七章十八話 『気持ち悪い笑顔』
「なんでテメェは逃げる時に一言言わねぇんだよオイ!」
「大声で言ったらバレんだろーが!」
「せめてなんか合図を送れ! 残されるこっちの身にもなりやがれってんだオイ!」
「逃げれてんだから良いだろ! 一々文句言うんじゃねぇ!」
「だったらその性格ちっとは直せよオイ!」
どちらが正しいかはさておくとして、毎度の事ながらルークは逃走中である。背後に迫るのは武器を持った物騒な男達の集団。そんな集団が町中を走っていれば騒ぎになる筈なのだが、やはり周りの人間は見てみぬ振りをしていた。
誰一人、助けを呼ぼうともしない。
そんな中、ルーク達は人混みを駆け抜ける。
「とっとと見つけてずらかるぞオイ!」
「だったら早く探せ! 頭の色があれだから目立つだろ!」
「無駄口叩いてる暇があるなら走りなさい! あと探して!」
必死に走るルーク達。首を動かして背後を確認すると、心なしか人数が増えている気がする。いや、気がするではなく、ちゃんと増えていた。
元々隠れていたのか、合流したのか。ともかく、いつの間にか二十人ほどの大群が追いかけて来ていた。
「なんで増えてんだよ!」
「知るか! お前がいきなり殴る事のがわりぃんだろオイ!」
「殴ろうとして来たから殴ったんだよ! おっさんだって同じ事してただろ!」
「そりゃ……殴ってたなオイ」
「んじゃ文句言うな!」
シャルルの言葉を無視して言い合いを続けながらも、四人は速度を保ったまま右に曲がった。視界に入った通りは商店街なのか、屋台や店が大量に並び、やはり人でごったがえしている。
ルークは一瞬だけ躊躇い、
「しゃーねぇ、この中突っ切るぞ!」
言うが早く、ルークは人混みに突撃した。二本の腕で人をかき分け、僅かな隙間に体をねじ込んで前にも進む。逃げ辛い事この上ないが、それは追ってくる男達も同じ事だ。
背後に響く怒声に目を細め、
「どーする、一旦ぶっ飛ばして数減らしとくか??」
「止めとけ、こんなところで乱闘騒ぎにでもなってみろ、それこそここにいられなくなっちまうぞオイ」
「あぁクソ! やりづれぇな!」
応戦したい気持ちを堪え、今は人混みを抜ける事だけに意識を集中する。と、ここでルークはとある事に気付いた。
先まで後ろにいた筈の、白い頭の精霊の姿が見えなかった。
「おい! ソラどこ行った!?」
首を捻り人混みの中へと目をやる。精霊と言えど見た目はただの少女なので、人の波に飲まれてしまえばそれまでだ。
この状況でそれはまずい、とルークは思った。
しかし、次の瞬間には声がした。しかも、なぜか物凄く近くからだ。
「私ならここにいるぞ」
「あ!? どこだよ」
「だからここだと言っているだろう」
「だからどこだっての!」
「ここだ」
小さな呟きのあと、ルークの頬がなにかにつつかれた。見れば、細い人差し指が頬をつついているではないか。その指をたどり、ルークは声の方へと首を捻る。が、途中で止まってしまう。なぜなら、
「いつの間に背中にくっついていやがった」
「こんな人混みに入ってみろ、私のようなか弱い少女は迷子になっておしまいだ」
「だからってなんで俺の背中なんだよ」
「バカ者、他の人間では私を背負う事が出来ないだろうに」
こんな状況なのに、ルークはため息をついた。自分の背中にソラがいる事に気付かなかった事、そしてなによりも、この状況が当たり前になりつつ、なれて来てしまっている事に。
その横をアンドラとシャルルが通り過ぎ、
「なにやってんだ、置いてっちまうぞオイ!」
「ボケっとしてないで走りなさい!」
「早く進まなければ捕まってしまうぞ」
「……お前ぜってーいつか復讐してやる」
爆発しかけた怒りをなんとか抑え、ルークはソラを背負ったまま前進。荒れ狂う人の波をかき分け、ようやく脱出すると、そこはちょっとした広場になっていた。そしてその視線の先には、巨大な時計台がそびえ立っている。
「でか。あれがティアの言ってた時計台か」
「んなもん今気にしてる場合じゃねぇだろオイ! こっちだ!」
一瞬、あまりの大きさと、秒針を刻む針の音に気をとられてしまったが、アンドラの声によって現実に引き戻される。ルークは慌てて二人を追いかけようとしたがーー、
「あ?」
そこで足が止まった。広場の中心にある噴水、その周りにあるいくつかのベンチの一つに、見なれた桃色の頭が見えたからだ。
ジーっとその頭を見つめ、
「ようやく見つけたぞ」
座っていたのは、探し人であるティアニーズだった。視線はどこか遠くを見つめており、目は開いているが意識があるのか分からないくらいにボーッとしている。
舌を鳴らしつつも少女の元に駆け寄り、その手を掴むと、
「ったく、なにやってんだお前」
「……え? ルークさん?」
「そうだよルークさんだよ。とっとと行くぞ」
「あれ……なんでこんなところにいるんですか?」
「これはこっちの台詞だっつーの。とにかく行くぞ」
こうしている間にも、男達の怒声が響き渡っている。結構な騒ぎになっている筈なのだが、ティアニーズはそれにすら気付いていないようだった。
ルークは一瞬だけ躊躇う様子を見せたが、
「事情はあとで説明する。戻るぞ」
「は、はい」
掴んだ手を引っ張り、ティアニーズの体を無理矢理起こす。それから即座に離脱をはかろうとするが……アンドラとシャルルの姿が見えなかった。
たらり、と額に冷たい汗が流れる。
「ソラ、あの二人どこ行った?」
「……さぁな、多分逃げたのだろう」
「どっちに?」
「私が知る訳ないだろう」
「だよね、そう言うと思ってた」
二人の姿はまったく見当たらない。人混みに紛れて見えないとか、どこかに隠れているとかではなく、完全にその場から消え去っていた。
前髪をかきあげ、爽やかな笑顔を浮かべると、
「ふっ、迷子になっちまったぜ」
「ま、迷子ってなにやってるんですか!」
「うっせぇ! 大体お前が勝手にどっか行くからだろ!」
「私はちょっと散歩に来てただけです! なんでそれをルークさんに報告しなくちゃいけないんですか!」
「団体行動しろって親に習わなかったのか!」
「ルークさんにだけは言われたくないですぅ!」
「はいはい、そこまでだ。早く逃げなければ追い付かれるぞ」
ソラの言葉を聞き、ルークは辺りを改めて見渡す。すると、鬼の形相を浮かべる男達が直ぐそこまで迫って来ていた。
爽やかな笑顔が焦りに変わり、
「とにかく逃げんぞ!」
「逃げるって……またなにかやったんですか!?」
「またってなんだよ! 俺が毎回なんかやってるみたいな言い方しやがって」
「毎回面倒事を起こすから言ってるんです!」
「俺のせいじゃねぇよ。面倒事が勝手に来るんだ」
口論をしつつも、二人は慌てて走り出した。
ティアニーズは状況を飲み込めていないようだが、ルークが多分殴ったんだろうなぁ、くらいは分かっているようだった。
「あの人達誰ですか!?」
「知らん! ハゲの仲間だろ!」
「ハゲって誰ですか!」
「昨日俺が殴ったハゲだよ!」
「昨日……?」
「お前マジで意識失ってたんじゃねぇの!?」
どうやらティアニーズは昨日の出来事を良く覚えていないらしい。多分見てはいたのだろうけど、ぼんやりとしていたために記憶に刻まれていないのだ。
となると、シャルルを知っているのかすら怪しい。
「分からないですけど、ルークさんがまたなにかやったって事は分かりました!」
「バカたれ! あれは正当防衛だ!」
「殴られたんですか!?」
「俺の心を傷つけられた!」
「そんなの正当防衛にはなりません!」
実際、ルークはなにもされていない。昨日にしろ今日にしろ、指一本触れられていないのだ。もし裁判になれば、敗北は確定しているようなものである。
二人は息を切らしながら、
「つか、お前なんであんなところにいたんだよ」
「それは……その」
「一人になりたかったんだろ?」
「う……悪いですか? 女の子には色々あるんです」
「恋の悩みか? お兄さんが相談にのってやる」
「ッ! ルークさんにだけは絶対に言いません!」
からかうような口調に、ティアニーズは顔を真っ赤にして反応。
その顔を見て、ルークは無意識に微笑んでいた。久しぶりの感覚を、楽しいと思ってしまっていたのだ。
「な、なんで笑ってるんですか!」
「いんや、別になんもねーよ」
「うそ! 絶対バカにしてます!」
「俺がお前をバカにするのなんて今に始まった事じゃねぇだろ」
「ほら! やっぱりバカにしてるじゃないですか! まったく、だからルークさんはーー」
ティアニーズが言いかけた時、ドン、となにかにぶつかった。逃げているというのに、前を向かずお互いの顔を見ていたからだ。
よろめいてしりもちをつき、ティアニーズの顔が僅かに歪む。
「ッ……」
「あの、大丈夫ですか?」
どうやらぶつかったのは人だったらしい。ティアニーズにぶつかってしまった男は落ちていた眼鏡を拾い、うっすらと笑みを浮かべる。爽やかな好青年、そんな言葉が当てはまる黒髪の男だった。
男はティアニーズに近付き、
「す、すみません。よそ見をしていて」
「い、いえ、私の方こそ」
男は倒れたティアニーズに手を差しのべた。
ティアニーズはその手を掴もうとしたが、
「……あの、なんですか?」
それを止めたのはルークだった。ティアニーズが掴む筈だった腕の手首を掴み、男の手を無理矢理払いのける。
男は一瞬戸惑うような様子を見せたが、ルークの顔を見て直ぐに微笑む。
だが、ルークは少しも笑っていなかった。
男の顔を見つめ、静かに呟く。
「触んな」
「……はい?」
「汚ねぇ手でその女に触るなって言ってんだ」
「僕はただ、彼女を起こしてあげようと……」
「同じ事を三回も言わせんじゃねぇよ」
「ルークさん?」
様子のおかしいルークを不審に思ったのか、ティアニーズは顔をしかめて立ち上がる。ティアニーズは気付いていないようだが、ソラも男を見つめてーーいや、睨み付けていた。
「どうしたんですか? ぶつかってしまった私が悪いんです。だからーー」
「笑ってねぇんだよ」
「え?」
「テメェ、目が笑ってねぇんだよ」
今、ルークが男に向けているのは敵意だ。魔王や魔元帥に向けていたものと同じーー否、それよりも剥き出しの敵意だ。
しかし、男は動じていない。それどころか、先ほどから微笑んでいるだけだ。
「い、いやだなぁ。僕、ちゃんと笑ってますよ?」
「気持ちわりぃんだよ、口開くな」
「ちょ、ちょっとルークさん! いきなりなんて事を言うんですか!」
「良いんですよ。彼は僕の事が嫌いみたいなので」
そう、ルークは男が嫌いだった。それは、初めてイリートを見た時に抱いた感情と似ている。だがしかし、それとは桁違いの嫌悪感があった。
ルークには、男が笑っているようには見えなかったのだ。
笑顔という形を作っているだけで、目は、心はなに一つ微笑んじゃいない。
感情ではなく、笑顔という文字を無理矢理貼りつけたような表情だった。
文字通り、気持ち悪い顔だ。
しかし、ティアニーズはそれに気付いていないらしく、
「す、すみませんこのが人変な事を言ってしまい!」
「いえいえ、人には人の好みがありますから。それに……僕は笑ってないのかもしれませんしね」
「それって………どういう意味ですか?」
「あぁ、昔から良く言われてたんですよ。あまり感情を表に出すのが得意ではなくて、とりあえず笑うのがくせになってしまっているんです」
「そうなんですか。でも、無理して笑うのは良くないですよ」
お互いに微笑みながら会話を交わす二人を見て、ルークは未だかつてないほどに怒りを覚えていた。トワイルを殺された時と同じ、いや、もしかしたらそれ以上に。
なにがそんなに気に入らないのか。
理由はない。とにかく、顔を見ていると無性に殴りたくなるほどに苛ついていた。
「行くぞ」
「で、でも……」
「良いから行くぞ。これ以上コイツの声聞いてると殴りたくなる」
「は、はい」
そこでティアニーズも気付いたようだ。自分の手を掴むルークの手に、明らかな怒りが宿っている事。そして、力いっぱい握り締めている事に。
怒りが堪えられなくなる前に、とルークは手を引いてその場を去ろうとするが、
「ようやく追い付いたぞ……!」
男に意識を集中していたせいか、いつの間にか囲まれていた。背後、前方、そして左右。逃げ道は一つもなく、完全に退路を塞がれていた。
肩を上下に動かし、男達は怒り混じりの笑みを浮かべる。
「チッ……お前のせいで追い付かれちまったじゃねぇかよ」
「は、はぁ!? なんで私のせいなんですか! それより、早く貴方も……って、あれ?」
ティアニーズがキョロキョロと辺りを見渡す。そこには、先ほどぶつかった筈の男の姿がなかった。危機を察知していち早く逃げ出したのか、綺麗さっぱり消えてしまっていた。
「おかしいな。どこに行っちゃったんだろ……」
「よそ見してんな。逃げ道はねぇ、コイツらぶっ飛ばして行くぞ」
「……そうするしかありませんね」
ティアニーズは首を傾げていたが、ルークの言葉で直ぐに気持ちを閉め直す。相手は三十人ほど、それに加え武器も持っている。人数的に見れば圧倒的に不利だが、ただの人間ごときこの二人の敵ではない。
背中にしがみつくソラに手を伸ばそうとした時、
「あれ、抜けない……」
「あ? どした」
「剣が抜けないんです!」
「は? なんで」
「知りません! めちゃくちゃ固いんです!」
柄を掴み、ティアニーズは息を吸って全力で剣を引き抜こうとする。が、彼女の気合いとは相反し、剣はガチャガチャと音を出すだけで鞘から姿を見せない。
掛け声とともに何度かチャレンジするが、やはりびくともしない。
「なに、ふざけてんの?」
「違いますよ! ルークさんじゃないんですから、こんなところでふざけたりしません!」
「俺はいつでも真面目だっての。ほら、貸せ」
苛立っているティアニーズを軽くあしらい、ルークはその剣に手を伸ばす。と、めっちゃ簡単に抜けてしまった。するりと、どこにつっかえるでもなく。刀身がこんにちは、と顔を出した。
そのままティアニーズに差し出し、
「んだよ、全然余裕じゃん」
「むぅ、なんか凄くムカつきます」
「なにキレてんだよ。どっかにつっかえてたんじゃねぇの」
剣を受け取ったティアニーズは唇を尖らせる。感触を確かめるように何度か振り回すが、特に問題はないようだった。
すると、二人のやり取りを見ていたソラがにょき、と顔を伸ばし、
「ティアニーズ、その剣まさかーー」
「やっと見つけたぞ!!」
男の怒鳴り声がソラの声をかき消した。見れば、数分前にルークが殴り飛ばしたスキンヘッドの男が立っていた。仲間に肩を借り、頬をパンパンに腫らして。たが、その瞳から怒りは消えていない。いやむしろ増しているようだった。
ルークはうっすらと微笑み、
「よぉ、卵みてぇな顔してんな」
「誰が卵だ! テメェ、シャルルはどこにやった」
「知るかよ。離ればなれになってこっちも困ってんだ」
「アイツは俺の所有物だ、俺が金で買ったんだ。それを無料で渡す訳ねぇだろ、アァ!?」
「一緒に来る事を決めたのはアイツだ。良くあんだろ、ペットがいきなり逃げ出すとか。それと同じだ」
「黙れ! この町で俺に手ェ出したんだ、ただで済むと思うなよ……」
仲間を突飛ばし、よろけながらスキンヘッドの男が前に出る。
どこか様子がおかしかった。殴ったルークが思うのも変だが、顔色が悪い。地面に強く打ったからなのか、唇は青ざめ、瞳孔が開いている。
ともかく、普通ではなかった。
「ルーク、様子がおかしい。気をつけろ」
「わーってる」
「どいつもコイツも俺を舐めやがって……あぁクソ! 全部ぶっ殺してやる……ぶっ殺してぶっ殺して……気持ち良くなってやる……」
「なんだテメェ、頭おかしいんじゃねぇの?」
既にルークの言葉は耳に入っていないのか、男は短い呼吸を何度も繰り返し、奇妙な笑みでどこかを見つめていた。顔はルークを見ている、が、見られているような感覚がなかった。
男はポケットに手を突っ込み、なにかを取り出した。掌には、小さなカプセルと腕輪が乗っかっている。
「なんだありゃ」
「薬、ですかね? あとは……アクセサリー?」
「死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……アイツみてぇに俺を見下しやがって……」
ぶつぶつとなにかを呟き始めたかと思えば、男は小さなカプセルをそのまま飲み込んだ。喉が脈を打ち、離れていてもその音が聞こえて来る。
男は顔を上げ、口を開いた。よだれを垂らし、血走った目がギョロリと覗く。
「アァァァァァァァァ!! 最ッ高だァァァ!!」
奇声ともとれる声の直後、男の持っていた腕輪が激しく光始めた。夜の町をまばゆく照らし、全てを飲み込んで行く。
その時、ルークは無意識に自分の腕をーー厳密には腕に巻いてあるブレスレットを見ていた。それは、男の持っている物と酷似していた。
「魔道具……!!」
そう気付いた時には、体が動き始めていた。あんな輝きは見た事ないけれど、あれがもたらすなにかを察知して。
発動するのは魔法。巻き起こるのは破壊。
規模はーー恐らく周囲一帯。
振り返り、ティアニーズにおおい被さる。
その時、無意識に剣を握り締めていたのは、これまでの経験によるものだろう。
そして、
「死ねぇェェェェェェェ!!!」
男の叫び声をかき消し、辺りを光が飲み込んだ。
「ガッ……ばぅぁ……!!」
目の前にある少女の顔を見つめ、ルークは叫びを噛み殺す。
訪れたのは熱。圧倒的な熱がルークの背中を襲い、異臭が鼻を刺激する。人の肉が焦げた臭いーーそして、それはルークだけではなく、周りの人間全てを焼き付くして行く。
「ルークさーー」
最後に聞こえたのは、自分を呼ぶ声だった。
熱と痛みにより、ルークの意識は体から無理矢理引き剥がされた。