六章二十九話 『祠の意味』
どれくらいの時間がたっただろうか。
考える時間を捨て、ただ目の前に立つ岩を破壊する事に全ての神経を注いでいた。五十体を過ぎた辺りから数える事すら止め、既に百は越えているだろう。
人間であるルークには限界がある。
いくら要所要所で加護を使ってるとはいえ、疲労がない訳ではない。それはすなわち、他の二人の疲労はルークの何倍もたまっているという事だ。
しかしそんな予想とは反し、一人の少女が無双していた。
「違う……もっと、もっとイメージするんだ!」
ルークが百体のゴーレムを倒しているとすれば、アキンは少なくとも五百のゴーレムを蹴散らしているだろう。メレスが認めた魔法の才能は飾りなんかじゃなく、圧倒的な威力と範囲の炎で焼き払っていく。
だがしかし、アキンは悔しそうに呟いていた。
「もっと集中するんだ、鳥、鳥鳥鳥!!」
アキンの手に集まった炎が形を変え、小さな鳥が両翼を羽ばたかせる。真っ直ぐとゴーレムの群れに突っ込んで行くが、アキンの手を離れて僅か数秒と持たず、巨大な火柱を立てて崩壊した。
十数体のゴーレムを一瞬にして焼き付くしたが、それだけの威力を発揮してもアキンの顔から悔しさは消えなかった。威力やどれだけ倒したかではない。自分のイメージを形に出来ない事が、なによりも悔しかったのだろう。
「もう一回! 練習相手はいっぱいいるんだ、僕もまだまだやってやる!」
さりとて諦める気配はない。それどころか、失敗を楽しんでいる素振りすらある。彼女自身、戦っているという意識はないのだろう。メレスに言われた言葉を復唱し、自分の力を更なる高みへと押し上げようとしている。
あくまでも練習。自分の特訓のついでで、群がるゴーレムを燃やしているのだ。
才能レディの存在を視界の隅に捉えながら、
「ちびっこに全部任せた方が早くね?」
『バカ者。アキンの魔力だけをあてにしていれば、直ぐに底を尽きて終わりだ。いくら才能があろうとも、魔力とは無限のエネルギーではない』
「俺は魔法使えねぇから分かんねぇけど、そういうもんなんかね」
適当に呟き、背後に迫るゴーレムを振り返り様に凪ぎ払った。
嫌に冷静なのが分かった。魔元帥ほどの危険性がないにせよ、数えるのもバカらしくなるほどの岩人形を相手にしている。それでも、今までで一番落ち着いていた。
『ルーク、先に謝っておく』
「いきなりなんだよ。お前が謝るとか槍でも降って来るんじゃねぇのか?」
『岩なら降って来たぞ』
走り、次々とゴーレムを引き裂いて行く。手足をもぐのではなく、頭から股下にかけて剣を振り下ろし、一太刀で対象を制圧して行く。
ルークは戦いの中で成長していた。
一番無理のない動きで、一番楽な方法で、一番成果を上げれる戦い方を身につけ始めていた。
今までのような、力任せのやり方では太刀打ち出来ない。困難を前にし、挑み、乗り越え、その度にルークは新たな力を身につけている。
才能はあったのだろう。
だがしかし、それを上回る経験によるものが大きい。
『私は……いや、貴様はここに来るべきではなかった。ここに来てはいけなかったのだ』
「今さらなに言ってんだよ。俺の悪運知ってんだろ? どーせ、どんな道を辿ったってここに来てた」
『そうだな、周りの悪運を全て引き受ける避雷針のような男だったな』
「止めろ、そこまで酷いなんて思ってねーぞ」
ルークが勇者になったからか、それとも生まれつきのものなのかは分からないーーいや、恐らく後者だろう。なにせ、ソラを手にする前から、少女にぶん殴られて誘拐されていたのだから。
「今は聞かねぇよ。そんな暇ねぇし、どーせあの扉の向こうに答えがあんだろうからな」
『貴様も予想は出来ているのだろう? ここが、どんな場所なのか、なんのために造られたものなのか』
「聞かねぇって言ってんだろ。だからあとで話せ、一度に二つの事を出来るほど器用じゃねぇんだよ」
『……分かった。だが期待するな。記憶が戻った訳ではない。恐らく、私の記憶は自力では戻らない』
ソラの声が、いつになく静かに聞こえた。
偉そうな様子もなく、しおらしく、見た目相応の少女の声だ。
しかし、ルークはそれを無視した。
無視して、目の前の驚異に体を動かす。
それからどれだけの時間が経過しただろうか。
ゴーレムの数は、数えられるほどまでに減少していた。主にアキンの活躍が大きい。ルークのように一体一体潰して行くのではなく、面で潰せる魔法の優位性が本力を発揮していた。
ちなみに、アンドラは逃げ回るばかりである。
最初は、ルークの持って来た小さなナイフを手にして果敢に挑んでいたが、それが折れてからはアキンの応援に全身全霊を注いでいる。
「ちびっこ、あとは全部吹っ飛ばせんだろ」
「はい!」
残りのゴーレムが一ヶ所にかたまり、それを取り囲むようにルーク達は立つ。
最後の一撃は、アキンの手によって行われた。
結局、魔法のコントロールは出来なかったらしい。最後の最後まで炎の鳥を爆散させ、でたらめな威力で根こそぎ吹き飛ばした。
ようやくゴーレムとの戦闘を終え、三人は同時に腰を下ろす。立っているのもやっとだった。いくら弱いとはいえ、その数は厄介としか言いようがなかった。
「だぁぁ……疲れた、マジで一生分動いた」
「結局ダメでした……魔法って難しいです」
額に汗を滲ませながら、大の字に寝転んだルークの横でアキンが悔しそうに呟く。息をきらして肩を上下に揺らしているが、なによりも成功の二文字を得る事が出来ず、落胆した様子だ。
アンドラは一人余裕な表情で、
「まぁ、また次があるさ。お前ならすげぇ魔法使いになれる。俺が保証するぜオイ」
「はい! そうなれるように僕も頑張ります!」
「おうコラおっさん、お前ただ逃げてただけだろ。なんでそんな清々しい感じ出してんだよ」
「バカ野郎。お前らが戦ってる間ずっと走り回ってたんだぞ? ももがパンパンだぜオイ」
その割りには余裕そうだが、確かに必死に逃げ惑う姿は時折視界に入り込んでいた。となると、アンドラの体力がアホみたいなレベルで多いのだろう。なんの役にも立っていないが、本格的にアンドラの評価を改める必要があるらしい。
「無理、ちょっと休ませろ。今ならソラと喧嘩して負ける自信がある」
「ほう、ならば私の膝を貸してやろう。柔らかいぞ、暖かいぞ」
ポンポン、と正座をしながら自分の太ももを叩き、ソラは普段の調子に戻っていた。忘れていたが、一番楽しているのはこの精霊なのである。
それに気付き、
「膝枕じゃ疲労は回復しねぇんだよ。俺を背負え、いつもの借りを返す時だ」
「それは無理だな。私の華奢な体ではルークを支えられずに潰れてしまう。だからこその膝枕だ。ほれ、精霊の膝枕などそうそう味わえるものではないぞ」
「んじゃ俺が……」
「近寄るな」
「オイ」
無謀にも、自然な流れで会話に参加しようとしたアンドラだったが、ソラの鋭い眼光にやられ、雨の日に捨てられている子犬のように縮こまってしまった。
しばらく疲れを癒すように談笑していると、不意に背後で大きな音が鳴った。
つられるようにそちらへ顔を向けると、
「あぁ、そういや扉開けるためだったっけか」
「忘れてたのかよオイ」
「すみません、僕も忘れちゃってました」
途中から、とりあえず視界に入る人間以外は殺すつもりで暴れていたので、扉の事は完全に頭から飛んで行っていた。
それを引き戻すように、扉に埋め込まれた無数の宝石から光が消え、巨大な扉がギィィィと音を立ててゆっくりと開いて行く。
「行くしかねぇか。休憩終わりだ、とっとと行くぞ」
「少し休めたので元気満タンです!」
「「えぇ、やだ」」
一番年下のアキンが元気良く立ち上がったのに対し、年長二人組が不満の声を上げる。大して働いていない人間の要求をこの男が飲む筈もなく、とりあえず憂さ晴らしで脳天へ拳骨を叩き込んだ。
「行くぞ」
「「はーい」」
頭に大きなたん瘤をつくりながらも、ルークとアキンに続いて二人が立ち上がる。
不気味なほどにゆっくりと開く扉。中から差し込む光は四人を照らし、まるで誘いこんでいるかのようだった。
光に誘われ、ルーク達は扉の中へと足を踏み入れる。
だが、
「また通路かよ! いい加減うぜぇんだよバーカ!」
「誰がバカだ」
「別にお前に言ってねぇだろ」
「ならばなぜ私の方を見ている? そうか、ようやく私の魅力に気付いのだな」
「はいはい、ソラちゃん可愛い可愛い」
再び現れた通路。相変わらずの長さで、松明の光が揺れていた。
やはり先は見えない。同じ場所をひたすらぐるぐる回っているのでは、と思ってしまうほどに、先ほどから同じ光景が続いている。
苛々を全面に出し、ルークはグルルゥと誰かに対して威嚇。
そんなルークの背中を叩き、ソラは先頭に飛び出ると、
「大丈夫だ。この通路を歩く必要はない」
「あ? なんでだよオイ」
「気になるか? 気になるのだな。ちょっとこっちに来てみろ」
「あ、怪しさ満点だなオイ……」
疑いの眼差しを向けながらも、言う通りに指定された場所に立つ。動揺を飛び越え、アンドラはキョロキョロと視線をバタフライさせていた。
震えるアンドラを一旦放置し、ソラはなにかを探すように壁に触れ、
「確かこの辺に……あぁ、これだこれ。舌を噛まないように口を閉じておけ」
「あ? なに言ってーー」
ガシャン。と音が鳴った。
ソラの触れていた壁が四角く凹む。
そして次の瞬間ーーアンドラの立っていた地面が消えた。
一瞬の沈黙のあと、
「なんじゃそりゃァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
アンドラの体が、一瞬にして視界から消え失せた。
いや、消え失せたのではなく、地面に空いた大きな穴に落下して行ったのだ。
悲痛な叫びがこだまし、段々とその声が遠くなって行く。最後に『オイ!』という口癖が耳に入り、それ以降はなにも聞こえなかった。
アキンはプルプルと肩を震わせ、真っ青に顔を染めると、
「お、お頭!?」
「とうとう殺りやがったな。おっさんの最後の言葉が『オイ』かよ」
呑気な調子で口を開くルークとは対照的に、アキンは焦った様子で穴を覗き込む。何度も呼び掛けたものの、アンドラの返事は一向に帰って来ない。
穴は地中深くまで続いており、ひたすら闇が続いていた。覗いているだけで、引き込まれてしまいそうなほどに。
「ど、どうするんですか!? お頭が死んじゃいましたよ!」
「そう焦るな。確かに私はあの男を殺すと脅したが、実際に殺るほど人でなしではない」
「いや人でなしだろ。なんの説明もなしにおっさんを穴に突き落としてんじゃん」
ルークの冷静な突っ込みを全て受け流し、ソラは偉そうな態度で説明を始める。
「これが正解の道だ。このまま道を進んだとしても、またゴーレムの部屋に戻る」
「じゃ、じゃあお頭は生きてるんですね!?」
「あぁ、今頃下で待っている……と、思う」
「なんで断言してくれないんですか!」
「見えないからな。もしもの事もある」
完全にアキンをからかっていた。あわあわとしどろもどろになりながら、瞳に大粒の涙をため、落ち着きのないアキン。
そんなアキンをゲス笑いで眺めながら、精霊さんは腕を組んで大変ご機嫌である。
なので、
「てい」
背後からしのびより、ソラを抱えて穴に向かってぶん投げた。
なぜか?
簡単だ。なんかめっちゃムカついたから。
ゆっくりと落下を開始するソラと視線が交わり、
「フッ、甘いわ!」
咄嗟に手を伸ばしたソラが掴んだのは、泣き出しそうなアキンの腕だ。当然、アキンはソラの重さを支える事が出来ず、吸い込まれるようにして穴へと体を傾ける。
そして、アキンは無意識にルークの腕を掴んだ。
「バーー」
「貴様の考える事などお見通しなのだ!」
「お、落ちる!」
叫びを上げる暇もなかった。
ルークから始まった悪ふざけはいつも通り本人の元へと帰り、自らの身を滅ぼす。もう、何度目になるだろうか。
因果応報。
ルークはいい加減この言葉をしっかりと勉強するべきだろう。
まぁとりあえず、三人はめでたく仲良く落下した。
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いつの間にか気を失っていたらしく、次に目を覚ますと見知らぬ場所で寝転んでいた。地面の冷たさと硬さに眠りを邪魔され、ルークは瞼を持ち上げる。
小さな空洞だろうか。
尖った岩肌が晒され、ちょっとした鍾乳石のような場所にいるようだった。
「ッ……どこだよここ」
ガンガンと響く頭痛に顔をしかめながら、重たい体を起こそうとする。が、なぜか持ち上がらない。手を動かして背中を確認すると、なんだか柔らかいものに指が食い込んだ。
それと同時に、甘い吐息が耳を刺激した。
手を戻し、自分の掌を凝視。
前にも一度、味わった事のある感触だ。
ルークは頬を緩め、
「やっぱ壁じゃん」
「ふん!」
気付いたら地面とキスしていた。
とりあえずありがちな『キャァ、エッチィィ!』的な展開を終わらせ、背中に乗っていた二人の少女が下りる。
後頭部に響く激痛、鼻の中で暴れる血の匂い。
なにを触ったのか、なんて野暮な事は言うまいーー、
「今貴様が触ったのはアキンの胸だ」
「俺流そうとしたじゃん。なんで自分から掘り起こすのさ」
なにが起きたのか分からず首を傾げるアキン。胸という単語に頬を赤らめて体を抱き締めていたが、多分寝ている間に変な事をされたとか考えているのだろう。
とりあえず、平然を装って辺りを確認。
すると、背後に扉があった。
「また扉。さっきのやつの続きじゃねぇだろうな?」
「それより、お頭はどこですかっ?」
「……いや、ここがゴールだ。アンドラもこの先にいると思う」
「良かったぁ、お頭無事なんですね」
なんのへんてつもないただの扉だ。
なのに、一瞬開ける事をルークは躊躇ってしまった。扉を開けるという極普通の行動を、本能が拒否していた。
しかし、首を振って不安を払うと、その扉を開いた。
「…………」
足を踏み入れる。
ここを歩け、と言わんばかりの道。その道の両側に石の支柱が並んでいる。そして、道の終着点ーー巨大な台座のようなものがあった。
そこに、アンドラが立っている。
「お頭!」
アンドラを見つけるなり、アキンは満面の笑みで駆け寄る。いつもなら笑顔で迎える筈のアンドラだったが、アキンを見る事さえしない。
アンドラは見つめていた。
台座の上に置かれた、二メートルほどの白い宝石を。
「……なんだよ、ありゃ」
白い宝石を目にした瞬間、ルークの全身を電流が駆け抜けた。悪寒が走り、寒くもないのに鳥肌が立つ。指先が震えていた。冷や汗が止まらない。
多分、アンドラも同じ状態だった。
固まる二人を他所に、ソラは宝石へと歩みを進める。
宝石に触れ、その『中』を見て目を細める。
「五十年ぶりだな……」
水晶の中には、一人の男がいた。
瞳を閉じ、生きているのか死んでいるのかも分からない。黒髪の、普通の男。そこら辺を歩いていてもおかしくないーーそれほどまでに特記すべき箇所のない男だった。
そう、普通なのだ。
普通なのに、その男から目を逸らせなくなっていた。多分、動けない。多分、息をしていない。
なのに、目を逸らせば次の瞬間に自分は死ぬーーそんな感覚すら覚えていた。
「ルーク、これがこの祠の意味だ。私の力のほぼ全て使い、閉じ込めておきたかったものだ」
ソラの言葉が上手く聞き取れない。
しかし、次の言葉だけははっきりと聞きとれた。
振り返り、ソラは言う。
「これがーー魔王だ」




