七章十話 『回答のない問題』
「ハァハァハァ……クソガキが、中々すばしっこいじゃねぇか……」
「に、兄ちゃんも中々やるな……」
膝に手をつき、上体を前屈みに倒しながら、ルークはようやく追い詰めた少年に詰め寄る。かれこれ十数分ほど追い掛けていたが、やはり魔獣とはいえこの男のしつこさから逃れるのは難しかったらしい。
そしてその横、ルークとまったく同じ体勢で、
「ふ、フハハ、私から逃げられる訳がなかろう……」
「ぺったんこなのに……」
ソラもソラで子供を追い回していたらしく、一人の少女に迫っていた。二人揃って子供だろうが容赦しないタイプなので、誰かが止めなければ本気で殴りかねない状況である。
ルークは空間がネジ曲がるほどの邪悪なオーラを放ち、
「さぁて、お仕置きの時間だ。ガキの頃からしっかりと教えこんどかねぇとなァ」
「兄ちゃん顔が怖い」
「そうさせたのはお前だろうがッ」
これでもかというくらいに拳を強く結び、ルークは腕を振り上げる。当然、生意気なガキの顔面を全力で殴るためだ。
少年は目を瞑るでも怯えるでもなく、純粋な瞳でこう言った。
「ねぇ、兄ちゃん達って悪い人なの?」
「あ? 俺はすげー優しい人だ」
「でも、ゴルークスが言ってた。人間は怖くて狂暴な生き物だって」
「おっさんが?」
優しい人かはさておき、ルークは拳を止めた。今の言葉を聞く限り、少年はルークが自分とは違う存在ーー人間だと気付いているようだった。
「うん。でも、凄く優しいんだって。変だよね、悪くて優しい人って」
「ぺったんこも悪い人なの?」
「誰がぺったんこだ。貴様よりは大きいぞ」
少年の言葉を聞き、ソラも襲いかかるのを止めていた。
今まで、ルークは人間の視点からでしか物事を考えた事がなかった。しかし、魔獣にも生活があって、罪を理解しながらも一生懸命生きようとしている者もいる。
そんな魔獣からすれば、人間は確かに恐ろしい生き物なのかもしれない。
事情も聞かず、魔獣と知れば一方的に殺そうとするのだから。
「……俺は悪い人間だ。他人を平気で殴るクソッタレだ」
「そうなの? 俺殺されちゃうの?」
「殺さねぇよ。お前なんか殺したって意味ねぇだろ。それにな、俺は殺して終わりなんて甘い男じゃねぇんだよ」
「どーいう意味?」
「自分で考えろ」
不思議そうに首を傾げる少年に、ルークは乱暴に吐き捨てて振り返る。背中にはまだ少年の視線が突き刺さり、居心地の悪さに顔をしかめた。
しばらくそのまま固まっていたが、大きなため息をこぼし、
「来い。人間がどんだけ怖いか教えてやる」
「遊んでくれるの?」
「遊びになるかはお前次第だ。獅子はウサギを狩るのも全力って言うしな」
「うーん……。じゃあ遊ぼ!」
振り返る事はせず、ルークはそのまま歩き出した。少年は満面の笑みを浮かべて立ち上がると、一目散にその背中を追い掛ける。
残されたソラは少女を睨み付け、
「…………」
「ぺったんこも悪い人なの?」
「私は人じゃない、精霊だ」
「せーれい? ゴルークスから聞いた事あるよ!」
「……はぁ、仕方ない。貴様には私がひんにゅ……小さくないと教える必要がある。ついて来い」
「遊ぶの?」
「違う! 教える……そう、これはしつけだ」
「遊ぼー!」
少し照れくさそうに頬を染めたソラだったが、少女は気にせずにその手をとった。楽しそうにニコニコと微笑み、手を引いて歩き出す。
「お、おい、引っ張るな。教えるのは私だぞっ」
「遊ぼー遊ぼー!」
優しい人かは分からない。けれど、これもまたソラに訪れた変化の一つなのだろう。
とまぁ、子供を手にかける勇者なんて最悪の事態は避ける事に成功し、ルーク達は一旦ゴルークスの家の前まで戻るのだった。
家の前まで戻って来たルーク。どうガキンチョを料理してやろうかと、怪しげな笑みを浮かべて考えていたのだが、
「ま、待てー!」
「あははは! お兄ちゃん足遅いー!」
「僕だって本気出せば早いんだぞ!」
そこで目にしたのは、数人の子供と笑顔で戯れているアキンの姿だった。ついさっきまで凹んでいたようだが、その面影もなく、心底楽しそうに走り回っている。
それを見守っているアンドラだが、とても気持ちの悪い顔だ。多分、本人は微笑んでいるつもりなのだろう。
ルークを見つけるなり、顔を手で隠し、
「お、おう、お前どこ行ってたんだオイ」
「ちょっとガキに世間の常識を叩きこんでた。おっさんは? ちびっこ楽しそうじゃん」
「俺はなにもしてねぇよ、ただ側にいただけだ。アキンが自分で考えて、今なにをするべきか答えを出しただけだオイ」
「パパのくせに慰める事も出来ねぇのかよ」
「う、うっせぇ! そういうのなれてねぇんだよオイ!」
顔を赤くしながら、拳を振り回して荒ぶるアンドラ。過保護なアンドラの事を考えれば、見守るという手段を身につけただけ成長の証と言えよう。
アンドラに気をとられていると、突然少年が腕を掴み、
「早く行こーぜ! 兄ちゃん敵な、俺達がやっつけるから!」
「上等だクソガキ。俺を倒すなんて百万年はえぇって事を思い知らせてやる」
「みんなー! 敵連れて来たぞー!」
手を光引かれ、子供の輪に加わるルーク。すると、走り回っていたアキンが少し難しそうな顔をしてやって来た。
言い辛そうにもじもじと指先を合わせ、
「あの、僕考えたんです。考えて、なにを答えは出ませんでした」
「おう」
「だから、もっと考えようと思います。ルークさんの言う通り、優しいだけじゃなにも救えない……。だから、僕なりの答えを出そうと思います!」
「勝手にしろ」
「はい!」
ルークのぶっきらぼうな態度を見ても、アキンは笑みを崩さなかった。多分、これかがアンドラを変えた笑顔なのだろう。ティアニーズとも、エリミアスともまた違う、希望に満ちた笑顔がそこにはあった。
「ていっ!」
無意識にアキンの笑顔を見つめていると、突然尻に衝撃が走った。痛みはそれほどではなかったが、ルークは自分が誰かに蹴られたのだと直ぐに気付いた。ギギギ、壊れかけの人形のように首を回し、
「今蹴ったとはどいつだオラ……」
「俺が相手だ!」
「……よし、覚悟は出来てるみてぇだな。歯ァ食いしばって舌しまっとけよ。全力で殴ってやらァ!」
犯人を特定した瞬間、両手を上げて追走を開始。いい加減言うのも飽きたが、今のルークの顔は勇者とはほど遠いものである。
そんなルークを見て、アキンは子供達の背中を押し、
「よーし、じゃあ皆であの悪い人をやっつけよう!」
「「おー!」」
こうして、子供VS汚い大人の戦いは始まったのだった。
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それからしばらく時間が経過し、時刻は夕暮れ時。木々に囲まれているので日が遮られるのも早く、村は夕闇に包まれていた。
ゆらゆらと揺れる松明の炎だけが唯一の光源で、ちょっとした幻想的な風景が広がっていた。
そんな中、
「あのクソガキども、必ずぶちのめしてやる」
全身を泥だらけにしながら、ルークは大の字に寝転んでいた。子供とはいえ、相手は魔獣なので、信じられない身体能力と体力を見せつけられ、見事に惨敗したのである。
その横で、アキンはちょこんと座っていた。
「楽しかったですね!」
「どこがだ、こっちは疲れて死にそうだっての」
「あの子達元気でしたからね。僕もちょっとだけ疲れちゃいました」
子供達は親に連れられ、アンドラは先に帰ってしまった。迎えに来たのは女性だったが、恐らくあの魔獣も『親』であるゴルークスが造ったものだ。あくまでも親という役目を与えられた存在で、本物の親子ではない。
しかし、それでも子供達は楽しそうにしていた。
「本当に、楽しそうでした。本物の親子みたいに笑って……迎えに来てもらって」
「お前にもおっさんがいるじゃねぇか」
「お頭はお頭です。僕のお父さんじゃありません」
「……それおっさんの前で言うなよ。多分立ち直れなくなるから」
なんのこっちゃ分かっていないようで、可愛らしく首を傾げるアキン。パパになりたいアンドラに向け、もし今の言葉を言ったら……本気で絶望して身を投げ出しかねないので、ルークはやんわりと口封じ。
「僕は、お父さんの顔もお母さんの顔も知らないんです」
「あーそう」
「ルークさんのご両親はどんな方なんですか?」
「知らん。見た事も喋った事もねぇし、名前も声も知らねぇ」
「ご、ごめんなさい。変な事聞いてしまって……」
「気にしてねぇよ。それで二十年生きてんだ、今さら会いてぇとも思わねぇ」
落ち込むアキンを慰めているようだが、ルークは本気で気にしていないだけだ。別に恨んでいる訳でもないし、会いたい訳でもない。本当に、どうでも良いと思っているのだ。
「ルークさんは、寂しいと思った事はないんですか?」
「ねぇよ。うるせぇババアがいたからな」
「僕は、寂しかったです。ずっと一人だった訳じゃないですけど、お頭に会うまでは寂しかったです」
夜空に張り巡らされた星の弾幕を見上げ、アキンは小さく呟いた。
ルークは体を起こし、不機嫌そうに眉間にシワを寄せると、
「あのな、そういうのはおっさんに言ってやれ。俺は人の過去の話とか嫌いなんだよ」
「だからだと思います。ルークさんはなんていうか……凄く変わった方なので、変に気遣ったりしないじゃないですか」
「気遣う必要がねぇからだ。気遣ってほしいならそう言え、そんでどっか行け」
「お頭は優しいので、こんな話をしたらきっと心配をかけちゃいます。嫌なんです、お頭にだけは……心配をかけたくないんです」
ルークは、アンドラとアキンの間になにがあるのかは知らない。ルークと出会った直後に拾ったと言っていたが、それだけでこんなにも信頼を向けられるとは思えない。それは知るべきではないし、聞くべき事でもないなのだろう。
しばしの沈黙が流れ、
「ティアニーズさん、大丈夫ですかね……」
「……知らん」
「ルークさんは心配じゃないんですか?」
「アイツの事はアイツがどうにかするしかねぇだろ。俺が言って戻るんなら、とっくに元に戻ってる」
違う。それは言い訳だ。
どうすれば良いのか分かっていないだけだ。いつものように、責任のない言葉を投げ付ければ良いのに、それすらも出来なくなっている。
ティアニーズだけじゃなく、ルークもどうすれば良いのか分からなくなっているのだ。
今までやって来た、当たり前の事が。
「……トワイルが死んで、俺もおかしくなっちまってんだろ。多分」
分かっていた。自分がどこかおかしい事は。
体ではなく、心の問題だという事も。今までになかった感情、だからこそルークは対処法を知らない。
悲しいーーそんな当たり前の感情に対して、どう向き合えば良いのか。
「ルークさんは強い方です。僕は、ルークさんに憧れています」
「いきなりなんだよ、気持ちわりぃ」
「だって、ルークさんがいなかったら僕もお頭も死んでいました。ルークさんの言葉があったから、僕は強くなりたいと思ったんです」
「努力したのはお前だ。俺はなにもしてねぇ」
「……あの、一つ聞いても……いえ、聞きますね」
空を見上げてぼんやりとしていると、アキンが姿勢を正してルークを見つめた。いつものような子供の表情ではなく、覚悟や不安、そういうものが混じった瞳だった。
「僕も、勇者になれますかね……。勇者みたいな格好良い人に、なれますか?」
勇者みたいな格好良い人。それはルークを格好良いと言っているのと同じだ。しかし、アキンは恥ずかしがる様子もなく、ただ真っ直ぐに瞳を見据えているだけだ。
ルークは少し考え、適当に言葉を吐く。
「誰だってなれる。そもそも誰かに許可とってなるもんじゃねぇだろ」
「でも、僕はまだまだ弱くて……」
「この世界には腐るほど勇者がいる。お前が俺をどう思ってるかは知らねぇが、俺もその中の一人なんだよ。たまたまソラがいるだけだ」
ルークは自分を特別だなんて思った事はない。
大量に存在する勇者の中の一人で、量産型の勇者でしかない。いや、勇者とは本来そういうものなのかもしれない。
勇気さえあれば誰だってなれる、別に特別でもなんでもない存在。
周りがそれを特別視して、勝手に崇めているだけだ。
だから、
「お前も、なれる。つか、もうなってんだろ」
「僕がですか?」
「立ち向かう勇気、お前は持ってんだろ」
「立ち向かう勇気……えへへ、なんだか照れくさいですね」
勇気にだって色々ある。諦めない勇気、立ち向かう勇気、許す勇気、そしてーー自分の信じた道だけを進む勇気。
それは誰もが持っているもので、やはり特別なものなんかじゃない。
そう、諦めない勇気を持つ、あの少女だって。
「僕、頑張ります! いつか胸をはって勇者だと言えるように!」
「勝手に頑張ってろ」
満面の笑みで、二つの拳を胸の前で握り締めるアキン。今まであまり意識しなかったが、アキンは可愛らしい少女にしか見えなかった。
ルークの視線に気付き、アキンは首を傾げる。と、その瞬間、ガサゴソとどこかから音が鳴った。
「ひっ!?」
「な、なんですか!?」
女の子のアキンはともかく、体を大きく跳ねさせてビビりまくりのルーク。腕にしがみつくアキンの暖かさに、若干の安心すら覚えていた。
顔を揃え、恐る恐る音の方へと目を向けると、
「ルークさん……」
立っていたのは、エリミアスとケルトだった。
知り合いだと分かり、無意識に止めていた呼吸を再開。頬を染めながら離れて行くアキンを横目に、胸を撫で下ろしていると、
「ルークさん!」
「ゴフッッ!」
エリミアスが胸に飛び込んで来たーーというか、タックルして来た。突然の事で回避も間に合わず、疲労困憊の体にはそこそこのダメージが入った。
腹の上に乗っているエリミアスを睨み付け、
「おま、いきなりなにしやがんだ」
「私、私……!」
エリミアスの瞳には、大粒の涙がたまっていた。ルークの顔を見上げて溢すまいとしているが、次第にそれは頬を伝う。
訳も分からずケルトへと視線を向けると、首を横に振るだけだ。そこで、ルークはようやく事態を飲み込んだ。
「はぁ……お前ティアのところに行きやがったな」
「ごめんなさい……! でも、やっぱり心配で……」
「追い掛けんなって言っただろーが。なに言われたのか知んねぇけど、自業自得だ」
「ごめんなさい……私、どうしたら良いのか分からなくて……!」
胸に顔を押し当てて泣きじゃくるエリミアス。彼女の泣き顔はどうも苦手だった。
顔をしかめ、どうにかしろという視線をアキンとケルトに向けるが、二人はなにも言わずに見ているだけ。
ただ、こんな予感はしていた。エリミアスの事なので、多分言う事を聞かないというのも分かっていた。しかしタイミングが悪い。
今のティアニーズは、気遣う事すら重荷に感じてしまっている状態なので、触れないが正解なのだ。
「わーったら泣くな。あと重いから下りろ」
「ルークさん、女の子にそんな事言ったらダメですよっ」
「わりぃのはコイツだろ。今のティアは誰かがどうにか出来る状態じゃねぇ。しかも姫さん、お前だけは絶対にダメだとも言った筈だ」
「ティアニーズさんに謝りたくて……それで……」
彼女なりに気遣い、ティアニーズの事を思っての行動だったのだろう。だが、その優しさはダメだった。罪悪感で押し潰されそうなティアニーズに、さらに重荷を与えるような行為なのだから。
ルークはエリミアスの肩を掴み、無理矢理引き剥がすと、
「もう泣くな、誰かが泣いてんの見ると苛々すんだよ」
「はい……我慢します……」
「おいケルト。お前ちゃんと見とけーー」
ケルトへと視線を送った瞬間、視界の端でなにかが光った。
見覚えのある色だった。
赤い、二つの光が揺れた。
「ーー逃げろ!!」
エリミアスとアキンをかかえ、ルークは全力で飛んだ。驚いたように体を震わせたケルトを巻き込み、そのまま全員で倒れこむ。
ーー直後、轟音が生じた。
先ほどまでルーク達がいた地面に衝撃が加わり、激しい砂ぼこりとともに、地面を揺らしながら亀裂が辺り一面に広がる。
その中から、人影が現れた。
白い髪の、頬に傷の入った男だった。
「ぶっ殺しに来てやったぜ」
男はニヤリと微笑む。悪意、敵意、殺意。
その笑顔は、悪感情を無理矢理詰め込んだようなものだった。
立ち上がり、ルークは男を睨む。
そして、その男の名前を口にした。
「デスト……!!」
「やっと会えたな、クソ勇者ァ!!」
恐れていた最悪の事態。
魔元帥デスト、彼は心底楽しそうに目を見開いた。