、道具に過剰な量の魔力を注ぎ込んだ時だ。いくら魔法を使うために調整してある道具とはいえ、限界は存在する。その限界を大幅に越えた時、魔道具は暴走する。だが、並大抵の魔力では不可能だ」
「初耳だな。んで、それとさっき言ってた事がどう関係あんだ?」
「腕輪型の魔道具に込められる魔法はせいぜい三発程度。そのくらいでは周囲一帯を巻き込むような威力は出せない」
「なら、魔力を込めてーー」
そこまで言って、ルークは口を閉ざした。
なにかが引っ掛かったからだ。
今聞いた話を、自分が見た光景。それらを繋ぎあわせた時、アテナがなにを言いたいのかを理解した。
「魔力を込められるんなら魔道具を使う必要がねぇ、って事か」
「あぁ、その通りだ。魔法を使える人間が魔道具を持つ事はまずない。そんな事をするくらいなら自分でやった方が早いからだ」
「でもよ、魔法が使えなくても魔力だけ込められるってんなら話は別だろ?」
「あり得ない。断言しよう」
頭に浮かんだ疑問を一刀両断され、ルークは不服そうに唇を尖らせる。とはいえ、ルークには魔道具はおろか魔法についての知識さえないのだ。とりあえず不思議な力、くらいのものとしか考えておらず、使用方法も原理も知らないのである。
「まず魔法とは誰でも使える訳ではない。才能がある人間にしか使えない力なんだ」
「それはなんか聞いた事ある」
「では聞こう、魔法の才能とはなんだと思う?」
「……知らん」
とまぁこの調子である。
当然と言えば当然だが、ルークは村を出るまで魔法を見た事がなかった。村を出て見る機会が増えたものの、別に必要性を感じないからと気にしていなかったのだ。
アテナは小さなため息をつき、
「魔力庫、聞いた事はないか?」
「全然」
「魔力庫とは魔力を貯めておく臓器だ。ただ、誰にでもあるという訳ではなく、魔法を使える人間のみにある臓器だ。私、あとはメレスとハーデルトくらいの魔法使いならば、相手の魔力庫を見る事が出来るぞ」
「そ、そうだったんですか。僕全然知りませんでした」
「ちなみに俺の魔力庫は?」
「ない、つまり才能がないという事だ」
この中で魔法を使えるのはアテナを除けばアキンだけなのだが、まったく知らなかったようである。
ルークは軽く告げられた才能ない宣言に力なく頬を痙攣させ、
「その魔力庫ってのがない人間は、そもそも魔力がねぇって事だよな?」
「あぁ、だから才能のある人間にしか使えないと言われているんだ」
「んじゃ、あのハゲは魔力がねぇのに魔道具を暴走させたって事になるのか……」
「だからおかしいんだ。魔力がない人間は魔力を込める事は出来ない。それに腕輪型の魔道具では暴走したところでたかが知れている。その暴走は、明らかに異常だ」
魔力のない男が魔道具を暴走させた。それはつまり、なにか他の要因が加わったという事だ。
ルークは目を閉じ、あの瞬間を思い出す。
男がポケットから魔道具を取りだし、そしてーー、
「薬……」
「なに?」
「いや、あのハゲなんか薬みてぇの飲んでた気がする。それ飲んだ瞬間にアホみたいに叫びだしたんだよ」
「薬か。少し気になるな……ガジールさん、なにか心当たりは?」
話を聞いてはいたのだろうが、ガジールは突然声をかけられて驚いたように肩を震わせる。それから顎に手を当て、考えるような仕草をとり、
「いや、聞いた事ねぇな。ここじゃ薬なんて珍しくもなんともねぇし」
「気持ちを昂らせるような成分の入った薬か……。それは関係ないのかもしれないな」
「いや、まだ分かんねぇぞ」
アテナが薬についての話題を終わらせようとした時、ルークはすかさず口を挟む。みのむしのように体を揺らし、なんとか向きを変えると、
「ハゲは魔法を使えたんじゃねぇのか?」
「それはまた、なぜだ?」
「お前が言ってただろ。魔道具を暴走させるにはアホみたいな魔力が必要だって。
もしその薬が、魔力を増加させる薬だったらどうだ?」
「……なるほど、あり得なくはないな」
こう言っちゃなんだが、あの男に膨大な魔力があるとは思えない。見た目の話をするならメレスもだが、大した魔法使いには見えなかったからだ。漂う小物臭というか、とにかくルークの中であの男は三下の部類なのだ。
「魔力を増幅させる薬か……んなもん作れんのかよ」
「奴らならやりかねないな」
「奴ら?」
「奴隷商人だ。この町のヤバい噂は全部奴らに繋がってる。もしそんな薬があるんなら、十中八九奴らの仕業だろうな」
ガジールがこの町にどれくらいいるのかは知らないが、アンドラが小さい頃に世話になっていたと言っていたので、かなり昔からなのだろう。となると、彼の言葉には信憑性がある。
そしてなにより、あの男は奴隷としてシャルルを連れていた。ガジールの言う組織と繋がっている可能性は十二分にある。
「クソ……どこまでこの町を荒らせば気が棲むんだ……!」
「奴隷に薬、この町治安悪すぎだろ。騎士団なにやってんだよ」
「騎士団でも尻尾を掴めねぇからこうなってんだ。もう我慢ならねぇ……奴隷連れてる奴全員ぶっ殺して来る」
「落ち着いてください」
怒りが頂点に達したのか、ガジールは鼻息を噴射して部屋から飛び出して行こうとする。が、アテナが慌てて肩を掴み、
「今出て行くのは危険過ぎます。貴方は追われている身だ、あまり大きく動くのは止めておいた方が良い」
「ならこのまま我慢してろってのか!」
「言った筈です、私は騎士団の団長だと。騎士団の不始末は私の責任だ、この件は私が始末をつける」
「へいアテナさん。なんか長く滞在するみたいな言い方だね」
「そう言ったんだ」
軽い口調で問いかけたルークだったが、アテナのやる気に満ちた真剣な顔を見て、『あ、これ無理だ』と小さく呟いた。
流石のルークにだって分かる。どれだけ旅をして来たと思っているのだ。これは毎回恒例の、『面倒事に巻き込まれた』なのである。
とはいえ、今回はルークにも非がある。いくらハゲが非人道的な行いをしていたとしても、先に手を出したのはルークだ。つまり、喧嘩を売ったのは他でもない、このバカなのだ。
「この町の奴隷商人、組織、そしてそれを裏で操っている人間を一人残らず縛りあげる。君達の力を借りる事になるが……良いな?」
当然、断るような人間はここにはいない(一人を除いて)。
いつもなら面倒くさがりそうなアンドラでさえ、育った故郷という事もあってか、アテナの言葉に無言で頷いていた。
全員の視線がルークに注がれ、
「わーったよ! 残れば良いんでしょ、残りますよ!」
「あぁ、君の力を頼りにしているぞ」
「なら早く治してくれ」
「それとこれとは話が別だ」
余計な事に首を突っ込んでいる暇はないが、騎士団として見逃せないのだろう。魔王の驚異は確かに無視出来ない。しかしながら、それを言い訳にして他をおろそかにして良い筈がないのだ。
そんなこんなで、この町に滞在する事が決定した。
痛みと面倒くささでため息が止まらないルーク。
すると、その横で一人の少女がしゃがみこむ。
「あの、ルークさん……」
「あ? なんだよ」
「すみません……私のーー」
「私のせい、つったらぶん殴るからな」
ティアニーズの言葉を強制的に遮り、ルークは不安げに揺れる瞳を見つめた。今にも泣いてしまいそうーーというか、泣いていたらしいのだが、涙が尽きる気配はない。
「でも、私がもっとちゃんとしていれば……」
「つか、そもそも勘違いしてんぞ。俺は別にお前を助けた訳じゃない。倒れた先にたまたまお前がいただけだ」
「なんですかその屁理屈」
「屁理屈じゃねぇ、事実だ」
「……もう。分かりました、今回はそういう事にしといてあげます」
「なんで上から目線なんだよ」
小さく微笑み、ティアニーズは落ちかけた涙を指ですくった。
久しぶりに見た笑顔。しかし、やはりルークの知っている笑顔とは別のものだった。口では分かったと言っていても、彼女は自分を責めていたのだ。
「よし、では今日はもう寝よう。皆疲れているだろう」
アテナの言葉をもって、この場は解散となった。全員が部屋を出て下の階へと下りて行く。
今さらだが、ここはガジールの住む家の二階だ。二階には三つ部屋があり、女子組は二つの部屋を使って寝ているのである。
と、そんな事を冷静に考えている場合じゃなく、
「ちょ、待てお前ら! 放置すんじゃねぇ!」
現在、ルーク・ガイトスはみのむしだ。
自分の力で立ち上がる事も出来ず、移動は出来るが段差を上る事も下りる事も出来ない。
なので、
「ねぇ、俺階段下りれないんですけども! せめてベッドの上に乗せてよ! 床冷たいの!」
魂の叫びを聞いてくれる者はおらず、一人寂しく取り残されるルークだった。
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カチャ、カチャ、カチャ、と一定のリズムを刻むような音が鳴り響く。
薄暗い部屋の中、小さな蝋燭の炎がユラユラと揺れる。蝋燭を囲むように、部屋には四つのソファーが置いてあった。そのソファー一つ一つに、男が腰をかけている。
「んで、薬の方はどうなんだ?」
口を開いたのは男だ。黒髪の単髪、錆び付いた鎖を首に巻き、男が動く度にジャラジャラと鉄が擦れる音が響く。
「売り上げは上々。まぁ、元々ルートだけは確保出来ていましたからね」
鎖の音を遮るように方耳を塞ぎ、眼鏡をかけた男がうっすらと微笑む。黒髪だが、豹柄のように所々を金色に染めており、しかしながら前髪を真ん中で綺麗に別けている、真面目な印象を受ける男だ。
「とっとと全部売っ払ってパーっと酒でも飲もうや」
次に口を開いたのは、眼鏡をかけた男とは正反対で、ボサボサ頭で清潔感のない男だった。剃り残したような髭が見られ、口の周りが青くなっている。
そして、
「まぁ、焦らないでください。彼の言っていたアレ、もうすぐ完成するそうですから」
笑みを浮かべ、口を開いたのは眼鏡をかけた青年だ。
青年を見つめ、ボサボサ頭の男が問いかける。
「でも良いのか? アレが完成したらこの町ぶっ壊れるんだろ? んじゃ、商売出来なくなんじゃん」
「そこで僕達英雄の出番って訳ですよ。物語の定番、ピンチになったら現れる英雄です」
「自分達でぶっ壊して自分達で救う。そうすりゃこの町の奴らは俺らを信用するって事か。相変わらずクソみてぇな性格してんなお前」
「止めてください、そんな褒め言葉受け取れません」
「褒めてねぇよ、気持ちわりぃな」
ボサボサ頭の男は、本気で青年を気持ち悪がっているようだった。
しかし、青年は気にする素振りすら見せない。それどころか、その笑みはさらに歪んで行く。
「つか、お前なんか良い事あったのか?」
「え? 僕嬉しそうに見えますか?」
「いつも笑ってるかんなぁ、違いは良く分からねぇが……そんな感じがしただけだ」
「あはは、でも正解です。今日、凄く嬉しい事があったんですよ」
彼女を自慢する彼氏のように、青年は身を乗り出してボサボサ頭の男に詰め寄る。ソファーとソファーの間にはそれなりの距離があり、無理な体勢をとっているが青年の笑みが消える事はない。
「僕の好みのタイプの女性を見つけたんです」
「好み?」
「はい、一目惚れってやつです。あぁ……思い出しただけでゾクゾクしてくる……」
「……お前本当に気持ちわりぃな」
ビクビクと全身を震わせ、青年は今にも昇天してしまいそうほどに歪んだ笑みで、口元を満たしている。
今の青年を見れば、百人中百人が気持ち悪いと言うだろう。
そんな青年を見て、単髪の男が言う。
「お前の色恋なんか興味ねーの。そろそろその口調止めろ、気持ち悪すぎて吐き気がする」
「敬語ってなんか頭良さそうじゃないですか? でも……そうだな、自分でも気持ち悪いと思う」
瞬間、青年のまとっていた雰囲気が変わった。口調のせいもあるけれど、それ以上に表情全体が恐ろしいまでに変化した。まるで、別人のように。
「はぁはぁはぁ、あの女は俺が必ず手にいれる。最高の表情を見てみてぇんだ……!」
「お前、その顔外ですんじゃねぇぞ」
「一応気をつけてる。俺は感情が表に出やすいタイプだからな」
本当に気をつけているのか、それすらも疑問に思えてしまう。今の青年の顔は、隠そうとして隠せるものではない。悦びとか、そういうレベルではないのだ。
そんな時、ガチャリ、と扉が開くような音が鳴った。カツ、カツ、足音が響き、階段を下りて来た男が姿を現す。
赤い目をした、男だった。
その男を見て、青年の笑みがさらに歪む。
「どうだ、出来そうか?」
「あぁ、問題ない。それよりも、上下関係を間違えるなよ。お前達に力を与えてやったのは俺だ」
「はいはい、よぉく分かってますよ」
男の言葉に、青年は肩をすぼめて頭を下げる。
それから息を大きく吸い込み、
「ーー魔元帥さん」
ルーク達の知らないところで、その闇は静かに動き始めていた。
ゆっくりと、確実に。
勇者という希望を飲み込むために。