六章閉話 『行き場のない罪悪感』
「さて、行くぞ」
「あ? 行くってどこに」
「決まっているだろう。宿だ」
しばらく前を向いたままボケッとしていると、急にソラが立ち上がった。ベシッと恥ずかしさを誤魔化すように放たれた平手が背中を叩き、ソラが目の前に現れる。
偉そうに腕を組ながら、
「まだやるべき事が残っているだろうに」
「やるべき事? つか、お前目の下あけぇぞ」
「なぬ、そんな筈ないだろう。それではまるで、私が泣いていたみたいではないか」
「いや泣いてただろ。めっちゃ音聞こえたし」
「私が泣く訳がないだろ、バカ者め」
どうやら意地でも認めたくないようである。これで涙を見るのは二度目だが、この調子だと一度目の涙すら否定しかねない勢いだ。
ソラはほんの少しだけ頬を染め、
「良いか、私は絶対に泣いてない。泣いてなどいないが、万が一貴様がそれを他言するような真似をすれば……どうなるか分かっているな?」
「いやだって目の下が……」
「分かって、いる、な?」
「ういっす」
有無を言わせぬ気迫に押され、素直に首を振るルーク。照れているようにも見えるが、ソラが本当の意味でルークを頼った証と受けとるべきなのだろう。
「んで、なにしに宿行くんだよ。まだ散歩してぇんだけど」
「バカ者、まだ貴様がやるべき事が……慰めるべき人間が残っているだろう。……いや、私は全然慰められてないけどな!」
「面倒くせーから、一々意地はんの止めろ」
ソラが誰の事を言っているのか、ルークは直ぐに分かった。というか、一人しかいない。他の面々、エリミアスを含めた全員は今、町の復興と住民を静めるのにあちこちを走り回っている。
宿に残る人間、それは、
「ティア、か」
「今のティアニーズは非常に危ない。今のうちにどうにかしなければ……本当に手遅れになるぞ」
「……んな事分かってる。でもよ、俺が行ったところでどうにかなるとは思えねぇけどな」
「もう一度言うぞ、バカ者。貴様しかいない、貴様以外ではティアニーズを支える事は出来ん。それは、貴様自身が誰よりも分かってる筈だ」
「う……」
素干しを突かれ、思わず目を逸らした。
ルークは気付いていたのだ。憧れとともに、ティアニーズが少なくとも自分に良い方面の行為を抱いている事を。それがなんなのか明確には理解していないが、恐らく、『恋』に近いものだという事も。
「……めんどくさ」
「とか言いつつ立ち上がるのだな」
「泣き虫」
「ぶっ殺してやる」
「貧乳」
「ぶっ殺してやる」
とりあえずムカついたのでダメージの多い言葉を投げ付けたが、ソラは淡々と脅迫を口にするだけだ。
大きなため息をこぼしながらも、ルークは立ち上がる。
「期待してるような結果にはならねぇと思うぞ」
「それでも行け。なにもしないよりかは遥かにマシだ」
「へいへい」
と、いう訳で、一旦宿まで戻って来た二人。
先日の騒ぎでほとんどの客がおらず、泊まっているのはルーク達を含めて数人になっている。この宿に被害が及ばなかったのは、ただの奇跡としか言いようがないだろう。
とりあえず、ティアニーズの部屋の前に立つルーク。
なんというか、扉からなにかが漏れだしていた。邪悪な気というか、悲壮感というか、良くないものという事だけは分かる。中でなにか暗黒魔法的なものを作っていてもおかしくないーーそんな雰囲気だ。
「……マジでここ入るの?」
「今さら怖じ気づいたのか?」
「いやだって……言い辛いけどさ、首吊っててもおかしくないよね?」
「そうならないために貴様が行くのだ」
「俺一人?」
「うむ」
どちらかと言えば幽霊とかの心霊の類いが苦手なルーク。幽霊屋敷だと分かっていて入るような心持ちである。
大きく息を吸い込み、覚悟を決める。
ガチャガチャとドアノブを回すが、やはり開いていない。
二度ほどノックし、
「お、おーい、中にいんのか?」
返事はない。それどころか、室内から生き物の気配がまったくしない。魔元帥との戦闘で培った、危険レーダーがまったく反応を示さない。
その後も何度か呼び掛けたが、結果は同じだった。
「やっぱ無理だろ。諦めて部屋に戻る」
「仕方ない。扉をぶち破ろう」
「まてまて、流石に傷心中の奴の扉をぶっ壊すのはまずいだろ」
珍しい一般論を語るルークだったが、ソラは腕をブンブンと回してやる気満々のご様子である。
と、その時だった。
部屋の中から足音が聞こえたのは。
ガチャリ、鍵が開き、扉がゆっくりと開かれる。
「なんですか……」
扉の隙間から顔だけを覗かせ、いつもよりも低い声で喋るティアニーズだった。心なしか、食事をとっていないせいで頬をやつれて見える。
ソラは逃げようとしているルークの背中を押し、
「少し時間を貰うぞ。ルークが大事な話があるらしい」
「は? ちょ、押すなバカっ」
「行って来い。成果があるまで絶対に出てくるなよ」
最後に耳元で呟かれ、押されるがままにルークはティアニーズを巻き込みながら部屋の中へと突入した。
真っ暗だった。昼間だからかろうじて部屋の中が見えるものの、カーテンすら完全に締め切っている。全ての光をシャットアウトし、ティアニーズは一人で閉じこもっていたのだろう。
「……う」
ティアニーズは立ったまま動かない。口を開く様子もないし、ルークの前でただ床を見つめているだけだ。
重苦しく、耐え難い沈黙が流れる。
ルークは乱暴にガシガシと頭をかいた。
こんな辛気くさい雰囲気は似合わない、そう自分に言い聞かせる。
人の心に土足で踏み込み、気遣う事もせずに荒らして帰ってこそ、ルーク・ガイトスなのだから。
「お前、なにやってんだよ。一人で閉じこもって飯も食わねぇで」
「ルークさんには、関係ありません」
「関係ねぇよ、関係ねぇけどムカつくんだよ。隣の部屋から辛気くせぇ臭いがしてよ」
「すみません」
いつものように、食ってかかって来る元気は見られない。受け答えの言葉に力はなく、ルークの話を聞いているのからすら怪しい。
「……トワイルの事か」
青年の名前を聞き、ティアニーズの肩が僅かに揺れた。
彼の事を思い出させるのは、恐らく正解じゃない。きっと、もっと他にティアニーズを傷つけない方法だってある筈だ。
でも、それじゃダメなのだ。
目を逸らしたって、なにも変わらないから。
「思い上がんなよ。お前のせいでアイツが死んだとでも思ってんのか?」
「…………」
「誰のせいでもねぇだろ。殺したのはウルスだ。あの状況じゃ、誰も動けなかった」
悪いのはウルス。それは絶対的な事実だ。揺るぎようのないほどに。
しかし、問題はそこではない。
そんな事、ティアニーズだって理解している筈だ。
「なんでお前がそんなに凹んでんだよ。お前がそうやって一人で背負ってりゃ、なにかが変わんのか? この世の終わりみてぇな顔してりゃ、トワイルは生き返んのか?」
その言葉は、多分ティアニーズに向けてではない。
ルークは自分に向けて放った言葉だ。
「アイツが自分で決めて、そうしたいと思ったらやったんだろ。それをお前が自分のせにして……それこそ、トワイルのやった事を否定してんじゃねぇのかよ。アイツの覚悟を、勇気を、踏みにじる事になるんじゃねぇのかよ」
もし、トワイルみたいな人間が勇者だったら。ルークはそう何度も考えた。
きっと、力を正しい事に使った筈だ。
きっと、ルークなんかよりも多くの人間を救えた筈だ。
でも、そんな事を考えても意味はない。
選ばれたのはルークで、力を持っているのはルークだ。
「アイツの凄さを誰よりも知ってんのは……お前なんじゃねぇのかよ! その凄さを、近くで見てきたんじゃねぇのかよ!」
思わず、声を荒げていた。
別に、ティアニーズに対して怒っている訳ではない。確かに辛気くさい人間を見ていると苛立つけれど、今はそんなの微々たるものでしかない。
ルークの怒鳴り声を聞き、ティアニーズの口が動いた。
ポツリと、言葉が落ちる。
「私の目の前で、トワイルさんは死にました」
視線は動かない。
それでも、ゆっくりと、ティアニーズは語る。
「それなのに、私は動けなかった。仇をとる事も出来ずに、ただ泣いている事しか出来ませんでした」
「…………」
「私がもっと強ければ、もっとちゃんとしていれば……魔元帥くらい、簡単に殺せるくらいの力があれば……」
「…………」
「こんな事にはならなかった。トワイルさんは、死なずにすんだんです。誰も、誰も傷つかずにすんだのに……!」
ティアニーズは間違っている。
目の前で大事な人間が死んだせいで、それ以外の悲しみも全て背負おうとしている。
そんなの、ただの少女に出来る訳がない。
そんな事をして、壊れない筈がない。
「どうして……どうして私はこんなに弱いんですか! 今までだって頑張って来た、少しは強くなれた気がしていた! でも、そんなの気のせいだったんです! 少しも、私は強くなれてない……一歩を進めてなんかいなかったんです!」
感情が溢れだす。顔を上げ、ルークを見つめる瞳からは涙がこぼれ落ちていた。
どこへ感情をぶつけて良いのか分からず、ティアニーズはその怒りをルークに向けていた。
「いつだって、私はルークさんや他の皆に守られてばかりです。自分じゃなにも出来ないくせに、言葉だけはいっちょまえで、結局誰かに助けられて……自分で出来るなんて勘違いをしてた……!」
「…………」
「弱いんです……弱い、弱いの! ルークさんに追い付きたくて、並びたくて、必死に走って来たけど、全然意味なんかなかった!」
「…………」
「トワイルさんは私に憧れてたなんて言ってたけど、そんなの嘘! 私は全然強くなんかない……トワイルさんは……私の事をなにも知らない!」
バチン!と音が鳴った。
ルークの開かれた掌は、ティアニーズの頬を叩いていた。
それだけは、どうしても我慢ならなかった。
一人で背負うのは良い。勝手に自分を責めて、道に迷ったって良い。
でも、それだけは、その言葉だけは。
「お前、それ本気で言ってんのか」
「だってそうじゃないですか! こんな私に、憧れるなんて間違ってる!」
「ふざけんなよ……。アイツがお前を見てねぇだと、アイツが見て来たお前は間違ってるだと……なにも知らねぇのはお前の方じゃねぇか!!」
「…………ッ」
「お前はアイツを否定してんだぞ! アイツと一緒にいた時間を、アイツから学んだ事を、全部否定してんだぞ! なに言ってんのか分かってんのか!」
なんで、こんなにも熱くなっているのか分からなかった。
でも、耐えられなかった。
トワイルが見て来たものを、信じたもの、否定されるのがどうしようもなく嫌だった。
トワイルが信じた人間が、それに気付かないのが嫌だった。
トワイルが見ていない筈がなかった。
いつだって、どんな時だって心配していた。でも、ティアニーズの強さを信じたから、認めたから、危険な場所へ行く事を許可し、全てを託した。
ふざけるなと、心の底から思った。
「もういっぺん聞くぞ。お前本気で言ってんのか、本気でトワイルがなにも見てねぇって言ってんのか! そんな奴じゃねぇ事くらい、バカみたいなお人好しだって事くらい、俺にだって分んぞ!」
ルークなんかより、ティアニーズの方が付き合いは長い。せいぜい二ヶ月、ルークはそれくらいしかトワイルと一緒にいなかった。
それでも分かる。
ああいう男こそが、勇者になるべきなのだと。
「……アイツの生きてきた意味を、歩いて来た道を、お前が否定すんなよ。お前だけは、絶対にしちゃダメだろ」
お人好しで、爽やかで、たまに腹黒くて、常識的で、でも、悪戯心のある青年。
騎士団とか副隊長とか関係なく、ただの友人として、ルークやティアニーズを見守って来た男。
それが、ルークの見て来たトワイル・マグトルという男だ。
それを誰よりも分かっているのは、ティアニーズだ。
だから、ティアニーズにだけは否定してほしくなかった。
彼を、忘れてほしくなかった。
「お前を守ったアイツを、お前を信じたアイツを、お前に託したアイツを……トワイルを、頼むから忘れないでくれ。絶望に飲まれて、アイツを変えないでくれ」
それが、ルークの本音だった。
震える声でやっと絞り出した、伝えたい事だった。
ティアニーズの瞳が、大きく揺れた。
唇が震え、溢れていた涙が勢いを増す。
ティアニーズは、ルークの胸に飛び込んだ。
「だって、だってぇ……! 私がもっとちゃんとしてれば、トワイさんは!」
どうしようもなく、感情が揺れていた。
胸に顔を押しあて、ティアニーズは叫ぶ。ぐちゃぐちゃで見るに絶えない顔の筈だ。服に涙や鼻水がついている筈だ。
けど、ルークはただ立っているだけだった。
「分かってます、分かってますよ! トワイルが私を見てた事くらい、そんなの分かってるに決まってるじゃないですか!」
「おう」
「私だけじゃない。メレスさんもコルワも、ルークさんもソラさんも姫様も、トワイルさんは皆の事を誰よりも見てたんです!」
「おう」
「そんな人を……私は死なせてしまった! 私なんかのために、私よりも価値のある命を失わせてしまった!!」
「おう」
「どうしたら良いか分かんないの! 誰かに謝ったら良いの!? トワイルさんのお墓の前で、毎日土下座すれば良いの!?」
「おう」
「そんなの意味ない! トワイルさんはそんな事望んでない! 分かってる、分かってるもん! でも、じゃあどうしたら良いの!?」
「おう」
「分かんないよ、なんにも分かんないよ……。もう、どうすれば良いのか……なにもしたくない……」
溢れ出した感情は言葉になり、ティアニーズの脆い心をなおも締め付ける。どれだけ辛いかなんて、ルークには分からない。いや、ルークだけじゃない。その気持ちは、ティアニーズにしか分からない。
だから、静かに頷いた。
言葉を聞き、涙を受け、静かに頷いた。
「……私、なんでこんなに弱いのかな。なんで、誰も守れないのか。ずっと誰かの役にたちたくて……お父さんみたいな人になりたくて……」
それが、多分ティアニーズの始まりなのだろう。
戦争で死んだ父親のようになりたい。野望にまみれていた考えは、ルークと出会って願いに変わった。
本気で、誰かの役にたちたいという願いに。
血は繋がっていなくとも、ルークなんかよりも憧れた存在。
でも、それがきっと、ティアニーズをなにもりも苦しめていた。
「ルークさん。私、どうすれば良いんですか……。分からないんです、自分がなにをしたいのか」
この答えを間違えれば、取り返しのつかない事になる。
数ある選択肢の中から、ティアニーズが本当に望むものを与えてやらなければ、きっと全部が終わってしまう。
騎士団も、戦う事も、憧れの存在を追い掛ける事も。
なにもかもが、終わってしまう。
「…………」
でも、だから。
ルークは考える。
そんなもの、
「俺に聞くな。お前の人生だろ、お前が決めて進め」
ルークは答えを知らない。その答えは、ティアニーズにしか分からないものだ。
どれだけ相手を思いやっていようが、ポッと出の安い言葉なんかじゃ意味がない。
だから、思った事を言う。
そんなの、知ったこっちゃないと。
胸に押し付けていた顔が、ゆっくりと離れる。
「やっぱり、ルークさんはズルいです。言いたい事だけ言って、答えは全部相手任せ」
「たりめーだろ。俺が知る訳ねぇんだから」
「はい。でも、それがルークさんですよね。自分勝手で、クズで、相手の心に土足で踏み込んで……全部、放り投げちゃう」
「悪いかよ。俺は俺の好きなようにやる。今までも、これから先もずっと」
ティアニーズと目があう。目の周りが酷く赤くなっており、ソラとは比べものにならないほどだった。
けれど、ほんの少しだけ、表情が和らいでいた。
「ルークさんは教えてくれないので、自分で探す事にします。今の私じゃなにも守れない……そんな私に、なにが出来るのか」
「まぁ、一応応援してといてやるよ」
「はい。ルークさんが背中を押してくれれば、私は頑張れます。だから、もう大丈夫ですよ。わざわざ来てくれてありがとございました」
「別に好きで来た訳じゃねぇよ」
頭を下げるティアニーズに、ルークはぶっきらぼうに答える。
ソラの言う通り、少しは力になれたのかもしれない。
ティアニーズは笑っていた。
でも。
「なので、もう出て行ってください。私も女の子なので、泣き顔を見られるのは恥ずかしいんです」
「……へー、女の子、ねぇ」
「な、なんですか! 良いから、早く出て行ってください!」
背中を押され、強制的に部屋から追い出されたルーク。ゆっくりと閉まる扉の向こう側から、小さく『ありがとうございます』という呟きが聞こえた。
「……言った通りじゃねぇか」
閉まった扉を見つめ、ルークは呟く。
そう、言った通りだった。ルークの、言った通りだった。
ティアニーズは、確かに微笑んでいた。
でも。
あれは違う。本物の笑顔じゃない。
ルークの知っている、心を動かされた笑顔なんかじゃなかった。