七章十二話 『最後の都市』
ルーク達は歩いていた。
宛もなく、という訳ではないけれど、なにも知らない人間から見れば全員の表情は重苦しいものだろう。現在地がどこか分からず、とりあえず太陽の位置を確認する事で方角だけを確認し、目的地であるテムランがある北へと向かっているのが現在だ。
あれから、ほとんど会話はない。
一緒にいた筈の子供達がいないーーすなわち、それはゴルークスの死を意味する。
それを分かっていながら、事実を口にする者は誰もいなかった。
「……腹減った」
「それを言うな。私は既に腹と背中がくっついている」
「精霊って腹減らねぇんじゃねぇの?」
「腹が減った感覚がある。人間と同じように生活をしてきた代償だろうな」
「その割にはおんぶせがんで来ねぇじゃん」
「私だって一応空気を読む事は出来る。……貴様がどうしても言うなら、されてやっても良いぞ?」
「へいへい。また今度気が向いた時な」
こんな中身のない会話は何度目だろうか。
食料もなく、近くに村や町も見当たらない。水は川の水でなんとか我慢しているが、正直どんな菌が混じっているか分かったもんじゃないので、出来れば早く綺麗な水が飲みたいものである。
ふと、視線を前に向ける。
淡々と先頭を歩くアテナと、その後ろでアキンを支えながら歩くアンドラ。さらにその後ろで、今にも倒れそうなティアニーズにエリミアスとケルトが側に寄り添っていた。
ルークとソラは最後尾だ。
「ソラ、お前だけには言っとく」
「なにをだ?」
「アイツらーー魔獣どもが俺の居場所を正確に把握してる、その理由だよ」
首を傾げてルークを見上げるソラに、ルークは袖を捲って左腕を見せた。左腕には、禍々しく、そして見る者に不安を抱かせるような模様が刻まれていた。
ソラは僅かに眉を動かし、
「貴様……いつからだ、なぜ言わなかった」
「最近、つーか魔王が復活してからだ。このキモい模様が広がってる」
以前見た時よりも、腕の模様が明らかに広がっていた。二の腕だけに収まっていた筈の紋様が、今は手首の辺りにまで延びている。幸い、まだ服を着てれば見えないのだが……。続けてルークは首回りを掴み、自分の胸を見せる。
「胴体まで広がり出した」
「はぁ、私は今貴様を無性に殴りたい気分だよ」
「止めとけ、無駄に疲れるだけだぞ」
ソラの怒りは、ルークが紋様の事を言わなかった事に対して向けられている。ルークはそれを分かっていながら、あえて適当に流し、
「多分、これのせいでアイツらは俺の居場所が分かるんだと思う」
「まさか、ユラはこれを見越して貴様に呪いをかけたとでも言うのか?」
「それはねぇと思う。そもそもこの呪い、俺じゃなくてリエルに向けられたもんだろ」
「そうだったな。まったく、どこまで不幸なのだ貴様は……。それで、体になにか異常は?」
「特になんも。腹減ってる以外は至って健康」
紋様が広がってる事に気付いたのは、魔王が復活して次の日風呂に入った時だ。これは過程だが、恐らく魔王ではなくユラが復活した事により、呪いの進行が始まったのだろう。
ともあれ、特に異常がある訳でもなく、ただ気持ち悪いだけである。
ソラは軽く咳払いをし、
「それもそうか、もし貴様の体に異常があれば私はそれを感知する事が出来る」
「初耳なんですけど」
「精霊と契約するとはそういうものだ」
「さいですか」
どこまで見抜かれているのかは不明だが、多分軽い体調不良程度ならば簡単に感知されてしまうのだろう。しかし、体に異常がないのは事実だ。痛くもないし、苦しくもない。
これをつけられた時もそうだったが、本当に呪いなのかすらも怪しい。
なんて事を考えていると、ソラが真剣な顔で見つめてきた。
「私は貴様がなにを考えているかまでは分からない。だが、私はどこまでもついて行くぞ」
「…………」
その言葉で、ルークの頭に本気で心を読まれているのでないか、という疑問がわいた。
ルークがここにいれば、間違いなくまた襲われる事になるだろう。居場所がバレている以上、どこかに逃げるという手段もとれない。
正しく、ルークの側が世界で一番危険な場所になっているのだ。
「元々、これは私がやるべき事だ。そこに貴様を巻き込んでしまった事に多少の罪悪感がないでもないが……今さら謝ったところでどうにもならん。だから、せめて私が側にいてやる」
ソラがルークを選びさえしなければ、こんな事にはならなかった。確かにそれは紛れもない事実だが、今のルークはさほど気にしてはいない。
自分で選び、進むと決めた以上、その責任を誰かに押し付ける事はしない。
ソラの言葉を聞き、ほんの少し頬を緩め、
「なんか勘違いしてるみてぇだけど、別にどこにも行かねぇよ」
「嘘をつくな。誰にも言わずに、夜な夜などこかへ行こうとしていたのは分かっている」
「え? 見てたの?」
「嘘だ、なんにも見ていない。しかし、どうやら当たりらしいな」
「お前あとでぶん殴ってやる」
かまをかけられ、まんまとはめられてしまったルーク。誤魔化すように顔を逸らし、
「あれはトイレに行こうとしてただけだ」
「ならばなぜ顔を逸らす? 照れているのか? 可愛い奴め」
ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべ、ルークの脇腹を人差し指でつつくソラ。とりあえずムカついたので脳天に拳骨をくらわし、
「確かにどっか行こうとしてた。でも、それはコイツらのためじゃねぇ。騎士団なんだからこの国のために戦うのは当たり前だろ。今さら巻き込む事に躊躇いなんかねぇよ」
「ではなぜだ?」
「……さぁな、俺も分からねぇ」
一瞬、視界にフラフラと歩くティアニーズが入ったが、ルークは直ぐに視線を逸らした。
心配という訳ではないが、多分、今ルークが消えたら彼女はそれに耐えられなくなってしまう。
だから……と、ここまで考え、ルークは頭を振った。
「ともかく、俺はどこにも行かねぇ。最後までコイツらをとことん巻き込んでやる」
「そうか……貴様がそう決めたのならそれで良い。だが、もし本当に悩む時が来たら……その時は真っ先に私に言え」
「なんでお前に言わなきゃいけねぇんだよ」
「相棒だからだ」
即答したソラを見て、ルークは思わずかたまった。
トワイルが死んで心境に多少の変化があった事には気付いていたが、相棒だと言い切るとは思っていなかったからだ。
「どうした? 照れているのか? まぁ、貴様がどうしてもと言うのなら、相棒ではなく恋人として相談にのってやらんでもないぞ」
「いつ恋人になったんだよ。お前俺の事好きなのかよ」
「前にも言った筈だ。私は貴様の事が大好……」
帰って来る言葉は予想出来ていたが、そこでソラの口が止まった。ルークの顔を見つめ、自分の口に触れてなぜか考えるように顔を伏せた。
様子がおかしい、そう思って顔を覗き込むと、
「腹減り過ぎておかしくなっちまったか?」
「だ、だ……だい……すき」
「あ? なに?」
「なんでもないわバカ者っ。こっちを見るな!」
完璧に聞こえていたが、仕返しのつもりでさらに詰め寄ると、言葉と同時に平手打ちが帰って来た。
心なしか、ソラの頬が赤く染まっているようにも見える。
「ッてーな、いきなりなにしやがんだッ」
「き、貴様が顔を見るからだろ!」
「顔なんて今まで何回も見てんだろーが」
「そ、それもそうだったな……見るな!」
「理不尽過ぎんだろ!」
視線があった瞬間、再びソラの掌が頬に直撃。真っ赤に染まり、綺麗な紅葉がルークの頬に刻まれていた。
ソラは胸に手を当て、紅潮した顔を隠すようにうつ向きながら、
「良いか、私が良いと言うまでこっちを見るな」
「言われなくても見ねぇよ」
「私の顔が見たくないと言うのか!」
「どっちだよ、面倒くせぇ奴だな!」
「私は面倒な女ではない! 家庭的な精霊だ!」
「料理も出来ねぇ奴のどこが家庭的なんだよ!」
なんだか様子のおかしいソラ。真っ赤になった顔でルークを見上げ、視線を泳がせて口をパクパクと動かす。餌を求める鯉のような動きのあと、両手を広げて渾身のドヤ顔で、
「美貌で癒せる」
「せめて身長伸ばせ」
「精霊の容姿は成長しない。だが、このロリ……少女の姿はそれなりに需要がある」
「自分で言うんじゃねぇ。残念だが俺はロリコンじゃない、ボインで包容力のあるお姉さんがタイプだ」
「誰がロリっ子だ!」
「自分でも言いかけてただろ!」
「ふ、ふん、私だって抜けば凄いんだぞ! 着痩せするタイプなんだ!」
質量の事を考えれば、どう着痩せしようがソラの体型にはならないだろう。しかし、本人はマジである。鬼気迫る表情で、必死にポージングをとりながら凹凸のない体を見せびらしている。
ルークはそれを鼻で笑い、
「諦めろ。ないものはないんだ」
「可哀想な目で見るな!」
とりながら本気の同情心を瞳に浮かべ、優しくソラの頭を撫でた。
最初は嬉しそうに頬を緩めていたが、バカにされていると気付いた瞬間に暴れだすソラ。手足を振り回してルークに飛び掛かろうとしたが、そこで可愛らしい腹の音が鳴り響く。
空腹のお知らせである。
「……止めよう、無駄に腹が減るだけだ」
「うん。俺もすげー疲れたよ」
そんなこんなで、下らない茶番劇は幕を下ろした。
ちなみに、あれから四日ほど経過しているが、毎日このやり取りを繰り広げている。
そんなルークが思う事は一つ。
突っ込みや止める人間がいないのは、意外と辛い。
だった。
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それから恐らく四日ほど立った。
恐らくというのは、腹が減り過ぎて思考能力が低下したのと、ここら辺は雨が良く降るらしく、ほとんど一日中曇り空で太陽の光をまともに浴びていないので、正確に把握していないからだ。
飢えは、魚をとったりそこら辺にはえてる雑草を食べたりしてなんとか誤魔化しているが、そろそろ限界が近い。
全員の頬が痩せこけて見えるが、見間違えではないだろう。
しかし、それでもまだ動けるのは、アテナがいてくれたからだろう。世界を旅していたという事もあり、サバイバル能力がズバ抜けて高い。彼女のアドバイスを頼りに生活し、なんとか生き延びていた。
そして今、
「……あ? あれって町じゃね?」
ぶっ倒れそうになりながら顔を上げると、ルークの視界の遠く先に高くそびえ立つ壁のようなものが入って来た。ちなみに、ソラは完全に限界を越え、今はルークの背中で熟睡中だ。
ルークの声を聞き、アンドラが顔を見上げた。
「あ? あぁ……あ? あぁ……あ? アァァァァァ!! テムランじゃねぇかオイ!」
虚ろだった瞳が光を取り戻し、アンドラの叫びが響く。それにつられて他の面々も顔を上げ、ようやく見えたオアシスにキラキラと目を輝かせた。
これはあくまでも予想だが、アンドラは歩きながら寝ていたのだろう。
「やっとかよ……。おいソラ、起きろ」
「ん……うぅ……なんだ、飯か」
「あででででッ、頭に噛みつくんじゃねぇよバカ!」
寝ぼけ眼を擦り、顔を上げてそのままルークの頭にかじりつくソラ。しばらくむしゃむしゃとかじっていたが、それがルークの頭だと気付くなり、
「まずい」
「食うためのものじゃねぇから当たり前だ」
「ふぁぁ……なにかあったのか?」
「テムランだよ。まだ遠いけどな」
「よし、進め」
「捨てるぞ」
急に元気を取り戻したかと思えば、ベシベシとルーク頭を叩いてテムランを指差すソラ。顔中に牛乳と書いてあるので、腹が減り過ぎておかしくなったのだろう。
とはいえ、これはルークにとっても嬉しい事だ。
まだ距離があるにせよ、ようやく食事にありつける。
「さっさと行こーぜ」
「このスピードなら、今日の夜にはたどり着けるな」
「や、やったぁ! ご飯です!」
小さく微笑むアテナと、喜びを全面に出して跳び跳ねるアキン。その後ろ、ずっとティアニーズに付き添っていたエリミアスは、力なく微笑み、
「ティアニーズさん、もう少しですよ。やっと、ゆっくり休めますね……」
「エリミアス様、あまり無理をなさらないでください。私がおぶりますから」
「いえ、大丈夫です。私だけ楽をする訳にはいきません。皆さんと同じように、きちんと歩きたいのです」
多分、この中で一番消耗しているのはエリミアスだろう。一国の姫であるエリミアスは、こんな過酷な生活なんて送って来なかっただろうし、あれからずっとティアニーズに寄り添っている。歩きながら元気付けようと声をかけ、寝る時も隣で寝ていた。
だが、限界はとうに越えている筈だ。顔色は悪いし、まともな食事をとれていない。ルークでさえキツイのに、それをただの少女が耐えられる筈がないのだ。
しかし、それでもエリミアスは微笑んでいた。
ルークは背中の精霊に向けて、
「お前もちっとは姫さんを見習え」
「言った筈だ、私は凄い精霊だが体は人間の少女となんら変わりない。つまり、この中で一番幼いという事だ」
「中身はババアだろ」
無言のまま背中で暴れだしたので、とりあえず放置。
つかの間の喜びを噛み締め、一同はそれをもっと味わうために歩き出した。
それから時間が流れ、日が暮れ始めた頃。
長い旅が、ようやく落ち着きを得ようとしていた。
「だぁ……やっとかよ」
一同は揃って顔を上げる。目の前にあるのは巨大な門。ようやく、本当にようやく目的地にたどり着いたのだ。
安心感を得てフラついたアキンの体を支え、アンドラが優しげな笑みを浮かべる。
「アキン、大丈夫かオイ」
「はい。僕はまだまだ元気ですよっ」
そのままぶっ倒れて寝たい気持ちを堪え、ルークは前を向く。ちなみに、テムランが近付くにつれ精霊が煩かったので、途中から自分で歩かせた。
そのせいなのか、ソラはなぜか笑っている。目は笑っていないが。
とりあえず進み、検問のところまでやって来た。夜という事もあってか、人はいるものの並んではいない。ちらほらといる商人らしき人達の間をすり抜け、
「騎士団長を努めているアテナ・マイレードだ」
そう言って、アテナは懐から取り出した紋章を検問の人間に見せる。男は慌てた様子で頭を下げ、騎士団長を前にして大変驚いているようだった。見れば、以前ティアニーズが持っていた紋章とさ形が異なる。
恐らく、階級によって多少の違いがあるのだろう。なんて事を考えていると、
「騎士団……!」
どこからか、声が上がった。驚き、動揺、そんなものが混じった声だった。
ルークは首を捻り、その声の主を探すように見渡す。が、見つからなかった。
それもその筈、その場にいた商人らしき人達全員が、こちらを見て目の色を変えていたのだ。
さらに、なにかぶつぶつと小声で話している。
「……なんだコイツら」
「覚えていないのか? ティアニーズが言っていただろう。このテムランがどんな町なのか」
「……なるほど、そういう事か」
ソラに言われ、無意識に睨み付けていた視線を元に戻す。そして思い出した。ここに来る前に嫌な予感がした事を。ティアニーズが、この町をなんと言っていたのかを。
「黒い噂、か」
恐らく、商人達はそっち側の人間なのだろう。奴隷やら密売やら、騎士団にバレたら速攻捕まってしまうような事をやっている人間達。
ともかく、関わるのは止めておいた方が良い人間なのは確かだ。
ルークは静かに開く門へと目を移し、
「とりあえず飯だ飯」
そんな呑気な事を言いながら、最後の都市に足を踏み入れたのだった。