七章二話 『勇者の遺言』
「あ、あの、すみません。偉そうにしてしまい……」
「いや、良いんだ。そもそも君の方が立場は上だろう。それに嬉しいぞ、私の知らない間にエリミアスが成長していた事が」
「い、いえ……まだまだです!」
「そんな事はない。子供の成長というのは目を見張るものがあるな」
アテナに頭を撫でられ、『えへへ』と嬉しそうに頬を緩めるエリミアス。なんとも微笑ましくて心暖まる光景なのだが、多分二人はルーク達の存在を忘れているのだろう。
そこへ、もう一人過保護が参加。
「私はどこまでも貴女について行きます」
「はい! これからもよろしくお願いいたします!」
礼儀正しく頭を下げ、ケルトへと笑みを投げ掛ける。
多分忘れているようだが、一番困るのは三人ではない。メレスはわざとらしく咳こみ、
「ちょっとそこ、怒られるのは私なんですけど」
「すまないな、王には上手い事言っておいてくれ」
「上手い事って……まぁ良いわ、命令なんでしょ」
「あぁ、よろしく頼む」
嫌々ながらも頷くメレス。
こうして、エリミアスの旅はまだ続く事が決まった。決まったのだが、ここでとある問題が発生。
旅は続くけれど、目的地が定まっていないのである。
「つか待て、俺王都に行きてぇんだけど」
「は? じゃあ結局ついて来るの?」
「そのつもりだったんだけどよ、なんかおっさんが話あるらしい」
「おっさん?」
「アンドラのおっさんだよ」
「アンドラここに来るの?」
噂をすればなんとやら、向こうの方からアンドラとアキンがやって来た。約一週間ぶりだというのにも関わらず、あの二人はなにも変わっていない。
ヒラヒラと手を振りながら、悪びれた様子もなく、
「おーす、全員揃ってんなオイ」
「おせぇよ、待たせといて遅刻かよ」
「しょーがねぇだろ。こっちにも色々と事情があんだよオイ」
「お久しぶりです!」
ダメなお父さんとは違い、アキンはとても良く出来た子供である。ペコリと頭を下げて挨拶を口にし、ニコニコと相変わらずの笑みを浮かべていた。
と、ここで、アンドラの視線が一人の女性で止まる。眉間にシワを寄せ、あからさまに嫌そうな顔で、
「げっ……メレスじゃねぇかオイ。なんでここにいんだよ」
「げ、とはなによ。久しぶりなのに随分な挨拶ね、アンドラ」
「私もいるわよ。アンドラ」
今の妻と前の妻に言い寄られる夫、的な雰囲気が辺りをつつみ、その中心にいるアンドラの顔に冷や汗がダラダラと流れ落ちる。
顔見知りーーというか、同じ町出身と言っていたので、それなりに思う事があるらしい。……主に嫌な方面で。
「お前ら、まさか一緒に来る訳じゃねぇよなオイ」
「残念。捕まえて引きずってでも連れて帰りたいけど、生憎そこまでの余裕はないのよね」
「ほっ、なら大丈夫だなオイ」
「……まてまて。今の言い方だと、俺とおっさんが一緒に行動するみてぇじゃねぇか」
「みてぇじゃねぇ。するんだよオイ」
アンドラから話があると聞いた時点で嫌な予感はしていたが、どうやら大当たりのようである。隣に立つアキンはすでに事情を知っているようで、ただ頷くだけだ。
ルークは眉をひそめながら、
「聞くだけ聞いてやる。んで、どこ行くんだ」
「その前に俺の事を話しておくぜオイ。メレスやハーデルトは知ってると思うが、俺は今指名手配中だ。なんでか分かるか?」
「おっさんがクズだから」
「当たりだがテメェにだけは言われたくねぇよオイ!」
「はいはい、そういうの良いから。とっとと話せ」
自分から仕掛けたくせに、ルークの態度は酷く冷めている。それもその筈、ルークは人の過去話を聞くのが大嫌いだからだ。なので、こうして話す事を促しているのも非常に珍しい。
アンドラは気に入らない様子で、
「確かに俺は悪人だ。でもな、俺以上に悪い奴なんざ数えきれねぇほどいる。それでも俺が追われてるのには、それなりの理由がある。ここまでは良いなオイ」
「おう」
「俺がなにかをやった訳じゃねぇ。俺しか知らねぇ情報、それを騎士団は喉から手が出るほど欲しいんだよ」
「おっさんしか知らない情報? そうなの?」
「まぁね、その通りよ」
アテナは長い事国を離れていたので知らないようだがーーというか、興味がなさそうなのだが、メレスとハーデルトは素直に頷いた。
あまり進まない話に若干苛々しながら、
「んで、その情報がおっさんと一緒に行く事に関係あんのか?」
「まぁ待て、今から謎に包まれた俺の正体を話すんだ。少しくらい格好良くだな……」
「始まりの勇者の最後の言葉、アンタも聞いた事くらいあるでしょ?」
「ってオイ!! 今俺が言おうとしてただろ!」
無情にも、アンドラの格好つけポイントは横からかっさらわれた。本気で泣きそうな目をしているアンドラを無視し、ハーデルトはなにくわぬ顔でルークを見た。
始まりの勇者の最後の言葉。
確かサルマでの出来事だった気がするが、一度ルーク達はそれについて話あっていた。
「軽ーくな。いつか勇者が現れるとかなんとかってやつだろ?」
「それを世に伝えたのは誰だか知ってる?」
「いんや、まったく」
「アンドラはその男を知ってるのよ。いえ、厳密に言えば私達も知ってるけど、居場所を知ってるのはそこの男だけなの」
「そういうこったオイ」
かつて、ルークもその疑問にはぶち当たった事がある。いくら考えても答えが出なかったので考える事を放棄してしまったが、まさかこのタイミングでその話が出るとは。と、ルークは目を細めた。
「会った事あるって、お前らの出身が関係あんのか?」
「前にもちょろっと言ったの覚えてる? 私達は貧民街で育てられたって」
「……あー、そういやそんな事言ってたな」
「そこで私達を育ててくれた人、その男が勇者の最後を看取った人なのよ」
「え、マジで?」
「大マジよ」
即答したメレスだったが、ルークを含め、その場にいて事実を知らなかった者は全員目を見開いた。当然、最後まで始まりの勇者とともに戦ったソラでさえも。
そんな重要な話、聞いた事すらなかった。
興味がなかったという事もあるが、噂話すら聞いた事がない。
「小さい頃自慢げに聞かされてたけど、それが事実だって知ったのは騎士団に入ってから。魔元帥を倒す重用な手懸かりになると思って探したんだけど……行方知れずなのよ」
「ちょっと待てよ、それって隠れるような事なのか? 勇者の最後を看取ったってすげぇ事なんじゃねぇの?」
「言ったでしょ? その人は盗賊だったって。結構ヤバい事に手を出してたみたいだし、捕まったら速攻打ち首よ。たとえ重用な秘密を握ってたとしても、世の中そんな甘くないの」
いくら盗賊と言っても、自分を育ててくれた人が死ぬのを見るのは辛いものがあるのだろう。遠い昔を思い出すように目を伏せたメレスの肩を、ハーデルトが優しく叩いた。
そんな空気をぶち壊すように、横から盗賊が口を挟む。
「俺はソイツの居場所を知ってる。ルーク、お前にはソイツ……親父に会ってもらうぞオイ」
「なんでだよ」
「もしかしたら魔王に対抗するヒントを貰えるかもしれねぇだろオイ。それに、お前だって分かってる筈だ。王都に戻る訳にはいかねぇって」
なにを言いたいのか、ルークは瞬時に理解した。
誰も口には出さなかったが、紛れもない事実をアンドラは口にする。
「今、この世界で一番危ねぇ場所はお前の側だ。なのにお前が王都にでも戻ってみろ、間違いなく滅びるぞ」
「……んな事分かってんだよ」
「だからお前は王都には戻れねぇ」
一見、ルークの身を案じているようにも見える。王都が滅ぶ事を避けたいようにも見える。だが、そうではない。アンドラが言っている事は真逆なのだ。
王都以外なら滅びてもさほど問題はない。
アンドラはそう言っているのだ。
事実、ルークは今狙われている身だ。
唯一自分達を倒せる存在を、彼らがみすみす見逃す筈がない。今回は復活直後という事もあって運良く逃れる事が出来たが、今後は確実に命を取りに来るだろう。
ルークは肩を落とし、
「わーったよ、おっさんについて行きゃ良いんだろ。お前もそれで良いか?」
「あぁ、貴様が決めたのなら従おう」
王都に戻りたかった理由、それはソラの力を取り戻すヒントが欲しかったからだ。本来の力さえ戻れば抵抗出来る。しかし、状況はそんなに甘くはない。思い通りに進むほど、平和な世の中ではないのだ。
王都へ戻るのは止め。
ルークは進む事を決めた。
となると、
「ソイツがいる場所ってどこだ?」
「ふふん、聞いて驚くなよオイ」
「驚かねぇよ。良いから早く言え」
「アスト王国の五大都市の一つ、北のテムランだ」
「あーそう」
まぁ、こんなものである。たとえどの地名が出ていたとしても、ルークの反応はラップよりも薄かっただろう。
しかし、メレスとハーデルトが声を上げた。
アンドラに掴みかからんとする勢いで、
「は、はぁ!? そんな訳ないでしょ! あそこは真っ先に調べた場所なのよ!?」
「甘いんだよ。親父がそんな関係に見つかる訳ねぇだろオイ」
「でも……待って……そんな」
メレスの様子が明らかにおかしかった。動揺を偽る事なく全面に出し、一人でボソボソと粒いている。
聞いても答えてくれなさそうなので、ルークはハーデルトの方を向き、
「なに、そのテムランって場所になんかあんの?」
「私達が育った場所よ。だからそこは真っ先に調べたの、まだ隠れてるかもしれないって。でも、見つからなかった。どこをどれだけ探してもね」
「灯台もと暗しってやつだ。たかが騎士団に見つけられる訳ねぇんだよオイ」
ここ一番、勝ち誇ったようにニヤリと口角を上げるアンドラ。
ただ、メレスの反応も仕方ない。隠れていると思っていた人物が、まったく隠れていなかったーーそれなりの衝撃なのだろう。
さりとて、ルークにはそんな事関係ないので、
「どんくらいかかんの?」
「さぁな。なにもなく行ければ三週間くらいじゃねぇのかオイ」
「また遠いな。五大都市制覇しちまうじゃん」
なにもない、なんて事は絶対にない。ルークの経験がそれを物語っている。きっと、また面倒に巻き込まれるに決まっている。しかも、恐らくそれはこれまでの非ではない。
それこそ、命にかかわる面倒事だ。
次の目的地も決まり、ようやっととるべき行動を得たルーク。
しかし、そこへメレスが口を挟んだ。
「だったら私も行く」
「ダメよ。状況を理解しなさい。私も行きたいけど、そんな事よりも優先すべき事があるでしょ」
「そんなの知らないわよ」
「第三部隊副隊長」
意地でも譲らない、そんな意気込みを出していたメレスだったが、ハーデルトの呟いた言葉に動きが止まった。
卑怯だと、これを言ったら行ける筈がないと分かっていながら、ハーデルトはその言葉を口にしたのだろう。
「立場を考えて。もう前みたいに好き勝手してる場合じゃない。アンタは人を率いる、皆の前に立つ存在なの。分かるでしょ」
「……うぅ」
「テムランにはルーク達が行く。私達はこの魔元帥をなんとしてでも王都に連れ帰る。良いわね?」
「……分かったわよ」
同じ副隊長としての覚悟の違いに、メレスは負けたようだった。小さく首を縦に振り、それからルークへと視線を移す。
「ルーク、じじいに会ったら殴っといて。あと、なにがなんでも引きずって帰って来なさいよ」
「なんで俺がんな事」
「副隊長命令よ」
「俺が従うとでも思ってんのか」
「うん、従う」
そう、断言したメレスにルークは答えなかった。舌を鳴らし、ぶっきらぼうに顔を逸らすだけだった。
ともあれ、これで話は上手くまとまった。
メレスとハーデルトは魔元帥を届けるために王都へと戻り、ルーク達は魔王を倒すヒントを得るためにテムランへ行く。
集まった顔触れを見て、
「人数多いな」
「馬車は俺がなんとか手配する。最悪二台になっちまうが、それは我慢しろよなオイ」
同行するメンバーは、ルーク、ソラ、アンドラ、アキン、エリミアス、ケルト、アテナ。そして、
「ティア、か」
正直言って、一番不安の残る人間がここにはいない。空元気を振り回して今もどこかで頑張っている少女だ。あんな事があった直後なのに、まともに旅が出来るのだろうかーーそんな不安が頭を過る。
ルークはらしくない事を考えている事に気付き、
「まぁ、なんとかなんだろ」
「なんとかするのよ。任せたんだから、ちゃんとやりなさいよ」
「へいへい、せいぜい努力しますよ」
不安しかない旅路を想像し、いつものため息が口から溢れだした。
そんなこんなで話は終わり、元々の目的であった見送りは済まされようとしていた。荷台に乗り込むメレスに引かれ、魔元帥の少女は抵抗する様子すら見せない。
「じゃ、私達は行くから。アンタ達がいつ頃ここを出るのかは知らないけど、アルブレイルによろしくね」
「出来れば今日にも出発してぇけど、無理だろうな。早くても三日後とかだろ」
「そこら辺はアンタ達に任せる」
荷台から顔だけを覗かせ、メレスは笑みを浮かべた。それからルークを招くように手招きをした。
不機嫌そうに顔をしかめながらも近付くと、
「ティアニーズの事、アンタに任せるわよ」
「またそれかよ。どいつもコイツも」
「アンタにしか頼めないから言ってんでしょ。付き合いは私の方が長いけど、多分アンタの方があの子を分かってる」
「一応、見とく」
「そ、じゃあ任せたわよ」
曖昧な返事を口にし、満足したように頷くメレスに背を向けたが、突然襟首を掴まれて引き戻された。頸動脈を圧迫され、意識がどこかへ旅立ちそうなったが、直ぐ様振り返り、
「いきなりなにしやがーー」
「ーー死ぬんじゃないわよ」
「……お前もな。これ以上誰かが死んだら、もう二度とアイツは立ち直れねぇよ」
「私を誰だと思ってんのよ。結婚するまで死なないわ」
「そうかよ。んじゃ、またな」
「うん。また」
再び会う約束を交わし、今度こそルークは馬車を離れたら。カタカタと車輪を回しながら、馬車はゆっくりと走り出す。
ふと、ルークは視線に気付いた。荷台の中、メレスの横に座る少女の視線だった。
少女の口が動いた。なにを言ったのか聞こえなかったが、口の動きはこう言っていた。
『また会おうね』
意味不明な言葉に、ルークは首を傾げる。
と、その横で座っていたメレスが突然立ち上がり、落ちそうになりながらも身を乗り出すと、
「おーい、ちっさいの!」
「ぼ、僕ですか!」
「そ、アンタよアンタ。せいぜい頑張りなさいよ。私の弟子なんだから、恥じかかせないでよね!」
「ーー! はい! 頑張ります!!」
その言葉を最後に、三人の乗った馬車は門を過ぎて行った。