七章十三話 『善意の押し付け』
「はぁぁぁ!? 飯は!?」
そんな声が、道のど真ん中に響き渡った。
言った本人であるルークに周りの視線が向けられるが、気にせずに続ける。
言われた側のアンドラはルークの肩を掴み、人目を気にするように声を潜め、
「声がでけぇ、俺は指名手配犯なんだぞオイッ」
「んなの知るかよ。飯、はよ飯!」
「お前金持ってんのかオイ」
「……まったく、これっぽっちも」
「だろうなオイ。俺も持ってねぇ」
首を捻り、こちらを見つめる同行者達を見る。アテナは勿論ないだろうし、当然アキンもない。エリミアスは姫だがお金を持って来てはいない。ケルト、そしてソラも同じだ。唯一望みのあるティアニーズだが、全員分を払えるほど余裕はないだろう。
「金がねぇから店で飯は食えねぇ。分かったかオイ」
「無理、めっちゃ腹減った」
「話を最後まで聞け。別に食えねぇなんて言ってねぇだろオイ」
「んじゃどーすんだよ」
「俺に宛がある。そこに行くんだよオイ」
ルークは訝しむ目を向けながらも頷いた。いまいち信用にかけるが、飯を食えるかもしれない以上、今のルークに文句を言う資格はないのだ。
なんせ、一文なしなのだから。
そう、お金がないのだ。意気揚々とテムランに突入したのは良かったが、ここで重大な問題が発生。誰一人としてお金を持っていなかったのだ。
今まで当たり前のように食べていたが、それはトワイルがお金を出していたからであり、当然無料なんかじゃない。
改めて、ルークはトワイルの存在がどれだけ大きかったのかを思い知る。
その事もあり、強く文句を言えないのであった。
「わーったよ。早くそこ行こうぜ」
「その前に約束して欲しい事が一つある。お前らもだオイ」
ルークが納得したのを確認すると、アンドラは手招きで全員を召集。首を傾げる面々を集め、無理矢理肩を組んで声のトーンを下げると、
「なにがあっても、なにを見ても関わらねぇって約束しろ。特にルーク、お前は直ぐ暴れそうだからなオイ」
「おっさんは俺をなんだと思ってんだよ。自分から面倒に関わるような真似はしねぇ」
「それなら良いんだけどよ……。他の奴らも良いなオイ」
「別に構わないが、なぜそんな事を?」
「歩いてりゃ分かる。ともかく、約束は守れよオイ」
アテナの疑問に適当に答え、アンドラは直ぐに踵を返す。全員の頭の上にいくつものはてなが浮かんでいるが、今は空腹を満たすのが先だと結論を出し、アンドラに続いて歩き出した。
ーーしかし、ルーク達は直ぐにその言葉の意味を理解する事となった。
アンドラに続いてどこかへ歩いていると、男の怒声のようなものが耳に入った。見れば、スキンへッドの男が黒髪の女性を蹴り飛ばす瞬間だった。それに加え、女性が身につけているのは服とは程遠く、ボロい布のようなものを体にまとっている。
けれど、そんな様子を見ても、誰一人声をかけようとはしない。それどころか、気付かぬふりをして顔を逸らす者までいた。
「……奴隷ってやつか」
「あぁ。この町じゃあんな光景、日常茶飯事だぜオイ」
誰一人目を合わそうとはしない。倒れている女性に向けて何度も爪先をぶつけ、男は怒りを発散するように怒鳴り散らしている。アンドラの言う通り、この光景は日常的なものなのだろう。
関わればどうなるか分かっているから、誰も声をかけようとはしない。
エリミアスは服の裾を掴み、
「酷い……私、止めて来ます」
「ダメだ。さっきアンドラと約束しただろう」
「ですが、人を物のように扱って……あんな行い、許されるものではありません!」
「そんな事、全員が分かっているさ。だが、止めてどうなる? 確かに私達ならばアレを蹴散らす事は容易い。しかし、そのあとの事を少しでも考えたか?」
「その……あと?」
アテナは蹴られている女性を見ている。目を細め、口では辛辣な事を言っているが、その瞳には悔しさが滲んでいた。
「仮に私達があの女性を助けたとしよう。そのあとで、彼女の生活はどうなる? 衣服は酷いものだが、痩せこけているようには見えない。食事はちゃんと与えられている証拠だ」
「だから、なんですか」
「あれが彼女の生活という事だ。あの男を蹴散らしたあと、彼女はちゃんと生きて行けると思うか? 私は思わない。身寄りもなく、食事もとれず、恐らく今よりも悲惨な生活を送る事になる」
たとえ助けたとしても、それが女性の幸福になるとは限らない。望んではいないかもしれないが、女性は文句一つ言わずに暴力を受けている。
アテナは息を吸い、
「エリミアス、人を助けるというのは難しいんだ。彼女を助けたとしても、それが彼女のためになるとは限らない。それに、もしあの男が逆恨みで仕返しをして来たらどうする? 君の行動で危険にさらされるのは、君だけじゃないんだ」
そこ言葉を聞いて、エリミアスは口を閉ざしてしまった。残酷な事かもしれないが、これが現実なのだ。
助けたいから助ける。その場を凌いだから終わり。それで終わるほど、現実は甘くない。
人を助けるという行為にだって、それなりの覚悟と責任を有するのだ。
「ここで奴隷を連れてる奴らは全員繋がってる。売り手が同じところの奴らだからな。理不尽だと思うが、間違いなく報復に来ると思うぜオイ」
「今ここで騒ぎを起こし、私達がこの町にいられなくなったら、魔王に関する重大な手掛かりをみすみす手放す事になる。一人の女性か、世界か。救えるのはどちらか一つだけだ。それでも助けるというのなら、私は止めない」
多分、アテナは嫌みを言っているつもりなんてない。本気であの女性の事を思っているから、エリミアスの事を思っているから、非情な態度で気持ちを押し殺しながら言葉を吐いているのだろう。
エリミアスはうつ向き、最後には女性から目を逸らした。それが、彼女の答えなのだろう。
しかし、そこで一人が踏み出した。
今の話を聞いて、なおも助ける道を選んだ少女が。
「僕、助けて来ます」
「アキン、さっき約束したよなオイ。なにがあっても関わらねぇって」
「はい。僕は今その約束を破ります。お頭に嫌われて捨てられちゃうかもしれないけど……それでも僕は助けます」
「……あのなぁ、アテナの話ーー」
「人を助けるのに、いちいち後先考える必要ありますか?」
アンドラの言葉を遮り、アキンがそう言った。
怒りではなく、覚悟に満ちた瞳でスキンヘッドの男を見据えながら。
「困ってて、でも助けを呼べなくて……我慢して、泣いて、苦しんで……。きっと、あの人は悔しい筈です。だから、僕は助けます」
「それで、俺達が危ない目にあってもかオイ」
「その時は、僕が皆を守ります。今あの人を助けなかったら、僕は一生後悔します。嫌なんです……もう、あの時動けていればって思うのは」
「…………」
「目の前で苦しんでる人がいる。それを見て助けたいと思った。だから、僕は助けます。間違いでも構わない……僕は、それが正しいと思うから」
アキンの真っ直ぐな言葉、横顔を見て、アンドラは一瞬だけ躊躇うように目を伏せた。しかし、頭を振って直ぐに顔を上げ、緩みかけた心を閉め直すように息を飲んだ。
「オイルーク、お前からもなんかーーって、あれ?」
助けを求めようと首を振ったが、いる筈の人間がそこにはいなかった。先ほどまで真横にいた筈なのに、いつの間にか青年の姿が見えない。
首を傾げながら辺りを見渡そうと視線を戻した瞬間、アンドラはそれを目にした。
ーースキンヘッドの男の体が、ダイナミックに殴り飛ばされる瞬間を。
数メートル宙を舞い、そのままきりもみ回転しながら男は落下。白目を向き、よだれを垂らしながら完全に伸びてしまったようだ。
それをやった青年は、振るった拳を開き、
「ッたく、こっちは腹減って苛々してんだよ。胸くそわりぃもん見せんじゃねぇよ」
あっけらかんとした様子で、ルークはそう言った。
さらに、白い頭の精霊がてくてくと歩き出したかと思えば、伸びている男の腹を踏みつけ、
「外道が」
そう、乱暴に吐き捨て、ルークの横へと戻って行った。
一瞬、アンドラはなにが起きたのか分からず、とりあえず三回ほどまばたき。それからもう一度状況を把握しようと視線を泳がせ、
「なにやっとんじゃオイィィ!!」
叫び、絶叫。まぁとりあえず、アンドラの大声が道の端から端まで響き渡った。鬼の形相を浮かべ、そのままルークに掴みかかると、
「おまッ、お前、人の話聞いてのかよオイ!」
「うるせぇな、耳元で怒鳴んじゃねぇよ」
「怒鳴りたくもなんだろーがオイ! 自分がなにやったのか分かってんのか!?」
「ムカつくから殴った」
「んなの見りゃ分かるってのオイ!」
胸ぐらを掴まれ、前後に激しく揺さぶられながらも、ルークは悪びれた様子もなく冷めた目で口を動かした。
そう、この男に後先とか助けたらどうなるとか、言っても無駄なのである。
男がムカついたから殴った。ただそれだけなのだ。
そのあと、女性がどうなろうと知ったこっちゃないし、男が報復に来ようが関係ない。
自分勝手で無責任、それがこの男なのだ。
「お前、マジでどうすんだよオイ! 目ェつけられてこの町にいられなくなったらどーすんだよ!」
「全員ぶっ潰しゃ良いだけの話だろ。人目集めてんぞ」
「うるせぇ! 今色々と予定が狂って焦ってんだよオイ!」
「あの……」
怒りをどこに向けたら良いのか分からないのか、手足を振り回して暴れるアンドラ。
すると、男に殴られて倒れていた女性が顔を上げた。良く見れば、顔はアザだらけで、布から伸びる二本の足にも見るに耐えない傷が刻まれていた。
「どうして、助けたんですか……。我慢してたのに、私が我慢していれば、普通に暮らせたのに……」
「普通って……オイ……」
今のが普通。その言葉だけで、女性がどれだけの仕打ちを受けて来たのか察するには十分だった。
女性の顔には、安堵ではなく不安が入り雑じっていた。ルークの顔を見て、女性は声を上げた。
「貴方のせいで、私の居場所がなくなったの! なんで……余計な事しないでよ!」
「お前がどうなろうが知ったこっちゃねぇんだよ」
「だったら無視すれば良かったじゃない! 軽い気持ちで踏み込まないでよ!」
「……軽い気持ちで踏み込んでなにが悪い。大体なぁ、お前がこんなところでやられてんのがわりぃんだろ」
「な、なんで私のせいなのよ!」
ルークの暴論に、女性はさらに声を荒げた。
しかし、ルークは表情を崩さない。いつものように面倒くさそうな顔で、悪い目付きを女性へと向ける。
「我慢がそんなに偉いのか? 安定した生活が欲しくて、自分の気持ちを押し殺すのがそんなに偉いのか?」
「これしかないのよ! こうしてれば、私は死ななくて済むの!」
「だったら一生そうしてろ。諦めて地べた這いずって、やりたくもねぇ事やってろ」
女性がなにかを言おうと口を開いたが、ルークはそれを無視して背を向けた。
これがルークだ。
多分、女性は助けを望んでなんかいなかった。生き延びる事が出来るのなら、どんな痛みでも我慢して来たのだろう。
けれど、それがなんだと言うのだ。
立ち向かう事を諦め、安定をとって自分を殺す行為は、なにも凄くなんかない。
この女性は、ルークが一番嫌いなタイプの人間なのだ。
「ふざけんな……逃げんな!」
「……はぁ、お前にだけは言われたくねぇよ」
「なら……どうすれば良かったのよ……どうするのが正解だったのよ!」
振り返らずに進んでいると、突然肩を掴まれた。そのまま体の向きを無理矢理変えられ、女性の顔が目の前に迫る。
噛み締めた唇からは血が流れ、瞳には涙が浮かんでいる。
そんな女性に、ルークは言う。
「助けてって、ただ一言言えば良かっただけの話だろ」
「ーーーー」
「くだらねぇ意地はってんな。助けてほしけりゃそう言え。俺は絶対に助けねぇけど」
大きく目を見開き、女性の手が緩む。その隙に乱暴に手を払うとルークは再び歩き出す。
全員の元まで戻ると、なぜか全員が満面の笑みを浮かべていた。
気持ち悪いくらいに、ニヤニヤと。
「流石ルーク様です! 私、感動しました!」
「はい! 迷ってた僕が恥ずかしいくらいです!」
「まさかとは思っていたが、あそこまで派手にやるとはな」
「まてまて、お前ら勘違いしてんぞ。つか、俺が人助けなんかしねぇって分かってて言ってんだろ」
呆れたように口を開くルークだったが、それでもニヤニヤは止まらない。ルークがなんと言おうと、今のは立派な人助けなのだなら。
しかし、アテナは直ぐに表現を正すと、
「だが、あの女性はどうする? あのまま放置する訳にはいかない」
「知らん。勝手に自分でどうにかすんだろ」
軽く女性へと視線を向けると、たったままうつ向いていた。涙は止まっているが、動く気配はまったくない。
アンドラはため息をつきながら側までやって来ると、
「お前のアホな行動はアレだが、これ以上出来る事はなにもねぇ。悪いが、自分の力でどうにかするしかねぇよオイ」
「あの様子だと、頼れる人間もいないだろうな」
「いやもう良いだろ。とっとと行こーぜ」
騒ぎを起こした張本人のくせに、ルークの頭の中では、もうこの一件は終わっている。しかし、他の面々は動く気配もなく腕を組んで考えていた。
そんな時、ケルトが手を上げる。
「アンドラさん、貴方の話だと私達がこれから会いに行く人は、身寄りのない人間の面倒を見ているんですよね?」
「ん? まぁ、そうだな。多分まだ飽きずにやってんだろうよオイ」
「では、そこへ連れて行くというのはどうでしょうか?」
「「それです!」」
アキンとエリミアスの声が重なり、晴れやかな笑顔を浮かべた。そのまま二人揃ってケルトの腰に抱き付き、ケルトは少し困ったようにたじろいでいる。
アテナは結んでいた腕をほどき、
「こう言っているが、それは可能性なのか?」
「……頭は来る者は拒まねぇ主義だ。奴隷だろうがなんだろうが、多分大丈夫だと思うぜオイ」
「ふむ、では決まりだな」
あまり納得はいっていないようで、額に手を当てて肩を落とすアンドラ。けれど、アキンの幸せそうな笑顔を目にした瞬間、僅かに口元が緩んだ。
そうと決まれば話は早い。ルークは振り返り、
「おい、さっさと行くぞ。こっちは腹減ってんだ」
「…………」
「来ねぇなら別に良いけどよ」
「…………いく」
「あ?」
「行くって言ってるの!」
「なにキレてんだよ」
「キレてないわよ!」
どうやら元気らしい。体はボロボロだが、過酷な日々を乗り越えて来た事により、強靭な心は持っているようだ。
そんなこんなで、新たな同行者が加入。
迫り来る空腹の脅威に怯えながら、ようやくルーク達は目的地に向けて歩き出した。