七章九話 『綻び』
「んで、魔獣ついて話すつってたけど、なにを話すんだ?」
「君達は魔獣についてどれくらい知っている?」
「魔王が造った生物」
「まぁ、それで正解だ。だが、実はもう少し複雑でもある」
一旦空気を入れ替えるために数分間の休憩ののち、ルークはゴルークスから魔獣の事を聞くために話を進めていた。
今さらだが、ルークは魔獣についてほとんど知らない。とりあえず倒すべき相手だからと戦って来たけれど、持っている知識は浅く狭いものなのだ。
全体的に気持ち悪いというのは先ほど思い知ったが、大きな組織としてはなにも把握していない。
本当に今さらだが、戦うべき相手の事を知らない過ぎた。
なので、ルーク達は知る必要がある。
これから起きるであろう、大きな戦いのために。
「うん、なにから話せば良いものか。では逆にこちらから質問しよう。魔元帥と魔獣の違いはなんだと思う?」
「……そういやそうだな。なんか初めに造られたとかビートのおっさんが言ってた気がする」
「あぁ、魔元帥は初めに魔王が造った八人の魔獣だ。私も詳しい事は知らないが、我々通常の魔獣とは根本的に異なる存在だと言っておこう」
「根本的に異なる、ねぇ。まぁ俺もそんくらいは分かるけど」
いくら見た目がグロテスクとはいえ、見た目が人間の魔元帥と比べても、どちらが脅威かと言われれば間違いなく後者だ。説明する言葉を持ってはいないが、根本的にまったく別の生物と言われても納得がいく。
「ではもう一つ。魔元帥と魔獣、違いはそれだけだと思うか?」
「強さとかそういう事?」
「いや、もっと機能的な話だ」
「魔獣を造れる魔獣、それが魔元帥」
答えを言ったのはアテナだった。言われてルークは『あぁ』と思い出したように相づちをうつが、以前聞いた話はほとんど覚えていない。
知ったかぶりをしているルークに、ゴルークスは話を続ける。
「全ての大元は魔王だが、魔元帥にも魔獣を造る力がある。いや、この世界にいる大半の魔獣は、魔元帥が勝手に造り出したものだ。勿論、直接魔王が手を施したものもあるがね」
「おっさんも?」
「あぁ、私も魔元帥に造られた」
「ちょっと待ってくれ。その話を信じるなら、アンタも魔元帥なんじゃねぇのかオイ」
アンドラに言われ、ルークは再び相づちをうった。今回はきちんと疑問を理解しているので、若干『俺話を分かってるぜ』的なオーラを発している。
「おっさん魔元帥なのか?」
「いや、私は正真正銘通常の魔獣だよ。だが、ほんの少しだけ他とは違う。私のような存在を、魔獣達の中では親と呼んでいる」
「……魔獣を造れる魔獣。それが親、という事ですか?」
「あぁ。魔王と魔元帥を除けば、親だけが魔獣を造る事が出来る」
この情報は騎士団でも得ていなかったのか、アテナは驚いたように生唾を飲み込んだ。
今まで、ルークは魔王のみが造れると思っていた。しかし、もしそれが違うとなれば、奴らを倒す難易度が更にはねあがる事になる。
たとえ魔王を殺したとしても、他が生きていれば魔獣は消えない。文字通り、全滅させなければ本当の意味での勝利はないという事だ。
突き付けられた絶望に眉をよせていると、
「だが、それはなにも、君達にとって悪い話ばかりではない。もう一つ、君達の知らない事がある」
「?」
「親が死ねば、その親が造った魔獣は全て死ぬ。つまり……」
「魔王を殺せば、全ての魔獣を消せるって事か」
言葉を噛み締めるように、無言のまま頷くゴルークス。
絶望から一転、それはまさに希望と言える情報だった。魔元帥や魔獣を無視してでも、魔王のみをどうにか殺す事が出来れば、こちらの勝利は確定する。
暗い道の先に、僅かな光が灯ったような感覚だった。か細くて今にも消えてしまいそうな光だけど、必死にあらがいながら照らしてくれる光。
ずっと探していた、打開策だった。
しかし、
「恐らく、いや間違いなく……君達では王を殺せない」
「……? それは、魔元帥が側にいるからって事か?」
「違う。力とか数とかの問題ではないんだ……奴は死なない。殺せないんだ」
「不死身って事か?」
再びゴルークスは無言で頷いた。首を縦に振るという簡単な動作の中に、なぜか謝罪の気持ちが混じっているようだった。
そんな中、隣に座るソラが動いた。こめかみに人差し指を添え、
「ずっと、疑問に思っていた事がある。ルーク、貴様は魔王を見てどう思った?」
「どうって……なんつーか、普通? 正直、全然強そうじゃなかった」
言葉の意味は分からないものの、ルークは王を初めて見た時の感想を口にする。異質という意味では恐怖を感じたが、それ以外は普通の青年だった。例えばそこら辺を歩いていたとしても、間違っても魔王だなんて思わない存在。
ようするに、平凡だったのだ。
ソラは小さく頷き、
「私もだよ。なぜ自分があそこまで焦っていたのか、奴を前にして分からなくなった。私の力は偉大だ、これは慢心でもなんでもなく、事実として存在している。万全の状態だったら負ける気はしない……そう、思った」
「でも負けたんだろ? 封印出来たって意味じゃ勝ちなのかもしんねぇど」
だが、ルークも同じ事を考えていた。自分を守るために村とそこに住む精霊を造り、なおかつ魔王を封印するためにあれだけ大規模な洞窟を造った。それを一人でやってのけたソラの力は、恐らくーーいや、間違いなく魔王を上回っている。
ともに戦って来たルークだからこそ分かるが、それは紛れもない事実だ。
それでも、負けた。
それはつまり、
「アイツが不死身だったから負けたって事か。どーすんだよ、挑んでもまた同じ結果になんじゃねぇのか?」
「……そうなるな」
再び部屋は重い空気に包まれる。魔王を殺せば魔獣どもを全滅させる事が出来るが、そもそも魔王を殺す事が不可能。勝ち負けとかではなく、まず勝負にすらならないという事だ。
挑んだとしても、ルークの結末は始まりの勇者と同じものになってしまう。
だが、その程度で諦めるほど、この男は弱くない。
ルークは口を開いた。ずっと頭に残っていた言葉を。
「俺を四人も殺した……」
「ん? いつのまに貴様は分身する術を身につけたのだ?」
「ちげーよ。アイツがそう言ってただろ」
それは、魔王が復活した直後の話だ。
あの時は焦りで頭が上手く回っていなかったが、その言葉だけはなぜか頭にこびりついていた。
魔王がそう言っていたのだ。
だが、それはおかしい。
「おかしいだろ。そもそも不死身なら殺されるなんて発言は出てこねぇ。それに、俺達が殺したのは魔元帥だ」
「それは、確かにそうだな」
「今の俺達じゃあの言葉の意味は分からねぇ。けど、あのクソ野郎を殺す方法は必ずある。つーか、なくても探す」
相手が不死身。だからなんだというのだ。
この戦いは初めから勝算の薄いものだった。前の戦争で一人も殺せなかった魔元帥、永遠に産み出される魔獣。力も、数だって相手が上なのは分かりきっていた事だ。
今さら不死身が足され、難易度が上がったところでさほど問題はない。
やらなくてはいけない事だからやる。
どのみち、進む以外に選択肢はないのだから。
アテナは口角を上げ、
「そうだな、今さら絶望を突き付けられたところで私達のやる事は変わらない。戦う、そして勝つ。ただそれだけだ」
「やられて終わりなんてふざけんじゃねぇ。必ずやり返す、アイツは俺が殺す」
「そうか、それなら良いんだ。もし今のを聞いて、『諦める』と口にしたらどうしようかと考えていたところだよ」
「俺は諦めがわりぃんだよ」
ルークの言葉を聞き、揺らがぬ瞳を目にし、ゴルークスは満足したように微笑んだ。
そこへ、うつ向いていたアキンが口を挟む。
「あの……でも、魔王を殺したらゴルークスさんやこの村の人も死んじゃうんですよね……?」
「良いんだよ、元々ここは君達人間の住む世界だ。私達魔獣の居場所はない」
「でも、それじゃあ……あの子達が可哀想ですっ!」
「君は優しいんだね。でも大丈夫、死ぬその瞬間まで、私はあの子達の側にいると決めているんだ」
「……ルークさん!」
「ーー俺は殺すぞ」
アキンがなにを言いたいのか分かっていて、ルークははっきりと口にした。魔王を殺せばゴルークスは死ぬ。
だから、間接的にでもゴルークスを殺すと。
「もし、俺があのクソ野郎を見逃したとして、そのあとで罪のない人間を殺したらどうする。お前はその責任をとれんのか?」
「…………」
「無理だ、人の命の責任なんて誰もとれねぇんだよ。優しいだけじゃなにも救えねぇ。だから殺す、他の奴がどうとかじゃねぇ、俺のためにだ」
残酷だと分かっていながら、ルークはアキンの瞳を見つめて言った。別に他の人間を守るためじゃない。殺される人間が自分かもしれないーーその可能性があるから、ルークは魔王を殺す。
顔を伏せるアキンの肩を、アンドラが優しく叩いた。しかし、慰めの言葉をかける事はしない。彼も、ルークと同じ事を考えていたからだ。
もしアンドラがルークと同じ立場だったとしても、アキンを守るために躊躇なくその選択肢を撰んでいただろう。
これは戦争だ。優しいだけじゃなにも変わらない。
そな優しさのせいで傷つくのは、自分だけじゃないから。
「少し、話が長くなってしまったね。私も子供達を外で待たせている。休憩にしよう」
「おう、すまねぇなオイ」
「良いんだ。私も、子供に見せたくないとのや聞かせたくない事はある」
アキンの様子を察してか、休憩の提案をしたゴルークス。アンドラは珍しく丁寧に頭を下げ、一旦その場はお開きになった。
一足先に出て行ったアキンとアンドラ。その他の面々は、考え事をするようにしばらくその場でジッとしていた。
ゴルークスは飲み終えたコップを片付けながら、
「あぁ、そういえば君達は旅の途中だったんだよね?」
「はい。テムランに向かう途中だったのですが、馬車はさっきの騒ぎで捨ててしまい……」
「そうか、なら今晩はここに泊まって行くと良い。馬車は私の方でなんとか手配するよ」
「ありがとうございます」
寝床と馬車の確保に成功し、とりあえず餓死という最悪の結末は回避。喜ばしい事なのだが、なんだか不安というか居づらさも残る。
と、ルークが顔を上げたのと同時に、家の扉が勢い良く開かれた。
「ゴルークス! 遊ぼーぜ!」
「まったく、入って来てはダメだと言っただろう」
「だって遅いんだもん! ねぇ、もう良いだろ?」
「分かった分かった。今片付けるから、もう少しだけ待っていなさい」
数人の子供が突撃したかと思えば、一目散にゴルークスの足元へと群がる。服の裾を引っ張られ、観念したように遊ぶ事を了承したようだった。
そんな中、一人の少年がルークの元へとやって来ると、ジーッと顔を見つめる。
「あ? なに見てんだクソガキ」
「ねぇねぇ、お前強いの?」
「誰がお前だ。敬語使え敬語、目上の人を敬うって習わなかったのか、アァ?」
どの口が言うんだ、という突っ込みをする人間はここにはいない。子供にも容赦なく『睨み付ける』を発動し、チンピラルークは肩を揺らしながら立ち上がる。完全に頭のおかしい人だが、少年は怯む事なくルークを見つめ、
「おりゃ!」
「はんッッ!?」
少年の振り上げた爪先が、ルークの股間にめり込んだ。
してはいけない音が響き、腹の底で激痛が暴れまわる。ピョンピョンと跳び跳ねたりしゃがんだりと、色々と試行錯誤してはみるが、やはりこの痛みだけは対処法が見つからない。
そんなルークを見てソラは鼻で笑っているが、男にとっては笑い事ではないのである。
「なんだ、よわっちいじゃん」
「……上等だクソガキ」
どこかへ行ってしまった二つの玉を取り戻そうと必死になっていたが、少年の言葉を聞いてピクリと眉が動く。立ち上がり、ポキポキと指の骨を鳴らし、ルークは敵意を向ける。
それは、魔元帥に向けたものと同じだ。
ルーク・ガイトスは、老若男女構わず殴る事の出来るクソッタレだ。
つまり、
「俺が強いかって聞いたな……その身で味あわせてやるわ!!」
「うわぁ! 怒ったぁ!」
拳を全力で振り回し、逃げる少年を追いかけてルークは部屋を飛び出して行ってしまった。
ルークの後ろ姿を見送り、ソラは呟く。
「まったく、子供相手にみっともないな」
腕を組み、視線を前に戻した瞬間、目の前には少女がいた。ソラを頭から爪先まで眺め、最後にたどり着いたのは胸だ。
まな板を指差し、
「ぺったんこ」
「ぶっ殺してやる!」
こちらもこちらで、人の事は言えないのだった。
ゴルークスも子供と遊ぶために家を出て行き、残されたのは三人だった。アテナはうろちょろと部屋を物色するように歩き回っていたが、意を決したようにエリミアスへと歩みよる。
「大丈夫か?」
「え……あ、はい」
「分かっているとは思うが、ルークの言った事は正しい。ティアニーズだって分かってはいると思う。しかし、心が納得してくれないんだよ」
アテナの言葉を聞き、エリミアスは小さく頷いた。
子供の頃から良く遊んでいたが、アテナはこういう時にどんな言葉をかけたら良いか知らない。いつも通りに接するのが良いというのは分かっているが、一度意識すると上手く出来ないものなのだ。
と、そんな事を考えていると、うつ向いていたエリミアスが顔を上げ、勢い良く立ち上がった。
「私、やっぱりティアニーズさんに会いに行きます」
「あ、あぁ。私はあまりオススメしないが……」
「友達が困っているのです。私では力不足かもしれませんが、やっぱりなにもしないなど出来ません!」
決意が固まったのか、エリミアスは拳を握り締めて早々と出て行ってしまった。ケルトは軽く会釈をし、無言のままあとを追って行く。
残されたアテナは肩をすぼめ、
「子供というのは難しいな」
そんな呟きだけが、誰もいない部屋でこだましたのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
家を飛び出したエリミアスは、ケルトと協力してティアニーズを探していた。途中、鬼の形相で子供を追いかける勇者と精霊とすれ違ったが、今のエリミアスにはそれを気にしている余裕などなかった。
しばらく村中を走り回っていると、ようやく目的の人物を見つけた。村の入り口、門の前で虚ろな表情を浮かべて立っていた。
一瞬、どんな言葉をかけようか迷ってしまったが、震える手を抑え、
「ティアニーズさん!」
「…………」
首だけをこちらへ向け、ティアニーズはばつの悪そうに顔を逸らした。目の下が僅かに赤くなっており、恐らく泣いたあとだったのだろう。
しかし、エリミアスはそれに触れる事はしなかった。
思っていた事を、言わなくてはいけない事を口にする。
「あの、私……ティアニーズさんのお父上の事をなにも知らないくせに、無神経な事を言ってしまい……本当にごめんなさいっ」
「……姫様はなにも悪くありませんよ」
一心不乱に頭を下げたので表情は分からないが、耳に入る言葉は酷く寂しげだった。
エリミアスは顔を上げ、作り笑いを浮かべるティアニーズを見る。
「でも私は、皆さんが笑顔で暮らせる世界を本当に創りたいと願っています! そして、ティアニーズさんに力を貸して頂ければきっと!」
「私の力なんて宛にしない方が良いです。足手まといになるだけですから……」
「そんな事ありません! ティアニーズはとてもお強いです!」
「強くありませんよ。だってーー精霊の力がありませんから」
その言葉を聞いた瞬間、全身を寒気が襲った。なにを言っているのか分からず、思わずティアニーズの顔を見つめたが、本人は恐らく気付いていないのだろう。
今、自分がなにを言ったのか。
「ケルトさん、ついて来たんですね」
「ティアニーズ、さん……?」
「良かったですね。これで、姫様も戦えます」
「ティアニーズさん!」
無意識に声を荒げていた。手を出す事はなんとか理性が抑えてくれたが、言葉だけは意思とは無関係に飛び出した。
だってそれは、到底許せるような事ではなかったから。
「ケルトさんは私のお友達です! そんな……そんな、道具みたいな言い方しないでください!」
今のティアニーズはおかしい。それはエリミアスも気付いていたが、ここまでとは思っていなかった。
以前のティアニーズならあり得ない。
ケルトを人としてではなく、ただの力ーー道具だと言っているようなものだった。
それだけは許せなかった。
友達を侮辱する事だけは、たとえ友達だとしても。
「どうしてしまったのですか! ティアニーズさんは……私の知っているティアニーズさんは……」
「これが私です。自分勝手で……そうでした、ルークさんにも言われた事があります」
多分、ティアニーズは自分がなにを言っているのか理解していないのだろう。不自然に緩んだ口元、そこからこぼれているのは笑顔だが、ちっとも微笑んでなんかいない。
まるで、意識がないような。
「すみません。一人にしてください」
「でも!」
「良いから、一人にして。今は誰にも会いたくないんです、誰の声も聞きたくないんです」
言いたい事を押し付け、ティアニーズは背を向けて村の中へ入って行く。今の彼女の視界には、エリミアスは入っていない。いや、誰も見えていないのだ。
止めようと手を伸ばす。が、
「エリミアス様」
「ケルト、さん」
「あの男の言う通り、貴女は彼女に会うべきではなかった」
エリミアスの手を掴み、伸ばした手を止めたのはケルトだった。そこには道具扱いされた怒りも悲しみもなく、ただ静かな声だけが仮面の下から溢れ出している。
エリミアスは、伸ばした手を下ろす。
悔しさに、唇を噛んだ。
「難しいですね。お友達になるというのは……」
「なにも出来ず、すみません」
「いえ、ケルトさんはなにも悪くありません。私達も戻りましょう。この村の方達と、もっと仲良くお話したいですから」
エリミアスの笑顔を見て、ケルトは強く拳を握った。なにも出来ない無力さからではなく、なにもしない自分に対して怒りさえわいていた。
走って行くエリミアスの背を見ながら、小さく呟く。
「すみません……」
一度入った亀裂は、そう簡単には直らない。
綻びは大きく、ゆっくりと大きくなって行く。
取り返しのつかないところまで、ゆっくりと。