七章三話 『新たな旅路へ』
メレス達の見送りを終え、ルークは宿へと戻っていた。他の面々は手伝いに行くと姿を消し、アンドラとアキンは用事があるとどこかへ行ってしまった。
残るルークとソラは、二人でのんびりと宿へと向かう。
と、ここでルークはとある事を思い出した。
本来なら忘れるべきではない、とても重要な事を。
「そういや、お前の名前アルトってんだや」
「ん? あぁ、そうらしいな。まったく実感はないが」
「え、アルトって呼んだ方が良いの?」
「ソラで良い。今さら呼び名を変えられても気持ち悪いだけだ。それに、今の私はソラだ」
「んだよ、案外俺のつけた名前気に入ってんじゃん」
「そうだな、気に入っているのかもしれん」
ソラの反応はかなり淡白だった。今まで謎に包まれていた本名が突然明かされ、もう少し動揺するかとも思っていたが、その不安も全て、あの川で流した涙とともに捨てて来たのだろう。
ルークはソラの横顔を眺めながら、
「お前なんか変わった?」
「ん? 元々可愛ぞ、私は」
「んな事言ってんじゃねぇよ。なんつーか、丸くなった?」
「失礼な奴だな。太ったと言いたいのか? まぁ、私の胸は丸いがな!!」
ガハハハ、とエロ親父のような笑い声が辺りに響き、ソラはない胸を強調するようにはった。
触れたところで得られるものなないので、ルークはわざとらしく目を逸らす。ルークだって学び、成長するのだ。
「なぜ顔を逸らす。見たいのなら素直に言えば良かろう」
「はいはい、残念ながら俺はロリコンじゃねぇんだ。包容力のあるお姉さんがタイプなんだよ」
「貴様より遥か歳上だぞ」
「中身じゃなくて見た目の話な」
以前ソラは千歳を余裕で越えていると言っていたが、やはり見た目からは想像出来ない。中身は置いておくとして、見た目だけならば美少女と言っても過言ではないだろう。
だがしかし、かと言って興奮するかと聞かれればノーだ。
何度がベッドに侵入されても、心は微塵も揺らがない。
「お前の見た目がもっとお姉さんだったらなぁ」
「……それは喧嘩を売っていると捉えて良いのか?」
「せめて中身をどうにかしろ。見た目は良いんだからよ」
「…………」
「え、なに」
何気なく呟いた言葉を聞き、ソラがルークを見つめたまま固まった。なにか禁句を口にしてしまったか、と考えてはみたが、特に思い当たるふしはない。
しばらく無言の間が続き、
「ふん」
「なんだよ、言いたい事あんなら言えよ」
「なんでもない。早く戻るぞ」
鼻を鳴らして顔を逸らしたソラ。ルークは気付かなかったが、その横顔は僅かに紅潮していた。
その後も他愛ない会話をしつつ宿へと足を進めていると、宿の前でキョロキョロと困ったようになにかを探している少女がいた。
ティアニーズだった。
ティアニーズはルークとソラに気付き、慌てて駆け寄って来た。
「もう、どこに行ってたんですか。宿に戻ったら皆さんいなくて心配したんですよ」
「あー、うん。多分手伝いに行ってんじゃねぇの?」
「そうだったんですか? 入れ違いですかね……」
中々ぎこちない誤魔化し方だったが、どうやら信じてくれたらしい。別に隠すような事ではないけれど、ソラと目配せをして適当に誤魔化す事にしたのだ。
ティアニーズは二人を交互に見つめ、
「お二人はどこに行ってたんですか?」
「ちょっとな。アンドラのおっさんに会いに行ってた」
「デートだ」
「アンドラさん? 無事だったんですね……良かった……」
染々と呟くティアニーズを見て、ルークとソラは顔を合わせた。
やはり、ティアニーズはどこか変だった。いつもならデートという単語に過剰に反応しているところだが、気にする素振りすらない。
意図的に無視した、という可能性もあるが、今のはそういう感じではなかった。聞こえていて、気付いていて、その言葉を気にする余裕がないーーそんなところだろうか。
「でも、なんでアンドラさんに会いに行ってたんですか?」
「今後の予定を話してたんだよ。次の目的地、決まったぞ」
「そ、そうなんですか? なんで呼んでくれなかったんですか!」
「お前出掛けてだだろ。それについて話あっから、とりあえず中入ろーぜ」
ほんの少しだけ不機嫌なティアニーズを引っ張り、三人は宿の中へと入る。既にほとんどの人間は出て行ってしまっており、誰もいないかのような静けさだった。心なしか、カウンターのお姉さんすら透けて見える。
とりあえず自室に戻り、疲れを癒すようにベッドへとうつ伏せに倒れこんだ。そこまで話こんだ訳ではないけれど、内容が内容だったので、知らぬ内に疲労がたまっていたらしい。
「大丈夫ですか? 無理しちゃダメですよ」
「へーきへーき。……んで、お前なにしてんの」
「疲れたのでな、ルークに乗っかっている」
うつ伏せに倒れたルークだったが、なぜか背中に重さを感じる。振り返るまでもなく、ソラがのし掛かっていたからだ。
「下りろ。寝るならベッドで寝ろ」
「この方が疲れを癒せる」
「俺が疲れるっつってんだよ。良いから退け」
背中を気にせずに寝返りをうつと、ソラそのまま転がってベッドの下へと落下。その時、不意にティアニーズと目があったが、やはりなにもせずにこちらを見つめているだけだった。
なんだか接し辛さを感じつつ、
「……はぁ。えーと、なんだっけ?」
「次の目的地です。しっかりしてくださいよ」
「あー、そうだったわ。テムラン? ってとこらしいぞ。おっさんとかメレスが育った場所だってよ」
「テムランですか……私も一度だけ行った事があります。確か、国境付近の町ですね。あそこは貧民街とか奴隷貿易とか……結構黒い噂のある町なんですよ」
「マジかよ。五大都市のくせに治安悪そーだな」
「五大都市だからといって、全ての内情を把握出来てる訳じゃないんです」
貧民街についてはあらかじめ聞いていたが、奴隷に関する話は初めてだった。行く前から嫌な臭いがプンプンと漂い、ルークは自分の鼻を二本の指でつまんだ。
「そうですね、あとは……町の中心におっきな時計塔があります。観光地としても有名なんですよ」
「ただの観光地って訳じゃねぇだろそりゃ。奴隷を買うついでってところか」
「恐らく。騎士団の方でも手をやいているらしいですよ、大元を捕まえる事が出来なくて」
得る情報全てが不安を煽る。唯一時計塔の話が心に安らぎをもたらしたが、裏事情を知ればそれも不安要素の一つにしかならない。
だが、そんな不安よりも、もっと大きなものがある。
そんなところに、今のティアニーズを連れて行って大丈夫なのか、だ。
「お前……」
「はい?」
「いや、なんでもねぇ」
「なんですか、言いたい事があるならハッキリ言ってください」
「なんでもねーっての」
「変なの」
確かに、ルークもおかしかった。言いたい事は直ぐに言う、それがモットーのくせに、今だけは口から言葉が出てきてくれない。
そう、ティアニーズだけではない。
ルークだって、人の事を言える状態ではないのだ。
人間とは、他人の変化には敏感なくせに、自分の変化には疎いものなのだ。それはルークも同じで、体も心も、主に良くない方向へと変化している事を、本人も気付いていなかった。
「ま、話はそれだけだ。出発は三日後くらいになるらしいってよ」
「分かりました。それまでに出来るだけ頑張らないとですねっ」
「…………」
この調子では、テムランにたどり着く前に体をぶっ壊しかねないほどの空元気だ。体を動かす事で不安をはねのけ、考える事を忘れようとする。今のティアニーズは、その典型的なパターンだった。
ルークは考えた。
もし、トワイルならなんと言うか。
でも、直ぐに考えるのを止めた。
ルークはルークで、いくら考えたって分からないからだ。
だから、変わりに一言だけ呟く。
「ほどほどにしろよ」
「……?」
その呟きは、ティアニーズの耳に入る事はなかった。
もしかしたら、一番変わってしまったのは自分自身なのかもしれない。そんな事を考えながら、この日はゆっくりと過ぎて行った。
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それから三日後。アンドラから馬車の調達が完了したとの知らせを受け、一同は北門を訪れていた。
元々大した荷物はなかったので、数日分の食料を運びこみ、出発の準備は問題なく終わった。
「でけぇな。こんなのどうやって探して来たんだよ」
「乗合馬車だ。苦労したぜオイ」
「乗合馬車ってあれだろ? 場所から場所へ人を運ぶ馬車だろ? ……おっさん、犯罪はダメだぞ」
「バカ言え。バレねぇように盗んだに決まってんだろオイ」
そういう意味ではないのだが、この男もバレなければ反則にはならないとかほざいていたので、どっちもどっちである。
ともあれ、目の前の馬車は八人乗り、なおかつ多少の荷物をつぎ込んでも問題ない大きさだった。乗合馬車の名の通り、不特定多数の人間を乗せて走っても大丈夫なように、それなりの強度と大きさは必要なのだろう。
そして、荷台を引く馬は見るからに屈強だった。一匹で大丈夫かという不安を吹き飛ばすほどで、多分後ろ足で蹴られたらルーク程度なら即死だ。
怒らせない事を近い、それと同時にゆったりと走ってくれる事を願うルークだった。
「さて、準備は出来たなオイ。早速出発するぞ、この町にも長居は出来ねぇ」
「なんだか……少し寂しいです。あんな事があったのに、こんな簡単にお別れなんですね」
「旅ってのはそういうもんだ。足元に気をつけて乗れよオイ」
町の景色を惜しむように、アキンは寂しげな顔をしながら荷台に乗り込んだ。
確かに、あっけなかった。魔元帥が攻めて来て、町が破壊され、人が死に、魔王が復活した。言葉で説明するのは簡単だが、その場にいた者達からすればその絶望を周囲に正しく伝える事が出来ないのが、なによりも歯がゆかった。
だが、遅かれ早かれ理解する事になるのは間違い。この町、いやそれ以上に、きっとこれから被害は大きくなるのだから。
「先に乗るぞ」
横を過ぎ、アテナが次に乗り込んだ。
次に動いたのはエリミアスだったが、その足が止まる。その視線の先には、町を見つめるケルトがいたからだ。
エリミアスは駆け寄り、
「大丈夫ですか?」
「はい。……ですが、少し名残惜しいです。私はずっとこの町にいたのに、この町の事をなにも知りません。もう少し、見て回りたかった」
「でしたら、また戻って来ましょう。今度はいっぱい見て回るのです! 私も、もっともっとこの町の事を知りたい」
「そうですね。また、戻って来ましょう。自由に歩き回るのは、その時で十分です」
エリミアスの笑顔を受け、止まっていたケルトの足が歩き出した。
この町で交わした約束は終わり、新しい約束が始まる。彼女にとってはここからが始まりなのだ。なにも、終わってなどいない。やっと手に入れた自由を楽しむのに、遅いなんて事はないのだから。
「ルークさんは乗らないんですか?」
「ちょっとな。人を待ってる」
とある方向を見つめて突っ立っていると、ティアニーズが背後から顔を覗かせた。残るはルークとティアニーズ、そしてソラの三人だけだ。
アンドラが早く乗れという視線を背中に叩きつけてくるが、ルークはまったく気にしない。
しばらく立っていると、ようやく待っていた人影が現れた。息を切らしながらこちらに向けて必死に走って来るのは、ビートとネルフリアだった。
ようやくたどり着くと、ビートは今にも死にそうな顔で、
「バ、バカ野郎……もっと老人を労れ。腕千切れて病み上がりなんだぞ……!」
「じじいが寝坊するからだろ。せっかく起こしてやったのに、二度寝までするし」
「おっせぇぞ、ちゃんと出来たんだろーな?」
「たりめーだ、俺を誰だと思ってやがる。ま、今回やったのは俺じゃねぇけどな」
息を整えるように深呼吸を数回繰り返し、落ち着くとビートが不敵な笑みを浮かべた。
つられて微笑んだネルフリアが大事そうに抱き締めているのは、布にくるまれたなにかだった。ルークが頼んで、待っていたものだ。
「それか?」
「おう! バッチしだ」
「そうかよ。んじゃ、お前が渡せ」
「え? なんでうちが」
「良いから渡せ」
ルークが横にずれると、背後に立っていたティアニーズが現れた。ネルフリアを見て首を傾げていたが、腕の中にあるものがなにか気付いたらしく、
「もしかして、それ……」
「おう。姉ちゃんの剣だ」
「ネルフリアさんが直してくれたんですか?」
「一応な。うち一人じゃなくて、じじいも手伝ってくれたけど」
「ほとんど一人でやってただろ。俺は教えただけだ」
遠慮がちに呟くネルフリアの背中をビートが押した。こけそうになりながらも踏み出し、ネルフリアはティアニーズの顔を見上げる。
ルークとビートが見守る中、ドワーフの少女は意を決したように、
「これ、うちが打った。初めてでまだまだかもしれないけど、魂は込めたから。もう二度と、絶対に折れない剣だから」
「…………」
「え、ちょ、なんで泣くんだよ!」
「す、すみませんっ」
胸に押し付けられた剣を見て、ティアニーズの瞳から涙が落ちる。
あたふたと焦った様子のネルフリアだったが、ティアニーズが泣きながら微笑んでいる事に気付き、胸を撫で下ろした。
「これ、死んだお父さんのものなんです。ずっとずっと大事にしてて……でも、折れてしまって……」
「もう心配すんなって。ゼッテー折れないから。じじいよりうちの方がすげーし」
「なに言ってやがる。まだ俺の方が上だ」
「ふーんだ、今に抜かしてやっからな」
「受け取れよ、お前の剣だ」
ティアニーズの父の残した剣は折れた。
けど、そこに込められた思いはなくならないし、新しく大事なものが増えた。父の思いも、ビートの思いも、ネルフリアの思いも。
そこにあるのはティアニーズの剣で、ネルフリアが打った剣だ。
ルークの言葉を聞き、ティアニーズは剣を受け取る。剣をくるんでいた布を剥がし、輝く刀身が露になった。
傷だらけだった刀身は眩しいくらいに太陽の光を反射し、柄の部分は握りやすく凹みがある。
握り、感触を確かめるように振り回し、ゆっくりと鞘に納めた。
「ありがとうございます。この剣、一生大事にしますから」
「おう! 折れないとは思うけど、もし折れたらまたうちのところに来な。もっとすげーの打ってやるから」
「はい! その時はまたお願いしますね!」
まだ本調子ではないけれど、ティアニーズの浮かべた笑顔は晴れやかなものだった。
その笑顔を見て、無意識にルークは微笑んでいた。すると、突然ビートが横から肩に腕を回し、
「ちゃんと見ててやれよ」
「またそれかよ」
「男と男の約束だ」
「わーったよ」
ニヤニヤと怪しく微笑むビートを突き飛ばし、ルークは馬車へと向かう。それに続き、頭を下げていたティアニーズも走り出した。最後に、なんとも言えない表情で剣を眺めていたソラだったが、考えるのを諦めたように歩き出した。
「よーし、んじゃ出発するぞオイ」
全員が乗り込んだのを確認すると、アンドラは馬を走らせる。
ゆっくりと動き出す馬車。それを見つめながら、ビートは声を上げた。
「頼んだぞ、勇者」
「……おう」
あの時出来なかった挨拶を笑顔で済ませ、今度こそ馬車は走り出した。
絶望が始まった都市、カムトピア。
ここでの物語は一度終わりを向かえ、勇者達は新たな目的地へと走り出す。
また会えると信じて。
再びここに来る時は、笑っていられると信じて。