七章十四話 『頭とお頭』
同じ町の中だというのに、辺りは暗闇に包まれていた。
商店街を抜け、町の外れに歩みを進めるほど闇は深くなる。月明かりがかろうじて照らしてくれてはいるが、それ以外の光源はちらほらと立っているガス灯だけだ。
先ほどまでの活気が嘘のように消え、辺りは夜の静けさに包まれている。どうやらここは元々住宅街だったらしいのだが、立っている家はボロく、屋根やら壁が剥がれ落ち、生活しているような雰囲気はない。
しかし、
「…………」
ルークが視線を横に向けると、一人の少年と目があった。汚れの染み着いた衣服を身にまとい、少年は物珍しそうにルークを見ている。
いや、少年だけではない。暗闇に隠れてはいるが、家な影から数人がこちらを見ていた。
「ジロジロ見やがって。金目の物なんて持ってねぇぞ」
「ここの奴らは人から物を奪ったりしねぇよオイ。ここに来る人間はまともな奴じゃねぇからな、多分ビビってんだろうよ」
「おっさん馬車盗んでたじゃん」
「俺はもうここを卒業してっから関係ねぇ。ともかく、あんま睨み付けてるなよオイ」
「へいへい」
全身に刺さる視線に気持ち悪さを感じながら、ルークはアンドラに続く。
その後ろ、先ほど男から解放された女性もついて来ていた。ボロ布で町を歩くのはあまりよろしくないとの事で、ルークの羽織っていたローブを強奪され、今はそれを身につけている。
それを抗議したらアテナからお叱りを受けたので、ルークは少しだけ不機嫌なのである。
「ここの奴らってどうやって生活してんの?」
「俺の時は頭がどっかから食料を盗んで来てたなオイ。あとは畑とか、少し離れた場所で鶏飼ってんだ」
「盗んでんじゃん」
「うっせ、生きるためにはしょうがねぇんだよオイ」
しばらく進み、噴水のある広場を抜けると、他の家よりも僅かに大きな建造物が見えてきた。家の前では子供達がボールを蹴って遊んでいたが、ルーク達を見るなり無言のまま去って行ってしまった。
歓迎している、という訳ではないようだ。
「ここだ」
小さく呟き、アンドラは家の前で足を止めた。緊張しているのか、扉に伸ばした手が一瞬だけ止まる。しかし、息を飲んで顔を上げると、一気に扉を開いた。
「頭、いるか?」
そう言って家の中に踏み込み、ルーク達もあとに続く。
家の中はシンプルだった。暖炉とソファー、あとは必要最低限の食器と明かり。とてもじゃないが、頭という言葉が当てはまる人間が住んでいる家とは思えない。
「……いねぇのか? おーい、頭! 俺だ、アンドラだオイッ」
返事はない。それどころか、物音一つしない。多分生活感があるのでここに住んではいるのだろうけど、人の気配はまったくなかった。
首を傾げ、『おかしいな』と呟きながら部屋を物色し始めるアンドラ。
すると、二階の方から物音がした。
騒がしくガタガタと音が鳴り響き、静かになったかと思えば、階段を下りて来た一人の男が姿を現した。
アンドラは男を見るなり手を上げ、
「おぉ、久しぶりだな頭! 元気にしてっーー」
そこで、アンドラの言葉は遮られた。
突然飛び出したかと思えば、男は強く握った拳を振り上げる。その拳はアンドラの右頬に直撃し、数回転したのちに扉をぶち破って外へと吹っ飛んで行ってしまった。
呆気にとられ、一度は沈黙。
沈黙の中、男はズカズカと歩き、
「テメェ……どの面下げて戻って来やがったんだ、アァ!?」
「ちょ、たんま、いきなり拳骨とかたんま!」
「うるせぇ! テメェみてぇなバカ息子、俺が殴らねぇで誰が殴ってやんだよオイ!」
「皆見てるから! 俺ドヤ顔で案内しちゃってたからオイ!」
アンドラの言葉など聞く様子もなく、倒れていたアンドラに伸しかかり、そのまま何度も拳を振り下げる。そりゃもう、ボッコボコである。
アンドラもなんとか抵抗しようとしていたが、次第にその力も弱まり、数分後には完全に沈黙。
ボロ雑巾になったアンドラを投げ捨て、男は振り返る。なにもしてないけど、めっちゃ睨んでいた。
眼力というかなんというか、蛇に睨まれたカエルの気持ちが理解出来てしまうほどに。
「オイ……」
男は小さく呟く。その呟きを聞き、理由は分からないが全員が姿勢を正す。
アキンに至っては、足が高速で震え過ぎて分身している。
男は眉間にシワを寄せ、殺気にも似たオーラを放ちーー、
「いやぁ、わりぃなオイ。見苦しいところを見せちまって」
満面の笑みを浮かべた。あの睨みがあったからなのかもしれないが、なんだか可愛らしい笑顔である。
再び呆気にとられ、一度は沈黙。
しかし、男は気にする様子もなく、
「立ってねぇで座れ、ほれ。どこから来たのかは知らねぇが、随分とボロボロじゃねぇかオイ。なにもねぇところだが、ゆっくり休んで行け」
めっちゃフレンドリー。つか優しい。
あの恐ろしい眼力とオーラはどこへやら、男は楽しそうにニコニコと微笑んでいる。
ルークの頭に、一つの言葉が過る。
これがーーギャップ萌えか、と
全員が口を閉ざす中、アテナが気持ちを切り替えるように咳払いをし、
「す、すみません。こんな夜分遅くに訪ねて来てしまい」
「気にすんな。ここは夜も朝も関係ねぇ、困った人間がいつでも来れるようになってんだ」
「なるほど……」
アンドラの育て親と聞いていたので、とんでもないのを想像していたが、真逆の男のようだ。暴力的なのはさて置き……額に刻まれた十字の傷はさて置き……ごっつい体型もさて置き……人相の悪い顔つきはさて置き……まぁとりあえず、優しい雰囲気の男だった。
会話に一瞬の空白が訪れ、アテナはなにか言おうと口を開く。が、躊躇うように唇を締める。しかし、迷いを払うように頭を振ると、
「私はアテナ・マイレード。……騎士団の団長を努めている者です」
「ほう……騎士団、か」
騎士団という単語を聞いた瞬間、男の眉が僅かに動く。アテナは、自分が騎士団だと名乗る事を躊躇ったのだろう。この男は追われている身で、追っているのは騎士団だ。
それを聞き、男がどんな行動に出るのか分からない。だから、躊躇ったのだ。
しかしそんな予想とは反し、男は笑みを浮かべ、
「よろしくな。俺はガジール、好きなように呼んでくれて構わねぇぜオイ」
「……私は騎士団です。なにも言わないのですか?」
「なんで?」
「いえ、貴方は騎士団に追われている人間ですので……」
「んなの気にしねぇよ」
適当に吐き捨て、ガジールと名乗った男はアンドラを見る。ボッコボコにされ、顔中を蜂に刺されたかのように腫らしているが、どうやら息はあるようだ。
「アンドラはお前達を信用してここに連れて来た。だから、気にする事なんてなにもねぇよ」
「……はい。すみません、私がまだまだでした。侮辱するような真似をしてしまい、本当に申し訳ない」
「気にすんな。俺もちょっと驚いたが、来る者は拒まねぇ主義なんだ」
この男がなぜ子供達を集め、面倒を見ていのか、ルークはその理由の一旦を理解した。多分、好かれているのだろう。子供のような笑顔を浮かべ、差別する事なく人を招き入れる。
ガジールの、そんな気概に。
「そんで、他の奴らは? 人の家に上がってんだ、名乗るのが普通だろ?」
「は、はい! あの、私はエリミアスと申します!」
慌てて名乗りを上げたエリミアスに続き、全員が名前を口にする。その頃には、既に男への不信感などなくなっていた。
そして、最後に名乗ったソラ。
ガジールはその名前を聞き、
「ソラか……。なるほど、アンドラがお前達をここに来た理由がよーく分かった。契約者はお前だな? ルーク」
「おう。え、なんで分かったの?」
「アルト……いや今はソラか。ソラがお前にくっついてるからだ」
「私の名前を知っているのだな」
「あぁ、会うのはこれで二回目だ」
何気ない会話の中で呟かれた『アルト』という言葉。それは、ソラの本当の名前だ。ルークがそれを知ったのはつい最近なのにも関わらず、男はその名前を知っていた。
それだけで、ただ者ではないと理解するのには十分だった。
というか、
「くっついてんじゃねぇよ」
「貴様が寒そうだったからな、仕方なくやっているのだ。感謝しろ」
「寒いけどお前がくっつくと暑い。離れろ」
いつの間にか腰にしがみついていたソラ。とりあえず顔に手を押し付けて退かそうとするが、二人のやり取りを見てガジールが吹き出した。
「随分と丸くなったもんだな」
「私がか?」
「おう。前に会った時はほとんど喋らなかったぞ。無表情で無言で、愛想がすげぇ悪かった」
「マジで? 初めて会った時からこんな感じなんだけど」
「ソイツなりに、なにかしらの心境の変化があったって事だろ」
ニヤニヤとするガジールを見て、なぜかソラは潔くルークから離れた。
そして今さらだが、ルークは記憶を失う前のソラをまったく知らない事に気付く。会った時からこんな感じなので、前もそうだと思っていたが、どうやら違うらしい。
想像出来ない。それが本音だった。
最初から表情がコロコロと変わるような精霊だったし、それが最近になって拍車がかかっている。しかし、それも前のソラではあり得なかったのだろう。
本当に、本当に今さらだが、ルークはソラの事をなにも知らないのだ。
ソラはルークを見上げ、
「ルーク、私は無表情の方が良いのか?」
「知らん。お前はお前だろ、ソラ」
「ふん……そうだな、私はソラだ。今の私はこれだ」
「……勇者との関係は良好か。アイツに言ったら悔しがるだろーな」
満足したように頷くソラ。
ガジールはそんなソラを見て小さく呟いたが、その呟きが二人の耳に入る事はなかった。
なぜなら、
「あー、いてぇ。本気でぶん殴りやがって……」
ボロ雑巾から人間に昇格し、復活したアンドラが頬に手を当てながら部屋に戻って来た。
「盗賊なんかになりやがって。俺は騎士団になれって言っただろオイ」
「うるせぇ、盗賊だった奴に言われたかねぇよオイ」
「俺が盗賊だったから言ってんだろ。騎士団に入って普通に生活する、そのために俺はお前を鍛えたんだぞオイ」
「俺は俺のやりたい事をやってんだ。頭に指図されようが関係ねぇよオイ」
「なんだとこのクソガキ」
「あんだこのクソじじい」
「す、ストップ、喧嘩はダメです!」
繰り広げられる『オイ』の攻防に終止符を売ったのは、間に飛び込んだアキンだった。
親が親なら子も子。という言葉の通り、口癖は移るようだ。というか、以前あったアンドラの手下も、変な口癖があった気がする。
唯一口癖が移っていない少女は、
「仲良くしましょう! お二人は親子なんですから!」
「えーと、確か……アキンだったか?」
「はい! あの……僕、お頭の元で修行してるんです!」
「ハッ、どうだ見たか。俺にも部下がいるんだぜオイ」
キラキラと目を輝かせるアキンと、鼻を鳴らして得意気なアンドラ。
大頭と頭、そして弟子。三代に渡る奇妙な繋がりを目にし、
「アンドラ……テメェ、子供に手ェ出すなんてなに考えてやがる!」
「バ、バカ野郎! 俺がそんな事する訳ねぇだろオイ!」
「クソ……俺のしつけがなってなかったばっかりに……。すまねぇ、辛い思いさせちまったな」
なんのこっちゃ分からないらしく、アキンは二人の会話を聞きながら楽しそうにしている。
一方、あらぬ誤解をされたパパだったが、そりゃもう見るに耐えないほどに動揺していた。
「俺とアキンはただの頭と部下って関係なんだ! そりゃ、行く行くは父親と子供とか考えた事はねぇでもねぇが……」
「オイ、こいつになにかされなかったか?」
「んー……お風呂覗かれました」
「アンドラァァァァァァ!!」
投下された爆弾の効果は抜群だったらしく、ガジールの叫びの直後、アンドラは人間から血袋に昇格したのだった。
とりあえず、騒がしい対面を済ませたあと、一度は席についていた。こちらとしては直ぐに勇者について聞き、さっさとこの町を出て行きたいのだが、ガジールはそれを許さなかった。
『腹減ってんだろ? 話は飯食ってからだ』
という提案を受け、現在はご飯の準備中である。まぁ、ルークとしてはなによりも飯を優先したかったので嬉しい提案ではあるが、正直不安だった。
言っちゃ悪いが、普通の飯が出てくるとは思えない。
しかし、
「めっちゃうまそう」
出て来たのはどれも美味しそうなものばかりだった。肉や野菜、スープはキラキラと眩しいくらいに輝いており、空腹補正を抜きにしても、よだれが無意識に垂れてしまう。
「頭の料理はうめぇぞ。懐かしいぜオイ」
「これは、驚きだな。新鮮な食材をいかしつつ、それでいて自分流のアレンジも加えられている。私も学ばなければ……」
他の面々も満足らしく、食べる前からテンションが跳ね上がっていた。
準備を済ませ、手を合わせていただきます。
ようやく、ようやく待ちに待った食事にありつけたルークだった。
しかしそんな中、暗い表情で食事を見つめる女性が一人。フォークを手に持ってはいるが、一切手をつけようとはしない。
ルークの目の前に座る、先ほど奴隷から解放された女だ。
「なんだよ、お前食わねぇの?」
「お前じゃない。さっき名乗ったでしょ、私の名前はシャルル」
「あーそう、全然聞いてなかったわ」
ガジールの衝撃や食事の事に頭が向き過ぎていたため、ルークは先ほどの自己紹介をほとんど聞いていなかったのだ。
シャルルは不服そうに顔を逸らし、
「お腹減ってない」
「嘘つけ、さっき腹鳴ってただろ」
「な、鳴ってないわよ! だって我慢してた……あ」
「減ってんじゃん。意地はってんじゃねぇよ」
時既に遅く、自分の失言に気付いたシャルルは肩を落とした。
良く見れば、額にも殴られた痕が残っている。外に跳ねた短い赤茶色の髪、淡く輝く空色の瞳。たとえ痣があり、表情が暗く落ち込んだものだとしても、彼女が美人だという事はルークにも分かった。
「意地なんてはってない。食べれないわよ……こんな豪華な食事……」
「気にするこたぁねぇよ。飯ってのは人が食べるためにあるんだ、遠慮してっと食材が泣いちまうぞ」
「でも、これが無料なんて……せめてなにかお礼を……」
変なところで真面目というか、この食事を無料で食べるという事に遠慮しているらしい。
全員がシャルルの真面目さに小さく微笑む中、ルークは肉をむさぼりながら、
「あれか、このお礼は体で、ってやつか」
「バッーー、そんな訳ないでしょ!」
「いやだって、さっきの男にそういう事してたんじゃねぇの?」
とんでもない偏見だが、ルークの中で女性の奴隷とはそういうイメージなのだ。男の指示に従い、あんな事やそんな事をするイメージ。
ただ、普通の人間は思っても口にしない。しかしこの男は、デリカシーとかその他諸々どっかへ捨てて来てしまったので、食事中だろうがお構い無しなのである。
「す、すすすすする訳ないでしょバカ! 私だって女なの、そういうのは……ちゃんと……」
バン!と勢い良く机を叩いて立ち上がったシャルルだったが、口を開くにつれて顔が真っ赤に変化し、最後には聞き取れない言葉をもごもごと呟きながら座ってしまった。
それを見て、ルークは笑みを溢す。
「礼ならあとですりゃ良いだろ。手伝う事なんて山ほどあるだろうし」
「そうだな、子供達の遊び相手が足りなかったところだ。頼んでも良いか?」
「そんな事で、良いんですか?」
「子供の相手は意外と疲れんだよ。そのために食っとけ」
あの村で、ルークはそれを思い知った。すばしっこくて力強い、魔獣の子供達の強さを。
頭に浮かんだ考えを誤魔化すように、ルークは手を進める。
シャルルは少し躊躇いながらも、
「じゃあ……いただきます……」
「おう、しっかり食え」
恐る恐るフォークを伸ばし、湯気を上らせている肉に刺した。そのまま口元まで運び、小さく開いて放り込むと、雲っていたシャルルの顔が僅かに微笑んだ。
「美味しい……」
「だろ? じゃんじゃん食べろ。残したらぶっ飛ばすからな」
ガジールのその言葉を合図に、シャルルはたまっていた鬱憤を晴らすように次々と食事を口に運ぶ。その仕草の中にも女性らしさがあり、決して汚いものではなかった。
そんな時、ふとシャルルが顔を上げる。
目に入ったのは、ニヤニヤと怪しげな笑みを浮かべるルークだった。
「なによ」
「いんや、よーく味わって食えよ」
「うっさい……バカ」
乱暴な言葉を吐きつつも、シャルルの手は止まらないのだった。