七章十五話 『変化する精霊』
次の日、目を覚ましたルークの耳に初めに入ったのは、子供達の騒がしくも楽しそうな声だった。
昨晩の事はあまり良く覚えていない。食事を済ませ、風呂に入り、ガジールの言葉によって女性組は二階、男性組は一階で寝たらしいのだが、ほぼ気絶したようなものなので、風呂を出た直後の記憶が曖昧なのだ。
それに加え、家主であるガジールがソファーを独占したので、硬い床で寝るはめになり、身体中のあちこちが痛んでいた。
「ふぁぁぁ……久しぶりに寝た気がする……」
体は痛むものの、不思議と疲労感は消えていた。過酷な旅だったという事もあり、睡眠は一時間ほど。その後はひたすら歩きまた寝る、という生活を繰り返していたので、屋根の下で寝るのがかなり久しぶりだったのだ。
「……目がしょぼしょぼする」
とはいえ、寝過ぎだ。時刻は昼過ぎ。
視界の定まらない目を擦り、思いきり体を伸ばす。パキパキと骨も元気良く騒いでおり、体な調子は万全だった。
起き上がろうと上体を起こすが、
「……おい、下りろ白頭」
理由は不明だが、ソラが胸の上で寝ていた。だらしなくよだれをたらし、すやすやとそりゃもう気持ち良さそうに。
ルークはソラの肩を掴み、強引に退かそうとする。が、ソラの十本の指はしっかりと服を掴んでいた。
「殴るぞ。おい、邪魔だから下りろって」
一旦退かす事を諦め、今度は体を揺さぶるが、『ん……』と少々艶めいたな声を出し、ソラはルークの体を上り始めた。そのまま首の後ろへと手を回し、完全に合体完了。
どこからどう見ても、ただの子供である。
「……はぁ」
ため息をつき、仕方ないのでそのまま立ち上がった。原理は不明だが、なぜかソラは落下しない。子供を首からぶら下げるという謎の状態が出来上がり、ルークはその状態で声がする外へと踏み出した。
外に出ると、数人の子供が元気良く走り回っていた。その中にはアキンやエリミアス、それを見守るケルトもおり、昨日は不機嫌丸出しだったシャルルの姿もあった。
ルークに気付いたエリミアスは、手を振りながら駆け寄り、
「あ! ルーク様、おはようございます」
「おう。朝からうるせぇよ」
「もうお昼ですよ。寝過ぎは逆に良くないのです」
「お前は俺のおかんかよ」
人差し指を立て、子供を叱る親のように微笑むエリミアス。その視線は首にぶら下がっているソラで止まり、
「あの、どうされたのですか?」
「知らん、起きたらこうなってた。お前ら一緒に寝てたんじゃねぇのかよ」
「ソラさんは最後まで寝ていらっしゃったので……」
「なに」
謎の視線に気付き、ルークはエリミアスの顔を見る。心なしか、羨ましそうな顔でソラを見ていた。
問いかけられ、エリミアスは慌てて手を振ると、
「い、いえ、なんでもありません。それより、ルーク様も早く遊びましょう!」
「やだよめんどくさい。俺はもう一眠りする」
「ダメですよ。昨日はご馳走になったのですから、そのお礼はちゃんとしなくてはいけないのです」
「お礼はお前らに任せる。じゃ」
「ダメです!」
軽く手を上げ、そそくさと家の中に戻ろうとするが、エリミアスに手をとられた。抵抗しようともがくが、結局は強制的に連行され、子供の輪に加わさせられる事になってしまった。
すると、先ほどまで楽しそうだったシャルルの顔が変化。勿論、不機嫌な顔へと。
「アンタ寝過ぎよ。寝癖も酷いし、ちゃんと貰ったものは返すって習わなかったの?」
「…………」
「な、なによ」
ルークが見つめると、シャルルは居心地が悪そうに顔を逸らす。
今気付いた事なのだが、服装が変わっていた。シンプルな白と紺の服だった。とはいえ、年頃の女性が着るものではないが、ボロ布よりも幾分かはマシだろう。
「お前その服どーしたの?」
「ガジールさんから貰ったのよ。て言っても、女用のはなかったから、男物なのよねこれ」
「なるへそ、だからちょっとブカブカなのか」
「そ。……なによ、似合ってないとでも言いたい訳?」
「んな事言ってねぇだろ。服なんて自分が着たいやつ着てれば良いんだよ」
「ふーん、意外と良い事言うじゃない」
良い事というか、単純に服に興味がないだけである。
シャルルは一瞬笑みを浮かべたが、直ぐに表情を険しいものへと戻し、
「その……首のそれなに?」
「新しいネックレスだ。欲しけりゃくれてやるよ」
「いらないわよ。あと、それ全然面白くない。ギャグのつもり?」
「……あのさ、お前俺に冷たくない?」
「別に。これが普通だけど」
とか言いつつも、明らかに態度は異なっている。子供達と楽しそうに笑いながら遊ぶのは見ていたし、ルークを見た瞬間に表情が変化したのも確認済み。
理由は簡単だ。昨日の事をまだ根に持っているのだろう。
ルークは目を細め、
「さっき笑ってただろ」
「は、はぁ!? 別に笑ってなんかないけど」
「いやなにその嘘。目的はなに」
「嘘なんかついてないわよ。笑ってないんだから、笑ってないんだもん」
腕を組み、良く分からない強がりをするシャルル。そんなシャルルの背後に一人の少女が近付き、
「お姉ちゃん! 早く遊ぼ!」
「うん。ちょっと待っててね」
と言いながら、爽やかな笑顔を浮かべた。
その瞬間、シャルルの体がガキンと固まる。誰がどう見ても、どこから見ても、完全に笑ってました。
シャルルがゆっくりと振り返ると、
「フッ」
鼻を鳴らし、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるルークがいた。
二人の視線が交差し、謎の沈黙が数秒間。それからシャルルの顔がみるみる真っ赤になって行き、
「な、なに笑ってんのよ!」
「笑ってたのはお前だろ。あれれぇ、笑ってないんじゃなかったのかなぁ?」
「わ、笑ってないわよ! アンタの目が腐ってんの!」
「お姉ちゃん……楽しくないの?」
「う、ううん。すっごく楽しいよ」
「うん! 私もー!」
不安げに顔を見上げる少女を見た瞬間、シャルルは微笑んだ。しかし、『やっちまった』と言わんばかりに肩を落として、再びルークへと顔を向ける。
言うまでもないが、この世のウザさを全て詰め込んだような顔だった。
「わ、笑うなぁ!」
「アハハハハ、あれ、シャルルさん笑ってたのかなぁ? あれ、おかしいなぁ」
「アンタって……本当に性格悪い!」
「そんなの分かってますぅ。心配すんな、笑顔可愛いかったから」
「かわッ…………死ね!」
可愛いという単語を聞いた瞬間、ボンッ!とシャルルの頭から煙が上がった。怒りと恥ずかしさが入り交じったように顔が真っ赤になり、最後には子供のような悪口を言って背を向け、ずかずかと歩いて行ってしまった。
一方、ルークは満足そうに笑みを浮かべていた。久しぶりに相手を打ち負かした事、あとはここ数日の苛々を発散出来た事。まぁとりあえず、この男の性格はクソッタレなのだ。
「ルークさん、あまり女の人を苛めちゃダメですよ」
「苛めてねぇよ。最初に話かけて来たのはアイツだ」
振り返るとアキンが立っていた。その手には、棒の先に白い布がくくりつけてある、手作りの旗らしきものが握られている。
その旗の用途は置いておくとして、
「おっさんとアテナは?」
「さっき大頭と三人でどこかへ行ってしまいました。あ、でも直ぐ戻って来るって言ってましたよ」
「大頭? あぁ、ガジールのおっさんの事か」
「はい! お頭のお頭なので、大頭です!」
なんか凄く楽しそうだけど、一切気持ちが分からないのでスルー。これである程度全員がどこにいるのは把握出来たが、見当たらない人物が一人。
ルークは面倒くさそうに、
「あのバカ……また一人でどっか行きやがったな」
「ティアニーズさんの事ですか?」
「おう。見てねぇの?」
「はい。僕が起きた時にはもういませんでした」
ここ数日、ティアニーズの様子はさらに悪化していた。全員といる時は口を開かないし、寝る時は離れたところで一人で寝ていた。一応ついて来てはいるのだが、明らかに一人になりたがっている。
それについて誰もなにも言わないのは、かける言葉が見つからないからだ。
「僕、探して来ますねっ」
「止めとけ。誰だって一人になりてぇ時くらいあんだろ」
「でも……」
「気遣いってのは行き過ぎるとただの迷惑になるんだよ。アイツが一人になりてぇんだ、だったら放っとくのが正解だろ」
「ルークさんは……それで良いんですか?」
「良いんだよ」
気にならないと言えば嘘になるが、行ったところで話す事もない。多分拒否されるだろうし、無駄にこちらが苛々するだけだ。
いまいち距離感が掴めず、眉間にシワを寄せて唸っていると、
「やっと起きたかオイ」
声の方へと顔を向けると、丁度アンドラ達が帰って来た瞬間だった。その手には限界までパンパンに膨らんだ布袋が握られており、アテナとガジールも同じ物を持っていた。
「おう。つか、なにそれ」
「野菜の種と肥料、あとは家畜の餌だ」
どこから持って来たのかは分からないが、ガジールは誇らしげに言う。
アテナが一緒に行っていたらしいので盗みとかではないのだろうけど、盗賊二人が揃うと持っている物全てが怪しく見えてしまう。
「よし、そんじゃ行くぞオイ」
「は? 行くってどこに」
「収穫、種植え、あとは餌やりに決まってんだろオイ」
「なんで俺がんな事しなくちゃいけねぇんだよ」
「良いから来いっての。……大事な話もあるからよオイ」
逃げようとしたルークの耳に、大事な話という言葉が滑り込んだ。その部分だけ声のトーンを落としていたので、知られたくない話なのは直ぐに分かった。
アンドラは首を傾げるアキンを見て、
「アキンは子供達と遊んでやっといてくれオイ。俺達はこっちの用事があるからよ」
「え、僕も手伝いますよ? 種植えとかやった事ないので!」
「子供と遊ぶのは子供の役目だぜオイ。しっかり遊んで来い」
「うー。はい、分かりました」
どうしても種植えをしたかったのか、アキンは納得出来ない様子ながらも、甘受するように頷いた。
その後、ついて来ようとするエリミアスをケルトに任せ、ルーク達は離れた場所にある畑までやって来た。
既にいくつかの野菜がなっており、日差しに当てられて輝いていた。食事に対して食えれば良い派のルークも、これには少しばかりの感動を覚える。
村にいた頃の事を思い出し、懐かしさも同時に覚えた。
「さぁて、んじゃさっさと済ませちまうか」
「大事な話ってのは?」
「それはあとだあと。今はやる事をやっちまう」
「へいへい」
ガジールに言われ、珍しく素直に受け入れたルーク。以前は面倒だと思っていた田植えも、時間が立って久しぶりにやってみたいという気持ちになったからだ。
そんなこんなで、田植えが開始。
と、思いきや。
「……おいソラ。お前いい加減に起きろ」
「……うぅ…………」
田植えーーすなわち腰を屈めるので、必然的にぶら下がっているソラは土についてしまうという事だ。別にそれはどうでも良いのが、この重りをつけたままだと腰への負荷がかかり過ぎてしまう。
ルークはソラの脇腹を掴み、
「起きろオラ。起きねぇと捨てちまうぞ」
「んっ……はっ……」
「…………」
「あっ……ゃ…………」
脇腹を掴んだ瞬間、甘い吐息がソラの口から漏れた。ソラの顔を見つめ、ルークは数秒考える。
別に興奮なんかしていないよ?
と自分に言い聞かせると、
「よし」
「なにがよしだオイ」
再び脇腹に指を食い込ませようとした瞬間、突っ込みとともに頭を叩かれた。それをやったアンドラは目を細め、
「テメェ、昼間っからなに考えてやがるオイ」
「なにって、起こそうとしただけだけど」
「嘘つけ、今思いっきりエロい事考えてただろーがオイ」
「ハハハハ、なにを言うんだね君は」
動揺が限界をぶっちぎり、紳士口調になるルーク。その通り、この男はエロい事をーーエロい事しか考えていませんでした。
バレては仕方ない、とルークは煩悩を捨て、今度こそ真面目に肩を掴み、
「いい加減起きろ」
「ん……」
激しく数回肩を揺さぶると、ゆっくりと瞼が持ち上がった。焦点が定まっていないのか、ぶら下がったまままばたきを数回。キョロキョロと辺りを見渡し、
「ここは……どこだ」
「畑。つか、とっとと下りろ。重てぇんぁよ」
「下りろ? ……??」
言葉の意味を分かっておらず、ソラは頭の上に何個ものはてなを浮かべる。数秒間考えたのち、次第に二つの赤い瞳が光を取り戻して行く。
ルークはただその顔を見つめていた。少し動けば、唇が触れあってしまうような距離で。
そしてーー白い頭が突っ込んで来た。
「ーーなにをしてるんだ貴様は!!」
「へぶはッ!!」
脳天が鼻っ柱に直撃し、ルークは上体をのけ反らして転倒。土を巻き上げ、無意識にこぼれ落ちる涙を拭う。
腹の上で頬を赤らめて興奮ぎみのソラを睨み付けると、
「いきなりなにすんだボケ! いてぇだろ!」
「そ、それはこちらの台詞だ! き、ききき貴様、今なにをしようとしていた!」
「なにって、起こそうとしてただけだよ」
「う、嘘をつくな! その、なんだ……接吻しようとしてただろう!」
「は? …………する訳ねぇだろ!」
どうやら、白い頭の精霊はとんでもない勘違いをしているらしい。接吻、つまりキスだ。
どのルートをたどってその答えにたどり着いたのかは不明だが、精霊さんの顔は真っ赤である。
「わ、私を優しく抱き締め、唇を近付けていただろう!」
「抱き付いて来たのお前ね! あと変な妄想混じってるから!」
「た、確かに私が魅力的だというのは事実だ。並の人間では私のナイスボディに耐えられず、興奮して襲いたいという気持ちが芽生えるのは分かる……だが!」
「おーい、俺の話聞いて」
「私は精霊で貴様は人間だ。そ、それは禁断の恋というやつではないのか!?」
「うんダメだね、全然聞いてくれないや」
勢いを増して膨らむ妄想。今のソラの頭の中がどうなっているのか気にならないではないが……多分とんでもなくアホみたいな事を考えているのだろう。
完全に死んだ目をしているルークに対し、ソラはもじもじと体を捻り、
「だ、だがしかし、貴様がどうしてもと言うのなら考えてやらん事もないぞ。私は偉大な精霊だ。偉大な精霊だからこそ、パートナーの願いを聞いてやる義務がある」
「じゃあそこ退いて。これ俺の願いね」
「ふん、そうか、照れてなにも言えないか。そうだろうそうだろう、ようやく貴様も私の魅力に気付いたという事か」
「そうだね、ソラ可愛いね。凄く魅力的だね。俺もう毎晩興奮して辛いよ」
「かわっ……ふん、貴様にしては気のきいた言葉を言えるではないか。その……あの、そんなに興奮しているというのなら……仕方なく、仕方なくだが……」
頬の赤みはやがて顔全体に広がり、最後には耳までもが真っ赤に染まった。
恥ずかしがりながら、ソラがなにを言おうとしているのかルークは直ぐに気付いた。が、なにも言わない。言ったところで聞く耳を持たないからだ。
ルークはたどり着いたのだ。
諦めの境地に。
「その……あのだな……夜……」
「そこまでだ。仲が良いのは微笑ましい事だが、昼間からする会話ではない。それに、なんだ、見ているこちらが少々照れる」
暴走精霊ソラは止まらない。かと思いきや、ここで現れたのは救世主アテナだった。言い辛そうに頬をかきながら、もう片方の手でソラの肩を叩く。
ソラはアテナの顔を見つめ、
「……うん」
小さく頷いたあとに立ち上がり、真っ赤な顔を伏せてなにも言わなくなってしまった。
ルークは暖かい土のベッドに横たわりながら、空を見上げて小さな声で呟いた。
「どこ行ってんだよ、あのバカ」
頭に浮かんだのは、桃色の頭の少女だ。
こんな時、止めてくれたのはいつも彼女だった。
色々な意味で、ルークが少女の重要性に気付いた瞬間だった。