七章十六話 『男が残した物』
「疲れた……」
田植えや餌やりが終わる頃には、ソラの態度も元に戻っていた。最初はぶつくさと文句を言いながら作業をしていたが、ガジールの牛乳という言葉に反応し、それから動きが九倍速くらいになったのは、今後彼女のやる気を促すのに使える手段だろう。
適当な木材に腰かけ、とれた野菜を水で洗ってかじる。新鮮な野菜を久しぶりに食べたからなのか、自然とルークの頬が緩んだ。
ちなみに、作業に没頭していたので気付かなかったが、既に日が暮れ始めていた。
「ルーク、お前中々良い動きしてたじゃねぇかオイ」
「村にいた頃やらされてたんだよ。あん時は嫌で嫌で仕方なかったけど、久々にやると良いもんだな」
「自分で育てて食べる。意外と良いもんだろ?」
「はい。中々良い経験をさせていただきました」
アテナ、そしてアンドラも心なしか晴れやかな表情をしていた。色々と物騒な出来事が続いていたので、こうしてなにも考えずに平和に作業をこなすといのも、立派な休息の一つなのだ。
「それにしても、ガジールさんはいつも一人でやってらっしゃるんですか?」
「いや、いつもは子供達や他の大人に手伝ってもらってる。流石に俺一人じゃおっつかねぇよ」
「大変なんですね……」
「そんな事ねぇよ。子供も野菜も、愛情込めて育てるって意味じゃ対して変わらねぇからな」
「なぜ、こんな事を?」
その言葉に、ガジールの手が止まった。歯形のついたトマトを見つめ、なにか考えるように一点を見つめる。
アテナはまずい事を聞いたと思ったのか、慌てた様子で口を開こうとするが、
「罪滅ぼし、かな」
「罪滅ぼし?」
「アンドラから聞いてると思うが、俺は元盗賊だ。人には言えねぇ事を沢山やって来たし、何度も騎士団には世話になった」
「親が親なら子も子ってやつだな」
「うっせぇぞオイ」
アンドラの突っ込みを無視し、ルークは淡々と野菜を貪る。
しんみりとした空気が流れ始める中、ガジールはさらに続ける。
「人の命も奪った。女子供関係なくな。やってる時はなんとも思わなかったが……ふと、気付いちまったんだよ。すげぇむなしいってな」
「むなしい?」
「おう。これでも一応、中々デカイ盗賊団の頭だったんだ。仲間も金も女もいたが、なにも満たされちゃいなかった。楽しかったってのもあるが、それを悪い事とはまったく思わなかったんだよ」
遠い昔を思い出すように呟いたガジールの顔は、楽しさの他に悲しみのようなものが混じっていた。哀愁ではないけれど、普通の人間が見れば同情するような。
「俺にはなにもねぇ。それに気付いちまつまたったんだ。そりゃ、仲間といるとは楽しかったぜ? 家族みてぇなもんだったしよ」
「それでも、満たされたかった……。貴方が欲しかったものを得る事は出来なかった」
「あぁ。俺は思い付いたら直ぐ行動に移すタイプでよ、気付いちまったらもう無理だったな。勝手に盗賊団を解散して、逃げるみてぇにどっかに消えた」
「仲間達にはなにも言われなかったんですか?」
「それ以来会ってねぇからな。会ったら殴られんじゃねぇのか」
冗談っぽく呟き、ガジールは僅かに口元を緩める。
それから野菜を一気に押し込み、
「そんで、フラフラと放浪してる時にたどり着いたのがここだ。最初は直ぐにまたどっか行くつもりだったんだが……一人のガキに出会ったんだ」
「子供?」
「おう。俺の最初の息子だ。奴隷としてこき使われて、飯もまともに食えてねぇガキだった。んで、俺は直ぐに行動に移した。ガキを買った奴を殺して、俺がそのガキを引き取ったんだ」
当たり前のように飛び出した『殺した』という単語。ガジールの表情はまったく変わらず、その事に対しての罪の意識は感じられない。
「そっからだ、俺がここに居座るようになったのは。ボロボロだったここを住めるようにして、畑つくって家畜盗んで来て、そんで今に至るって訳だ」
「それで、貴方の欲しかったものは?」
「分からねぇ。けど、俺の人生の中で今が一番楽しいのは間違いねぇよ。お前らもう気付いていると思うが、ここにいる連中のほとんどは元奴隷だ」
いきなり現れたルーク達をすんなり受け入れた事。明らかに様子のおかしいシャルルに対し、なにも言わなかった事。勿論、アンドラが一緒にいたという事もあるのだろうけど、彼にとってはさほど特別な事ではなかったのだ。
「やりたくもねぇ事やらされて、見たくもねぇもの見て、そんなのは絶対に間違ってる。ガキどもには、俺みたいになってほしくねぇんだ」
「…………」
「空っぽでなにもねぇ人生はむなしいもんだぜ。今が楽しくても、ふと気付くとそこにはなにもない。一人ってのは、寂しいんだ」
一人が寂しい。
そんな事、ルークは産まれて一度も思った事はなかった。村にいる時は村長がうるさいほどに関わって来たし、村を出てもなんだかんだで周りには人がいた。
しかし、今は違う。
周り人がいるのは、当たり前ではないと知ったから。
ガジールは顔を上げ、
「お前らに俺の夢を教えてやる。ここの町にいる奴隷商人を全員ぶっ潰す事だ」
「それはまた、大きいのか小さいのか分からない夢ですね」
「ガキどもの未来の事を考えりゃ、相当でけぇ夢だ。なんせ、俺はまだ奴らの尻尾すら掴めてねぇからな」
「アンドラから聞きました。この町の売り手は、全員同じ人間なんですよね?」
「おう。名前も顔も分からねぇ、でもソイツがこんなふざけた事をやってやがる。俺はなにがなんでもソイツを殺す。これ以上、俺みてぇな奴を出さねぇためにもな。なのに、そこのアホガキは……」
ため息混じりに向けられた視線は、あっけらかんとした様子のアンドラで止まる。アンドラはその視線に気付き、自分の顔を指差すと、
「俺かよオイ」
「テメェに決まってんだろオイ。この話、お前には全部話したよな? なのに盗賊なんかになりやがって」
「うっせぇ、俺がなにをしようと俺の自由だろがオイ」
「また殴られてぇのかオイ」
「やんのかオイ」
「まぁまぁ」
喧嘩が始まりそうになったので、すかさずアテナが止めに入る。
とはいえ、やはり似たもの同士なのだろう。過程ややり方が違うとはいえ、アンドラにはアキンがいる。あのなつき方を考えれば、彼にもそれなりの優しさがあるという事だ。
アテナは二人を落ち着かせ、話を逸らすように、
「先ほど奴隷商人の尻尾も掴めていないとおっしゃっていましたが、組織的なものなんですか?」
「頭、要するに元凶は一人だ。だが、その末端が多すぎる。ソイツらに聞いても頭の事は知らねぇの一点ばりだ。多分、会った事もねぇんだろうよ。たが、奴らは確かに繋がってる。たまにやり返しに来るからな」
「なるほど……だからアンドラはなにもするなと言ったのか」
「どういう事だそりゃ」
「あぁ、この町に入った時に言われたんです。なにを見ても決して関わるなと。しかし……そこの男が……」
アテナの視線がルークに向けられ、つられてガジールもルークを見る。
当の本人は野菜に夢中になっていたが、突然聞こえなくなった会話に違和感を感じ、そちらを見ると、
「あ? なに見てんだよ」
「お前なんかやったのか?」
「なんもやってねぇよ。ちょっと殴っただけだ」
ルークの中では、ちょっと殴った程度なんともないのだ。ゴミを拾うとか、町を歩くとか、平凡な日常の一部でしかない。その時点で頭のおかしさが伺えるが、そこは今さらなので置いておくとしよう。
なので、変わりにアンドラが言う。
「ソイツ、奴隷を連れてた奴をぶん殴ったんだよ。あのシャルルって女、アイツは元奴隷だぜオイ」
「まぁ、そんな気はしていたが……勇者ってのは変わらねぇもんなんだなオイ」
「勇者って、どういう意味だよ」
「前の勇者……始まりの勇者も同じ事やったんだよ。俺の目の前でな」
ルークの眉が僅かに動く。ひたすら進めていた手を止め、ガジールの顔を見た。
それはソラも同じで……そして今さらだが、ソラはルークの膝の上に座ってます。
「それがアイツと初めて会った瞬間だった。そん時はそこの精霊はいなかったけどな」
「ここで、始まりの勇者と会ったんですか?」
「奴隷に手ェ出してる奴がいてな、俺もソイツを殺そうとしたんだが……先に動いたのはアイツだったよ。その上、速攻ボコボコにされてたけどな」
「え? 始まりの勇者って弱かったの?」
「おう、めちゃくちゃな。俺が助太刀に入って事なきを得たが、あの野郎、奴隷を連れて行こうとする俺にまで喧嘩売って来やがった。勘違いしたんだろうよ、俺も悪い奴だって」
ルークの中にあった勇者像が見事に砕け散った。人助けをする気持ちの悪い奴というのは分かっていたが、勝手にめちゃくちゃ強い人間だとも思っていた。しかし、今の話を聞く限り、それとは正反対の人間ではないか。
「そんで、そのあとどうなったんだ?」
「返り討ちにした、片手でな。でもまぁ、この町で奴隷連れてる奴に手ェ出すアホは久しぶりに見たからよ、俺も機嫌が良くなってここに連れて来たんだ」
「マジかよ、勇者めっちゃ弱いのかよ」
「腕力だけならな。けど、俺はアイツには勝てねぇって思った。その次の日、仕返しに来たんだ。俺は今朝みたいにちょっと外してたんだが……その間、ここを守ったのはアイツだ」
勇者の話をする度に、ガジールは嬉しそうに微笑んでいた。
きっと、前の勇者はそういう人間だったのだろう。人に笑顔を与えられる、本当に強い人間だったのだろう。
「俺が戻って来た時には酷かったぜ。腕折られて片目塞がって、服もボロボロで全身から血ィ流して……でも、アイツの目は死んじゃいなかった。力がねぇくせに、勇気だけは一人前だった」
「…………」
「自慢じゃねぇが、俺は強い。だから大抵の事にはビビらずに向かって行けるが、アイツはそうじゃない。弱いし、目の前にいるのは昨日負けた相手だ。それでも、アイツは立ち向かった。弱くても、誰かを守るためにな」
自分ならどうするか、ルークはそんな事を考えていた。
売られた喧嘩は買う主義だし、それでなくてもムカつくからという理由で立ち向かっていただろう。
しかし、もし絶対に負けると分かっていたら?
いや、それでもルークは立ち上がった筈だ。
前の勇者とは違う理由で。
人を守るためではなく、相手をぶちのめすために。
「そん時だ、俺がアイツにはぜってぇ勝てないって思ったのは。腕力じゃねぇ、心の強さってやつをアイツは持ってた。本物の強さーー勇気だよ」
「……あぁ、そんな気がするよ。私はほとんど覚えていないが、そういう男だった」
「そんで、次の日にはけろっとらした顔でどっか行っちまった。やる事があるんだってな。その次に会った時だよ、精霊が一緒にいたのは」
「私か。ふむ、全然覚えていない」
それが、ガジールの言っていた三回の内の一回。ガジールは始まりの勇者が勇者になる前から面識があったのだ。いや、もうその時には、立派な勇者だったのかもしれない。
「律儀に礼をしに来やがったんだ。あの時は助けてくれてありがとうってな。それだけ行ってまたどっか行きやがった。そんで、二回目はこの町が魔獣に襲われた時だ。そん時に初めて知った、アイツは精霊と一緒に戦ってたんだってな」
二回目。やはり、始まりの勇者は誰かを守るために戦っていた。
ここまで来ると、もう一種の病気なのだろう。
そしてルークは思う。やはり、自分とはまったく違う人間なのだと。
「そんで……これが最後だ。アイツが死ぬその瞬間に、俺はたちあった」
結末は分かっていた。その筈なのに、ガジール、いやその場の全員の表情が曇る。
始まりの勇者は死んだ。だからこそソラはここにいて、ルークが勇者として戦っている。
だが、今までちゃんと考えた事はなかった。
村長から聞いた話で、そうなんだぁ、くらいの感想しか持っていなかったのだ。しかし、その死を目の前で見た人間の言葉の重さは、その非ではなかった。
「場所はアスト王国の最西端、星の丘って場所だ。そこで、アイツは魔王と戦って死んだ」
「星の丘? なんだそりゃ」
「その名の通り、星が良く見える丘だ。私も何度か言った事がある。騎士団団長として、そして私個人としてな」
それは初めて聞いた情報だった。カムトピアに封印されていたので、多分その近くなんだろうな、くらいの考えしかルークにはなかったのだ。
ガジールは目を細め、
「俺がそこに行ったのはたまたまだ。戦争中だったからな、子供達を避難させるために安全な場所を探してたんだよ。そこで見たんだ、でっけぇ宝石と、その側で倒れるアイツ、その横に立ってる精霊を」
ガジールの言う巨大な宝石、それはあの男が封印されていた宝石の事だろう。そして勇者の横に立つ精霊、それはソラーーいや、アルトの事だ。
覚えていないのだろうけど、ソラの顔が明らかに曇った。
「直ぐに分かったよ。アイツは魔王と戦って負けたんだってな。その時だ、アイツの最後の言葉を聞いたのは。死にかけてるくせに、笑ってやがった」
世間では勇者が勝ったと言われている。殺せなかったが、一時的とはいえ魔王の驚異を退いたのだ。しかし、ガジールははっきりと口にした。勇者は『負けた』と。
実際、負けたのだろう。苦肉の策で封印は出来たが、それはやはり一時的なものだ。
現に、その驚異は再び地に下りたのだから。
「……死体は放置した。その代わり、アイツの最後の言葉はちゃんと国中に伝えた。俺には、それくらいしか出来なかったからな」
勇者が最後に残した言葉。
ガジールが伝えた言葉。
『いつか封印が解け、魔王が復活する時が必ず来る。俺はここで死ぬが、心配はない。何故なら、俺の力を受け継ぐ勇者が必ず現れるからだ』
それは、勇者の願いだったのかもしれない。
ソラという力を受け継ぎ、いつか来る魔王を倒すために、誰かが立ち上がってくれる事を。
そしてそれは、確かに受け継がれた。
性格はまったく違う。
自分勝手で人助けなんか絶対にしない。
そんな男。
ーールーク・ガイトスという、青年の元へ。
「アイツの言った通りになった。アルトの力はお前に受け継がれた」
ガジールが言う。
でも、とルークは思った。
多分、そうじゃない。
「ちげぇよ。始まりの勇者が言いたかったのはそんな事じゃねぇ」
多分、昔のルークなら分からなかった筈だ。
村を出て、旅をして、沢山の人に出会った今のルークだからこそ分かる事があった。
「勇者が言った力、それはソラの事なんかじゃねぇ。それ以外で、ちゃんと受け継がれてるもんがあんだろ」
その力は、多分誰にだってあるものだ。
でも、発揮する事は難しい。
怖いからだ。踏み出す事が。
でも、ルークは知っている。
恐怖を押し殺し、その一歩を踏み出す事が出来る人間がいる事を。
そして、その踏み出す力こそがーー、
「勇気、だろ」
それが、勇者が本当に残したかったものだ。
そしてそれは、確かに受け継がれていた。形や色は違うけれど、多くの人間がそれを持って立ち上がった。
勇者が残したものを受け継ぎ、立ち上がる人間は自分の事をこう呼ぶ
ーー勇者、と。
「この世界には腐るほどの勇者がいる。ソイツらに力は受け継がれてんだろ」
「……勇気か。なんだ、似てねぇと思ったが、案外似てんじゃねぇかよ」
「止めろ気持ち悪い。俺は人助けなんかしねぇよ」
全員が微笑む中、ルークは一人顔を逸らした。なれない事を言って、らしくない事をして、身体中がむず痒くなったからだ。
勇者の言葉は、ソラに選ばれた人間に向けてではない。
この世界の人間全員に向けられたものなのだ。
勇気を持って、立ち上がってほしいという願いだったのだ。
そして、それは確かに叶った。
この世界には、沢山の勇者が存在する。
勇気を持って、立ち向かう人間がいる。
ルークもその中の一人なのだ。
そう、量産型勇者の中の一人なのだ。